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祭 - Wikipedia

まつり

感謝かんしゃいのり、慰霊いれいのために神仏しんぶつおよび祖先そせんをまつる行為こうい

まつり(まつり)とは、感謝かんしゃいの慰霊いれいのために神仏しんぶつおよび祖先そせんをまつる行為こうい儀式ぎしき)である。供物くもつそのほかがささげられる。

祭祀さいし(さいし)、祭礼さいれい(さいれい)、祭儀さいぎ(さいぎ)。また、まつり漢字かんじ表記ひょうきまつり・まつり・まつり・せいりなど)によって、用途ようと意味合いみあいがことなる(詳細しょうさい後述こうじゅつ)。

概要がいよう

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八坂神社やさかじんじゃ祇園祭ぎおんまつり まえさい山鉾やまぼこ 御池みいけどおり巡行じゅんこう/2017ねん7がつ17にち撮影さつえい

原初げんしょてき形態けいたい

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祭祀さいし祭礼さいれいかたちは、世界せかい各地かくち多様たようかたちしめす。そして、原初げんしょまつりは、ひとつの信仰しんこうもとづいていたとかんがえられる。すなわち、豊穣ほうじょうへの感謝かんしゃいのであり、ジェームズ・フレイザーの『金枝きんしへん』では、生命せいめい再生さいせいとおして考察こうさつされた。農耕のうこう社会しゃかいにおいては、収穫しゅうかくさいふるいものであるが、そのにも祭壇さいだん動物どうぶつ生贄いけにえささげる形式けいしきがあり、ともにいのちによって豊穣ほうじょうられる信仰しんこううかがえる[注釈ちゅうしゃく 1]。『金枝きんしへん』にせられているれいでいえば、ヨーロッパのキリスト教きりすときょう以前いぜんいろめている風習ふうしゅうひとつで、収穫しゅうかくした穀物こくもつ使つか人形にんぎょうじょうのパンまたはクッキー(人体じんたい象徴しょうちょう)をつくり、分割ぶんかつする祭礼さいれいがあり、聖餐せいさんとの類似るいじ指摘してきできる。キリスト教きりすときょう仏教ぶっきょうなどの世界せかい宗教しゅうきょうにも祭礼さいれいがみられるが、教義きょうぎより儀式ぎしき慣習かんしゅうによるところがおおきいてんで、まつり要素ようそは、本質ほんしつてき民族みんぞく宗教しゅうきょう顕著けんちょであるともいえる。狩猟しゅりょう民族みんぞくでも、獲物えものささゆたかりょう祈願きがんする儀礼ぎれいがみられる(くまおくなど)。

また、さきにもべたが、キリストきょう復活ふっかつさいボロブドゥール遺跡いせきおこなわれているワイシャックのように、キリストきょう仏教ぶっきょうなどの世界せかい宗教しゅうきょうもとづくまつりもある。一方いっぽうアングロ・サクソン諸国しょこくハロウィーンなどのように、世界せかい宗教しゅうきょう以前いぜん信仰しんこうもとづくものや世界せかい宗教しゅうきょう伝来でんらいした各地かくち習合しゅうごうしたかたちつたわっている事例じれいもある。

日本語にほんごの「まつり」の語源ごげん原義げんぎ

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「まつり」という言葉ことばは「まつる」の名詞めいしがたで、本来ほんらいかみまつること、またはその儀式ぎしきすものである。この意味いみでは、個人こじんがそういった儀式ぎしき参加さんかすることも「まつり」であり、現在げんざいでも地鎮祭じちんさい祈願きがんさいなどのまつりがそれにあたる。日本にっぽん古代こだいにおいて、祭祀さいしつかさどもの政治せいじつかさどもの一致いっちした祭政さいせい一致いっち体制たいせいであったため、政治せいじのことをせい(まつりごと)ともぶ。

「まつり」や「まつる」という古語こごさきであり、その漢字かんじ流入りゅうにゅうにより「まつり」・「まつり」・「まつり」・「せいり」・「まとまり」などの文字もじてられた。現在げんざいは「まつりとまつり」が同義どうぎで「まつりとまつり」が同義どうぎともいわれるが、漢字かんじ由来ゆらいとともに意味いみかれているので下記かきしるす。

まつ」は、かみみこと(みこと)にいのること、またはその儀式ぎしきすものである。これはまつりが、いのりにつうじることから神職しんしょくやそれにじゅんずるしゃ福男ふくおぶくむすめ弓矢ゆみや神事しんじり)などがおこなう「祈祷きとう」や「かみとの交信こうしん結果けっかとしてのうらな」などであり、いわゆる「神社じんじゃ神道しんとう」の本質ほんしつとしてのまつりでもある。このまつりは神楽かぐら(かぐら)などの巫女ふじょまい太神楽だいかぐらなどの曲芸きょくげい獅子ししまいなどであり、ひろしたしまれるものとして恵比寿講えびすこうなどがある。その起源きげん神道しんとうなどの日本にっぽん民間みんかん信仰しんこうにもあり、ふるくはかみぎ(かんなぎ)といい「そこに宿やどたましいいのちが、こうぶるかみにならぬよう」にといのることであり、それらが、道祖神どうそじん地蔵じぞうほこらづか供養くようとうとしての建立こんりゅうや、わせ日々ひび感謝かんしゃいのることであり、また神社じんじゃ神道しんとう神社じんじゃにて祈願きがん祈念きねんすることも同様どうようである。

まつ」はいのちたましいれい御霊みたま(みたま)をなぐさめるもの(慰霊いれい)である。「まつり」は、漢字かんじ本来ほんらい意味いみにおいて葬儀そうぎのこと[よう出典しゅってん]であり、現在げんざい日本にっぽん中国ちゅうごくではまつりはせい反対はんたい意味いみとらえられているが、慰霊いれいというてん着眼ちゃくがんすれば本質ほんしつてき部分ぶぶんではおな意味いみでもある。神道しんとう本質ほんしつひとつでもある先祖せんぞ崇拝すうはいが、仏教ぶっきょう習合しゅうごう神仏しんぶつ習合しゅうごう)して現在げんざいつたわるものとして、ぼん純粋じゅんすい仏教ぶっきょう行事ぎょうじとしては釈迦しゃかたてまつ盂蘭盆うらぼんがあり、どう時期じきにおこなわれる)があり、辞書じしょ説明せつめいでは先祖せんぞ崇拝すうはいまつりと記載きさいされている。くじらまつといわれるまつりが、日本にっぽん各地かくち津々浦々つつうらうらおこなわれているが、それらは、くじらとっき(捕鯨ほげい)によっていのちとしたクジラ慰霊いれいするためのまつりである。

まつ」は、たてまつる(たてまつる)ともむ。献上けんじょうげる・うえるなどの意味いみもあり、一般いっぱんてきとらかたとして、日本にっぽん神話しんわ人格じんかくしんひと肖像しょうぞうひとおなじようなしん日本にっぽん創世そうせいかみ々)や朝廷ちょうてい公家くげたいする行為こういをさし、これは、神社じんじゃ神道しんとうさいしんおおくが人格じんかくしんでもあるが、皇室こうしつ神道しんとう本質ほんしつがある「みこと(みこと)」にたいする謙譲けんじょう精神せいしん内包ないほうした「まつり」である。その起源きげんは、自然しぜん崇拝すうはいである神道しんとうにまでさかのぼり、日本にっぽん神話しんわうみ幸彦さちひこやま幸彦さちひこにあるように釣針つりばりふるくは釣針つりばりひとつの概念がいねんであった)や弓矢ゆみやは、こう(さち)といいかみ供物くもつうみこうやまさち)を「たてまつげる」神聖しんせいいさ(いさり)・(かり)の得物えもの(えもの・道具どうぐ神聖しんせい武器ぶき)であった。ふるくから漁師りょうし猟師りょうしは、獲物えもの(えもの)をる(える)とかみ々のぶんとして、大地だいちうみにその収穫しゅうかく一部いちぶかえした。このようなおこないは、漁師りょうし猟師りょうしだけにかぎらず、その農林のうりん水産すいさんかかわる生業せいぎょう(なりわい)から、現在げんざい醸造じょうぞう酒造しゅぞうなど職業しょくぎょうとしての神事しんじや、かく地域ちいきの「おまつり」にもあり、地鎮祭じちんさい上棟じょうとうしきでも御神酒おみき(おみき)やべい(おこめ)が大地だいちかえされる。

せい」については、日本にっぽん古代こだいからの信仰しんこう社会しゃかいである、いわゆる神道しんとうおいて、祭祀さいしつかさどもの(まつり)と政治せいじつかさどもの(まつり)は、おな意味いみであり、このふたつの「まつり」が一致いっちした祭政さいせい一致いっちといわれるものであったため、政治せいじのことをせい(まつりごと)ともんだ。ふるくは卑弥呼ひみこなども祭礼さいれいつかさど巫女ふじょ祈祷きとうであり、祈祷きとううらないによって執政しっせいしたといわれ、平安へいあん時代じだいには神職しんしょく道教どうきょう陰陽いんようぎょう思想しそう陰陽いんようどう陰陽いんようという思想しそう役職やくしょく官僚かんりょうとしておおきな勢力せいりょく執政しっせいした。またこうしたせいまつりに一致いっち中央ちゅうおう政府せいふかぎらず、地方ちほうまち集落しゅうらくでも、そのとし吉凶きっきょううらなまつりや、普請ふしんとしてのまつりがおこなわれ、「自治じちとしてのせい」にたい資金しきん調達ちょうたつや、吉凶きっきょう結果けっかによる社会しゃかい基盤きばん実施じっし時期じき決定けってい執政しっせい指針ししんとした。

なお、日本にっぽんまつりについて英語えいご紹介しょうかいする場合ばあい、「フェスティバル」・「リチュアル」・「セレモニー」がそれぞれ内容ないようおうじて訳語やくごとしてもちいられる。

祭祀さいし祭礼さいれい

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祭祀さいし祭礼さいれい厳密げんみつ区分くぶんはなく、便宜べんぎてき区分くぶんである。

建築けんちく祭礼さいれい

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1981ねん昭和しょうわ56ねん)に番匠ばんしょう保存ほぞんかい設立せつりつされ、現在げんざい京都きょうと奈良ならにおいて番匠ばんしょうたか大工だいく)による建築けんちく祭礼さいれい秘伝ひでん伝承でんしょう継承けいしょうつづいており、現在げんざいでも春日大社かすがたいしゃ興福寺こうふくじなどの造営ぞうえいでは、番匠ばんしょう棟上とうじょうづちという建築けんちく祭礼さいれい建築けんちく儀式ぎしきおこなわれている。朝廷ちょうていいくない中心ちゅうしんとする社寺しゃじぞくした技術ぎじゅつしゃ陰陽いんようどう知識ちしきふか保持ほじし、とく法隆寺ほうりゅうじ四天王寺してんのうじなどにぞくした大工だいくは、流派りゅうは形成けいせいし、その技術ぎじゅつ知識ちしき秘伝ひでんとして口伝くでんにて継承けいしょうしていたと建築けんちく学者がくしゃ内藤ないとうあきら文献ぶんけん記載きさいしている。陰陽いんようどうとして、神道しんとう仏道ぶつどう道教どうきょうふかかかわっており、建築けんちく儀礼ぎれいおよ祭祀さいしにおいて、建物たてものやそのまいしゅ繁栄はんえい祈願きがんする儀式ぎしき祭祀さいしがおこなわれてきた。

それぞれの地域ちいき宗教しゅうきょうにおける祭祀さいし詳細しょうさいは、かく項目こうもく参照さんしょう

祭祀さいし祭典さいてんはあらゆる地域ちいき文化ぶんか宗教しゅうきょうにおいておこなわれている。ここでは一般いっぱんてき事項じこう特徴とくちょうてき具体ぐたいれいについて記述きじゅつする。

神道しんとう

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神道しんとう新嘗祭にいなめさい

祭祀さいしは、神社じんじゃ神道しんとう根幹こんかんをなすものである。神社じんじゃ鎮座ちんざする神霊しんれい、および神霊しんれい宿やど神体しんたいたいし、儀礼ぎれいおこなわれている。これが神社じんじゃ神道しんとうにおける祭祀さいしである。神霊しんれいをそのまねき、神霊しんれい饗応きょうおうし、神霊しんれいなぐさめ、人間にんげんへの加護かごねがうものである。さまざまな儀礼ぎれいともなうこともある。

日本にっぽん仏教ぶっきょう

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寺院じいんにおいて、神仏しんぶつ死者ししゃれい仏像ぶつぞう仏塔ぶっとう名号みょうごう本尊ほんぞん曼荼羅まんだらたいして儀礼ぎれいおこなわれている。これが仏教ぶっきょうにおける祭祀さいしである。通常つうじょう仏事ぶつじ法要ほうよう供養くようなどとぶ。仏教ぶっきょうには元来がんらい祭祀さいし対象たいしょうとなるものは存在そんざいしていなかったが、仏像ぶつぞう仏塔ぶっとう登場とうじょうし、仏像ぶつぞう仏塔ぶっとうたいする儀礼ぎれい成立せいりつした。

ユダヤきょう

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ユダヤきょうでは年間ねんかんつうじて様々さまざままつりがある。

角笛つのぶえきのまつ贖罪しょくざい大祭たいさいである。えつさい(ペサハ)とななしゅうまつ(シャブオット)、仮庵かりほまつ(スコット)はさん大祭たいさいである。

ユダヤきょうまつ
 
すみ笛吹うすいきのさい角笛つのぶえ
 
M. Gottlieb贖罪しょくざいいのるユダヤじん(1878)
 
ひかりまつ八枝やえ燭台しょくだい

キリスト教きりすときょう

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ベネディクト16せいによるミサ
 
リヴィウでの正教会せいきょうかい復活ふっかつ大祭たいさい光景こうけい司祭しさい信徒しんとった、クリーチはいったバスケットをなりきよししている。キリストきょうでも「まつり」は聖堂せいどううち儀礼ぎれい限定げんていされない。

キリスト教きりすときょうにおいては、毎週まいしゅう日曜日にちようびをはじめとした教会きょうかいさだめる祭日さいじつ教会きょうかいれきにおいて、日曜日にちようびおもばれる祭日さいじつである)に礼拝れいはいおこなわれ、賛美さんび祈祷きとうとともにおも晩餐ばんさんもとづくパンとワインのかちいがおこなわれる。これを正教会せいきょうかいでは聖体せいたい礼儀れいぎカトリック教会きょうかいではミサ(聖体せいたい祭儀さいぎせい公会こうかいプロテスタントでは聖餐せいさんしきぶ。これらはキリスト教きりすときょうまつり一種いっしゅであるが、キリストきょうでは「祭祀さいし」という言葉ことばもちいられない。またおも晩餐ばんさんともな礼拝れいはいほかにも、様々さまざま礼拝れいはい祈祷きとうがある。

ただしキリスト教きりすときょうにおいても、降誕祭こうたんさいにはクリスマス・パーティ、受難じゅなんぶしにはキリストの道行みちゆきを再現さいげんするパレード、復活ふっかつさいにはたまごさがしなどのイースター・パーティーがおこなわれるなど、まつり局面きょくめん礼拝れいはい儀礼ぎれい祈祷きとう限定げんていされない。正教せいきょうにおいては、ときかれたあとまつり降誕祭こうたんさい復活ふっかつ大祭たいさいなど)に御馳走ごちそう用意よういしてこれをみなべるパーティをおこなったり、十字じゅうじぎょうばれる行進こうしんまちちゅうおこなったりする習慣しゅうかんもある。

復活ふっかつさい降誕祭こうたんさいなどの重要じゅうよう祭日さいじつめいをはじめとして、司祭しさい聖体せいたい祭儀さいぎなどの表現ひょうげんにも「まつり」の概念がいねん表現ひょうげんがみられる。

日本語にほんごやく聖書せいしょなかにおいても、旧約きゅうやく聖書せいしょ新約しんやく聖書せいしょ両方りょうほうに「まつり」の翻訳ほんやくがなされている。ただし、日本にっぽん聖書せいしょ協会きょうかい口語こうごやく聖書せいしょでは「まつり」と表記ひょうきされているが、しん共同きょうどうやく聖書せいしょにおいては「まつり」と表記ひょうきされている。

[1]正教会せいきょうかい(ギリシャ正教せいきょう)の一員いちいんたる日本にっぽん正教会せいきょうかいは、日常にちじょう用語ようごにおいても各種かくしゅ著作ちょさくぶつにおいても、「まつり」(まつり)もしくは「おまつり」(おまつり)との言葉ことば単独たんどく使つかことまったけない。まつりとき(ものいみ)、祭日さいじつ(さいじつ)ととき(ものいみび)というように、よろこばしいときまつり)と、みずからをよろこばしいときそなえるときとき)とを対比たいひさせるリズムは正教会せいきょうかい伝統でんとうまれて日常にちじょう生活せいかつ規範きはんとなっており、これを説明せつめいするさいに「まつり」のかたり概念がいねん多用たようされる。代表だいひょうてきれいとして、正教会せいきょうかい最大さいだいまつりである復活ふっかつ大祭たいさいと、それにみずからをそなえる期間きかんであるだいとき(おおものいみ)がある。

同様どうようのリズムの伝統でんとう正教会せいきょうかいかぎらず、西方せいほう教会きょうかいカトリック教会きょうかいせい公会こうかいなど)においても復活ふっかつさいだいときかたちなどにみられる。しかしながらほとんどのキリスト教きりすときょうしょ教派きょうはにおいては、日常にちじょう用語ようごとして「まつり」(まつり)という言葉ことば単独たんどくではあまりもちいられない傾向けいこうがある。「まつり」のかたり単独たんどくもちいる傾向けいこうつよいのは一部いちぶ例外れいがいのぞき、ほとん日本にっぽん正教会せいきょうかいのみとなっている。

イスラームでは、カーバ神殿しんでんたいして礼拝れいはいするサラートがある。

さだめたものとしては、ムハンマド生誕せいたんいわ預言よげんしゃ生誕せいたんさいラマダーン終了しゅうりょうイド・アル=フィトルイブラーヒーム(アブラハム)が息子むすこ犠牲ぎせいそうとしたいわイード・アル=アドハー犠牲ぎせいさい)などがある。

イスラームの祭祀さいしはほぼこの2つしか存在そんざいしない。四季しきがあり、神道しんとう日本にっぽん仏教ぶっきょう影響えいきょうけていることからすうおおくの祭祀さいし存在そんざいする日本にっぽんくらべると、一神教いっしんきょう祭祀さいしたいする関心かんしんうす[2]

ヒンドゥーきょう

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ヒンドゥーきょうには、ホーリーさいダシェラさいen:Dussehra)、ディワーリーさいen:Diwali)というさん大祭たいさいがある。

祭礼さいれい

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日本にっぽんまつり/露天ろてん夜店よみせならぶ。
 
西条さいじょうまつだんじり
 
青森あおもりねぶたさいねぶた
 
藤崎ふじさき八旛宮秋季例大祭かざ
 
なだのけんかまつヤッサ屋台やたい
 
飯田いいだまちとう籠山かごやままつたかやく16mの人形にんぎょう山車だし燈籠とうろうさん
 
長岡ながおかまつり長岡ながおか空襲くうしゅう(1945ねん)からの復興ふっこう祈願きがん起源きげんとする。だい花火はなび大会たいかいでは、新潟にいがたけん中越なかこし地震じしん(2004ねん)の翌年よくねん以降いこう災害さいがいからの復興ふっこう祈願きがんする「復興ふっこう祈願きがん花火はなびフェニックス」もげられるようになった。
それぞれの地域ちいき宗教しゅうきょうにおける祭礼さいれい詳細しょうさいは、かく項目こうもく参照さんしょう

祭礼さいれい祝祭しゅくさいはあらゆる地域ちいき文化ぶんか宗教しゅうきょうにおいておこなわれている。ここでは一般いっぱんてき事項じこう特徴とくちょうてき具体ぐたいれいについて記述きじゅつする。

日本にっぽん祭礼さいれい

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日本にっぽん祭礼さいれいは、神道しんとうけい分類ぶんるいされるものがおおいが、民間みんかん信仰しんこういろつよいものもおおく、道教どうきょう仏教ぶっきょうなど渡来とらい習俗しゅうぞく影響えいきょうけているものもおおい。

現在げんざい一般いっぱんてき意味いみでのまつりは、神社じんじゃ寺院じいんをその主体しゅたいまたは舞台ぶたいとしておこなわれることがおおい。その目的もくてき意義いぎは、豊作ほうさくの「五穀豊穣ごこくほうじょう」をはじめ、「大漁たいりょう追福ついふく」、「商売しょうばい繁盛はんじょう」、「疫病えきびょう退散たいさん」、「無病むびょう息災そくさい」、「家内かない安全あんぜん」、「安寧あんねい長寿ちょうじゅ」、「夫婦ふうふ円満えんまん」、「子孫しそん繁栄はんえい」、「祖先そせん崇拝すうはい」、「豊楽ほうらく万民ばんみん」、「天下てんか泰平たいへい」などを招福祈願きがん厄除やくよけ祈念きねんとしておこなわれるもの、またはそれらの成就じょうじゅ感謝かんしゃしておこなわれるもの、節句せっくなどの年中ねんじゅう行事ぎょうじ発展はってんしておこなわれているもの、偉人いじんれいなぐさめるためにおこなわれるものなど様々さまざまである。その目的もくてきにより開催かいさい時期じき行事ぎょうじ内容ないよう多種たしゅ多様たようなものとなっている。またおな目的もくてき祭神さいじんまつりであっても、祭祀さいし様式ようしき趣向しゅこうまたは伝統でんとうなどが、地方ちほう地域ちいきごとにおおきくことなる場合ばあいおおい。

まつり目的もくてき時代じだい変化へんかによって参加さんかしゃたち利害りがいとははなれてしまったものもおおく、行事ぎょうじ内容ないよう社会しゃかい環境かんきょう変化へんかとうにより変更へんこう余儀よぎなくされたまつりもある。それらの結果けっかまつりおこなうことそのものが目的もくてきわっているような、目的もくてきからかんがえると形骸けいがいした状況じょうきょうまつりおおい。このため、まったくの部外ぶがいしゃや、見物けんぶつするもの参加さんかするものという当事とうじしゃにとっても「まつりたのしいイベント(おまつさわぎ)」という程度ていど認識にんしきしかたれないことがおおく、まつりのために仕事しごとやすむということは、たとえば葬儀そうぎのためにということなどとくらべるとはるかに理解りかいられにくい状況じょうきょうにある。

一般いっぱんてき神社じんじゃにおける祭礼さいれいには、神輿しんよ神様かみさまもの)をはじめとして山車だし太鼓たいこだいだんじりなどの屋台やたいなどがされることがおおく、これらは地方ちほうによって氏神うじがみ化身けしんとみなされる場合ばあいや、または神輿しんよ先導せんどうする露払つゆはら役目やくめって町内ちょうないあるき、それをもてなす意味いみ沿道えんどうではにぎやかなもよおしがおこなわれる。また、伝統でんとうなどのちがいにより例外れいがいもあるが、おおくのまつりにおいては工夫くふうらしたうつくしい衣装いしょう化粧けしょう厚化粧あつげしょうほどこして稚児ちご巫女ふじょ手古舞てこまいおどまつり囃子ばやし行列ぎょうれつひとしにより氏子うじこ祭礼さいれい参加さんかすることもおおい。今日きょうでは世俗せぞくすすんでいるが、いまなおまつりとき都市としによって人間にんげん関係かんけい疎遠そえんになった地域ちいき住民じゅうみんしん一体化いったいかする作用さようがある。わりない日常にちじょうなか日常にちじょう空間くうかん演出えんしゅつすることによって、人々ひとびと意味いみ実感じっかんするいとなみをつづけてきたのである。

基本きほんてき神事しんじとしてのまつりは厳粛げんしゅく場面ばめんにぎやかな場面ばめんめんせいち、厳粛げんしゅく場面ばめんでは人々ひとびと日常にちじょうよりもきびしく、伝統でんとう秩序ちつじょまもることを要求ようきゅうされる。しかし一方いっぽうで、日常にちじょうではゆるされないような秩序ちつじょ常識じょうしきえた行為こういふんどし一丁いっちょう男性だんせい女装じょそうひとし)も、「この祭礼さいれい期間きかんにだけは」伝統でんとうてきゆるされると認識にんしきする地方ちほうおおく、そのためにぎやかな場面ばめんして「おまつさわぎ」などの言葉ことば派生はせいしている。

仏教ぶっきょう影響えいきょうけた神仏しんぶつ習合しゅうごういろいものとしては土着どちゃくれい信仰しんこう言霊ことだま呪術じゅじゅつせいびた念仏ねんぶつおどれた盆踊ぼんおどがあり、習合しゅうごうした盂蘭盆会うらぼんえつながる。また、神事しんじから発達はったつした田楽でんがく猿楽さるがくなどがのうなど日本にっぽん中世ちゅうせい伝統でんとう芸能げいのう形作かたちづく素地そじとなった。

  • まつりの呼称こしょう

まつり」は様々さまざま種類しゅるいのものが各地かくちおこなわれているため、ある地域ちいきまつりっても、どこのどのまつりしているのか判断はんだんしにくい。このような場合ばあい、そのまつりおこなわれる地域ちいきめいと、祭礼さいれい行事ぎょうじ内容ないようや、もの名前なまえ名称めいしょうを、わせた名前なまえばれることがおおい。ただし、そのまつりおこなわれる地域ちいきなかでは、正式せいしき名称めいしょうたんりゃくしてぶこともおおく、ときとしては、おこなわれる寺社じしゃなどの名称めいしょうに「(お)○○さん」または「(お)○○よう」などの敬称けいしょう愛称あいしょうをつけ、簡略かんりゃくしたまつりのとおもある。

世界せかい各国かっこくまつ

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宗教しゅうきょうてき祭祀さいし祭典さいてん付随ふずいして、にぎやかな催事さいじおこなわれるのは、古代こだいより現代げんだいまで世界せかい各地かくちでみられることである。

  • 仏教ぶっきょうかく宗派しゅうは共通きょうつうおこなわれているものとしては、降誕こうたんかい成道じょうどうかい涅槃会ねはんえがある。
  • クリスマスイースターは、日本にっぽんでもよくられるキリスト教きりすときょう文化ぶんかけん祭礼さいれいである。クリスマスは世俗せぞくして、イベントしている。
  • ハロウィンキリスト教きりすときょう文化ぶんかけん中心ちゅうしんいわわれるが、キリストきょうとは直接ちょくせつ関係かんけいがなく、欧州おうしゅうペイガニズム起源きげん世俗せぞくてきまつりである。
  • カーニバル(謝肉祭しゃにくさい)。キリストきょう文化ぶんかけん祭礼さいれい世界せかい各地かくち様々さまざまなスタイルでおこなわれる。
  • フェスティバル - その宗教しゅうきょうてきまつりや商業しょうぎょうてきもよおしもの。伝統でんとうてきでは、ないものもふく世界せかい各地かくち様々さまざまなスタイルでおこなわれる。観念かんねん日本にっぽん語彙ごいとしては「もよおしもの」といったほうがちかい。
  • インドネシアでは、トラジャぞくによるだい規模きぼ葬祭そうさいられ、首狩くびがとの関連かんれん指摘してきされる。ボロブドゥール遺跡いせきワイシャック
ギリシャ

慣用かんようれいもとづいた催事さいじ

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伝統でんとうてき花見はなみ催事さいじとしてのまつりの一種いっしゅである
 
宗教しゅうきょうてき意義いぎうしなったクリスマスのいちれい

祭礼さいれい祭典さいてんにぎやかな様子ようすから、「おまつさわぎ」という慣用かんようまれ、なにかがにぎやかな状態じょうたい喧騒けんそう喧々囂々けんけんごうごうなどの状態じょうたいになっているのをたとえてた態様たいよう表現ひょうげんがある。

宗教しゅうきょうてき祭礼さいれい祭典さいてんであったものが次第しだい世俗せぞくして宗教しゅうきょうてき意義いぎうしなった(よわまった)ものや、古来こらいからの宗教しゅうきょうてき意義いぎがないもの。この場合ばあい祭礼さいれい明確めいかく区別くべつをするため、「-まつり」「-まつり」と表記ひょうきされている場合ばあいがある。

その転用てんようれい

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  • インターネットスラング
    一部いちぶ電子でんし掲示板けいじばんで、特定とくていのスレッドが異常いじょうがりをせ、ながれが通常つうじょうよりもはやくなっている状態じょうたい(お)まつという。そののインターネットスラングとしての「まつり」は炎上えんじょうといわれるものがあり、特定とくてい団体だんたい個人こじんによる不祥事ふしょうじ不穏当ふおんとう発言はつげんなどにたいする、中傷ちゅうしょう非難ひなん批判ひはんおおいが、ネットいじめまつげられる)といった悪意あくい迷惑めいわく行為こうい、または社会しゃかいたいする不安ふあん批判ひはんなどの発露はつろであり、それに呼応こおうしたり尻馬しりうまるなどの野次馬やじうまや、一家言いっかげん人々ひとびとがインターネットじょう様々さまざま場所ばしょで、意見いけん議論ぎろん拡散かくさん増大ぞうだいさせ、いわゆるネットじょうの「まつり」といわれる状態じょうたいさらになっていくさまをいう。
  • 魚釣さかなつ
    となったひとの、仕掛しかけ、いとなどがからまることをおまつりという。他人たにんいと仕掛しかけに関係かんけいなく自分じぶん自身じしんいと仕掛しかけがからまってしまうこと手前てまえまつりという。
  • づくり・子宝こだから
    性交せいこうれいえ。江戸えど時代じだい浄瑠璃じょうるり一節いっせつ柳樽やなぎだる(やなぎだるとみ、やなぎ多留たるとも表記ひょうきする)という雑俳ざっぱいちまたからあつめた俳句はいく)の書籍しょせきのなかに「まつり」を男女だんじょ性行為せいこういたとえとしてもちいている表現ひょうげんがある。また神道しんとうにおいては、子宝こだからづく信仰しんこうわれるものがあり、づくりは、あたらしい氏子うじこ誕生たんじょうであるところから、性行為せいこういを「まつり」とうようになったともいわれる。神道しんとうには、常世とこよ(とこよ)と現世げんせい(うつしよ)という世界せかいかんがあり、常世とこよ神域しんいきかみくにをあらわすが、一説いっせつには常世とこよゆかゆか性行為せいこうい意味いみもある)であり、性行為せいこうい神域しんいきおこなわれる(しくは神域しんいきさそう)神聖しんせいなものとするかんがかたがある。

季語きごとしてのまつり(まつり)は、なつ季語きご三夏みか季語きご)である[3]分類ぶんるい行事ぎょうじ/人事じんじ[注釈ちゅうしゃく 2]季語きごまつり」の初出しょしゅつ[注釈ちゅうしゃく 3]は、野々口ののぐち立圃りゅうほによって寛永かんえい13ねん1636ねん)に刊行かんこうされた俳諧はいかいろんしょはなひそう』(「花火はなびそう」「くさめそう」ともしるす)においてであった[3]。すなわち、江戸えど時代じだい初期しょきの、史上しじょうはじめて印刷いんさつ公刊こうかんされた俳諧はいかい式目しきもく作法さほうしょ記載きさいされた。季語きご季題きだい世界せかいで、たんに「まつり」といえば、江戸えど京都きょうと大坂おおさかなどといった都市とし神社じんじゃおこなわれるなつさい[3][4]古来こらいなつ疫病えきびょう発生はっせいしやすく、それをもたらす元凶げんきょうしんじられていた怨霊おんりょうしずめたりはらったりすることは人々ひとびと切実せつじつねがいであり[3][4]、そのおもいをめておこなうのがなつさいであった[3]災禍さいかとおざけてくれる神様かみさま降臨こうりんするのはよるかんがえられていたため、まつりはたいてい宵宮よいみやからはじめられる[3]。このような習俗しゅうぞく背景はいけいとして、なつまつりぶしなつまつりよるおこなわれるもの、そしてまた「まつり」といえばだいいちなつさいすようになった[4]俳諧はいかい俳句はいく世界せかいでもそれにともない、「まつり」は「なつさい」を意味いみする季語きごとなり[4]一方いっぽうで、はるまつりは「はるさい」、あきまつりは「秋祭あきまつり」と、ぶしめいかんすることで季語きごとしてもちいられるようになった[4]。なお、現代げんだいなつさいには悪疫あくえき退散たいさん祈念きねんするところのまったられないたんなる“なつ催事さいじ(サマーイベント)”も数多かずおおられるが、そういったものに季語きごまつり」および「なつさい」をてたとしても、間違まちがいとまではえない。あるいはまた、って文化ぶんか日本にっぽん古来こらいまつりまったことなる日本にっぽん国外こくがいまつり対象たいしょうとして季語きごまつり」をもちいることも、これをみとめないというかんがかたは、すくなくとも一般いっぱんてきでない。

  • れい象潟きさかたさきかた料理りょうりれうりなんしょくかみまつりかみまつり ─ 河合かわい曾良おくのほそみちおく細道ほそみち)』(1702ねん元禄げんろく15ねんかん[3]
  • れいよいして 一村いちむらひとむらきぬ まつりかな ─ たん太祇たいぎ太祇たいぎせん後編こうへん』(1777ねん安永やすなが6ねんかん[3]
  • れいくさあめ まつりくるま ぎてのち ─ 与謝よさ蕪村ぶそん江戸えど時代じだい中期ちゅうき[5]
  • れいまんとうまんどうしてわびわびしき まつりかな ─ 村上むらかみ鬼城きじょう鬼城きじょう句集くしゅう』(1917ねん大正たいしょう6ねんかん[3]
  • れい神田かんだがわかんだがは まつりなかを ながれけり ─ 久保田くぼた万太郎まんたろう[4](1925ねん大正たいしょう14ねん〉のさく。『くさたけ所収しょしゅう

まつり」をおや季語きごとする季語きご[注釈ちゅうしゃく 4]多様たようかずおおい。なつさい(なつまつり)、神輿しんよ(みこし)、渡御とぎょ(とぎょ。祭礼さいれいさいの、神輿しんよのおまし。神輿しんよすすむこと)、山車だし(だし)、まつり太鼓たいこ(まつりたいこ)、まつりふえ(まつりぶえ)、宵宮よいみや(よいみや、よみや。歴史れきしてき仮名遣かなづかい:よひみや、よみやほんさい前夜ぜんやおこなまつり)、宵祭よいまつり(よいまつり。歴史れきしてき仮名遣かなづかい:よひまつり宵宮よいみや同義どうぎ)、陰祭かげまつり(かげまつり。ほんさい隔年かくねんおこなわれる場合ばあいの、例祭れいさいとしおこなわれる簡略かんりゃくまつり)、ほんさい(ほんまつり。宵祭よいまつり陰祭かげまつりたいして、本式ほんしきおこなまつり例祭れいさいのこと)、たる神輿しんよ(たるみこし。神酒みきたる神輿しんよ仕立したてたもの)、まつり囃子ばやし(まつりばやし)、まつり提燈ぢょうちん(まつりじょうちん)、まつりころも(まつりごろも。まつりの装束しょうぞく)、まつりふね(まつりぶね。まつりで使つかふね[3]

  • れいけふたる サーカス銅鑼どら なつさい ─ 岸風三楼きしふうさんろう往来おうらい』(1949ねん昭和しょうわ24ねんかん
  • れい:ひとのうず おほきな神輿しんよ のせゆける ─ 高田たかだ正子まさこ玩具おもちゃ[3]
  • れい山車だしとおりすぎたるあとの人通ひとどおり ─ 清崎きよさき敏郎としお [4]
  • れいいちごういちがふべいすりまつり太鼓たいこかな ─ 片山かたやま依子よりこ [4]
  • れいたましひ音色ねいろねいろづる まつりふえ ─ 栗生くりゅう純夫すみお野路のじ』(1955ねん昭和しょうわ30ねんかん
  • れいじょ調しらしずかにまつり囃子ばやしかな ─ 浅賀あさかさかなすい [4]

関連かんれん季語きごとしてはるさい(はるまつり)と秋祭あきまつり(あきまつり)がかんがえられるものの、歳時記さいじきには関連かんれん季語きごとして記載きさいされていない。なお、ふゆさい(ふゆまつり)は季語きごになっていない[6]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ハイヌヴェレがた神話しんわなども参照さんしょうのこと。
  2. ^ 行事ぎょうじ」も「人事じんじ」も、ここでは、人間にんげんおこな事柄ことがらす。
  3. ^ 初出しょしゅつ(しょしゅつ)とは、はじめててくること。ここでは、「まつり」という言葉ことば季語きごとしてはじめてること。
  4. ^ ある主要しゅよう季語きごについてべつ表現ひょうげん位置付いちづけされる季語きごを、親子おやこ関係かんけいになぞらえて、おや季語きごたいする「季語きご」という。「傍題ぼうだい」ともいうが、傍題ぼうだい本来ほんらい季題きだい」の対義語たいぎごである。

出典しゅってん

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  1. ^ ほん段落だんらく出典しゅってんまつりとき - 日本にっぽん正教会せいきょうかい公式こうしきサイト
  2. ^ 島田しまだ裕巳ひろみ日本人にっぽんじん信仰しんこう』pp.153-1456 扶桑社ふそうしゃ新書しんしょ、2017ねんISBN 978-4594077426
  3. ^ a b c d e f g h i j k まつり(まつり) 三夏みか”. 季語きご歳時記さいじき-きごさい歳時記さいじき. 季語きご歳時記さいじきかい (2011ねん2がつ16にち). 2018ねん2がつ15にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h i 大澤おおさわ水牛すいぎゅう (2012ねん). “まつり(まつり)”. 水牛すいぎゅう歳時記さいじき. NPO法人ほうじんそう牛舎ぎゅうしゃ. 2018ねん2がつ15にち閲覧えつらん
  5. ^ 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ:ニッポニカ』
  6. ^ まつり - ぶしのことば”. ジャパンナレッジ. 株式会社かぶしきがいしゃネットアドバンス (2001ねん7がつ16にち). 2018ねん2がつ15にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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