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田楽 - Wikipedia

田楽でんがく

平安へいあん時代じだい中期ちゅうき成立せいりつした日本にっぽん伝統でんとう芸能げいのう

田楽でんがく(でんがく)は、平安へいあん時代じだい中期ちゅうき成立せいりつした日本にっぽん伝統でんとう芸能げいのうらくおどりなどからる。「田植たうまえ豊作ほうさくいの田遊たあそから発達はったつした[1]」「渡来とらいのものである」などのせつがあり、その由来ゆらいには解明かいめい部分ぶぶんおおい。

東京とうきょう王子おうじ田楽でんがく(2014ねん

概要がいよう

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もともと耕田こうだ儀礼ぎれい伴奏ばんそう舞踊ぶようだったものが仏教ぶっきょう鼓吹こすいむすびついて一定いってい格式かくしきととのえ、芸能げいのうとして洗練せんれんされていった[2]。やがて専門せんもん集団しゅうだんした田楽でんがく在地ざいち領主りょうしゅともむすびつき、神社じんじゃでの流鏑馬やぶさめ相撲すもうおうまいなどとともに神事しんじわたりぶつ演目えんもくれられた[2]

中世ちゅうせい以来いらい各地かくちつたわる民俗みんぞく芸能げいのう田楽でんがくをまとめると、共通きょうつうする要素ようそつぎのようになる[2]

  • びんざさらをもちいる
  • こしなど特徴とくちょうてき太鼓たいこもちいるが、楽器がっきとしてはあまり有効ゆうこうには使つかわない
  • 風流ふうりゅうかさなど、華美かび異形いぎょうかぶもの着用ちゃくようする
  • おどしゅ編隊へんたい対向たいこう円陣えんじんちがいなどをせる舞踊ぶようである
  • 単純たんじゅん緩慢かんまんおどり、音曲おんぎょくである
  • 神事しんじであっても、行道ぎょうどう工程こうてい重視じゅうしされる
  • おうまい獅子舞ししまいなど、一連いちれん祭礼さいれい一部いちぶ構成こうせいするものがおお

文献ぶんけん史料しりょうのこされた田楽でんがくと、今日きょうつたわる郷土きょうど芸能げいのう田楽でんがくにはひらきがあり、時期じきによってその中身なかみ変化へんかがあったとかんがえられる[2]田楽でんがく文献ぶんけん史料しりょうでは992ねんの『和泉いずみ大鳥おおとりしゃりゅう記帳きちょう』がもっとふるいとされるが、史料しりょうてきにやや疑問ぎもんがある。いでふる記録きろくには、998ねんの『日本にっぽんりゃく』に京都きょうと松尾まつお神社じんじゃ祭礼さいれい山崎やまざきじん田楽でんがくえんじたという記録きろくがある。

平安へいあん時代じだい

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平安へいあん時代じだいかれた『栄花物語えいがものがたり』には田植たうえの風景ふうけいとしてうたおどる「田楽でんがく」がえがかれており、大江匡房おおえのまさふさの『洛陽らくよう田楽でんがく』によれば、永長ながおさ元年がんねん1096ねん)には「永長ながおさだい田楽でんがく」とばれるほど京都きょうと人々ひとびと田楽でんがく熱狂ねっきょうし、貴族きぞくたちがその様子ようす天皇てんのうにみせたという。平安へいあん後期こうきには寺社じしゃ保護ほごのもとに田楽でんがく)を形成けいせいし、田楽でんがくせんもんおど田楽でんがく法師ほうしという職業しょくぎょうてき芸人げいにんまれた。

草創そうそう田楽でんがく御霊みたまかいとのむすびつきがつよ[2]仏事ぶつじえんじられる舞楽ぶがくたいして卑俗ひぞく演芸えんげいられていた様子ようすが、比叡山ひえいざんきょうえん座主ざすわかころ逸話いつわとして『今昔こんじゃく物語ものがたり』に「近江おうみ国矢くにやはせ郡司ぐんじどう供養くよう田楽でんがくだいなな」としてのこされており、当時とうじ田楽でんがく様子ようす活写かっしゃされている。

鎌倉かまくら室町むろまち時代ときよ

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鎌倉かまくら時代ときよにはいると、田楽でんがく演劇えんげきてき要素ようそくわわって田楽でんがくのうしょうされるようになった。鎌倉かまくら幕府ばくふ執権しっけん北条ほうじょうだか田楽でんがく耽溺たんできしたことが『太平たいへい』にかれており、室町むろまち幕府ばくふの4だい将軍しょうぐん足利あしかが義持よしもちぞう阿弥あみげいこのんだことがられる。田楽でんがくないし田楽でんがくのうは「能楽のうがく」のいち源流げんりゅうであり、「能楽のうがく」の直接ちょくせつ母体ぼたいである猿楽さるがくよりむしろたか人気にんきていた時代じだいもあった。

田楽でんがくは、大和やまと猿楽さるがく興隆こうりゅうとともにおとろえていったが、現在げんざいのう猿楽さるがくのう)の成立せいりつつよ影響えいきょうあたえた。のう大成たいせいした世阿弥ぜあみは、「とうみち先祖せんぞ」として田楽でんがくからいちちゅうほん)、喜阿弥きあみ新座にいざ)のげている。

近世きんせい以後いご

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江戸えど時代じだいには一部いちぶ実家じっか国学こくがくしゃ関心かんしんける程度ていどで、芸能げいのうとしてはほぼわすられた存在そんざいとなっていたが、大正たいしょうまつから戦後せんごにかけておこった芸能げいのう民俗みんぞく芸能げいのう研究けんきゅうとその野外やがい調査ちょうさ結果けっか日本にっぽん各地かくち神事しんじ祭礼さいれいのなかにのこされた田楽でんがく記録きろく集積しゅうせきされた。

郷土きょうど芸能げいのう

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現在げんざいまでに、びんざさら使つかおどけい田楽でんがくと、こすりささらを使つかはやしけい田楽でんがくとにかれてきた。おどけい田楽でんがくには、豊穣ほうじょう祈念きねんするものと、ごと退散たいさん祈念きねんするものとがある。

文化財ぶんかざい指定してい

2009ねん現在げんざい以下いかの24けん民俗みんぞく芸能げいのう田楽でんがく分類ぶんるいで、重要じゅうよう無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい指定していされている(指定してい 都道府県とどうふけん)。このうち秋保あきう田植たうえおどりおよび那智なち田楽でんがくユネスコ無形むけい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 年中ねんじゅう行事ぎょうじ事典じてん」p508 1958ねん昭和しょうわ33ねん)5がつ23にち初版しょはん発行はっこう 西にし角井かくいただしけいへん 東京とうきょうどう出版しゅっぱん
  2. ^ a b c d e 西岡にしおか 1994, pp. 149–184.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 西岡にしおか芳文よしふみ田楽でんがく:その起源きげん機能きのうさぐる」『職人しょくにん芸能げいのう』、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1994ねんISBN 464202705X 

関連かんれん項目こうもく

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