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節分 - Wikipedia

節分せつぶん

ざつぶしひとつ、かくぶしはじまりの前日ぜんじつおよびそのおこなわれる行事ぎょうじ

節分せつぶん(せつぶん、せちぶん)は、ざつぶしひとつで、かくぶしはじまりの立春りっしゅん立夏りっか立秋りっしゅう立冬りっとう)の前日ぜんじつのこと。節分せつぶんとは「ふしぶんける」ことも意味いみしている。江戸えど時代じだい以降いこうとく立春りっしゅん毎年まいとし2がつ4にちごろ)前日ぜんじつ場合ばあいおおい。

葛飾かつしか北斎ほくさい:『北斎ほくさい漫画まんが
節分せつぶんおに豆撒まめま
吉田よしだ神社じんじゃつい』 - 年中ねんじゅう行事ぎょうじ1928ねん

太陰たいいん太陽暦たいようれき旧暦きゅうれき)では、立春りっしゅんもっとちか新月しんげつ元日がんじつとし、つき太陰たいいん)のけを基準きじゅん月切つきぎり)にした元日がんじつきゅう正月しょうがつ)と、太陽たいようけい基準きじゅんふしきり)にした立春りっしゅんは、ともに新年しんねんととらえられていた。したがって、旧暦きゅうれき12がつ末日まつじつ大晦日おおみそか)と立春りっしゅん前日ぜんじつ節分せつぶんは、ともに年越としこしの意識いしきされていたことになる[1]いま節分せつぶんを「年越としこし」「年取としとり」と地域ちいきがあるのはこの名残なごりである。

ほん項目こうもくでは、立春りっしゅん前日ぜんじつ、およびそのおこなわれる伝統でんとうてき行事ぎょうじについてべる。

一般いっぱんてきには「おにそとぶくうち」とこえしながら福豆ふくまめ大豆だいず)をいて、年齢ねんれいかずだけ(もしくは1つおおく)まめべる厄除やくよけをおこなう。また、玄関げんかんなどに邪気じゃきけのひいらぎいわしなどをかざる。これらは、地方ちほう神社じんじゃなどによってことなってくる(後述こうじゅつ)。

概要がいよう

編集へんしゅう

ぶしわりには邪気じゃきおに)がしょうじるとしんじられていたため、それをはらうための悪霊あくりょうばらい行事ぎょうじおこなわれていた。

宮中きゅうちゅうでの年中ねんじゅう行事ぎょうじであり、『延喜えんぎしき』では、彩色さいしきした作成さくせいしたうし童子どうじ人形にんぎょう大内裏だいだいりかくもんかざっていた。

ぎゅう童子どうじ」ともいわれ、大寒だいかん前夜ぜんや夜半やはんてられ、立春りっしゅん前夜ぜんや夜半やはん撤去てっきょされた。『延喜えんぎしき』によれば、土偶どぐう土人どじんがた)もうしも、かくもんでのおおきさはおなじで、土偶どぐうたかさ2しゃくで、かた1しゃく5すんあつさ2すんいたてる。うしたかさ2しゃくながさ3しゃくで、ながさ3しゃく5すんひろさ1しゃく5すんあつさ2すんいたてる。陽明ようめいもんおよびまちけんもんには、青色あおいろのものを、ぶくもん朱雀すざくもんには、赤色あかいろのものを、いくよしもんすめらぎ嘉門かもんいんとみもんおよびいたるさとしもんには、黄色おうしょくのものを、かべもんおよびだんてんもんには、白色はくしょくのものを、やす嘉門かもんおよびえら鑒門には、黒色こくしょくのを、てる。『公事こうじ根源こんげんじゅうがつには、「青色あおいろはるいろひんかしにたつ赤色あかいろなつのいろみなみにたつ白色はくしょくあきのいろ西にしにたつ黒色こくしょくふゆいろきたにたつ四方しほうもんにまた黄色おうしょくうしをたてくはふるは中央ちゅうおうのいろなりきんすいははなれぬゆう」とある。

これは、平安へいあん時代じだいころからおこなわれている「つい」からまれた[2]もと中国ちゅうごくからつたわったこの行事ぎょうじ日本にっぽん定着ていちゃくしていき、現在げんざい節分せつぶんもととなった [3]

ぞく日本にっぽんけいくもさんねん十二月じゅうにがつじょうによると706ねんにこのつい儺がはじまっている(「ねん天下でんか諸国しょこく疫疾百姓多死始作うしだい儺」(このとし天下てんか諸国しょこく疫病えきびょうあり。おおくのみんに、はじめてうしつくだい儺(だいだ)す)[4]。これが室町むろまち時代じだい使用しようされていた「ももえだ」への信仰しんこうにかわって、ったまめおにはら行事ぎょうじとなってった。

近代きんだい上記じょうき宮中きゅうちゅう行事ぎょうじ庶民しょみんれられたころから、当日とうじつ夕暮ゆうぐれ、ひいらぎえだいわしあたましたもの(ひいらぎいわし)を戸口とぐちてておいたり、寺社じしゃ豆撒まめまきをしたりするようになった[2]

節分せつぶん日付ひづけ
とし としを4でったあま
1 2 3 0
1873ねん - 1884ねん 3にち 3にち 3にち 3にち
1885ねん - 1900ねん 2にち 3にち 3にち 3にち
1901ねん - 1917ねん 3にち 4にち 4にち 4にち
1918ねん - 1954ねん 3にち 3にち 4にち 4にち
1955ねん - 1987ねん 3にち 3にち 3にち 4にち
1988ねん - 2020ねん 3にち 3にち 3にち 3にち
2021ねん - 2057ねん 2にち 3にち 3にち 3にち
2058ねん - 2090ねん 2にち 2にち 3にち 3にち
2091ねん - 2100ねん 2にち 2にち 2にち 3にち
2101ねん - 2123ねん 3にち 3にち 3にち 4にち

節分せつぶん日付ひづけ一般いっぱんには2がつ3にちであるがつねにそうではなく、1984ねんまでは4ねんに1閏年うるうどし節分せつぶん2がつ4にちだった。また、1985ねんから2020ねんまでは毎年まいとし2がつ3にちだった。2021ねんから2057ねんまでは閏年うるうどし翌年よくねん節分せつぶん2がつ2にちになる。グレゴリオれきでの最初さいしょ節分せつぶんとなった1873ねんから22世紀せいき初頭しょとうまでの具体ぐたいてき日付ひづけひょうのようになる。かずじゅうねんのスケールで徐々じょじょ前倒まえだおしになってくるが、4でれても閏年うるうどしとならない1900ねん2100ねん2200ねん...の翌年よくねんに1にちおくれて帳消ちょうけしとなる。

立春りっしゅん前日ぜんじつであり、立春りっしゅん太陽たいようけいが315となるである。このように、間接かんせつてき天体てんたい運行うんこうもとづいているので、日付ひづけとしによってことなり、また未来みらい日付ひづけ軌道きどう計算けいさんもとづく予測よそくしかできない。なお厳密げんみつには、基準きじゅんとする標準時ひょうじゅんじによってもことなるが、日本にっぽん以外いがいではいわ風習ふうしゅうがないので、きゅう正月しょうがつのようにくにによる日付ひづけちがいが話題わだいとなることはない。

年内ねんない節分せつぶん

編集へんしゅう

太陰たいいん太陽暦たいようれきでは、年末ねんまつ立春りっしゅんむかえることがある。それにともな節分せつぶん年内ねんないとなる。これを年内ねんない節分せつぶんという。

九星きゅうせい

編集へんしゅう

こよみちゅうにおいて、とし九星きゅうせい立春りっしゅんをもってわるので、節分せつぶんまでは前年ぜんねん九星きゅうせいとなる。

節分せつぶんとは立春りっしゅん立夏りっか立秋りっしゅう立冬りっとう前日ぜんじつ意味いみし、そのなかでも立春りっしゅん前日ぜんじつとしての節分せつぶんおこなわれる風習ふうしゅうとしてはいくつかあるが、もっと一般いっぱんてきといえるおにばらいの風習ふうしゅうは、中国ちゅうごく風習ふうしゅう由来ゆらいとする平安へいあん時代じだいつい(ついな)、おに(おにやらい)とばれた宮中きゅうちゅう行事ぎょうじもととしているとされる。

行事ぎょうじ由来ゆらいとされる中国ちゅうごくとしごとは、元々もともと太陰たいいん太陽暦たいようれき旧暦きゅうれき)で十二月じゅうにがつとしごとだった。このころいちねんわりふゆからはるてんじるときで変化へんかおおきく、疫鬼がみんやまい災禍さいかをもたらすとされた。そこで疫鬼を駆逐くちくし、ふるとしおくり、あらたなとしはる陽気ようき吉福よしふくうちむかえた(「こう漢書かんしょ礼儀れいぎこころざしちゅうなどに記載きさい[4]

しゅうあや(しゅらい)」なつかん(かかん)にかれたとしごと以下いかのようなものである[4]

かたしょうくまかわをかぶり、黄金おうごんよんもく(しもく)、くろ上衣うわぎ朱色しゅいろ姿すがたで、ほこ(ほこ)をり、だて(たて)をかかげ、おおくの部下ぶかをひきい、儺(だ)のおこない、そうして室内しつない捜索そうさくして、疫をはらうことをてのひら(つかさど)る

また、元々もともとは疫鬼をはらやくであったかたしょうが、次第しだいはらわれるおにやくになったというせつがある[5][6]

中国ちゅうごくからつたわったつい(ついな)やおに(おにやらい)は当初とうしょ年越としこ儀式ぎしきだった。やがてぶしかれである節分せつぶんなかでも、立春りっしゅん前日ぜんじつおこなわれるようになったが、この時期じきはまだまださむい。そしてぶしうつろう時期じき体調たいちょうくずしやすい。ちょっとした風邪かぜから大病たいびょうにつながったり、深刻しんこくやまいをもたらすこともある。そんな病魔びょうまを、人々ひとびとおに、あるいは疫鬼としておそれた。

平安へいあん時代じだい女流じょりゅう作家さっか藤原道綱母ふじわらのみちつなのはは(ふじわらの みちつなのはは)があらわした『蜻蛉とんぼ(かげろう)日記にっき』には、900年代ねんだい人々ひとびとおにきょうずる様子ようすえがかれている。室町むろまち時代ときよにはかたちえてまめをまくようになったが、これは「めつ」(まめ)に由来ゆらいする。おにである「」(まめ)をほろぼすちからつ「めつ」すなわち「まめ」なのだ。なんだか駄洒落だじゃれのようだが、日本人にっぽんじん古来こらい言霊ことだま存在そんざいしんじ、言葉ことば霊力れいりょく意味いみあたえてきたのだ。それにまめは「五穀ごこく」(べいむぎひえあわまめ)のひとつであり、農耕のうこう民族みんぞくである日本人にっぽんじん生活せいかつかせないもので、ちから宿やどるとされてきた。これをこくれい信仰しんこうという。だからこれら五穀ごこく神事しんじにも使つかわれ、なかでもまめべいかみきよし存在そんざいとして、おにはらちからっているとしんじられていたのだ[7]

室町むろまち時代じだい後期こうき成立せいりつとされる『貴船きふね本地ほんじ』(貴船きふね神社じんじゃ縁起えんぎ)では、むすめ人間にんげんこいをしたために、おに日本人にっぽんじんおうとしさら軍勢ぐんぜい襲撃しゅうげきしようとしたが、そのおにふうじのためあかりほうどう博士はかせ導入どうにゅうした儀式ぎしきであるとされている[8][9]

 
神社じんじゃにおける豆撒まめまきの様子ようす
 
家庭かてい豆撒まめまきで使用しようするまめとおめん

節分せつぶんまめまきをおこなった文献ぶんけんられるようになるのは南北なんぼくあさ時代じだい以降いこうのこと(『聞御』や『はなさんだい』など)である[10]中国ちゅうごくの『かんきゅう』によるとかんだい厄除やくよけやばらいのために小豆あずき五穀ごこく風習ふうしゅうがあったとしているが、日本にっぽんつい儺(おにやらい)の行事ぎょうじまめいていたかは文献ぶんけんからははっきりしない[10]。ただ、平安へいあん時代じだいには散米さんまいしょうしてこめ風習ふうしゅうひろくみられた[10]

節分せつぶんまめまきにかんして、文献ぶんけんあらわれるもっとふる記録きろくは、室町むろまち時代じだいおうひさし32ねん正月しょうがつ8にち1425ねん1がつ27にち)(節分せつぶん)をしるした2文書ぶんしょである。宮中きゅうちゅうの『日記にっき』には「そもそもおに大豆だいずごと近年きんねんおもゆう朝臣あそんなん」とあり[11]室町むろまち幕府ばくふ記録きろくはなさんだい』には「てんはれ節分せつぶん大豆だいずやくあきらこころカチグリ。アキノかたさるとりノアイ也。アキノかたヨリウチテアキノかたニテどめ」とある[12]ことから、このころすで公家くげ武家ぶけまめまきがならわしになっていたことがわかる。

その20ねん編纂へんさんされた辞典じてん壒嚢鈔』(1445ねんまたは1446ねん成立せいりつまきいちはちじゅうさん節分せつぶんよる大豆だいずごと」には、宇多天皇うだてんのう時代じだい867ねん - 931ねん)、鞍馬山くらまやま僧正そうじょうたによし深泥みどろ)のはしにあるいしあなからおにらすのを、祈祷きとうし、おにあなふうじてさんせきさんしょうまめ大豆だいず)でおにちつぶし、災厄さいやくのがれたとする由来ゆらい伝説でんせつしるされている[13]

まめは、「穀物こくもつには生命せいめいりょく魔除まよけけの呪力じゅりょくそなわっている」という信仰しんこう、または語呂合ごろあわせで「まめ・まめ)」をおにげつけておにめっする「めつ」につうじ、おにまめをぶつけることにより、邪気じゃきはらいちねん無病むびょう息災そくさいねがうという意味合いみあいがある[2]

寺院じいんおこなわれるまめまきには、おおくの人々ひとびと殺到さっとうするようになったが、だい世界せかい大戦たいせん直前ちょくぜん1941ねん2がつ時点じてんではすで食糧しょくりょう事情じじょう悪化あっかしており、「まめ」を大量たいりょう入手にゅうしゅすることは困難こんなんになっていた。東京とうきょう回向えこういん増上寺ぞうじょうじではまめまき行事ぎょうじ中止ちゅうしされた。浅草寺せんそうじではどうないだけで縮小しゅくしょうしておこなわれた。池上本門寺いけがみほんもんじではちいさな紙袋かみぶくろ少量しょうりょうまめれてまめまきがおこなわれた[14]

節分せつぶんはじめて英文えいぶん紹介しょうかいしたのはエドワード・グリー(Edward Greey)とされている[15]小泉こいずみ八雲やくもも「られぬ日本にっぽん面影おもかげ」で節分せつぶんを「おも悪魔あくまばらいの儀式ぎしきとして有名ゆうめい」と紹介しょうかいしている[15]

なお、各地かくち伝承でんしょうとしては、まめまきはかならずしも節分せつぶんのみにおこなわれたわけではなく、煤払すすはらい(煤掃すすはき)の大晦日おおみそか七日正月なのかしょうがつなどにおこな地域ちいきもあった[10]岩手いわてけん西根にしねまち釜石かまいし一部いちぶではすすはき(煤払すすはらい)のなどにもまめまきがおこなわれた[16]

方法ほうほう

編集へんしゅう
 
大國たいこくたましい神社じんじゃ節分せつぶんさい しん横綱よこづなまれぜいさとせきまめまき(2017ねん2がつ3にち撮影さつえい

歴史れきしてきには節分せつぶんべいむぎ搗栗かちぐりすみなどれいもあるが、一般いっぱんてきには大豆だいずもちいられる[10]大豆だいず五穀ごこくなかもっと安価あんか手近てぢかにあり、おにはらうときにぶつかっててるおとつぶおおきさが適当てきとうだったからとするせつもあるがさだかではない[10]一般いっぱんてきまめ使用しようされるが、おおくの地域ちいきまめからることをおそれる伝承でんしょうのこっており、邪悪じゃあくなものがふたたよみがえらないようにする意味いみがあったとかんがえられている[10]まめ神社じんじゃ寺社じしゃそなえる風習ふうしゅう各地かくちにみられる[15]

スーパーマーケットなどの特設とくせつコーナーで、ったまめをパックにし、福豆ふくまめ(ふくまめ)などの名称めいしょう販売はんばいされる。おにのおめん多福たふくめんはいっている商品しょうひんもある)がおまけとしてついているものもあり、父親ちちおやなどがそれをかぶっておにやくえんじて豆撒まめまきをげる。しかし、元来がんらい家長かちょうたる父親ちちおやあるいは年男としおとこまめおにはらうものであった[2]

小学校しょうがっこうでは6年生ねんせい年男としおとこ年女としおんなにあたるため、6年生ねんせい中心ちゅうしんとなってまめまきの行事ぎょうじおこなっているところもあり、神社じんじゃ仏閣ぶっかく幼稚園ようちえん保育園ほいくえん連携れんけいしているところでは園児えんじ巫女ふじょ稚児ちごとしてところもある。相撲すもう力士りきしまねいて(みにく・しこ・四股しこことにより、凶悪きょうあくおにみつけしずめる悪魔あくまばらいをする)豆撒まめまきをする社寺しゃじもある。

まめ幼児ようじはなみみはいってけがをする危険きけんやアレルギーなどを考慮こうりょして、まめわりに新聞紙しんぶんしまるめたものでまめまきをおこな乳幼児にゅうようじ施設しせつもある[17]

北海道ほっかいどう東北とうほく北陸ほくりくみなみ九州きゅうしゅう家庭かていでは 落花生らっかせいき、寺社じしゃ地域ちいきによってはもち菓子かし、みかんとうげる場合ばあいもあるが、これは「落花生らっかせい大豆だいずよりひろやす地面じめんちてもよごれない」という合理ごうりせいから独自どくじ豆撒まめまきとなった[18]

大豆だいず自分じぶん年齢ねんれいかぞどし)のかずだけべる風習ふうしゅうもみられる[10]

まめをまくさいにはごえをかける。室町むろまち時代じだい相国寺しょうこくじ僧侶そうりょみずけいしゅうおおとり日記にっきである『くもけんろく』のぶんやす4ねん12月22にち1449ねん1がつ16にち)の記述きじゅつには「まめいんおにがい福内ふくうち」とある[19]ように、ごえ通常つうじょうおにそとぶくうち」である。

しかし、地域ちいき神社じんじゃによってことなる場合ばあいがある。おに祭神さいじんまたはかみ使つかいとしている神社じんじゃ、またほうけの寺社じしゃでは「おにそと」ではなく「おにうちおにうち)」としている[2]奈良ならけん吉野よしのまち金峯山こんごうざんてらおこなわれる節分せつぶんかいでは役行者えんのぎょうじゃおに改心かいしんさせて弟子でしにした故事こじから「ぶくうちおにうち」としている[20]。またしん宗教しゅうきょう大本おおもと鬼神きじんを「うしとらかねしんくにつねたてみこと)」と解釈かいしゃくしているので、おなじく「おにうち」とする[21]。「おに」のせい比較的ひかくてき少数しょうすうだが「鬼塚おにづか」、「鬼頭おにがしら」など)の家庭かていもしくはおに地名ちめい地域ちいきでは「おにうち」のごえおおいという。山形やまがた鳥海とりうみ月山がっさん両所りょうしょみやでもおにせいふくまれる世帯せたいもあることから、ごえを「おにそとぶくうち」だけでなく「ぶくうちおにうち」としている[22]大名だいみょう九鬼くき領地りょうちでも、藩主はんしゅ敬意けいいあらわして「おにうち」としている[23]千葉ちばけん成田なりた成田山新勝寺なりたさんしんしょうじでは「不動明王ふどうみょうおうまえではおにさえ改心かいしんする」というので「ぶくうち」のみさけぶ。また、丹羽にわ藩主はんしゅであったきゅう二本松にほんまつはん領内りょうない一部いちぶでは「おにそと」とうと「おにわそとてんじて「丹羽たんばそと」となるため、それをけるために「おにそと」とところがある[24]

まめをまくうしろで、すりこ杓文字しゃもじすりばちなどをち、「おにそとぶくうち」のごえわせて「ごもっとも、ごもっとも」などと相槌あいづち風習ふうしゅう存在そんざいするが、ほとんどは家族かぞくごとの伝統でんとうとしてがれていてあまりられていない[25]北海道ほっかいどう[26]長野ながのけん[27]石川いしかわけん福井ふくいけん[28]京都きょうと[29]長崎ながさきけんなどの一部いちぶ地域ちいきてき伝承でんしょうられるほか、深志ふかし神社じんじゃ長野ながのけん松本まつもと[30]重蔵じゅうぞう神社じんじゃ石川いしかわけん輪島わじま[31]正覚しょうがくいん石川いしかわけん羽咋はくい[32]おんいん京都きょうと京都きょうと[33]興福寺こうふくじ長崎ながさきけん長崎ながさき[34]有川ありかわ神社じんじゃ長崎ながさきけん南松浦みなみまつうらぐんしん上五島かみごしままち[35]などの社寺しゃじでもおこなわれている。

この風習ふうしゅう関連かんれんして以下いかのような行事ぎょうじもある。

  • 長泉寺ちょうせんじ節分せつぶんかい宮城みやぎけん角田つのだ) - 福男ふくお福豆ふくまめいたのち年男としおとこが「ごもっとも」とさけんで、まめひろおうとするひと股間こかんにすりこて、厄落やくおとし、五穀豊穣ごこくほうじょう子孫しそん繁栄はんえいねが[36]
  • 三峯みつみね神社じんじゃ「ごもっともさま」埼玉さいたまけん秩父ちちぶ) - 「ぶくうち」とまめをまくうしろで、さきにしめなわき、根元ねもとみかん2げた巨大きょだいぼうを「ごもっともさま」とさけんでし、五穀豊穣ごこくほうじょう大漁たいりょう満足まんぞく夫婦ふうふ円満えんまん開運かいうん長寿ちょうじゅさづけをねが[37]
  • 浅草寺せんそうじ節分せつぶんかい東京とうきょう) - おおきな杓文字しゃもじをあおぐ「ごもっともさん」というやくおにとともに登場とうじょうする[38]
  • 手熊てぐま柿泊かきどまりのモットモ長崎ながさきけん長崎ながさき) - そうの「モットモじい」を中心ちゅうしんとした3人組にんぐみ家々いえいえ訪問ほうもんし、まめまきとともに「もっともー」とさけびながら、ゆかはげしくらし、つえはげしくいて、なまはげのように子供こどもたちをおどろかせる[39]

その民俗みんぞく

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邪気じゃき魔物まもの妖怪ようかい

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  • おに
  • づけ喪神そうしん - 立春りっしゅんまえの「煤払すすはら」に廃棄はいきされた古道具ふるどうぐ精霊せいれいづけ喪神そうしん」がはらて、節分せつぶんよる妖怪ようかいとなって一揆いっきこす物語ものがたりが『づけ喪神そうしん絵巻えまき』にしるされている。
  • 百鬼夜行ひゃっきやこう - 節分せつぶんおに妖怪ようかいなどが深夜しんやあるく「百鬼夜行ひゃっきやこう」があらわれるとする、『増補ぞうほ下学かがくしゅう』(山脇やまわきみちえん)などの文献ぶんけんもある。
  • 一本いっぽんあし - 奈良ならけん吉野よしのぐんちゅうりゅう門村かどむらげん吉野よしのまち)では節分せつぶんヤイカガシ玄関げんかんかかげるのは、「一本いっぽんあし」があらわれるのをふせぐためであるとする。
  • ぜに - 節分せつぶんよるぜにはいったふくろかついでつじあらわれる。ぜにしてくれるが、つぎ節分せつぶんよるかえさなければ、おそろしいことになるといわれる。
  • カイナデ(カイナゼ) - 京都きょうとで、節分せつぶんよる便所べんじょしりでるとされる妖怪ようかい。「あかかみやろうか、しろかみやろうか」ととなえるとけられるという伝承でんしょうがある。

魔除まよけ

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ひいらぎいわし

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門口かどぐちした「やいかがし」

ひいらぎしょうえだいたいわしあたま、あるいはそれを門口かどぐちしたもの。西日本にしにほんでは、やいかがし(しょう嗅)、やっかがし、やいくさし、やきさし、ともいう。

むしくち」といって、いわしくときにつばきかけ、作物さくもつ害虫がいちゅう退治たいじする呪文じゅもんとなえる地域ちいき各地かくちにある[40]

愛媛えひめけんでは、タラノキトベラやヒイラギの煮干にぼしくくけた「おにぐ(くえ)い」を戸口とぐちにつるす風習ふうしゅうがある[41]。「おにバラ」という地域ちいきもある。山口やまぐちけん瀬戸内せとうち地域ちいきにもタラノキや山椒さんしょうえだにトベラやすすき同様どうよう習慣しゅうかんがある[42]

  • 千葉ちばけんではかごさかさまにして竹竿たけざおるし、いわしあたま大豆だいずえだしたものとヒイラギ・グミのえだたばねて門口かどぐちし、おにちかづかないようにする[43]
  • 静岡しずおかけん中西部ちゅうせいぶでは、かごハナノキビンカむすけて竹竿たけざおるし、軒先のきさきたかくにかかげておにはらう「おにおどし」とばれる習慣しゅうかんがある[44]
  • 山梨やまなしけんでは、かごネズえだをしばりけたなが竹竿たけざお庭先にわさきて、かごおにとしてまめげてこのをたくさんつぶすといちねんわざわいや不幸ふこう減少げんしょうするという信仰しんこうがあり、昭和しょうわ30年代ねんだいまでさかんにおこなわれていた[45][46]
  • 岐阜ぎふけん恵那えな地方ちほうでは、ばししたイワシのあたまとしっぽ、ひいらぎまたは馬酔木あしびえだかごして、玄関げんかんく。おに玄関げんかんまえまり、かごかぞはじめるとされる[47]
  • かにかや・かにひいらぎかにひいらぎいわし - 長野ながのけん上伊那かみいなには、5cmかく程度ていど紙片しへんに「かにかや」などといていえ便所べんじょ土蔵どぞう納屋なやとう出入口でいりぐちりつける習慣しゅうかんがあった[48]。これをんだおに意味いみからずまよっているうちによるけてしまうとされる。
  • おにめくり - 岐阜ぎふけん東部とうぶ下呂げろ中津川なかつがわ加子母かしも加茂かもぐん東白川ひがししらかわむら)には、短冊たんざくおにかおと13てん閏年うるうどしには12)、すすきぼしえがいた「おにさつ」を、黄楊つげ馬酔木あしびえだなどといえ戸口とぐち風習ふうしゅうがある。おには、てんかずと1ねん月数げっすうちがうためなんかぞなおし、一筆ひとふできのほしはじめをさがすうちによるけてげていくとつたえられる。短冊たんざくには菓子かしやおかねけることもあり、子供こどもたちがめくってかえことおに退散たいさんしたことになるとされる。子供こどもたちは友達ともだち枚数まいすうきそい、られたいえひとたちも厄払やくはらいになるとよろこぶ。むかしわりばんえがき、それをはたけにさしておくともぐらがないといわれた[49][50][51]
  • じゅうさんがつ - 岐阜ぎふけん美濃加茂みのかも周辺しゅうへんには、「じゅうさんがつ」といてひいらぎいわしとともに門口かどぐち習慣しゅうかんがある[52]
  • すみ大師だいしまめ大師だいし - もとさん大師だいし護符ごふ節分せつぶん頒布はんぷする寺院じいんがある[53][54]
  • 鬼面きめんさつ - 熊野くまの那智なち大社たいしゃ和歌山わかやまけん東牟婁ひがしむろぐん那智勝浦なちかつうらまち)では、あかおにあおおにをしめなわなかふうじた鬼面きめんさつくばられ、災難さいなんじょけとして門口かどぐちられる[55]

やくばら

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つじ

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節分せつぶんよるまめとしかずだけかみつつみ、人知ひとしれずいえちかつじなかてて、かえらずにいえまでもどり、やくとす風習ふうしゅう各地かくちにある[56]まめではなく、もち[57]金銭きんせん[58]火吹竹ひふきだけ炮烙、ふんどし[59]履物はきもの[60]などのこともある。

かわらけ

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神酒みきんだりそくきかけたりしてやくをうつした「かわらけ(土器どき)」を、形代かたしろとみなしてくだやくばらいが、大杉おおすぎ神社じんじゃ茨城いばらきけん稲敷いなしき[61][62]壬生寺みぶでら京都きょうと中京ちゅうきょう[63][64]すめらぎだい神社じんじゃ京都きょうと福知山ふくちやま[65]尼崎あまがさきえびす神社じんじゃ兵庫ひょうごけん尼崎あまがさき[66]海神わたつみしゃ神戸こうべ垂水たるみ[67]香積寺こうせきじ愛媛えひめけんひがしゆたか[68]たからてら長崎ながさきけん長崎ながさき[69]など、各地かくち社寺しゃじおこなわれる。

おにまめ

編集へんしゅう
  • 香川かがわけんさぬき志度しどには、子供こどもたちがふくろげて商店しょうてんをまわり、「おにまめください」とまめやお菓子かしをねだりにる「おにまめもらい」という風習ふうしゅうのこっている。おさな平賀ひらが源内げんない厄払やくはらいのまめまきをて「子供こどもおにわってまめをもらえば、掃除そうじもいらず、もの粗末そまつにならない」とうのに、商家しょうかひと感心かんしんして行事ぎょうじとなったといういわれがある[70]
  • 広島ひろしまけん三原みはらには、子供こどもたちが民家みんかみせなどをたずね「おにまめちょうだい」とってお菓子かしをもらう「おにまめ」という風習ふうしゅうがある[71]

節分せつぶん

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厄払やくはらいのために、普段ふだんちが服装ふくそう社寺しゃじ参拝さんぱいおこなう。いつもとちが扮装ふんそうをすれば、はらうことが出来できるとしんじられたことからはじまったもので[2]たんに「おけ」とばれることもある。一説いっせつでは、当初とうしょ子供こどもよう格好かっこうをしたことから「おぼうかみ」とばれ、それが「おけ」になったともされている[72]東京とうきょう浅草あさくさ四ツ谷よつや京都きょうと花街はなまち大阪おおさか北新地きたしんちなどでは、芸者げいしゃ舞妓まいこ芸妓げいぎ)やホステスが、通常つうじょう芸妓げいぎ衣装いしょうではない、様々さまざま扮装ふんそうをする。

ぜんざいまんじゅう赤飯せきはんなど小豆あずき使つかったもの近隣きんりんしたしいひとくばって、厄落やくおとしを節分せつぶんにする地域ちいき関西かんさいひろがっている。小豆あずき赤色あかいろ邪気じゃきはらやくぶくをもたらすいろであるとされる。小豆あずきを108にんべてもらうと厄落やくおとしになるとわれるところもある[73]

参詣さんけい

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櫛田くした神社じんじゃだい多福たふくめん
  • だい多福たふくめん - 福岡ふくおかけんしたでは、節分せつぶん時期じき神社じんじゃに「だい多福たふくめん」が設置せっちされ、おおきなくちをくぐると、商売しょうばい繁盛はんじょう家内かない安全あんぜんなどの御利益ごりやくがあるとされている[75]

まめうらない

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まめならべてき、具合ぐあいからそのとし作柄さくがらつきごとの天候てんこううらな[76]

初夢はつゆめ

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文献ぶんけんでの初夢はつゆめ初出しょしゅつは、鎌倉かまくら時代ときよ西行さいぎょうあらわした『山家やまがしゅうまきじょう(1しゅ)の「としくれぬ はるくべしとは おもに まさしくえて かなふ初夢はつゆめ」である。そのだいに「立春りっしゅんあさよみける」とあり、この時代じだいにはこよみじょう新年しんねんとは無関係むかんけい節分せつぶんから立春りっしゅんよるゆめ初夢はつゆめとしている[77]

行事ぎょうじしょく

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まめ恵方えほうまき
  • 福豆ふくまめ - 大豆だいずって福豆ふくまめとする。“ありないことがこる”を意味いみする「まめはなく」ということわざがあるので、厄払やくはらいにもちいたまめからないようにしっかりとり、まめまきをえてからべる[78]自分じぶん年齢ねんれいあるいは年齢ねんれいに1つくわえたかずだけべるとされ、1かいでそのかずだけまめにぎることができるといことがあるというところもある。また、まめ保存ほぞんしておき、はつかみなり立春りっしゅん最初さいしょかみなり)がったらべると「病気びょうきをせず健康けんこうごせる」「魔除まよけけになる」「落雷らくらいわざわいからまぬかれる」といういいつたえが各地かくちにある。
    • まめまきで落花生らっかせい地域ちいき当然とうぜん落花生らっかせいべる。
    • 蓬莱ほうらいまめ - あし山寺やまでら京都きょうと上京かみぎょう)でまかれる砂糖さとうでくるんだ紅白こうはくまめ紅白こうはくいちつぶずつべると寿命じゅみょうが6ねんびるとわれる[53]
  • 節分せつぶんいわし
    • 西日本にしにほんには節分せつぶんいわしざかなべる「節分せつぶんいわし」の風習ふうしゅうがある。
    • 奈良ならけん大和やまと高原こうげん地域ちいきではいわしアラメいた「」をべる[79]
  • 福茶ふくちゃ - 福豆ふくまめ大豆だいず)と昆布こぶ梅干うめぼなどの煎茶せんちゃそそいだちゃ
  • なたもち - とおしゅうから三河みかわにかけての風習ふうしゅうで、いちしょうもちからかぞどしかずだけもちり、きなをまぶして厄落やくおとしのもちとする[57]
  • 節分せつぶん蕎麦そば - 文化ぶんか11ねん(1814ねんかん大坂おおさかしげるはな風土記ふどき』にある年中ねんじゅう行事ぎょうじじょうに「十二月じゅうにがつさんじゅうにち 晦日みそかそばとて、みな々そばせつなく(くえ)ろふ。当月とうげつ節分せつぶんとしえつ蕎麦そばとてしょくす」「正月しょうがつじゅうよんにち じゅうよんにちねんえつとて、節分せつぶんになぞらへしゅくふ。このそばきりしょくじんおおし」とある[80]本来ほんらい節分せつぶんべる蕎麦そばを「としえつ蕎麦そば」とび、おおみそか(旧暦きゅうれき)にべる「晦日みそかそば」と区別くべつしていた[81][82][83]明治めいじ改暦かいれきにより「年越としこし」が節分せつぶんから新暦しんれきおおみそかにうつったため、しだいに年越としこ蕎麦そばおおみそかにべられるようになっていった。しかし、節分せつぶん蕎麦そばべる習慣しゅうかんのこ地域ちいきもあり「節分せつぶん蕎麦そば」とんで区別くべつするようになった。
  • 麦飯むぎめし
    • 大坂おおさか船場ふなば安土あづちまち水落みずおちの「行事ぎょうじちょう文政ぶんせい6ねん(1823ねん)にしるされた節分せつぶん行事ぎょうじしょくに「しおいわし 麦飯むぎめし」とある。また、大坂おおさか町奉行まちぶぎょう久須美くすみゆう安政あんせい3ねん(1856ねん正月しょうがつ22にち起筆きひつした随筆ずいひつ浪花なにわふう』には「節分せつぶん大晦日おおみそかには必らず麦飯むぎめしを焚て、あかいわしを添へてほがしょくふ」とある。さらに、上方かみがた落語らくごの「厄払やくはらい」には「年越としこしのばんはどこのおいえ(うち)でも、みなむぎはんにイワシをいて、それをおかずにしてべなはるなぁ」というくだりがあり、大阪おおさか神戸こうべあいだ電車でんしゃつうじている時代じだい設定せっていになっている[84]。これらのことから江戸えど時代じだいから近代きんだいまで、大阪おおさかおおくの家庭かていでは麦飯むぎめしいわし節分せつぶん食事しょくじであったことがわかる。
    • 奈良ならけんでは麦飯むぎめしくことを「むぎをよます」とい、「ようまわす」(なかになる)ようにけんかついでべる[79]
    • 江戸えど時代じだい京都きょうと商家しょうか日記にっきに、節分せつぶん昼食ちゅうしょく麦飯むぎめししろみそじる、いわしをべ、よるにはづる吸物すいものさけんだことがしるされている[85]
  • とろろじる - 長野ながのけんでは麦飯むぎめしにとろろじるをかけてべる。トリガチとってはやいをする。寒明かんあけに胃袋いぶくろためすため大食たいしょくするのが目的もくてきであるとする[86]
 
ふとし寿司ずし
  • 恵方えほうまき - 恵方えほういてねがいごとをしながら、無言むごんまるかぶりすると縁起えんぎいとされるふとし寿司ずし関西かんさいでは「まるかぶり寿司ずし」とも[87]
  • 蒟蒻こんにゃく - 「ちょうすなおろし」とび、「体内たいないにたまったすなす」としてべる[88]
  • ナマコ - 島根しまねけん隠岐おきでは「すなおろし」としょうし、ナマコをものにしてべる習慣しゅうかんがある[89]
  • 水菜みずな辛子からし - 奈良ならけんでは麦飯むぎめしいわしのめきとともに水菜みずな辛子からしえをべる[90]
  • カナガシラさかな)の煮付につけ・とっぽいか(尺八しゃくはちいか)の煮付につけ・べに大根だいこんのなます - 長崎ながさきけん長崎ながさきでは、「おかねまる」につうじる「カナガシラ」の煮付につけと、ケンサキイカヤリイカ巾着きんちゃく財布さいふ)に見立みたてて、べいなどをめて煮付につけた「とっぽいか」の煮付につ[91]あかおにうでているべに大根だいこんのなますをべる[92][注釈ちゅうしゃく 1]
  • くじら料理りょうり
    • 青森あおもりけん八戸はちのへさめまちかぶらしま神社じんじゃ節分せつぶん厄除やくよけさい」では、直会なおらいくじらじるべる習慣しゅうかんがある[94]
    • 大坂おおさか船場ふなば安土あづちまち水落みずおちの「行事ぎょうじちょう文政ぶんせい6ねん(1823ねん)に、節分せつぶん行事ぎょうじしょくとして「しる くじら、だいこん」とあり、江戸えど時代じだい大坂おおさか船場ふなば商家しょうかではくじらじるべる習慣しゅうかんがあったことがわかる。
    • 島根しまねけん浜田はまだでは、拍子木ひょうしぎったクジラのくろがわんだ「くじらめし」をべる[95]
    • 山口やまぐちけんでは「おおきなものをべると縁起えんぎい」としてくじらびれをみずでさらした「尾羽おは(おばけ・おばいけ)」をはじめとするくじら料理りょうりべる風習ふうしゅうがある[96][97]
    • 長崎ながさきけんでは「金頭かながしら(かながしら)の煮付につけ」や「尺八しゃくはちイカの煮付につけ」とともに、くじら小腸しょうちょうひゃくひろ(ひゃくひろ)」の輪切わぎりが節分せつぶん伝統でんとう料理りょうりとしてべられていた[98]
  • 粕汁かすじる - 奈良ならけんをはじめ関西かんさい寺院じいんでは、節分せつぶんかいにあたり参詣さんけいしゃ関係かんけいしゃうところがある[99][100]
  • しかぶらの味噌汁みそしる - 大阪おおさかから河内かわうち地域ちいきにかけて、したかぶしろみそ仕立したての味噌汁みそしるにし、無病むびょう息災そくさいねがってべる習慣しゅうかんがあった[101][102][103][104]
  • 厄除やくよけぜんざい - 厄年やくどしひとがぜんざいをう「厄除やくよけぜんざい」の風習ふうしゅう関西かんさい中心ちゅうしんのこっている[73]
  • 厄除やくよ饅頭まんじゅう - 大阪おおさか中心ちゅうしんに、節分せつぶん社寺しゃじ厄除やくよけをし、門前もんぜん販売はんばいされる「厄除やくよ饅頭まんじゅう」をしたしいひとけ、厄落やくおとしをする習慣しゅうかんがある[105]
 
節分せつぶん福引ふくびきせんべい
  • がらがら・福引ふくびき煎餅せんべい - 小麦粉こむぎこ卵黄らんおう砂糖さとう味付あじつけた生地きじいた煎餅せんべいなかにおもちゃや縁起物えんぎものはいった伝統でんとうてき食玩しょくがん駄菓子だがし。がらがらは、山梨やまなしけん甲府こうふ大神宮だいじんぐう節分せつぶんさい名物めいぶつ[106][107]。また、福引ふくびき煎餅せんべいは、三重みえけんべられる厄除やくよけの煎餅せんべい[108]
  • きり山椒さんしょう - 切山きりやまはじかみは、糝粉砂糖さとう山椒さんしょうったこなをまぜた生地きじしてき、拍子木ひょうしぎがたってつくった餅菓子もちがしで、山梨やまなしけん甲府こうふ大神宮だいじんぐう節分せつぶんさい名物めいぶつ[106]
  • 小判こばん菓子かし - 福井ふくいけん小浜おばまで「一生いっしょうかねこまらないように」と、まめとともに神棚かみだなそなえてべる小判こばんかたちをした縁起物えんぎもの菓子かし[109]

節分せつぶんさい節分せつぶんかい

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神社じんじゃでは節分せつぶんさい(せつぶんさい)、寺院じいんでは節分せつぶんかい(せちぶんえ・せつぶんえ)の呼称こしょう一般いっぱんてきである。

神社じんじゃ

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春日大社かすがたいしゃ節分せつぶんまん灯籠どうろう
 
たからひかりいん節分せつぶんかいはだかまつ
  • いおり山寺やまでら京都きょうと京都きょうと上京かみぎょう) - つい儺式おに法楽ほうらく(ついなしきおにほうらく)。さんしょくおにおど[53]
  • 壬生寺みぶでら京都きょうと京都きょうと中京ちゅうきょう) - 壬生みぶ狂言きょうげんおこなわれる
  • あびこ観音かんのん大阪おおさか大阪おおさか住吉すみよし) - 節分せつぶん厄除やくよけ大法たいほうかい護摩ごまきによる厄払やくはらいがおもで、まめまきはおこなわれない。門前もんぜん厄除やくよ饅頭まんじゅうをお土産みやげってしたしいひとべてもらい厄落やくおとしをする[117]
  • 東大寺とうだいじ奈良ならけん奈良なら) - 節分せつぶんまん灯明とうみょう星祭ほしまつりにちちゅうふるくなったおさつやおまもとうにあげる儀式ぎしきかえみや(げんぐう)」とがつどう舞台ぶたいうえから「節分せつぶんまめまき」がおこなわれる。ほしに「じょわざわい与楽ようらく」をいの法会ほうえ星祭ほしまつり」は、がつ堂本どうもとどうまん灯明とうみょうともし、「ほし曼荼羅まんだら」をかかげてつとめられる。
  • 元興寺がんこうじ奈良ならけん奈良なら) - 節分せつぶんかいしばとうだい護摩ごまきょう山伏やまぶし弓矢ゆみやけんはらい、不動明王ふどうみょうおう勧進かんじんしただい護摩ごまいて、山伏やまぶし一般いっぱん参列さんれつしゃ火渡ひわたくだりをする。はち雷神らいじんもときょうしんおに発祥はっしょうであるので、「ぶくうちおにうち」とまめまきをする。
  • 興福寺こうふくじ奈良ならけん奈良なら) - つい儺会・鬼追きおいしき松明たいまつをかざしてあばれまわる3ひきおにが、毘沙門天びしゃもんてんによって退治たいじされたのち大黒天だいこくてん打出うちで小槌こづち参拝さんぱいしゃぶくさづける。年男としおとこによるぶくまめまきがおこなわれる。
  • 法隆寺ほうりゅうじ奈良ならけん生駒いこまぐん斑鳩いかるがまち) - つい儺会。西にし円堂えんどう周囲しゅういまわりながら松明たいまつげるおに3ひき毘沙門天びしゃもんてん退治たいじおに魔性ましょう調伏ちょうぶくする。
  • 安倍あべ文殊もんじゅいん奈良ならけん桜井さくらい) - 節分せつぶんぜにぶつけ厄払やくはらだい法要ほうよう恵方えほうたる方位ほうい守護しゅごぼとけ年齢ねんれい同数どうすういちえんだまげ、厄除やくよをする。
  • 信貴山しぎさんあさまもる孫子まごこてら奈良ならけん生駒いこまぐん平群へぐりまち) - 節分せつぶん鬼追きおいしきおに松明たいまつ金棒かなぼう本堂ほんどうから僧侶そうりょ年男としおとこわれまわる。おにてらないだけにおさまらず、さといえにもしかける。
 
金峯山こんごうざんてら節分せつぶんかい
  • 金峯山こんごうざんてら蔵王ざおうどう奈良ならけん吉野よしのぐん吉野よしのまち) - 節分せつぶんかい鬼火おにび祭典さいてん。「ぶくうちおにうち」ととなえ、全国ぜんこくからわれてきたおにむかれ、経典きょうてん功徳くどく法力ほうりきまめまきによって、おにたちを仏道ぶつどうみちびく。
  • 石手いしててら愛媛えひめけん松山まつやま) - おにまめをぶつけるのではなくおに参拝さんぱいしゃを「ささら」とばれるたけぼうはたき、やくとしてぶくをもたらす。
  • おにこい節分せつぶんさい群馬ぐんまけん藤岡ふじおか) - 「ぶくうちおにうち」。おにまめまき。合併がっぺい消滅しょうめつした鬼石おにしまちにちなむ
  • 鬼岩おにいわぶくおにまつり(岐阜ぎふけん御嵩みたけまち) - 「おにうち

関連かんれん作品さくひん

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  • 狂言きょうげん
    • 節分せつぶん」 - 人妻ひとづまこいしたおにが、かくみのかくかさ打出うちで小槌こづちしていえれてもらうが、最後さいごまめげてされる。
    • ふくかみ」 - ふくかみしゃ年越としこしの参拝さんぱいにきた2人ふたりおとこまえふくかみあらわれ、神酒みきみつつゆたかになる秘訣ひけつさと[118]
  • 歌舞伎かぶき
    • さんにんきちさんくるわ初買はつがい安政あんせい7ねん(1860ねん初演しょえん河竹かわたけ黙阿弥もくあみさく - 「大川おおかわはし」は、節分せつぶんにおとせという夜鷹よたかから、ひゃくりょうかねうばったおじょう吉三きちぞうめいぜりふをはっする[119]
  • 小唄こうた
    • きちさん節分せつぶん田島たじまだん岡野おかの知十ちじゅう作詞さくし草紙そうしあん作曲さっきょく - 上記じょうき歌舞伎かぶきめいぜりふを小唄こうたにしたもの[120]
  • 落語らくご
    • 節分せつぶん」(東京とうきょう) - 夫婦ふうふ節分せつぶん掛取かけとりをいかにやりごすかをえが[121]
    • 厄払やくはらい」(上方かみがた) - 節分せつぶんあらわれる「厄払やくはらい」の姿すがたえが[84]
  • 文学ぶんがく
  • 音楽おんがく
    • まめまき」(童謡どうよう) - 作詞さくし 日本にっぽん教育きょういく音楽おんがく協会きょうかい作曲さっきょく 日本にっぽん教育きょういく音楽おんがく協会きょうかい
      • 「FUKU WA UCHI」(DOMINO) - 上記じょうき楽曲がっきょくのアレンジで、歌詞かし内容ないよう節分せつぶんもとづいたもの。SUPER EUROBEATVol.164収録しゅうろくきょく
    • ぶくうち おにそと(細野ほその晴臣はるおみ) - 『HOSONO HOUSE収録しゅうろくきょく

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 長崎ながさきべに大根だいこん (ながさきあかだいこん)は、「節分せつぶん大根だいこん」「おに大根だいこん」ともばれる長崎ながさき在来ざいらいあかカブである[93]
  2. ^ 徳川とくがわ家康いえやす祈願きがんしょとし武運ぶうん長久ちょうきゅういのっていた

出典しゅってん

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  3. ^ 故郷こきょう村人むらびとたちとさけわしたときには、お年寄としよりよりさき部屋へやてはならない。村人むらびとたちが儺(おにやらい:旧暦きゅうれき大晦日おおみそかおに邪気じゃきはら儀式ぎしき)をするときにはあさふく東側ひがしがわ階段かいだんって出迎でむかえねばならない。《論語ろんご 郷党きょうとうだいじゅう 現代げんだいやく
  4. ^ a b c 水野みずのあんずきのえき風水ふうすいこよみ養生ようじょう処世しょせい ひがしアジアの宇宙うちゅうかん講談社こうだんしゃ選書せんしょメチエ、2016ねん2がつ10日とおか、32ぺーじISBN 978-4-06-258621-4 
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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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  • おに
  • つい
  • セツブンソウ節分せつぶんそう) - 節分せつぶん時期じき
  • トベラ - 枝葉えだはると悪臭あくしゅうはっするため、節分せつぶんにイワシのあたまなどとともによけとして戸口とぐちかかげられた。そのためとびらばれ、これがなまってトベラとなった
  • レムレース - 古代こだいローマにけるまめちに類似るいじする風習ふうしゅう

外部がいぶリンク

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