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鬼 - Wikipedia

おに(おに、英語えいご: Oni)は日本にっぽん妖怪ようかい民話みんわ郷土きょうど信仰しんこうによく登場とうじょうする。

おに撃退げきたいするためにタントラとなえる空海くうかいえがいた葛飾かつしか北斎ほくさい (1760–1849) の肉筆にくひつ
曾我そがしょうしろ雪山ゆきやま童子どうじ》(おに)(1764ねん)。
鳥山とりやま石燕せきえん今昔こんじゃく画図えずぞくひゃくおに』より「おに
鬼山おにやま地獄じごくあかおにぞう別府べっぷ温泉おんせん大分おおいたけん別府べっぷ所在しょざい)の一角いっかくをなす鬼山おにやま地獄じごく所在しょざい
ついおに兵庫ひょうごけん三木みき蓮花寺はすはなじにて。

日本語にほんごではたくましい妖怪ようかいのイメージから「つよい」「わるい」「こわい」「おおきな」「物凄ものすごい」といった意味いみ冠詞かんしとして使つかわれる場合ばあいもある(おに (曖昧あいまい回避かいひ)参照さんしょう)。「〜のおに」といった用法ようほうられる。

概要がいよう

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現在げんざい一般いっぱんてきえがかれるおには、あたまに2ほん、もしくは1ほんかくえ、頭髪とうはつこまかくちぢれ、くちきばえ、ゆびするどつめがあり、とらかわふんどしふんどし)や腰布こしぬのをつけていて、表面ひょうめん突起とっきのある金棒かなぼうった大男おおおとこ姿すがたである。

はだいろあおあかみどりくろの5しょくで、「あおおに(あおおに)」「あかおに(あかおに)」「みどりおに(みどりおに)」「おに(きおに)」「くろおに(くろおに)」などとばれる。この5しょくぎょうせつぶたせつわさったものとわれ、瞋恚しんにぶた=「あおおに)」、貪欲どんよくぶた=「あかおに)」、掉挙ぶた=「おに)」、きむ睡眠すいみんぶた=「みどりおに)」、みずうたぐぶた=「くろおに)」になったとされる(本来ほんらいぎょうせつかね対応たいおうするいろしろであるが、ぶたせつむすびついたさいみどりへんじたという)[1]

おには、地獄じごくにおいて閻魔えんまおうもと亡者もうじゃめる獄卒ごくそつとしてのおにのイメージが現在げんざいもよくられている。おには「○○童子どうじ」と名付なづけられる場合ばあいがあった。これには「さけ呑童(しゅてんどうじ)」のばれる大江山おおえやまおにもっともよくられている。

いまでも、日本にっぽんさん山地さんちには、「かつておにんでいた」という伝説でんせついろどられたものがすくなくない。

現在げんざい、「わるもの」「おそろしいもの」の代名詞だいめいしとして使つかわれることのおおい「おに」というかたりであるが、たとえば、鳥取とっとりけん伯耆ほうきまちきゅう日野ひのぐん溝口みぞぐちまち)では、むらまもった「つよもの」としておにあがめていたり、青森あおもりけん岩木山いわきやまではおに善行ぜんこう感謝かんしゃして、神社じんじゃの「かみ」としておにまつっているなど、これらのほかにも日本にっぽん各地かくちにはおにぜんてきとらえ、また、畏敬いけいねんているれいすくなくない。節分せつぶんまめまきられるように、おにやくわざわいをもたらすとする信仰しんこう根強ねづよいが、まったくぎゃくに、おに悪霊あくりょうはらい、ひと幸福こうふくをもたらしてくれる存在そんざいかんがえているれいすくなからずられる[2]

一方いっぽう中世ちゅうせい能楽のうがく世界せかいでは、おにひと怨霊おんりょうしたものか、地獄じごくのものとするれいおおい。昔話むかしばなしなかおには、一種いっしゅ英雄えいゆうたんのなかで定型ていけいてきらしめられる悪者わるものやくわされていることがおおい。おに悪者わるものであったとする現代げんだいおに一般いっぱんてきイメージは、ここからひろまった部分ぶぶんおおきいともいわれる[2]

以上いじょう日本にっぽんおには「あく」から「ぜん」や「かみ」まで多様たようあらわかたをしており、特定とくていのイメージでかたることは困難こんなんである。単純たんじゅん悪者わるものとはできない。ただ、「こわろし」「力強ちからづよく」「ちょう人的じんてき」のイメージはおおくのおに共通きょうつうしているようである。

諸説しょせつ

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文芸ぶんげい評論ひょうろん馬場ばばあきは5種類しゅるい分類ぶんるいしている[3]

  1. 民俗みんぞくがくじょうおにたまれい
  2. 山岳さんがく宗教しゅうきょうけいおに山伏やまぶしけいおにれい天狗てんぐ
  3. 仏教ぶっきょうけいおによこしまおに夜叉やしゃ羅刹らせつ
  4. ひとおにけいおに盗賊とうぞく凶悪きょうあく無用むようしゃ
  5. 怨恨えんこん憤怒ふんぬによっておに変身へんしん変身へんしんたんけいおに

おに」(キ) という漢字かんじ原義げんぎは「死者ししゃたましい」である。たとえば、えた死者ししゃたましいを「餓鬼がき」、死者ししゃたましいわめくことを「鬼哭きこく」という。現代げんだい日本語にほんごの「オニ」も、「おに」の原義げんぎである「死者ししゃたましい」としてもちいられるれいもあり、海外かいがいぬことを「異国いこくおにとなる」「異境いきょうおにとなる」と表現ひょうげんする。

馬場ばばによれば、元々もともと死霊しりょう意味いみする中国ちゅうごくおに6世紀せいき後半こうはん日本にっぽんはいり、日本にっぽん固有こゆう古来こらいの「オニ」とかさなっておにになったという。ここでいう「オニ」とはれいでありれいであり、「ひとつ」の姿すがたあらわされており、隻眼せきがんというかみしるしびたかみ眷属けんぞくとらえる見方みかたや、「ひと」を山神さんじん姿すがたとするせつらいじゅう)もある。いずれにせよ、ひとおに死霊しりょうというより民族みんぞくてきかみ姿すがた彷彿ほうふつとさせる。また、『日本書紀にほんしょき』にはまつろわぬ「よこしましきしん」を「よこしましきおにもの」としており、得体えたいれぬ「カミ」や「モノ」がおにとして観念かんねんされている。説話せつわの「ひと凶暴きょうぼうおに」のイメージは「カミ」、「モノ」から仏教ぶっきょうごくおに怪獣かいじゅう妖怪ようかいなど想像そうぞうじょう変形へんけいから影響えいきょうけて成立せいりつしていったとえる。平安へいあんじんやみかんじていた恐怖きょうふがどのようなものかがうかがえる[3]

また、大東文化大学だいとうぶんかだいがく講師こうし岡部おかべ隆志たかしによれば、おにとは安定あんていしたこちらの世界せかい侵犯しんぱんすることかい存在そんざいであるという。おにのイメージが多様たようなのは、社会しゃかいやその時代じだいによってことかいのイメージが多様たようであるからで、朝廷ちょうていにまつろわぬみんほうおか反逆はんぎゃくしゃやまことかい住人じゅうにんであれば鍛冶屋かじやのような職能しょくのうしゃおにばれ、ことかい幻想げんそうとたとえればひと怨霊おんりょう地獄じごく羅刹らせつ夜叉やしゃやま妖怪ようかいなど際限さいげんなくおにのイメージはひろがるとしている[3]

平安へいあん時代じだいから中世ちゅうせいにかけての説話せつわ登場とうじょうするおおくのおには、怨霊おんりょう化身けしんひとべるおそろしい怪物かいぶつである。京都きょうと北西ほくせい大江山おおえやまにはさけ呑童ばれるおに親分おやぶん本拠地ほんきょちかまえ、茨木いばらぎ童子どうじはじめとするおおくの子分こぶん統率とうそつしていたといい、その描写びょうしゃ赤毛あかげかくがあり、ひげかみ眉毛まゆげもつながっており、手足てあしくまのようで、きょうまちからさらってきたわか女性じょせいにく常食じょうしょくしていたという。『伊勢物語いせものがたりだい6だんよるおんなをつれてげる途中とちゅうおにおんな一口ひとくちべられるはなしがあり、ここから危難きなんにあうことを「おにいちくち」とぶようになるが、岡部おかべ隆志たかしはこれを、戦乱せんらん災害さいがい飢饉ききんなどの社会しゃかい不安ふあんなか頻出ひんしゅつする人死ひとじにや行方ゆくえ不明ふめいを「ことかいがこの現出げんしゅつする現象げんしょう」と解釈かいしゃくしたものであり、ひとからだえていくことのリアルな実演じつえんであり、このあらわれたおにえんじてしまうものと推測すいそくしている。また岡部おかべは、おにことかい来訪らいほうしゃであり、ひとこうがわ世界せかい拉致らちする悪魔あくまであり、昔話むかしばなしのようにぶくのこしてかみともしている(れい一寸法師いっすんぼうしこぶじいさんおに)。ことかい幻想げんそうされる地名ちめいとして大江山おおえやま著名ちょめいであるが、それはきょうにとって大江山おおえやまことかいやまであったためであり、ことかいとしてのやませっする地域ちいきにはおに伝承でんしょうおお[3]

二松学舎大学にしょうがくしゃだいがく教授きょうじゅ小山こやま聡子さとこによれば、平安へいあん時代じだいには仏教ぶっきょう経典きょうてんもとづくおに、モノノケや正体しょうたいさだかではない死霊しりょうおにとしてえがかれたもの、疫神として登場とうじょうするおになどにとく区別くべつはなく、おおきな身体しんたいひとおおきなくちすみあかふんどし手足てあしさんほんゆびなどの特徴とくちょうしめされることがおおく、これは仏教ぶっきょう経典きょうてんえがかれたおに図像ずぞう影響えいきょうおおきいと指摘してきする[4](ただし、モノノケの場合ばあいは『山海さんかいけい』など書物しょもつ図像ずぞう影響えいきょうけたおにとはことなる系統けいとう図像ずぞう存在そんざいしているが、いずれも当時とうじ人々ひとびと恐怖きょうふかんじた図像ずぞうのイメージがかさわされたことでは共通きょうつうする[5])。

国文学こくぶんがくしゃ阿部あべ正路まさじ歴史れきし学者がくしゃ松本まつもと新八しんぱちろう評論ひょうろん馬場ばばあき指摘してきするように、おに形態けいたい歴史れきし辿たどれば、初期しょきおにというのはみな女性じょせいかたちであり『源氏物語げんじものがたり』に登場とうじょうするおにとは怨霊おんりょうのことであるが、渡辺わたなべつないちじょうもどはしてくるように、はじめのころは女性じょせいかたちてくる。

「おに」のかたりは「おぬかくれ)」がてんじたもので、元来がんらい姿すがたえないもの、このならざるものであることを意味いみする、とのせつふるくからある[ちゅう 1]

ふるくは、「おに」と以前いぜんに「もの」とんでいた。平安へいあん時代じだい末期まっきには「おに」のみにとってわられた「もの」であるが、奈良なら時代じだいの『ふつあしせき』では、「よっつのへびへみ)、いつつのモノ、〜」とあり、用例ようれいられ(ふつ足跡あしあと歌碑かひ#あずか乃閇伊都いと々乃毛乃参照さんしょう)、『源氏物語げんじものがたり帚木には、「モノにおそはるる心地ここちして〜」とある。これらの「モノ」は怨恨えんこんったれい = 怨霊おんりょうであり、邪悪じゃあく意味いみもちいられる(たんなる死霊しりょうではなく、たたれい)。

ひとおに

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ひとけて、ひとおそおにはなしつたわる一方いっぽうで、にくしみや嫉妬しっとねんちてひとおに変化へんかしたとするはなしもある。代表だいひょうてきれいとしては、のうの「鉄輪てつりん」や「紅葉狩もみじがり」に、嫉妬しっとしんからおにした女性じょせいはなしつたわっている。「般若はんにゃめん」はその典型てんけいである。

梁塵りょうじんしょう』(平安へいあん時代じだい末期まっき成立せいりつ)には、おんなおとこのろったうたとして、「〜すみみっせいひたるおにになれ〜」としるされており[6]、このことから12世紀せいきまつ時点じてんで、ひとのろいでおににしようとしたこと、また、あたまかくえたおにといったイメージが確立かくりつしていたことがかる。これは自発じはつてきおにになる事例じれいとはことなり、相手あいておににしようとしたれいえる。

修験しゅげんどう役行者えんのぎょうじゃ使つかおにである前鬼ぜんきこうおには、ともにその子孫しそん人間にんげんとして、そのむら前鬼ぜんきむらげん下北山しもきたやまむら)をかまえている。仏教ぶっきょうでもれいはあり、比叡山ひえいざんはちむら伝承でんしょうには、むら祖先そせんは「がたつそまそま)」のはじめに、伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょう)に使つかわれたおに後裔こうえいであるとしょうしている(※はちせら童子どうじ参照さんしょうのこと)。このように、宗教しゅうきょうかい偉人いじん使つかおに先祖せんぞとするれい散見さんけんされる。折口おりぐち信夫しのぶ解釈かいしゃくでは、はち伝承でんしょうは、本来ほんらいおにではなく、かみであり、仏教ぶっきょうれたことによる変化へんかとしている[7]

めずらしい事例じれいとして、『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅうまき20だい7にしるされたはなしには、藤原ふじわら明子あきこのけはらったえんからしたしく交際こうさいするようになった大和やまとこく葛木かつらぎ金剛山こんごうざんきよし(ひじり=僧侶そうりょ信濃しなのこく山中さんちゅう出身しゅっしんはだ赤銅しゃくどうしょく)が、のちに暗殺あんさつしゃ追手おってのがれ、がけから転落てんらくしながらもび、再会さいかいしたときに「きよしみちて、恋愛れんあいおにとなった」とかた場面ばめんがある。おに容姿ようしはだかあたま禿頭はげあたま身長しんちょうは8しゃくはだうるしったかのようにくろで、はまるで金属きんぞくせいわんはいっているかのよう、おおきなくちにはするどきばあかふんどしめてこしにはづちしていたという[8]山賊さんぞくのような凶悪きょうあく存在そんざいではないが、朝廷ちょうてい無用むようしゃあつかいをけて、おに(または、天狗てんぐあつかいをされ、せい自身じしん恋愛れんあいおにとなったとさとる。おにであると自他じたどもみとめてしまうが、藤原ふじわら明子あきこぼっする晩年ばんねんまで交際こうさいつづけた。

仏教ぶっきょうおに

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中国ちゅうごくおに

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中国ちゅうごくおに拼音: guǐ〈グゥイ〉)という場合ばあい死霊しりょう死者ししゃ霊魂れいこんのことを[ちゅう 2]日本にっぽんう「幽霊ゆうれい」のほうがニュアンスとしてちかい(中国語ちゅうごくごばんウィキペディア記事きじおに』は、日本語にほんごばん亡霊ぼうれい』にリンクされている)。中国ちゅうごくでは、直接ちょくせつおに』とぶのはタブーであることから、婉曲えんきょくしてこう兄弟きょうだいともいう。また日本にっぽんにもこの思想しそうはいっており、ひとぬことをして「鬼籍きせきはいる」などとういいかたがあるほか元来がんらい意味合いみあいと混交こんこうしたイメージでもとらえられている。

中国ちゅうごく文学ぶんがくもの駒田こまだ信二しんじによれば、中国ちゅうごくでは幽魂ゆうこん幽霊ゆうれい亡魂ぼうこん亡霊ぼうれいなどが人間にんげんかたちあらわれたものをおにといい、おおくはわかむすめ亡霊ぼうれいで、この人間にんげんしたって情交じょうこうもとめてくる。人間にんげんわらないばかりか、絶世ぜっせい美女びじょであることもおおいため、あらわれるのをのぞんでちぎりをむすはなしとうざいおに』、「しゅう長官ちょうかんむすめ」)や、わかれをかなしむはなし六朝りくちょうさがせかみ』、「あか上着うわぎ」)、再会さいかい約束やくそくをはたそうとするはなしとうとりざつまないた』、「夫人ふじんはか」)などもある。人間にんげんきかえるはなしとうこうこと』、「きかえったむすめ」)や、子供こどもはなし(「あか上着うわぎ」)、妊娠にんしんちゅうんではかなかそだてるはなしそうえびすけんこころざし』、「もちおんな」)、密通みっつうによりごもるはなしそうえびすけんこころざし』、「孕ったむすめ」)などもあり、一般いっぱんには、人間にんげん亡霊ぼうれい情交じょうこうしつづけているといずれぬ、というのが中国ちゅうごく亡霊ぼうれいおに説話せつわ主流しゅりゅうであるという[9]

日本にっぽんでも教養きょうようある平安へいあん貴族きぞくなかには、死霊しりょう意味いみで「おに」という言葉ことばもちいている事例じれいがあり、藤原ふじわらみのる関白かんぱく藤原ふじわら頼通よりみち伯父おじ藤原ふじわら道隆みちたかの「おにれい[ちゅう 3] によってやまいたおれた(『しょう右記うきちょうもと2ねん9がつ13にち・18にちじょう)としる[10]藤原ふじわらよりゆきちょう鳥羽とば法皇ほうおうやまい祖父そふ白河しらかわ法皇ほうおうの「おに」にかれたものである(『たい久安ひさやす元年がんねん12がつ4にち・11にちじょう)としるしている[11]。また、この時代じだいえがかれたと推測すいそくされている『吉備きび大臣だいじん入唐にっとう絵巻えまき』にも、奈良なら時代じだいとう客死かくしした阿倍仲麻呂あべのなかまろ家族かぞくのことを心配しんぱいして遣唐使けんとうし時代じだい同僚どうりょうであった吉備真備きびのまきびもとおに姿すがたあらわれるが、あかふんどしをしたはだか姿すがたで、あたまには一本いっぽんかく逆立さかだかみはだおおきなくちするど手足てあしゆびは3ほんずつ、という姿すがたになっていた。これを真備まびひと格好かっこうではないとはらったところ、後日ごじつになって今度こんど衣冠いかんととのえたなか麻呂まろふたた真備まびおとずれたがあかはだと3ほんゆびかくせなかった様子ようすしるされている[8]

また、中国ちゅうごくではおにとは亡者もうじゃ幽霊ゆうれい)にかぎらず、こののものでないもの、もの全般ぜんぱん言葉ことばでもあり、貝塚かいづか茂樹しげきによれば、おにというは「ゆかり」と「ひと」からっており、ひとよし、すなわちおおきなめんをかぶっているかたちあらわしたもので、古代こだい国家こっか祭祀さいし主宰しゅさいしゃであったみこくだれいじゅつおこなうとき、異形いぎょうめんをかぶった姿すがた象形しょうけいしたものであろうとされている[12]

おに苦手にがてなもの

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おにには苦手にがてなものがあるとわれている。においのきついもの、とがったもの、イワシくときに発生はっせいする大量たいりょうけむり臭気しゅうきなどを、おにきらうとされている。おにはまた、ヒイラギのトゲによってされることをおそれる。そこで節分せつぶんには、ぶし境目さかいめからはいんでこようとするおにを、玄関げんかんさきかざったヒイラギとイワシで撃退げきたいする風習ふうしゅうがあり、この魔除まよけけの風習ふうしゅうを、ひいらぎいわし(ひいらぎいわし)という[13]

おにのモデルとなった人々ひとびと

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上記じょうき諸説しょせつふしちゅうにもおに正体しょうたいせついくつかふくまれているが、以下いかでは、おにはらぞうとして実体じったい存在そんざいしたとかんがえるせつうちの、上記じょうき以外いがいについてべる。

金工きんこうせつ

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おにのモデルが金工きんこうであるとするせつ金工きんこうとはふるくの鉱山こうざん採掘さいくつ金属きんぞく精錬せいれん金属きんぞく製品せいひん生産せいさんなど、金属きんぞくかんする事業じぎょうたずさわっていた人達ひとたちである。若尾わかお五雄いつおはこのおに金工きんこうせつ提唱ていしょうしゃで、1981ねんに『おに伝説でんせつ研究けんきゅう[14]でこのせつをまとめたものを発表はっぴょうした。このせつなか若尾わかおは、日本にっぽん各地かくちおに伝説でんせつ同時どうじ鉱山こうざんでもある場合ばあい多数たすうあることを指摘してきし、また伝説でんせつちゅうおにが、そのはなしちゅう金工きんこう密接みっせつむすいているれいすくなくないことも指摘してきし(※実際じっさい伝説でんせつちゅう金工きんこうらしいれいもあった)、おに金工きんこうであったのではないかとのせつとなえた。若尾わかおのこのせつたいしては、当時とうじ反発はんぱつ懐疑かいぎてき意見いけんもあったが[ちゅう 4]上記じょうきしょ発表はっぴょうされたのち、このせつ同調どうちょうする論考ろんこうえている[15]

蝦夷えぞせつ

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蝦夷えぞ征討せいとうのために坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ遠征えんせいした東北とうほく地方ちほうには、神仏しんぶつ加護かごおに退治たいじしたという伝説でんせつ坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ伝説でんせつ)がおおのこされている。蝦夷えぞ首長しゅちょうとして名前なまえのこだい武丸たけまるおにであるという伝説でんせつがある[16]

外国がいこくじんせつ

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江戸えど時代じだいかれた『哥府こころざし』には、おに海外かいがいより日本にっぽん上陸じょうりくした海賊かいぞくではないかというせつっており、明治めいじ時代じだいには俗説ぞくせつとしておにロシアじんせつがあった[17]。これは、当時とうじさんこく干渉かんしょうにち戦争せんそうとうでロシアへの嫌悪けんお感情かんじょうがあったことや、大江山おおえやまちかくの舞鶴まいづる海軍かいぐん鎮守ちんじゅがあり、たいロシアの軍事ぐんじ拠点きょてんであったことが背景はいけいにあるといわれる[17]

文学ぶんがくおに

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百鬼夜行ひゃっきやこう
平安へいあん時代じだいなかあるいてゆくとされたもの行列ぎょうれつのことである。『宇治うじ拾遺しゅうい物語ものがたりまき1の17で修行しゅぎょうそう龍泉寺りゅうせんじというてらで、百鬼夜行ひゃっきやこうったというはなしかたられている。また、『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅうまき14には若者わかもの百鬼夜行ひゃっきやこうったというはなしおさめられている。当時とうじ百鬼夜行ひゃっきやこう目撃もくげきするとんだり病気びょうきになるなどとおそれられていたが、この2つのはなしはいずれも信仰しんこうたすけたというはなし帰結きけつしている。
あかおにあおおに
宇治うじ拾遺しゅうい物語ものがたりまき1には、こぶじい説話せつわ所収しょしゅうされているが、じい目撃もくげきしたおにとして、あかものあおものひとつのものくちものなど、様々さまざま異形いぎょうものがいたとしている。いろごとに性格せいかくちがうという。また、やくおにを「穏鬼」とんでいる。
藤原ふじわらせんぽうよんおに
藤原ふじわらせんぽう使役しえきされたといわれる4にんおに
羅刹らせつこく
だいから西域せいいきまき11[18] そう伽羅きゃらこくシンガラこく)のそう伽羅きゃら傳説でんせつおんな羅刹らせつくにた『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅうまき5に登場とうじょうするそう伽羅きゃら漂着ひょうちゃくした女性じょせいおにしか存在そんざいしないしまのち日本にっぽん南方なんぽうあるいは東方とうほう存在そんざいするとしんじられるようになった。
城門じょうもんおに
渡辺わたなべつなうでとしたとされるおに
安達あだちばら鬼婆おにばば
つかえるひめやまいなおすためににん胎内たいない胎児たいじきももとめていた乳母うば安達あだちばらにん殺害さつがいして胎児たいじきもたが、ころしたにん成長せいちょうした乳母うばむすめであったことをり、おにへんじたとされる伝説でんせつのちのうの「くろづか安達あだちげん」の原案げんあんとなった。

転用てんよう

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警察けいさつ死体したい検分けんぶんなどをおこな鑑識かんしきでは、時間じかん経過けいかして腐敗ふはいのガスで巨人きょじんのようになり(きょ人様ひとさまかん)、皮膚ひふいろ時間じかん経過けいかあおあかくろとなった死体したいあおおにあかおにくろおにんでいる[19]

生物せいぶつめい接頭せっとう

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むかし日本人にっぽんじんは、まわりのものび馴らわすにたって「オニ(おに)」のたくみに使つかってきた。同類どうるいおもわれるもの同士どうし比較ひかくにおいて「おおきいとされているものよりひときわおおきい」という特徴とくちょうそなえたものにたいしてもちいたかたり構成こうせい要素ようそが、接頭せっとうオニ(おに」であった。この概念がいねんは、近世きんせい日本にっぽん本草学ほんぞうがくれられたのはもちろんのこと、西洋せいよう自然しぜん科学かがくである分類ぶんるいがくでも踏襲とうしゅうされており、新種しんしゅ改名かいめいようするたねあたらしい和名わみょう考案こうあんするさいもちいられつづけている。具体ぐたいてきには、同類どうるいなか通常つうじょう範疇はんちゅうにあっておおきめのものは「オオ(だい」をかんしてぶのであるが、その大型おおがたしゅ凌駕りょうがするような大型おおがたしゅは「オニ(おに」をかんしてぶのである。オニネズミ(おにねずみ)、オニオオハシおにだいくちばし)、オニアジサシおにあじとげ)、オニゴジュウカラおにじゅうすずめ)、オニカマスおに魳)、オニオコゼおに虎魚おこぜ)、オニアンコウおに鮟鱇あんこう)、オニイトマキエイおに糸巻いとまき鱏)、オニアサリ(おに浅蜊あさり)、オニクワガタおに鍬形くわがた)、オニヤンマおに蜻蜒やんま)、オニヤドカリ(おに宿やど)、オニグモ鬼蜘蛛おにぐも)、オニユリ鬼百合おにゆり)などをれいとしてげるが、これら以外いがいにもおびただしいかず生物せいぶつに「オニ(おに)」のもちいられている。

接頭せっとう「オニ(おに)」の用法ようほうは、上述じょうじゅつのようなおおきさの比較ひかくばかりではない。印象いんしょうてき突起とっきゆうすることでかくゆうするおに紐付ひもつきけされた結果けっか名付なづけもある。オニヒトデおに海星ひとで)とオニナマコ(おに海鼠なまこ)のは、全身ぜんしんとげとげ)でくされた禍々まがまがしい形態けいたいかくをもつおそろしいおに紐付ひもつきけされた結果けっかなのか、おおきさ比較ひかくからているのか、はっきりしないものの、実際じっさい形態けいたい前者ぜんしゃにより説得せっとくりょくたせる。オニバスおにはちす)のは、おそろしげなするどとげそなえていることに由来ゆらいするとされている。ほかにも、シロオニタケしろおにだけ)などオニタケ(おにだけ)の仲間なかまは、おにかくのようないぼいぼ)をそなえたきのこ(どくきのこ)であることからそのばれる。オニフスベおにいぶしおにこぶ)は、おおきなこぶふすべ)にえることからそのばれるが、きんえんしゅ比較ひかくしての名付なづけかどうかは不明ふめいである。

また、オニカッコウ(おに郭公かっこう)のきんえんでひときわおおきなものにけられた「オオオニカッコウだいおに郭公かっこう)」のように、「オニ(おに)」に「オオ(だい)」をかさねるれいもある。実際じっさい、このとりカッコウるい世界せかい最大さいだいしゅである。オニバスおにはちす)のきんえんでひときわおおきなべつぞくとしてオオオニバスだいおにはちす)があるが、オニバスの「オニ」がおおきさ比較ひかくかかわっていないため、おおきさ比較ひかくの2だんかさねではない。「オオ(だい)」とは反対はんたいに「コ(しょう)」をかさねるれいもあって、「オニユリ鬼百合おにゆり)」のきんえんしゅを「コオニユリ(しょう鬼百合おにゆり)」と命名めいめいしたのはこれにたる。

「オニ(おに)」を上回うわまわおおきなしゅたいしては、近代きんだい以降いこうくわわった慣習かんしゅうめいであるが、「トノサマ(殿様とのさま」(れいトノサマガエル殿様蛙とのさまがえる〉、トノサマバッタ殿様とのさま飛蝗ばった〉、トノサマゴカイ〈殿様とのさま沙蚕ごかい〉)、「オウサマ(おうさま」(れいオウサマペンギン王様おうさまペンギン[ちゅう 5]〉、オウサマウニ〈王様おうさまうみぐり王様おうさま海胆うに〉)、「ダイオウ(大王だいおう」(れいダイオウイカ大王だいおう烏賊いか〉、ダイオウグソクムシ大王だいおう具足ぐそくちゅう〉、ダイオウキジンエビ大王だいおう鬼神きじんえび〉)、「コウテイ(皇帝こうてい」(れいコウテイペンギン皇帝こうていペンギン[ちゅう 6]〉、コウテイキホウボウ〈皇帝こうてい魴鮄〉)がもちいられる。

なお、生物せいぶつ学名がくめいギリシア原則げんそくてき構成こうせい要素ようそとしてラテン語らてんご体系たいけい造語ぞうごするよう規定きていされているが、和名わみょうにおける「オニ(おに)」ともつうじるもちいられかたをするかたりとして、たね小名しょうみょう "diabolicus日本語にほんごおとうつしれいディアボリクス)" がある[20]。このかたりには「の、おおきく荒々あらあらしい」などといった意味いみがあり、「の」という意訳いやくはさらに日本語にほんごふうなおされて「おにの」とあらわされることもおお[20]

事物じぶつ

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つよさの象徴しょうちょうとして
おにごろ(おにごろし)
いくつかの用法ようほうがあるが、将棋しょうぎ有名ゆうめい奇襲きしゅう戦法せんぽうひとでは「おにをもたおせる」という文句もんくからこのいたといわれる。[よう出典しゅってん]
おにの霍乱(おにのかくらん)
霍乱は日射病にっしゃびょう古称こしょうおにのように頑丈がんじょうひとが、きゅう体調たいちょうくずしたような場合ばあい、「おにの霍乱」と表現ひょうげんする。目上めうえひと使つかえば失礼しつれいにあたるので注意ちゅうい
おにのように並外なみはずれたもの」の意味いみ
おにのごときのう
鬼才きさい(きさい)は、人間にんげんとはおもわれないほどのすぐれた才能さいのうをいい、また、それをそなえたひとをもいう。おに肯定こうていてきとらえた用法ようほう代表だいひょうれいえる。鬼謀きぼう(きぼう)は、ひとおもいもおよばないようなすぐれたはかりごと(はかりごと)をいい、「神算しんさん鬼謀きぼう」などともちいる。
おにのごときひと
勇猛ゆうもうひとおにたとえていう。用例ようれいとして「おに弁慶べんけい
冷酷れいこく無慈悲むじひひとおにたとえていう。用例ようれいとして「わた世間せけんおにはない」「しんおににする」
借金取しゃっきんとりのことを、なさ容赦ようしゃなくてるさまからおにたとえていう。債鬼さいき(さいき)ともいう。
 
大津絵おおつえおに寒念仏かんねんぶつ[21]
あるひとつのことに精魂せいこんかたむけるひとをいう。用例ようれいとして「仕事しごとおに」「土俵どひょうおに
おにキャン
キャンバーかく過剰かじょうについた自動車じどうしゃ、またはその改造かいぞう
みにくさの象徴しょうちょうとして
おにじゅうはち番茶ばんちゃ出花でばな
おそろしいおにでも青年せいねんとき多少たしょううつくしいものである。容姿ようしわるくても、年頃としごろ時期じきには多少たしょう魅力みりょくてきえることのたとえ。
その
おに役回やくまわ
おにごっこかくれんぼで、ひとつかまえるやくをいう。「おにさん、こちら」などともちいる。
飲食いんしょくぶつ毒味どくみやく
おに(おにくい)、おに(おにのみ)。
おにおろ/おにろし/おにおろし(おにおろし)
おろし一種いっしゅ非常ひじょうあらく、大根だいこんなどをあら塊状かいじょうおろすことができる。「おろし#おにおろし」で詳説しょうせつ

その用法ようほう

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日本にっぽん鬼子おにご
にちちゅう戦争せんそうときかん民族みんぞくらが日本にっぽんへいのことをしてもちいるようになったのがはじまり[22]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ひとかみ あまねえきうんじんかみ曰鬼〈きょえらはん和名わみょう於邇あるせつうん於邇しゃかくれおとなまり也。おにぶつかくれ而不ほしあらわがた以称也〉」(『和名わみょうしょう』)など
  2. ^ れい論語ろんご先進せんしんへんといごと鬼神きじん曰、能事のうじじん、焉能事のうじおに』、「先祖せんぞ神霊しんれいにどうおつかえすべきか」とたい孔子こうしは「きているものにさえきちんとおつかえできていないのに、どうして、死者ししゃたましいにおつかえすることができよう」とこたえている。
  3. ^ 道隆みちたか当時とうじ頼通よりみち居所きょしょである東三条ひがしさんじょう殿どの以前いぜん所有しょゆうしゃどうやしきないにて病死びょうししていた。
  4. ^ 若尾わかお同書どうしょべられている。
  5. ^ ペンギン漢語かんご表記ひょうきとして「ひととり」があるが、「王様おうさまじんとり」という表記ひょうき確認かくにんできない。
  6. ^ ペンギンの漢語かんご表記ひょうきとして「ひととり」があるが、「皇帝こうていじんとり」という表記ひょうき確認かくにんできない。

出典しゅってん

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  1. ^ もん央子ようこあおあかしろみどり)・くろ おに五色ごしきのわけ」八木やぎとおる 監修かんしゅう日本にっぽんおに図鑑ずかんあおまぼろししゃ、2021ねん ISBN 978-4-86152-866-8 P160.
  2. ^ a b 小学しょうがくかん日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょおに項目こうもく渡辺わたなべ昭五しょうご 記名きめいはん)。
  3. ^ a b c d 吉成よしなりいさむへん日本にっぽん神話しんわ伝説でんせつ総覧そうらん新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ歴史れきし読本とくほん特別とくべつ増刊ぞうかん事典じてんシリーズ〉、1992ねん、244-245ぺーじISBN 978-4-4040-2011-6
  4. ^ 小山こやま聡子さとこ 2020, p. 159.
  5. ^ 小山こやま聡子さとこ 2020, pp. 159–164.
  6. ^ 西郷さいごう信綱のぶつな梁塵りょうじんしょう』 ちくま学芸がくげい文庫ぶんこ 初版しょはん2004ねんもと筑摩書房ちくましょぼうで1976ねん発刊はっかんISBN 4-480-08881-4
  7. ^ 古代こだい研究けんきゅうII 民俗みんぞくがくへん2』 折口おりぐち信夫しのぶ 解説かいせつ 池田いけだ弥三郎やさぶろう 角川かどかわ文庫ぶんこ 1975ねん p.47
  8. ^ a b 小山こやま聡子さとこ 2020, p. 158.
  9. ^ 中国ちゅうごくのほんのはなし(46)中国ちゅうごく亡霊ぼうれい説話せつわ 蔭山かげやま達弥たつや、Gaidai bibliotheca : 図書館としょかんほう. (186) (京都外国語大学きょうとがいこくごだいがく, 2009-10-10)
  10. ^ 小山こやま聡子さとこ 2020, pp. 152–153.
  11. ^ 小山こやま聡子さとこ 2020, pp. 154–155.
  12. ^ 中国ちゅうごくのほんのはなし(37)中国ちゅうごく怪奇かいき小説しょうせつ 蔭山かげやま達弥たつや、Gaidai bibliotheca : 図書館としょかんほう. (177) (京都外国語大学きょうとがいこくごだいがく, 2007-07-09)
  13. ^ , 博文ひろぶみ ([2019]). 本当ほんとうこわ日本にっぽんのしきたり オーディオブック. Pan roringu (Hatsubai). ISBN 978-4-7759-8631-8. OCLC 1108314699. http://worldcat.org/oclc/1108314699 
  14. ^ 若尾わかお五雄いつおおに伝説でんせつ研究けんきゅう大和やまと書房しょぼう、1981ねんのちに『日本にっぽん民俗みんぞく文化ぶんか資料しりょう集成しゅうせいだい8かん妖怪ようかい谷川たにがわけんいち へんさんいち書房しょぼう、1988ねん、『民衆みんしゅう遺産いさんだい2かんおに谷川たにがわ健一けんいち大和やまと岩雄いわお へん大和やまと書房しょぼう、2012ねんISBN 978-4-479-86102-7、に収録しゅうろく
  15. ^ 村上むらかみ政市まさいち 1997, p. 12.
  16. ^ Abe, Mikio; 阿部あべ幹男みきお (Heisei 16 [2004]). Okujōruri "Tamura sandaiki" kō : Tōhoku no Tamura-gatari : seisei to denshō (Shohan ed.). Tōkyō: Miyai Shoten. ISBN 4-8382-9063-2. OCLC 54917236. https://www.worldcat.org/oclc/54917236 
  17. ^ a b 村上むらかみ政市まさいち 1997, p. 6.
  18. ^   げん奘 (中国ちゅうごく), だいから西域せいいき/11, ウィキソースより閲覧えつらん 
  19. ^ 自宅じたく腐乱ふらん死体したいとなっていた独居どっきょ女性じょせい検視けんしとむらかた鑑識かんしきがかりいのり――大阪おおさか府警ふけい変死へんしたい事件じけん簿』より〈4〉”. JBpress(日本にっぽんビジネスプレス). 2023ねん9がつ30にち閲覧えつらん
  20. ^ a b 露崎つゆさき史朗しろう. “言語げんご: ラテン語らてんご・ギリシャ”. 公式こうしきウェブサイト. 北海道大学ほっかいどうだいがく. 2019ねん5がつ18にち閲覧えつらん。 “diabolicus おにの, おおきく荒々あらあらしい”
  21. ^ おに念仏ねんぶつ - コトバンク
  22. ^ <コラム>「鬼太郎おにたろう」の「おに」は…わたし説明せつめい中国人ちゅうごくじん観光かんこうきゃくわら”. レコードチャイナ (2017ねん12月9にち). 2017ねん12月23にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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