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貞松院 (諏訪市) - Wikipedia

さだまついん (諏訪すわ)

長野ながのけん諏訪すわにある浄土宗じょうどしゅう寺院じいん

さだまついん(ていしょういん)は長野ながのけん諏訪すわ存在そんざいする浄土宗じょうどしゅう寺院じいん山号さんごうふゆ迎山むかえやま寺号じごうつきせんてら

さだまついん
所在地しょざいち 長野ながのけん諏訪すわ諏訪すわ2-16-21
位置いち 北緯ほくい3602ふん29.1びょう 東経とうけい13807ふん21.7びょう / 北緯ほくい36.041417 東経とうけい138.122694 / 36.041417; 138.122694座標ざひょう: 北緯ほくい3602ふん29.1びょう 東経とうけい13807ふん21.7びょう / 北緯ほくい36.041417 東経とうけい138.122694 / 36.041417; 138.122694
山号さんごう ふゆ迎山むかえやま
院号いんごう さだまついん
宗派しゅうは 浄土宗じょうどしゅう
本尊ほんぞん 阿弥陀如来あみだにょらい
創建そうけんねん ぶんろく2ねん1593ねん
開山かいさん てんはちすしゃたかしこくあきら上人しょうにん
公式こうしきサイト さだまついん
法人ほうじん番号ばんごう 9100005007955 ウィキデータを編集
貞松院の位置(長野県内)
貞松院
さだまついん
さだまついん (長野ながのけん)
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概要がいよう

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てらでんによれば、天台宗てんだいしゅう慈雲じうんいんとして草創そうそうされ、ぶんろく2ねん(1593ねん)に増上寺ぞうじょうじ10せいかんほまれそんさだ上人しょうにん高弟こうていであるてんはちすしゃたかしこくあきら上人しょうにんによって浄土宗じょうどしゅう寺院じいんとして開山かいさんした。2だい諏訪すわはんあるじ諏訪すわただしつね正保まさやす2ねん(1645ねん)に逝去せいきょした生母せいぼさだまついん回向えこうのため、寺領じりょう40せき広大こうだい山林さんりん寄進きしんした。

諏訪すわはんあづけられ、配流はいるされた松平まつだいらただしてる生前せいぜんとういんえんじほまれ上人しょうにん懇意こんいで、遺志いしによりとういんほうむられ、「さびりんいん殿どのこころほまれてるまどがつせんだい居士こじ」の法号ほうごうおくられた。5だい将軍しょうぐん徳川とくがわ綱吉つなよし回向えこうりょうとして伊那いなぐんさんにち町村ちょうそんげん箕輪みのわまち)の30せき寄進きしんし、幕末ばくまつまで当地とうち浄土宗じょうどしゅうさわあたまとしての寺格じかくたもった。ちゅうてる墓地ぼち諏訪すわ史跡しせき指定していされている。

寺宝じほうちゅうてる寄進きしんした生母せいぼちゃおもねきょく形見かたみ絹本けんぽんちょしょく阿弥陀あみださんみこと來迎らいごうがあり、のべたから2ねん(1674ねん)のめい寄進きしんじょうとともに長野ながのけん指定してい文化財ぶんかざい指定していされている。

江戸えど時代じだい度々どど火災かさいったが、現存げんそんする庫裡くりよしみひさし元年がんねん(1848ねん)に再建さいけん本堂ほんどう昭和しょうわ10ねん(1935ねん)に再建さいけんされた。本尊ほんぞん阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞうわきさむらいとして観音かんのん勢至せいしりょう菩薩ぼさつである。開山かいさん当初とうしょわきさむらい木造もくぞう不動明王ふどうみょうおう坐像ざぞう木造もくぞう毘沙門天びしゃもんてんぞうでともに諏訪すわ指定してい文化財ぶんかざいとなっている。

交通こうつうアクセス

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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