貞さだ松まつ院いん(ていしょういん)は長野ながの県けん諏訪すわ市しに存在そんざいする浄土宗じょうどしゅうの寺院じいん。山号さんごうは冬ふゆ迎山むかえやま。寺号じごうは月つき仙せん寺てら。
寺てら伝でんによれば、天台宗てんだいしゅう慈雲じうん院いんとして草創そうそうされ、文ぶん禄ろく2年ねん(1593年ねん)に増上寺ぞうじょうじ10世せい感かん誉ほまれ存そん貞さだ上人しょうにんの高弟こうていである天てん蓮はちす社しゃ隆たかし国こく無む哲あきら上人しょうにんによって浄土宗じょうどしゅう寺院じいんとして開山かいさんした。2代だい諏訪すわ藩はん主あるじ諏訪すわ忠ただし恒つねが正保まさやす2年ねん(1645年ねん)に逝去せいきょした生母せいぼ貞さだ松まつ院いんの回向えこうのため、寺領じりょう40石せきと広大こうだいな山林さんりんを寄進きしんした。
諏訪すわ藩はんに預あづけられ、配流はいるされた松平まつだいら忠ただし輝てるは生前せいぜん、当とう院いんの演えんじ誉ほまれ上人しょうにんと懇意こんいで、遺志いしにより当とう院いんに葬ほうむられ、「寂さび林りん院いん殿どの心こころ誉ほまれ輝てる窓まど月がつ仙せん大だい居士こじ」の法号ほうごうを贈おくられた。5代だい将軍しょうぐん徳川とくがわ綱吉つなよしは回向えこう料りょうとして伊那いな郡ぐん三さん日にち町村ちょうそん(現げん箕輪みのわ町まち)の30石せきを寄進きしんし、幕末ばくまつまで当地とうちの浄土宗じょうどしゅうの触さわ頭あたまとしての寺格じかくを保たもった。忠ちゅう輝てるの墓地ぼちは諏訪すわ市しの史跡しせきに指定していされている。
寺宝じほうに忠ちゅう輝てるが寄進きしんした生母せいぼ茶ちゃ阿おもね局きょくの形見かたみの絹本けんぽん著ちょ色しょくの阿弥陀あみだ三さん尊みこと來迎らいごう図ずがあり、延のべ宝たから2年ねん(1674年ねん)の銘めいを持もつ寄進きしん状じょうとともに長野ながの県けん指定してい文化財ぶんかざいに指定していされている。
江戸えど時代じだいに度々どど火災かさいに遭あったが、現存げんそんする庫裡くりは嘉よしみ永ひさし元年がんねん(1848年ねん)に再建さいけん、本堂ほんどうは昭和しょうわ10年ねん(1935年ねん)に再建さいけんされた。本尊ほんぞんは阿弥陀如来あみだにょらい坐像ざぞう、脇わき侍さむらいとして観音かんのん・勢至せいし両りょう菩薩ぼさつである。開山かいさん当初とうしょの脇わき侍さむらいは木造もくぞう不動明王ふどうみょうおう坐像ざぞうと木造もくぞう毘沙門天びしゃもんてん像ぞうでともに諏訪すわ市しの指定してい文化財ぶんかざいとなっている。
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