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赤木健介 - Wikipedia

赤木あかぎ 健介けんすけ(あかぎ けんすけ、1907ねん3月2にち - 1989ねん11月7にち)は、日本にっぽん詩人しじん歌人かじん編集へんしゅうしゃ歴史れきし[1]本名ほんみょう赤羽あかはね 寿ひさし(あかばね ひさし)、別名べつめい伊豆いず 公夫きみお(いず きみお)[1]

来歴らいれき

編集へんしゅう

青森あおもりまれ[1]九州きゅうしゅう帝国ていこく大学だいがく法文学部ほうぶんがくぶ中退ちゅうたい姫路ひめじ高等こうとう学校がっこう時代じだいから『アララギ』に投稿とうこう1928ねんさんいち事件じけん以来いらい左翼さよく運動うんどう挺身ていしん1933ねん検挙けんきょ投獄とうごく1935ねん出獄しゅつごくののち、渡辺わたなべ順三じゅんぞうらの『短歌たんか評論ひょうろん』に参加さんか1932ねん唯物ゆいぶつろん研究けんきゅうかいぞくし、日本にっぽん共産党きょうさんとう入党にゅうとうする[1]が、1938ねん一斉いっせい検挙けんきょにあい、1944ねん判決はんけつくだって下獄げごく。このあいだ1940ねんに「りし東洋とうよう詩人しじんたち」でだい4かい透谷とうこく文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうした[1]敗戦はいせん1945ねん10月に連合れんごうぐんにより解放かいほうされる[1]戦後せんごは、民主みんしゅ主義しゅぎ科学かがくしゃ協会きょうかい所属しょぞく1946ねん日本にっぽん共産党きょうさんとう入党にゅうとう1949ねん、『アカハタ編集へんしゅう文化ぶんか部長ぶちょう[1]しん日本にっぽん歌人かじん協会きょうかい所属しょぞく、また『人民じんみん文学ぶんがく』にもかかわり、1951ねん編集へんしゅうちょう就任しゅうにんした[1]1956ねん-1980ねん春秋しゅんじゅうしゃ勤務きんむ[1]

左翼さよくとして戦後せんご活躍かつやくした赤木あかぎだが、伊豆いず公夫きみお名義めいぎ1942ねん出版しゅっぱんした歌集かしゅう意慾いよく』には太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせんれいさんする「決戦けっせん」といううた掲載けいさいされていた。戦後せんご赤木あかぎ古本屋ふるほんやまわってこのほんあつめ、自宅じたくいたとうわさされている。

この7しゅ短歌たんかについて、「わたし戦時せんじちゅうレジスタンス汚点おてん」「終生しゅうせい汚辱おじょく」とのちにべた[2]

なお、1954ねん刊行かんこうされた詩集ししゅうスターリン讃歌さんか』の編集へんしゅうつとめており、同書どうしょには、かれ収録しゅうろくされている。

著書ちょしょ

編集へんしゅう
  • 日本にっぽん古代こだいくさむらぶんかく 1933
  • 明日あした 伊豆いず公夫きみお詩集ししゅう赤木あかぎ健介けんすけ 綜合そうごう書院しょいん、1935
  • 日本にっぽん史學しがく : 日本にっぽん歴史れきし研究けんきゅう基礎きそ伊豆いず公夫きみお しろあげしゃ 1936.5[3]
  • 新井あらい白石はくせき伊豆いず公夫きみお しろあげしゃ 1938
  • りし東洋とうよう詩人しじんたち』 はくようしゃ 1940
  • 人生じんせいろんはくようしゃ 1940
  • 世界せかい入門にゅうもんはくようしゃ 1940
  • 世界せかい歴史れきしはなし田中たなかそうさかえどう 1942 (青少年せいしょうねん文化ぶんか読本とくほん)
  • 路程ろていしるべはくようしゃ 1942
  • 読書どくしょ案内あんない伊藤いとう書店しょてん 1942
  • 意慾いよく 歌集かしゅう文化ぶんか再出発さいしゅっぱつかい 1942 (魚鱗ぎょりん叢書そうしょ)
  • 交響こうきょうきょくだいきゅうばん 詩集ししゅう伊藤いとう書店しょてん 1943
  • 短歌たんか理論りろんあきらもりしゃ 1944
  • 青年せいねんに愬ふ』 伊豆いず公夫きみお 伊藤いとう書店しょてん 1946 (人民じんみんぐんしょ)
  • 日本にっぽん古代こだい光文社こうぶんしゃ 1946
  • 歴史れきしがく入門にゅうもん霞ケ関かすみがせき書房しょぼう札幌さっぽろ支社ししゃ 1947
  • 日本にっぽん史学しがく伊豆いず公夫きみお 月曜げつよう書房しょぼう 1947
  • 現代げんだい ふたつの現在げんざい瞬間しゅんかんに』 九州きゅうしゅう評論ひょうろんしゃ 1947
  • 社会しゃかい発展はってん理論りろん伊豆いず公夫きみお 青木あおき書店しょてん 1948
  • 英雄えいゆう民衆みんしゅう 歴史れきし物語ものがたり伊豆いず公夫きみお 労働ろうどう文化ぶんかしゃ 1948
  • 日本にっぽん文化ぶんか研究けんきゅう だい1かん伊豆いず公夫きみお 月曜げつよう書房しょぼう 1948
  • 青年せいねんのための世界せかい歴史れきし伊豆いず公夫きみお せいはたしゃ 1948
  • 世界せかい歴史れきし伊豆いず公夫きみお ナウカしゃ 1948 (ナウカ講座こうざ)
  • りし東洋とうよう詩人しじんたち』 史学しがくしゃ 1948
  • 敍事詩じょじししゅう赤木あかぎ健介けんすけ せいはたしゃ 1949.3 限定げんていばん[4]
  • なにむべきか マルクス主義まるくすしゅぎ文献ぶんけん解説かいせつ伊豆いず公夫きみお せいはたしゃ 1949
  • 人民じんみん世界せかい伊豆いず公夫きみお せいはたしゃ 1949
  • 日本にっぽん現代げんだい基礎きそ知識ちしき 現代げんだい日本にっぽんさんじゅうねん伊豆いず公夫きみお 世界せかい評論ひょうろんしゃ 1949 (しんらしい知識ちしき講座こうざ)
  • 青年せいねんろん伊豆いず公夫きみお 明地めいち書店しょてん 1949
  • 世界せかい文学ぶんがく労働ろうどう教育きょういく協会きょうかい 1949
  • 人生じんせい古典こてん 生活せいかつ智慧ちえ伊豆いず公夫きみお しろあげしゃ 1949
  • 短歌たんか教室きょうしつどうひかりしゃ磯部いそべ書房しょぼう 1952
  • 日本にっぽん歴史れきし伊豆いず公夫きみお 駿台すんだいしゃ 1953
  • あたらしい読書どくしょ案内あんない なにをどうんだらよいか』 泰光やすみつどう 1954 (教育きょういく選書せんしょ)
  • 歴史れきしをつくる人間にんげん 人物じんぶつえがいたあたらしい日本にっぽん歴史れきし伊豆いず公夫きみお 文理ぶんり書院しょいん 1956
  • 青春せいしゅん人生じんせいろん泰光やすみつどう 1956 (教養きょうよう選書せんしょ)
  • 『やさしい短歌たんかつくかた文理ぶんり書院しょいん 1957 (みどり新書しんしょ)
  • 複眼ふくがん 詩集ししゅう起点きてんしゃ 1969
  • 赤木あかぎ健介けんすけ歌集かしゅうぜん3かん 短歌新聞社たんかしんぶんしゃ 1979-1985
  • はな大根だいこん 赤羽あかはね美禰子みねこ一生いっしょう』 ベルデ出版しゅっぱんしゃ 1987.12
  • 『Requiem 鎮魂歌ちんこんか歌集かしゅう ベルデ出版しゅっぱんしゃ 1988.11
  • いちとう凝視ぎょうしめて : 赤木あかぎ健介けんすけ拾遺しゅういしゅう増岡ますおか敏和としかず上原うえはらあきらさんへん ながらみ書房しょぼう 1992.2

共著きょうちょ

編集へんしゅう
  • 日本にっぽん軍事ぐんじ発達はったつ伊豆いず公夫きみお松下まつした芳男よしお 三笠みかさ書房しょぼう 1938
  • 近代きんだい主義しゅぎ批判ひはん伊豆いず公夫きみおへん 同友どうゆうしゃ 1949
  • 日本にっぽんのうたごえ』 壷井つぼい繁治しげじ共著きょうちょ 淡路あわじ書房しょぼう 1955

翻訳ほんやく

編集へんしゅう
  • 入門にゅうもん百科全書ひゃっかぜんしょだい1-4 ナオミ・ミッチソン しろあげしゃ 1942-1943

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう

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  • 日本にっぽん近代きんだい文学ぶんがくだい事典じてん
  • 進歩しんぽてき文化ぶんかじん 学者がくしゃ先生せんせい戦前せんぜん戦後せんご言質げんちしゅう全貌ぜんぼうしゃ 1957ねん