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鍛冶 - Wikipedia

鍛冶たんや(かじ、たんや)は、金属きんぞく鍛錬たんれんして製品せいひん製造せいぞうすること。「かじ」は、「かねち」(かねうち)に由来ゆらいし、「かぬち」「かんぢ」「かじ」と変化へんかした。この鍛冶たんやごうとする職人しょくにんみせ鍛冶屋かじやともいう。

かたなつく職人しょくにんは「刀鍛冶かたなかじ」「刀工とうこう」などとばれる。

日本にっぽんでは大化たいか改新かいしん前後ぜんご時代じだい鍛冶たんや従事じゅうじしていた部民ぶみん鍛冶たんや(かぬちべ)という。また、忍海おしみかんじんのような渡来とらいじんけい人々ひとびと存在そんざいした。古代こだい末期まっきより職人しょくにんないでの分化ぶんかすすみ、てつどうぎんなど種類しゅるいべつかれ、そのうちたんに「鍛冶たんや」とえば、てつ加工かこう鍛冶たんやすようになった。 この時代じだい鉄器てっきおも浸炭しんたん鍛造たんぞうであり、はがねきん)と錬鉄れんてつ地金じがね)の区分くぶん十分じゅうぶんになされていなかった[1]てつきたえてかえし、れてワカシけをし、またきたえる工程こうていかえして、不純物ふじゅんぶつのぞきながら整形せいけいされていた。てつ貴重きちょうひんであり、鉄器てっき保有ほゆうできるひとかぎられていた。

中世ちゅうせいはいるとてつ供給きょうきゅうえ、おおくのひと鉄器てっき利用りようできるようになり鉄器てっき工業こうぎょう技術ぎじゅつおおきく発展はってんした[1]製鉄せいてつほう発達はったつし、はがねるケラほう銑鉄せんてつるズクほう確立かくりつした。られたばかりの銑鉄せんてつ(ズクてつ)はねばりがなく融点ゆうてんひくいことから鋳物いものもちいられた。また、銑鉄せんてつ長時間ちょうじかんあつ炭素たんそ酸化さんかさせ鍛造たんぞうしたものが軟鉄なんてつ包丁ほうちょうてつ)であり、この工程こうていだい鍛冶たんやんだ[1]軟鉄なんてつ純度じゅんどたか加工かこう容易よういであり、焼入やきいれのできるはがねわせてあたらしい種類しゅるい刃物はものつくられるようになった。 鍛冶屋かじや専門せんもんせいによって細分さいぶんされ、刀鍛冶かたなかじ農具のうぐ鍛冶たんや鍛冶たんや)・鉄砲てっぽう鍛冶たんや庖丁ほうちょう鍛冶たんやなどつく品目ひんもくによって分化ぶんかされるようになった。

また、各地かくち特産とくさん形成けいせいされ、和泉いずみさかい庖丁ほうちょう播磨はりま三木みき大工だいく道具どうぐ越後えちご三条さんじょう越前えちぜん武生たけふかま近江おうみ甲賀こうが土佐とさ山田やまだ木挽こびきのこなどがその代表だいひょうかくであった。

むら々の鍛冶たんやは、屋外おくがいにて砂鉄さてつからたたらもちいて精錬せいれんするのが普通ふつうであったが、近世きんせい後期こうきたたら普及ふきゅうしたことで生産せいさん効率こうりつ向上こうじょうして以前いぜんよりも大量たいりょう生産せいさん可能かのうとした。中国ちゅうごく山地さんちてつ供給きょうきゅうする製鉄せいてつ専業せんぎょう集団しゅうだん成立せいりつして以来いらい材料ざいりょうてつ他所よそから調達ちょうたつ鍛造たんぞう作業さぎょうのみをおこな鍛冶かじ成立せいりつするようになった[2]。また、鍛冶たんやなかにもむら々をまわって鍛冶たんやおこなだししょく(でじょく)といちしょ町村ちょうそん商売しょうばいおこな居職いじょく(いじょく)がいたが、江戸えど時代じだい大名だいみょうによる保護ほご統制とうせい政策せいさくによって城下町じょうかまち特定とくてい農村のうそんでの居職いじょく推進すいしんされた。

明治めいじはいり、近代きんだいてき製鉄せいてつ技術ぎじゅつ導入どうにゅうによってだい部分ぶぶん廃業はいぎょう余儀よぎなくされて、ちん労働ろうどうくわえられたり、まったくの業種ぎょうしゅてんじたりするものもいた。しかし、なかにはその知識ちしき技術ぎじゅつかして、金属きんぞく加工かこうぎょうてんじて機械きかい部品ぶひん生活せいかつ用具ようぐ生産せいさんにあたるまち工場こうじょうひらいたものもおり、日本にっぽん近代きんだい工業こうぎょうささえる裏方うらかたとなったものおおかった。現在げんざいでは伝統でんとうてき技法ぎほう継承けいしょうする鍛冶たんや非常ひじょうすくなくなっている。

鍛冶たんや鍛治かじ

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鍛冶かじ鍛治かじもそもそも漢語かんごにはないかたりで、古代こだい日本にっぽんで「かじ」を鍛冶たんやいたもの。鍛工たんこうきたえ冶金やきんの冶をあわせて鍛冶たんや(かじ)としたものらしい[3]大田おおた南畝なんぽによれば鍛冶かじ鍛治かじくのは和名わみょうしょうころからみられるなまり(あやま)りであるとする[4]

また、中世ちゅうせいおおくの辞書じしょでは「きたえ」ではなく「(か)」のてるのがただしいとされていたが、世間せけんでは漢字かんじ鍛冶たんや(タンヤ)と鍜治かじ(カヂ)の字形じけいていることから混同こんどうされた[5]室町むろまち時代じだいの『節用せつようしゅう』には、「鍛冶たんや」をカヂと発音はつおんするのはあやまりであるが、このあやまりをあらためることができないとしるされている[5]鍛冶かじを「かじ(かぢ)」と平成へいせい22ねん2010ねん)に常用漢字じょうようかんじひょう追加ついかされ、公式こうしき日本語にほんごとしてみとめられた[5]

非常ひじょうふるくからある異字いじであるための(おさめる・ととのえる)字義じぎからたたいてなおすことを「鍛治かじ」と区別くべつしているようなれいられる。一般いっぱんには金属きんぞく鋳造ちゅうぞうなど普通ふつう名詞めいしをふくめて「かじ」は鍛冶かじき、鍛治かじ人名じんめい地名ちめいなど特別とくべつ固有名詞こゆうめいしあつかいとなる。

著名ちょめい鍛冶たんや

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かみ伝説でんせつ
  • 北欧ほくおう神話しんわDvalinnen:Durinnイーヴァルディレギンブロックとエイトリ(シンドリ)
  • en:Loan Maclibuin - ノルウェーの伝説でんせつの「ドロンハイムのダークスミス」としてられる。ノルウェーおうWynpet(ふうかんむり)のだいなな。ダークははだいろくろくなっていることからけられた。
  • ヴェルンド - ゲルマンじん伝承でんしょう登場とうじょうする鍛冶たんや
  • トバルカイン - 旧約きゅうやく聖書せいしょ登場とうじょうするはじめててつどう刃物はものきたえた鍛冶たんや始祖しそ
中国ちゅうごく
  • おう冶子 - 春秋しゅんじゅう時代じだい末期まっきこしくに刀鍛冶かたなかじ[6]たから剑のほかおおくの名剣めいけんつくげた。
  • すすむ・莫耶 - 春秋しゅんじゅう時代じだい鍛冶屋かじや夫婦ふうふ。「莫耶」はおう冶子のむすめで、すすむ・莫耶とおう冶子は同門どうもんであったとされる。
日本にっぽん
ヨーロッパ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 朝岡あさおか田辺たなべ 1982, pp. 69–71.
  2. ^ 朝岡あさおか康二こうじ鍛冶たんや』 <ものと人間にんげん文化ぶんか>85 法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく 1998ねんISBN 978-4-588-20851-5 pp.10-11.
  3. ^ なる漢字かんじ辞典じてん加納かのう喜光よしみつ東京とうきょうどう出版しゅっぱん2000ねん
  4. ^ 大田おおた南畝なんぽ全集ぜんしゅう」(岩波書店いわなみしょてん1990ねん)P.513
  5. ^ a b c 田島たじまゆう『あて素性すじょう常用漢字じょうようかんじひょう付表ふひょう」の辞典じてんふうなかだちしゃ 2019ねん ISBN 978-4-8331-2105-7 pp.80-81.
  6. ^ こしぜっしょ

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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