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雁 - Wikipedia

かり

カモよりおおきくハクチョウよりちいさい一群いちぐん総称そうしょう

かり(がん、かり、異字いじかり)は、カモカモガン水鳥みずとりのうち、カモよりおおきくハクチョウよりちいさい一群いちぐん総称そうしょう

カナダガン
伊藤いとう若冲じゃくちゅうあしかり』 18世紀せいき
かり図案ずあんした日本にっぽん家紋かもんふた雁金かりがね

宮城みやぎけんけんとり埼玉さいたまけん川越かわごえとり指定していされている。枕詞まくらことばは「とおひと」。

東西とうざい狩猟しゅりょう対象たいしょうであったが、日本にっぽんでは急速きゅうそく減少げんしょうから保護鳥ほごちょう対象たいしょうとなり、現在げんざいでは禁猟きんりょう

マガンカリガネヒシクイなどが生息せいそくし、北海道ほっかいどう宮島みやじまぬま宮城みやぎけん伊豆沼いずぬまなどにふゆとりとして飛来ひらいする。家紋かもんかり金紋きんもん(かりがねもん)として図案ずあんされ、小串こぐし柴田しばた真田さなだなどの使用しようがある。

ハイイロガンまたはサカツラガン原種げんしゅとする家禽かきんは、ガチョウ鵞鳥がちょう)とばれる。なおノガンかり)は、ノガンとりでありおなじく「ガン」と呼称こしょうするがまったくべつたねである。

美味びみであることから、近代きんだい以前いぜん日本にっぽんではひろ食用しょくようとされた。ただし、個体こたいすう減少げんしょうから、1970ねん以降いこう狩猟しゅりょうきんじられている。

兼好けんこう法師ほうし随筆ずいひつ徒然草つれづれぐさ』(14世紀せいき前半ぜんはんだい118だんにもかりにく登場とうじょうし、後醍醐天皇ごだいごてんのう時代じだいには皇后こうごうのような社会しゃかいさい上位じょういそう人間にんげんにまでべられていたことがわかる。同書どうしょによれば、中世ちゅうせい日本にっぽんではキジもっと品位ひんいたかとりとされ、天皇てんのう皇后こうごう御湯おゆ殿上てんじょう女官にょかんしょおよび簡易かんいてき調理場ちょうりば)のたなうえに、調理ちょうりまえ死体したい姿すがたくことをゆるされたとりはキジだけだった。ところが、あるとき、後醍醐天皇ごだいごてんのう中宮なかみや正妃せいひ)である西園寺さいおんじ禧子よしこ宮殿きゅうでん御湯おゆ殿上てんじょうたなうえに、キジより品位ひんいおとかり死体したいがそのままの姿すがたかれていた。それをてびっくりしたもと太政大臣だじょうだいじん西園寺さいおんじみのるけん禧子よしこ父親ちちおや)は、すえむすめである禧子よしこ散々さんざん小言こごとらわせたという。

四条しじょうりゅう庖丁ぼうちょうどう料理りょうりしょである『四条しじょうりゅう庖丁ぼうちょうしょ』(15世紀せいき)にも調理ちょうりほう解説かいせつされている。

雁行がんこう

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首領しゅりょう先頭せんとうとしてれつつくって習性しゅうせいがあり、このれつ雁行がんこうぶ。こうさんねんやくでは源義家みなもとのよしいえはガンのれつはやしうえみだれたためにてきせしてることを見破みやぶったとつたえられている。こうさんねんやく合戦かっせん絵巻えまきにも雁行がんこうみだれののこされている。

かり登場とうじょうする作品さくひん

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関連かんれん項目こうもく

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とり一般いっぱんめい記事きじ

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