森田富士郎は小学校の同級生だが、大映京撮へは森田より遅れての入社となった。映画監督の稲垣浩と伊藤大輔は叔父に当たる。京都市鳴滝に住み続け、「今も鳴滝から出ていかないのは、『鳴滝組』というものが昔にあって、いろいろな監督連中や脚本家連中が出てきた土地だから。そういうところで育ちましたからね。『よっしゃ、俺だって!』という気持ちがあったんです」と語っている。
日米合作映画『あしやからの飛行』で森田富士郎とともに特撮を担当したが、アメリカ式の撮影方法はフィルムの長回しで、1日に1 - 2万フィートのフィルムを消費するが、日本式の撮影方法はOK尺数だけ撮るというもので、そもそも生フィルムも完成プリントの予想尺の2倍しか支給されなかった。このため、アメリカ側が「日本のフィルムの仕上がり量が少なすぎる、日本の特撮班は仕事をしていないのではないか」と疑い始め、アーノルド・ギレスビー[4] が様子を見に来日。が、ラッシュ・フィルムを見たギレスビーは黒田らの撮った飛行特撮シーンの出来がよいことに驚き、「あの(小さい)セットでこれだけ撮れたら大したものだ」と安心して帰っていったという。
この『あしやからの飛行』ではブルーバック合成が使われたが、この際のブルーバックはホリゾントを青く塗ったものが使われた。しかしこの手法は照明を均一に当てるのが難しく、色ムラが多く、照明の熱で青色が褪せてしまうなど問題が多かった。しかも米国UA社は東京現像所を信用せず、技術はすべて米国に持ち帰ってしまった。撮影担当の森田富士郎がこれを惜しんで、ブルーバックを個人的に研究し、デモフィルムが成功したため、奥田久司が「京撮でどれだけトリックが使えるか試そう」と『大魔神』を企画。永田雅一社長も、当時1千万円近かった米国製の「ブルースクリーン」を京撮に導入してくれた。黒田は『大魔神』の企画を見て、まず師匠の伊藤大輔のところへ相談に行ったという。
『大魔神』では、森田と相談してスタッフの人選も行っている。「大魔神」役に橋本力を選んだのも黒田だった。黒田は橋本に「主役は君なんだよ」と声をかけ、かっと見開いた目の演技を指示。この大魔神の目の演技は大評判となった。黒田は「眼はものを言うんだから、電球で光る眼ではドラマが嘘になってしまう。ギョロッと光る眼がものを言うんです。怒りと悲しみ、そういう表情は、電球では表現できないですよ」と語っている。黒田は『大魔神シリーズ』では、クライマックスの魔神が暴れるシーンでは、上映フィルムに「ノッチ(音量)上げる」と指示を入れていた。「こういうのは劇場で見ないとわからない」と語っている。
『大魔神』などの特撮映画について、「大事なのはチームワーク」とし、「こういう映画は面白いんですよね。ラッシュの試写をスタッフで楽しんで観るというのは映画でもテレビでも大切ですよ。自分たちが作ったショットを見て、あんなことをやってる、それがどう映ったか、今度はこうやってみるか…、観る楽しさが無ければ、作品はうまくいかないですね」と語っている。
黒田は『ミラーマン』、『ジャンボーグA』と円谷プロのTV作品に参加しているが、これは、『ミラーマン』のプロデューサーである淡豊昭の要請である。1973年には、円谷英二が念願としていた特撮映画企画『竹取物語』を円谷プロで森田富士郎と二人で検討していた。脚本まで完成していたが、円谷一社長の急死によって頓挫してしまった。黒田は「『スター・ウォーズ』のようなメカニック特撮より、『竹取物語』や時代劇をベースにしたもののほうが日本の特撮には合っていると思うが、企画がどうも貧困なんですね」とも語っている。
『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』では、当初監督は三隅研次に依頼されたが、三隅は「こんなんようやらん、こんなん西部劇やないか」と難色を示し、引き受けなかった。が、若山は手押し車を橇にした雪山のアクションがどうしてもやりたいと熱望。これを受けて、「アクションが撮れる監督を」と、黒田にメガホンが渡された。
大映東京撮影所には「特撮課」があったが、大映京都撮影所にはとうとう倒産まで「特撮課」が作られず、黒田のクレジットも「特技監督」、「特撮監督」と称されなかった。これについて黒田は、「京都撮影所のあらゆるメンバーでやっていける、特別に(特撮課を)作らんでもやって見せるという気持ちがあったんだと思う」とし、「『大魔神』のスタッフだって、みんな時代劇や本編をやった人ばかりだし、どの作品だってそうです。いいスタッフさえ集まれば、できるということですよ。安田さんだって三隅さんだって『大魔神』やろうが、取り組む姿勢は同じですよ。決して手を抜くとか、そういうことは考えないですね。特撮だってドラマと同じなんだから、それでいいという考えだったんでしょう」と語っている。
映画人生を振り返り、「胸を張れること」として、担当作品の映画もテレビも、「ビデオ撮りは一本もなく、すべてフィルムだったこと」と語っている。
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- 「日本映画監督協会」公式サイト
- 『大映特撮コレクション 大魔神』(徳間書店)「黒田義之インタビュー」
- 『大魔神逆襲DVD』(大映ビデオ)黒田義之・森田富士郎対談
- 『子連れ狼 かくも格調高きプログラム・ピクチュア』(『子連れ狼 冥府魔道』DVD・特典ディスク)
- 『日刊ゲンダイ』「あの人は今こうしている」2004年10月14日付記事
- 『蘇れ! 妖怪映画大集合!!』(竹書房)「黒田義之インタビュー」
- 『ミラーマン大全』(双葉社)「黒田義之インタビュー」