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メルセデス・ベンツ・C291 - Wikipedia

メルセデス・ベンツ・C291

C291から転送てんそう

メルセデス・ベンツ・C291は、メルセデス・ベンツ1991ねんスポーツカー世界せかい選手権せんしゅけん (SWC) 参戦さんせんよう製作せいさくしたグループC・カテゴリー1仕様しようスポーツプロトタイプカーである。

メルセデス・ベンツ・C291
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 1めい
ボディタイプ 2ドアクーペ
駆動くどう方式ほうしき MR
パワートレイン
エンジン M-291がた180Vがた12気筒きとう 3,500cc
最高さいこう出力しゅつりょく 600 PS/12,500 rpm
変速へんそく 6そくMT
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 2,700 mm
全長ぜんちょう 4,800 mm
全幅ぜんぷく 2,000 mm
ぜんこう 1,030 mm
車両しゃりょう重量じゅうりょう 750 - 790 kg
系譜けいふ
先代せんだい メルセデス・ベンツ・C11
後継こうけい メルセデス・ベンツ・C292
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概要がいよう

編集へんしゅう

モノコックはイギリスのDPSしゃ外注がいちゅうしたカーボンせいで、エンジンは180Vがた12気筒きとうのM291がたエンジンを使用しよう[1][2]。このM291がたエンジンは非常ひじょう独特どくとくであり、3気筒きとうぶんのヘッドとブロックが一体化いったいかされた「モノブロック」を4つわせて12気筒きとうとし、クランクシャフトの中間ちゅうかんからギアで出力しゅつりょくすセンターアウトプットとなっていた。ラジエーターはC11ではフロントに配置はいちされていたがC291からコックピット側面そくめんうつされた[3]

サスペンションは前後ぜんごともプルロッドしきだが、リヤはディフューザー干渉かんしょうしないようにコイルダンパーがトランスミッション上部じょうぶ配置はいちされる特異とくいなデザインになっている[4]。またトランスミッションはよこきで、当時とうじF1標準ひょうじゅんとなっていたエンジンとデファレンシャルギアのあいだにトランスミッションを配置はいちするレイアウトと、シーケンシャルシフトを採用さいようしている[5]タイヤグッドイヤー採用さいよう。ブレーキはブレンボせいでパッド、ローターともカーボンせいである[6]

Vがた180という特異とくいなエンジンレイアウトを採用さいようしたのは通常つうじょうVがたエンジンでは不可能ふかのう理想りそうてきなディフューザー形状けいじょう(エンジンがディフューザーのうえるようなデザインを計画けいかくしていた)を実現じつげんするためであったが[7]技術ぎじゅつてき課題かだいえることができずポルシェ・956のようにエンジンをかたむけて搭載とうさいしディフューザーの面積めんせき確保かくほすることになった[8]。フロントのダウンフォースはフロントカウル上部じょうぶのウイングによって獲得かくとくしている[4]

コンピュータシステムはモトロニックを開発かいはつしたエンジニアがボッシュからTAG移籍いせきしたため、1991ねんからTAGと共同きょうどう開発かいはつしたものを使用しようしている[9]。テレメトリー・システムはメルセデスTAGトロニックとばれるもので、前年ぜんねんまでのテレメトリーでは大半たいはんのデータをピットストップにECU(エレクトリック・コントロールユニット)からしていたが、メルセデスTAGトロニックではリアルタイムでデータをピットで受信じゅしんできるようになっていた[10]


戦績せんせき

編集へんしゅう

ザウバー・メルセデスは1991ねんのSWCにC291をフルエントリーさせたが、マシンの信頼しんらいせいひくジャガー・XJR-14プジョー・905たいして苦戦くせんいられることになる。

シーズン前半ぜんはん1989ねん1990ねんと2ねん連続れんぞくWSPCのドライバー・タイトルを獲得かくとくしているジャン=ルイ・シュレッサーと、ヨッヘン・マスる1号車ごうしゃC11使用しようし、2号車ごうしゃカール・ヴェンドリンガー/ミハエル・シューマッハくみのみC291を使用しようした。

開幕かいまくせん鈴鹿すずかだい2せんモンツァと2せんつづけて序盤じょばんにリタイアしたのちだい3せんシルバーストンはじめて完走かんそうし、ジャガーから1しゅうおくれの2はいった。

だい4せんル・マンでメルセデス・ベンツはC11を使用しようしたため、C291は予選よせんはしっただけだった[11]

だい5せんニュルブルクリンクから1号車ごうしゃもC291を使用しようするようになった。このレースからC291はエンジン、モノコック、フロントウインドウなどが軽量けいりょうされ、エンジンの出力しゅつりょく向上こうじょうした[12]。このモディファイによりこれまでジャガーにたい予選よせんやく3びょうをつけられていたものが、やく1びょう程度ていどにまでちぢめられるようになった。しかし信頼しんらいせいひくさは相変あいかわらずで、ニュルブルクリンク、つづだい6せんマニクールだい7せんメキシコと3せん連続れんぞく全滅ぜんめつという結果けっかわった[13]

シーズン最終さいしゅうせんオートポリス予選よせんではアンダーステアにくるしみ、予選よせん順位じゅんいでこれがデビューレースのトヨタ・TS010にもおくれを状況じょうきょうだった。しかしレースでは2号車ごうしゃがC291にとってのはつ優勝ゆうしょうかざり、1号車ごうしゃも5入賞にゅうしょうはじめて2だいども完走かんそうした。

メルセデスは1991ねんのSWCにC291をべ11だい出走しゅっそうさせたが、完走かんそうしたのはわずか3だいのみだった。C291の信頼しんらいせいひくさについてメルセデスは、エンジンのシリンダーブロックの精度せいど問題もんだいがあったとしている。このことはシーズンなかばにはづいていたが、それまでに製作せいさくした部品ぶひんについては使つかわざるをえなかったという[14]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 熊野くまの 1991, p. 20.
  2. ^ 鈴木すずき 2003, p. 47.
  3. ^ 熊野くまの 1991, pp. 22–23.
  4. ^ a b 熊野くまの 1991, p. 22.
  5. ^ 熊野くまの 1991, p. 21.
  6. ^ コットン 1991, p. 29.
  7. ^ コットン 1991, p. 27.
  8. ^ 鈴木すずき 2003, p. 44.
  9. ^ 鈴木すずき 2003, p. 46.
  10. ^ 熊野くまの 1991, p. 23.
  11. ^ 鈴木すずき 2003, p. 52.
  12. ^ 鈴木すずき 2003, pp. 52–53.
  13. ^ 鈴木すずき 2003, p. 56.
  14. ^ 『Racing On』No.110 たけしゅう書房しょぼう、1991ねん、p.26。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 熊野くまのまなぶ熊野くまのまなぶ徹底てっていメカニズム・リサーチ[SWC鈴鹿すずかへん]」『オートスポーツ』だい583かん三栄書房さんえいしょぼう、1991ねん 
  • マイケル・コットン「メルセデスC291開発かいはつストーリー」『オートスポーツ』だい590かん三栄書房さんえいしょぼう、1991ねん 
  • 鈴木すずき英紀ひでのり「シルバーアローの復活ふっかつ」『Sports-Car Racing』だい13かん、Sports-Car Racing Group、2003ねん 

関連かんれん項目こうもく

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