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日置ひおきとう津家つげ」のはんあいだ差分さぶん

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'''日置ひおきとう津家つげ'''(ひおきしまづけ)は、[[島津しまつ]]の[[庶家|支流しりゅう]]である[[武家ぶけ]]・[[士族しぞく]]・[[華族かぞく]]だったいえ。[[安土あづち桃山ももやま時代じだい]]の[[島津しまつとしひさ]]をとし、[[江戸えど時代じだい]]には[[薩摩さつまこく]][[鹿児島かごしまはん]][[島津しまつ|島津しまつ]]一門いちもん家臣かしんとして薩摩さつま[[日置ひおき|日置ひおき]]をりょうし、[[明治維新めいじいしん|維新いしん]]には華族かぞくの[[男爵だんしゃく]]れっせられた{{sfn|森岡もりおかひろし|2012|p=252}}。
'''日置ひおきとう津家つげ'''(ひおきしまづけ)は、[[島津しまつ]]の[[庶家|支流しりゅう]]である[[武家ぶけ]]・[[士族しぞく]]・[[華族かぞく]]だったいえ。[[安土あづち桃山ももやま時代じだい]]の[[島津しまつとしひさ]]をとし、[[江戸えど時代じだい]]には[[薩摩さつまこく]][[鹿児島かごしまはん]]島津しまつ一門いちもん家臣かしんとして薩摩さつま[[日置ひおき|日置ひおき]]をりょうし、[[明治維新めいじいしん|維新いしん]]には華族かぞくの[[男爵だんしゃく]]れっせられた{{sfn|森岡もりおかひろし|2012|p=252}}。


== 歴史れきし ==
== 歴史れきし ==
島津しまつ宗家そうけ15だい当主とうしゅ[[島津しまつ貴久たかひさ]]の三男さんなん[[島津しまつとしひさ]]をとする{{sfn|阿部あべたけし|西村にしむら圭子けいこ|1990|p=399}}。としひさ天正てんしょう8ねん(1580ねん)に[[薩摩さつまこく]][[祁答院けどういん]]で1まん7300せきあたえられ、[[宮之城みやのじょう|宮之城みやのじょう]]にじゅうしたが{{sfn|森岡もりおかひろし|2012|p=252}}、[[豊臣とよとみ秀吉ひでよし]]の[[九州きゅうしゅう平定へいてい]]朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺい出陣しゅつじんしないなど秀吉ひでよし反抗はんこうてき態度たいどおおかったためにぶんろく元年がんねん(1592ねん)に切腹せっぷくしょされた{{sfn|阿部あべたけし|西村にしむら圭子けいこ|1990|p=399}}。ぶんろく4ねん(1595ねん)にさんだい[[島津しまつ常久つねひさ|常久つねひさ]]が[[日置ひおきぐん]]日置ひおきさとてんふうとなり、以降いこう日置ひおきとう津家つげ」とばれるようになった{{sfn|森岡もりおかひろし|2012|p=252}}。江戸えど時代じだいいえろくは7700せき{{sfn|松田まつだ敬之たかゆき|2015|p=364}}{{sfn|華族かぞく大鑑たいかん刊行かんこうかい|1990|p=551}}。
島津しまつ宗家そうけ15だい当主とうしゅ[[島津しまつ貴久たかひさ]]の三男さんなんである[[島津しまつとしひさ]]をとする{{sfn|阿部あべたけし|西村にしむら圭子けいこ|1990|p=399}}。としひさ天正てんしょう8ねん(1580ねん)に[[薩摩さつまこく]][[祁答院けどういん]]で1まん7300せきあたえられ、[[宮之城みやのじょう|宮之城みやのじょう]]にじゅうしたが{{sfn|森岡もりおかひろし|2012|p=252}}、[[豊臣とよとみ秀吉ひでよし]]の[[九州きゅうしゅう平定へいてい]][[文禄・慶長ぶんろくけいちょうえき|朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺい]]出陣しゅつじんしないなど秀吉ひでよし反抗はんこうてき態度たいどおおかったためにぶんろく元年がんねん(1592ねん)に[[切腹せっぷく]]しょされた{{sfn|阿部あべたけし|西村にしむら圭子けいこ|1990|p=399}}。ぶんろく4ねん(1595ねん)に3だい[[島津しまつ常久つねひさ|常久つねひさ]]が[[日置ひおきぐん]]日置ひおきさとてんふうとなり、以降いこう日置ひおきとう津家つげ」とばれるようになった{{sfn|森岡もりおかひろし|2012|p=252}}。江戸えど時代じだいいえろくは7700せき{{sfn|松田まつだ敬之たかゆき|2015|p=364}}{{sfn|華族かぞく大鑑たいかん刊行かんこうかい|1990|p=551}}。


[[明治維新めいじいしん]]日置ひおきとう当初とうしょ士族しぞくれつしたが、華族かぞくへの叙爵じょしゃく運動うんどうおこない、明治めいじ33ねん5がつ9にちけで戊辰戦争ぼしんせんそうにおける賊徒ぞくと掃討そうとう功績こうせきもって[[島津しまつ久明ひさあき]]が男爵だんしゃくじょせられた{{sfn|松田まつだ敬之たかゆき|2015|p=366}}。
[[明治維新めいじいしん]]日置ひおきとう当初とうしょ士族しぞくれつしたが、華族かぞくへの叙爵じょしゃく運動うんどうおこない、明治めいじ33ねん5がつ9にちけで[[戊辰戦争ぼしんせんそう]]における賊徒ぞくと掃討そうとう功績こうせきもって[[島津しまつ久明ひさあき]]が男爵だんしゃくじょせられた{{sfn|松田まつだ敬之たかゆき|2015|p=366}}。


その養子ようし[[島津しまつしげる麿まろ|しげる麿まろ]]のだい日置ひおき島津しまつ男爵だんしゃく住居じゅうきょは[[鹿児島かごしまけん]][[鹿児島かごしま]][[鴨池かもいけまち]]にあった{{sfn|華族かぞく大鑑たいかん刊行かんこうかい|1990|p=551}}。
その養子ようし[[島津しまつしげる麿まろ|しげる麿まろ]]のだい日置ひおき島津しまつ男爵だんしゃく住居じゅうきょは[[鹿児島かごしまけん]][[鹿児島かごしま]][[鴨池かもいけまち]]にあった{{sfn|華族かぞく大鑑たいかん刊行かんこうかい|1990|p=551}}。


== 歴代れきだい当主とうしゅ ==
== 歴代れきだい当主とうしゅ ==
#[[島津しまつとしひさ]](宗家そうけ15だい[[島津しまつ貴久たかひさ]]の三男さんなん
#[[島津しまつとしひさ]](宗家そうけ15だい[[島津しまつ貴久たかひさ]]の三男さんなん
#[[島津しまつ忠隣ただちか]]([[薩州]]・[[島津しまつ義虎よしとら]]の三男さんなんとしひさむすめ婿むこ
#[[島津しまつ忠隣ただちか]]([[薩州]]・[[島津しまつ義虎よしとら]]の三男さんなんとしひさむすめ婿むこ
#[[島津しまつ常久つねひさ]]
#[[島津しまつ常久つねひさ]]
#[[島津しまつひさけい]](死後しご養子ようし[[島津しまつ久憲ひさのり|ひさ]]の讒言ざんげんにより、一時いちじ日置ひおき系図けいずよりけずられる)
#[[島津しまつひさけい]](死後しご養子ようし[[島津しまつ久憲ひさのり|ひさ]]の讒言ざんげんにより、一時いちじ日置ひおき系図けいずよりけずられる)
#[[島津しまつただしあさ (日置ひおき)|島津しまつただしあさ]](忠心ちゅうしんとも。初代しょだい[[薩摩さつまはん]]おも宗家そうけ18だい)[[島津しまつただしつね|家久いえひさ]]のじゅう二男じなん。[[かつら#島津しまづりゅうかつら|かつら]]をいでいたが日置ひおき当主とうしゅに)
#[[島津しまつただしあさ (日置ひおき)|島津しまつただしあさ]](忠心ちゅうしんとも。初代しょだい[[薩摩さつまはん]]おも宗家そうけ18だい)[[島津しまつただしつね|家久いえひさ]]のじゅう二男じなん。[[かつら#島津しまづりゅうかつら|かつら]]をいでいたが日置ひおき当主とうしゅに)
#[[島津しまつただしちく]](忠興ただおきひさちくとも)
#[[島津しまつただしちく]](忠興ただおきひさちくとも)
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#[[島津しまつひさはじめ]]
#[[島津しまつひさはじめ]]
#[[島津しまつひさとおる]]
#[[島津しまつひさとおる]]
#[[島津しまつひさ]](ひさいんとも。あに久典ひさのりの[[島津しまつたかひん]])が[[垂水たるみ]]をいだため家督かとく
#[[島津しまつひさ]](ひさいんとも。あに久典ひさのりの[[島津しまつたかひん]])が[[垂水たるみ]]をいだため家督かとく相続そうぞく
#[[島津しまつひさふう]]
#[[島津しまつひさふう]]
#[[島津しまつひさちょう (日置ひおき)|島津しまつひさしるし]]
#[[島津しまつひさちょう (日置ひおき)|島津しまつひさしるし]]
#[[島津しまつ久明ひさあき (日置ひおき)|島津しまつ久明ひさあき]]
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#[[島津しまつしげる麿まろ]](久明ひさあきおとうと[[島津しまつとしひろし|としひろし]]の嫡男ちゃくなん
#[[島津しまつしげる麿まろ]](久明ひさあきおとうと[[島津しまつとしひろし|としひろし]]の嫡男ちゃくなん
#[[島津しまつひさ欣]]
#[[島津しまつひさ欣]]
#[[島津しまつ晴久はるひさ (日置ひおき)|島津しまつ晴久はるひさ]]
#[[島津しまつ晴久はるひさ (日置ひおき)|島津しまつ晴久はるひさ]]
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== 脚注きゃくちゅう ==
== 脚注きゃくちゅう ==
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=== 出典しゅってん ===
=== 出典しゅってん ===
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== 参考さんこう文献ぶんけん ==
== 参考さんこう文献ぶんけん ==
* {{Cite book|和書わしょ|date=1990ねん平成へいせい2ねん)|title=戦国せんごく人名じんめい事典じてん コンパクトばん |author1=阿部あべたけし|author2=西村にしむら圭子けいこ|publisher=[[新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ]]|isbn=978-4404017529|ref=harv}}
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2024ねん5がつ10日とおか (金)きん 06:36時点じてんにおける最新さいしんばん

日置ひおきとう津家つげ(ひおきしまづけ)は、島津しまつ支流しりゅうである武家ぶけ士族しぞく華族かぞくだったいえ安土あづち桃山ももやま時代じだい島津しまつとしひさしとし、江戸えど時代じだいには薩摩さつまこく鹿児島かごしまはん島津しまつ一門いちもん家臣かしんとして薩摩さつま日置ひおきりょうし、維新いしんのちには華族かぞく男爵だんしゃくいえれっせられた[1]

歴史れきし

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島津しまつ宗家そうけ15だい当主とうしゅ島津しまつ貴久たかひさ三男さんなんである島津しまつとしひさしとする[2]としひさ天正てんしょう8ねん(1580ねん)に薩摩さつまこく祁答院けどういんで1まん7300せきあたえられ、宮之城みやのじょうじゅうしたが[1]豊臣とよとみ秀吉ひでよし九州きゅうしゅう平定へいていこう朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺい出陣しゅつじんしないなど秀吉ひでよし反抗はんこうてき態度たいどおおかったためにぶんろく元年がんねん(1592ねん)に切腹せっぷくしょされた[2]ぶんろく4ねん(1595ねん)に3だい常久つねひさ日置ひおきぐん日置ひおきさとてんふうとなり、以降いこう日置ひおきとう津家つげ」とばれるようになった[1]江戸えど時代じだいいえろくは7700せき[3][4]

明治維新めいじいしん日置ひおきとう当初とうしょ士族しぞくれつしたが、華族かぞくへの叙爵じょしゃく運動うんどうおこない、明治めいじ33ねん5がつ9にちけで戊辰戦争ぼしんせんそうにおける賊徒ぞくと掃討そうとう功績こうせきもっ島津しまつ久明ひさあき男爵だんしゃくじょせられた[5]

その養子ようししげる麿まろだい日置ひおき島津しまつ男爵だんしゃく住居じゅうきょ鹿児島かごしまけん鹿児島かごしま鴨池かもいけまちにあった[4]

歴代れきだい当主とうしゅ

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  1. 島津しまつとしひさし宗家そうけ15だい島津しまつ貴久たかひさ三男さんなん
  2. 島津しまつ忠隣ただちか薩州島津しまつ義虎よしとら三男さんなんとしひさむすめ婿むこ
  3. 島津しまつ常久つねひさ
  4. 島津しまつひさけい死後しご養子ようしひさ讒言ざんげんにより、一時いちじ日置ひおき系図けいずよりけずられる)
  5. 島津しまつただしあさ忠心ちゅうしんとも。初代しょだい薩摩さつまはんおも宗家そうけ18だい家久いえひさじゅう二男じなんかつらいでいたが日置ひおき当主とうしゅに)
  6. 島津しまつただしちく忠興ただおきひさちくとも)
  7. 島津しまつひさけん
  8. 島津しまつひさりん
  9. 島津しまつひさはじめ
  10. 島津しまつひさとおる
  11. 島津しまつひさひさいんとも。あに久典ひさのり島津しまつたかひん)が垂水たるみいだため家督かとく相続そうぞく
  12. 島津しまつひさふう
  13. 島津しまつひさちょう
  14. 島津しまつ久明ひさあき
  15. 島津しまつしげる麿まろ久明ひさあきおとうととしひろし嫡男ちゃくなん
  16. 島津しまつひさ
  17. 島津しまつ晴久はるひさ

りゃく系図けいず

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太字ふとじ当主とうしゅ実線じっせん実子じっし点線てんせん養子ようし。[ ]は、そのいえ意味いみする。
島津しまつ貴久たかひさ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
義久よしひさ義弘よしひろとしひさし1家久いえひさ
 
 
 
 
忠隣ただちか2
 
 
 
 
常久つねひさ3
 
 
 
 
ひさけい4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ひさちゅうあさ5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちゅうちく6[きよし太夫たゆう]
ひさちか
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ひさしけん7としせい[赤山あかやま]
赤山あかやまひさたつ
[山岡やまおか]
山岡やまおかひさえい
久富ひさとみ平田ひらたそうひさし
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ひさりん8ひさしょひさがら久芳くばひさおかふじすすむひさしちょうひさひん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ひさしはじめ9久田ひさたくだりじょう
 
 
 
ひさしとおる10
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
久典ひさのりひさ11
 
 
 
 
 
 
ひさふう12
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ひさちょう13赤山あかやま靭負ゆきえ田尻たじりつとむかつらひさたけ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
久明ひさあき14としひろし畠山はたけやまひさゆう常五郎つねごろう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
しげる麿まろ15ちん麿まろきく麿まろ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ひさ16久昭ひさあき勝年かつとし隆臣たかおみ
 
 
 
はれひさ17

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 阿部あべたけし西村にしむら圭子けいこ戦国せんごく人名じんめい事典じてん コンパクトばん新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1990ねん平成へいせい2ねん)。ISBN 978-4404017529 
  • 華族かぞく大鑑たいかん刊行かんこうかい華族かぞく大鑑たいかん日本にっぽん図書としょセンター日本人にっぽんじんぶつ叢書そうしょ7〉、1990ねん平成へいせい2ねん)。ISBN 978-4820540342 
  • 松田まつだ敬之たかゆき『〈華族かぞく爵位しゃくい請願せいがん人名じんめい辞典じてん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2015ねん平成へいせい27ねん)。ISBN 978-4642014724 
  • 森岡もりおかひろし日本にっぽん名門めいもん名家めいかだい辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、2012ねん平成へいせい24ねん)。ISBN 978-4490108217 
  • 島津しまつ修久のぶひさ島津しまつとしひさ自害じがい増補ぞうほ改訂かいていばん)』(島津しまつ顕彰あきらかい2000ねん10がつ
  • 稲葉いなば行雄ゆきお『「さつま」歴史れきし人名じんめいしゅう』(高城たかぎ書房しょぼう出版しゅっぱんISBN 4-924752-28-2