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島津久林 (日置家) - Wikipedia コンテンツにスキップ

島津しまつひさりん (日置ひおき)

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島津しまつひさりん
時代じだい 江戸えど時代じだい中期ちゅうき
生誕せいたん 元禄げんろく4ねん11月10にち1691ねん12月29にち
死没しぼつ 明和めいわ4ねんうるう9月25にち1767ねん11月16にち
改名かいめい ひさしあきらはつ)→ひさりん
別名べつめい 又吉またよし左衛門さえもん通称つうしょう
かみごう たい國閑かいごしんおとこいのち
墓所はかしょ 鹿児島かごしまけん日置ひおき日吉ひよしまち日置ひおき日置ひおきとう津家つげ菩提寺ぼだいじ(吉富よしとみさん大乗寺だいじょうじあと)
主君しゅくん 島津しまつつなたかよしたかまましゆたか
はん 薩摩さつまこく薩摩さつまはん
氏族しぞく 島津しまつ
父母ちちはは ちち島津しまつひさけん
はは不明ふめい
兄弟きょうだい ひさりんひさしょ
ひさしはじめ久田ひさた
テンプレートを表示ひょうじ

島津しまつ ひさりん(しまづ ひさもり)は、薩摩さつまこく薩摩さつまはん家老がろう日置ひおきとう津家つげだい8だい

家系かけい

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日置ひおき島津しまつは、島津しまつ宗家そうけ15だい当主とうしゅ島津しまつ貴久たかひさ三男さんなん島津しまつとしひさしはじまり、2だい常久つねひさ以降いこう薩摩さつまこく日置ひおきげん鹿児島かごしまけん日置ひおき日吉ひよしまち日置ひおき)をりょうした。明治めいじ33ねん1900ねん)に島津しまつ久明ひさあき男爵だんしゃくじょされ華族かぞくとなった。

略歴りゃくれき

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元禄げんろく4ねん(1691ねん)11がつ10日とおか薩摩さつまはん日置ひおきとう津家つげ嫡子ちゃくしひさけん長男ちょうなんとしてまれる。

元禄げんろく12ねん1699ねん)3がつ28にち鹿児島かごしまじょう登城とじょうして元服げんぷく藩主はんしゅつなとうと烏帽子えぼしおやとなり、理髪りはつやく国老こくろう島津しまつ久輝ひさてるつとめ、島津しまつ又吉またよしひさあきら名乗なのった。[1]

とおる12ねん1727ねん)10がつ4にち家督かとく相続そうぞくして薩摩さつまこく日置ひおき領主りょうしゅとなる。もとぶん3ねん1738ねんはんない家格かかく制定せいていにより、一門いちもんいち所持しょじよりうえ家格かかくだい身分みぶん筆頭ひっとうさだめられた。[2]

ひろし3ねん1743ねんうるう4がつ23にち隠居いんきょして家督かとく嫡男ちゃくなんひさしはじめゆずる。

明和めいわ4ねん(1767ねんうるう9がつ25にち死去しきょ

出典しゅってん

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  1. ^ 島津しまつ系譜けいふ
  2. ^ 鹿児島かごしまけん

参考さんこう文献ぶんけん

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