島津 光久
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生涯
[また、
また
その
系譜
[父 :島津 家久 (1576-1638)母 :島津 忠清 (島津 仲家 祖 、薩州家 島津 義虎 の三男 、島津 義久 の外孫 )の娘 養母 :島津 亀寿 (1571-1630) -義久 の三 女 [6]正室 :曹源院 殿 -伊勢 貞 豊 の娘 、島津 家 家老 ・伊勢 貞 昌 の孫娘 [7]継室 :陽 和 院 殿 -平松 時 庸 の養女 、交野 時貞 の娘 [9]側室 :和泉 忠 参 の姉 [10]側室 :新 納 忠頼 の娘 側室 :松沢 八右衛門 の娘 側室 :黒田 頼 清 の娘 側室 :救 仁 郷 頼 重 の娘 側室 :津留 正 将 の娘 側室 :玉利 重 親 の娘 側室 :有馬 純 実 の娘 側室 :塩田 国実 の娘 側室 :岩山 直 朝 の妹 側室 :味方 正信 の娘 津田 氏 の娘 [10]家 女房 (姓名 不 詳 )[注釈 2]三男 :島津 忠長 (1645-1670) -喜入 亀 二 郎 丸 の後嗣 のちに北郷 久 定 の後嗣 五男 :島津 久 達 (1651-1719) -伊勢 貞 衡(旗本 寄合 )の養子 のちに佐多 久利 の後嗣 七 男 :鎌田 正 長 (1656-1683) -鎌田 正勝 の養子 九 男 :喜入 久 亮 [12](1658-1722) -喜入 忠長 の後嗣 十 男 :島津 久明 (1659-1717) -島津 大蔵 家 祖 六 女 :万 鶴 [8](1661-1734) -北郷 忠昭 (平佐 北郷 家 )室 七 女 :千 亀 [8](1661-1722) -伊勢 貞 顕 室 十 一 男 :島津 久 当 [13](1661-1729) -島津 久 岑(佐志 島 津家 )の後嗣 十 二男 :外 記 (1665-1682) -夭折 十三男 :島津 久 記 [14](1665-1733) -島津 頼 母 家 祖 十 一 女 :千代 鶴 [8](1666-1684) -桂 忠 厚 (桂 外 記 家 )室 十 二 女 :千代松 [8](1667-1687) -種子島 伊 時 初 室 十 三 女 :鶴 千代 [8](1668-1733) -頴娃 久明 室 のち離別 十 六 男 :入来 院 重 矩 (1672-1735) -入来 院 規 重 の養子 十 七 男 :島津 久 房 [14](1673-1732) -島津 求 馬 家 祖 、島津 重 年 の外祖父 十 六 女 :松 鶴 [8](1673-1744) -島津 久 輔(市成 島 津家 )室 のち離別 十 七 女 :亀松 [8](1674-1694) -島津 忠 伴 (島津 助 之 丞 家 )室 十 八 男 :島津 久雄 (1680-1747) -島津 久 侶(新城 島 津家 )の養子 十 八 女 :亀 千 代 [8](1680-1682) -夭折 十 九 女 :徳 鶴 [8](1683-1725) -北郷 久 嘉 (平佐 北郷 家 )室 十 九 男 :税所 久 皎 [15](1687-1741) -高橋 種 周 の養子 のちに辞 し税所 氏 を冒 す
養子
脚注
[注釈
[出典
[- ^
村川 浩平 『日本 近世 武家 政権 論 』(近代 文芸 社 、2000年 )ISBN 4-8231-0528-1 - ^
今吉 弘 編 鹿児島 県 の不思議 事典 』(新人物往来社 、2003年 )ISBN 4-404-02994-2 - ^ 『
職掌 起原 』 - ^
木村 礎 ・藤野 保 ・村上 直 編 『藩 史 大 事典 7巻 九州 編 』(雄山閣 、2015年 )ISBN 4-639-00725-6 - ^
鶴屋 八幡 HP - ^
忠清 の母 ・御 平 とは姉妹 、光久 の曾祖 叔母 にあたる - ^
万治 元年 6月11日 (1658年 7月 11日 )死去 - ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『
島津 氏 正統 系図 』 - ^
寛永 15年 2月 3日 (1638年 3月18日 ) -正徳 元年 8月 12日 (1711年 9月24日 )後 光明 天皇 掌 侍 、万 治 2年 (1659年 )婚姻 - ^ a b 『
島津 氏 正統 系図 』には「母 ハ和泉 茂兵衛 忠 参 姉 」「実母 ハ津田 氏 女 日 アラ不 シテ死 ス時 ニ忠 参 姉 局 役 ヲ勤 メ命 ヲ受テ子 ト為 」とある - ^
島津 家久 は妹 の島津 御下 に三 千 石 の領地 を与 えた。御下 は島津 久元 (宮之城 島 津家 )と再婚 し久 近 を産 んだ。しかし久 近 が夭折 したため、御下 死後 にこの領地 をどうするかという問題 が持 ち上 がった。家久 は久元 の長男 ・島津 久通 (母 は久元 先 室 )にこの領地 を継 ぐように命 じたが、久通 は辞退 した。そのため御下 死後 、久 岑が御下 の領地 と遺臣 を継 ぎ、創設 されたのが佐志 島 津 家 である。 - ^ 「
旧記 雑録 拾遺 諸氏 系譜 三 」には「母 中井 五左衛門女也」とある - ^ 「
旧記 雑録 拾遺 諸氏 系譜 三 」には「母 松元 某 女 也」とある - ^ a b 「
旧記 雑録 拾遺 諸氏 系譜 三 」には「母 濱田 勘 左衛門 純 昌 女 也」とある - ^ 『
島津 氏 正統 系図 』には「母 ハ家 ノ女房 」「母 氏 ニ因 テ税所 氏 ヲ冒 ス」とある