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木村きむらいしずえ

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木村きむら いしずえ(きむら もとい、1924ねん1がつ26にち[1] - 2004ねん11月27にち)は、日本にっぽん歴史れきし学者がくしゃせんもんは、地方ちほう村落そんらく明治大学めいじだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ

来歴らいれき

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東京とうきょうまれ[2]明治大学めいじだいがくせん門部かとべれきて1950ねん東京文理科大とうきょうぶんりかだいがく史学しがく卒業そつぎょう[2]。1958ねん明治大学めいじだいがく文学部ぶんがくぶ助教授じょきょうじゅ、1963ねん教授きょうじゅ、1980ねん大学院だいがくいんちょう、1988ねん学長がくちょうとなる[2]。このあいだ1972ねんに「日本にっぽん共同きょうどうたい」で文学ぶんがく博士はかせ学位がくい取得しゅとく[3]。1991ねんだま入試にゅうし事件じけんけて翌年よくねん3がつまつをもって学長がくちょう辞任じにん[4][5]。1995ねん定年ていねん名誉めいよ教授きょうじゅ著作ちょさくしゅうぜん11かんがある。

2004ねん11月27にちのうない出血しゅっけつのため死去しきょ[6]

著書ちょしょ

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  • まくはん体制たいせい序説じょせつ 文雅ぶんがどう書店しょてん 1961
  • 近世きんせい新田にったむら 吉川弘文館よしかわこうぶんかん 1964 (日本にっぽん歴史れきし叢書そうしょ)
  • 下級かきゅう武士ぶしろん 1967 (はなわ選書せんしょ)
  • 日本にっぽん村落そんらく 弘文こうぶんどう 1978.10
  • 近世きんせいむら 1980.7 (教育きょういくしゃ歴史れきし新書しんしょ)
  • むらかた日本にっぽん歴史れきし 古代こだい中世ちゅうせいへん そしえて 1983.11 (そしえて文庫ぶんこ)
  • むらかた日本にっぽん歴史れきし 近世きんせいへん 1-2 そしえて 1983.12 (そしえて文庫ぶんこ)
  • 地方ちほうきる 木村きむらいしずえ地方ちほう論集ろんしゅう 日本にっぽん経済けいざい評論ひょうろんしゃ 1984.1
  • 少女しょうじょたちの戦争せんそう 日本にっぽん経済けいざい評論ひょうろんしゃ 1987.7
  • 戦前せんぜん戦後せんごあるいち歴史れきしかたるわが人生じんせい 日本にっぽん経済けいざい評論ひょうろんしゃ 1994.4
  • 木村きむらいしずえ著作ちょさくしゅう ぜん11かん 名著めいちょ出版しゅっぱん 1996-1997
  • むらある日本にっぽんフィールド・ノート 雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん 1998.8
  • むら生活せいかつ 史料しりょうかたるふつうのひとびと 雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん 2000.6
  • むらのこころ 史料しりょうかたむらびとの精神せいしん生活せいかつ 雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん 2001.9

共編きょうへんちょ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 朝日あさひ年鑑ねんかん』1999年版ねんばん
  2. ^ a b c 明治大学めいじだいがく小史しょうし人物じんぶつへん』 68-69ぺーじ
  3. ^ 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. “博士はかせ論文ろんぶん日本にっぽん共同きょうどうたい”. 2023ねん4がつ2にち閲覧えつらん
  4. ^ 明大めいだい学長がくちょう辞意じい だま入試にゅうし事件じけん引責いんせき」(『朝日新聞あさひしんぶん』 1991ねん10がつ27にち朝刊ちょうかん
  5. ^ 明大めいだいしん学長がくちょう岡野おかの加穂留かおる」(『朝日新聞あさひしんぶん』 1992ねん3がつ31にち朝刊ちょうかん
  6. ^ 木村きむらいしずえ死去しきょもと明治大めいじだい学長がくちょう 四国しこく新聞しんぶん、2004ねん12月3にち

参考さんこう

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