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島津しまつひさりん

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島津しまつひさりん
時代じだい 室町むろまち時代ときよ
生誕せいたん おうひさし20ねん1413ねん
死没しぼつ えいとおる2ねん11月1にち1430ねん11月16にち
改名かいめい いぬ太郎たろう幼名ようみょう)→ひさりん
氏族しぞく 島津しまつそうしゅう
父母ちちはは ちち島津しまつ久世くぜ
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島津しまつ ひさりん(しまづ ひさもり)は、室町むろまち時代ときよ武将ぶしょう薩摩さつまこく島津しまつ分家ぶんけそうしゅう最後さいごの(5だい当主とうしゅ

4だい当主とうしゅ島津しまつ久世くぜとして誕生たんじょう

概要がいよう

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おうなが24ねん1417ねん)、ちち久世くぜ島津しまつ宗家そうけ8だい当主とうしゅ島津しまつひさゆたかにより謀殺ぼうさつされる。ひさりん川内かわうちいかり山城やましろにて抵抗ていこうしていたが、たのみとしていた伊集院いじゅういんよりゆきひさ降伏ごうぶくしたため祖父そふまもりひさししたむ。まもりひさ宗家そうけ9だい当主とうしゅ忠国ただくにやぶれると、まもりひさとも肥前ひぜんこく亡命ぼうめいした。

その真幸まさきいん徳満とくみつじょう潜伏せんぷくしていたが、忠国ただくに急襲きゅうしゅうされ自害じがいそうしゅう断絶だんぜつする。

脚注きゃくちゅう

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