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島津忠兼 (播磨家) - Wikipedia コンテンツにスキップ

島津しまつただしけん (播磨はりま)

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島津しまつただしけん
時代じだい 鎌倉かまくら時代ときよ末期まっき - 南北なんぼくあさ時代じだい
生誕せいたん 不明ふめい
死没しぼつ 不明ふめい
改名かいめい ちゅうけん道善どうぜん法名ほうみょう
別名べつめい 通称つうしょう三郎さぶろう左衛門尉さえもんのじょう
官位かんい したがえ周防すおうもり
幕府ばくふ 室町むろまち幕府ばくふ
主君しゅくん 足利尊氏あしかがたかうじ
氏族しぞく 島津しまつ播磨はりま島津しまつ
父母ちちはは ちち島津しまつただしふじはは島津しまつこうけいむすめ
兄弟きょうだい ちゅうけん忠範ただのり
ちゅうおや範忠のりただ
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島津しまつ ただしけん(しまづ ただかね)は、鎌倉かまくら時代ときよ末期まっきから南北なんぼくあさ時代じだいにかけての武将ぶしょう播磨はりまこくした揖保いぼそう地頭じとう

生涯しょうがい

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元弘もとひろ3(1333)ねん4がつ27にち足利あしかがたかし尊氏たかうじより後醍醐天皇ごだいごてんのう勅命ちょくめいつたえられ、元弘もとひろらん参戦さんせんした。のちたかしともたてたけし政権せいけんから離反りはんして畿内きない各地かくち転戦てんせんし、かんおう擾乱じょうらんでも尊氏たかうじとうくみ活躍かつやく歴戦れきせん武功ぶこうにより播磨はりま布施ふせきょう甲斐かいこく花崎はなさきさと相模さがみこく山内やまうちそうどう岩瀬いわせさとひとし領有りょうゆうする。

ちゅうけん奮戦ふんせんは『越前えちぜんとう津家つげ文書ぶんしょ』(国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんぞうくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい)にくわしい。どう文書ぶんしょにはちゅうけんたかしうままわりしゅ推定すいていされる53めいからなる一揆いっきちぎりじょう収録しゅうろくされており、とく貴重きちょう史料しりょうとされている。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかんへん中世ちゅうせい武家ぶけ文書ぶんしょ』(全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう91069347・1989ねん
  • 杉本すぎもと雅人まさと越前えちぜん島津しまつ-そのことれき系譜けいふ』(全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう21733580・1997ねんぞうていばん2010ねん