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'''ちぇ ひかり'''(チェ・ガン、[[1918ねん]][[7がつ17にち]] - [[1997ねん]][[2がつ21にち]])は、[[朝鮮ちょうせん民主みんしゅ主義しゅぎ人民じんみん共和きょうわこく]]の[[軍人ぐんじん]]、[[政治せいじいえ]]。[[朝鮮ちょうせん労働党ろうどうとう]]政治せいじきょくいんとう中央ちゅうおう軍事ぐんじ委員いいん、[[朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく国防こくぼう委員いいんかい|国防こくぼう委員いいんかい]]ふく委員いいんちょう、[[人民じんみん武力ぶりょく]]なが国防こくぼう大臣だいじん)などをつとめた。[[朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん]][[元帥げんすい]]
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'''ちぇ ひかり'''(チェ・ガン またはチェ・グァン<ref>{{Cite web |title=北朝鮮きたちょうせん空軍くうぐんのベトナム戦争せんそう参戦さんせん 公式こうしき文書ぶんしょはつ確認かくにん |url=https://jp.yna.co.kr/view/AJP20111205000200882 |website=聯合れんごうニュース |date= |access-date=2022-09-13 |language= |last=}}</ref>、さいこう、최광、[[1918ねん]][[7がつ17にち]] - [[1997ねん]][[2がつ21にち]])は、[[朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく]]の[[軍人ぐんじん]]、[[政治せいじ]]。[[朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん]][[元帥げんすい]]。別名べつめいは'''ちぇあきらすず'''。

[[朝鮮ちょうせん労働党ろうどうとう]]政治せいじ局員きょくいん[[朝鮮ちょうせん労働党ろうどうとう中央ちゅうおう軍事ぐんじいんかい|とう中央ちゅうおう軍事ぐんじ委員いいんかい]]委員いいん、[[朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく国防こくぼう委員いいんかい|国防こくぼう委員いいんかい]]ふく委員いいんちょう、[[国防省こくぼうしょう (朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)|人民じんみん武力ぶりょくなが]](国防こくぼう大臣だいじん)などをつとめた。


== 経歴けいれき ==
== 経歴けいれき ==
[[1918ねん]]7がつに[[さき]]でまれる。[[ソ連それん]][[ぐんこと]]学校がっこう卒業そつぎょう[[1948とし]]2つき朝鮮ちょうせん人民じんみんぐんだい1師団しだんなが就任しゅうにん[[1948とし]]9がつより[[最高さいこう人民じんみん会議かいぎ]]代議員だいぎいん選出せんしゅつ。[[1950ねん]]6がつ朝鮮ちょうせん人民じんみんぐんだい13団長だんちょう就任しゅうにん。[[1952ねん]]10月にきょうけんぐんかん学校がっこうげんきょうけん総合そうごうぐんかん学校がっこう校長こうちょう就任しゅうにん。[[1953ねん]]10月朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんだい5ぐん団長だんちょう就任しゅうにん[[1954とし]]1がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん中将ちゅうじょうだい1集団しゅうだんぐん参謀さんぼうちょう就任しゅうにん
[[1918ねん]]7がつ[[咸鏡北道ほくどう (日本にっぽん統治とうち時代じだい)|咸鏡北道ほくどう]][[さき]]でまれる。[[東北とうほく抗日こうにちれんぐん]]活動かつどう1940としだい2みちぐんそう指揮しき警衛けいえいたいだい2分隊ぶんたいちょう1942とし[[だい88独立どくりつ狙撃そげき旅団りょだん (ソ連それんぐん)|だい88たびだん]]小隊しょうたいちょう。[[ソビエト連邦れんぽう|ソ連それん]]ぐんこと学校がっこう卒業そつぎょう終戦しゅうせん[[延吉えんきち]]に派遣はけんされ、警備けいびだい2だん団長だんちょう就任しゅうにん1946としなつ帰国きこく

[[1948ねん]]2がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんだい1師団しだん参謀さんぼうちょう就任しゅうにん。[[1948ねん]]9がつより[[最高さいこう人民じんみん会議かいぎ]]代議員だいぎいん選出せんしゅつ。[[1950ねん]]6がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんだい1師団しだんちょう就任しゅうにんするが、同年どうねん[[12月21にち]]のとう中央ちゅうおう委員いいんかい全体ぜんたい会議かいぎにおいて「自分じぶん生命せいめいしんで部下ぶかてて逃亡とうぼうした」として[[たけちん]]・[[金一きんいち (政治せいじ)|金一きんいち]]・[[はやし春秋しゅんじゅう]]・[[きむかんちゅう]]とともに批判ひはんけ、解任かいにんされる<ref>{{Cite book| author = 和田わだ春樹はるき | title =朝鮮ちょうせん戦争せんそうぜん| publisher =岩波書店いわなみしょてん | pages =261}}</ref>。ただし、たけちん以外いがいものはまもなく復帰ふっきした。1951ねん朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん前線ぜんせん司令しれい参謀さんぼうちょう<ref>{{Cite web | format=PDF|url =http://www.imhc.mil.kr/user/imhc/upload/pblictn/PBLICTNEBOOK_201509150444128940.pdf|title =6·25전쟁사 제8권-중공군 총공세와 유엔군의 재반격 |publisher =韓国かんこく国防こくぼうぐん編纂へんさん研究所けんきゅうじょ |accessdate = 2019-06-10|page=508}}</ref>。[[1952ねん]]10がつきょうけんぐんかん学校がっこうげんきょうけん総合そうごうぐんかん学校がっこう校長こうちょう就任しゅうにん。[[1953ねん]]10がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんだい5軍団ぐんだんちょう就任しゅうにん。[[1954ねん]]1がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん中将ちゅうじょうだい1集団しゅうだんぐん参謀さんぼうちょう就任しゅうにん


[[1956ねん]]4がつ朝鮮ちょうせん労働党ろうどうとうだい3かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん候補こうほ選出せんしゅつ<ref>和田わだ(1992ねん)、371ページ</ref>。[[1958ねん]]6がつ空軍くうぐん司令しれいかん就任しゅうにん。[[1960ねん]]6がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんじょうしょう就任しゅうにん
[[1956ねん]]4がつ朝鮮ちょうせん労働党ろうどうとうだい3かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん候補こうほ選出せんしゅつ<ref>和田わだ(1992ねん)、371ページ</ref>。[[1958ねん]]6がつ空軍くうぐん司令しれいかん就任しゅうにん。[[1960ねん]]6がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんじょうしょう就任しゅうにん


[[1961ねん]]9がつだい4かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん選出せんしゅつ<ref>和田わだ(1992ねん)、372ページ</ref>。[[1962ねん]][[9月]]民族みんぞく保衛やすえしょうふくそう就任しゅうにん。[[1963ねん]]2がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん大将たいしょうそう参謀さんぼうちょう就任しゅうにん。[[1966ねん]]10がつ12にちだい2かいとう代表だいひょうしゃかいにおいてとう政治せいじ委員いいんかい委員いいん候補こうほ補選ほせんされる<ref>「[http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1970/102/1970102TPC.pdf 1970ねん北朝鮮きたちょうせん]」『アジア動向どうこう年報ねんぽう』1970としばん</ref>。[[1967ねん]][[12月]]最高さいこう人民じんみん会議かいぎ常任じょうにん委員いいん選出せんしゅつ。[[1969ねん]]3がつ[[失脚しっきゃく]]して[[鉱山こうざん]][[労働ろうどうしゃ]]になる。
[[1961ねん]]9がつだい4かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん選出せんしゅつ<ref>和田わだ(1992ねん)、372ページ</ref>。[[1962ねん]]9がつ民族みんぞく保衛やすえしょうふくそう就任しゅうにん。[[1963ねん]]2がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん大将たいしょうそう参謀さんぼうちょう就任しゅうにん。[[1966ねん]]10がつ12にちだい2かいとう代表だいひょうしゃかいにおいてとう政治せいじ委員いいんかい委員いいん候補こうほ補選ほせんされる<ref>{{cite book|和書わしょ|url=https://ir.ide.go.jp/records/39426 |publisher=アジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ |title=1970ねん北朝鮮きたちょうせん |series=アジア動向どうこう年報ねんぽう 1971年版ねんばん |year=1971 |pages=57-83 |doi=10.20561/00039421 |NCID=BN02174620 |ref={{harvid|『アジア動向どうこう年報ねんぽう 1971としばん』}}}}</ref>。[[1967ねん]]12月に最高さいこう人民じんみん会議かいぎ常任じょうにん委員いいん選出せんしゅつ。[[1969ねん]]3がつ失脚しっきゃくして[[鉱山こうざん]][[労働ろうどうしゃ]]になる。


[[1976ねん]]4がつに[[黄海こうかい南道みなみどう]]のみち人民じんみん委員いいんかい委員いいんちょう就任しゅうにんし、復活ふっかつ。[[1980ねん]]10がつだい6かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん政治せいじ局員きょくいん候補こうほ選出せんしゅつ。[[1981ねん]]3がつ政務せいむいんふく総理そうり[[ふく首相しゅしょう]])に就任しゅうにん。[[1982ねん]]4がつ政務せいむいんふく総理そうりけん水産すいさん委員いいんちょう就任しゅうにん。[[1988ねん]]2がつ12にちふく総理そうり解任かいにんされ、ぐん幹部かんぶ転出てんしゅつ<ref>玉城たまき(1988ねん)、71ページ</ref>朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんそう参謀さんぼうちょう<ref>2がつ21にち報道ほうどう就任しゅうにん判明はんめい玉城たまき(1988ねん)、71ページ</ref>、とう中央ちゅうおう軍事ぐんじ委員いいん就任しゅうにんするとともに、朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん大将たいしょう昇格しょうかく
[[1976ねん]]4がつに[[黄海こうかい南道みなみどう]]のみち人民じんみん委員いいんかい委員いいんちょう就任しゅうにんし、復活ふっかつ。[[1980ねん]]10がつだい6かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん政治せいじ局員きょくいん候補こうほ選出せんしゅつ。[[1981ねん]]3がつ政務せいむいんふく総理そうりふく首相しゅしょう)に就任しゅうにん。[[1982ねん]]4がつ政務せいむいんふく総理そうりけん水産すいさん委員いいんちょう就任しゅうにん。[[1988ねん]]2がつ12にちふく総理そうり解任かいにんされ、ぐん幹部かんぶ転出てんしゅつ{{sfn|玉城たまきもと|1989|p=71}}朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんそう参謀さんぼうちょう<ref>2がつ21にち報道ほうどう就任しゅうにん判明はんめい{{harv|玉城たまきもと|1989|p=71}}</ref>、とう中央ちゅうおう軍事ぐんじ委員いいんかい委員いいん就任しゅうにんするとともに、朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん大将たいしょう昇格しょうかく


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[[1990ねん]]5がつ23にちだい6だいとう中央ちゅうおう委員いいんかいだい18かい総会そうかいにおいてとう政治せいじきょく委員いいん選出せんしゅつされ{{sfn|『重要じゅうよう日誌にっし}}、[[国防こくぼう委員いいんかい]]ふく委員いいんちょう就任しゅうにん。1991ねんとう中央ちゅうおう軍事ぐんじ委員いいんかい委員いいん就任しゅうにん{{sfn|中川なかがわ雅彦まさひこ|1996|p=76}}。[[1992ねん]]4がつ20日はつか朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんそち称号しょうごう授与じゅよされる{{sfn|中川なかがわ雅彦まさひこ|1993|p=42}}。[[1995ねん]][[10がつ8にち]]に人民じんみん武力ぶりょく部長ぶちょう任命にんめいされるとともに、朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん元帥げんすい称号しょうごう授与じゅよされた{{sfn|『重要じゅうよう日誌にっし}}


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[[1997ねん]]2がつ21にち死去しきょ


== 脚注きゃくちゅう ==
== 脚注きゃくちゅう ==
19ぎょう: 27ぎょう:
== 参考さんこう文献ぶんけん ==
== 参考さんこう文献ぶんけん ==
* [[和田わだ春樹はるき]]『きむ日成いるそんまんしゅう抗日こうにち戦争せんそう平凡社へいぼんしゃ、1992ねん
* [[和田わだ春樹はるき]]『きむ日成いるそんまんしゅう抗日こうにち戦争せんそう平凡社へいぼんしゃ、1992ねん
* 玉城たまきもと「[http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1988/102/1988102TPC.pdf 緊張きんちょう動揺どうよう 1988ねん朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく]」『アジア動向どうこう年報ねんぽう』1988としばんアジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ
* {{cite book|和書わしょ|author=玉城たまきもと |year=1989 |url=https://ir.ide.go.jp/records/38999 |title=緊張きんちょう動揺どうよう: 1988ねん朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく |series=アジア動向どうこう年報ねんぽう 1989としばん |publisher=アジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ |pages=69-108 |isbn=9784258010899 |doi=10.20561/00038994 |ref=harv}}
* 中川なかがわ雅彦まさひこ「[http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1992/102/1992102TPC.pdf ぐん中心ちゅうしんとした後継こうけい体制たいせい強化きょうか 1992ねん朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく]」『アジア動向どうこう年報ねんぽう』1992としばん[[アジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ]]
* {{cite book|和書わしょ|author=中川なかがわ雅彦まさひこ |year=1993 |url=https://ir.ide.go.jp/records/38897 |title=ぐん中心ちゅうしんとした後継こうけい体制たいせい強化きょうか : 1992ねん朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく |series=アジア動向どうこう年報ねんぽう 1993としばん |pages=41-70 |publisher=[[アジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ]] |doi=10.20561/00038892 |ref=harv}}
* 中川なかがわ雅彦まさひこ「[http://d-arch.ide.go.jp/browse/pdf/1995/102/1995102TPC.pdf ぐん世代せだい交代こうたい進展しんてん 1995とし朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく]」『アジア動向どうこう年報ねんぽう1995年版ねんばんアジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ
* {{cite book|和書わしょ|author=中川なかがわ雅彦まさひこ |year=1995 |url=https://ir.ide.go.jp/records/38843 |title=「偉大いだい首領しゅりょう死去しきょ : 1994とし朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく |series=アジア動向どうこう年報ねんぽう 1995年版ねんばん |publisher=アジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ |chapter=重要じゅうよう日誌にっし |doi=10.20561/00038838 |ref={{harvid|『重要じゅうよう日誌にっし』}}}}
* {{cite book|和書わしょ|author=中川なかがわ雅彦まさひこ |year=1996 |url=https://ir.ide.go.jp/records/38812 |title=ぐん世代せだい交代こうたい進展しんてん : 1995ねん朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく |series=アジア動向どうこう年報ねんぽう 1996年版ねんばん |publisher=アジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ |pages=73-98 |isbn=9784258010967 |doi=10.20561/00038807 |ref=harv}}



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[[zh:ちぇひかり (あさ鲜)]]

2024ねん2がつ19にち (月)げつ 19:42時点じてんにおける最新さいしんばん

ちぇひかり
各種かくしゅ表記ひょうき
チョソングル 최광
漢字かんじ ちぇひかり
発音はつおん

チェ・ガン

チェ・グァン
日本語にほんごみ: さいこう
英語えいご表記ひょうき Choe Kwang
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ちぇ ひかり(チェ・ガン またはチェ・グァン[1]、さいこう、최광、1918ねん7がつ17にち - 1997ねん2がつ21にち)は、朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく軍人ぐんじん政治せいじ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん元帥げんすい別名べつめいちぇあきらすず

朝鮮ちょうせん労働党ろうどうとう政治せいじ局員きょくいんとう中央ちゅうおう軍事ぐんじ委員いいんかい委員いいん国防こくぼう委員いいんかいふく委員いいんちょう人民じんみん武力ぶりょく部長ぶちょう国防こくぼう大臣だいじん)などをつとめた。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1918ねん7がつ咸鏡北道ほくどうさきまれる。東北とうほく抗日こうにちれんぐん活動かつどう。1940ねんだい2ぐんそう指揮しき警衛けいえいたいだい2ふん隊長たいちょう。1942ねんだい88旅団りょだん小隊しょうたいちょうソ連それん軍事ぐんじ学校がっこう卒業そつぎょう終戦しゅうせん延吉えんきち派遣はけんされ、警備けいびだい2だん団長だんちょう就任しゅうにん。1946ねんなつ帰国きこく

1948ねん2がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんだい1師団しだん参謀さんぼうちょう就任しゅうにん1948ねん9月より最高さいこう人民じんみん会議かいぎ代議員だいぎいん選出せんしゅつ1950ねん6がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんだい1師団しだんちょう就任しゅうにんするが、同年どうねん12月21にちとう中央ちゅうおう委員いいんかい全体ぜんたい会議かいぎにおいて「自分じぶん生命せいめいしんで部下ぶかてて逃亡とうぼうした」としてたけちん金一きんいちはやし春秋しゅんじゅうきむかんちゅうとともに批判ひはんけ、解任かいにんされる[2]。ただし、たけちん以外いがいものはまもなく復帰ふっきした。1951ねん朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん前線ぜんせん司令しれい参謀さんぼうちょう[3]1952ねん10月にきょうけんぐんかん学校がっこうげんきょうけん総合そうごうぐんかん学校がっこう校長こうちょう就任しゅうにん1953ねん10月に朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんだい5軍団ぐんだんちょう就任しゅうにん1954ねん1がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん中将ちゅうじょうだい1集団しゅうだんぐん参謀さんぼうちょう就任しゅうにん

1956ねん4がつ朝鮮ちょうせん労働党ろうどうとうだい3かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん候補こうほ選出せんしゅつ[4]1958ねん6がつ空軍くうぐん司令しれいかん就任しゅうにん1960ねん6がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんじょうしょう就任しゅうにん

1961ねん9月のだい4かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん選出せんしゅつ[5]1962ねん9月に民族みんぞく保衛やすえしょうふくそう就任しゅうにん1963ねん2がつ朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん大将たいしょうそう参謀さんぼうちょう就任しゅうにん1966ねん10月12にちだい2かいとう代表だいひょうしゃかいにおいてとう政治せいじ委員いいんかい委員いいん候補こうほ補選ほせんされる[6]1967ねん12月に最高さいこう人民じんみん会議かいぎ常任じょうにん委員いいん選出せんしゅつ1969ねん3がつ失脚しっきゃくして鉱山こうざん労働ろうどうしゃになる。

1976ねん4がつ黄海こうかい南道みなみどうみち人民じんみん委員いいんかい委員いいんちょう就任しゅうにんし、復活ふっかつ1980ねん10月のだい6かいとう大会たいかいにおいてとう中央ちゅうおう委員いいん政治せいじ局員きょくいん候補こうほ選出せんしゅつ1981ねん3がつ政務せいむいんふく総理そうりふく首相しゅしょう)に就任しゅうにん1982ねん4がつ政務せいむいんふく総理そうりけん水産すいさん委員いいんちょう就任しゅうにん1988ねん2がつ12にちふく総理そうり解任かいにんされ、ぐん幹部かんぶ転出てんしゅつ[7]朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんそう参謀さんぼうちょう[8]とう中央ちゅうおう軍事ぐんじ委員いいんかい委員いいん就任しゅうにんするとともに、朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん大将たいしょう昇格しょうかく

1990ねん5月23にちだい6だいとう中央ちゅうおう委員いいんかいだい18かい総会そうかいにおいてとう政治せいじきょく委員いいん選出せんしゅつされ[9]国防こくぼう委員いいんかいふく委員いいんちょう就任しゅうにん。1991ねんとう中央ちゅうおう軍事ぐんじ委員いいんかい委員いいん就任しゅうにん[10]1992ねん4がつ20日はつか朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんそち称号しょうごう授与じゅよされる[11]1995ねん10月8にち人民じんみん武力ぶりょく部長ぶちょう任命にんめいされるとともに、朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐん元帥げんすい称号しょうごう授与じゅよされた[9]

1997ねん2がつ21にち死去しきょ[12]墓所はかしょ大城山おおぐすくやま革命かくめい烈士れっしりょうにある[13]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 北朝鮮きたちょうせん空軍くうぐんのベトナム戦争せんそう参戦さんせん 公式こうしき文書ぶんしょはつ確認かくにん”. 聯合れんごうニュース. 2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん
  2. ^ 和田わだ春樹はるき. 朝鮮ちょうせん戦争せんそうぜん. 岩波書店いわなみしょてん. pp. 261 
  3. ^ 6·25전쟁사 제8권-중공군 총공세와 유엔군의 재반격” (PDF). 韓国かんこく国防こくぼうぐん編纂へんさん研究所けんきゅうじょ. p. 508. 2019ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ 和田わだ(1992ねん)、371ページ
  5. ^ 和田わだ(1992ねん)、372ページ
  6. ^ 1970ねん北朝鮮きたちょうせん』アジア経済けいざい研究所けんきゅうじょ〈アジア動向どうこう年報ねんぽう 1971年版ねんばん〉、1971ねん、57-83ぺーじdoi:10.20561/00039421NCID BN02174620https://ir.ide.go.jp/records/39426 
  7. ^ 玉城たまきもと 1989, p. 71.
  8. ^ 2がつ21にち報道ほうどう就任しゅうにん判明はんめい。(玉城たまきもと 1989, p. 71)
  9. ^ a b 重要じゅうよう日誌にっし.
  10. ^ 中川なかがわ雅彦まさひこ 1996, p. 76.
  11. ^ 中川なかがわ雅彦まさひこ 1993, p. 42.
  12. ^ 「【日誌にっし】――1997ねん2がつ」『月刊げっかん朝鮮ちょうせん資料しりょうだい37かんだい4ごう朝鮮ちょうせん問題もんだい研究所けんきゅうじょ、1997ねん4がつ1にち、74ぺーじNDLJP:2677051/39 
  13. ^ 「【日誌にっし】――1998ねん2がつ」『月刊げっかん朝鮮ちょうせん資料しりょうだい38かんだい4ごう朝鮮ちょうせん問題もんだい研究所けんきゅうじょ、1998ねん4がつ1にち、76ぺーじNDLJP:2677063/40 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく
先代せんだい
呉振宇ごしんう
人民じんみん武力ぶりょく部長ぶちょう
1995ねん - 1997ねん
次代じだい
きむ鎰喆
先代せんだい
かつれつ
朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんそう参謀さんぼうちょう
1988ねん - 1995ねん
次代じだい
きむひさしはる
先代せんだい
きむあきらたてまつ
朝鮮人民軍ちょうせんじんみんぐんそう参謀さんぼうちょう
1962ねん - 1968ねん
次代じだい
呉振宇ごしんう