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久保 市三郎(くぼ いちさぶろう、1867年8月9日(慶応3年7月10日)[1] - 1956年(昭和31年)3月1日)は、明治時代から昭和時代の実業家・政治家。旧姓、小沢。
経歴
武蔵国三田ヶ谷村(現・埼玉県羽生市)生まれ[2]。上京後明治義塾(三菱商業学校)、慶應義塾大学部理財科で学ぶ(1893年卒)[2]。
耕余義塾で教員になり、日本銀行を経て森林山野の開発に尽力する。福沢諭吉のすすめで栃木県真岡町の久保家の養子となり、1900年4月2日に久下田銀行(後に足利銀行へ合併)、1912年に真岡銀行(後に常陽銀行へ合併)などを創立する。
1907年(明治40年)10月4日に貴族院多額納税者議員に任命される[3]。その後、栃木県芳賀郡中村の村長、栃木県教育会長、栃木県農工銀行頭取[2]、下野新聞会長[2]を務めた。
1956年3月1日に死去、同日従四位に叙された。
脚注
参考文献