佐伯 定 胤
1867 | |
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経歴
1867
1903
1950
1952
功績
明治 時代 の廃仏毀釈 で衰 えていた唯識 ・法相 の教 えを再興 した学僧 。法隆寺 勧学 院 で開 かれた唯識 の講義 には宗派 を超 えて多 くの僧侶 が聴講 しに来 た。また、東京大学 でも講義 している。専 門 の僧侶 向 けの講義 は難解 さを極 めたが、宗派 を超 えて聴聞 する者 が多 かった。一般 信徒 向 けの夏 百 日 の講義 は非常 に噛 み砕 いた平易 な語 り口 であったという。戒律 を保 ち、肉食 をとらず、生涯 独身 を貫 いた。
エピソード
- その
講義 があまりにも難解 で佐伯 の下 を去 ろうと挨拶 に来 た若 い僧侶 に「わからなくとも、千 日 き流 せ」と言 った。 金堂 の壁画 が消失 したときには、まだ鎮火 していない堂 の中 に、弟子 が羽 交 い絞 めにして止 めるのを振 り切 って飛 び込 もうとした。金堂 の焼 け跡 で呆然 と立 ちすくんでいる佐伯 の写真 が残 っている。廃仏毀釈 により荒廃 した法隆寺 の再建 に尽 くし、宮大工 の西岡 常吉 、婿養子 の西岡 楢 光 、孫 の西岡 常一 らを保護 育成 した。その意味 でも飛鳥 から伝 わる寺院 建築 技術 の継承 を行 った功績 は大 きい。
弟子
橋本 凝 胤 -後 の薬師寺 管長 。法相 宗 。佐伯 良 謙 -佐伯 の後継 の法隆寺 管 主 。法相 宗 のち聖徳 宗 。大西 良 慶 -後 の興福寺 、清水寺 貫主 。法相 宗 、のち北 法相 宗 。澤木 興 道 -曹洞宗 の禅僧 。木 辺 孝 慈-錦織 寺 法主 。浄土真宗 。
著書
- 『
淵 黙 自適 集 』法隆寺 , 1964年 - 『
玄奘三蔵 師資 伝 叢書 』中野 達 慧 と共著 - 『
国 訳 一切経 和漢 撰述 第 33』大東 出版 社 , 1962年 - 『
国 訳 一切経 .和漢 撰述 第 34』大東 出版 社 , 1962年 - 『
国 訳 大蔵経 .論 部 第 1-15巻 』国民 文庫 刊行 会 ,大正 8-10 - 『
聖徳 皇太子 』共著 、古今 書院 、昭和 7年 - 『
聖徳太子 に学 べ 』共著 、信濃毎日新聞 ,昭和 9年 - 『
聖徳太子 の憲法 』朝日新聞社 ,昭和 18年 - 『
勝 鬘 経 講 讃 』仏教 奉仕 会 ,昭 14年 - 『
新 体制 国民 講座 』第 2-10輯、朝日新聞社 ,昭和 16-17年 - 『
新 導 成 唯識 論 』性 相 学 聖典 刊行 会 ,昭 15年 - 『
十 七 条 憲法 と大乗 仏教 』教学 局 ,昭和 14年 - 『
定 胤 長老 遺墨 』法隆寺 , 1966年 - 『
世界 聖典 全集 』前 輯第 1至 15,後 輯第 1至 15 /世界 聖典 全集 刊行 会 . --改造 社 ,昭和 4-5年 - 『
仏説 盂蘭盆 経 講 賛 』共著 、渾沌 社 出版 部 ,昭和 10年 - 『
法華経 法話 』共著 顕 道 書院 ,明 43.10 - 『
法相 宗 要 』丙午 出版 社 ,大正 6 - 『
唯識 三類境義本質私記』共著 、法隆寺 勧学 院 同窓会 - 『維摩
詰所 説経 』森 江 書店 , 1937年
論文
脚注
- ^ 『
官報 』第 692号 、昭和 4年 4月 23日
参考 文献
太田 信隆 『新 法隆寺 物語 』集英社 文庫