いつも2人ふたり

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
いつも2人ふたり
Two for the Road
ヘプバーンとフィニー
監督かんとく スタンリー・ドーネン
脚本きゃくほん フレデリック・ラファエル
製作せいさく スタンリー・ドーネン
出演しゅつえんしゃ オードリー・ヘプバーン
アルバート・フィニー
ジャクリーン・ビセット
音楽おんがく ヘンリー・マンシーニ
撮影さつえい クリストファー・チャリス
配給はいきゅう 20世紀せいきフォックス
公開こうかい アメリカ合衆国の旗 1967ねん4がつ27にち
日本の旗 1967ねん7がつ15にち[1]
イギリスの旗 1967ねん8がつ31にち
上映じょうえい時間じかん 111ふん
製作せいさくこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく[2][3]
イギリスの旗 イギリス
資料しりょうによりことなる
言語げんご 英語えいご
フランス語ふらんすご
製作せいさく $4,000,000
配給はいきゅう収入しゅうにゅう $3,500,000(北米ほくべい、1968ねん1がつ
テンプレートを表示ひょうじ

いつも2人ふたり』(いつもふたりで、Two for the Road)は、1967ねん20世紀せいきフォックス映画えいが主演しゅえんオードリー・ヘプバーンアルバート・フィニー。ヘプバーンのキャリアにおける代表だいひょうさくひとつで、『パリの恋人こいびと』と『シャレード』でオードリーを演出えんしゅつしたスタンリー・ドーネン監督かんとくと3度目どめのタッグをんだ作品さくひんである。

あらすじ・解説かいせつ[編集へんしゅう]

1954ねんから1966ねんの12年間ねんかんの1くみ夫婦ふうふ軌跡きせきを、6つの時間じかんじく交錯こうさくさせながらえがいたロード・ムービーオードリー・ヘプバーンえんじるジョアンナの髪型かみがたっているくるま時代じだい見分みわける。

監督かんとくスタンリー・ドーネンは、「この作品さくひん結婚けっこん困難こんなんいちめんえがいた作品さくひんだった。オードリー・ヘプバーンの作品さくひんこいよろこびをえがいたものがほとんどだが、これはその試練しれんえがいている」とかたっている[4]

以下いかの6かいたび順不同じゅんふどう交錯こうさくする。

1:1954ねん出会であったばかりでヒッチハイクをしながらたびをする学生がくせい時代じだい2人ふたり

  • ジョアンナの髪型かみがたはロングヘアのおでこをせたもの。前半ぜんはんはカチューシャ、後半こうはんうしろでかみをくくっている。

2:結婚けっこん2ねんで、おっとマークのもと彼女かのじょのマンチェスター親子おやことの5にんでのたび。ジョアンナは子供こどもしいとっている。映画えいが前半ぜんはんのみ登場とうじょう

3:なにかの記念きねんでのやっとった中古ちゅうこくるま2人ふたりだけのたび最初さいしょてくるシーンのパスポートのスタンプで1959ねんとわかる。途中とちゅうでジョアンナが子供こどもができたと報告ほうこくする。たび途中とちゅうでパトロンとなるモーリスとう。

  • ジョアンナは前髪まえがみろして、トップをクシャッとしたショートヘア。
  • くるま緑色みどりいろ中古ちゅうこ1950ねんせいMG-TD。

4:ジョアンナはまれたばかりの子供こども世話せわ留守番るすばん画面がめんてこない。1人ひとりたびのマークは途中とちゅう浮気うわきつぎたび家族かぞく3にんきたいとかたってトンネルをけると、5番目ばんめたびわる。映画えいがなかでのみ登場とうじょう

5:まれた子供こどもも3さいくらいにおおきくなってきたので、親子おやこ3にんでのたび夫婦ふうふ危機きき途中とちゅうでジョアンナが浮気うわき映画えいが後半こうはんのみ登場とうじょう

6:1966ねん現在げんざい再度さいど夫婦ふうふ危機きき

映画えいがのラストで、一瞬いっしゅん全部ぜんぶたび時間じかんじくじゅん登場とうじょうする。

キャスト[編集へんしゅう]

役名やくめい 俳優はいゆう 日本語にほんご吹替
フジテレビはん
ジョアンナ・ウォレス
(1936ねん7がつ11日生にっせい[5]
オードリー・ヘプバーン 池田いけだ昌子まさこ
マーク・ウォレス
(1933ねん8がつ22日生にっせい[5]
アルバート・フィニー 前田まえだ昌明まさあき
ハワード・マクスウェル・マンチェスター ウィリアム・ダニエルズ 羽佐間はざま道夫みちお
キャシー・マクスウェル・マンチェスター エレノア・ブロン英語えいごばん たに育子いくこ
モーリス・ダルブレ クロード・ドーファン英語えいごばん 千葉ちばこう
フランソワーズ・ダルブレ ナディア・グレイルーマニアばん  瀬能せのう礼子あやこ
ジャッキー ジャクリーン・ビセット 高橋たかはしひろ
デヴィッド ジョルジュ・デスクリエール 蟹江かにえ栄司えいじ
ルース・マクスウェル・マンチェスター ガブリエル・ミドルトン 杉山すぎやま佳寿子かずこ
キャロライン・ウォレス キャシー・チェリムスキー
シルヴィア ドミニク・ジュース
パット ジュディ・コーンウェル英語えいごばん
ホテルの経営けいえいしゃ ヘレン・トシー
警部けいぶ イヴ・バルサック
不明ふめい
その
大久保おおくぼ正信まさのぶ
小沢おざわかおる
ともきん恵子けいこ
中川なかがわまり
池田いけだまさる
牧野まきの和子かずこ
加藤かとう正之まさゆき
演出えんしゅつ 鳥海とりうみしゅんざい
翻訳ほんやく
効果こうか
調整ちょうせい 杉原すぎはら日出ひのでわたる
制作せいさく トランスグローバル
解説かいせつ 高島たかしま忠夫ただお
初回しょかい放送ほうそう 1975ねん11月14にち
ゴールデン洋画ようが劇場げきじょう

スタッフ[編集へんしゅう]

製作せいさく[編集へんしゅう]

脚本きゃくほん配役はいやく[編集へんしゅう]

作家さっかフレデリック・ラファエルとかれつま恋人こいびと同士どうしころから、なんみなみフランスへ休暇きゅうか旅行りょこうかけていた[6][7]。あるときくるまはしらせながら、過去かこ自分じぶんいてせたら面白おもしろいだろうなとかんがえた[7][6]映画えいが台本だいほんのようだとおもったラファエルは、スタンリー・ドーネンにこのはなしみ、最終さいしゅうてきには2人ふたりオードリー・ヘプバーンいにった[7][8]。はじめヘプバーンは1966ねん結婚けっこん12ねん夫婦ふうふあいだがギクシャクしており、1960ねんまれの子供こども一人ひとりいる、という設定せってい自分じぶん状況じょうきょうにそっくりだということ、不倫ふりん水着みずぎやベッドシーンがあるということで、非常ひじょう不安ふあんであったという[9][10][11][12]。しかし台本だいほんんで、おっとメル・ファーラー後押あとおしもあり、最終さいしゅうてきにはゴーサインをした[13][14]。「10ねんまえなら、いえ5ねんまえでも、この脚本きゃくほんわたしのところへまれるとはかんがえられなかったでしょう」とヘプバーンはかたっている[15][14]。この映画えいがはヘプバーンにとって50年代ねんだいへの決別けつべつと、スウィングする60年代ねんだいへの大胆だいたんさい出発しゅっぱつとなった[16]

夫役ぶやくにははじポール・ニューマンにオファーがなされたが、ニューマンはこれは監督かんとくのための映画えいがであり、スターのための映画えいがではないとしてことわってきた[13][16]マイケル・ケイン駄目だめであったが、のちにケインは『いつも2人ふたりで』は出演しゅつえんできなかったのを後悔こうかいしている唯一ゆいいつ作品さくひんだとかたっている[17]アルバート・フィニーやくけたことについて、「だいいち脚本きゃくほん素晴すばらしかったことです。そしてもうひとつの理由りゆうはもちろんオードリー・ヘプバーンと共演きょうえんできるからですよ。」とこたえている[18]。ヘプバーンは『おしゃれ泥棒どろぼう』で共演きょうえんしたピーター・オトゥールからフィニーのはなしなんいていた[16]。フィニーとオトゥールはおなじロンドンの王立おうりつ演劇えんげきアカデミーでまなび、フィニーが舞台ぶたいのためにことわった『アラビアのロレンス』の主役しゅやくをオトゥールがえんじていた[16]

ヘプバーンの衣装いしょう[編集へんしゅう]

ヘプバーンはドーネンからユベール・ド・ジバンシィ衣装いしょうきんじられた[19][20][14]映画えいがでの夫婦ふうふがパリのトップデザイナーのオートクチュール代金だいきんはらえるほどではない、という理由りゆうでもあり、ヘプバーンにわってしかったという理由りゆうでもあった[20]。ヘプバーンはマリー・クヮント、ミシェル・ロジェ、パコ・ラバンヌなどの当時とうじ最先端さいせんたん一流いちりゅうモッズ・ファッションのプレタポルテもとめた[19][21][22][23]。ヘプバーンのあたらしい衣装いしょう彼女かのじょ魅力みりょくし、ジバンシィからだけではなく、ヘプバーン自身じしんからも解放かいほうされていた[24]

後年こうねん、アメリカのデザイナーのトリーナ・タークは「『いつも2人ふたりで』は60年代ねんだいのモッズ・ファッションの祭典さいてんのような映画えいがで、オードリー・ヘプバーンが完璧かんぺきこなせない洋服ようふくなど1つもないことが証明しょうめいされた。どれをても見事みごとだった。彼女かのじょのスリムな体型たいけいは、あらゆるデザイナーのゆめだった。」とかたった[25]

ヘプバーンとフィニー[編集へんしゅう]

当時とうじ、ヘプバーンはメル・ファーラーとの結婚けっこん暗礁あんしょうげていた[26][27]。『いつも2人ふたりで』の撮影さつえい現場げんばでヘプバーンに直接ちょくせつった映画えいが評論ひょうろん日野ひの康一やすいちによると、ファーラーとカトリーヌ・ドヌーヴらとの浮気うわき発覚はっかくし、ヘプバーンは悲嘆ひたんのどんぞこにいて、ねむれぬくらいなやくるしんでいたという[27]

撮影さつえいはじまるとヘプバーンはひどく緊張きんちょうしていた[28]気持きもちがくようにしてくれたのがフィニーで、かれはじめてヘプバーンにったときから冗談じょうだんって堅苦かたくるしい緊張きんちょうをほぐし、映画えいが夫婦ふうふあいだ軽妙けいみょう雰囲気ふんいきかもすのに貢献こうけんしていた[29][23]。ドーネン監督かんとくは「この映画えいがっているときのオードリーは見違みちがえるばかりだった。あんなに自由じゆう幸福こうふくそうな彼女かのじょるのははじめてだった。これはアルビー(フィニー)のおかげだった。」とべている[24][30][22]

内向ないこうてきなヘプバーンはそれまでは撮影さつえい合間あいまにはすぐに自分じぶんのトレーラーにむことがおおかったが、この作品さくひんではまれわったように共演きょうえんしゃたちと一緒いっしょたのしんでいた[31][11]。フィニーとは2人ふたりでよくしゃべり、冗談じょうだんったりわるふざけをしてはわらいあったり、ディスコやビストロにかけていたという[32][11][33][31]。フィニーは若々わかわかしく、衝動しょうどうてきで、陽気ようきで、こうずで、ふざけで、おかしくてと、いかめしいメル・ファーラーとは全然ぜんぜんちがっていた[32][34][35]

音楽おんがく[編集へんしゅう]

当初とうしょヘンリー・マンシーニ多忙たぼうことわった[36][37]当時とうじマンシーニはちょうれっであり、ブレイク・エドワーズ監督かんとく以外いがい撮影さつえいまえには契約けいやくできず、『シャレード』で実績じっせきのあるスタンリー・ドーネン監督かんとくでも無理むりであった[37]。するとオードリー・ヘプバーンがマンシーニに直接ちょくせつ「おねがいですから『いつも2人ふたりで』の音楽おんがく担当たんとうしてくださらないかしら。これはわたしなかでも最高さいこう脚本きゃくほんで、すばらしくデリケートで、おかしくて、かつロマンティックなの。あなたがきょくつくってくださる以外いがいにはだれおもかびません」と電報でんぽう[38]おくったと、マンシーニ自身じしんべている[36]。そして、マンシーニは快諾かいだくして作曲さっきょくすることになった[36]。『いつも2人ふたりで』撮影さつえいちゅうの1966ねんなつ、ヘプバーンにインタビューしにっていた映画えいが評論ひょうろん日野ひの康一やすいちがちょうど撮影さつえいしょにいるとき、宣伝せんでんマンが電報でんぽう片手かたてに「ウイ・ゴット・マンシーニ!」とんでて、拍手はくしゅ歓声かんせいこったことをめている[37]。マンシーニはこの映画えいがで「オードリーのために」というきょく作曲さっきょくしている[39][40][41][42]

また、のちにマンシーニはもっときな自作じさくは『ムーン・リバー』のある『ティファニーで朝食ちょうしょく』や『シャレード』『ひまわり』などの有名ゆうめいきょくではなく、『いつも2人ふたりで』だとおりれてこたえているほど、会心かいしん出来できだった[43][44]

撮影さつえい[編集へんしゅう]

撮影さつえい当時とうじはカメラはうごくるま内側うちがわからはとらえられなかったが、この映画えいが大半たいはんくるまなかだった[45]撮影さつえいのクリストファー・チャリスは「ケーブルもライトもすべしゃなかみ、発電はつでんはトランクにんでいたから、アルバートがあらゆるボタンをして全部ぜんぶ作動さどうさせなければはじまらなかった。かれもオードリーもじつによくきだすので、なんなおした。そのうえアルバートがいたずらきで、『監督かんとくしているのはぼくとオードリーだってのに、スタンリー・ドーネンはなんでかねをもらってるんだ!』ってなことをれるんだ。おかげで音声おんせいろくなおしだった。」とべている[45]

この映画えいがでは、ヘプバーンがはじめておよぐシーンが撮影さつえいされたが、ヘプバーンは9さいころ、オランダのいけおぼれかけた経験けいけんがあり、みずはいるのをこわがっていた[18][46]。ヘプバーンは「あのころわたしおよかたらず、水草みずくさからまり、みずをたくさんみました。やっとひとげてくれましたが、ぬほどおそろしかったことをおぼえています。いまではほんのすこおよぐこともできますが、かお絶対ぜったいみずなかれません。子供こどもころからうなされるのは、みずをかぶり窒息ちっそくするゆめでした。」とかたっている[47][46]。フィニーがヘプバーンをげてプールにドボンととすシーンでは、ヘプバーンは代役だいやく希望きぼうした[46]。しかしドーネン監督かんとくはこのシーンではプールにまれたのはきみだとわからなければならないと3日間にちかん説得せっとくしてヘプバーンがやることになった[46]助監督じょかんとく2にん待機たいきしたが、とされてもがくヘプバーンを救出きゅうしゅつするタイミングを間違まちがえ、このシーンはもう一度いちどなおしされた[46]べつカットでるシーンのため、ヘプバーンがもぐったようにせかけるためにドーネン監督かんとくがヘプバーンのあたまみずをかける写真しゃしんのこされている[18]

わりちかくのシーンは手直てなおしが必要ひつようだと判断はんだんしたフレデリック・ラファエルは脚本きゃくほんなおした[48]。ヘプバーンはそれをこまったようにり、最初さいしょ台本だいほんほうがいいとった[48]。ラファエルは、最初さいしょのは会話かいわがぼやけていて反対はんたい意味いみられかねない、とい、二人ふたり両方りょうほう脚本きゃくほんくらべることになった[49]。ヘプバーンの見事みごと本読ほんよみにラファエルはうっとりききいり、ヘプバーンの判断はんだんただしかったことをみとめた[50]

『いつも2人ふたりで』の構造こうぞう革命かくめいてきであった[15]夫婦ふうふ愛情あいじょう変化へんか時間じかん経過けいかとは無関係むかんけい個々ここのエピソードによってしめされる[15]。ドーネンはカットバックを多用たようして、12年間ねんかん自由じゆうした[15]

のちにドーネン監督かんとくはジョアンナ・ウォレスやくはヘプバーンのキャリアのなか一番いちばんかったと評価ひょうかした[11]。「それまでの彼女かのじょとはかけはなれたやくだったし、それまで要求ようきゅうされたことのないおくふか感情かんじょう表現ひょうげん責任せきにんかん思慕しぼ円熟えんじゅくさが要求ようきゅうされた。彼女かのじょはそのやくにどっぷりまなくてはならなかった。でも実際じっさい彼女かのじょはそうしていたよ。」とべている[11]

アカデミーしょう[編集へんしゅう]

この作品さくひんでアカデミー脚本きゃくほんしょうにノミネートされたフレデリック・ラファエルは「『いつも2人ふたりで』のオードリーの演技えんぎほど、オスカーにふさわしい演技えんぎはないとおもう。」とべている[50][51][23]。1967ねん、ヘプバーンの『いつも2人ふたりで』『くらくなるまでって』の2ほん映画えいが公開こうかいされ、そのどちらでアカデミーしょうにノミネートされてもおかしくないほどの演技えんぎであったが、結局けっきょくくらくなるまでって』でアカデミーしょうにノミネートされた[52]。しかしヘプバーン自身じしんはのちに「わたしは『くらくなるまでって』でノミネートされたけれど、本当ほんとうおなねんの『いつも2人ふたりで』のほうかったとおもっています。」とかたったという[53]ゴールデングローブしょうでは2つの作品さくひん両方りょうほうでノミネートされた[52]

なお、『いつも2人ふたりで』はスペインの1967年度ねんどだい15かいサン・セバスティアン国際こくさい映画えいがさいでは最優秀さいゆうしゅう作品さくひんしょう受賞じゅしょうしている[54][55]

エピソード[編集へんしゅう]

  • 撮影さつえいは1966ねん4がつから9がつにかけておこなわれ、撮影さつえいちゅうに37さい誕生たんじょうむかえたヘプバーンが誕生たんじょうケーキをまえにした写真しゃしんのこされている[56]<。
  • ヘプバーンは『いつも2人ふたりで』には自分じぶん出演しゅつえんしたすべての映画えいがなかで、もっとっているシーンがいくつかある、とべ、「くるまなかふく着替きがえる場面ばめん、あれは普段ふだん実際じっさいわたしがやっていることなの。それからホテルのレストランがたかすぎるのでものをこっそりむけど、食事しょくじ宿泊しゅくはくりょうみになっていることがあとでわかるはなし。あれも実際じっさい経験けいけんしたことなのよ。」とかたっている[57]
  • 『いつも2人ふたりで』は1967ねん4がつ27にちにラジオ・シティ・ミュージックホールで公開こうかいされたが、9月1にちにはヘプバーンとファーラーとの別居べっきょ発表はっぴょうされた[26]日本にっぽんでは7がつ15にちまるうちピカデリーからロードショー公開こうかいされたが、劇場げきじょうパンフレットにはヘプバーンの紹介しょうかいらんで「メル・ファーラーと結婚けっこんして以来いらい、そのおしどり夫婦ふうふ有名ゆうめいです。」「世界中せかいじゅう一番いちばんきなひとおっとのメルと息子むすこのショーン、当然とうぜんね!」と印刷いんさつされていた。
  • 『いつも2人ふたりで』撮影さつえい以来いらいヘプバーンがるようになったマリー・クヮントのミニスカートやミニドレスを、イタリアの友人ゆうじん公爵こうしゃく夫人ふじんいえまるさいっていったところ、公爵こうしゃく夫人ふじんのメイドがそれらをクローゼットにけたのち公爵こうしゃく夫人ふじんとヘプバーンのところにやってて、「お客様きゃくさまはスーツケースをおわすれになったようです」とった[58]。なぜ?と公爵こうしゃく夫人ふじんうと、「ブラウスしかおちになってないんです」とメイドはった[58]公爵こうしゃく夫人ふじんは「それがドレスなのよ!」とこたえた[58]。これほどみじかいドレスをメイドはたことがなかったのだった[59]
  • 2013ねんはる夏物なつもののモスキーノのコレクションでは『いつも2人ふたりで』がイメージソースとなった[60][61]

作品さくひん評価ひょうか[編集へんしゅう]

『いつも2人ふたりで』は映画えいがファンのなかでもカルトてき人気にんきがあり[62][63]おおくの人々ひとびとによって『いつも2人ふたりで』はヘプバーンのもっと円熟えんじゅくした最高さいこう演技えんぎであるとされている[64][65][63][66][67]

パリの恋人こいびと』『シャレード』『いつも2人ふたりで』と3ほん映画えいがでヘプバーンを監督かんとくしたスタンリー・ドーネン監督かんとくかんしては、いろんな映画えいが評論ひょうろんやファンによって、もっともヘプバーンの魅力みりょくつか最高さいこうしたのはドーネン監督かんとくであるとべられている[68][69][70][71][72]

映画えいが雑誌ざっし『スクリーン』で「ぼくの採点さいてんひょう」というコーナーをっていた映画えいが評論ひょうろん双葉ふたば十三郎じゅうざぶろう評価ひょうかは☆☆☆☆で80てん(ダンゼン優秀ゆうしゅう[73]。これはオードリー・ヘプバーン作品さくひんでは『ローマの休日きゅうじつ』の☆☆☆☆★(85てん[74]いで、『うるわしのサブリナ』『パリの恋人こいびと』『昼下ひるさがりの情事じょうじ[74]シャレード』『マイ・フェア・レディ』『くらくなるまでって[73]ならこう得点とくてんである。

AFIえらぶアメリカ映画えいが情熱じょうねつてき映画えいがベスト100」ではだい57えらばれている。

2003ねん発売はつばいされたザガット・サーベイ映画えいが特集とくしゅうではヘプバーン映画えいがとしては最高さいこう評価ひょうか獲得かくとくしている[67]

また、『いつも2人ふたりで』には文化ぶんかじん映画えいが業界ぎょうかいじんのファンがおおい。

  • 村上むらかみ春樹はるきはこの作品さくひんを「わたし一本いっぽん映画えいが」というほんしている[75][76]高校こうこう時代じだい神戸こうべ映画えいがかんでガール・フレンドとて、映画えいがわったのち2人ふたりともったのでもう一度いちどたという[75][76]。また、村上むらかみ春樹はるきまわりにはこの映画えいがのファンがおおいこともかたられている[75][76]
  • スティーヴン・スピルバーグ監督かんとくは、スタンリー・ドーネン死去しきょさい声明せいめい発表はっぴょうして、個人こじんてきなお映画えいがとして『シャレード』『わるいことしましョ!』『いつも2人ふたりで』をげている[77][78]。またわかころスティーヴン・スピルバーグは『いつも2人ふたりで』を感性かんせい相性あいしょうリトマス試験紙りとますしけんしとして使つかっていた[43]おんなはつデートのときに『いつも2人ふたりで』か『A Guy Named Joe』(のちにスピルバーグ自身じしんが『オールウェイズ』としてリメイク)をて、おんな映画えいがればまたデートにさそい、つまらなかったとえば2さそわなかったという[43]
  • ビリー・ワイルダーつまであり、ヘプバーンの友人ゆうじんでもあるオードリー・ワイルダーもこの映画えいが最大さいだいのファンの一人ひとりであり、「わたしは『いつも2人ふたりで』が大好だいすきです。あの映画えいが彼女かのじょ生身なまみ人間にんげんです。」とかたっている[64]
  • プロデューサーのリチャード・ザナックは「60年代ねんだいにアメリカの女優じょゆうによってえんじられたやくなかもっと素晴すばらしい」とかたった[63][62]
  • 橋本はしもとおさむは『にじのヲルゴオル』というほんなかで、「妖精ようせい素顔すがお オードリー・ヘプバーンと『いつも2人ふたりで』」というしょういて、「こういうすごい映画えいがって、オードリー・ヘプバーンというスターは、自分じぶんのそれまでに立派りっぱなピリオドをった。」とべている[79][80][81]

しょうれき[編集へんしゅう]

サン・セバスティアン国際こくさい映画えいがさい[編集へんしゅう]

受賞じゅしょう
最優秀さいゆうしゅう作品さくひんしょう(ゴールデン・シェル):スタンリー・ドーネン

アカデミーしょう[編集へんしゅう]

ノミネート
アカデミー脚本きゃくほんしょう:フレデリック・ラファエル

ゴールデングローブしょう[編集へんしゅう]

ノミネート
ゴールデングローブしょう 主演しゅえん女優じょゆうしょう(コメディ・ミュージカル部門ぶもんオードリー・ヘプバーン
ゴールデングローブしょう 作曲さっきょくしょうヘンリー・マンシーニ

英国えいこくアカデミーしょう[編集へんしゅう]

ノミネート
脚本きゃくほんしょう:フレデリック・ラファエル

全米ぜんべい監督かんとく協会きょうかいしょう[編集へんしゅう]

ノミネート
長編ちょうへん映画えいが監督かんとくしょう:スタンリー・ドーネン

英国えいこく脚本きゃくほん協会きょうかいしょう[編集へんしゅう]

受賞じゅしょう
最優秀さいゆうしゅうオリジナル脚本きゃくほんしょう:フレデリック・ラファエル
最優秀さいゆうしゅうコメディ脚本きゃくほんしょう:フレデリック・ラファエル

スペイン脚本きゃくほん組合くみあいしょう[編集へんしゅう]

受賞じゅしょう
最優秀さいゆうしゅう外国がいこく映画えいがしょう:フレデリック・ラファエル

アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)[編集へんしゅう]

情熱じょうねつてき映画えいがベスト100 (2002)
だい57

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ みなみ俊子としこ. (1971ねん12月20にち初版しょはん発行はっこう). 『シネアルバム5 オードリー・ヘプバーン』p112. 芳賀はが書店しょてん.
  2. ^ TWO FOR THE ROAD (1967) - AFI Catalog” (英語えいご). アメリカ映画えいが協会きょうかい. 2021ねん2がつ7にち閲覧えつらんDETAILSらんのCountry。
  3. ^ TWO FOR THE ROAD (1967) - BFI” (英語えいご). 英国えいこく映画えいが協会きょうかい. 2021ねん2がつ7にち閲覧えつらんCountryらん
  4. ^ 日本にほんコロムビアや20世紀せいきフォックスからDVDが発売はつばいされ、BS11でも放送ほうそうされた『おものオードリー・ヘプバーン』、ドーネン監督かんとく自身じしん言葉ことば
  5. ^ a b 3かいたび最初さいしょのシーンでてくるパスポートにしるされている
  6. ^ a b パリス 下巻げかん 1998, p. 91.
  7. ^ a b c ウォーカー 2003, p. 279.
  8. ^ パリス 下巻げかん 1998, pp. 91–92.
  9. ^ ウォーカー 2003, pp. 280–281.
  10. ^ ウッドワード 1993, pp. 294–295.
  11. ^ a b c d e バーミリー 1997, p. 52.
  12. ^ パリス 下巻げかん 1998, pp. 92–93.
  13. ^ a b ウォーカー 2003, p. 281.
  14. ^ a b c ウッドワード 1993, p. 295.
  15. ^ a b c d パリス 下巻げかん 1998, p. 93.
  16. ^ a b c d パリス 下巻げかん 1998, p. 92.
  17. ^ バーミリー 1997, p. 189.
  18. ^ a b c オードリイ・ヘップバーン全集ぜんしゅう 1966, p. 49.
  19. ^ a b パリス 下巻げかん 1998, p. 95.
  20. ^ a b ウォーカー 2003, p. 284.
  21. ^ ウォーカー 2003, pp. 284–285.
  22. ^ a b クラーク・キオ 2000, p. 120.
  23. ^ a b c ロビン・カーニー『ライフ オブ オードリー・ヘップバーン』キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1994ねん1がつ20日はつか、159-160,ぺーじ 
  24. ^ a b パリス 下巻げかん 1998, p. 96.
  25. ^ デイヴィッド・ウィルズ『Audrey オードリー・ヘップバーン 60年代ねんだい映画えいがとファッション』東京書籍とうきょうしょせき株式会社かぶしきがいしゃ、2013ねん7がつ25にち初版しょはん発行はっこう、232ぺーじ 
  26. ^ a b クラーク・キオ 2000, pp. 119–120.
  27. ^ a b レコード「スター・ハイライト・シリーズ オードリー・ヘプバーン」.CBSソニー株式会社かぶしきがいしゃ.SOLJ-66.解説かいせつ 日野ひの康一やすいち.
  28. ^ ウォーカー 2003, p. 285.
  29. ^ ウォーカー 2003, pp. 282–283.
  30. ^ サム・ワッソン『オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食ちょうしょくを オードリーがつくった、自由じゆうきる女性じょせいぞう株式会社かぶしきがいしゃマーブルトロン、2011ねん10がつ31にち初版しょはん発行はっこう、262ぺーじ 
  31. ^ a b ウッドワード 1993, p. 296.
  32. ^ a b ハイアム 1986, p. 241.
  33. ^ パリス 下巻げかん 1998, p. 94.
  34. ^ ウッドワード 1993, p. 297.
  35. ^ パリス 下巻げかん 1998, pp. 96–97.
  36. ^ a b c BMGビクター株式会社かぶしきがいしゃCD『ムーン・リバー〜オードリー・ヘプバーン スクリーン・テーマ・ベスト』BVCG-618、ヘンリー・マンシーニ自身じしん解説かいせつ
  37. ^ a b c 『カタログ オードリー・ヘプバーン』雄鶏社おんどりしゃ、1977ねん1がつ25にち初版しょはん発行はっこう、192ぺーじ 
  38. ^ 1977ねん雄鶏社おんどりしゃ発行はっこうの「カタログ オードリー・ヘプバーン」p.192では電話でんわをしたことになっている
  39. ^ SLC・ CDクラブ1『いつも2人ふたりで』オリジナル・サウンドトラック.ヘンリー・マンシーニ.SCC-1008.株式会社かぶしきがいしゃサウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ.1991ねん.
  40. ^ オリジナル・サウンドトラック『いつも2人ふたりで』ヘンリー・マンシーニ楽団がくだん.BVCP-1026.BMGビクター.1993ねん.
  41. ^ 『いつも2人ふたりで』オリジナル・サウンドトラック.ヘンリー・マンシーニ楽団がくだん.BMGファンハウス.2004ねん
  42. ^ 『TWO FOR THE ROAD』(フィルム・バージョン・サウンドトラック).Henry Mancini.KR20031-9.KRITZERLAMD.2017ねん.
  43. ^ a b c キネマ旬報きねまじゅんぽうムック 午前ごぜんじゅう映画えいがさい12 プログラム』キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、12ぺーじ 
  44. ^ 『ロードショー』. 集英社しゅうえいしゃ. (1975ねん9がつごう(7がつ発行はっこう)) 
  45. ^ a b ハイアム 1986, p. 242.
  46. ^ a b c d e ウォーカー 2003, p. 288.
  47. ^ オードリイ・ヘップバーン全集ぜんしゅう 1966, pp. 49–50.
  48. ^ a b ウッドワード 1993, p. 298.
  49. ^ ウッドワード 1993, pp. 298–299.
  50. ^ a b ウッドワード 1993, p. 299.
  51. ^ ウォーカー 2003, p. 289.
  52. ^ a b アーウィン&ダイヤモンド 2006, p. 129.
  53. ^ パリス 下巻げかん 1998, p. 108.
  54. ^ 15 edition. 1967 Awards”. SAN SEBASTIAN FILM FESTIVAL. 2022ねん4がつ10日とおか閲覧えつらん
  55. ^ TWO FOR THE ROAD : GOLDEN SHELL FOR BEST FILM”. San Sebastián International Film Festival. 2022ねん4がつ9にち閲覧えつらん
  56. ^ オードリイ・ヘップバーン全集ぜんしゅう 1966, p. 59.
  57. ^ クラーク・キオ 2000, p. 121.
  58. ^ a b c クラーク・キオ 2000, p. 127.
  59. ^ クラーク・キオ 2000, pp. 127–128.
  60. ^ モスキーノ2013ssは、ビーハイヴとミニドレスで’60満開まんかい”. VOGUE JAPAN. 2021ねん10がつ8にち閲覧えつらん
  61. ^ SPRING 2013 READY-TO-WEAR,Moschino”. VOGUE. 2012ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  62. ^ a b バーミリー 1997, p. 190.
  63. ^ a b c アーウィン&ダイヤモンド 2006, p. 124.
  64. ^ a b パリス 下巻げかん 1998, p. 98.
  65. ^ クラーク・キオ 2000, p. 119.
  66. ^ ハイアム 1986, p. 238.
  67. ^ a b 『スクリーン特別とくべつ編集へんしゅう オードリー・ヘプバーン 世界せかい魅了みりょうした20さくヒロインしゅう近代映画社きんだいえいがしゃ、2004ねん2がつ10日とおか、105ぺーじ 
  68. ^ 皆川みなかわ正明まさあき『カタログ オードリー・ヘプバーン』雄鶏社おんどりしゃ、1977ねん1がつ25にち初版しょはん発行はっこう、213ぺーじ 
  69. ^ かつら千穂ちほキネマ旬報きねまじゅんぽう 1993ねん3がつ下旬げじゅんごう株式会社かぶしきがいしゃキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1993ねん3がつ15にち発行はっこう、28ぺーじ 
  70. ^ 橋本はしもとおさむ清藤きよふじ秀人ひでと『AUDREY HEPBURN さよなら妖精ようせい』KKベストセラーズ、1993ねん3がつ5にち、124ぺーじ 
  71. ^ 淀川よどがわ長治ながはる映画えいがとも 11月ごう臨時りんじ増刊ぞうかん オードリイ・ヘップバーン全集ぜんしゅう株式会社かぶしきがいしゃ映画えいがとも、1966ねん11がつ10日とおか発行はっこう、115ぺーじ 
  72. ^ 藤井ふじい豊和とよかず『オードリー玉手箱たまてばこ』チネアルテ/映画えいがどう出版しゅっぱん、2009ねん11月30にち発行はっこう、93ぺーじ 
  73. ^ a b 双葉ふたば十三郎じゅうざぶろう『『ぼくの採点さいてんひょう2 1960年代ねんだい』』トパーズ・プレス、1988ねん6がつ30にち初版しょはん発行はっこう、62,292-293,592,188-189ぺーじ 
  74. ^ a b 双葉ふたば十三郎じゅうざぶろう『『ぼくの採点さいてんひょう1 1940/1950年代ねんだい』』トパーズ・プレス、1990ねん10がつ15にち初版しょはん発行はっこう、943-944,128-129,720,757-758ぺーじ 
  75. ^ a b c わたし一本いっぽん映画えいがキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1982ねん11月1にち初版しょはん発行はっこう 
  76. ^ a b c わたし一本いっぽん映画えいが(1)』キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1995ねん12月1にち新装しんそうばん初版しょはん発行はっこう、180-183ぺーじ 
  77. ^ スタンリー・ドーネン監督かんとく死去しきょ”. 映画えいが.com. 2019ねん2がつ26にち 12:30閲覧えつらん
  78. ^ スタンリー・ドーネン監督かんとく死去しきょ”. Yahoo!JAPANニュース. 2019ねん2がつ26にち 12:30閲覧えつらん
  79. ^ 橋本はしもとおさむにじのヲルゴオル−あいはまぼろしのなかに』大和やまと書房しょぼう、1988ねん6がつ1にち初版しょはん発行はっこう 
  80. ^ 橋本はしもとおさむにじのヲルゴオル』講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ)、1991ねん9がつ1にち初版しょはん発行はっこう、11-30ぺーじ 
  81. ^ 橋本はしもとおさむ ちょ佐野さのとおる阿部あべはるせい編著へんちょ へん文藝ぶんげい別冊べっさつ オードリー・ヘプバーン 妖精ようせい、そして女性じょせいとして』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2019ねん5がつ30にち初版しょはん発行はっこう、140-151ぺーじ 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • チャールズ・ハイアム ちょ柴田しばた京子きょうこ やく『オードリー・ヘプバーン 映画えいがえた華麗かれい人生じんせい近代映画社きんだいえいがしゃ、1986ねん3がつ15にちISBN 978-4764813212 
  • バリー・パリス ちょ永井ながいあつし やく『オードリー・ヘップバーン 下巻げかん(2001ねん文庫ぶんこばんタイトルは『オードリー・ヘップバーン物語ものがたり』)』集英社しゅうえいしゃ、1998ねん5がつ4にちISBN 978-4087732955 
  • アレグザンダー・ウォーカー ちょ斎藤さいとう静代しずよ やく『オードリー リアル・ストーリー』株式会社かぶしきがいしゃアルファベータ、2003ねん1がつ20日はつかISBN 978-4871984676 
  • イアン・ウッドワード ちょ坂口さかぐち玲子れいこ やく『オードリーのあい真実しんじつ日本文芸社にほんぶんげいしゃ、1993ねん12月25にちISBN 978-4537023886 
  • パメラ・クラーク・キオ ちょ坂口さかぐち玲子れいこ やく『オードリー・スタイル 〜エレガントにシックにシンプルに』講談社こうだんしゃ、2000ねん12月18にちISBN 978-4062105323 
  • ジェリー・バーミリー ちょ河村かわむら美紀みき やく『スクリーンの妖精ようせい オードリー・ヘップバーン』シンコー・ミュージック、1997ねん6がつ13にちISBN 978-4401615766 
  • エレン・アーウィン&ジェシカ・Z・ダイヤモンド『the audrey hepburn treasures』講談社こうだんしゃ、2006ねん9がつ25にちISBN 978-4062134934 
  • 映画えいがとも 11月ごう臨時りんじ増刊ぞうかん オードリイ・ヘップバーン全集ぜんしゅう映画えいがともしゃ、1966ねん11がつ10日とおか 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]