オートクチュールの一 いち 例 れい (パリ・ファッションウィーク 2006 秋 あき ・冬 ふゆ オートクチュール」にて)
オートクチュール(2011年 ねん の一 いち 例 れい )
オートクチュール (フランス語 ふらんすご : haute couture )は、もともとはフランス語 ふらんすご で「高級 こうきゅう な仕立 したて 服 ふく 」を意味 いみ し、現在 げんざい ではパリ ・クチュール組合 くみあい (La Chambre Syndicale de la Couture Parisienne 、ラ・シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌ、通称 つうしょう サンディカ)加盟 かめい 店 てん で注文 ちゅうもん により縫製 ほうせい されるオーダーメイド 一 いち 点 てん 物 ぶつ の最 さい 高級 こうきゅう 仕立 したて 服 ふく を指 さ す。その店 みせ のことは、オートクチュールメゾンという。
対比 たいひ される概念 がいねん は主 おも にプレタポルテ である。
フランス語 ふらんすご で haute (オート)は「高 たか い」「高級 こうきゅう 」を意味 いみ する形容詞 けいようし haut (オー)の女性 じょせい 形 がた 、couture (クチュール。女性 じょせい 名詞 めいし )は「縫製 ほうせい 」「仕立 した て服 ふく 」のことで、高級 こうきゅう 仕立 したて 服 ふく を意味 いみ する。現在 げんざい 、「オートクチュール」はパリのサンディカ加盟 かめい 店 てん のメゾンのもののみに用 もち いられる用語 ようご となっている。
パリ・ファッションウィーク(パリ・コレクション) の時期 じき にはファッション関係 かんけい 者 しゃ がパリに集 あつ まるのをビジネスチャンスと捉 とら え、サンディカ以外 いがい のファッションショーも行 おこな われ商談 しょうだん が行 おこな われるが、サンディカが「in」、サンディカ以外 いがい は「off」と区別 くべつ されている[ 1] 。
サンディカに正式 せいしき に加入 かにゅう するには、パリに一定 いってい 数 すう 以上 いじょう のプロの技術 ぎじゅつ 者 しゃ を抱 かか えたアトリエを持 も つなどの様々 さまざま な条件 じょうけん や審査 しんさ がある。オートクチュールは手仕事 てしごと の高度 こうど な職人 しょくにん 技術 ぎじゅつ が反映 はんえい されたフランスの伝統 でんとう と職人 しょくにん 技 わざ が誇 ほこ る芸術 げいじゅつ 品 ひん であり、スーツ1着 ちゃく が300万 まん 円 えん 以上 いじょう の最 さい 高級 こうきゅう 品 ひん である。歴史 れきし あるフランス特有 とくゆう の服飾 ふくしょく 文化 ぶんか から創造 そうぞう される様々 さまざま な伝統 でんとう 技術 ぎじゅつ 。
今日 きょう までにパリのサンディカに正式 せいしき に加盟 かめい した日本人 にっぽんじん のオートクチュールデザイナーは唯 ただ ひとり、森 もり 英恵 はなえ のみである。
シャンブル・サンディカルの設立 せつりつ
1868年 ねん にフランス・クチュール組合 くみあい (フランス語 ふらんすご : La Chambre Syndicale De La Confection Et De La Couture Pour Dames Et Fillettes )」が創設 そうせつ される[ 2] 。
19世紀 せいき (そして20世紀 せいき 初頭 しょとう まで)パリには多 おお くの高級 こうきゅう 仕立 した て店 てん が乱立 らんりつ しており、「オートクチュール」の規格 きかく も曖昧 あいまい であった。イギリス からやってきたデザイナー のシャルル・フレデリック・ウォルト (1825年 ねん - 1895年 ねん )がこれらの高級 こうきゅう 仕立 した て店 てん をシャンブル・サンディカル(パリ・オートクチュール組合 くみあい )として組織 そしき 化 か した。
デザイナーのピエール・バルマン(Pierre Balmain )と顧客 こきゃく 。(1947年 ねん )
シャネル のオートクチュールのスーツ(1965年 ねん )
シャンブル・サンディカルの設立 せつりつ により、それまで客 きゃく の一方 いっぽう 的 てき な注文 ちゅうもん や、ある程度 ていど の規格 きかく の中 なか から顧客 こきゃく が好 この みのデザイン を指定 してい して作 つく ったり、デザイナー が客 きゃく の希望 きぼう を聞 き きながらデザイン する服 ふく 作 づく りが、デザイナーがデザインしたものを顧客 こきゃく の体 からだ に合 あ わせて仕立 した てて売 う るという「デザイナー主導 しゅどう 」になり、顧客 こきゃく にとって「デザインを買 か う」=「芸術 げいじゅつ 作品 さくひん を買 か う」ということになった。単 たん なるオーダーとのこのような違 ちが いから、デザイナーの社会 しゃかい 的 てき 地位 ちい も大 おお いに高 たか まった。
シャンブル・サンディカルは、コレクション 後 のち に大量 たいりょう に溢 あふ れるコピー品 ひん にも対応 たいおう し、新聞 しんぶん や雑誌 ざっし へ公開 こうかい まで期限 きげん の条件 じょうけん をつけたり、取材 しゅざい するメディア が全 すべ ての店 みせ を取材 しゅざい できるようにコレクションのスケジュール化 か を行 おこな い、海外 かいがい メディアへのアピールにも大 おお いに貢献 こうけん している。
組合 くみあい 加盟 かめい には様々 さまざま な規定 きてい があり、それらをクリアしなければならない。例 たと えば、1年 ねん に2度 ど のコレクションを開催 かいさい 、コレクションでの発表 はっぴょう 数 すう 、アトリエ の常駐 じょうちゅう スタッフの数 かず 、専属 せんぞく マネキン の人数 にんずう などである。加盟 かめい 店 てん はメゾン (maison)と呼 よ ばれ、生地 きじ の選定 せんてい から縫製 ほうせい まで一貫 いっかん して行 おこな う為 ため のアトリエ を持 も っている。しかし、急速 きゅうそく に縮小 しゅくしょう しているオートクチュール産業 さんぎょう ・文化 ぶんか を維持 いじ し、新規 しんき のデザイナーやメゾンを招致 しょうち するために、これらの規定 きてい は年々 ねんねん 、緩 ゆる やかになってきている。
製作 せいさく 方法 ほうほう
製作 せいさく 方法 ほうほう について。顧客 こきゃく 台帳 だいちょう に顧客 こきゃく のカードが足 た され、顧客 こきゃく が接客 せっきゃく 担当 たんとう 者 しゃ に対 たい して語 かた る「好 この み」や「こだわり」が担当 たんとう 者 しゃ に記憶 きおく され紙 し に記録 きろく されてゆく。デザインは基本形 きほんけい のようなものがいくつか店 てん で用意 ようい されているが、つきつめて言 い えば任意 にんい であり、お店 みせ と顧客 こきゃく が相談 そうだん しつつ決 き める[ 注釈 ちゅうしゃく 1] 。 生地 きじ (布地 ぬのじ 、服地 ふくじ )は、店 みせ に多 た 種類 しゅるい 用意 ようい されており、実物 じつぶつ を手 て にとって感触 かんしょく や視覚 しかく 的 てき なイメージも確認 かくにん しつつ、そして店 みせ の接客 せっきゃく 担当 たんとう 者 しゃ からのアドバイスも聞 き きつつ、顧客 こきゃく が選 えら ぶことができる。ひとりひとり異 こと なる顧客 こきゃく の体型 たいけい を採寸 さいすん し、ひとりひとりのパターン (型紙 かたがみ )を起 お こす(そして型紙 かたがみ を店 みせ で保存 ほぞん する[ 注釈 ちゅうしゃく 2] )。 裁断 さいだん はひとつひとつ職人 しょくにん が手 て とハサミ で行 おこな う。縫 ぬ いの工程 こうてい は、コルセット など特別 とくべつ の部分 ぶぶん を除 のぞ いて全 すべ て、縫 ぬ い職人 しょくにん 、いわゆる「お針子 はりこ 」が一 いち 刺 ざ し一 いち 刺 ざ し手縫 てぬ いする。ミシンは使 つか わない。裁断 さいだん された布地 ぬのじ をまずは仮縫 かりぬ いして立体 りったい に組 く み立 たて て、顧客 こきゃく に再 さい 来店 らいてん してもらい身体 しんたい に合 あ うかどうか確 たし かめ微 ほろ 調整 ちょうせい を行 おこな うことを2、3度 ど 繰 く り返 かえ し、最後 さいご に本 ほん 縫 ぬ いを行 おこな い完成 かんせい させる。
刺繍 ししゅう もレース もみな手編 てあ みである。刺繍 ししゅう などの部分 ぶぶん 的 てき な加工 かこう は「ルサージュ」などの専 せん 門 もん のアトリエに外注 がいちゅう されることが多 おお い。ルサージュも含 ふく め、靴 くつ 、帽子 ぼうし 、ボタン、金 かね 細工 ざいく などを行 おこな うアトリエは元々 もともと 、家内 かない 手 しゅ 工場 こうじょう のような小 ちい さな資本 しほん のアトリエであった。そこにオートクチュールビジネスの縮小 しゅくしょう ・顧客 こきゃく の減少 げんしょう が拍車 はくしゃ をかけ、経済 けいざい 的 てき に非常 ひじょう に困難 こんなん に陥 おちい っていたが、2000年代 ねんだい にそのほとんどのアトリエを「シャネル」のメゾンが買 か い取 と り、その傘下 さんか に置 お いた。それはシャネルという十分 じゅうぶん な資本 しほん を持 も ったメゾンが経済 けいざい 的 てき に資本 しほん 支援 しえん をすることを意味 いみ し、パリのオートクチュールという文化 ぶんか 保存 ほぞん の意味 いみ になり、フランスでは高 たか く評価 ひょうか された。また、装飾 そうしょく 品 ひん 、帽子 ぼうし や靴 くつ などのアクセサリーも専 せん 門 もん のアトリエや外部 がいぶ のデザイナーが担当 たんとう する。
オートクチュールは、最高 さいこう の服飾 ふくしょく 素材 そざい を用 もち いた熟練 じゅくれん した職人 しょくにん の手仕事 てしごと による最 さい 高級 こうきゅう 服 ふく であるため、非常 ひじょう に高価 こうか である。シンプルなスーツ一 いち 着 ちゃく は300万 まん 円 えん 程度 ていど からであり、美 うつく しいシルエットのレースやビーズ刺繍 ししゅう の装飾 そうしょく 的 てき なドレスなどはその金額 きんがく をさらに上回 うわまわ る。そのため顧客 こきゃく はアラブの石油 せきゆ 王 おう や貴族 きぞく 、世界中 せかいじゅう の上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう であるセレブリティー である。
1970年代 ねんだい のプレタポルテ の台頭 たいとう により、現在 げんざい はシャネル などの一部 いちぶ のメゾン を除 のぞ けば殆 ほとん どが赤字 あかじ 経営 けいえい である。1950年代 ねんだい 以降 いこう 、顧客 こきゃく が減少 げんしょう し続 つづ けている為 ため 、現在 げんざい ではメゾンのほとんどがプレタポルテも手 て がけている。それでもなおオートクチュール部門 ぶもん を会社 かいしゃ が閉鎖 へいさ しないのは、オートクチュールの服 ふく も作 つく っていることでブランド のイメージ (ブランドの「格 かく 」)を高 たか めることができ、プレタポルテや香水 こうすい 、ライセンス 事業 じぎょう の売 う り上 あ げが伸 の びるからである。
現在 げんざい の各 かく メゾンの顧客 こきゃく の合計 ごうけい 総数 そうすう ははっきりしないが、一説 いっせつ には毎 まい シーズン注文 ちゅうもん をする顧客 こきゃく は世界中 せかいじゅう でせいぜい500人 にん くらいと言 い われている。王侯 おうこう 貴族 きぞく や有名 ゆうめい 女優 じょゆう 、世界 せかい 各国 かっこく のファーストレディ 達 いたる が主 おも な顧客 こきゃく となる。
ジャクリーン・オナシス (元 もと ケネディ大統領 だいとうりょう 夫人 ふじん )はヴァレンティノ・ガラヴァーニ 、オードリー・ヘプバーン はジバンシィ 、カトリーヌ・ドヌーヴ はイヴ・サン=ローラン 、アヌーク・エーメ はエマニュエル・ウンガロ 、ジャンヌ・モロー はピエール・カルダン 、マドンナ とクリスチャン・ラクロワ (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) 、ジャン・ポール・ゴルティエ 等 ひとし 。日本人 にっぽんじん で代表 だいひょう 的 てき だったのは、イヴ・サン=ローラン 、ニナ・リッチ を愛用 あいよう した歌手 かしゅ の越路 こしじ 吹雪 ふぶき 。1971年 ねん の訪欧 ほうおう 、1975年 ねん の訪米 ほうべい の香 こう 淳 じゅん 皇后 こうごう ドレス一式 いっしき の制作 せいさく はフランス のデザイナーのピエール・バルマン (英語 えいご 版 ばん ) [ 3] 。オートクチュールのアトリエ には、顧客 こきゃく の名前 なまえ の記 しる されたリアルサイズのトルソー(マネキン )が置 お いてある。
オートクチュールを人々 ひとびと に紹介 しょうかい する展示 てんじ ショーが、パリにおいて、毎年 まいとし 数 すう 度 ど 、集中 しゅうちゅう 的 てき ・組織 そしき 的 てき に行 おこな われる。期間 きかん を区切 くぎ って行 おこな うので、それを正式 せいしき 用語 ようご でパリ・ファッションウィーク (Paris Fashion Week)[ 4] といい、これは登録 とうろく 商標 しょうひょう にもなっており印刷物 いんさつぶつ などでは登録 とうろく 商標 しょうひょう を示 しめ すRマーク をつけて表示 ひょうじ され、各 かく 年 とし のそれを区別 くべつ する時 とき は、末尾 まつび に開催 かいさい 年 ねん をつけて「パリ・ファッションウィーク 2022」などと呼 よ ぶ。(なお日本人 にっぽんじん は和製 わせい 英語 えいご でパリ・コレクションと呼 よ び、4文字 もじ 略語 りゃくご 好 す きの日本人 にっぽんじん はパリコレと略 りゃく す。なぜ日本人 にっぽんじん が登録 とうろく 商標 しょうひょう を勝手 かって に改 かい ざんするようになったか、理由 りゆう は不明 ふめい 。)。
1950年代 ねんだい まではパリ・ファッションウィーク(パリコレ) と言 い えば、オートクチュールのショーを指 さ したが、パリでは1960年代 ねんだい からスタートしたプレタポルテがその後 ご 隆盛 りゅうせい を極 きわ め、現在 げんざい のパリ・ファッションウィークでは、プレタポルテとオートクチュールの双方 そうほう を扱 あつか う。毎年 まいとし 1月 がつ と7月 がつ に開催 かいさい されるパリ・ファッションウィーク・オートクチュールには、サンディカ正式 せいしき 加盟 かめい 店 てん (Membres)とフランス国外 こくがい 招待 しょうたい メンバー(ブランド)(Membre Correspondant)、招待 しょうたい されたメンバー(ブランド)(Membre Invité)だけが参加 さんか できる。
シャネルのパリの店舗 てんぽ
^ 2015年 ねん 3月 がつ 12日 にち 21時 じ NHKBSプレミアム放送 ほうそう 世界 せかい で一番 いちばん 美 うつく しい瞬間 しゅんかん ファッションの最高峰 さいこうほう 輝 かがや く5日間 にちかん フランス パリ
^ 「ファッション・マーケティング」p100 塚田 つかだ 朋子 ともこ 同文 どうぶん 舘 だて 出版 しゅっぱん 平成 へいせい 21年 ねん 2月 がつ 1日 にち 初版 しょはん 発行 はっこう
^ 文化出版局 ぶんかしゅっぱんきょく 発行 はっこう 「服飾 ふくしょく 辞典 じてん 」世界 せかい のデザイナー フランス(オートクチュール) ピエール・バルマン
^ [1]
^ デザイナーはテキスタイル デザインも行 おこ なうことがある。
^ 店 みせ が型紙 かたがみ を保存 ほぞん することで、同 おな じ顧客 こきゃく が(体型 たいけい が変 か わらないうちは)、同 どう 一 いち デザインで生地 きじ や色 いろ を変 か えたものを、採寸 さいすん 抜 ぬ きで、比較的 ひかくてき 簡単 かんたん に発注 はっちゅう できるようになる。店 みせ の顧客 こきゃく 台帳 だいちょう に名前 なまえ が記録 きろく され型紙 かたがみ が保存 ほぞん されることで、店 みせ と顧客 こきゃく の絆 きずな が強 つよ められ、繰 く り返 かえ し利用 りよう してもらえる可能 かのう 性 せい が高 たか まる。
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