アイスランド侵攻しんこう

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アイスランド侵攻しんこう

イギリスぐん予想よそうてき降下こうか地点ちてんあお地点ちてん破壊はかいし、重要じゅうようみなとあか)を確保かくほする計画けいかくだった。
しかし輸送ゆそうじょう問題もんだいにより部隊ぶたいがアイスランド北部ほくぶ到着とうちゃくするまでに1週間しゅうかん以上いじょうかかってしまった
戦争せんそうだい世界せかい大戦たいせん
年月日ねんがっぴ1940ねん5がつ10日とおか
場所ばしょ アイスランド
結果けっかイギリスぐん勝利しょうり
交戦こうせん勢力せいりょく
イギリスの旗 イギリス アイスランド
指導しどうしゃ指揮しきかん
ロバート・スタージェス ヘルマン・ヨーナソン
戦力せんりょく
746めい
やく60めい
損害そんがい
1めい自殺じさつ
不明ふめい

アイスランド侵攻しんこう(アイスランドしんこう、Invasion of Iceland)は、だい世界せかい大戦たいせんにおいてイギリスが、1940ねん5がつ10日とおか中立ちゅうりつこくアイスランド王国おうこく侵攻しんこうした軍事ぐんじ行動こうどうである。作戦さくせんめいは「フォーク作戦さくせん(Operation Fork)」。

概要がいよう[編集へんしゅう]

イギリスぐん上陸じょうりくしたレイキャヴィークみなとまち

1940ねん5がつ10日とおか早朝そうちょうイギリス海兵かいへいたい中立ちゅうりつこくであるアイスランド王国おうこく首都しゅとレイキャヴィーク上陸じょうりくし、侵攻しんこう作戦さくせん開始かいしされた。抵抗ていこうもなく上陸じょうりくした部隊ぶたいは、すみやかに通信つうしんもう封鎖ふうさし、戦略せんりゃくじょう要所ようしょ確保かくほおよびドイツじん民間みんかんじん逮捕たいほおこなった。部隊ぶたい現地げんち輸送ゆそう手段しゅだん徴発ちょうはつし、クヴァールフィヨルズルHvalfjörður)、カルダザルネースKaldaðarnes)、サンドスケイズSandskeið)およびアクラネース移動いどうドイツぐん反撃はんげき予想よそうされるてき上陸じょうりく降下こうか地点ちてん確保かくほおこなった。数日すうじつのうちに対空たいくうほう部隊ぶたいがレイキャヴィークに配置はいちされ、分遣ぶんけんたいアークレイリおくられた。

同日どうじつよる、アイスランド王国おうこく政府せいふは、この攻撃こうげきはアイスランドの中立ちゅうりつ独立どくりつを“はなはだしくおかす”ものであり、すべての損害そんがいたいする補償ほしょうもとめるというむね抗議こうぎ文書ぶんしょ提出ていしゅつした。それにたいしイギリスはその補償ほしょう有益ゆうえき事業じぎょう協定きょうてい締結ていけつ内政ないせい不干渉ふかんしょうおよび終戦しゅうせんぜん部隊ぶたい撤収てっしゅう約束やくそくした。じょう、アイスランド当局とうきょく正式せいしきには中立ちゅうりつ方針ほうしん維持いじするものの、事実じじつじょう侵攻しんこうぐんたいしての協力きょうりょくおこなった。

侵攻しんこうぐんは746めい海兵かいへいたいからなっていたが、装備そうび不十分ふじゅうぶんで、基本きほんてき訓練くんれん不足ふそくしていた。かれらは作戦さくせんには成功せいこうしたものの、10まん3せん平方へいほうkmのしま守備しゅびするにはあきらかに戦力せんりょく不足ふそくだった。5月17にち、4,000めいイギリス陸軍りくぐん部隊ぶたい到着とうちゃくし、海兵かいへいたい交代こうたいした。のちにアメリカぐん戦争せんそうのこりの期間きかんアイスランドを占領せんりょうした。

背景はいけい[編集へんしゅう]

アイスランド独立どくりつ小史しょうし[編集へんしゅう]

500ねん以上いじょうながきにわたるデンマーク統治とうち時代じだいのち1918ねんにアイスランドはデンマークおな君主くんしゅ(デンマーク国王こくおう)をいただき、外交がいこう政策せいさく共有きょうゆう事実じじつじょうデンマークに委任いにん)する同君どうくん連合れんごう構成こうせいこくアイスランド王国おうこく」として独立どくりつした[1]連合れんごう条約じょうやく1942ねん発効はっこうまでに修正しゅうせいおこなえることとし、合意ごういたっしなかった場合ばあいにはその3ねん一方いっぽうてき破棄はきできるとされた[1]1928ねんまでには、すべてのアイスランドの政党せいとうあいだで、同盟どうめい条約じょうやくをできるかぎすみやかに破棄はきするという方向ほうこう合意ごういしていた[2]あたらしくまれたアイスランド王国おうこく武装ぶそう中立ちゅうりつ宣言せんげんした[1]

だい世界せかい大戦たいせん[編集へんしゅう]

国王こくおうクリスチャン10せいは『タイム』にたいし、「アイスランドにおいては、かつての君主くんしゅほど不人気ふにんきなわけではない」とかたったが[3]、ほとんどのアイスランドじんはデンマークからの完全かんぜん独立どくりつ熱望ねつぼうしていた。

1940ねん4がつ9にちドイツぐんヴェーゼル演習えんしゅう作戦さくせん発動はつどうし、ノルウェーとデンマークに侵攻しんこうした。デンマークはそののうちに降伏ごうぶく占領せんりょうされた。4がつ10日とおかアルシング(アイスランド議会ぎかい)は、デンマーク国王こくおうクリスチャン10せいがもはや憲法けんぽうじょう職務しょくむ遂行すいこうすることができないとし、それまでアイスランドにわってデンマークがおこなっていたすべての責務せきむとともに、それらをアイスランド政府せいふすることを宣言せんげんした[4]。アイスランドは完全かんぜんかれらのものとなった。

4がつ12にち、イギリスぐんヴァレンタイン作戦さくせん発動はつどうし、デンマークりょうフェロー諸島しょとう占領せんりょうした。 ドイツのデンマークおよびノルウェー侵攻しんこうけて、イギリス政府せいふないではドイツぐんほどなくアイスランドに進駐しんちゅうしようとするのではという懸念けねん増大ぞうだいした。これはイギリスの北大西洋きたたいせいよう支配しはいたいする重大じゅうだい脅威きょういになるとかんがえられた。同様どうよう重要じゅうよう事案じあんとして、イギリスは北大西洋きたたいせいようの「GIUKギャップ」の哨戒しょうかい強化きょうかするということもあり、アイスランドにかれらの基地きちつことを切望せつぼうしていた[5]

4がつ9にち、イギリス政府せいふはアイスランド政府せいふ書簡しょかんおくり、イギリスはアイスランドの独立どくりつ支援しえんする用意よういがあるが、それにはアイスランドに便宜べんぎはかってもらう必要ひつようがあるとつたえた。それは“イギリスの盟友めいゆうとして参戦さんせんする”ということだったが、アイスランド政府せいふはそれを拒否きょひした[6]

作戦さくせん計画けいかく[編集へんしゅう]

8帰宅きたく食事しょくじ仕事しごと来週らいしゅうにアイスランド征服せいふく計画けいかくすること。十中八九じっちゅうはっくおそすぎる! なんかのアヒルのれをた。 — アレクサンダー・カドーガン、1940ねん5がつ4にち日記にっき最後さいごより[7]

ノルウェーの戦況せんきょう悪化あっかし、イギリス海軍かいぐん本部ほんぶは、もはやアイスランドに基地きちくしてはまないという結論けつろんたっした。5月6にちイギリス首相しゅしょうウィンストン・チャーチル戦時せんじ内閣ないかく状況じょうきょう説明せつめいした。チャーチルは、アイスランドとの交渉こうしょうをこれ以上いじょうつづけるならば、ドイツがそれをって先手せんてってくると主張しゅちょうした。より確実かくじつかつ効果こうかてき解決かいけつさくは、事前じぜん通告つうこくなしに軍隊ぐんたい上陸じょうりくさせ、“既成きせい事実じじつ”としてアイスランド政府せいふきつけることだった。内閣ないかくはそれに同意どういした[8]。 その侵攻しんこう場当ばあたりてき準備じゅんびされ[9]作戦さくせん内容ないようのほとんどは現地げんち途上とじょう計画けいかくされた。侵攻しんこう部隊ぶたいにはすうまい粗末そまつ地図ちずしかあたえられず、そのなかひとつにいたってはだれかの記憶きおくもとえがかれていた。また、アイスランド堪能かんのうもの一人ひとりもいなかった[10]。 イギリスぐん計画けいかくでは、ぜん部隊ぶたいがレイキャヴィークに上陸じょうりくすることとなった。そこで、

  • あらゆる抵抗ていこう排除はいじょし、現地げんちのドイツじん監視かんしにおく。
  • ドイツぐんうみからの反撃はんげき対応たいおうするためみなと占拠せんきょし、部隊ぶたい一部いちぶ隣接りんせつするクヴァルフィヨルズゥル陸路りくろおくる。

また、北欧ほくおう侵攻しんこうおおきな戦果せんかげたドイツぐん空挺くうてい部隊ぶたいにも憂慮ゆうりょしていたため、

とされた[11]海軍かいぐん情報じょうほう(NID)は3つの有力ゆうりょく情報じょうほうげんからなんらかの抵抗ていこうがあると予想よそうしていた。現地げんちのドイツじん何人なんにんかは武器ぶきっているとかんがえられており、抵抗ていこうするか、さもなくばあるしゅクーデターこすことさえかんがえられた。さらに、ドイツぐん侵攻しんこう部隊ぶたいすでにアイスランドへの途上とじょうにあるか、あるいはイギリスぐん上陸じょうりくただちに出動しゅつどうするかもれなかった。また、やく70めい武装ぶそうした隊員たいいん構成こうせいされたレイキャヴィーク警察けいさつ抵抗ていこう予想よそうされた。偶然ぐうぜんデンマークの巡視じゅんしていがレイキャヴィークにいた場合ばあい、デンマーク水兵すいへい守備しゅびたい支援しえんするかもれなかった[12]

フォーク作戦さくせん[編集へんしゅう]

スタージェス部隊ぶたい[編集へんしゅう]

1940ねん5月3にちサリーしゅうビスレーのイギリス海兵かいへいたいだい2大隊だいたいは、ロンドンから、目的もくてきらされないまま、通知つうちから2あいだ移動いどう開始かいしできるように準備じゅんびしておけという命令めいれいった。この大隊だいたい前月ぜんげつ編成へんせいされたばかりの部隊ぶたいであり、現役げんえき士官しかんかくとなっていたが、一般いっぱんへい新兵しんぺいばかりで部分ぶぶんてき訓練くんれんしかけていなかった[13]。また、小銃しょうじゅう拳銃けんじゅう銃剣じゅうけんといった武器ぶき不足ふそくしており、海兵かいへい隊員たいいんのうち50めい小銃しょうじゅうったばかりでまだ試射ししゃもしていなかった。5月4にち大隊だいたいはある程度ていどブレンけい機関きかんじゅう対戦たいせんしゃほうおよび2インチ迫撃はくげきほうった。武器ぶき照準しょうじゅん調整ちょうせい習熟しゅうじゅくくだけの時間じかんもなく、それらは海上かいじょうおこなわなければならなかった[14]支援しえん火器かき3.7インチ山砲さんぽう2もんポンポンほう4もんおよび4インチ沿岸えんがんほう2もん支給しきゅうされた[14]火砲かほう海軍かいぐんおよび海兵かいへいたい砲兵ほうへいったが、それまでこれら火砲かほう使用しようした経験けいけんのあるものはいなかった[14]。また、サーチライト、通信つうしん機器ききおよび射撃しゃげき指揮しき装置そうち不足ふそくしていた[15]ロバート・スタージェス大佐たいさ部隊ぶたい指揮しきまかされた。49さいになるかれは、だいいち世界せかい大戦たいせんガリポリのたたかユトランドおき海戦かいせんたたかった、高名こうみょう歴戦れきせん兵士へいしだった[16]かれハンフリー・クイル少佐しょうさ指揮しき小規模しょうきぼ情報じょうほうチャールズ・ハワード・スミス団長だんちょうとする外交がいこう使節しせつだんともなった[13]。これらをのぞき、侵攻しんこう部隊ぶたいは746めいへい構成こうせいされた[17]

アイスランドへのみちのり[編集へんしゅう]

5月6にち、スタージェス部隊ぶたい列車れっしゃスコットランドグリーノックかった。自身じしん注意ちゅういくことをけるようにという命令めいれいで、部隊ぶたいを2つにけ、時間じかんをずらし、別々べつべつ列車れっしゃ移動いどうした[18]。しかし、列車れっしゃおくれによりそれぞれはどう時刻じこくにグリーノックえき到着とうちゃくしてしまい、秘匿ひとく行動こうどう努力どりょくもわずかながら無駄むだになった[18]。さらに、機密きみつ部隊ぶたい出発しゅっぱつするころにはれており、グリーノックにいたころには目的もくてきはアイスランドだと全員ぜんいんっていた[13]

ほん作戦さくせん指揮しきかん じゅう巡洋艦じゅんようかんベリック
1940ねん5がつわたしたちは海兵かいへいたいをアイスランドへ輸送ゆそうし、アイスランドはドイツぐんによる占領せんりょうふせぐため5がつ10日とおか占領せんりょうされました。おおくのドイツ人民じんみんあいだじん技術ぎじゅつしゃ捕虜ほりょとなりイギリスへ移送いそうされました。アイスランドへの航路こうろはすごい荒波あらなみで、ほとんどの海兵かいへい隊員たいいん艦内かんないちゅう舷門げんもんやメス・デッキでみだし、船酔ふなよいでへばっていました。一人ひとり不幸ふこう海兵かいへい隊員たいいん自殺じさつしてしまいました。 — スタン・フォアマン、巡洋艦じゅんようかんベリック勤務きんむ下士官かしかん[19]

5月7にちあさ部隊ぶたいは、かれらをアイスランドへはこ巡洋艦じゅんようかんベリックおよびグラスゴー停泊ていはくするグリーノックのみなとかった。乗艦じょうかんはじまったが、すうおおくの問題もんだいとさまざまなおくれになやまされた。結局けっきょく出発しゅっぱつ5月8にち延期えんきされたが、それでも桟橋さんばし大量たいりょう装備そうびひん補給ほきゅう物資ぶっしのこしていかなければならなかった[20]。 5月8にちあさ4巡洋艦じゅんようかんはアイスランドへ出発しゅっぱつした。たいせん哨戒しょうかいとして駆逐くちくかんフィアレスフォーチュン随伴ずいはんした。巡洋艦じゅんようかんてられただけの兵員へいいん輸送ゆそうするようには設計せっけいされていなかったため、なかはすしめの状態じょうたいだった[10]天候てんこうはかなりよかったにもかかわらず、おおくの海兵かいへい隊員たいいんはひどい船酔ふなよにかかった。航海こうかいちゅう時間じかん武器ぶき調整ちょうせい習熟しゅうじゅくてられた[21]

1人ひとり海兵かいへいたい新兵しんぺい途中とちゅう自殺じさつしたが[22]航海こうかいちゅうにその問題もんだいきなかった[15]

奇襲きしゅう効果こうか喪失そうしつ[編集へんしゅう]

スーパーマリン ウォーラスはほぼどんな場所ばしょでもりることができるという長所ちょうしょがあったが、結局けっきょくアイスランドでの作戦さくせんにはてきさないと判明はんめいした[23]

アイスランド時間じかん5がつ10日とおか午前ごぜん147ふん巡洋艦じゅんようかんベリックはカタパルトから偵察ていさつスーパーマリン ウォーラス射出しゃしゅつした[24]偵察ていさつだいいち目的もくてきはレイキャヴィーク周辺しゅうへんでのてき潜水せんすいかん探索たんさくだった。海軍かいぐん情報じょうほうてき潜水せんすいかんがアイスランド港外こうがい活動かつどうしていると確信かくしんしていた[24]。ウォーラスのパイロットはレイキャヴィーク上空じょうくう飛行ひこうしてはならないとめいじられていたが、(偶然ぐうぜんか、命令めいれい伝達でんたつミスのどちらかによる結果けっかまち上空じょうくうをやかましいおとてながらすうかい旋回せんかいしてしまった[25]。このころのアイスランドは航空機こうくうき所有しょゆうしておらず、このめずらしい出来事できごとおおくの人々ひとびとたたこし、警戒けいかいさせた[26]アイスランド首相しゅしょうヘルマン・ヨーナソンHermann Jónasson)もアイスランド警察けいさつとおなじように飛行機ひこうき注意ちゅういけた[27]警察けいさつ署長しょちょう代理だいりエーイナル・アーナルズ(Einar Arnalds)は、多分たぶんそれが、予定よていされていたあたらしい大使たいしせたイギリス軍艦ぐんかんからんでたものだろうとおもっていた[27] ドイツ領事りょうじヴェルナー・ゲールラッハde:Werner Gerlach)もまた、飛行機ひこうき注意ちゅういかれた。不安ふあんかんじたかれはドイツじん同僚どうりょうともみなとくるまはしらせた[28]かれ双眼鏡そうがんきょうのぞき、不安ふあん的中てきちゅうしたのを確認かくにんし、いそいでかえった[29]帰宅きたくしたかれは、書類しょるい焼却しょうきゃく手配てはいし、アイスランド外務がいむ大臣だいじん電話でんわ連絡れんらくをとろうとしたができなかった[30]

上陸じょうりく[編集へんしゅう]

午前ごぜん340ふん1人ひとりのアイスランド警察官けいさつかんみなとしょう艦隊かんたいちかづいてくるのを発見はっけんしたが、国籍こくせき識別しきべつできなかった。かれかれ上司じょうしである警察けいさつ署長しょちょう代理だいりアーナルズへ報告ほうこくした[31]。アイスランドの中立ちゅうりつほうでは、3せきえる交戦こうせん国軍こくぐんかん同時どうじ中立ちゅうりつこう使用しようすることをきんじていた。またそれら艦船かんせんからのいかなる航空機こうくうき中立ちゅうりつ海域かいいき上空じょうくう飛行ひこうすることをきんじられていた[32]接近せっきんする艦隊かんたいが2つの方法ほうほうでアイスランドの中立ちゅうりつおかしていたので、アーナルズは調査ちょうさかった[32]みなとったかれ自身じしん艦隊かんたいて、おそらくイギリスぐんだろうとおもった。かれ外務省がいむしょう連絡れんらくをとり、かれ艦隊かんたいおもむき、指揮しきかんにアイスランドの中立ちゅうりつおかしていることを通知つうちすべきかどうか確認かくにんをとり[33]税関ぜいかん職員しょくいんにボートを用意よういするようめいじた[33]一方いっぽう巡洋艦じゅんようかんベリックでは、海兵かいへい隊員たいいんみなと接岸せつがんする駆逐くちくかんフィアレスにうつるようめいじられていた。船酔ふなよいと経験けいけん不足ふそくのせいで作業さぎょうおくれ、将校しょうこうたち苛立いらだたせた[34]あさ5直前ちょくぜんに400めい海兵かいへい隊員たいいんせたフィアレスがみなとかった[35]みなとには人々ひとびとあつまってきてちいさな群集ぐんしゅうをなし、そのなかには税関ぜいかんのボートをすうめい警察官けいさつかんもいた。イギリス領事りょうじ侵攻しんこう事前じぜんらされており、部隊ぶたい到着とうちゃくしたとき支援しえんするために同僚どうりょうともっていた。困惑こんわくしている群衆ぐんしゅうなか、イギリス領事りょうじシェファードは警察官けいさつかんかってたずねた。「すいませんが…兵士へいし駆逐くちくかんからりられるように群衆ぐんしゅうすこうしろにがらせてもらえませんかね?」警察官けいさつかんこたえた。「いいですとも[35]」。 駆逐くちくかんフィアレスが接岸せつがんすると、ただちに上陸じょうりくはじまった[36]警察けいさつ署長しょちょう代理だいりアーナルズは駆逐くちくかん艦長かんちょうとの会見かいけんもとめたが拒否きょひされた[37]かれいそ首相しゅしょう報告ほうこくし、ヨーナソン首相しゅしょうかれにイギリスぐん干渉かんしょうしないよう、そしてアイスランド住民じゅうみんとの衝突しょうとつふせぐようめいじた[37]上陸じょうりくちゅう現地げんちじん何人なんにんかはイギリスぐん到着とうちゃく抗議こうぎした。1人ひとりのアイスランドじん海兵かいへい隊員たいいんから小銃しょうじゅううばり、それにタバコんだ。かれはそれを海兵かいへい隊員たいいんがえし、そいつに注意ちゅういしろよとった。1人ひとり将校しょうこうてその海兵かいへい隊員たいいんしかった[38]

レイキャヴィークでの作戦さくせん行動こうどう[編集へんしゅう]

イギリスぐん郵便ゆうびんきょく見張みはりをき、ドアにがみすることでレイキャヴィークでの作戦さくせん開始かいしした[39]がみには片言かたことのアイスランドで、このまちはイギリスぐん占領せんりょうし、当地とうちのドイツじん対処たいしょするさい協力きょうりょくもとめるとかれていた[40]侵攻しんこうのニュースがベルリンにとどくのをふせぐため、Síminn(シーミン、国営こくえい通信つうしんサービス会社かいしゃ)、RÚV(ルーヴ、国営こくえい放送ほうそうサービス会社かいしゃ)および気象庁きしょうちょう事務所じむしょすみやかにイギリスぐん支配しはいかれた[41]一方いっぽう、ドイツ領事館りょうじかん占拠せんきょさい優先ゆうせん事項じこうてられていた。領事館りょうじかんくと、イギリスへい抵抗ていこう兆候ちょうこうられなかったため安心あんしんしてドアをノックした。ドイツ領事りょうじゲーラッハはドアをけ、アイスランドが中立ちゅうりつこくであることを指摘してきし、侵攻しんこうたいして異議いぎもうてた。かれはデンマークもまた中立ちゅうりつこくであったことを同様どうよう指摘してきされた[42]。イギリスぐん建物たてもの階上かいじょうほのお発見はっけんし、大量たいりょう文書ぶんしょ領事館りょうじかん浴槽よくそうやされているのをつけた。かれらはし、相当そうとうすう記録きろく文書ぶんしょ押収おうしゅうした[43]。 イギリスぐんはまた、ドイツ貨物かもつせん「バイア・ブランカごう」の乗組のりくみいん抵抗ていこう予期よきしていた。バイア・ブランカごうデンマーク海峡かいきょう氷山ひょうざん衝突しょうとつし、62めいがアイスランドのトロとろル船るせん救助きゅうじょされていた。海軍かいぐん情報じょうほうはそのドイツじんらはじつはドイツ潜水せんすいかん予備よび乗組のりくみいんだとしんじており、アイスランドのそと活動かつどうしているとかんがえていた[44]実際じっさいには武器ぶきたないドイツじん何事なにごともなくらえられた[45]

結末けつまつ[編集へんしゅう]

イギリスぐんはドイツの侵攻しんこうのいかなる危険きけんにも事前じぜん対処たいしょすることになっていたが、実際じっさい計画けいかくされることはなかった。イギリスの侵攻しんこうのちに、ドイツはこれに介入かいにゅうするイカロス作戦さくせん準備じゅんびしたが、おそらく兵站へいたんじょう理由りゆうにより放棄ほうきされた。 その、イギリスぐんはここの部隊ぶたい必要ひつようとし、1941ねん7がつ、アイスランドでの責務せきむをアメリカ=アイスランド防衛ぼうえい協定きょうていもとづきアメリカ移管いかんすることに同意どういした。イギリスはアルシングにアメリカの占領せんりょうぐん承認しょうにんするよう説得せっとくし、アイスランドには成人せいじん男性だんせい人口じんこう上回うわまわる4まん占領せんりょうぐん駐留ちゅうりゅうした(当時とうじのアイスランドのそう人口じんこうやく12まんにん)。 占領せんりょうのちおおくのイギリスぐん半円はんえんがたプレハブ兵舎へいしゃニッセン・ハットNissen hut)がのちのこされた。それは戦後せんご住宅じゅうたく不足ふそくおり民間みんかん住宅じゅうたく使用しようされた。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c Gunnar Karlsson:283.
  2. ^ Gunnar Karlsson:319.
  3. ^ "Nobody's Baby", Time, April 22, 1940.
  4. ^ Þór Whitehead 1995:272.
  5. ^ Bittner 33-4.
  6. ^ Bittner 34.
  7. ^ Cadogan 276.
  8. ^ Bittner 38.
  9. ^ Bittner 40.
  10. ^ a b Þór Whitehead 1995:363.
  11. ^ Þór Whitehead 1995:353.
  12. ^ Þór Whitehead 1995:354, Bittner 36.
  13. ^ a b c Bittner 41.
  14. ^ a b c Bittner 42, Þór Whitehead 1995:352.
  15. ^ a b Bittner 42.
  16. ^ Þór Whitehead 1995:352.
  17. ^ Þór Whitehead 1999:305. いくつかのふるいソースでは815めいとされているが、これは正確せいかくではない。
  18. ^ a b Þór Whitehead 1995:361.
  19. ^ accessed July 28, 2007. WW2 People's War: Stan Foreman's War Years 1939-1945
  20. ^ Bittner 42, Þór Whitehead 1995:362.
  21. ^ Þór Whitehead 1995:364.
  22. ^ Þór Whitehead 1995:374-5, Miller 88.
  23. ^ Bittner 76.
  24. ^ a b Þór Whitehead 1995:379.
  25. ^ Þór Whitehead 1995:380, 1999:15.
  26. ^ Þór Whitehead 1995:15.
  27. ^ a b Þór Whitehead 1999:17.
  28. ^ Þór Whitehead 1995:380-384.
  29. ^ Þór Whitehead 1999:11.
  30. ^ Þór Whitehead 1999:30-32.
  31. ^ Þór Whitehead 1999:15-17.
  32. ^ a b Þór Whitehead 1999:17.
  33. ^ a b Þór Whitehead 1999:22-23.
  34. ^ Miller 88, Þór Whitehead 1999:10.
  35. ^ a b Þór Whitehead 1999:24-25.
  36. ^ Þór Whitehead 1999:25.
  37. ^ a b Þór Whitehead 1999:28.
  38. ^ Þór Whitehead 1999:27.
  39. ^ Þór Whitehead 1999:33.
  40. ^ Þór Whitehead 1999:34.
  41. ^ Þór Whitehead 1999:35.
  42. ^ Þór Whitehead 1999:39.
  43. ^ Bittner:43.
  44. ^ Þór Whitehead 1995:356.
  45. ^ Þór Whitehead 1999:47.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Bittner, Donald F. (1983). The Lion and the White Falcon: Britain and Iceland in the World War II Era. Hamden: Archon Books. ISBN 0-208-01956-1 
  • Cadogan, Alexander George Montagu, Sir; Dilks, David (へん) (1971). The diaries of Sir Alexander Cadogan, O.M., 1938-1945. London: Cassell. ISBN 0-304-93737-1 
  • Gunnar Karlsson (2000). Iceland's 1100 Years: History of a Marginal Society. London: Hurst. ISBN 1-85065-420-4 
  • Gunnar M. Magnúss (1947). Virkið í norðri: Hernám Íslands: I. bindi. Reykjavík: Ísafoldarprentsmiðja 
  • Miller, James (2003). The North Atlantic Front: Orkney, Shetland, Faroe and Iceland at War. Edinburgh: Birlinn. ISBN 1-84341-011-7 
  • Þór Whitehead (1999). Bretarnir koma: Ísland í síðari heimsstyrjöld. Reykjavík: Vaka-Helgafell. ISBN 9979-2-1435-X 
  • Þór Whitehead (1995). Milli vonar og ótta: Ísland í síðari heimsstyrjöld. Reykjavík: Vaka-Helgafell. ISBN 9979-2-0317-X 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]