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アッサカ国(パーリ語: Assaka)又はアシュマカ国(サンスクリット語: Aśmaka)は、古代のインドに存在した国。初期仏教の聖典『増支部』(アングッタラ・ニカーヤ)の中で、南道十六大国のひとつとして記載されている。首都名はポタナ、ポダナ、ポタリ等と、カナ転写の態様はさまざまである(本項では「ポタナ」と呼ぶものとする)。
アッサカ国は、ゴーダーヴァリ川の川岸、ゴーダーヴァリ川とマンジラ川の間に位置し、現在のインド共和国の行政区分で、テランガーナ州のニザーマーバード県(英語版)、アーンドラ・プラデーシュ州のアディラーバード県、ナーンデッド県(英語版)、ヤバートマル県(英語版)とマハーラーシュトラ州東部の一部に相当する地域にあった。南道十六大国の中では唯一、ヴィンディヤ山脈の南にあった。
首都のポタナは、現ニザーマーバード県ボダン(英語版)にあたる。テルグ語地名の "Bodhan / బోధన్" には元になったプラークリット名があり、そのプラークリット名は「貧者に施しとして与えられた土地」を意味するサンスクリットの "bhoodaan / भूदान / భూదాన్" から派生している。
パーリ語経典の「大典尊経(Mahagovinda Suttanta)」に拠れば、アッサカ国の支配者はポタナを支配していたBrahmadattaだったと言われている[1]。
『マツヤ・プラーナ(英語版)』272章によると、マガダ国のシシュナーガ(英語版)王(紀元前413年~紀元前395年頃)の時代と同時代には、アスマカには25人の統治者がいたと記録されている[2]。カリンガ国やカーシー国と隣接しており、カーシー国が強勢を誇った時代にはその従属国であった。しかしカーシー国の減退に伴って勢力を拡張し、一時カリンガ地方を支配した。最終的にはマガダ国によって征服された[3]。その後、ラーシュトラクータ朝の領域(現在のマハーラーシュトラ州)にまで南方に人々は移住していった[3]。
アシュマカは仏教の書物やハラ(英語版)王のガシャ・サプターシャチ(英語版)では、アッサカもしくはアスバカスと記されている。アシュマカの語は、サンスクリット語で岩石や宝石を意味するAśmakaに由来している[3]。実際にこの地方には何千もの丘陵や岩石地帯があり、それゆえにアシュマカと呼ばれるようになった。1000万年~2000万年前には、この地方に流星物質が落下したと言う説がある。
グプタ朝後期、5~6世紀の天文学者・数学者、アーリヤバタは、後代の注釈者バースカラIの言及に基づいてアシュマカ国の出身であると推定されている[3][4]。