(Translated by https://www.hiragana.jp/)
アブー・アル=アターヒヤ - Wikipedia コンテンツにスキップ

アブー・アル=アターヒヤ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

アブー・アル=アターヒヤأَبُو الْعَتَاهِيَةِ, Abū al-ʿAtāhiya(h), 実際じっさい発音はつおん:アブ・ル=アターヒヤ)は、アッバースあさ活躍かつやくした詩人しじん

生年せいねんについては西暦せいれき747ねん、748ねんせつがある。没年ぼつねんについては西暦せいれき826ねん、828ねんせつなどがある。

名前なまえ[編集へんしゅう]

アブー・アル=アターヒヤ(أَبُو الْعَتَاهِيَةِ, Abū al-ʿAtāhiya(h), 実際じっさい発音はつおん:アブ・ル=アターヒヤ)はクンヤ形式けいしき通称つうしょう直訳ちょくやくは「アル=アターヒヤのちち」「阿呆あほうちち」。عَتَاهِيَة(ʿatahiya(h), アターヒヤ)は名詞めいしで「阿呆あほう馬鹿ばかげ低能ていのう[1]」の意味いみ

かれがおどけたままな性質せいしつだったため、カリフのアル=マフディーもとにいたおんな奴隷どれい夢中むちゅうになった様子ようすからつけられた[2]、カリフに衒学げんがくてき人間にんげんだとわれたから[3]、など通称つうしょう由来ゆらいについては諸説しょせつある。

本名ほんみょうإِسْمَاعِيلُ بْنُ الْقَاسِمِ بْنِ سُوَيْدٍ الْعَنزي(Ismāʿīl ibn al-Qāsim ibn Suwayd al-ʿAnazī, イスマーイール・イブン・アル=カースィム・イブン・スワイド・アル=アナズィー)で、ファーストネームがイスマーイール。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

シリア砂漠さばくなかオアシスまちひとつでまれた。父親ちちおやは吸角ほうで、息子むすこのアブー・アル=アターヒヤはつぼって生計せいけいてており、大変たいへん生活せいかつまずしかった。しかし、徐々じょじょ天才てんさい詩人しじんとしての名声めいせいわたり、ついにはアッバースあさだい3だいカリフマフディーまり、それからまたたくまに出世しゅっせしていった。アブー・ヌワースともならしょうされる詩人しじんとなった。その作風さくふうは、平易へいいなか人生じんせい様々さまざま機微きびみ、清貧せいひん称賛しょうさんする作風さくふうである。

逸話いつわ[編集へんしゅう]

かれかんして、逸話いつわのこっている。その逸話いつわ後述こうじゅつする。アブー・アル=アターヒヤは、あるときだい5だいカリフ、ハールーン・アッ=ラシードもとまねかれ、つぎのようなんだ。

おもいのままに、すこやかに、たか宮居みやいかげきみ、そのそのきたまえ。ゆうべにあさに、きみしと、おぼしたまわむしゃみなは、ときうつさずととのわめ。たちまちに、むねうごきもとだえがち、いきかすかにあえぐときはじめてきみさとるらん、この快楽かいらくみなゆめと…」

このいたハールーンは、なみだながして感動かんどうしたという。ハールーンの死後しごも、かれ正妃せいひズバイダから、毎年まいとし金貨きんか100ディナールと、銀貨ぎんか100ディルハム大金たいきんおくられ、手厚てあつ保護ほごされた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ المعاني - عتاهية”. 2023ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  2. ^ أبو العتاهية... الذهب والتراب (شاعر العدد)”. 2023ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  3. ^ لماذا سمي ابو العتاهية بهذا الاسم”. 2023ねん6がつ15にち閲覧えつらん