(Translated by https://www.hiragana.jp/)
アルゼンチン・ペソ - Wikipedia コンテンツにスキップ

アルゼンチン・ペソ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルゼンチン・ペソ
peso argentino (スペイン
ISO 4217
コード
ARS
中央ちゅうおう銀行ぎんこうアルゼンチン共和きょうわこく中央ちゅうおう銀行ぎんこう
 ウェブサイトwww.bcra.gov.ar
使用しよう
くに地域ちいき
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
インフレりつ10%(国家こっか統計とうけいきょく)/ 25 - 30%(民間みんかん調査ちょうさ機関きかん
情報じょうほうげんINDEC (official) Inflación verdadera (detailed estimate)
補助ほじょ単位たんい
 1/100センターボ
通貨つうか記号きごう$
硬貨こうか5、10、25、50センターボ、1、2、5、10ペソ
紙幣しへい10、20、50、100, 500、1000、2000ペソ

アルゼンチン・ペソ (peso) は、アルゼンチン通貨つうか単位たんい国際こくさい通貨つうかコード (ISO 4217) はARS。補助ほじょ単位たんいのセンターボ(1/100ペソ)も存在そんざいするが、インフレ進行しんこう使用しようする機会きかいがほとんどないため実質じっしつてきにはペソ単位たんい一本いっぽんされている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1992ねん1がつのペソ導入どうにゅうから2001ねん12がつまでは、インフレの抑制よくせいして「1あめりかドル=1ペソ」のドルペッグせい採用さいよう自国じこく通貨つうか発行はっこうりょう保有ほゆう外貨がいか範囲はんいないおさえながら、ハードカレンシーとの交換こうかんせい保証ほしょうした結果けっか年率ねんりつ換算かんさんで5せん%をえていた悪性あくせいインフレは収束しゅうそくした。

だい規模きぼ規制きせい緩和かんわ為替かわせリスクの解消かいしょう好感こうかんした海外かいがいからの資本しほん流入りゅうにゅう当初とうしょ順調じゅんちょう拡大かくだいしていたが、ペッグせいへの移行いこう表向おもてむきはあめりかドルけんふくまれるようになったのにもかかわらず、アルゼンチン経済けいざいがデフレ状態じょうたいてんずる1990年代ねんだいなかばまで米国べいこく上回うわまわるペースで物価ぶっか上昇じょうしょうつづいたため、その内容ないよう徐々じょじょ投機とうきてきなものへと変質へんしつした。高利回こうりまわり・こう配当はいとううたって内外ないがい投資とうしから注目ちゅうもくあつめていたペソての金融きんゆう商品しょうひん(おもにアルゼンチン国債こくさい)が急騰きゅうとうするなど、金融きんゆう市場いちば加熱かねつ顕著けんちょとなった。

しかし、1990年代ねんだい後期こうき新興しんこう各国かっこく一巡いちじゅんした通貨つうか危機きき影響えいきょうでペッグせいからの離脱りだつ断行だんこうした隣国りんごくブラジルくらべ、割高わりだかとなったアルゼンチン製品せいひん輸出ゆしゅつ競争きょうそうりょく低下ていか景気けいき後退こうたい局面きょくめんはいる。

2001ねん12月の債務さいむ不履行ふりこう所謂いわゆるデフォルトともな金融きんゆうバブルの崩壊ほうかい決定けっていとなるかたちで、ペッグせい時代じだい終焉しゅうえんむかえ、2002ねん1がつ6にち、1ドル=1.4ペソの「公定こうていレート」と「実勢じっせいレート」からる「じゅう相場そうばせい」が暫定ざんていてき導入どうにゅうされ、1かげつの2がつ11にちからは変動へんどう相場そうばせい完全かんぜん移行いこうした。あめりかドルとのペッグせい解消かいしょう通貨つうか正式せいしき名称めいしょうもこれまでの「Peso Convertible de Curso Legal」(兌換だかんペソ)から「Peso」に変更へんこうされ、かく紙幣しへい記載きさいされていた兌換だかんせいかんする文言もんごん削除さくじょされた。

対外たいがいてきには大幅おおはばげと信用しんよう失墜しっつい見舞みまわれたペソであったが、国内こくない物価ぶっか上昇じょうしょうは2002ねんの40%(年率ねんりつ以下いかどう)をピークに1ねん程度ていど沈静ちんせいしたため、ペッグせい導入どうにゅう以降いこう極端きょくたん割高わりだかとなっていたアルゼンチンの物価ぶっか経済けいざい実情じつじょうをほぼ反映はんえいした水準すいじゅんまで調整ちょうせいされ、同国どうこく輸出ゆしゅつ競争きょうそうりょく急速きゅうそく回復かいふくした。以後いご(おおむね2007ねんまで)インフレりつ毎年まいとし10%未満みまん比較的ひかくてきゆるやかなペースで推移すいいする。

世界せかいてきにインフレ圧力あつりょくつよまった2008ねんごろより、民間みんかん調査ちょうさ機関きかんが「Sensacion de Bolsillo」(「ふところかん」インフレりつ)をもとしている指標しひょうが25 - 30%と2002ねんのペッグせい離脱りだつ直後ちょくご水準すいじゅんせまいきおいできゅう加速かそくしたのにたいし、国家こっか統計とうけいきょく (INDEC)がわ発表はっぴょうでは10%前後ぜんこうひく報告ほうこくされつづけるなど、両者りょうしゃあいだへだたりが目立めだつようになる。くわえて、ここすうねん当時とうじ左派さは政権せいけんによる執拗しつよう妨害ぼうがい行為こういくっしたいくつかの民間みんかん調査ちょうさ機関きかん自主じしゅてき解散かいさん、もしくはアルゼンチンからの撤退てったい余儀よぎなくされており、実勢じっせいもとづいたしんぴょうせいたか経済けいざい指標しひょう入手にゅうしゅは、公的こうてき圧力あつりょくおよばぬ、物価ぶっか問題もんだい敏感びんかん主婦しゅふそう中心ちゅうしん組織そしきすすんだ有志ゆうしらによるくさレベルのリサーチ活動かつどうのぞくと、困難こんなんきわめていた。

IMFなど国際こくさい機関きかんもこの状況じょうきょう問題もんだいしており、物価ぶっか変動へんどうにスライドするかたちでの調整ちょうせい義務付ぎむづけられている公債こうさい利回りまわりをおさえる目的もくてき経済けいざい指標しひょう意図いとてきかいざん(価格かかく公的こうてき統制とうせいされている等級とうきゅうひく商品しょうひん調査ちょうさ対象たいしょうによりおおふくめることで、INDECはインフレりつ実際じっさいよりひく算出さんしゅつ)をおこなっていたアルゼンチン政府せいふ(当時とうじ)にたい警告けいこく度々たびたび発動はつどうしていたが、調査ちょうさ方法ほうほう抜本ばっぽんてき見直みなおされることはなかった。

2013ねん2がつ、アルゼンチン政府せいふ消費しょうひしゃ物価ぶっか時限じげん凍結とうけつ同年どうねん4がつ1にちより60日間にちかん)を骨子こっしとした緊急きんきゅう経済けいざい対策たいさくをまとめたが、ぜん政権せいけん有力ゆうりょく支持しじ組織そしき労働ろうどう組合くみあい)のひとつであった「労働ろうどうそう同盟どうめい」(CGT) は、通常つうじょう労組ろうそがわ対立たいりつ関係かんけいにある販売はんばいしゃ団体だんたい産業さんぎょうかいなどとともに、政府せいふによる価格かかく統制とうせい強化きょうかには反対はんたい立場たちば表明ひょうめいした。

資本しほん国外こくがい流出りゅうしゅつともな外貨がいか準備じゅんび逼迫ひっぱく理由りゆうに、ペソからハードカレンシーへの交換こうかんきびしく制限せいげんする管理かんりフロートせい復活ふっかつ(2011ねん - 2014ねん1がつ26にち)したものの、ペソ貨を人為じんいてきささえること対外たいがいてき下落げらく表面ひょうめんじょうおさえていたこの政策せいさく徐々じょじょまり、「メルカード・ネグロ」(非公式ひこうしき個人こじんあいだ取引とりひき)では、自国じこく通貨つうか公定こうていレート(2014ねん1がつまつ時点じてんで1あめりかドル=8ペソ)をはるかに下回したまわ水準すいじゅんどう、1あめりかドル=10〜12ペソ)で自由じゆう売買ばいばいされるなど、経済けいざい二重化にじゅうか進行しんこうした。

カピタニッチ首相しゅしょうとキシリョフ経済けいざいしょう(とも当時とうじ)は2014ねん1がつ27にちより国民こくみんによる外貨がいか購入こうにゅう部分ぶぶんてき緩和かんわすること発表はっぴょうした(同時どうじ当時とうじ7ペソじゃくであったたいべいドルの公定こうていレートをやく20%げ8ペソとした)。しかし、納税のうぜいしゃとしての公庫こうこへの「貢献こうけん」におうじて銀行ぎんこう私設しせつ両替りょうがえしょ購入こうにゅう可能かのう外貨がいかがく上下じょうげするというきわめて特異とくい内容ないようであり、同国どうこくで「ドラル・アスル(あおいドル)」と通称つうしょうされている公認こうにんのレートが解消かいしょうされることはなかった。

2014ねん7がつ末日まつじつ、アルゼンチン経済けいざいは2001ねん12がつ以来いらい2度目どめのデフォルトにおちいり、対外たいがいてき信用しんようさらきずついた。同年どうねん8がつ以降いこう、ペソの下落げらく傾向けいこう顕著けんちょになっており、公定こうていレートがたい同年どうねん1がつまつ5%やすの1あめりかドル=8.4ペソであるのにたいし、個人こじんあいだ実勢じっせいもとづいた取引とりひきでは1あめりかドル=14ペソの大台おおだい突破とっぱしていた。

外貨がいか購入こうにゅうさいし、公定こうていレートが実際じっさい適用てきようされる事例じれいきわめてすくなく(外為がいため業務ぎょうむあつかっている金融きんゆう機関きかん申請しんせいしても通常つうじょう許可きょかりないため)、国民こくみん大半たいはん自国じこく通貨つうか公定こうていレートの半値はんね - 6わり程度ていど売買ばいばいされているやみ市場いちば外貨がいか調達ちょうたつせざるをない状態じょうたいつづいていた。

2015ねん11月の大統領だいとうりょう選挙せんきょ(決選けっせん投票とうひょう)をせいし、よく12がつ発足ほっそくした中道右派ちゅうどううはのマウリシオ・マクリ連立れんりつ政権せいけんは、外為がいため関連かんれん取引とりひき制限せいげん解除かいじょ発表はっぴょうした。1あめりかドル=9ペソだい設定せっていされていた公定こうていレートがくなり、ぜん政権せいけんでは非合法ひごうほうあつかいとなっていたやみ市場いちばでの基準きじゅんとする変動へんどうレート(2016ねん1がつ現在げんざい、1あめりかドル=14ペソ前後ぜんこう)に一本いっぽんされる。

現地げんち言葉ことば事情じじょう不慣ふなれな外国がいこくからの来訪らいほうしゃ場合ばあいあまったペソ貨を出国しゅっこくあめりかドルなどにさい交換こうかんするのは困難こんなんとなっていることくわえ、あめりかドルとユーロにほぼ限定げんていはされているものの、外貨がいかがそのまま通用つうようあるいは外貨がいか決済けっさいのみをける施設しせつ都市とし観光かんこうにはおおため現地げんち通貨つうかへの両替りょうがえ必要ひつようおうじて小刻こきざみにったほう賢明けんめいである。

クレジットカードによっては、物品ぶっぴん・サービスの購入こうにゅうだけでなく、ATM(現金げんきん自動じどうあずかはらい)でのキャッシングを利用りようすること可能かのうではあるが、ぜん政権せいけんには、しが原則げんそくペソ貨のみ(公定こうていレート換算かんさん)となっていたため現金げんきんトラベラーズチェックんでペソに交換こうかんした場合ばあいくらべ、条件じょうけんてきにはいちじるしく不利ふりであった。

近隣きんりん諸国しょこく(おもにアルゼンチンとの国境こっきょう地帯ちたい)にはアルゼンチン・ペソの売買ばいばいあつかっている私設しせつ両替りょうがえしょ存在そんざいするものの、そのさい(れい:ペソのハードカレンシーへのさい交換こうかん)に適用てきようされるのは実勢じっせいレートとなる。また、あめりかドルやユーロなどにくらべ「り」と「い」の差額さがくおおきいのも特徴とくちょうである。

2018ねん以降いこう加速かそくしたインフレにより地方ちほうなどでは現金げんきん取引とりひきほうこのまれることがおおく、クレジットカードやデビットカードを利用りようできる店舗てんぽ減少げんしょう。2019ねん以降いこう通貨つうかうごきをきびしく統制とうせいすることでペソだか維持いじはかったため、公定こうてい為替かわせレートよりもひく価値かち取引とりひきされる状況じょうきょうつづいた[1]

2023ねん大統領だいとうりょう選挙せんきょ英語えいごばんでは、アルゼンチン・ペソを廃止はいししてあめりかドルにえる公約こうやくかかげたハビエル・ミレイ当選とうせんした。ハビエル・ミレイは選挙せんきょ期間きかんちゅう自国じこく通貨つうか価値かち過去かこ4年間ねんかんで90%も急落きゅうらくしたことを指摘してきしたうえで「はいせつぶつ以下いか価値かちしかなくなったと主張しゅちょうした[2]就任しゅうにん直後ちょくごの2023ねん12月12にちには経済けいざいてきなショック療法りょうほう目的もくてきとしてたいべいドルで通貨つうかげを実施じっしすると発表はっぴょうし、これにより公定こうてい為替かわせレートは1あめりかドルあたりやく391ペソから800ペソに下落げらくした[1]

経緯けいい[編集へんしゅう]

1813ねん従来じゅうらいの「レアル・エスパニョル・コロニアル」(スペイン植民しょくみんレアル)にわるはじめての独自どくじ通貨つうか「レアル・アルヘンティーノ」(R$A) の発行はっこう開始かいしされたものの、1888ねん11月5にち通貨つうか改革かいかくで「ペソ・モネダ・ナショナル」(m$n) が導入どうにゅうされるまでアルゼンチン国内こくないでは複数ふくすう貨幣かへい単位たんい併用へいようされていた:

  • 「ペソ・フエルテ」($F):きむ(エスクード金貨きんか)とぎん(レアル銀貨ぎんか・ソル銀貨ぎんか)に裏打うらうちされた本位ほんい貨幣かへい (1826 - 1888)。「1$F=8レアル(ソル)」および「1エスクード=2$F=16レアル(ソル)」の比率ひりつかねぎん交換こうかんできた。
  • 「ペソ・モネダ・コリエンテ」($m/c):「ペソ・パペル」(かみペソ)ともばれていた本位ほんい貨幣かへい (1826 - 1888)。発行はっこう開始かいしされた1826ねん当時とうじは$Fと等価とうかであったが、そのげで大幅おおはば減価げんか。1867ねんから1876ねんまでの期間きかんかぎり「1$F=25$m/c」の比率ひりつかねへの交換こうかんみとめられていた。

上記じょうき2種類しゅるいのペソにくわえ、外国がいこく通貨つうか自由じゆう流通りゅうつうするなど、アルゼンチンの貨幣かへい政策せいさく混乱こんらんきわめていたが、1888ねん通貨つうか改革かいかく(m$nへの一元化いちげんかおよ十進法じっしんほう完全かんぜん採用さいよう)によってようやく平定へいていされた。新旧しんきゅうりょう貨の交換こうかんは「1m$n(しんペソ)=1$F=25$m/c」の比率ひりつ実施じっし

若干じゃっかん改定かいてい金本位きんほんいせいからの一時いちじてき離脱りだつ交換こうかん比率ひりつ変更へんこうなど)をかえしながらも、価値かち安定あんていした通貨つうかであるてんにはわりがなかったm$nだったが、1929ねん世界せかい恐慌きょうこう状況じょうきょう一変いっぺん(このとし最後さいご金本位きんほんいせいから完全かんぜん離脱りだつ)。だい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつともな特需とくじゅ景気けいき食料しょくりょう輸出ゆしゅつ激増げきぞう)で莫大ばくだい外貨がいか収入しゅうにゅうたのにもかかわらず、戦後せんご政情せいじょう不安ふあん経済けいざい政策せいさく失敗しっぱい相次あいついだため、m$nの価値かちさら下落げらくした。以後いご、インフレの進行しんこうによる桁数けたすう増加ぞうか対処たいしょする目的もくてきで、過去かこ4かい通貨つうか単位たんい呼称こしょう変更へんこうされている(括弧かっこないはデノミりつおよ実施じっし直後ちょくごたいU$Sレート)。

  • 1970ねん1がつ1にち  「ペソ・モネダ・ナシオナル」→「ペソ・レイ ($)」(100ぶんの1 U$S1=$3.5)
  • 1983ねん6がつ1にち  「ペソ・レイ」→「ペソ・アルヘンティーノ ($a)」(10,000ぶんの1 U$S1=$a11.5)
  • 1985ねん6がつ15にち 「ペソ・アルヘンティーノ」→「アウストラル ()」(1,000ぶんの1 U$S1=0.85)
  • 1992ねん1がつ1にち  「アウストラル」→「ペソ ($)」(10,000ぶんの1 U$Sと等価とうか

なお、アルゼンチン同様どうようスペイン統治とうち時代じだい名残なごり自国じこく通貨つうか単位たんいを「ペソ」としているくにいまでも複数ふくすう存在そんざいする中南米ちゅうなんべい諸国しょこくきゅう宗主そうしゅこくスペインでは、のペソとの混同こんどうける目的もくてきで「ペソ・アルヘンティーノ」(アルゼンチン・ペソ)の呼称こしょう常用じょうようされている(「アウストラル時代じだい」のやく5ねんはんのぞく)。

流通りゅうつう硬貨こうか紙幣しへい[編集へんしゅう]

硬貨こうか[編集へんしゅう]

1992ねんのペソ貨導入どうにゅうは1・5・10・25・50かくセンターボの5しゅであったが、1994ねんに1ペソ硬貨こうか追加ついかされけい6しゅとなる (2001ねんまで)。

不定期ふていき硬貨こうか改鋳かいちゅうかえされた結果けっか額面がくめん・デザインは同一どういつでも材質ざいしつ発行はっこうねんごとことなる場合ばあいがある(5・10・25かくセンターボがこれに該当がいとう)。

1センターボ硬貨こうか1997ねん改鋳かいちゅう)は2001ねんを以って廃止はいしされている。ペッグせい導入どうにゅう物価高ぶっかだかで5センターボ未満みまん所謂いわゆるはしすう」は四捨五入ししゃごにゅうされることめずらしくなかったことくわえ、首都しゅとけんくら総体そうたいてき物価ぶっか割高わりだか地方ちほう都市とし郡部ぐんぶでは流通りゅうつう自体じたい皆無かいむとなっていたため、その影響えいきょうはごくかぎられたものであった。

法的ほうてきには5・10・25・50のかくセンターボと1ペソ・2ペソ (2011ねん - ) の流通りゅうつうみとめられているものの、インフレの進行しんこう電子でんし取引とりひき普及ふきゅうで5ペソ未満みまん硬貨こうかもちいられることはなく、かりに1ペソ未満みまんの「はしすう」が発生はっせいしたとしても、てもしくはペソ単位たんいへのげで対応たいおうするのが一般いっぱんてきである。

2022ねん3月9にちアルゼンチン中央ちゅうおう銀行ぎんこう硬貨こうか製造せいぞう停止ていしすると決定けっていした。決定けってい直前ちょくぜん数日すうじつあいだどうとニッケルの相場そうばやく3ばい高騰こうとうした[3]ことにより、この決定けっていけられないものとなった。2017ねん12月より、それまでのデザインを一新いっしんした1・2・5・10ペソの硬貨こうか流通りゅうつうしていたが、インフレーションの進行しんこうにより購買こうばいりょくうしなわれ、さらに金属きんぞく価格かかく高騰こうとうにより材料ざいりょう額面がくめん上回うわまわ事態じたいとなった。そこでやむなく先述せんじゅつ決定けっていいたったのだが、5・10ペソの硬貨こうか日常にちじょう生活せいかつにおける必要ひつようせいのこっており、製造せいぞう停止ていしには批判ひはんもある[4]

記念きねん硬貨こうか」の発行はっこう随時ずいじおこなわれており、卑金属ひきんぞく材質ざいしつの「Circulated Quality」(どういち額面がくめんの「通常つうじょう貨幣かへい」と等価とうか流通りゅうつう)のほかに、「Brillant Incirculated」とばれるコレクターけに貴金属ききんぞく特別とくべつ鋳造ちゅうぞうされた硬貨こうか(1993ねん発行はっこうされた5ペソ金貨きんかなど)も存在そんざいする。

額面がくめん流通りゅうつう開始かいしねん 表面ひょうめん図柄ずがら 裏面りめん図柄ずがら 材質ざいしつ
5ctv(1992〜) 額面がくめん 五月ごがつ太陽たいよう ジュラルミン('92 - '93および'04 - '05)→白銅はくどう ('93 - '95) →黄銅こうどう ('06 - )
10ctv(1992〜) くにあきら ジュラルミン('92 - '94および'04 - '06)→黄銅こうどう ('06 - )
25ctv(1992〜) カビルド(ブエノスアイレス市議会しぎかい ジュラルミン('92 - '93および'09 - )→白銅はくどう('93 - '94および'96)
50ctv(1992〜) トゥクマンのかん ジュラルミン
$1(1994〜) 五月ごがつ太陽たいよう くにあきら 白銅はくどう外周がいしゅう)・ジュラルミン(中心ちゅうしん
$2(2011〜) 額面がくめん 五月ごがつ太陽たいよう 白銅はくどうとアルミニウムの合金ごうきん外周がいしゅう)・どうとニッケルの合金ごうきん中心ちゅうしん

紙幣しへい[編集へんしゅう]

1992ねんのデノミに1、2、5、10、20、50、100ペソが発行はっこうされた(「だい1シリーズ」)。サイズはきゅうアウストラル紙幣しへい同様どうようきむたね関係かんけいなく155mm×65mmで統一とういつ。“Peso”(ペソ)ののちに、あめりかドルとのペッグせい裏打うらうちされた紙幣しへいであること意味いみする文言もんごん“Convertible de Curso Legal”が記載きさいされていたため、「ペソ・コンベルティブレ」(兌換だかんペソ)とばれることもあった。

1994ねんに1ペソ紙幣しへいが、2011ねんに2ペソ紙幣しへいがそれぞれ硬貨こうかえられている。

兌換だかんペソ」時代じだいの1997ねんから1999ねんにかけて、デザインの一部いちぶ手直てなおし(肖像しょうぞう人物じんぶつおよ基調きちょうしょくき)された「だい2シリーズ」の紙幣しへいへのえが随時ずいじ実施じっしされ、「だい1シリーズ」の紙幣しへいは2000ねんまでに流通りゅうつうから除外じょがい回収かいしゅうえている。

あめりかドルとのペッグせい解消かいしょう以降いこう(2002ねん1がつ - )、「兌換だかんせい」にかんする文言もんごんかく紙幣しへいから削除さくじょされているが、「だい2シリーズ」以降いこう発行はっこうされた紙幣しへいであれば、文言もんごん有無うむ関係かんけいなく法的ほうてきにはこれまでとお使用しようできることにはなっている。

2012ねん9がつ肖像しょうぞう人物じんぶつ刷新さっしん急進きゅうしんとう出身しゅっしんゆえフリオ・アルヘンティーノ・ロカもと大統領だいとうりょう正義まさよしとうゆえエバ・ペロンもと大統領だいとうりょう夫人ふじん)されたあたらしい100ペソ紙幣しへい流通りゅうつう開始かいししん100ペソ紙幣しへいつづき「フォークランド諸島しょとう」(アルゼンチンめい「マルビナス諸島しょとう」)領有りょうゆうけんめぐって英国えいこく(現在げんざいどう諸島しょとう実効じっこう支配しはい)と戦火せんかまじえた所謂いわゆるフォークランド紛争ふんそう」(1982)の勃発ぼっぱつ32周年しゅうねん記念きねんしたあたらしい図柄ずがらの50ペソ紙幣しへい(2014ねん4がつ - )も追加ついか発行はっこうされているが、刷新さっしん予定よていされていた低額ていがく紙幣しへい(5・10・20かくペソ)のうち、10・20のりょうペソさつかんしては、あたらしい図案ずあん決定けっていしていたものの、実際じっさい流通りゅうつうにはいたらず、5ペソさつのみ「だい3シリーズ」へのえがなされた。

2015ねんには「5がつ広場ひろば祖母そぼははたち」(所謂いわゆる国家こっかさい編成へんせいプロセス行方ゆくえ不明ふめいとなった若者わかもの乳児にゅうじ消息しょうそくおよ事件じけん真相しんそう究明きゅうめいもとめて結成けっせいされたアルゼンチンの人権じんけん団体だんたい)の活動かつどう記念きねんした100ペソさつくわわるが、こちらは期間きかん枚数まいすう限定げんていされた記念きねん貨幣かへいである。

主要しゅよう通貨つうかとの交換こうかんせい保証ほしょうされていた時期じきくらべて、紙質かみしつ印刷いんさつ技法ぎほういちじるしくちていることくわえ、きむたね体系たいけい見直みなおし(低額ていがく紙幣しへい硬貨こうかへのおよ高額こうがく紙幣しへい追加ついか発行はっこう)もほとんどすすんでいないため全体ぜんたいてき紙幣しへい状態じょうたいわるい。

額面がくめん 寸法すんぽう いろ 図柄ずがら(ひょう) 図柄ずがら(うら)
$2 155 × 65 mm そら バルトロメ・ミトレ (1821 - 1906):ブエノス・アイレス出身しゅっしん政治せいじジャーナリストだい6だいアルゼンチン大統領だいとうりょう 「ミトレ博物館はくぶつかん」(ブエノス・アイレス)
$5 みどり ホセ・デ・サン・マルティン (1778 - 1850):「リベルタドーレス」として南米なんべい大陸たいりく南部なんぶ)を解放かいほうへとみちびいたコリエンテスしゅう出身しゅっしん軍人ぐんじん政治せいじ 栄光えいこうおか」(メンドサしゅう)
$10 ちゃ マヌエル・ベルグラーノ (1770 - 1820):ブエノス・アイレス出身しゅっしん独立どくりつ運動うんどう指導しどうしゃ弁護士べんごしアルゼンチンの国旗こっき制定せいていしゃ 国旗こっき記念きねん」(サンタフェしゅうロサリオ)
$20 あか フアン・マヌエル・デ・ロサス (1793 - 1877):ブエノス・アイレス出身しゅっしんの「カウディーリョ」(だい4だいだい8だいブエノス・アイレスしゅう知事ちじ 「ブエルタ・デ・オブリガドのたたかい」(ブエノス・アイレスしゅうサン・ペドロぐん)
$50 くろ ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント(1811 - 1888):サン・フアンしゅう出身しゅっしん教育きょういくしゃ作家さっかだい7だいアルゼンチン大統領だいとうりょう カサ・ロサダ」(アルゼンチン大統領だいとうりょう官邸かんてい)
$50(2014〜) あお アルゼンチンが現在げんざい領有りょうゆう主張しゅちょうしているフォークランド諸島しょとう紛争ふんそう同国どうこく海兵かいへいたいやく3週間しゅうかん占拠せんきょしたサウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島しょとう地図ちず(人物じんぶつし) 「アントニオ・リベロ」(1833ねんこうえい蜂起ほうき指揮しきした「ガウチョ」)と「ダーウィン墓地ぼち」(1982ねん戦没せんぼつしたアルゼンチンへい埋葬まいそうされているひがしフォークランドとう共同きょうどう墓地ぼち)、「戦艦せんかんベルグラーノごう
$100(〜2012) むらさき フリオ・アルヘンティーノ・ロカ (1843 - 1914):トゥクマンしゅう出身しゅっしん軍人ぐんじん政治せいじだい9だいだい14だいアルゼンチン大統領だいとうりょう 荒野あらの征服せいふく」(パンパパタゴニアりょう地方ちほうへの進出しんしゅつでアルゼンチンは国土こくど拡張かくちょう)
$100(2012〜) むらさき エバ・ペロン (1919 - 1952):ブエノスアイレスしゅう出身しゅっしん女優じょゆうゆえフアン・ペロン大統領だいとうりょうだい29だいだい41だい夫人ふじん アラ・パキス」(きゅうマ帝国まていこくの「平和へいわ祭壇さいだん」)
$100(2015ねんのみ) もも 「5がつ広場ひろば祖母そぼははたち」 広場ひろば行進こうしんする行方ゆくえ不明ふめいしゃ家族かぞく」(ブエノスアイレス)

全面ぜんめんてき見直みなおしへ[編集へんしゅう]

6わりきょう流通りゅうつうりょうめる100ペソ紙幣しへい実勢じっせいレート換算かんさんで10あめりかドル以下いか目減めべりし、現金げんきん決済けっさい支障ししょうをきたしているなか高額こうがく紙幣しへい(200ペソと500ペソ)の追加ついか発行はっこうもとめる議案ぎあん当時とうじ野党やとうけい会派かいは(げん与党よとうだいいちとう急進きゅうしんとうなど)から提出ていしゅつされていたが、こうインフレの存在そんざいそのものを否定ひていしていた当時とうじ左派さは政権せいけんがそのもとめにおうじることはなかった。

政権せいけん交代こうたいからやく1ヶ月かげつ経過けいかした2016ねん1がつ15にち、アルゼンチン中央ちゅうおう銀行ぎんこう貨幣かへいのデザインおよきむたね体系たいけい全面ぜんめんてき見直みなおしに着手ちゃくしゅすること発表はっぴょうした:

①インフレによる貨幣かへい減価げんかみとめ、有名ゆうめい無実むじつした補助ほじょ単位たんいセンターボ(1/100ペソ)は法的ほうてきはい貨(→ペソ単位たんい一元化いちげんか)。

②2016ねんちゅうに200・500のりょうペソ紙幣しへい新規しんき発行はっこう政治せいじしょくつよいデザインが特徴とくちょうであった「だい3シリーズ」とは一線いっせんかくし「だい4シリーズ」の紙幣しへいでは、表面ひょうめんにアルゼンチン各地かくち動物どうぶつグアナココンドル)、裏面りめんにそれらの動物どうぶつ生息せいそくする地域ちいき風景ふうけいをそれぞれ配置はいち

③2017ねんより「だい4シリーズ」の趣旨しゅし沿ったあたらしいデザインの20・50・100かくペソ紙幣しへいおよび1,000ペソ紙幣しへい発行はっこうまえの3きんしゅかんしてはふる紙幣しへいとのあいだ一定いってい併用へいよう期間きかん設置せっち

④2017ねんより1・2・5・10のかくペソ硬貨こうかあらたに発行はっこう裏表うらおもて図案ずあん材質ざいしつ未定みてい)。こちらもきゅう貨との併用へいようえ。

2023ねん5がつ23にちまでにあらたに2,000ペソ紙幣しへい流通りゅうつう開始かいしした[5]。そのもインフレはまらず、2024ねん5がつ7にちには10,000ペソ紙幣しへい当時とうじのレートで11USドル、1700えん相当そうとう)が流通りゅうつう開始かいしし、2024ねんちゅうには20,000ペソ紙幣しへい登場とうじょう中央ちゅうおう銀行ぎんこうにより予告よこくされている[6]

しん通貨つうか導入どうにゅう構想こうそう[編集へんしゅう]

ブラジルとの共通きょうつう通貨つうか導入どうにゅう長年ながねん議論ぎろんされており、2019ねんにはしん通貨つうか『レアル・ペソ』を創設そうせつすることで両国りょうこく首脳しゅのう合意ごういしたものの、ブラジル中央ちゅうおう銀行ぎんこう慎重しんちょう姿勢しせいたも実現じつげんしなかった[7]。2023ねんにはまたべつ共通きょうつう通貨つうか導入どうにゅう両国りょうこく首脳しゅのう協議きょうぎ再開さいかいする見込みこみとほうじられている[8]

2023ねん11月におこなわれた大統領だいとうりょう選挙せんきょ英語えいごばんにおいて、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくドルをアルゼンチンの通貨つうか制定せいていさせることを公約こうやくかかげるハビエル・ミレイ候補こうほ当選とうせんしたことにより、将来しょうらいてきにアルゼンチン・ペソにわってアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくドルがアルゼンチンの法定ほうてい通貨つうかになることも予想よそうされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b “アルゼンチン、通貨つうかペソを大幅おおはばげ 「経済けいざいのショック療法りょうほう」としん大統領だいとうりょう. BBC News. BBC. (2023ねん12月13にち). https://www.bbc.com/japanese/67700299 2024ねん5がつ8にち閲覧えつらん 
  2. ^ アルゼンチンが市場いちば再開さいかい次期じき大統領だいとうりょうのドル政策せいさく最初さいしょ試練しれん”. ブルームバーグ (2023ねん11月21にち). 2023ねん12月12にち閲覧えつらん
  3. ^ ロシアのウクライナ侵攻しんこう影響えいきょうもある
  4. ^ 二橋ふたはしあきらおっと「アルゼンチン コイン製造せいぞうをストップ」『世界せかい通貨つうかニュース』だい133ごう日本にっぽん貨幣かへいしょう協同きょうどう組合くみあい、2022ねん8がつ1にち、5-6ぺーじ 
  5. ^ 最高さいこうがく紙幣しへい価値かちは「560えん」 アルゼンチンで流通りゅうつう開始かいし. 時事じじドットコム. 時事通信社じじつうしんしゃ. (2023ねん5がつ24にち). https://www.jiji.com/jc/article?k=2023052400134&g=int 2023ねん5がつ24にち閲覧えつらん 
  6. ^ こうインフレのアルゼンチン、1まんペソ紙幣しへい流通りゅうつう開始かいし. AFPBB News. フランス通信つうしんしゃ. (2024ねん5がつ8にち). https://www.afpbb.com/articles/-/3518280 2024ねん5がつ8にち閲覧えつらん 
  7. ^ “ブラジルとアルゼンチン、共通きょうつう通貨つうか創設そうせつ協議きょうぎへ”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (2023ねん1がつ23にち). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN2328W0T20C23A1000000/ 2023ねん1がつ23にち閲覧えつらん 
  8. ^ “ブラジルとアルゼンチン、単一たんいつ通貨つうか導入どうにゅう協議きょうぎ再開さいかい意向いこう. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2023ねん1がつ23にち). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-01-23/ROWRLWDWRGG001 2023ねん1がつ23にち閲覧えつらん 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]