出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドレ・アウベス・ダ・クルス(André Alves da Cruz、1968年9月20日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手。ポジションはセンターバック(リベロ)[1]。ジーコを手本にフリーキックを磨いたという[2]、左足から繰り出す正確で強烈なFKを得意としていた[1][2][3]。
ポンチ・プレッタのユースチームで本格的にサッカーを始めた、最初はウイング、その後中盤でプレーし、10番の役割を与えられていたが、ある日DFがに欠場者が出たことから、DFとして起用されるようになった[2]。ここでブラジルユースチームに召集される活躍を見せ、1987年にパンアメリカン競技大会サッカー競技で優勝を果たした頃には、コモからオファーを受けたが、これを断った[2]。1988年のソウル五輪では準優勝、シルヴァーメダルを獲得した[2]。同年の8月4日、オーストラリア戦でフル代表デビューを果たした[1][2]。1989年10月14日のイタリア戦ではワルテル・ゼンガから代表初ゴールを奪い、イタリアのクラブからも注目される存在となった[2]。その後も暫く代表入りしていたが、セバスティアン・ラザロニとの関係が上手くいかず、1990年、ワールドカップ・イタリア大会のメンバーから落選した[2]。同年、フラメンゴへと移籍した[2]。
1990-91シーズン、スタンダール・リエージュに移籍、4シーズンをほぼレギュラーとして過ごし、ベルギーカップ優勝を果たした[2]。1994-95シーズン、SSCナポリに移籍、このシーズン、リーグ戦30試合で7得点を挙げ、チームは7位に入ったが、UEFAカップ出場権を逃した[2]。1995-96シーズン、チームは一時2位に付けていたが、後半失速して12位に終わり、自身も怪我で1年目程の活躍は出来なかった[2]。ここでの3シーズンのプレーは、自身の評価を高めた[3]。1997年にインテルと仮契約を結んだ、ルイジ・シモーニ監督は中盤で起用したいと考えていたが、本人はリベロでのプレーを望み、レアル・マドリード監督時代にクルスの獲得を希望していた、ACミランのファビオ・カペッロ監督と話し合い、インテルとの契約を破棄し、ミランへの移籍を決めた[2]。しかし怪我を抱え、1998-99シーズン途中に退団した[2]。ミランでの1シーズン半で、14試合で2得点に終わった[2]。この間、ブラジル代表では、アウダイールらとセンターバックのポジションを争ったが[3]、1998年の1998 FIFAワールドカップでは出場機会が無かった[2]。
1999-00シーズン途中、リエージュへ複帰、その後、トリノ、 スポルティングCPなどでもプレーした。
2004年、数か所に怪我を抱え、35歳で現役を引退した[2]。
ブラジル代表 - 出場大会 |
---|
|