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スタンダール・リエージュ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
スタンダール・リエージュ
原語げんご表記ひょうき Royal Standard de Liège
愛称あいしょう Les Rouches
Les Rôdjes
les Standardmen
le RSCL
Les Rouges et Blancs
Matricule 16
クラブカラー あかしろ
創設そうせつねん 1898ねん
所属しょぞくリーグ ジュピラー・プロ・リーグ
所属しょぞくディビジョン 1
ホームタウン リエージュ
ホームスタジアム スタッド・モーリス・デュフラン
収容しゅうよう人数にんずう 27,670[1]
代表だいひょうしゃ ベルギーの旗 Bruno Venanzi
監督かんとく ベルギーの旗 カール・フーフケンス
公式こうしきサイト 公式こうしきサイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

スタンダール・リエージュふつ: Standard Liègeフランス語ふらんすご発音はつおん: [ˈstɑ̃.daʁ ˈljɛːʒ]〉)は、ベルギーリエージュ本拠地ほんきょちとするスポーツクラブ。正式せいしき名称めいしょうロワイヤル・スタンダール・ドゥ・リエージュRoyal Standard de Liège)。サッカー部門ぶもんジュピラー・プロ・リーグ参加さんかしている。

オランダめいスタンダルト・ライクらん: Standard Luikオランダ発音はつおん[ˈstɑn.ˌdɑrt ˈlœy̯k]〉)、ドイツめいシュタンダルト・リュティヒどく: Standard Lüttichドイツ発音はつおん[ˈstan.ˌdaʁt ˈlʏ.tɪç]あるいは[ˈʃtan.ˌdaʁt ˈlʏ.tɪç]〉)。

1963ねんに、ラグビーユニオン部門ぶもんスタンダール・ラグビー・クラブフランス語ふらんすごばん)が設立せつりつされた。女子じょしサッカー部門ぶもんゆうしており、男子だんし区別くべつすることなくスタンダール・リエージュフランス語ふらんすごばんばれている。

1898ねん創立そうりつRSCアンデルレヒトクラブ・ブルッヘならぶベルギーの3ゆびはいるサッカークラブである。ベルギー南部なんぶワロン地域ちいき代表だいひょうするクラブでもあり、リーグ優勝ゆうしょう10かいほこる。また、ベルギーカップを6せいし、1981-82シーズンにはUEFAカップウィナーズカップ決勝けっしょう進出しんしゅつし、バルセロナに2-1でやぶれた。1921ねんより連続れんぞくしてベルギーリーグ1所属しょぞくしている(国内こくない最長さいちょう記録きろく)。近年きんねんつね上位じょういあらそいのなかにある。

ユニフォームの赤色あかいろから「Les Rouges(レ・ルージュ)」あるいは 「Les Rouches(レ・ルーシュ)」の愛称あいしょうばれる。フランス語ふらんすごあか意味いみするrouge(ルージュ)は、リエージュなまりで発音はつおんされたときrouche(ルーシュ)のようにこえる。また、ワロン方言ほうげんではあかrôdjeとなり、「Le Rôdjes」もスタンダールの選手せんしゅたいする愛称あいしょうである。

名称めいしょう変遷へんせん[編集へんしゅう]

ホームスタジアムでられるはた(2009ねん
  • 1898ねん: Standard Football Club (Standard FC)
  • 1899ねん: Standard FC Liégeois (Standard FCL)
  • 1910ねん: Standard Club Liégeois (Standard CL) (一部いちぶ昇格しょうかくあたってFCリエージュ英語えいごばんとの混同こんどうけるため)
  • 1923ねん: Royal Standard Club Liège (R. Standard CL)
  • 1952ねん: Royal Standard Club Liégeois (R. Standard CL)
  • 1972ねん: Royal Standard de Liège

歴史れきし[編集へんしゅう]

創設そうせつ[編集へんしゅう]

1898ねんにリエージュにある大学だいがく、コレージュ・サン=セルヴェ (Collège Saint-Servais) の学生がくせいにより発足ほっそくした。行政ぎょうせいじょう手続てつづきミスにより記録きろくじょう1899ねんのこっている。Cointeでサッカーをしていたかれらは投票とうひょうおこないクラブの名称めいしょうを「スタンダール standard」に決定けっていした。この名称めいしょうは、当時とうじフランスのパリで人気にんきのクラブであったスタンダードACからられている。クラブのカラーはあかしろえらばれた[2]。20世紀せいき初頭しょとう、ベルギースポーツ・アスレティック連盟れんめい加盟かめいしていたスタンダールはムーズかわ沿いのボヴリ・ベロドローム移転いてんした。スタンダールの永遠えいえんのライバル、FCリエージュもまた19世紀せいきまつまでこの競技きょうぎじょう使用しようしていた。1902-1903ねんシーズン、スタンダールはジュニアカテゴリーでのはじめてのシーズンをごした。

1905ねんリエージュ万国博覧会ばんこくはくらんかいのためにボヴリ公園こうえんパレ・デ・ボザール建設けんせつされたため、1904ねん、クラブはウルトがわ英語えいごばん沿いのグリヴネ英語えいごばんへの移転いてん余儀よぎなくされた[2]。1909ねん地主じぬしがサッカー選手せんしゅしたため、ふたたびムーズかわ沿いのスクレサン草地くさちとし300ベルギー・フランり、移転いてんした。同年どうねん、クラブは一部いちぶ昇格しょうかくした。リーグはだいいち世界せかい大戦たいせんによって1913-1914シーズンまで中断ちゅうだんした。中断ちゅうだんけの1919-1920および1920-1921シーズン、スタンダールはプロモシオン(promotion、当時とうじの2)でごしたが、1920-1921には2優勝ゆうしょうし、マリノワおよびアンデルレヒトともふたた一部いちぶ昇格しょうかくした[3]。そのは、降格こうかくすることなく一部いちぶまるものの優勝ゆうしょうはなく、降格こうかく危機ききにさらされることもあった。

初期しょき栄冠えいかん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん直後ちょくご、スタンダールのもと選手せんしゅ主将しゅしょうつとめたRoger Petitがクラブの事務じむ総長そうちょうとなった。Petitは代表だいひょうのPaul Henrardと協力きょうりょくし、スタンダールをまさにプロフェッショナルなクラブへと変革へんかくし、ベルギーサッカーかい頂点ちょうてんへとげた。

1954ねん、ベルギーカップをせいしてはつタイトルをにし、1957-1958シーズンにはリーグはつ制覇せいはたした。1960年代ねんだいから1970年代ねんだい初頭しょとうは、数々かずかず栄光えいこうにした。1958ねんから1975ねんあいだに、スタンダールはリーグを6ベルギーカップを2(5決勝けっしょう進出しんしゅつ)、リーグカッププロを1制覇せいはした。

1980年代ねんだい: 絶頂ぜっちょう衰退すいたい[編集へんしゅう]

オーストリアじんエルンスト・ハッペルひきいられたスタンダールは、1981ねんのベルギーカップをせいした。翌年よくねんレイモン・ゲタルス指揮しきることとなった。これは、スタンダールの歴史れきしじょう最高さいこうかつ最悪さいあくなページの幕開まくあけであった。「Raymond-la-science(科学かがくしゃ)」にひきいられ、クラブはベルギーリーグを連覇れんぱベルギー・スーパーカップで2優勝ゆうしょう(3出場しゅつじょう)、とくに1982ねんUEFAカップウィナーズカップでは決勝けっしょう進出しんしゅつした。決勝けっしょうは1982ねん5がつバルセロナで、相手あいてFCバルセロナであった。スタンダールは1たい2でやぶれ、じゅん優勝ゆうしょうとなった。1984ねん、これらの成果せいかは、スタンダール-ワーテルスカイ事件じけん暴露ばくろによってよごされた。バルセロナとの試合しあい数日すうじつまえ、ベルギーリーグにおける優勝ゆうしょうたしかなものとし、バルセロナとの決勝けっしょうまえ怪我けがなくプレーするため、スタンダールはTHORワーテルスカイのキャプテンRoland Janssenに近付ちかづき、リーグ最終さいしゅうせんでの八百長やおちょうけた。このスキャンダルにはエリック・ゲレツふくすうにん選手せんしゅ監督かんとくレイモン・ゲタルス関与かんよしていた。ゲタルスは出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんのがれるためポルトガルへとうつった。この事件じけんのち、スタンダールはほとんどの選手せんしゅ出場しゅつじょう停止ていしによってうばわれた。クラブがこの痛手いたでえすにはなが年月としつきようした。

復活ふっかつまでの25年間ねんかん[編集へんしゅう]

ホームスタジアム、スタッド・ドゥ・スクレサン(2005ねん

1993ねん、スタンダールはベルギーカップで優勝ゆうしょうし、リーグは2えた。1995ねんにもリーグで2につけた。1996ねんRFCセラン併合へいごうした。

1996ねんには、インタートトカップ決勝けっしょう進出しんしゅつカールスルーエSC対戦たいせんしたが、2せん合計ごうけい2たい3でやぶれた。

1998ねん、スタンダールはLucien D'Onofrioとかれ友人ゆうじん実業じつぎょうRobert Louis-Dreyfusによって破産はさんから救済きゅうさいされた。1999ねんと2000ねん、クラブはベルギーカップ決勝けっしょうで2ねん連続れんぞくやぶれた。

6ねんの2005-2006シーズン、スタンダールはリーグタイトルに近付ちかづいたが、アンデルレヒトに5ポイントをつけられ2わった。監督かんとくのドミニク・ドノフリオは、クラブをひきいて上位じょうい成績せいせきのこしていたにもかかわらず、一部いちぶのファンからつよ批判ひはんけた。

このとし、リーグを2えたことから、チャンピオンズリーグ予選よせん3回戦かいせんからの出場しゅつじょう資格しかくはつ出場しゅつじょうしたが、ブルガリアのステアウア・ブカレストやぶれて本戦ほんせん出場しゅつじょうたせなかった。

2006-2007シーズン、クラブは開幕かいまくからつまづき、監督かんとくのJohan Boskampは解任かいにんされ、ミシェル・プロドーム就任しゅうにんした。このとし、リーグはアンダレルヒトとゲンクにいで3えた。ベルギーカップでは決勝けっしょうすすんだが、FCブルッヘやぶれた。UEFAカップではだいいちラウンドでFCゼニト・サンクトペテルブルク優勝ゆうしょうクラブ)にやぶれた。

9度目どめ、10度目どめのリーグ制覇せいは[編集へんしゅう]

2007-2008シーズン、スタンダールは25ねんり9度目どめのリーグ制覇せいはたした。2008ねん4がつ20日はつか、ホームでアンダレルヒトを2たい0でやぶり、優勝ゆうしょう決定けっていした。このシーズンのわり、2008ねん5がつ26にちに、監督かんとくのミシェル・プロドームは退任たいにんしゲントにうつることを発表はっぴょうした。アシスタントのManu FerreraとStan Van den Buijsもチームをった。2008-2009シーズンは、ラースロー・ベレニあらたな指揮しきかんとなった。このルーマニアじん監督かんとくは、まずアンダレルヒトとのベルギースーパーカップで勝利しょうりした。そして、クラブに連覇れんぱ、10度目どめのタイトルをもたらした。このシーズンはアンダレルヒトとかちてんおよびかちすうならんだため、リーグせん終了しゅうりょうの2009ねん5がつ21にちと24にちにプレーオフがおこなわれた。ブリュッセルでおこなわれただい1せんは1たい1でけ、ホームでのだい2せんは1たい0で勝利しょうり優勝ゆうしょうまった。

欧州おうしゅうでのたたかいは、チャンピオンズリーグ予備よび予選よせん3回戦かいせんリヴァプールせんからはじまった。ホームでのだい1せんけた(0たい0)が、アンフィールドでのだい2せん延長えんちょう119ふんディルク・カイト得点とくてんされ0たい1で敗退はいたいした。UEFAカップにまわったスタンダールは、1回戦かいせんエヴァートン対戦たいせんした。イングランドでのだい1せんけ(2たい2)たのちだい2せんアクセル・ヴィツェルミラン・ヨヴァノヴィッチのゴールで勝利しょうりし(2たい1)、グループステージに進出しんしゅつした。グループステージではセビージャ(1たい0)、サンプドリア(3たい0)、パルチザン・ベオグラード(1たい0)、シュトゥットガルト(0たい3)と対戦たいせんし、3しょう1はいのグループ首位しゅい通過つうかした。スタンダールは1982ねんのカップウィナーズカップ決勝けっしょう以来いらいはじめて欧州おうしゅうふゆシーズンにこますすめた。ラウンド32ノックアウトステージではブラガ対戦たいせんし2せん合計ごうけい1たい4で敗退はいたいした。

リーグでの危機きき欧州おうしゅうでの成功せいこう[編集へんしゅう]

2009-2010シーズン、ミシェル・プラティニによる参加さんか資格しかく変更へんこうにより予選よせん免除めんじょされ、チャンピオンズリーグのグループテージにはじめて参戦さんせんした。グループではアーセナルオリンピアコスAZアルクマール対戦たいせんした。オリンピアコスからグループステージはつ勝利しょうりげたものの、この1しょうにとどまりグループは3わり、ヨーロッパリーグの決勝けっしょうトーナメントへとまわることとなった。その一方いっぽうで、リーグでの不振ふしんによりラースロー・ベレニ退任たいにんまった。後任こうにんは3度目どめ指揮しきとなるドミニク・ドノフリオとなり、ベルギーU-21代表だいひょう監督かんとくであったJean-François de Sartがアシスタントコーチに就任しゅうにんした。この変化へんかにもかかわらず、レギュラーシーズンは8わり、しん形式けいしき優勝ゆうしょう決定けっていプレーオフへの進出しんしゅつのがした。リーグ3連覇れんぱのがしたものの、ヨーロッパリーグ2009-2010では成功せいこうおさめた。ラウンド32ではレッドブル・ザルツブルクに2せん合計ごうけい3たい2、ラウンド16ではパナシナイコスに2せん合計ごうけい4たい1で勝利しょうりした。準々じゅんじゅん決勝けっしょうハンブルガーSVせんでは、2せん合計ごうけい5たい2で敗退はいたい欧州おうしゅうでの挑戦ちょうせんえたが、メディアおよびファンから賞賛しょうさんけた。

ドノフリオ体制たいせいにおける最後さいご栄冠えいかん[編集へんしゅう]

2010-2011シーズンはヨーロッパリーグへは不参加ふさんか、リーグは6優勝ゆうしょう決定けっていプレーオフに進出しんしゅつした。プレーオフでは好調こうちょうでレギュラーシーズンのかちてん半分はんぶんとの合計ごうけいかちてん51でゲンクとならんだが、スタンダールのシーズンからのかちてん四捨五入ししゃごにゅうにより0.5てん加点かてんされていたため、優勝ゆうしょうはゲンクとなった。このシーズンはベルギーカップの決勝けっしょう進出しんしゅつKVCウェステルローに2たい1で勝利しょうりした。2011ねん6がつ23にち、ベルギーの実業じつぎょうローランド・デュシャトレがクラブのかぶ100%を取得しゅとくし、しんオーナーとなった。

転換期てんかんき(2011-2012)[編集へんしゅう]

しんオーナーの初年度しょねんど、クラブはYoni Buyens、William Vainqueur、Geoffrey Mujangi Bia、イグナシオ・ゴンサレス獲得かくとくした。チャンピオンズリーグ予選よせん3回戦かいせんではFCチューリッヒ敗退はいたいヨーロッパリーグではよくたたかい、ハノーファー96FCコペンハーゲンFCヴォルスクラ・ポルタヴァあらそったグループリーグを首位しゅい突破とっぱした。一方いっぽう国内こくないではふるわず、欧州おうしゅうへの切符きっぷにはとおく、けやけをかさねていた。

攻撃こうげきめん補強ほきょうのため、ふゆ移籍いせき市場いちばではRami Gershon、ビルキル・ビャルナソンセルジュ・ガクペ獲得かくとくした。ヨーロッパリーグ決勝けっしょうトーナメント1回戦かいせん突破とっぱしたのち、ラウンド16ではグループステージでけがなかったハノーファーにやぶれた。国内こくないリーグでは瀬戸際せとぎわ優勝ゆうしょうプレーオフに進出しんしゅつしたが5わり、年度ねんど欧州おうしゅうへの切符きっぷにすることができなかった。シーズン最終さいしゅうせん監督かんとくのJosé Rigaはファンにたいして退任たいにん発表はっぴょうした。後任こうにんにはオランダじんロン・ヤンス就任しゅうにんした。

デュシャトレ体制たいせいの2ねん[編集へんしゅう]

2012ねん7がつ17にちリールセSKから日本にっぽん代表だいひょうゴールキーパーの川島かわしまひさしを3ねん総額そうがく60まんユーロで獲得かくとくすることに合意ごういした。川島かわしまはスタンダールはつ日本人にっぽんじん選手せんしゅとなった。川島かわしまくわえて、フレデリック・ビュロ(フランスリーグ・アンのSMカーン所属しょぞく)、Astrit Ajdarević(スウェーデンの若手わかて)、マーヴィン・オグンジミ以前いぜんはゲンクに所属しょぞく)、Dudu Biton(シャルルロワSC所属しょぞくのアタッカー)、Yohan Tavares(ディフェンダー)を獲得かくとくした。スタンダールはまた、未来みらい見据みすえてマンチェスター・ユナイテッドエゼキエル・フライアーズなど若手わかて獲得かくとくしていった。シーズンはかちてん15ちゅう10を獲得かくとく好調こうちょうであったが、その4連敗れんぱいきっした。ホームでアンダレルヒトに勝利しょうりしたものの、RAECモンスとのワロンダービーではやぶれた。かちてん33ポイントちゅう13ポイントの12不振ふしんにより、監督かんとくのロン・ヤンスは2012ねん10がつ22にち解任かいにんされ、しん監督かんとくにはミルチェア・レドニク就任しゅうにんした。

ライバル[編集へんしゅう]

スタンダール・リエージュの最大さいだいのライバルはRSCアンデルレヒトである。

タイトル[編集へんしゅう]

国内こくないタイトル[編集へんしゅう]

国際こくさいタイトル[編集へんしゅう]

  • なし

過去かこ成績せいせき[編集へんしゅう]

シーズン ディビジョン ベルギーカップ
リーグ ためし かち ぶん はい とく しつ てん 順位じゅんい
1993-94 ジュピラーリーグ 34 13 12 9 43 22 38 6 ベスト16
1994-95 ジュピラーリーグ 34 21 9 4 52 23 51 2 ベスト32
1995-96 ジュピラーリーグ 34 13 12 9 51 46 51 6 ベスト16
1996-97 ジュピラーリーグ 34 16 2 16 55 55 50 7 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1997-98 ジュピラーリーグ 34 11 10 13 53 50 43 9 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1998-99 ジュピラーリーグ 34 17 3 14 55 47 54 6 じゅん優勝ゆうしょう
1999-00 ジュピラーリーグ 34 18 2 14 66 52 56 5 じゅん優勝ゆうしょう
2000-01 ジュピラーリーグ 34 16 12 6 71 44 66 3 ベスト16
2001-02 ジュピラーリーグ 34 15 12 7 57 38 57 5 ベスト32
2002-03 ジュピラーリーグ 32 14 8 10 53 39 50 7 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
2003-04 ジュピラーリーグ 34 18 11 5 68 31 65 3 ベスト32
2004-05 ジュピラーリーグ 34 21 7 6 64 30 70 3 ベスト16
2005-06 ジュピラーリーグ 34 19 8 7 51 28 65 2 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
2006-07 ジュピラーリーグ 34 19 7 8 62 38 64 3 じゅん優勝ゆうしょう
2007-08 ジュピラーリーグ 34 22 11 1 61 19 77 1 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
2008-09 ジュピラー・プロ・リーグ 34 24 5 5 66 26 77 1 6回戦かいせん敗退はいたい
2009-10 ジュピラー・プロ・リーグ 28 10 9 9 38 34 39 8 7回戦かいせん敗退はいたい
6 2 2 2 8 5 8 9
2010-11 ジュピラー・プロ・リーグ 30 15 4 11 50 38 49 6 優勝ゆうしょう
10 8 2 0 18 6 51 2
2011-12 ジュピラー・プロ・リーグ 30 14 9 7 43 33 51 4 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
10 2 3 5 10 17 35 5
2012-13 ジュピラー・プロ・リーグ 30 15 5 10 54 33 50 6 7回戦かいせん敗退はいたい
10 5 2 3 18 17 42 4
2013-14 ジュピラー・プロ・リーグ 30 20 7 3 59 17 67 1 7回戦かいせん敗退はいたい
10 4 3 3 14 11 49 2
2014-15 ジュピラー・プロ・リーグ 30 16 5 9 49 39 53 4 7回戦かいせん敗退はいたい
10 4 1 5 14 13 40 4
2015-16 ジュピラー・プロ・リーグ 30 12 5 13 41 51 41 7 優勝ゆうしょう
6 3 1 2 8 5 10 8
2016-17 ジュピラー・プロ・リーグ 30 10 12 8 47 38 39 9 6回戦かいせん敗退はいたい
10 4 2 4 14 11 14 10
2017-18 ジュピラー・プロ・リーグ 30 11 11 8 43 41 44 6 優勝ゆうしょう
10 6 3 1 20 9 43 2
2018-19 ジュピラー・プロ・リーグ 30 15 8 7 49 35 53 3 6回戦かいせん敗退はいたい
10 4 1 5 17 16 40 3
2019-20 ジュピラー・プロ・リーグ 29 14 7 8 47 32 49 5 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
2020-21 ジュピラー・プロ・リーグ 34 13 11 10 52 41 50 6 じゅん優勝ゆうしょう
6 1 0 5 7 17 28 4
2021-22 ジュピラー・プロ・リーグ 34 9 9 16 32 51 36 14 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
2022-23 ジュピラー・プロ・リーグ 34 16 7 11 58 45 55 6 ベスト16敗退はいたい
2023-24 ジュピラー・プロ・リーグ 34 くらい ベスト16敗退はいたい


欧州おうしゅう成績せいせき[編集へんしゅう]

1959-2000[編集へんしゅう]

2001-[編集へんしゅう]

げん所属しょぞくメンバー[編集へんしゅう]

2024ねん4がつ16にち[4]

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
2 DF ベルギー ジル・デヴァーレ英語えいごばん
3 DF ベルギー ナタン・ンゴイ英語えいごばん ()
4 DF ベルギー ジーニョ・ファンフースデン
5 DF イングランド ジョナタン・パンゾ ()
6 MF 日本 川辺かわべ駿しゅん
8 MF 北アイルランド アイザック・プライス英語えいごばん ()
9 FW イタリア ケルヴィン・イエボア英語えいごばん ()
11 MF イタリア セイドゥ・フィニ英語えいごばん ()
13 DF アメリカ合衆国 マーロン・フォッシー英語えいごばん
14 FW コートジボワール ウィルフリード・カンガ英語えいごばん ()
15 DF コートジボワール スレイマン・ドゥンビア英語えいごばん ()
16 GK ベルギー アルノー・ボダール英語えいごばん
17 MF コロンビア スティーブン・アルザテ ()
18 MF ガーナ カマル・ソワー
No. Pos. 選手せんしゅめい
19 MF マリ共和国 ムサ・ジェネポ
20 DF コンゴ民主共和国 メルヴェイユ・ボカディ英語えいごばん
22 MF コンゴ民主共和国 ウィリアム・バリクウィシャ英語えいごばん
24 MF オーストラリア エイデン・オニール
25 DF ベルギー イベ・オーテキエ英語えいごばん
28 FW クロアチア スティペ・ペリツァ
30 GK ベルギー ローレン・エンキネ英語えいごばん
33 MF ベルギー ハキム・サハボ英語えいごばん
34 DF キプロス コンスタンティノス・ライフィス
40 GK ベルギー マテュー・エポロオランダばん ()
45 GK ベルギー トム・ポワトゥーオランダばん
51 DF ベルギー リュカ・ヌビ英語えいごばん ()
61 MF ベルギー ジハン・チャナク英語えいごばん ()

ローン移籍いせき[編集へんしゅう]

in

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
4 DF ベルギー ジーニョ・ファンフースデン (インテル)
5 DF イングランド ジョナタン・パンゾ (ノッティンガム・フォレストFC) ()
8 MF 北アイルランド アイザック・プライス英語えいごばん (ニューカッスル・ユナイテッドFC) ()
9 FW イタリア ケルヴィン・イエボア英語えいごばん (ジェノアCFC) ()
No. Pos. 選手せんしゅめい
11 MF イタリア セイドゥ・フィニ英語えいごばん (ジェノアCFC U-19) ()
14 FW コートジボワール ウィルフリード・カンガ英語えいごばん (ヘルタ・ベルリン) ()
17 MF コロンビア スティーブン・アルザテ (ブライトン) ()
18 MF ガーナ カマル・ソワー (クラブ・ブルッヘ)
out

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
-- FW オランダ ノア・オハイオ英語えいごばん (ハル・シティAFC) ()
-- FW ベルギー デニス・ドラグシュ (ガズィアンテプFK)
-- FW ブルキナファソ アブドゥル・タプソバ (アミアンSC)
No. Pos. 選手せんしゅめい
-- MF ベルギー レアンドレ・クアビタオランダばん (ジェノアCFC U-19) ()
-- MF ブルキナファソ サシャ・バンセ英語えいごばん (ヴァランシエンヌFC) ()
-- DF ベルギー アレクサンドロ・カルートオランダばん (OHルーヴェン)

歴代れきだい監督かんとく[編集へんしゅう]

歴代れきだい所属しょぞく選手せんしゅ[編集へんしゅう]

GK[編集へんしゅう]

DF[編集へんしゅう]

MF[編集へんしゅう]

FW[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Website Standard Liège Archived 6 February 2017 at the Wayback Machine.
  2. ^ a b Le Royal Standard de Liège et son histoire”. Royal Standard de Liège (standard.be). p. 2. 2010ねん4がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん1がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ B. Dubois, Th. Evens, Ph. Leruth, 1892-1992 : La jeunesse centenaire. Livre officiel du Centenaire du Royal Football Club Liégeois. Bruxelles, Labor, 1992, pp. 276.
  4. ^ Spelers | Standard de Liège”. standard.be. 2024ねん4がつ16にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]