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ロベルト・カルロス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロベルト・カルロス
ロベルト・カルロス(2023ねん
名前なまえ
本名ほんみょう ロベルト・カルロス・ダ・シウバ・ローシャ
Roberto Carlos da Silva Rocha
愛称あいしょう ロベカル、ロベルト、悪魔あくま左足ひだりあしふう小僧こぞう狂気きょうき弾丸だんがん爆発ばくはつ
ラテン文字もじ Roberto Carlos
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき ブラジルの旗 ブラジル
スペインの旗 スペイン 
生年月日せいねんがっぴ (1973-04-10) 1973ねん4がつ10日とおか(51さい
出身しゅっしん ガルサ英語えいごばん
身長しんちょう 168cm
体重たいじゅう 70kg
選手せんしゅ情報じょうほう
ポジション DF (LSB) / MF (LWB)
あし 左足ひだりあし
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
1991-1993 ブラジルの旗 ウニオン・サンジョアン
1993-1995 ブラジルの旗 パルメイラス 44 (3)
1995-1996 イタリアの旗 インテル・ミラノ 30 (5)
1996-2007 スペインの旗 レアル・マドリード 370 (47)
2007-2009 トルコの旗 フェネルバフチェ 65 (6)
2010-2011 ブラジルの旗 コリンチャンス 35 (1)
2011-2012 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ 29 (4)
2015 インドの旗 デリー・ディナモス 3 (0)
代表だいひょうれき
1992-2006[1] ブラジルの旗 ブラジル 125 (11)
監督かんとくれき
2011-2012 ロシアの旗 アンジ・マハチカラ (アシスタントコーチ)
2013-2014 トルコの旗 スィヴァススポル
2015 トルコの旗 アクヒサル・ベレディイエスポル
2015 インドの旗 デリー・ディナモスFC
獲得かくとくメダル
男子だんしサッカー
どう 1996 サッカー
1. 国内こくないリーグせんかぎる。
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

ロベルト・カルロス・ダ・シウバ・ローシャRoberto Carlos da Silva Rocha, 1973ねん4がつ10日とおか - )は、ブラジルサンパウロしゅう出身しゅっしんもとサッカー選手せんしゅ、サッカー指導しどうしゃもとブラジル代表だいひょう現役げんえき時代じだいのポジションはディフェンダーひだりサイドバック)、ミッドフィールダーひだりウイングバック)。身長しんちょう168cm、体重たいじゅう70kg。

現役げんえき時代じだい世界せかい最高さいこうひだりサイドバックと各国かっこくのジャーナリストや、選手せんしゅたちに賞賛しょうさんされる[2]とも歴代れきだい最高さいこうひだりサイドバックとひょうされる1人ひとりであり、果敢かかん攻撃こうげき参加さんかによりサイドバックの概念がいねんえた選手せんしゅ[3]。1996ねんから2007ねんまでスペイン1リーグレアル・マドリード所属しょぞくし、「銀河系ぎんがけい軍団ぐんだん」としょうされるスタープレーヤー軍団ぐんだん一員いちいんとして、黄金おうごんささえた。その強力きょうりょくなキックは悪魔あくま左足ひだりあしばれる。日本にっぽんではロベカル愛称あいしょうしたしまれている。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

クラブ経歴けいれき[編集へんしゅう]

3にんあねすえとして出生しゅっしょうし、幼少ようしょうからちちともはたらまずしい家庭かていささえた。自宅じたくから20kmの距離きょりにある繊維せんい工場こうじょうまでかよバスだいはらえなかったため、いつもはしってかよっていた。また、少年しょうねん時代じだいいえから学校がっこうまでの距離きょりじゅうすうキロあったが、毎日まいにちはしって通学つうがくしていた。このような環境かんきょうであったため、13さいまでサッカーボールをったことすらなかった。[よう出典しゅってん]

地元じもとのクラブであるウニオン・サンジョアンでキャリアをスタートさせ、1993ねんパルメイラス移籍いせきただちに頭角とうかくあらわジーニョエバイールらとともに1993ねん、1994ねんブラジル全国ぜんこく選手権せんしゅけん連覇れんぱ貢献こうけんした。

1995ねんなつにイタリアのインテル移籍いせき開幕かいまくヴィチェンツァせんでいきなり直接ちょくせつFKをたたきみ、リーグ2せつパルマせんでもうわだま得点とくてんめるなど、個人こじんとてはこうスタートをったが、監督かんとくがビアンキからロイ・ホジソンわると、本来ほんらいひだりサイドバックではなく、ひだりサイドの中盤ちゅうばん起用きようされ、あじせずにわった[4]。チームはリーグ7わり、ホジソンは来期らいきからひだりサイドの中盤ちゅうばんアレッサンドロ・ピストーネ起用きようすることをめたため、放出ほうしゅつされることとなった[4]

イタリアサッカーに順応じゅんのうできなかったロベルト・カルロスにたいし、スペイン1リーグレアル・マドリードファビオ・カペッロ監督かんとく獲得かくとくこころみ、レアル・マドリードに加入かにゅうするように説得せっとくおこなった[3]。1996-97シーズンから、スペインのレアル・マドリードへ移籍いせき。そのさい移籍いせききんはわずか360まんユーロであった[5]。11シーズン在籍ざいせきし、通算つうさん512試合しあい出場しゅつじょう65得点とくてん記録きろく、リーグ通算つうさん370試合しあい出場しゅつじょう46得点とくてんひだりサイドバックのポジションで記録きろくした。

UEFAチャンピオンズリーグ 1997-98決勝けっしょうでは、ミヤトビッチ決勝けっしょうてんつながる高速こうそくクロスをれるなど優勝ゆうしょう貢献こうけんUEFAチャンピオンズリーグ 2001-02バイエル・レバークーゼンせんにおいては、決勝けっしょうてんとなるジネディーヌ・ジダンのボレーシュートをアシストした。

2003ねんフェルナンド・イエロクロード・マケレレという守備しゅびてき選手せんしゅ移籍いせきし、攻守こうしゅのバランスが崩壊ほうかいしてからはかれ評価ひょうか無難ぶなんなものになったが、それでも攻撃こうげきめんではたかいパフォーマンスを維持いじつづけた。2005ねん、ブラジルじんFWロビーニョ入団にゅうだんはクラブのEU外国がいこくせき選手せんしゅわくけるためにスペイン国籍こくせき取得しゅとくした。さらアルフレッド・ディ・ステファノいてレアル・マドリードでもっとおおくの試合しあい出場しゅつじょうした外国がいこくじん選手せんしゅとなった。

フェネルバフチェ時代じだいのロベルト・カルロス

2006ねんドイツ・ワールドカップ終了しゅうりょうにブラジル代表だいひょう引退いんたい以降いこうはクラブチームでの活動かつどう専念せんねんしている。2007ねんふゆ移籍いせき市場いちばマルセロどうなつ移籍いせき市場いちばガブリエル・エインセロイストン・ドレンテひだりサイドバックでプレーできる選手せんしゅ加入かにゅうわるように2007-08シーズンからは同郷どうきょうジーコ監督かんとくつとめていたトルコフェネルバフチェ移籍いせきし2ねん契約けいやくむすんだ。フェネルバフチェでのはつ試合しあいベシクタシュくだし、トルコスーパーカップを獲得かくとくした。2007-08シーズン終盤しゅうばん怪我けがをしてしまい、フェネルバフチェは、ガラタサライとの優勝ゆうしょうあらそいから脱落だつらくしてしまう[6]

2010ねん1がつ、ブラジルのコリンチャンス移籍いせきし2ねん契約けいやくむすび、ブラジル代表だいひょうやレアル・マドリードでともにプレーしたロナウドとチームメイトとなった。

2011ねん2がつにコリンチャンスとの契約けいやく解除かいじょし、ロシアのアンジ・マハチカラ移籍いせきした(2ねんはん契約けいやく年俸ねんぽう500まん~650まんユーロ)[7]守備しゅびてきMFでのポジションでプレーし、3月8にち以降いこうはキャプテンもまかされた。2011ねん9がつ所属しょぞくするFCアンジ・マハチカラの監督かんとく解任かいにんともない、選手せんしゅ兼任けんにんコーチに就任しゅうにん[8]。2012ねん現役げんえき引退いんたい表明ひょうめいした[9]

代表だいひょう経歴けいれき[編集へんしゅう]

ブラジル代表だいひょうには1992ねん2がつ26にちおこなわれたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく代表だいひょうとの国際こくさい親善しんぜん試合しあいでデビューして以来いらい、125試合しあい出場しゅつじょう24得点とくてん記録きろくした[1]。また、ブラジル五輪ごりん代表だいひょうとして1996ねんアトランタオリンピックにも出場しゅつじょうしてどうメダル獲得かくとく貢献こうけん日本にっぽんにおいてマイアミの奇跡きせきばれている試合しあいにもスターティングメンバーとして出場しゅつじょうしていた[10]

ブラジル代表だいひょうでトレーニングちゅうのロベルト・カルロス

1998 FIFAワールドカップフランス大会たいかいでは7試合しあいぜん試合しあい出場しゅつじょうした。2002 FIFAワールドカップ南米なんべい予選よせんではパラグアイ代表だいひょうのゴールキーパーホセ・ルイス・チラベルトからかおつばきかけられた。チラベルトはこのけん国際こくさいサッカー連盟れんめいから3試合しあい出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんけたが、この行為こういいたった経緯けいい人種じんしゅ差別さべつ発言はつげんがあったことをしめしていた。ほん大会たいかいではグループリーグのコスタリカせんのぞく6試合しあい出場しゅつじょう。グループリーグの中国ちゅうごくせんではフリーキックから得点とくてんめるひとし、ブラジルの5度目どめ世界せかい制覇せいは貢献こうけんした(当時とうじのフォーメーションは 3-5-2 でポジションはウイングバック)。

2006ねんFIFAワールドカップドイツ大会たいかい準々じゅんじゅん決勝けっしょうフランスせん敗退はいたい最後さいご代表だいひょうから引退いんたいした[1]。その、コリンチャンスへ移籍いせきした2010ねん1がつヘジ・グローボ2010ねんワールドカップへの出場しゅつじょう希望きぼうべた[11]

引退いんたい[編集へんしゅう]

スィヴァススポルで指揮しきるロベルト・カルロス

引退いんたいした翌年よくねんの2013ねん6がつトルコリーグスィヴァススポル監督かんとく就任しゅうにんした[12]

スィヴァススポルでの1ねんは5好成績こうせいせきおさめたが、2ねん降格こうかくけん低迷ていめいし、2014ねん12月21にち辞任じにんした[13]

2015ねん1がつ、トルコリーグのアクヒサル・ベレディイエスポル監督かんとく就任しゅうにん[14]同年どうねん7がつインド・スーパーリーグデリー・ディナモスFC選手せんしゅ兼任けんにん監督かんとくとして現役げんえき復帰ふっきすることが発表はっぴょうされた[15]。2015ねんのシーズン終了しゅうりょう退任たいにん

2016ねん1がつおなじインド・スーパーリーグのムンバイ・シティFC監督かんとく就任しゅうにんうわさされたが[16]、レアル・マドリードのアジア大使たいしけん下部かぶ組織そしきのコーチ、レアル・マドリードTVの解説かいせつしゃとしてやく9ねんぶりに古巣ふるす復帰ふっきたした[17][18]

プレースタイル[編集へんしゅう]

filho do ventoふう小僧こぞう)の異名いみょう快速かいそくかし[19]ラウル・ゴンサレスから「DFの仮面かめんこうむったFWだ」とひょうされた攻撃こうげきてきサイドバック。レアル・マドリード時代じだいの2005-06シーズンのフィットネステストで、当時とうじ32さいにして持久走じきゅうそうのタイムがチームトップであり、100mはしも10びょう9と唯一ゆいいつの10びょうだいでトップであった。短距離たんきょり中距離ちゅうきょり長距離ちょうきょりのどのはしちからにおいてもトップレベルであることから、1人ひとりのスプリンターとして「究極きゅうきょくのアスリート」とばれることがある。

ドリブルやパスも非常ひじょう上手うまく、アウトサイドにけたスライスけいのシュートを得意とくいとしている[20]独特どくとくなが助走じょそうから「悪魔あくま左足ひだりあし」とひょうされる左足ひだりあしから強烈きょうれつなフリーキックを代名詞だいめいしとしており、時速じそく140kmをえるシュートは「凶器きょうき弾丸だんがん」とばれている[19]有名ゆうめいなゴールには1997ねん6がつ3にちトゥルノワ・ド・フランス(フランスW杯だぶりゅーはい前年ぜんねんおこなわれたふつ独自どくじのプレW杯だぶりゅーはい親善しんぜん大会たいかいで、ふつイングランドイタリアブラジル出場しゅつじょう現在げんざいコンフェデはいがプレW杯だぶりゅーはい公式こうしき大会たいかいフランスせんでのフリーキックなどがげられる。ゴール前約ぜんやく35mの地点ちてんから、なが助走じょそうから左足ひだりあしはなたれたシュートは、ボールが一旦いったんみぎったのちひだり方向ほうこうするどくカーブして、ゴールポストにたり、はいった。ふつ代表だいひょうGKバルテズいちうごけなかった。このフリーキックは秒速びょうそく30m程度ていど推定すいていされ、回転かいてんすうすくないことからボールの中心ちゅうしんちかくからインステップ気味ぎみのアウトサイドキックでったものとおもわれる[21]。フランスの物理ぶつり学者がくしゃたちは、まるで物理ぶつりがく無視むしするかのようなこのフリーキックを一丸いちがんとなって解明かいめいしようとし、2010ねんつい数学すうがくてき解明かいめいした(35m程度ていどのゴールまでの十分じゅうぶん距離きょりがあることと十分じゅうぶんちからでボールをること、この2条件じょうけんたすことが出来できれば、このらせんがた軌道きどう実現じつげん出来できると証明しょうめい)[22][23]

そのプレースタイルは、かつて3FIFAワールドカップ出場しゅつじょうしたもとブラジル代表だいひょうブランコもっと影響えいきょうけたとされており、ロベルト・カルロス本人ほんにん歴代れきだい最高さいこうのサイドバックとしてブランコの名前なまえげている[2]

エピソード[編集へんしゅう]

  • ロベルト・カルロスという名前なまえは、かれ父親ちちおや歌手かしゅロベルト・カルロス英語えいごばんから拝借はいしゃくした。歌手かしゅのロベルトもそのことには、おおいに感謝かんしゃしている。
  • 奔放ほんぽう女性じょせい関係かんけいられ、最初さいしょつま・アレクサンドラもと夫人ふじんとのあいだには2養子ようし1にんもうけている。2009ねん再婚さいこんした理学りがく療法りょうほうのマリアナ夫人ふじんとのあいだにも2もうけているが、ほかにも関係かんけいった4にん女性じょせいとのあいだに4にん子供こどもがおり、養子ようしふくめてけい9にん子供こどもがいることをかしている[24][25]
  • クラブ、代表だいひょう長年ながねんプレーしたロナウドとはだい親友しんゆう同士どうしであり、1998ねんFIFAワールドカップ大会たいかいちゅうにロナウドが胃痙攣いけいれんこしてたおれたさいにルームメイトだったロベルト・カルロスが通報つうほうしたことがかされている[26]
  • 2005ねん6がつ24にち、ブラジル南東なんとうベロオリゾンテにてかれったくるまじゅうった2人組にんぐみおそわれるというトラブルに見舞みまわれた。そのときかれ偶然ぐうぜんにも携帯けいたい電話でんわにて生放送なまほうそうのラジオ番組ばんぐみ出演しゅつえんちゅうであり、かれ悲鳴ひめい強盗ごうとうまどたたおとなま中継ちゅうけいされた。
  • 現役げんえき時代じだいには引退いんたい競走きょうそう育成いくせいをするのがゆめだとかたっていた。現在げんざい副業ふくぎょうクラレンス・セードルフ共同きょうどうでのバイクチームの運営うんえいである。
  • プライベートでは福祉ふくし活動かつどうにも精力せいりょくてきで、地元じもとブラジルのサンパウロしゅうアララスにはかれ寄付きふてられた保育園ほいくえんがある。
  • マドリード退団たいだんさいには非常ひじょう名残惜なごりおしそうにしており、そのもレアル・マドリードがのぞむのであれば無給むきゅう復帰ふっきするとはなした[27]
  • スパイクはながらくアンブロのスパイクをくことがおおかったが、World Stars たい Iranian Starsのチャリティーマッチでは、ミズノモレリア着用ちゃくようしていたこともある。
  • 2018ねん日本にっぽんフットサル連盟れんめい要請ようせいおうじて来日らいにち大阪おおさか中央ちゅうおう体育館たいいくかん開催かいさいされたFリーグ(日本にっぽんフットサルリーグ)試合しあい出場しゅつじょうした(9がつ8にちのエキシビションマッチ、および9がつ9にち公式こうしきせんFリーグ選抜せんばつたいヴォスクオーレ仙台せんだい」のけい2試合しあい[28]。9にち公式こうしきせんへの出場しゅつじょうにあたってはFIFAおよびJFA正式せいしき手続てつづきでFリーグ選抜せんばつ選手せんしゅ登録とうろくした。背番号せばんごうは3。この試合しあいでロベルト・カルロスは前半ぜんはん15ふん後半こうはん10ふんにゴールをめ、2たい1でのFリーグ選抜せんばつ勝利しょうり貢献こうけん[29]とくに2てんのゴールはうわだまのパスを右足みぎあしのジャンピングボレーでめたもので、本人ほんにんも「(右足みぎあしでのゴールは)26年間ねんかんのキャリアでふたつ」とかたった[28]。なおこの試合しあいでロベルト・カルロスは、それまで甲斐かいおさむさむらいっていたFリーグの歴代れきだい最年長さいねんちょう試合しあい出場しゅつじょう歴代れきだい最年長さいねんちょうゴールの記録きろく更新こうしんした(45さいと152にち[28]。その最年長さいねんちょう試合しあい出場しゅつじょう金山かなやま友紀ゆきにより更新こうしんされたが、最年長さいねんちょうゴールの記録きろくは2023ねん7がつ現在げんざい、まだやぶられていない。

個人こじん成績せいせき[編集へんしゅう]

サッカー[編集へんしゅう]

クラブ成績せいせき
クラブ シーズン 国内こくないリーグ 国内こくないカップ 欧州おうしゅうカップ 通算つうさん
出場しゅつじょう 得点とくてん 出場しゅつじょう 得点とくてん 出場しゅつじょう 得点とくてん 出場しゅつじょう 得点とくてん
パルメイラス 1993 20 1 5 0 0 0 32 1
1994 24 2 3 0 6 1 33 3
1995 0 0 4 1 9 3 13 4
通算つうさん 44 3 12 1 15 4 78 8
インテル・ミラノ 1995-96 30 5 2 1 2 1 34 7
通算つうさん 30 5 2 1 2 1 34 7
レアル・マドリード 1996-97 37 5 5 0 0 0 42 5
1997-98 35 4 1 1 9 2 45 7
1998-99 35 5 4 0 8 0 47 5
1999-00 35 4 3 0 17 4 55 8
2000-01 36 5 0 0 14 4 50 9
2001-02 31 3 6 1 13 2 50 6
2002-03 37 5 1 0 15 1 53 6
2003-04 32 5 7 1 8 2 47 8
2004-05 34 3 2 0 10 1 46 4
2005-06 35 5 3 1 7 0 45 6
2006-07 23 3 1 0 8 0 32 3
通算つうさん 370 47 33 4 109 16 512 67
フェネルバフチェ 2007-08 22 2 3 0 9 0 34 2
2008-09 32 4 8 2 10 1 50 7
2009-10 11 0 0 0 8 1 19 1
通算つうさん 65 6 11 2 27 2 103 10
コリンチャンス 2010 35 1 0 0 8 0 57[30] 4[30]
2011 0 0 0 0 1 0 4[30] 1[30]
通算つうさん 35 1 0 0 9 0 61 5
アンジ・マハチカラ 2011-12 29 4 3 1 0 0 32 5
通算つうさん 29 4 3 1 0 0 32 5
デリー・ディナモス 2015 2 0 0 0 0 0 2 0
通算つうさん 2 0 0 0 0 0 2 0
そう通算つうさん 573 66 61 9 162 23 820 102
代表だいひょう成績せいせき
年度ねんど 出場しゅつじょう 得点とくてん
1992 7 0
1993 5 0
1994 7 0
1995 13 1
1996 4 0
1997 18 2
1998 10 0
1999 13 2
2000 9 0
2001 7 1
2002 11 1
2003 5 1
2004 12 0
2005 9 3
2006 6 0
そう通算つうさん 125 11

フットサル[編集へんしゅう]

国内こくない大会たいかい個人こじん成績せいせき
年度ねんどクラブ背番号せばんごうリーグ リーグせん リーグはいオープンはい 期間きかん通算つうさん
出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん出場しゅつじょう得点とくてん 出場しゅつじょう得点とくてん
日本にっぽん リーグせん オーシャンはい 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん 期間きかん通算つうさん
2018-19 Fリーグ選抜せんばつ 3 Fリーグ 1 2 1 2
通算つうさん 日本にっぽん Fリーグ 1 2 1 2
そう通算つうさん 1 2 1 2

タイトル[編集へんしゅう]

クラブ[編集へんしゅう]

パルメイラス
レアル・マドリード
フェネルバフチェSK
  • トルコスーパーカップ:2007, 2009

ブラジル代表だいひょう[編集へんしゅう]

個人こじん[編集へんしゅう]

メディア[編集へんしゅう]

2021ねん、レアル・マドリードTVのインタビューではなすロベルト・カルロス

アメリカのスポーツ用品ようひんメーカーであるナイキのコマーシャルに出演しゅつえんしている[31][32]。1998ねん、ロナウドやロマーリオとともに、1998ねんワールドカップにけた空港くうこう舞台ぶたいにしたナイキのコマーシャルに出演しゅつえんした[31]。また、2002ねんワールドカップ直前ちょくぜんには、テリー・ギリアム監督かんとくのナイキ広告こうこくキャンペーン「シークレット・トーナメント」(ブランドめい「スコピオンKO」)に出演しゅつえんし、ロナウド、ティエリ・アンリフランチェスコ・トッティ、ロナウジーニョ、ルイス・フィーゴ中田なかた英寿ひでとし共演きょうえんした。もと選手せんしゅエリック・カントナ審判しんぱんとして登場とうじょうした[33][34]

ペプシのコマーシャルにも出演しゅつえんしており、2002ねんワールドカップのペプシの広告こうこくでは、デビッド・ベッカムラウル・ゴンザレスジャンルイジ・ブッフォンとも相撲すもう選手せんしゅ対戦たいせんしています[35]

EAスポーツのビデオゲームシリーズであるFIFAにも登場とうじょうし、FIFA サッカー2003の表紙ひょうしマンチェスター・ユナイテッドライアン・ギグスユヴェントスエドガー・ダーヴィッツともえらばれた[36]。 また、FIFA 15のUltimate Team Legendsにも登場とうじょうした[37]。 2015ねんKONAMIのビデオゲームシリーズであるPro Evolution Soccer 2016あらたなmyClub Legendsの一人ひとりとして登場とうじょうした[38]

2016ねん世界中せかいじゅう選手せんしゅとコーチをつなぐソフトウェア「Ginga Scout」をげまし[39]た。 2018ねん4がつ、モロッコの2026 FIFAワールドカップ招致しょうち支援しえんする大使たいし任命にんめいされた[40]

2022ねん6がつ、ロナウジーニョとともマイアミ開催かいさいされた、現役げんえきおよび引退いんたい選手せんしゅふく親善しんぜん試合しあい「The Beautiful Game by R10 and RC3」の共同きょうどう司会しかいつとめた。ロベルト・カルロスのチームは試合しあいを12-10で勝利しょうりした[41][42]。2023ねん6がつ23にちにはオーランド再戦さいせんおこなわれたが、試合しあい時間じかんあめとピッチ侵入しんにゅうがあったためやく1あいだ中止ちゅうしされた[43]。 2試合しあいはロナウジーニョのチームが4-3で勝利しょうりした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c “Roberto Carlos - Century of International Appearances” (英語えいご). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/rcarlos-intl.html 
  2. ^ a b 世界一せかいいちのサイドバック」とは? ロベルト・カルロスがえら歴代れきだいベスト5 livedoorスポーツ、2011ねん2がつ7にち
  3. ^ a b ロベルト・カルロス 歴史れきしえた'98ねん優勝ゆうしょう NumberWeb、2010ねん12月1にち
  4. ^ a b Roberto Carlos l'uomo proiettile il leggendario terzino sinistro del Real Madrid e del Brasile”. GOAL (2023ねん4がつ10日とおか). 2023ねん9がつ4にち閲覧えつらん
  5. ^ 【クラシコ特別とくべつ企画きかく】ジダン、ロべカル、モドリッチ、ロナウド…現地げんち記者きしゃえらぶレアル・マドリー最強さいきょうベストイレブンは… Goal、2018ねん10がつ26にち
  6. ^ Fenerbahce´s Carlos set to miss rest of season soccerway.com、2008ねん4がつ17にち
  7. ^ ロシアのアンジ、ロベルト・カルロスの獲得かくとく発表はっぴょう”. スポーツナビ (2011ねん2がつ17にち). 2011ねん2がつ19にち閲覧えつらん
  8. ^ Coaches and staff アンジ・マハチカラ公式こうしき
  9. ^ rカルロス現役げんえき引退いんたい表明ひょうめい goal.com
  10. ^ Olympic Football Tournaments Atlanta 1996 - Men Archived 2014ねん2がつ22にち, at the Wayback Machine. FIFA.com、2013ねん6がつ3にち
  11. ^ Roberto Carlos still wants to play at World Cup”. fox soccer.com (2010ねん1がつ10日とおか). 2010ねん3がつ21にち閲覧えつらん
  12. ^ Roberto Carlos takes charge at Sivasspor FIFA.com、2013ねん6がつ3にち
  13. ^ ロベルト・カルロス、トルコのシバススポル監督かんとく辞任じにん Goal、2014ねん12月22にち
  14. ^ R・カルロスふたたびトルコで指揮しきかん Goal、2015ねん1がつ3にち
  15. ^ ベッカムが、ジダンが、ロナウドが祝福しゅくふく!ロベカルがインドで現役げんえき復帰ふっき ゲキサカ、2015ねん7がつ10日とおか
  16. ^ レアルVSインド!ロベルト・カルロス争奪そうだつせん勃発ぼっぱつか? Qoly、2016ねん1がつ21にち
  17. ^ ロベルト・カルロスがマドリーに復帰ふっきへ だがトップチームりはジダンがのぞまず? Goal、2016ねん1がつ22にち
  18. ^ ロベルト・カルロス古巣ふるすレアルの監督かんとく希望きぼうも「いまのぞまれていない」 フットボールチャンネル、2016ねん10がつ13にち
  19. ^ a b 『ベッカムのボールはなぜがるのか?』、技術評論社ぎじゅつひょうろんしゃ、2005ねん、31ぺーじ
  20. ^ 技術ぎじゅつりょく サッカー 世界せかいのスタープレーヤー』、出版しゅっぱん芸術げいじゅつしゃ、2005ねん、160ぺーじ
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]