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フェネルバフチェSK

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フェネルバフチェSK
原語げんご表記ひょうき Fenerbahçe Spor Kulübü
愛称あいしょう Sarı Kanaryalar (The Yellow Canaries)
Sarı Lacivertliler (The Yellow-Navy Blues)
Efsane (The Legend)
Fener
クラブカラー あお
創設そうせつねん 1907ねん
所属しょぞくリーグ トルコ・スュペル・リグ
ホームタウン イスタンブール
ホームスタジアム シュクリュ・サラジオウル・スタジアム
収容しゅうよう人数にんずう 50,530[1]
代表だいひょうしゃ トルコの旗 アリ・コチュ
監督かんとく ポルトガルの旗 ジョゼ・モウリーニョ
公式こうしきサイト 公式こうしきサイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

フェネルバフチェ・スポル・クリュビュトルコ: Fenerbahçe Spor Kulübü)は、トルコイスタンブール本拠地ほんきょちとする総合そうごうスポーツクラブ。

ガラタサライベシクタシュならびトルコサッカーさかい代表だいひょうするチーム。リーグでは創設そうせつ1ねん優勝ゆうしょうなど19かいかぞえる。トルコではガラタサライにいで2番目ばんめ人気にんきのあるクラブである[2]

歴史れきし[編集へんしゅう]

フェネルバフチェはイスタンブールのカドゥキョイ地区ちくに、3めいのトルコじんによって設立せつりつされた。当時とうじトルコでは、ときスルタンであるアブデュルハミト2せいが、トルコじんがサッカーチームを設立せつりつしプレーすることをきんじていたため、この設立せつりつ極秘ごくひうらになされた。その最初さいしょのミーティングで、創設そうせつしゃなかからソンギュレンが最初さいしょ会長かいちょうとして選出せんしゅつされた。1908ねんこった青年せいねんトルコじん革命かくめいにより政変せいへんがなされるまで、フェネルバフチェの活動かつどうひそかにおこなわれていた。チームは1909ねんにイスタンブールのサッカーリーグに加盟かめいし、1912-13シーズンにははじめてチャンピオンシップをせいした。

2006ねん7がつ4にちもと日本にっぽん代表だいひょう監督かんとくジーコ監督かんとく就任しゅうにん発表はっぴょうされた。どう監督かんとくもとで、2007ねん5がつ13にち記念きねんすべきクラブ創立そうりつ100周年しゅうねんに17かいのリーグ優勝ゆうしょう達成たっせい。また、2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、トルコのクラブ史上しじょう2度目どめ準々じゅんじゅん決勝けっしょう進出しんしゅつたした。しかし、国内こくないリーグでは2わり、ジーコ監督かんとくはクラブとつぎシーズンについての意見いけんわず退任たいにんすることとなった。あにでコーチでもあったエドゥのインタビューによると、アジズ会長かいちょう現場げんばへの介入かいにゅうかんする対立たいりつしゅ原因げんいんであったという[3]

後任こうにんルイス・アラゴネス招聘しょうへいした2008-09シーズンは、トルコ代表だいひょうキャプテンのエムレ・ベロゾールやスペイン代表だいひょうダニエル・グイサ獲得かくとく王座おうざ奪還だっかん期待きたいされたが、もともと多数たすうめていたブラジルじん選手せんしゅとアラゴネスが獲得かくとくしたスペインじん選手せんしゅ最後さいごまで馴染なじまず、チャンピオンズリーグは1しょうもできず敗退はいたい、リーグせんでも4という結果けっかわった。

2009-10シーズンは、2003-04, 2004-05シーズンの連覇れんぱ達成たっせいしたクリストフ・ダウム再任さいにんてば優勝ゆうしょうという条件じょうけんだった最終さいしゅうぶしトラブゾンスポルせんけまたもリーグ制覇せいはのがす。カップせんこそ優勝ゆうしょうしたものの、このとしかぎりでダウムはチームをはなれることとなった。

2010-11シーズン、チームの歴代れきだい最多さいた得点とくてん記録きろく保持ほじしゃでもあるアイクト・コジャマン監督かんとく就任しゅうにん。セネガル代表だいひょうママドゥ・ニアングやスロバキア代表だいひょうミロスラフ・ストフなど攻撃こうげきてき選手せんしゅ数多かずおおくわえ、攻撃こうげきサッカーを標榜ひょうぼうすると、てんでトラブゾンスポルにならばれるも得失点とくしってん上回うわまわ優勝ゆうしょうたした。しかし、このシーズンにおいて八百長やおちょう疑惑ぎわく浮上ふじょう(後述こうじゅつ)。国内こくないリーグにおいては証拠しょうこ不十分ふじゅうぶんとして降格こうかくなどの厳罰げんばつまぬかれたが、事態じたいおもたUEFAから欧州おうしゅう大会たいかいへの出場しゅつじょうけん剥奪はくだつされるなどの処分しょぶんくだった。

2011-12シーズンは前年ぜんねん八百長やおちょう疑惑ぎわく影響えいきょう選手せんしゅ補強ほきょうすすまず、とく開幕かいまくまえ獲得かくとくしたエマヌエル・エメニケを、公式こうしきせん出場しゅつじょうすることなく放出ほうしゅつするといった事態じたいしょうじた。(なおエメニケは2013-14シーズンにふたた獲得かくとくされ、フェネルバフチェに復帰ふっきしている。)

2012-13シーズンはラウル・メイレレスミロシュ・クラシッチメフメト・トパルディルク・カイトらを獲得かくとくするも、シーズンまえふくキャプテンのエムレがアトレティコ・マドリード移籍いせき。さらにはキャプテンであり長年ながねんにわたってチームをささえてきたアレックス開幕かいまく直後ちょくごの2012ねん10がつ1にち契約けいやく解除かいじょにより退団たいだん。このように、チームの象徴しょうちょうともえるアレックスの退団たいだんめぐるトラブルもありチームは序盤じょばんせん低迷ていめいし4かえす。 ふゆ移籍いせき市場いちばでエムレをアトレティコから、レト・ツィーグラーユヴェントスFCからもどし、さらにはピエール・ウェボ獲得かくとく。すると徐々じょじょにチーム状態じょうたい上向うわむき、2でシーズンをえた。

2013-14シーズンはエルスン・ヤナルしん監督かんとく就任しゅうにんミハル・カドレツブルーノ・アルヴェスエマヌエル・エメニケといったビッグネームを次々つぎつぎ獲得かくとくする。開幕かいまくせんこそコンヤスポルやぶれるも、2せつから14試合しあい無敗むはい(12しょう2ふん)を達成たっせいするなど好調こうちょう維持いじ。5せつからいち首位しゅいわたすことなくシーズンをえ、2011-12シーズン以来いらい優勝ゆうしょう達成たっせいした。

2014-15シーズンはジエゴらを獲得かくとくした。2015ねん4がつ4にち、アウェーでおこなわれたチャイクル・リゼスポル戦後せんごにチームバスが銃撃じゅうげきい、運転うんてんしゅ重傷じゅうしょうった[4]

2015-16シーズンはロビン・ファン・ペルシナニラザル・マルコヴィッチシモン・ケアー大物おおもの次々つぎつぎ獲得かくとく

2016-17シーズンはグレゴリー・ファン・デル・ヴィールマルティン・シュクルテルロマン・ノイシュテッター完全かんぜん移籍いせき獲得かくとくし、イェレマイン・レンスムサ・ソウオレクサンドル・カラバエフをレンタルで獲得かくとくした一方いっぽうでナニ、ブルーノ・アウベス、ジエゴ、ラウル・メイレレスらが退団たいだんした。ヨーロッパリーグではマンチェスター・ユナイテッドフェイエノールトおさえグループリーグを1通過つうかするものの、ベスト32でFCクラスノダールやぶれた。

2017-18シーズン。なつ移籍いせき市場いちばにおいて、モロッコ代表だいひょうMFナビル・ディラルフランス代表だいひょうMFマテュー・ヴァルブエナチリ代表だいひょうDFマウリシオ・イスラカメルーン代表だいひょうGKイドリス・カメニスペイン代表だいひょうFWロベルト・ソルダードブラジル代表だいひょうMFジュリアーノ獲得かくとくした一方いっぽうでエメニケ、ストフ、ケアーといった主力しゅりょく放出ほうしゅつした。

2024-25シーズンはジョゼ・モウリーニョ監督かんとく就任しゅうにん[5]

著名ちょめい選手せんしゅ[編集へんしゅう]

1907ねん設立せつりつされたさい、フェネルバフチェはおおくの選手せんしゅかかえていた。そのなかでもっともながくチームに在籍ざいせきしたのがガリプ・クラクシゾールである。かれは17ねんにわたりチームに在籍ざいせきし、1924ねん引退いんたいするまでに216試合しあい出場しゅつじょうした。

ゼキ・リザ・スポレルは、フェネルバフチェのはじめてのユース出身しゅっしん選手せんしゅである。18ねんにわたる在籍ざいせき期間きかんで、352試合しあいで470得点とくてんという記録きろくのこした。ゼキはトルコ代表だいひょうとしても16試合しあい出場しゅつじょうし、15得点とくてん記録きろくしている。

近年きんねんにおいて有名ゆうめいなのは、ブラジルまれのメフメト・アウレリオで、2006ねんにトルコ国籍こくせき取得しゅとくし、トルコ代表だいひょう選出せんしゅつされたはじめての選手せんしゅとなった。 もう一人ひとりのブラジルまれの選手せんしゅであるウェデルソンもトルコ国籍こくせきっていた。もとブラジル代表だいひょうアレックスは、外国がいこくせき選手せんしゅとしてフェネルバフチェでの最多さいた得点とくてん記録きろく保持ほじしている。 カタールワールドカッブで活躍かつやくしたクロアチアのGKドミニク・リヴァコヴィッチ現在げんざい在籍ざいせきしている。

ライバル[編集へんしゅう]

フェネルバフチェ、ガラタサライベシクタシュのイスタンブールの3チームは「ビッグ3」とばれ、100ねんえるライバル関係かんけいがある。とくにフェネルバフチェとガラタサライのダービーはクタラララス・デルビばれ、トルコにおいてもっとも重要じゅうようなダービーとなっている。

そのライバル関係かんけいときにサポーターの危険きけん行動こうどうをもこしている。とくはつえんとうはた巨大きょだいなポスターをもちいた応援おうえんはアウェイチームにおおきなプレッシャーをあたえており、ファンのあいだでは"welcoming them to hell"(地獄じごくへようこそ)とばれている。

ホームスタジアム[編集へんしゅう]

フェネルバフチェのホームスタジアムは設立せつりつされた1908ねんからわらず、イスタンブールのカドゥキョイ地区ちくシュクリュ・サラジオウルである。 1999ねんから2006ねんにかけて改築かいちくおこなわれ、50,509にん収容しゅうようするスタジアムとなった。2005ねんにはクラブのミュージアムもどうスタジアムないつくられた。

スタジアムが建設けんせつされるまえ、こののグラウンドは"Papazın Çayırı"(聖職せいしょくしゃのグラウンド)とばれていた。しかしこのスタジアムはイスタンブールのサッカーリーグがおこなわれる最初さいしょのスタジアムとなった。1908ねん各地かくちのチームが常設じょうせつのサッカースタジアムをもとめるようになり、この土地とちはアブデュルハミト2せいによってされることとなり、そのももっとも寄付きふきん支払しはらったチームいのちにちなんでユニオンクラブフィールドとあらためられた。ユニオンクラブフィールドは当時とうじぬしであるユニオンクラブ(だいいち世界せかい大戦たいせんのちにイッティハツスポルと改称かいしょう)をはじめ、フェネルバフチェ、ガラタサライ、ベシクタシュなどおおくのクラブによって使用しようされた。

しかし、1922ねんにタクシムスタジアムがつくられるとユニオンクラブフィールドはその重要じゅうようせいうしなった。スタジアムの所有しょゆうしゃであったイッティハツスポルは、シュクリュ・サラジオウルがメンバーにつらねていた当時とうじ政府せいふによってスタジアム売却ばいきゃくいられる。こうしてスタジアムは所有しょゆうぶつとなったものの、そのすぐにフェネルバフチェにされることとなった。

1933ねん5がつ27にち、シュクリュ・サラジオウルがフェネルバフチェの会長かいちょうつとめていたさいに、クラブは政府せいふからスタジアムを購入こうにゅうした。スタジアムめいはフェネルバフチェスタジアムと改称かいしょうされ、シュクリュ・サラジオウルのたすけがあったものの、フェネルバフチェはスタジアムを所有しょゆうするトルコで最初さいしょのチームとなった。

その、フェネルバフチェはスタジアムの改修かいしゅうおこない、規模きぼ拡大かくだいさせる。1949ねんには25,000にん収容しゅうようするトルコ最大さいだいのスタジアムとなる。1998ねんにはフェネルバフチェの会長かいちょうでもあり、トルコのだい6だい首相しゅしょうでもあるシュクリュ・サラジオウルにちなんでフェネルバフチェ・シュクリュ・サラジオウルスタジアムと改称かいしょうした。

シュクリュ・サラジオウル・スタジアム

スキャンダル[編集へんしゅう]

2010-11シーズンに、国内こくないにおいて八百長やおちょうおこなった疑惑ぎわく浮上ふじょうし、UEFA規律きりつ委員いいんかいによる調査ちょうさのち、2013ねん6がつ25にち、2012-13シーズンの成績せいせきによって参加さんか資格しかくていたUEFAチャンピオンズリーグ 2013-14予選よせんへの出場しゅつじょうけん剥奪はくだつ、およびどうシーズンをふく今後こんご3シーズンのUEFA主催しゅさい大会たいかいへの参加さんか禁止きんし通達つうたつされた。ただし、3シーズン処分しょぶんには5年間ねんかん執行しっこう猶予ゆうよいており、猶予ゆうよ期間きかん同様どうよう問題もんだいきなければ、処分しょぶん適応てきおうは2シーズンとなる[6]

タイトル[編集へんしゅう]

国内こくない[編集へんしゅう]

  • スュペル・リグ
    • 1959, 1960-61, 1963-64, 1964-65, 1967-68, 1969-70, 1973-74, 1974-75, 1977-78, 1982-83, 1984-85, 1988-89, 1995-96, 2000-01, 2003-04, 2004-05, 2006-07, 2010-11, 2013-14
  • トルコカップ
    • 1967-68, 1973-74, 1978-79, 1982-83, 2011-12, 2012-13, 2022-23
  • トルコスーパーカップ
    • 1968, 1973, 1975, 1984, 1985, 1990, 2007, 2009, 2014
  • トルコサッカー選手権せんしゅけん
    • 1933, 1935, 1944
  • ナショナルリーグ
    • 1936-37, 1939-40, 1942-43, 1944-45, 1945-46, 1949-50
  • 内閣ないかく総理そうり大臣だいじんはい
    • 1944-45, 1945-46, 1949-50, 1972-73, 1979-80, 1988-89, 1992-93, 1997-98
  • TSYDカップ
    • 1969-70, 1973-74, 1975-76, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1980-81, 1982-83, 1985-86, 1986-87, 1994-95, 1995-96
  • アタチュルクカップ
    • 1963-64, 1998
  • イスタンブールフットボールリーグ
    • 1911-12, 1913-14, 1914-15, 1920-21, 1922-23, 1929-30, 1932-33, 1934-35, 1935-36, 1936-37, 1943-44, 1946-47, 1947-48, 1952-53, 1956-57, 1958-59
  • イスタンブールカップ
    • 1945
  • イスタンブールシールド
    • 1930, 1934, 1938, 1939
  • スポーツトトカップ
    • 1967
  • 艦隊かんたいはい
    • 1982, 1983, 1984, 1985

国外こくがい[編集へんしゅう]

過去かこ成績せいせき[編集へんしゅう]

シーズン ディビジョン カップ 欧州おうしゅうカップ
リーグ ためし かち ぶん はい とく しつ てん 順位じゅんい
1980-81 スュペル・リグ 30 9 11 10 31 27 29 10 UEFAカップ 1回戦かいせん敗退はいたい
1981-82 スュペル・リグ 32 15 11 6 48 26 41 3
1982-83 スュペル・リグ 34 18 13 3 43 20 49 1 優勝ゆうしょう
1983-84 スュペル・リグ 34 17 11 6 46 24 45 2 チャンピオンズカップ 1回戦かいせん敗退はいたい
1984-85 スュペル・リグ 34 18 14 2 65 25 50 1 UEFAカップ 1回戦かいせん敗退はいたい
1985-86 スュペル・リグ 36 13 16 7 40 32 42 5 チャンピオンズカップ 2回戦かいせん敗退はいたい
1986-87 ファーストリガ 36 13 13 10 46 39 39 5
1987-88 スュペル・リグ 38 15 10 13 45 43 55 8
1988-89 スュペル・リグ 36 29 6 1 103 27 93 1 じゅん優勝ゆうしょう
1989-90 スュペル・リグ 34 22 4 8 70 38 70 2 チャンピオンズカップ 1回戦かいせん敗退はいたい
1990-91 スュペル・リグ 30 12 8 10 53 53 44 5 UEFAカップ 2回戦かいせん敗退はいたい
1991-92 スュペル・リグ 30 23 2 5 81 35 71 2
1992-93 スュペル・リグ 30 18 4 8 75 41 58 5 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい UEFAカップ 2回戦かいせん敗退はいたい
1993-94 スュペル・リグ 30 21 6 3 69 26 69 2 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
1994-95 スュペル・リグ 34 20 7 7 78 35 67 4 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい UEFAカップ 1回戦かいせん敗退はいたい
1995-96 スュペル・リグ 34 26 6 2 68 19 84 1 じゅん優勝ゆうしょう UEFAカップ 1回戦かいせん敗退はいたい
1996-97 スュペル・リグ 34 22 7 5 79 25 73 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい チャンピオンズリーグ グループステージ敗退はいたい
1997-98 スュペル・リグ 34 21 8 5 61 25 71 2 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい UEFAカップ 1回戦かいせん敗退はいたい
1998-99 スュペル・リグ 34 22 6 6 84 29 72 3 UEFAカップ 1回戦かいせん敗退はいたい
1999-00 スュペル・リグ 34 17 10 7 59 44 61 4 ベスト32 UEFAカップ 1回戦かいせん敗退はいたい
2000-01 スュペル・リグ 34 24 4 6 82 39 76 1 じゅん優勝ゆうしょう
2001-02 スュペル・リグ 34 24 3 7 70 31 75 2 4回戦かいせん敗退はいたい
2002-03 スュペル・リグ 34 13 12 9 55 42 51 6 2回戦かいせん敗退はいたい UEFAカップ 2回戦かいせん敗退はいたい
2003-04 スュペル・リグ 34 23 7 4 82 41 76 1 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい -
2004-05 スュペル・リグ 34 26 2 6 77 24 80 1 じゅん優勝ゆうしょう チャンピオンズリーグ グループリーグ敗退はいたい
UEFAカップ ベスト32
2005-06 スュペル・リグ 34 25 6 3 90 34 81 2 じゅん優勝ゆうしょう チャンピオンズリーグ グループリーグ敗退はいたい
2006-07 スュペル・リグ 34 20 10 4 65 31 70 1 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい チャンピオンズリーグ 予選よせん3回戦かいせん敗退はいたい
UEFAカップ ベスト32
2007-08 スュペル・リグ 34 22 7 5 72 37 73 2 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい チャンピオンズリーグ 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
2008-09 スュペル・リグ 34 18 7 9 60 36 61 4 じゅん優勝ゆうしょう チャンピオンズリーグ グループリーグ敗退はいたい
2009-10 スュペル・リグ 34 23 5 6 61 28 74 2 じゅん優勝ゆうしょう ヨーロッパリーグ ベスト32
2010-11 スュペル・リグ 34 26 4 4 84 34 82 1 グループステージ敗退はいたい チャンピオンズリーグ 予選よせん3回戦かいせん敗退はいたい
ヨーロッパリーグ プレーオフ敗退はいたい
2011-12 スュペル・リグ 34 20 8 6 61 34 68 2 優勝ゆうしょう -
2012-13 スュペル・リグ 34 18 7 9 56 39 61 2 優勝ゆうしょう チャンピオンズリーグ プレーオフ敗退はいたい
ヨーロッパリーグ 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
2013-14 スュペル・リグ 34 23 5 6 74 33 74 1 4回戦かいせん敗退はいたい チャンピオンズリーグ プレーオフ敗退はいたい
ヨーロッパリーグ 出場しゅつじょうけん剥奪はくだつ
2014-15 スュペル・リグ 34 22 8 4 60 29 74 2 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい -
2015-16 スュペル・リグ 34 22 8 4 60 27 74 2 じゅん優勝ゆうしょう チャンピオンズリーグ 予選よせん3回戦かいせん敗退はいたい
ヨーロッパリーグ ベスト16
2016-17 スュペル・リグ 34 18 10 6 60 32 64 3 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい チャンピオンズリーグ 予選よせん3回戦かいせん敗退はいたい
ヨーロッパリーグ ベスト32
2017-18 スュペル・リグ 34 24 3 7 75 33 75 1 じゅん優勝ゆうしょう ヨーロッパリーグ プレーオフ敗退はいたい
2018-19 スュペル・リグ 34 11 13 10 44 44 46 6 ベスト16 チャンピオンズリーグ 予選よせん3回戦かいせん敗退はいたい
ヨーロッパリーグ ベスト32
2019-20 スュペル・リグ 34 15 8 11 58 46 53 7 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい
2020-21 スュペル・リグ 40 25 7 8 72 41 82 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい
2021-22 スュペル・リグ 34 21 10 7 73 38 73 2 ベスト16 ヨーロッパリーグ グループリーグ敗退はいたい
ヨーロッパカンファレンスリーグ 決勝けっしょうプレーオフ敗退はいたい
2022-23 スュペル・リグ 36 25 5 6 87 42 80 2 優勝ゆうしょう チャンピオンズリーグ 予選よせん2回戦かいせん敗退はいたい
ヨーロッパリーグ ベスト16

げん所属しょぞくメンバー[編集へんしゅう]

2018-19シーズン基本きほんフォーメーション
2022ねん9がつ29にち現在げんざい

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
1 GK トルコ アルタイ・バユンドゥル
2 DF ブラジル グスタヴォ・エンリキ
4 DF トルコ セルダル・アジズ
5 MF ブラジル ヴィリアン・アロン
6 DF 北マケドニア エズジャン・アリオスキ ()
7 DF トルコ フェルディ・カディオグル ()
8 MF トルコ メルト・ハカン・ヤンダシュ
9 FW ウルグアイ ディエゴ・ロッシ ()
10 MF トルコ アルダ・ギュレル
13 FW エクアドル エネル・バレンシア
15 FW ノルウェー ジョシュア・キング
16 MF トルコ イサク・ヴラル ()
17 MF トルコ イルファン・ジャン・カフヴェジ
18 MF ブラジル リンコウン・エンヒキ
19 FW トルコ セルダル・ドゥルスン ()
No. Pos. 選手せんしゅめい
20 FW イタリア ジョアン・ペドロ ()
21 DF ナイジェリア ブライト・オサイ=サミュエル ()
22 MF ポルトガル ブルーマ ()
23 FW ベルギー ミシー・バチュアイ ()
26 MF スロベニア ミハ・ザイツ
27 MF ポルトガル ミゲウ・クレスポ ()
28 DF ブラジル ルアン・ペレス
29 DF ウルグアイ マウリシオ・レモス
30 DF トルコ ナズム・サンガレ ()
33 DF トルコ チャアタイ・クルカリプ
41 DF ハンガリー サライ・アティッラ
54 GK トルコ オスマン・エルトゥールル・チェティン
70 GK トルコ イルファン・ジャン・エグリバヤト
80 MF トルコ イスマイル・ユクセク
99 MF トルコ エムレ・モル ()
監督かんとく

ローン移籍いせき[編集へんしゅう]

in

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
2 DF ブラジル グスタヴォ・エンリキ (フラメンゴ)
6 DF 北マケドニア エズジャン・アリオスキ (アル・アハリ) ()
22 MF ポルトガル ブルーマ (PSV) ()
No. Pos. 選手せんしゅめい
70 GK トルコ イルファン・ジャン・エグリバヤト (ギョズテペSK)
99 MF トルコ エムレ・モル (ファティ・カラギュムリュク) ()
out

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
-- MF トルコ エユプ・アクカン (ゾングルダク・キョミュルスポル)
-- MF ギリシャ ディミトリス・ペルカス (ハル・シティ)
-- MF トルコ ブラク・カパジャク (ファティ・カラギュムリュク)
No. Pos. 選手せんしゅめい
-- MF トルコ チアゴ・チュクル (FCVデンデルEH)
-- FW ドイツ メルギム・ベリシャ (アウクスブルク)
-- FW タンザニア ムブワナ・サマッタ (ヘンク)

歴代れきだい監督かんとく[編集へんしゅう]

歴代れきだい所属しょぞく選手せんしゅ[編集へんしゅう]

GK[編集へんしゅう]

DF[編集へんしゅう]

MF[編集へんしゅう]

FW[編集へんしゅう]

歴代れきだい会長かいちょう[編集へんしゅう]

名前なまえ 期間きかん
ファルク・イルガズ 1976-1980
ラジ・トラク 1980-1981
アリ・ハイダル・シェン 1981-1983
ファルク・イルガズ 1983-1984
フィクレト・アルジャン 1984-1986
タフスィン・カヤ 1986-1989
メティン・アシュク 1989-1993
ギュヴェン・サザク 1993-1994
ハサン・ヨザイドゥン 1994
アリ・ハイダル・シェン 1994-1998
アジズ・ユルドゥルム 1998-2018
アリ・コチュ 2018-

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]