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アトレティコ・マドリード

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

アトレティコ・マドリードスペイン: Club Atlético de Madrid, S.A.D.スペイン発音はつおん[ˈkluβべーた aðˈletiko ðe maˈðɾið])は、スペインマドリード本拠地ほんきょちとし、スペインプロリーグ機構きこう(ラ・リーガ)に所属しょぞくするプロサッカークラブである[1]。2024ねん3がつ1にち現在げんざいUEFAランキングだい13

アトレティコ・マドリード
原語げんご表記ひょうき Club Atlético de Madrid, S.A.D.
呼称こしょう ATM
愛称あいしょう Atlético(アトレティコ)
Colchoneros(マットレス)
Rojiblancosあかしろ
Indios(インディアン)
創設そうせつねん 1903ねん
所属しょぞくリーグ ラ・リーガ
所属しょぞくディビジョン 12024-25
ホームタウン マドリード州の旗 マドリードしゅうマドリード
ホームスタジアム
エスタディオ・メトロポリターノ
収容しゅうよう人数にんずう 67,829
運営うんえい法人ほうじん スペインの旗ミゲル・アンヘル・ヒル・マリン(51%)
イスラエルの旗イダン・オフェル(30%)
スペインの旗 エンリケ・セレソ(19%)
代表だいひょうしゃ スペインの旗 エンリケ・セレソ
監督かんとく アルゼンチンの旗 ディエゴ・シメオネ
公式こうしきサイト 公式こうしきサイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

これまでに、プリメーラ・ディビシオン優勝ゆうしょう11かいコパ・デル・レイ国王こくおうはい優勝ゆうしょう10かいスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝ゆうしょう1かいコパ・エバ・ドゥアルテ優勝ゆうしょう3かいたし、欧州おうしゅうではUEFAカップウィナーズカップ優勝ゆうしょう1かいUEFAチャンピオンズリーグじゅん優勝ゆうしょう3かい[2]UEFAヨーロッパリーグ優勝ゆうしょう3かいUEFAスーパーカップ優勝ゆうしょう3かいたしている。

概要がいよう

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ホームユニフォームは赤色あかいろ白色はくしょく縦縞たてじまのシャツに青色あおいろのショートパンツ、青色あおいろ赤色あかいろのソックスである。この組合くみあわせは1911ねんから使用しようされている。2021-22シーズンのユニフォームサプライヤーはナイキ、ユニフォームスポンサーは、リヤド・エアRia Money Transfer英語えいごばん国際こくさい送金そうきん業者ぎょうしゃ[3]現代げんだい自動車じどうしゃである。

FCバルセロナいで、スペインで2番目ばんめ世界せかいでは8番目ばんめにサポーターがおおいクラブである[4]。またマドリード市内しないでも市内しない北部ほくぶ富裕ふゆうそうにファンそうおおいレアル・マドリードにたいし、比較的ひかくてき南部なんぶ庶民しょみんそう熱狂ねっきょうてきファンそう[5][6]

2003ねんから、スペイン国王こくおうフェリペ6せい名誉めいよ会長かいちょうつとめている。また、ソシオかずめんではもっと規模きぼおおきなクラブのひとつであり、6まん5せんにんえるシーズンチケット保持ほじしゃがいる。また、2降格こうかくにソシオのかず急激きゅうげき増加ぞうかしたことでもられており、降格こうかくまえは2まん4000にんだったのにたいし、降格こうかくはソシオもうみが相次あいつぎ、4まん2000にんにまで急増きゅうぞうした[7]。これは2ちてもクラブを見捨みすてないというサポーターのクラブあいのあらわれである[7]。スタジアムの観客かんきゃくすうからても、2での試合しあいにもかかわらず、FCバルセロナレアル・マドリードぐシーズン平均へいきん観客かんきゃくすうだった[7]。2017ねん3がつ23にちにアトレティコのソシオすうが10まんにんたっし、スペインで2番目ばんめ世界せかいで8番目ばんめにソシオすうおおいクラブになった[8]。また、2021-22シーズン開幕かいまくまえには、スタジアムのシーズンチケットを所有しょゆうするサポーターすうが5,7048にんたっし、クラブ史上しじょう最高さいこうすう記録きろくした[9]一方いっぽうフレンテ・アトレティコばれるウルトラスはクラブにとって長年ながねん課題かだいとなっている。

デロイト・トウシュ・トーマツ』によると、2018-19シーズンのクラブ収入しゅうにゅうは3おく6760まんユーロ(やく450おくえん)、欧州おうしゅうだい13、スペインではバルセロナレアル・マドリードいでだい3である[10]

これまでの歴史れきしなか、クラブはLos Colchoneros(マットレス、もしくはマットレス。ホームユニフォームで採用さいようされているあかしろ縦縞たてじまがスペインの古風こふうなマットレスとおな色調しきちょうであるため。)などのおおくの愛称あいしょうられてきた。1970年代ねんだいは、Los Indios(インディアン)としてられるようになった。これはおそらく外国がいこくじん選手せんしゅとの契約けいやく制限せいげんのぞかれたのち複数ふくすう南米なんべい選手せんしゅ契約けいやくしたことによる。しかしながら、そのにも、スタジアムが河岸かわぎしにあったため、あるいはLos Indios(インディアン)がLos Blancos白人はくじん。アトレティコのライバルであるレアル・マドリード愛称あいしょうでもある)の伝統でんとうてきてきであったため[11]、などおおくのせつもある。

獲得かくとくトロフィー

2017-18シーズンからエスタディオ・メトロポリターノ本拠地ほんきょちとしている。

2022ねん、クラブ史上しじょう最高さいこうがくとなる年間ねんかん4200まんユーロ(やく57おく4600まんえん)、5ねん総額そうがく2おく1000まんユーロ(やく287おくえん)のむねスポンサー契約けいやくをWhaleFin(仮想かそう通貨つうか取引とりひきおこな企業きぎょう)とむすんだ。

歴史れきし

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創設そうせつ

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初代しょだい会長かいちょうのエンリケ・アジェンデ

1903ねん4がつ25にちから26にちにかけてのよる、アトレティコ・マドリード(設立せつりつ名称めいしょうアスレティック・クルブ・デ・マドリード設立せつりつ決定けっていされた。創設そうせつたずさわったのは、地元じもとマドリードアスレティック・ビルバオサポーターのバスクじん学生がくせいである[12]創設そうせつとなったのは、先日せんじつおこなわれたレアル・マドリードアスレティック・ビルバオのカップせん決勝けっしょう観戦かんせんしたことである[12]。アトレティコ・マドリードの本部ほんぶはマドリード市内しないの"ラ・クルスどおり"の25番地ばんちかれ[13]、クラブ最初さいしょのユニフォームは、あおしろのストライプをしたシャツにあお一色いっしょくのズボンとなった[14]。ゆえに、こん現在げんざいもクラブのズボンカラーはあおになることがおお[15]

1903ねん創設そうせつ以降いこう、アスレティック・ビルバオの傘下さんかチームというあつかいだったが、1907ねん2がつ20日はつか、アスレティック・ビルバオからの独立どくりつたし、どうクラブの兄弟きょうだいクラブとしてこれ以降いこう公式こうしきせんへの参加さんか増加ぞうかしていった[16]。しかし、アスレティック・ビルバオとの関係かんけいたれず、りょうクラブあいだでの移籍いせき頻繁ひんぱんおこなわれた。いちれいげると、1911ねん全国ぜんこく選手権せんしゅけん決勝けっしょうでアスレティック・ビルバオの選手せんしゅとして得点とくてんしたマヌエル・ガルニカ・セラーノスペインばんである。かれはマドリード出身しゅっしんであり、1907ねんから10年間ねんかん、アトレティコ・マドリードでプレーしていた。1912ねんになると、アスレティック・ビルバオが現在げんざい存在そんざいするものよりもさらにきびしいバスク純血じゅんけつ主義しゅぎかかげたため、こういったうごきは徐々じょじょられなくなった[17]

1911ねんのメンバー

1912ねんもと選手せんしゅフリアン・ルエテあらたな会長かいちょう就任しゅうにんした。就任しゅうにん翌年よくねん新設しんせつされた中央ちゅうおう地域ちいき連盟れんめいスペインばん加盟かめいすると1912-13シーズンの地域ちいき選手権せんしゅけんレアル・マドリードに1-2でやぶれたもののじゅん優勝ゆうしょうたし[18]どうシーズンちゅうにホームスタジアムをカンポ・デル・レティーロスペインばんからカンポ・デ・オドンネルうつした[19]。オドンネルの創設そうせつたずさわった一人ひとり国内こくない陸上りくじょう競技きょうぎ精通せいつうしている人物じんぶつがいたため、当時とうじ首都しゅとスタジアムとしてはもっとすすんだスタジアムであった。このオドンネルではマドリードにてはつとなる国際こくさいAマッチスペイン代表だいひょうたいポルトガル代表だいひょう開催かいさいされ、3-1でスペインが勝利しょうりした[20]。スタジアムを遷移せんいして以降いこうはサッカー以外いがいのスポーツ部門ぶもん発足ほっそく強化きょうかにクラブ総出そうでみ、国内こくないテニスひろ認知にんちさせ、スペインじんはつ国際こくさいテニス殿堂でんどうりをたしたテニス選手せんしゅマニュエル・アロンソマノーロ・ペレス・セオアネ英語えいごばんらを輩出はいしゅつした[21]

1910年代ねんだいから20年代ねんだいにかけての首都しゅとマドリードではレアル・マドリードであるマドリードCFによるかくクラブの選手せんしゅきやスモールクラブの吸収きゅうしゅうまたは合併がっぺいかえしており、アトレティコ・マドリードはこのうごきによって消滅しょうめつしたクラブに所属しょぞくしていた選手せんしゅやサポーターをむかれていた[22]。この両者りょうしゃ関係かんけいせいマドリードダービー怨恨えんこんつながったという見方みかたもある[23]

1917ねん、このとしまで兄弟きょうだいクラブであるアスレティック・ビルバオ敬意けいいあらわしてクラブのエンブレムをビルバオのエンブレムに類似るいじさせていたが、ビルバオからの完全かんぜん独立どくりつ機運きうんたかまったことでこのとし現在げんざいのエンブレムに近似きんじしているものを使用しようするようになった。1924ねん10がつ4にち、クラブの首脳しゅのうじん全員ぜんいん出席しゅっせきした定例ていれい会議かいぎにてアスレティック・ビルバオからの完全かんぜん独立どくりつ公表こうひょうし、1903ねん創設そうせつ以降いこうはじめてアトレティコ・マドリードとしてひとちした記念きねんすべきとなった[24]

おなじマドリードを本拠ほんきょとするライバルのレアル・マドリードおも富裕ふゆうそう支持しじけるクラブであったのにたいし、アトレティコはおも労働ろうどうしゃ階級かいきゅう支持しじけて発展はってんしてきたクラブであり、サポーター熱狂ねっきょうてきなことで有名ゆうめいである。 1930年代ねんだい後半こうはんから1940年代ねんだい前半ぜんはんには軍隊ぐんたいのチームとなり、アトレティコ・アビアシオンという名称めいしょうだった時期じきがある。10かい優勝ゆうしょうのうち2かいはこの時期じき獲得かくとくしたものである。現在げんざい、その名称めいしょうはアトレティコの下部かぶ組織そしき名前なまえとしてのこっている。現在げんざいのクラブめいになったのは、1947ねんのことであった。このころから、徐々じょじょいきおいをしていった。のちインテルにグランデ・インテルとしょうされる黄金おうごんをもたらすことになるアルゼンチンじんエレニオ・エレーラ監督かんとく就任しゅうにんしてからは、ラルビ・ベンバレクヘンリー・カールションらをようするチームは国内こくないリーグを連覇れんぱした。エレーラがったのちいきおいをし、1960年代ねんだいにかけて黄金おうごんつくした。しかし、どう時期じきアルフレッド・ディ・ステファノレアル・マドリードラディスラオ・クバラFCバルセロナという強大きょうだいてき国内こくない存在そんざいしたことから国内こくないでのタイトルをげられず、結果けっか欧州おうしゅうレベルでの実績じっせきげることが出来できなかった。1959ねんにはUEFAチャンピオンズカップ(げんUEFAチャンピオンズリーグ)の準決勝じゅんけっしょうまでこますすめているが、ちはだかったのは仇敵きゅうてきレアル・マドリードであった。結局けっきょく黄金おうごんのアトレティコが国際こくさいタイトルは、1962ねんUEFAカップウィナーズカップ優勝ゆうしょうのみにとどまった。

エスタディオ・ビセンテ・カルデロン

1966ねん、ホームスタジアムをエスタディオ・メトロポリターノ・デ・マドリーノからエスタディオ・デル・マンサナレスに移転いてんした。エスタディオ・デル・マンサナレスは、1972ねんエスタディオ・ビセンテ・カルデロン改称かいしょうされた。

リーガ3きょう時代じだいから2降格こうかく

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1974ねんにはUEFAチャンピオンズカップで決勝けっしょうせん進出しんしゅつバイエルン・ミュンヘン相手あいてに0-0のまま延長えんちょうせんとなり、114ぶんルイス・アラゴネスのゴールで先制せんせいすると、そのまま延長えんちょうせん終了しゅうりょう間際まぎわまでリードをたもっていた。しかし、シュヴァルツェンベックに30メートル以上いじょうのミドルシュートをめられ、同点どうてんいつかれた。結局けっきょく2にちさい試合しあいではやぶれ、じゅん優勝ゆうしょうわった。しかし、その出場しゅつじょう辞退じたいしたバイエルンにわって出場しゅつじょうしたインターコンチネンタルカップでは、アルゼンチンのCAインデペンディエンテくだし、世界一せかいいちかがやいた。なおスペインにおいて、インターコンチネンタルカップを獲得かくとくしているクラブは、レアル・マドリードとアトレティコだけである(大会たいかい名称めいしょうわったFIFAクラブワールドカップFCバルセロナ獲得かくとくしている)。

1987ねん事業じぎょうヘスス・ヒル会長かいちょう就任しゅうにん1995-96シーズンには、クラブ史上しじょうはじめてリーガ・エスパニョーラコパ・デル・レイかん達成たっせい、これはヒル会長かいちょうおこなった大型おおがた補強ほきょう成果せいかといえる。さらに、この前年ぜんねんプリメーラ・ディビシオン得点とくてんおう獲得かくとくしたサルバ・バジェスタ加入かにゅうした。

1999-00シーズン、アトレティコは戦術せんじゅつクラウディオ・ラニエリ監督かんとくむかえ、10月30にちマドリードダービーではオランダじんストライカーのハッセルバインクの2ゴールで勝利しょうりするなど、あかるい話題わだいはいくつかあった[7]。しかし、12月22にち、ビセンテ・カルデロンに治安ちあん警察けいさつ家宅かたく捜索そうさくはいり、クラブはピッチがい問題もんだいによって徐々じょじょ調子ちょうしくずしていく。その降格こうかくけんまであと1ポイントというところでラニエリが解任かいにんされ、クラブのレジェンドの1人ひとりであるアンティッチをふたたもどした[7]。それでも状況じょうきょう好転こうてんせず、5月7にちてば残留ざんりゅう可能かのうでもあったアウェーでのレアル・オビエドせんに2-2とけ、セグンダ降格こうかく確定かくていした[7]。2-2の同点どうてん、ハッセルバインクにはPKによるだんのチャンスがあったが、ハッセルバインクはこれをそこねた[7]試合しあい終了しゅうりょう、セグンダ降格こうかくという絶望ぜつぼうによりスタジアムはしずまりかえった。また、このシーズンはコパ・デル・レイで決勝けっしょう進出しんしゅつしていたが、エスパニョールに2-1でやぶれタイトル獲得かくとくにはならなかった[7]

復活ふっかつ停滞ていたい

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2003ねんから会長かいちょうつとめるエンリケ・セレソ

1ねんでの1復帰ふっきかなわなかったが、ルイス・アラゴネス招聘しょうへいし、フェルナンド・トーレス台頭たいとうなどもあって、2002-03シーズンに1復帰ふっきたした。

2003ねんにヘスス・ヒルが会長かいちょうから退任たいにんしたが、低迷ていめいつづけるアトレティコが上昇じょうしょうのきっかけをつかむことはできなかった。しん会長かいちょうエンリケ・セレソは、ヒル時代じだい蓄積ちくせきされた巨額きょがく負債ふさいにもなやまされることとなった。

アトレティコ・マドリードのファン(2005ねん

2005-06シーズン

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不振ふしんつづなかカルロス・ビアンチ監督かんとく就任しゅうにんし、マルティン・ペトロフマキシ・ロドリゲスマテヤ・ケジュマンルシアーノ・ガジェッティらを獲得かくとくした。優勝ゆうしょう候補こうほ一角いっかくにもげられたが、予想よそうはんしチームは低迷ていめいし、前半ぜんはんせん終了しゅうりょうたずにビアンチは解任かいにんされた。その下部かぶ組織そしきからペペ・ムルシア監督かんとく就任しゅうにん。そのは14ねんぶりの6連勝れんしょうたすなど一時いちじ調子ちょうしげたが、マキシ・ロドリゲスが代表だいひょう招集しょうしゅうちゅう怪我けがをしてからふたた失速しっそく最終さいしゅうてきには10でシーズンをえた。

2006-07シーズン

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メキシコ代表だいひょうCAオサスナ実績じっせきげたハビエル・アギーレ招聘しょうへいさら大型おおがた補強ほきょうをし、再建さいけんはかった。しかしリーガ最終さいしゅう順位じゅんいは7わった。

2007ねん7がつにはフェルナンド・トーレスをリヴァプール放出ほうしゅつした。むかえた2007-08シーズンは、不安定ふあんていたたかいに終始しゅうししアギーレも批判ひはんびたが、加入かにゅう2ねんセルヒオ・アグエロが19ゴール、しん加入かにゅうディエゴ・フォルランが16ゴールを記録きろくし、しん加入かにゅうシモン・サブローザラウール・ガルシア下部かぶ組織そしき出身しゅっしんイグナシオ・カマーチョらも活躍かつやくしたこと最終さいしゅう順位じゅんいは4で、1995-96シーズン以来いらい12ねんぶりにUEFAチャンピオンズリーグ出場しゅつじょうけん獲得かくとくした。

4シーズン在籍ざいせきし、リーグ得点とくてんおうヨーロッパ・ゴールデンシュー獲得かくとくしたディエゴ・フォルラン

2008-09シーズン

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シーズン途中とちゅうにアギーレが解任かいにんされるなど終始しゅうし不安定ふあんていではあったが、終盤しゅうばんせんの6連勝れんしょう最終さいしゅうてきに4となり、2ねん連続れんぞくでUEFAチャンピオンズリーグ出場しゅつじょうけんた。最終さいしゅうぶしUDアルメリアたたかエスタディオ・ビセンテ・カルデロンでの1000試合しあいであり、記念きねん試合しあいを3-0の快勝かいしょうかざった。

2009-10シーズン

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序盤じょばんおおきく低迷ていめいし、2シーズン連続れんぞく出場しゅつじょうしたUEFAチャンピオンズリーグもグループリーグで敗退はいたいぜんシーズン途中とちゅうから監督かんとくいていたアベル・レシーノ解任かいにんキケ・サンチェス・フローレス招聘しょうへいした。ふゆ移籍いせき期間きかんちゅう獲得かくとくしたティアゴ・メンデス活躍かつやくもあり、不振ふしんおちいっていたチームのなおしに成功せいこうした。UEFAチャンピオンズリーグのグループリーグを3えていたため、UEFAヨーロッパリーグ決勝けっしょうトーナメントより参戦さんせんした。決勝けっしょうせんフラムFCをフォルランの2ゴールで2-1とくだし、UEFAヨーロッパリーグの初代しょだいチャンピオンとなった。また、リーグせん最終さいしゅう順位じゅんいは9だったが、スペイン国王こくおうはいでは1999-2000シーズン以来いらい10ねんぶりに決勝けっしょう進出しんしゅつセビージャFCやぶれ、じゅん優勝ゆうしょうわった。

2010-11シーズン

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UEFAスーパーカップでチャンピオンズリーグ王者おうじゃのインテルを2-0でくだしたが、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグで敗退はいたいし、1がつから2がつ前半ぜんはんにかけては8はいきっした。シーズン終盤しゅうばんのセルヒオ・アグエロのゴールラッシュによって、UEFAヨーロッパリーグ出場しゅつじょう圏内けんないの7にこそ位置いちしたものの、キケはシーズンがわるまえ監督かんとくからの退任たいにん宣言せんげんした。アグエロは移籍いせき表明ひょうめいした。なお3がつ東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいさいには、スペイン在住ざいじゅう記者きしゃとGoal.comをつうじて日本にっぽん応援おうえんメッセージがとどけられた[25]

2011-12シーズン

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ヘスス・ガルシア・ピタルチにわるしんスポーツディレクターとしてホセ・ルイス・カミネロ招聘しょうへい[26]。そしてしん指揮しきかんには、2003-04シーズンにもチームをひきいたグレゴリオ・マンサーノもどした[27]移籍いせき意思いし表明ひょうめいしていたアグエロが推定すいてい4500まんユーロでマンチェスター・シティFC[28]ダビド・デ・ヘア推定すいてい2100まんユーロでマンチェスター・ユナイテッドFC[29]、フォルランは500まんユーロでインテルへ[30]移籍いせきした。その一方いっぽうUEFAヨーロッパリーグ得点とくてんおうラダメル・ファルカオアルダ・トゥラン、ローンでジエゴ獲得かくとくした。また、カンテラーノのガビレアル・サラゴサからもどした。しかし、リーグせんでは苦戦くせんいられ同年どうねん12がつにマンサーノを監督かんとくから解任かいにんした。

シメオネ体制たいせい

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2011ねんから監督かんとくつとめるディエゴ・シメオネ

後任こうにん監督かんとくディエゴ・シメオネ就任しゅうにんすると、まえ求心力きゅうしんりょく発揮はっきぜん選手せんしゅたか守備しゅび意識いしきとハードワークをけ、守備しゅび徹底てってい無駄むだのない効率こうりつてきはしりを重視じゅうしし、中盤ちゅうばん最終さいしゅうラインに強固きょうこなブロックを形成けいせい攻撃こうげきではうばったボールをジエゴ、アドリアン・ロペス、トゥラン、ファルカオをかして最小限さいしょうげんちからでゴールをめるシンプルなたたかかたへとかじった[31][32][33][34]。その結果けっかチームは調子ちょうしもどし、マンサーノのときは5試合しあいしかなかった失点しってん試合しあいがシメオネのとき就任しゅうにんの6試合しあいすべ失点しってんったのもふくめて10試合しあい倍増ばいぞうしリーグせんは5決勝けっしょうトーナメントはおろか、マンサーノが監督かんとくだったグループステージだい4せつウディネーゼせんから9連勝れんしょう。しかもすべて2失点しってん以内いないおさえたのもあって2ねんぶりにUEFAヨーロッパリーグを制覇せいはした。

2012-13シーズン

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UEFAスーパーカップでチャンピオンズリーグ王者おうじゃのチェルシーをやぶり2度目どめのUEFAスーパーカップ制覇せいは達成たっせいした。リーガ・エスパニョーラでもシメオネのかかげるはげしいプレスでボールをうばい、素早すばや攻撃こうげきうつるスタイルでジエゴ・コスタが2トップに定着ていちゃくしたのにわせて、当時とうじ21さいだったティボ・クルトゥワが、4連覇れんぱちゅうだったFCバルセロナビクトル・バルデスからサモラしょううばえば、トゥランやコケ中盤ちゅうばんかく定着ていちゃくしたのもあいまって2きょうぐ3好成績こうせいせきおさめる。さらに、レアル・マドリードとのマドリードダービーとなったコパ・デル・レイ決勝けっしょうでは、延長えんちょうせんすえ14ねんぶりとなるダービー勝利しょうりたし、17ねんぶり10かい国王こくおうはい優勝ゆうしょう達成たっせいした。

2013-14シーズン

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ラ・リーガ優勝ゆうしょうセレモニー

2013-14シーズンは、前年度ぜんねんどチーム得点とくてんおうのファルカオがASモナコ移籍いせきしたものの、ダビド・ビジャFCバルセロナから獲得かくとくした。しん加入かにゅうビジャとジエゴ・コスタが2トップを形成けいせいし、リーグ序盤じょばんからバルセロナ、レアル・マドリードと熾烈しれつ優勝ゆうしょうあらそいを展開てんかいした。首位しゅいむかえた最終さいしゅうぶしてきカンプ・ノウでの2バルセロナとの直接ちょくせつ対決たいけつけ、18ねんぶりにリーグ優勝ゆうしょう達成たっせいした。 UEFAチャンピオンズリーグでもFCポルトFCゼニト・サンクトペテルブルク勝利しょうりし、グループリーグ首位しゅい通過つうかめた。決勝けっしょうトーナメントでも、ベスト16で2007ねん王者おうじゃイタリアACミランを、準々じゅんじゅん決勝けっしょうおなスペインで2006、2009、2011ねん王者おうじゃバルセロナを、準決勝じゅんけっしょうで2012ねん王者おうじゃイングランドチェルシーFC歴代れきだいのチャンピオンズリーグ王者おうじゃ次々つぎつぎやぶって40ねんぶりに決勝けっしょう進出しんしゅつ。チャンピオンズリーグ史上しじょうはつどういち都市とし所在しょざいするクラブ同士どうし対戦たいせんとなった決勝けっしょうせん[35]ではレアル・マドリード相手あいて後半こうはん終了しゅうりょう間際まぎわまで前半ぜんはんげたディエゴ・ゴディンのゴールで1-0とリードしていたものの、バルセロナとの直接ちょくせつ対決たいけつとなったリーガエスパニョーラ最終さいしゅうぶし同様どうよう強行きょうこう先発せんぱつ出場しゅつじょうしたジエゴ・コスタがはや段階だんかい交代こうたい余儀よぎなくされたツケが、後半こうはんロスタイムにコーナーキックからセルヒオ・ラモスにゴールをうばわれたかたちまわ延長えんちょうせんまれる。延長えんちょうせんではそのまま相手あいていきおいにまれて前半ぜんはんこそ失点しってんしのいだものの後半こうはん5ふんアンヘル・ディ・マリアにドリブルでかれると1おく100まんユーロという当時とうじ史上しじょう最高さいこうがく移籍いせきしたガレス・ベイルにこぼれだまめられて逆転ぎゃくてん。その8ふん交代こうたい途中とちゅう出場しゅつじょうしたマルセロにミドルシュートをめられ、延長えんちょう後半こうはん終了しゅうりょう間際まぎわにそれまでおさえていたクリスティアーノ・ロナウドにもPKをめられて3失点しってんきっし1-4でやぶれ、じゅん優勝ゆうしょうわった。

2014-15シーズン

2014-15シーズン

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なつ移籍いせき市場いちばでは、前年ぜんねんシーズンのリーグ優勝ゆうしょうとCLじゅん優勝ゆうしょう立役者たてやくしゃであったジエゴ・コスタとフィリペ・ルイスをチェルシーへ売却ばいきゃくしたほか、ビジャはニューヨーク・シティFC移籍いせきし、クルトゥワはチェルシーからのレンタル移籍いせき期間きかん満了まんりょうにより退団たいだんした。これら昨季さくき主力しゅりょく選手せんしゅけたあな補填ほてんする目的もくてきで、バイエルン・ミュンヘンからマリオ・マンジュキッチレアル・ソシエダからアントワーヌ・グリーズマントリノFCからアレッシオ・チェルチヘタフェCFよりミゲル・アンヘル・モジャSLベンフィカからヤン・オブラクグラナダCFからギリェルメ・シケイラ獲得かくとくした。さくシーズンリーガ王者おうじゃとしてたたかったスーペル・コパでは、ライバルのレアル・マドリードをくだして29ねんぶり2度目どめ優勝ゆうしょうたした。ふゆにはフェルナンド・トーレスがチェルチとの交換こうかんトレードでACミランからレンタル移籍いせきし、2006-07シーズン以来いらい7ねんはんぶりに復帰ふっきした。チャンピオンズリーグではラウンドオブ16でバイエル・レバークーゼンをPKせんくだしたものの準々じゅんじゅん決勝けっしょう昨季さくきつづきレアル・マドリードとのダービーが実現じつげん。1stレグは0-0でえるも、2ndレグでは後半こうはん31ふんにトゥランが退場たいじょうとなったのちチチャリートのゴールがまり、0-1でやぶれてベスト8で敗退はいたい。ダービーでの対戦たいせん成績せいせきでは8試合しあい4しょう3け1はい(このシーズン、スペインの国内こくないの3コンペティションでは4しょう2ふん)とおおきくしていたものの、チャンピオンズリーグ決勝けっしょうのリベンジはたせなかった。

2015-16シーズン

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開幕かいまくまえFCポルトからジャクソン・マルティネスビジャレアルCFからルシアーノ・ビエット、ASモナコからヤニック・カラスコ獲得かくとくし、チェルシーからフィリペ・ルイス、FCポルトにレンタルされていた下部かぶ組織そしき出身しゅっしんオリベル・トーレス復帰ふっきした。リーグせんでは当初とうしょしん戦力せんりょくわずてんとすこともあったが、ジャクソンに見切みきりをけてふゆ広州こうしゅうつねだい売却ばいきゃくする一方いっぽうで、フェルナンド・トーレスの復活ふっかつやアントワーヌ・グリーズマン、サウール・ニゲスふゆセルタ・デ・ビーゴから加入かにゅうしたアウグスト・フェルナンデスらの活躍かつやくによりFCバルセロナとレアル・マドリードと優勝ゆうしょうあらそいを展開てんかいするも最終さいしゅうてき昨年さくねんおなじ3はいり、リーグせん38試合しあいすべてにフル出場しゅつじょうして18失点しってんとゴールにかぎをかけつづけたオブラクがサモラしょう受賞じゅしょうしている。チャンピオンズリーグでは2ねんぶりに決勝けっしょう進出しんしゅつ決勝けっしょうでは2ねんまえおなじくレアル・マドリードとのマドリードダービーとなり、まえの4-4-2でブロックをつくった守備しゅび発揮はっきしたが、前半ぜんはん先制せんせいゆるす。後半こうはん途中とちゅう出場しゅつじょうのカラスコのゴールでいついたが、延長えんちょうせんそよいて1-1のままスコアはうごかず、PKせんすえ3-5でやぶれ、ふたたびレアル・マドリードのまえなみだんだ。

2016-17シーズン

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なつ移籍いせき市場いちばでは、セビージャFCからケヴィン・ガメイロSLベンフィカからニコラス・ガイタンらを獲得かくとくしたほか、フェルナンド・トーレスの保有ほゆうけんった。リーグせんではレアル・マドリードとバルセロナと上位じょういあらそいをしたが3でフィニッシュ。チャンピオンズリーグでは準決勝じゅんけっしょうまですすみ、決勝けっしょうトーナメントでは4ねん連続れんぞくとなるレアル・マドリードと対戦たいせんとの対戦たいせんとなったが、2せん合計ごうけい2-4でやぶれてベスト4で大会たいかいった。

2017-18シーズン

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しんスタジアム エスタディオ・メトロポリターノにて(2017ねん
クラブのアイコンてき存在そんざいフェルナンド・トーレス

2017-18シーズンから、本拠地ほんきょちエスタディオ・ビセンテ・カルデロンから、エスタディオ・メトロポリターノ移転いてんした。しんスタジアムでの最初さいしょ試合しあいは、2017ねん9がつ16にちラ・リーガだい4せつアトレティコたいマラガCFで、アントワーヌ・グリーズマンはつ得点とくてんめた。

シメオネは就任しゅうにん7シーズンとなり、ふゆチェルシーからジエゴ・コスタ復帰ふっき。また、中国ちゅうごく・スーパーリーグ大連たいれん一方いっぽうあしだま倶楽部くらぶへと移籍いせきしたニコラス・ガイタンヤニック・カラスコ後釜あとがまとして、セビージャからスペイン代表だいひょうMFビトーロ獲得かくとく。リーグせんにおいては、序盤じょばんこそはしゃ追随ついずいゆるすも、最終さいしゅうてきには2フィニッシュ。グリーズマンがチーム最多さいたの19ゴール。チャンピオンズリーグではグループCにポットけされ、ローマチェルシーカラバフどうくみになった。ちきれない試合しあいおおく、結果けっか、1しょう4ふん1まけ成績せいせきヨーロッパリーグへとまわった。ここではまえつよさを発揮はっきし、準決勝じゅんけっしょうアーセナル決勝けっしょうマルセイユやぶり5シーズンぶり、3度目どめ優勝ゆうしょうたした[36]。またこの優勝ゆうしょうにより、シメオネがこのクラブでったタイトルが7つになった。2017ねん3がつ23にちソシオかずが10まんにん到達とうたつし、ソシオすうがスペイン国内こくないではレアル・マドリードき2番目ばんめに、世界せかいでは8番目ばんめおおいクラブになった。クラブのアイコンてき存在そんざいであったフェルナンド・トーレスの退団たいだんまった[37]最終さいしゅうぶしエイバルせんでは、スタジアムには6まん5000にんのファンがおとずれ、トーレスはキャプテンマークをけてフル出場しゅつじょうし、2得点とくてん記録きろく試合しあい退団たいだんセレモニーがおこなわれた。さらに長年ながねんカピタンをつとめていたガビもシーズン終了しゅうりょう退団たいだん表明ひょうめいし、だい功労こうろうしゃがチームをることになった。

2018-19シーズン

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フランスASモナコから当時とうじクラブ史上しじょう最高さいこうがくとなるやく7000まんユーロでトマ・レマルを、国内こくないビジャレアルからロドリ加入かにゅうした。シーズン最初さいしょ公式こうしきせんとなったUEFAスーパーカップでは宿敵しゅくてきレアル・マドリードを延長えんちょうせんすえ4-2でやぶり、8つめとなるタイトルをチームにもたらした。コパ・デル・レイではジローナ敗戦はいせんし、大会たいかいった。優勝ゆうしょう期待きたいされたCLではモナコ、ボルシア・ドルトムントクラブ・ブルッヘとのグループにはいり、4しょう1ふん1はい成績せいせきでグループ2でノックアウトラウンドへ進出しんしゅつ。ベスト16の相手あいてイタリアユヴェントス。1stレグでは2-0と完封かんぷう勝利しょうりたすも、2ndレグでクリスティアーノ・ロナウドハットトリックゆるし、2せん合計ごうけい2-3で大会たいかいのちにした。

2019-20シーズン

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クラブ史上しじょう最高さいこうがく移籍いせききん加入かにゅうしたジョアン・フェリックス

なつ移籍いせき市場いちばでは、キャプテンのディエゴ・ゴディンフィリペ・ルイスフアンフランなどの功労こうろうしゃアントワーヌ・グリーズマンリュカ・エルナンデスロドリなど、主力しゅりょく選手せんしゅ多数たすうクラブをはなれることがまった。SLベンフィカからジョアン・フェリックスを、クラブ最高さいこうがくやく1おく2600まんユーロで獲得かくとくしたほかレアル・マドリードからマルコス・ジョレンテアトレチコ・パラナエンセからレナン・ロディトッテナム・ホットスパーからキーラン・トリッピアーポルトからフェリペなど、けい8めいしん獲得かくとくし、 2おく4470まんユーロをついやした。ふゆ移籍いせき期間きかん最終さいしゅうには、大連たいれんじん職業しょくぎょうから、ヤニック・カラスコ買取かいとりオプションきのレンタルでの復帰ふっき発表はっぴょうされた[38]。リーグせん得点とくてん力不足ちからぶそくなやまされリーグ最多さいたの16けとちきれない試合しあいおお低迷ていめいした。コパ・デル・レイでもラウンド32でセグンダB所属しょぞくする、クルトゥラル・レオネサ延長えんちょうせんすえ敗退はいたいした。チャンピオンズ・リーグでは、ラウンド16で前回ぜんかい欧州おうしゅう王者おうじゃで、当時とうじリーグせん無敗むはいリヴァプール相手あいてに1stレグで1-0、2ndレグでは、リヴァプールが公式こうしきせん42せん無敗むはい記録きろくし、難攻不落なんこうふらく要塞ようさいばれた[39]本拠地ほんきょちアンフィールドで、ジョレンテの2ゴールとモラタの決勝けっしょうゴールで、2-3で勝利しょうり。2連勝れんしょうをし、2せん合計ごうけいで4-2と快勝かいしょうし、昨季さくき王者おうじゃくだした。リーグせん再開さいかいは、ジョレンテのフォワードへのコンバートや、カラスコの活躍かつやくにより、再開さいかい7しょう4ぶん無敗むはいでシーズンをえ、再開さいかいまえの6から3げシメオネ就任しゅうにん以降いこう8ねん連続れんぞくでのチャンピオンズリーグ出場しゅつじょうけん獲得かくとくした。チャンピオンズリーグ準々じゅんじゅん決勝けっしょうでは、RBライプツィヒに1-2でやぶれ、ベスト8で敗退はいたいした[40]

2020-21シーズン

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2021-22シーズン

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2022-23シーズン

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2023-24シーズン

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ライバル

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2014ねんのマドリード・ダービー

レアル・マドリードとアトレティコは、対照たいしょうてきなアイデンティティと非常ひじょうことなる運命うんめいつクラブである。レアル・マドリードのサンティアゴ・ベルナベウがマドリード北部ほくぶ裕福ゆうふくチャマルティンにあるカステジャーナどおりにほこらしげにつのにたいし、アトレティコのかつてのスタジアムは、マドリードの中心ちゅうしんから1.8kmほどはなれたアルガンズエラ労働ろうどうしゃ階級かいきゅう中心ちゅうしんにあるビセンテ・カルデロンというあまりはなやかではないスタジアムであった。歴史れきしてきに、レアル・マドリードはエスタブリッシュメントクラブであると長年ながねんられてきた。その一方いっぽうで、アトレティコはつねに「sentimiento de rebeldía」(抵抗ていこう意識いしき)を特徴とくちょうとしていた。しかし、初期しょきフランシスコ・フランコ時代じだいには、体制たいせいこのまれたチームはアトレティコであった[よう出典しゅってん]。1950年代ねんだいにレアル・マドリードに政権せいけん傾倒けいとうするまでは、アトレティコは空軍くうぐん(Atletico Aviacionと改名かいめい)と関連付かんれんづけられていた。

フランコ政権せいけん独裁どくさい国家こっかはスペインが国際こくさいてき孤立こりつしていた当時とうじ、レアル・マドリードのヨーロピアンカップ制覇せいは政治せいじてき利用りようしようとしていた。当時とうじある大臣だいじんは「レアル・マドリードはこれまででもっとすぐれた使節しせつである」とべた[よう出典しゅってん]。こういった認識にんしきは、集合しゅうごう意識いしきり、マドリードのサッカーアイデンティティに重要じゅうよう影響えいきょうをもたらしてきている。アトレティコのファンは「Hala Madrid, hala Madrid, el equipo del gobierno, la verguenza del país(ゆけマドリード、ゆけマドリード、政府せいふのチーム、くにはじ)」 といううた発案はつあんしゃであり、もっと頻繁ひんぱんうたわれるうたでもある。

アトレティコ・マドリードは2000ねん(シーズン後半こうはん)から2012-13シーズンまでに、14年間ねんかんマドリードダービー勝利しょうりというだい苦戦くせんいられていた。しかし、2013ねん5がつ17にち、2013ねんコパ・デル・レイ決勝けっしょうでアトレティコがサンティアゴ・ベルナベウでライバルを2-1でくだしたことで、その呪縛じゅばくわりをげ、2013ねん9がつ29にちにはふたたびベルナベウで1-0の勝利しょうりおさめた。

タイトル

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トロフィールーム

国内こくないタイトル

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1939-40, 1940-41, 1949-50, 1950-51, 1965-66, 1969-70, 1972-73, 1976-77, 1995-96, 2013-14, 2020-21
1959-60, 1960-61, 1964-65, 1971-72, 1975-76, 1984-85, 1990-91, 1991-92, 1995-96, 2012-13
1985, 2014

国際こくさいタイトル

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2009-10, 2011-12 , 2017-18
1961-62
2010, 2012, 2018
1974

非公式ひこうしきタイトル

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国内こくない個人こじんタイトル

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国際こくさい個人こじんタイトル

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近年きんねん成績せいせき

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シーズン ディビジョン 国王こくおうはい 公式こうしきせん 欧州おうしゅうカップ 最多さいた得点とくてんしゃ
リーグ ためし かち ぶん はい とく しつ てん 順位じゅんい 選手せんしゅ 得点とくてんすう
2002-03 プリメーラ 38 12 11 15 51 56 47 11 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい スペインの旗 フェルナンド・トーレス 13
2003-04 プリメーラ 38 15 10 13 51 53 55 7 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい スペインの旗 フェルナンド・トーレス 20
2004-05 プリメーラ 38 13 11 14 40 34 50 11 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい UIC じゅん優勝ゆうしょう スペインの旗 フェルナンド・トーレス 20
2005-06 プリメーラ 38 13 13 12 45 37 52 10 ベスト16 スペインの旗 フェルナンド・トーレス 13
2006-07 プリメーラ 38 17 9 12 46 39 60 7 ベスト16 スペインの旗 フェルナンド・トーレス 14
2007-08 プリメーラ 38 19 7 12 66 47 64 4 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい UC 3回戦かいせん敗退はいたい アルゼンチンの旗 セルヒオ・アグエロ 27
UIC 優勝ゆうしょう
2008-09 プリメーラ 38 20 7 11 80 57 67 4 ベスト16 UCL ベスト16 ウルグアイの旗 ディエゴ・フォルラン 35
2009-10 プリメーラ 38 13 8 17 57 61 57 9 じゅん優勝ゆうしょう UEL 優勝ゆうしょう ウルグアイの旗 ディエゴ・フォルラン 28
2010-11 プリメーラ 38 17 7 14 62 53 58 7 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい USC 優勝ゆうしょう UEL GL敗退はいたい アルゼンチンの旗 セルヒオ・アグエロ 27
2011-12 プリメーラ 38 15 11 12 53 56 56 5 4回戦かいせん敗退はいたい UEL 優勝ゆうしょう コロンビアの旗 ラダメル・ファルカオ 36
2012-13 プリメーラ 38 23 7 8 65 31 76 3 優勝ゆうしょう USC 優勝ゆうしょう コロンビアの旗 ラダメル・ファルカオ 34
2013-14 プリメーラ 38 28 6 4 77 26 90 1 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい スーペルコパ 優勝ゆうしょう UCL じゅん優勝ゆうしょう スペインの旗 ジエゴ・コスタ 36
2014-15 プリメーラ 38 23 9 6 67 29 78 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい UCL 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい フランスの旗 アントワーヌ・グリーズマン 25
2015-16 プリメーラ 38 28 4 6 63 18 88 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい UCL じゅん優勝ゆうしょう フランスの旗 アントワーヌ・グリーズマン 32
2016-17 プリメーラ 38 23 9 6 70 27 78 3 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい UCL 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい フランスの旗 アントワーヌ・グリーズマン 26
2017-18 プリメーラ 38 23 10 5 58 22 79 2 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい UCL GL敗退はいたい フランスの旗 アントワーヌ・グリーズマン 29
UEL 優勝ゆうしょう
2018-19 プリメーラ 38 22 10 6 55 29 76 2 ベスト16 USC 優勝ゆうしょう UCL ベスト16 フランスの旗 アントワーヌ・グリーズマン 21
2019-20 プリメーラ 38 18 16 4 51 27 70 3 3回戦かいせん敗退はいたい スーペルコパ じゅん優勝ゆうしょう UCL 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい スペインの旗 アルバロ・モラタ 16
2020-21 プリメーラ 38 26 8 4 67 25 86 1 2回戦かいせん敗退はいたい UCL ベスト16 ウルグアイの旗 ルイス・スアレス 21
2021-22 プリメーラ 38 21 8 9 65 43 71 3 ベスト16 スーペルコパ 準決勝じゅんけっしょう敗退はいたい UCL 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい アルゼンチンの旗 アンヘル・コレア 14
2022-23 プリメーラ 38 23 8 7 70 33 77 3 準々じゅんじゅん決勝けっしょう敗退はいたい UCL GL敗退はいたい フランスの旗 アントワーヌ・グリーズマン 16

スタジアム・クラブ施設しせつ

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アトレティコ・マドリードは2017ねんまで収容しゅうよう人数にんずう54,990にんエスタディオ・ビセンテ・カルデロン使用しようしていた[41]。また、創設そうせつから1923ねんまではロンダ・デ・バジェカス本拠地ほんきょちとしていたが、1923ねんエスタディオ・メトロポリターノ・デ・マドリード建設けんせつすると、ビセンテ・カルデロンにうつる1966ねんまでここでプレーしていた。

現在げんざいのホームスタジアムであるワンダ・メトロポリターノ

クラブは現在げんざいシビタス・メトロポリターノ旧称きゅうしょう : ワンダ・メトロポリターノ)を本拠地ほんきょちとしている[42]どうスタジアムは、マドリードオリンピック構想こうそうさいに20,000せき拡張かくちょうされて68,000せきものサイズをほこるスタジアムとなった。先代せんだいのビセンテ・カルデロンは2020ねん6がつからこわしがおこなわれ、跡地あとちにはマンサナーレスがわめんするということで、かわ沿いの公園こうえんとしてさい計画けいかくがなされている[43]。2017ねん9がつ17にちマラガCFとの試合しあいでシビタス・メトロポリターノのこけらとしが計画けいかくされ、来賓らいひんとしてスペイン国王こくおうフェリペ6せい招待しょうたいされた。この試合しあいアントワーヌ・グリーズマンがシビタス・メトロポリターノにおける最初さいしょ公式こうしきせんスコアラーとなった[44]

トレーニング グラウンド

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アトレティコ・マドリードのトップチームの練習れんしゅうじょうマドリードより北西ほくせいへ17kmほどのぼったマハダオンダにある。練習れんしゅうじょう名前なまえシウダ・デポルティーバ・アトレティコ・デ・マドリード。ここにはしばのピッチにくわえて筋力きんりょくトレーニングをするためのジムも併設へいせつされており、Bチームやカンテラもこの施設しせつ使つかうことがある[45]

シウダ・デポルティーバにはエスタディオ・セロ・デル・エスピノという多目的たもくてきスタジアムが隣接りんせつしており、おもにクラブのBチームがホームスタジアムとして使用しようしている。また、ルーマニアブカレストにもアトレティコ・マドリードが所有しょゆうするスタジアムがあり、クラブの下部かぶ組織そしきというかたち運営うんえいされている[46]

げん所属しょぞくメンバー

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ラ・リーガ 2024-25基本きほんフォーメーション (3-5-2)

括弧かっこない国旗こっきはその保有ほゆう国籍こくせきを、ほししるしはEU圏外けんがい選手せんしゅしめす。

(※1)EU圏外けんがいだが、リーガ・エスパニョーラでは外国がいこくじんわくとはみなさない。

選手せんしゅ

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2024ねん8がつ26にち現在げんざい[47]

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
1 GK アルゼンチン フアン・ムッソ ()
2 DF ウルグアイ ホセ・マリア・ヒメネス ()
3 DF スペイン セサル・アスピリクエタ
4 MF イングランド コナー・ギャラガー () ()
5 MF アルゼンチン ロドリゴ・デ・パウル () ()
6 MF スペイン コケ キャプテン
7 FW フランス アントワーヌ・グリーズマン
8 MF スペイン パブロ・バリオス
9 FW ノルウェー アレクサンダー・セルロート
10 FW アルゼンチン アンヘル・コレア ()
11 MF フランス トマ・レマル
12 FW ブラジル サムエウ・リーノ
No. Pos. 選手せんしゅめい
13 GK スロベニア ヤン・オブラク (ふく主将しゅしょう)
14 MF スペイン マルコス・ジョレンテ
15 DF フランス クレマン・ラングレ
16 DF アルゼンチン ナウエル・モリーナ
17 FW スペイン ロドリゴ・リケルメ
19 FW アルゼンチン フリアン・アルバレス ()
20 MF ベルギー アクセル・ヴィツェル ()
21 DF スペイン ハビ・ガラン
22 FW アルゼンチン ジュリアーノ・シメオネ ()
23 DF モザンビーク ヘイニウド・マンダーヴァ
24 DF スペイン ロビン・ル・ノルマン ()

リザーブチーム

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ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
26 MF スペイン アイトール・ヒスメラ
27 DF ギリシャ イリアス・コスティス
28 DF スペイン マルコ・モレノ
29 DF スペイン ハビエル・ボニャール
30 FW モロッコ サリム・エル・ジェバリ
31 GK スペイン アントニオ・ゴミス
No. Pos. 選手せんしゅめい
32 FW スペイン アドリアン・ニーニョ
36 MF スペイン アレックス・カラトラバ
39 FW モロッコ アブデ・ライアニ
40 MF スペイン セルヒオ・ゲレーロ
45 MF スペイン ライアン・ベライ
49 MF スペイン ダリオ・フレイ

ローン移籍いせき

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in

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
1 GK アルゼンチン フアン・ムッソ (アタランタ )
No. Pos. 選手せんしゅめい
15 DF フランス クレマン・ラングレ (バルセロナ)
out

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
-- GK ルーマニア ホラツィウ・モルドヴァン (サッスオーロ)
-- MF スペイン サウール・ニゲス (セビージャ)
-- MF スペイン ハビ・セラーノ (シュトゥルム・グラーツ)
-- MF ベルギー アルトゥール・フェルメーレン (RBライプツィヒ)
-- FW ポルトガル マルコス・パウロ (RWDモレンベーク)
No. Pos. 選手せんしゅめい
-- FW スペイン ビクトル・モジェホ (レアル・サラゴサ)
-- FW スペイン ボルハ・ガルセス (エルチェ)
-- FW スペイン カルロス・マルティン (デポルティーボ・アラベス)
-- FW スペイン ヘルマン・バレラ (レアル・サラゴサ)

スタッフ

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テクニカル・スタッフ

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ディエゴ・シメオネ, 2011ねん12月23にちから監督かんとくつとめる
地位ちい スタッフ
ヘッド・コーチ アルゼンチンの旗 ディエゴ・シメオネ
アシスタント・マネージャー アルゼンチンの旗 ネルソン・ビバス
アルゼンチンの旗 グスタボ・ロペス
ゴール・キーパー・コーチ アルゼンチンの旗 パブロ・ベルセローネ
フィットネス・コーチ ウルグアイの旗 オスカル・オルテガ
理学りがく療法りょうほう スペインの旗 イバン・オルテガ
スペインの旗 ヘスス・バスケス
スペインの旗 エステバン・アレバロ
スペインの旗 ダビド・ローラス
スペインの旗 フェリペ・イグレシアス・アローヨ
リハビリテーション・
フィジオ
スペインの旗 オスカル・ピティージャス
スペインの旗 アルフレード・ハロディフ
テクニカル・
アシスタント・チーム
スペインの旗 カルロス・メネンデス
スペインの旗 ダニエル・カストロ
チーム・デリゲート スペインの旗 ペドロ・パブロ・マテサンツ
医療いりょう部長ぶちょう スペインの旗 ホセ・マリア・ビヤロン
クラブ・ドクター スペインの旗 ゴルカ・デ・アバホ
ドクター スペインの旗 オスカー・ルイス・セラダ
テクニカル・チーム スペインの旗 クリスチャン・バプテスト
ロシアの旗 ディムチョ・ピリチェフ
スペインの旗 フェルナンド・サンチェス・ラミレス
スペインの旗 マリオ・セラーノ

経営けいえいじん

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地位ちい スタッフ
会長かいちょう スペインの旗 エンリケ・セレソ
最高さいこう責任せきにんしゃ スペインの旗 ミゲル・アンヘル・ヒル・マリン
強化きょうか担当たんとう イタリアの旗 アンドレア・ベルタ
取締役とりしまりやく スペインの旗 ラサーロ・アルバラシン・マルティネス
スペインの旗 アントニオ・アロンソ・サンス
フランスの旗 アントワーヌ・ボニエ
スペインの旗 セベリアーノ・ヒル・イ・ヒル
取締役とりしまりやく秘書ひしょ スペインの旗 パブロ・ヒメネス

ソース: Atlético Madrid

ユニフォーム

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チームカラー

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  •   あか /   しろ
    • 1909ねんにイングランドへわたり、クラブのユニフォームを調達ちょうたつしたさいサウサンプトンFCからゆずけたあかしろのストライプをしたユニフォームが由来ゆらいである[48]

ユニフォームスポンサー

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2023-24シーズンのスポンサー
掲出けいしゅつ箇所かしょ スポンサーめい 表記ひょうき 掲出けいしゅつねん 備考びこう
むね リヤド・エア RIYADH AIR 2023ねん -
背中せなか下部かぶ リア・マネー・トランスファー英語えいごばん ria Money Transfer 2021ねん -
そで 現代げんだい自動車じどうしゃ Hyundai 2018ねん -
歴代れきだいスポンサー
期間きかん メインスポンサー その
1903-1987 なし
1987-1990 三田工業みたこうぎょう なし
1990-1993 マルベーリャ なし
1993-1994 アンテナ3 なし
1994-1996 マルベーリャ なし
1996-1997 バンダイ / たまごっち なし
1997-1999 マルベーリャ なし
1999-2000 なし
2000-2002 Idea Electrodomésticos なし
2002-2003 Idea Electrodomésticos / Centenario del club なし
2003-2004 コロンビア ピクチャーズ Racer
2004-2005 AXN
2005-2006 起亜きあ自動車じどうしゃ
2006-2008 きょうセラ / ASISA
2008-2011 きょうセラ / Ålands Penningautomatförening
2011-2012 Rixos Hotels / ファーウェイ きょうセラ / Doyen Group
2012-2013 ファーウェイ / Azerbaijan, Land of Fire きょうセラ
2013-2014 Azerbaijan, Land of Fire きょうセラ / ファーウェイ
2014-2015 ファーウェイ / Plus500
2015-2016 Plus500 Azerbaijan, Land of Fire / ファーウェイ
2016-2018 なし
2018-2019 現代げんだい自動車じどうしゃ / セーブ・ザ・チルドレン
2019-2020 現代げんだい自動車じどうしゃ / Ria Money Transfer / セーブ・ザ・チルドレン
2020-2021 現代げんだい自動車じどうしゃ / Ria Money Transfer / セーブ・ザ・チルドレン / VERSUS
2021-2022 現代げんだい自動車じどうしゃ / Ria Money Transfer / セーブ・ザ・チルドレン
2022-2023 WhaleFin
2023- RIYADH AIR

ユニフォームサプライヤー

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期間きかん サプライヤー
1903-1950 なし
1950-1980 Deportes Cóndor
1980-1982 Meyba
1982-1998 プーマ
1998-2001 リーボック
2001- ナイキ

歴代れきだいユニフォーム

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ホームユニフォーム
1903-1909
1909-1911
1928-1929
1932-1933
1939-1940
1949-1950
1955-1956
1974-1976
1982-1983
1983-1992
1992-1994
1994-1995
1995-1996
1996-1997
1997-1998
1998-1999
1999-2000
2000-2001
2001-2002
2002-2003
2003-2004
2004-2005
2005-2006
2006-2007
2007-2008
2008-2009
2009-2010
2010-2011
2011-2012
2012-2013
2013-2014
2014-2015
2015-2016
2016-2017
2017-2018
2018-2019
2019-2020
2020-2021
2021-2022
2022-2023
アウェーユニフォーム
1996-1997
1997-1998
1998-2000
2000-2001
2001-2002
2002-2003
2003-2004
2004-2005
2005-2006
2006-2007
2007-2008
2008-2009
2009-2010
2010-2011
2011-2012
2012-2013
2013-2014
2014-2015
2015-2016
2016-2017
2017-2018
2018-2019
2019-2020
2020-2021
2021-2022
2022-2023
サードユニフォーム
1983-1992
1996-1997
2001-2002
2014-2015
2017-2018
2018-2019
2019-2020
2020-2021
2021-2022
2022-2023
その
1995-96
コパ・デル・レイ
決勝けっしょう
100周年しゅうねん記念きねん
2003-2004
4thユニフォーム
2021-2022
120周年しゅうねん記念きねん
2022-2023

サポーター

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フレンテ・アトレティコは、クラブでもっとおおきいサポーターグループであり、ウルトラスとして活動かつどうしている。これまでに2殺人さつじん事件じけんこしており、2014ねん12月にクラブはどう団体だんたい追放ついほう決定けっていしている。

育成いくせい組織そしき

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概要がいよう

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アトレティコ・マドリードものスペイン国内こくないクラブ同様どうようカンテラばれるユースチームを所有しょゆうしている。育成いくせい組織そしきはスペイン国内こくないかぎらず、メキシコルーマニアにも海外かいがい支部しぶ設置せっちし、その世界せかい各地かくち定期ていきてき入団にゅうだんトライアルを開催かいさいしている[49]。アトレティコ・マドリードが育成いくせいし、トップチームでながきにわた活躍かつやくした選手せんしゅには、ガビフェルナンド・トーレスコケサウール・ニゲスらがいる[50]遠方えんぽう海外かいがいからユースせいとなった選手せんしゅはクラブのりょうんでサッカーをすることになるが、16さい以下いか子供こども家族かぞくとの連絡れんらく以外いがいでの携帯けいたい電話でんわ使用しよう禁止きんし外出がいしゅつには成人せいじん同伴どうはん必要ひつようなどの規則きそくがある[51]。また、2018ねんからは、サッカーがプロスポーツされいないキューバにて、サッカーめんでの環境かんきょう整備せいび子供こどもたちにプレー機会きかいあたえ、将来しょうらいてきにはキューバ国内こくない独自どくじのアカデミーを設立せつりつすることを発表はっぴょうした[52]

出身しゅっしん選手せんしゅ

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カテゴリー

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トップチームをのぞくと合計ごうけい11のユースカテゴリーがある[53]

カテゴリー 対象たいしょう年齢ねんれい
アトレティコ・マドリードB
アトレティコ・マドリード・フベニールA 17-19さい
アトレティコ・マドリレーニョ・フベニールA
アトレティコ・マドリード・フベニールB 15-16さい
アトレティコ・マドリレーニョ・フベニールB
アトレティコ・マドリード・カデーテA 13-14さい
アトレティコ・マドリード・カデーテB
アトレティコ・マドリード・インファンティルA 11-12さい
アトレティコ・マドリード・インファンティルB
アトレティコ・マドリード・アレビンA F11 8-11さい
アトレティコ・マドリード・アレビンA F7 0-7さい

パートナー

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歴代れきだい所属しょぞく選手せんしゅ

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背番号せばんごうべつベストプレーヤー

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  • 2020ねん4がつ20日はつかマルカによって背番号せばんごう1から23までのアトレティコ・マドリード史上しじょう背番号せばんごうべつベストプレーヤーが発表はっぴょうされた[55]

ちゅう選手せんしゅ国籍こくせき表記ひょうきFIFAのさだめた代表だいひょう資格しかくルールもとづく。

No. Pos. 選手せんしゅめい
1 GK スペイン アベル・レシーノ
2 DF ウルグアイ ディエゴ・ゴディン
3 DF ブラジル フィリペ・ルイス
4 MF スペイン アデラルド・ロドリゲス
5 DF ブラジル ルイス・ペレイラ
6 MF スペイン コケ
7 FW ウルグアイ ディエゴ・フォルラン
8 FW スペイン ルイス・アラゴネス
9 FW スペイン フェルナンド・トーレス
10 FW ポルトガル パウロ・フットレ
11 FW スペイン エンリケ・コリャル
12 MF ブラジル パウロ・アスンソン
No. Pos. 選手せんしゅめい
13 GK スロベニア ヤン・オブラク
14 MF スペイン ガビ
15 DF スペイン カルロス・アギレラ
16 MF スペイン フアン・カルロス・バレロン
17 FW オランダ ジミー・フロイド・ハッセルバインク
18 FW スペイン ジエゴ・コスタ
19 FW スペイン キコ
20 DF スペイン フアンフラン
21 MF スペイン ホセ・ルイス・カミネロ
22 MF ブラジル ジエゴ・リバス
23 DF ブラジル ジョアン・ミランダ

歴代れきだい監督かんとく

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歴代れきだい会長かいちょう

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  1. エンリケ・アジェンデ: 1903
  2. エドゥアルド・デ・アチャ: 1903-1907
  3. リカルド・デ・ゴンドラ: 1907-1909
  4. ラモン・デ・カルデナス: 1909-1912
  5. フリアン・ルエテ: 1912-1919
  6. アルバロ・デ・アギラル: 1919-1920
  7. フリアン・ルエテ: 1920-1923
  8. フアン・デ・エステファニア: 1923-1926
  9. ルシアーノ・ウルギホ: 1926-1931
  10. ラファエル・ゴンサーレス: 1931-1935
  11. ホセ・ルイス・デル・バジェ: 1935-1936
  12. ホセ・マリア・フェルナンデス: 1936-1939
  13. フランシスコ・ビベス: 1939
  14. ルイス・ナバロ: 1939-1941
  15. マヌエル・ガジェゴ: 1941–1945
  16. フアン・トウソーン: 1946-1947
  17. セサレオ・ガリンデス: 1947-1952
  18. マルケス・デ・ラ・フロリダ: 1952-1955
  19. フアン・スエボス: 1955
  20. ハビエル・バローソ: 1955-1964
  21. ビセンテ・カルデロン: 1964-1980
  22. リカルド・イレサーバル: 1980
  23. アルフォンソ・カベサ: 1980-1982
  24. アントニオ・デル・オヨ: 1982
  25. アグスティン・コトルエロ: 1982
  26. ビセンテ・カルデロン: 1982-1986
  27. フランシスコ・カステド: 1986-1987
  28. ヘスス・ヒル: 1987-2003
  29. エンリケ・セレソ: 2003-

クラブ記録きろく

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関連かんれんクラブ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ :: Tienda Club Atlético de Madrid::” (Spanish). Atlético Madrid. 13 December 2010てんオリジナルよりアーカイブ。20 November 2010閲覧えつらん
  2. ^ 1973/74: Müller ends Bayern wait”. UEFA. 11 October 2010てんオリジナルよりアーカイブ。7 November 2010閲覧えつらん
  3. ^ リア・マネー・トランスファー、サッカークラブのアトレティコ・マドリードの公式こうしきスポンサーに”. GlobeNewswire (2019ねん11月8にち). 2020ねん10がつ7にち閲覧えつらん
  4. ^ 2きょう時代じだい終止符しゅうしふ? ソシオすうでレアルをえるアトレティコ”. VICTORY ALL SPORTS NEWS. 2019ねん9がつ5にち閲覧えつらん
  5. ^ 玉乃たまのあつし (2016ねん5がつ30にち). “アトレティコOB玉乃たまのあつした、CL決勝けっしょうの“非情ひじょう現実げんじつ”. SoccerDigest. 2022ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  6. ^ 2降格こうかく低迷ていめいてついに主役しゅやくおどた 古豪こごうアトレティコの波乱万丈はらんばんじょうヒストリー”. ザ・ワールド (2021ねん3がつ17にち). 2022ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c d e f g h 治安ちあん警察けいさつ本拠地ほんきょち家宅かたく捜索そうさく降格こうかく… アトレティコ暗黒あんこく会長かいちょうがヒドい【トーレス、シメオネ体制たいせい以前いぜん危機きき”. Number (2021ねん2がつ23にち). 2021ねん3がつ21にち閲覧えつらん[リンク]
  8. ^ 2きょう時代じだい終止符しゅうしふ? ソシオすうでレアルをえるアトレティコ victorysportsnews.com 2017ねん4がつ6にち
  9. ^ ¡Superamos los 55.000 abonados!” (スペイン). Atletico de Madrid (2022ねん7がつ22にち). 2022ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  10. ^ 過去かこ5シーズンを比較ひかく欧州おうしゅう主要しゅようクラブでもっと売上うりあげだかをアップさせたのは?”. サッカーキング. 2020ねん1がつ18にち閲覧えつらん
  11. ^ Real Madrid vs Atlético Madrid Derby: Great Local Football Derbies”. Eurorivals. 20 November 2010閲覧えつらん
  12. ^ a b Hacia la creación de otro Athletic (1903)” (スペイン). アス (2016ねん4がつ10日とおか). 2021ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  13. ^ El Ayuntamiento de Madrid conmemorará el 115 aniversario del Atlético con una placa en la Calle de la Cruz” (スペイン). ヨーロッパ・プレス (2018ねん6がつ22にち). 2021ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  14. ^ La curiosa anécdota sobre por qué el Atlético de Madrid y el Athletic de Bilbao visten de rojiblanco” (スペイン). 20 ミニュッツ (2014ねん5がつ19にち). 2021ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  15. ^ 意外いがい!デザインのルーツが「のチームだった」ユニフォーム5ちゃく”. Qoly. 2020ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  16. ^ Por qué no es verdad que el Atlético lleve "100 años usurpando" nada al Athletic” (スペイン) (2016ねん10がつ25にち). 2021ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  17. ^ Athletic Club: el origen de la filosofía” (スペイン). VAVEL (2017ねん3がつ11にち). 2021ねん3がつ11にち閲覧えつらん
  18. ^ Campeonato Regional Centro 1912-13”. RSSSF. 2023ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  19. ^ El Atlético de Madrid ya estrenó el Metropolitano con victoria” (スペイン). AS (2017ねん9がつ15にち). 2023ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  20. ^ El campo de O'Donnell, un símbolo del interés creciente por el 'foot-ball' - La Gradona” (スペイン). La Gradona. 2023ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  21. ^ Manuel Alonso, el ingeniero de piernas eléctricas amigo de Chaplin” (スペイン). La Vanguardia. 2023ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  22. ^ Hacia la creación de otro Athletic (1903)” (スペイン). as (2016ねん4がつ10日とおか). 2023ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  23. ^ El origen de la rivalidad entre el Atlético de Madrid y el Real Madrid” (スペイン). COPE (2018ねん5がつ15にち). 2023ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  24. ^ Por qué no es verdad que el Atlético lleve "100 años usurpando" nada al Athletic” (スペイン). CIHFEE. 2023ねん2がつ23にち閲覧えつらん
  25. ^ [1] Goal.com、2011ねん3がつ20日はつか
  26. ^ アトレティコしんSDにカミネロ Goal.com、2011ねん5がつ28にち
  27. ^ アトレティコしん指揮しきかんはマンサーノ Goal.com、2011ねん6がつ9にち
  28. ^ http://www.goal.com/jp/news/74/イングランド/2011/07/29/2595024/シティアグエロ獲得かくとく正式せいしき発表はっぴょう
  29. ^ http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/news/newsid=1648014.html
  30. ^ http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/foreign/news/20110830-OYT1T00203.htm
  31. ^ シメオネが選手せんしゅつたえる現役げんえき時代じだいみずからの資質ししつどろえたらむ」|海外かいがいサッカー|集英社しゅうえいしゃ スポルティーバ 公式こうしきサイト web Sportiva”. 集英社しゅうえいしゃのスポーツ総合そうごう雑誌ざっし スポルティーバ 公式こうしきサイト web Sportiva. 2021ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  32. ^ Filipe Luis: Leicester are like Atletico | Goal.com”. www.goal.com. 2021ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  33. ^ Atlético Madrid’s title win was just like Leicester’s, says president” (英語えいご). the Guardian (2017ねん4がつ7にち). 2021ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  34. ^ ディエゴ・シメオネ”. サッカー監督かんとく名将めいしょうたち GSCS (2018ねん10がつ14にち). 2021ねん6がつ22にち閲覧えつらん
  35. ^ 古巣ふるすマドリーへの感謝かんしゃかたるフアンフラン UEFA.com 2014ねん5がつ20日はつか
  36. ^ アトレティコがマルセイユおろしEL制覇せいは、グリーズマンが2得点とくてん”. www.afpbb.com. 2019ねん3がつ2にち閲覧えつらん
  37. ^ co.,Ltd, FromOne. “F・トーレス、アトレティコ退団たいだん決定けってい…リーガ最終さいしゅうぶしでセレモニー開催かいさい”. サッカーキング. 2020ねん5がつ28にち閲覧えつらん
  38. ^ カラスコがやく2ねんぶりに古巣ふるす復帰ふっき…アトレティコへの期限きげん移籍いせき決定けってい”. サッカーキング. 2020ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  39. ^ co.,Ltd, FromOne. “リヴァプールは「42」でストップ…いまもっとながくホームでけていないチームは?”. サッカーキング. 2020ねん3がつ23にち閲覧えつらん
  40. ^ ライプツィヒがクラブ史上しじょうはつ準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつ堅守けんしゅアトレティコを2-1でくだす【欧州おうしゅうCL】”. フットボールチャンネル (2020ねん8がつ14にち). 2020ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  41. ^ https://www.uefa.com/MultimediaFiles/Download/StatDoc/competitions/UEFACup/01/67/59/06/1675906_DOWNLOAD.pdf
  42. ^ Madrid.es. “Ayuntamiento de Madrid – El Calderón se va al nuevo Estadio olímpico”. Madrid.es. 20 November 2012閲覧えつらん
  43. ^ Atletico Madrid to move to new stadium” (15 December 2008). 9 March 2009てんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  44. ^ アトレティコがしんスタジアムのこけらとしのいちせん勝利しょうり”. AFP News (2017ねん9がつ17にち). 2021ねん5がつ17にち閲覧えつらん
  45. ^ Training Complex”. Club Atlético de Madrid (2007ねん). 8 July 2011てんオリジナルよりアーカイブ。20 November 2010閲覧えつらん
  46. ^ Chirileasa, Andrei (20 June 2014). “Spanish club Atletico Madrid to open football academy in Bucharest, its first in Europe”. Romania-Insider.com. 16 May 2017閲覧えつらん
  47. ^ Atletico Madrid squad”. ラ・リーガ. 2023ねん8がつ15にち閲覧えつらん
  48. ^ Historia del Club Atlético de Madrid, página 4”. 2023ねん5がつ6にち閲覧えつらん
  49. ^ Proyectos de formación internacional” (スペイン). アトレティコ・マドリード公式こうしきサイト. 2022ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  50. ^ ¿Qué es la Academia?” (スペイン). 2022ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  51. ^ Así se hace un 'Koke'” (スペイン). as (2021ねん10がつ13にち). 2022ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  52. ^ Atlético de Madrid negocia abrir una academia en Cuba” (スペイン). Parco23 (2018ねん10がつ3にち). 2022ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  53. ^ Atletico Madrid Academia Equipos Masculinos” (スペイン) (2022ねん2がつ20日はつか). 2022-20閲覧えつらん
  54. ^ AYX becomes Atlético de Madrid’s Official Asian Partner”. アトレティコ・マドリード公式こうしきサイト (2021ねん5がつ5にち). 2021ねん5がつ9にち閲覧えつらん
  55. ^ Aマドリード史上しじょう最高さいこうの9ばんはF・トーレス 現地げんち”. 日刊にっかんスポーツ (2020ねん4がつ20日はつか). 2022ねん12月28にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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