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イエスの洗礼せんれい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

イエスの洗礼せんれい(イエスのせんれい)とは、新約しんやく聖書せいしょ福音ふくいんしょにあらわれるイエス・キリスト生涯しょうがいのエピソードのひとつで、ヨルダン川よるだんがわにおいて洗礼せんれいしゃヨハネから洗礼せんれいけた出来事できごと。キリストきょう洗礼せんれい儀式ぎしきのもととなった『ルカによる福音ふくいんしょ』と『マタイによる福音ふくいんしょ』ではイエスの幼年ようねん時代じだい記述きじゅつことなり、『マルコによる福音ふくいんしょ』にいたってはイエスの幼年ようねん時代じだいについての記事きじ一切いっさいはぶいているが、これらのともかん福音ふくいんしょはどれもイエスの洗礼せんれいかんしてはおなじような内容ないよう並行へいこう記事きじとなっている。マタイもルカもイエスの幼年ようねん時代じだい記述きじゅつからいきなりイエスの洗礼せんれいはなしんでいる。ルカによればイエスが洗礼せんれいけたのは30さいのころだったという。

ともかん福音ふくいんしょでイエスの洗礼せんれい記述きじゅつはどれもおなじようなてになっている。はじめに洗礼せんれいしゃヨハネが紹介しょうかいされ、かれ言葉ことば洗礼せんれい儀式ぎしきについてべられる。つぎにイエスがヨルダン川よるだんがわにやってきて洗礼せんれいける。そのあとてんがひらけてイエスこそ自分じぶんであるというかみこえこえる。これがイエスのおおやけ生活せいかつはじまりとされている。ともかん福音ふくいんしょであってもこまかい異同いどうはあるが、ほとんどのキリスト教派きょうはにおいてイエスの生涯しょうがいにおける重要じゅうよう出来事できごとのひとつとみなされている。カトリック教会きょうかいとなえられるロザリオいのりのうち、ひかり神秘しんぴのひとつがこの「イエスの洗礼せんれい」になっている。

洗礼せんれい場所ばしょ[編集へんしゅう]

洗礼せんれいしゃヨハネはユダおしえていたという。ユダのというのはうみから高地こうちへあがった乾燥かんそうした地域ちいきひとはあまりんでいなかった。という言葉ことばがしばしば砂漠さばく同義どうぎにとられることがあるが、砂漠さばくほど乾燥かんそうしていたわけではなく、放牧ほうぼくおこなわれていた。プリニウスはこの地域ちいきエッセネらす地域ちいきであったといっており、実際じっさい洗礼せんれいしゃヨハネがエッセネ指導しどうしゃ一人ひとりであったというせつもある。聖書せいしょ学者がくしゃドナルド・グスリー(Donald Guthrie)によれば、当時とうじ都市としよりものほうがかみちか場所ばしょであるとかんがえられていたという。

ヴェロッキオ工房こうぼうキリストの洗礼せんれい』(1475ねん

福音ふくいんしょによればイエスはヨルダン川よるだんがわでヨハネとったとされる。イエスの洗礼せんれい場所ばしょとされてきた区域くいきのひとつは、アレンビー渓谷けいこくみなみ、カシール・アル・ヤフドとよばれるヨルダン川よるだんがわ西岸せいがんである。現代げんだいではここに正教会せいきょうかい修道院しゅうどういんがあるが、イスラエルぐん軍事ぐんじ監視かんし区域くいきとなっており、一般人いっぱんじんりが制限せいげんされている。だが、イエスにゆかりのあるヨルダン川よるだんがわ洗礼せんれいけたいという人々ひとびとおおあつまるため、一部いちぶ開放かいほう区域くいきもうけられている。おな区域くいきのヨルダン川東かわひがしがん古代こだいよりキリスト教徒きりすときょうとたちに尊重そんちょうされてきた。ヨルダン政府せいふ観光かんこうきょく東岸とうがんこそイエスの洗礼せんれい場所ばしょであると宣伝せんでんしており、実際じっさい東岸とうがん遺跡いせきアル=マグタスはイエスの洗礼せんれいとして2015ねん世界せかい遺産いさんリストに登録とうろくされた。

ヨハネの非難ひなん[編集へんしゅう]

ルカ福音ふくいんではイエスは群集ぐんしゅう一人ひとりとしてヨハネのところへおもむき、洗礼せんれいけている。マタイ福音ふくいんではイエスの洗礼せんれい場面ばめんではイエスとヨハネ以外いがい登場とうじょう人物じんぶつはあらわれない。ルカとマタイではヨハネはファリサイとサドカイ批判ひはんととれる言葉ことばをもって登場とうじょうする。この批判ひはんはルカとマタイに固有こゆうのもので、ふたつが参照さんしょうしたとかんがえられるマルコ福音ふくいんにはそのような批判ひはんられない。

マタイとルカでは、ヨハネは登場とうじょうするやあつまった人々ひとびとを「まむしのら」と非難ひなんし、改心かいしんもとめる。マルコにこのような箇所かしょがないことから、このヨハネの言葉ことばQ資料しりょう由来ゆらいしているとかんがえられている。ただ、マタイとルカでもちがいはあり、ルカではヨハネが人々ひとびと全体ぜんたい非難ひなん言葉ことばけるが、マタイはファリサイサドカイ限定げんていしている。ある学者がくしゃたちによれば、ヨハネにちかづいたファリサイ人々ひとびとというのはけっしてヨハネに心酔しんすいしたからではなく、自分じぶんたちの権威けんいおびやかすものと警戒けいかいし、調査ちょうさしようとしたためヨハネに非難ひなんされたという。歴史れきしてきにみればこの時期じきにファリサイとサドカイ共同きょうどうしてあらわれるというのはかんがえにくい、というのは神殿しんでん崩壊ほうかいまえ時期じき両派りょうははユダヤじんなかでの主導しゅどうけんにぎろうとはげしく対立たいりつしていたからである。

なぜマタイはヨハネの非難ひなん特定とくていひとけたのだろうか。エドゥアルド・シュバイツァー(Eduard Schweizer)はマタイがルカとちがってユダヤじん読者どくしゃとして想定そうていしたため、ユダヤじん全体ぜんたい批判ひはんするような記述きじゅつけたかったのではないかとかんがえた。そこでマタイ福音ふくいんしょ成立せいりつキリスト教徒きりすときょうとはげしく対立たいりつしたファリサイにその矛先ほこさきけさせたというのである。もちろんすべての学者がくしゃがこのかんがかた同意どういしているわけではなく、たんに「ファリサイとサドカイ」といういいかたでユダヤじん総称そうしょうしただけという見方みかたもある。

「まむしの」といういいかたはおそらく創世そうせい(3:14)に由来ゆらいするとおもわれる当時とうじ悪口わるぐち定型ていけいであった。「まむしの」といういいかた相手あいて罵倒ばとうする表現ひょうげんは、ここからまれ、シェークスピアが『トロイラスとクレシダ』でもちいているし、サマセット・モームいた『カタリナ』にも用例ようれいられる。

イエスのけた洗礼せんれい[編集へんしゅう]

ルカのなかではイエスはたん群集ぐんしゅう一人ひとりとしてヨハネのもとにいき、ヨハネかあるいはその代理だいりひとから洗礼せんれいける。マタイとマルコではイエスはヨハネのもとに直接ちょくせつおもむき、ヨハネ本人ほんにんから洗礼せんれいける。マタイ福音ふくいんしょではヨハネにたいしてイエスがかた言葉ことばがイエスの最初さいしょ言葉ことばになる。伝統でんとうてきにマタイは新約しんやく聖書せいしょ冒頭ぼうとうかれていたため、このイエスの言葉ことば新約しんやく聖書せいしょ最初さいしょのイエスの言葉ことばとなってきた。このことから聖書せいしょ学者がくしゃたちはこのイエスの「第一声だいいっせい」を重要じゅうようなものとみなし、熱心ねっしん研究けんきゅうしてきた。マタイのなかで、イエスは「ヨハネから洗礼せんれいけるのがただしいこと」だという。これはなぜイエスがわざわざ洗礼せんれいける必要ひつようがあったのかということを説明せつめいするためにから付加ふかされた言葉ことばだとかんがえられている。

ただしいこと」というのはマタイのなかでは重要じゅうよう概念がいねんであり、「かみしたがうこと」と同義どうぎである。マタイは同時どうじ予言よげんが「成就じょうじゅした」といういいかたをするが、イエスがただしいことをおこなうことこそがかみ意思いし成就じょうじゅであるという位置いちづけをしているといえる。

またヨハネがつみのきよめのしるしとしてっていた洗礼せんれいをなぜつみのないイエスがけたのかという疑問ぎもんたいしては伝統でんとうてきつぎのようなこたえがあたえられてきた。

だいいちはイエスが、人間にんげんにとって洗礼せんれいがいかに大切たいせつなものであるかをしめすためにけたというもの。 だいはイエスはぜん人類じんるいつみをあがなうというおおきなプロセスの一部いちぶとして洗礼せんれいけたというもの。

それ以外いがいにもキリスト理解りかいによってさまざまなキリスト教派きょうはにおいてことなるとらかたがされている。マルコやルカとことなり、マタイはイエスがすぐにみずからあがったことを強調きょうちょうする。ロバート・ガンドリー(Robert H.Gundry)は著作ちょさくなかで、ヨハネの洗礼せんれいではそのあと、かわなかつみ告白こくはくをするというながれになっていたが、イエスはつみおかしていないため、すぐにかわからあがったということが強調きょうちょうされているのだと解説かいせつしている。

キリスト教きりすときょうのほとんどの教派きょうはではイエスの洗礼せんれい大切たいせつ出来事できごととしてとらえられているが、イエスの洗礼せんれいになんら意味いみみとめないグループもある。たとえば中世ちゅうせいボゴミルでは洗礼せんれいしゃヨハネはあく手先てさきであったとかんがえ、その洗礼せんれい造物ぞうぶつけがれをイエスにおよぼそうとする邪悪じゃあくこころみだったとみなしていた。このようなかんがかためずらしいものだが、キリストきょうおおくの教派きょうは洗礼せんれい儀式ぎしきで、ヨハネのようにかわおこな洗礼せんれいのやりかた採用さいようせず、マタイ28しょうのくだりや『使徒しとぎょうでん』にあらわれるような洗礼せんれい儀式ぎしき形式けいしきとしてもちいていることは興味深きょうみぶかい。というのもキリスト教きりすときょうのグループのなかにはさい洗礼せんれいのようにイエスがけた洗礼せんれいのやりかた忠実ちゅうじつまもるべきだとかんがえるものもあるのだ。またこのようなグループではイエスが30さい洗礼せんれいけた故事こじから幼児ようじ洗礼せんれいをも否定ひていしている。

かみからのあかし[編集へんしゅう]

福音ふくいんしょによれば、イエスが洗礼せんれいけるとてんひらいて、かみれいばとかたちでくだり、イエスがかみあいするであるというこえこえたという。てんひらいてこえがするという表現ひょうげんはエゼキエルしょ冒頭ぼうとうからとられたものであろう。ふる写本しゃほんでは「てんけて」という部分ぶぶんが「てんかれけて」という表現ひょうげんになっており、しんなか出来事できごとという印象いんしょうあたえる。もしそのようにとらえれば、なぜルカでは居合いあわせた群集ぐんしゅう反応はんのう一切いっさいいていないのかということも説明せつめいがつく。このこえばとかたちでくだるれいとともに新約しんやく聖書せいしょちゅうにおいて三位一体さんみいったいのシンボルをもっとも明快めいかいしめ箇所かしょという見方みかたがされてきた。しかし学者がくしゃたちはキリスト教きりすときょうなか聖霊せいれいという概念がいねん主流しゅりゅうになるのはマタイ福音ふくいんしょかれてからすう世紀せいきのことであるという。ルカではばとかたちをしたれいという表現ひょうげんがはっきりもちいられているが、マタイのいいまわしはそれよりもあいまいなものである。福音ふくいんしょ著者ちょしゃたちがばとというシンボルでなにあらわそうとしていたのかということは聖書せいしょ学者がくしゃたちの研究けんきゅう対象たいしょうとなってきた。

たとえばハワード・クラーク(Howard W Clarke)は『マタイ福音ふくいん読者どくしゃたち』でノアあたらしい土地とちつけるためにばとはなしたことから、これは新生しんせいのシンボルではないかとかんがえる。またオルブライト(W.F Albright)とマン(C.S. Mann)は著書ちょしょ『マタイ』のなかで、ホセアしょにおいてばとがイスラエルの象徴しょうちょうとしてもちいられていることに注目ちゅうもくしている。ギリシャ文化ぶんかではばと清純せいじゅんさの象徴しょうちょうであると同時どうじあいかみアフロディテ象徴しょうちょうとされていた。福音ふくいん記者きしゃばとにこめた意味いみはもはやりえないが、聖霊せいれいばと表現ひょうげんする方法ほうほうがこの箇所かしょ由来ゆらいしていることは間違まちがいがない。