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イタリアりょうソマリランド

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イタリアりょうソマリランド
Somalia Italiana(イタリア
Dhulka Soomaalida ee Talyaaniga
(ソマリ
الصومال الإيطالي(アラビア
ホビョ・スルタン国
マジェルテーン・スルタン国
ゲレディ・スルタン国
1889ねん - 1936ねん イタリア領東アフリカ
ソマリランドの国旗 ソマリランドの国章
国旗こっきくにあきら
国歌こっか: Marcia Reale d'Ordinanza(イタリア
王室おうしつ行進曲こうしんきょく
ソマリランドの位置
イタリアりょうソマリランドの位置いち
公用こうよう イタリア
言語げんご ソマリ
アラビア
首都しゅと モガディシオ
イタリアおう
1889ねん - 1900ねん ウンベルト1せい
1900ねん - 1936ねんヴィットーリオ・エマヌエーレ3せい
変遷へんせん
ホビョ・スルタンこく保護ほごこく 1889ねん2がつ9にち
マジェルテーン・スルタンこく保護ほごこく1889ねん4がつ7にち
ゲレディ・スルタンこく保護ほごこく1902ねん[1]
イタリアりょうソマリランドに1908ねん4がつ30にち
イタリアりょうひがしアフリカ統合とうごう1936ねん6がつ1にち
イギリスによる占領せんりょう1941ねん2がつ26にち
通貨つうかイタリア・リラ
(1889ねん - 1909ねん

ソマリランド・ルピア
(1909ねん - 1925ねん

ソマリランド・リラ
(1925ねん - 1938ねん
現在げんざいソマリアの旗 ソマリア

イタリアりょうソマリランドイタリア: Somalia Italiana)は、19世紀せいき末期まっきから1941ねんだい世界せかい大戦たいせん前後ぜんごまでひがしアフリカ地域ちいき存在そんざいしたイタリア植民しょくみんである。現在げんざいソマリアから、きゅうイギリスりょうソマリランド地域ちいきだった北西ほくせい現在げんざいソマリランドとしてはん独立どくりつ状態じょうたいにある)をのぞいた地域ちいき相当そうとうする。

歴史れきし[編集へんしゅう]

アデン進出しんしゅつしたイギリスが、紅海こうかいからインド洋いんどようへの出口でぐち安全あんぜん確保かくほするため、まずイギリスりょうソマリランド成立せいりつさせた。そして短期間たんきかんのイギリスによる統治とうちのちインド洋いんどよう沿岸えんがん拠点きょてんきずこうと、イタリアがこの地域ちいき進出しんしゅつする。1880年代ねんだいまでに、イタリアは植民しょくみん奨励しょうれい政策せいさくによってインド洋いんどよう沿岸えんがんにいくつかの植民しょくみんきずいていたが、1900ねんころからイギリスりょうソマリランドでモハメド・ビン・アブドラによる反乱はんらん発生はっせいし、イギリスは内陸ないりくからの撤退てったいはじめる。そのあいだにイタリアがインド洋いんどよう沿岸えんがんから内陸ないりくへと勢力せいりょく拡大かくだい、この地域ちいき大半たいはん支配しはいするようになり、沿岸えんがん植民しょくみん内陸ないりく統合とうごうされ、1908ねんまでにイタリアりょうソマリランド成立せいりつした。イギリスは1910ねんまでに内陸ないりくから撤退てったいえている。

だいエチオピア戦争せんそう1936ねん、イタリアりょうソマリランドはエチオピアエリトリアともイタリアりょうひがしアフリカ一部いちぶとなった。だい世界せかい大戦たいせんドイツ同盟どうめいこくとして参戦さんせんしたイタリアは、1940ねんにイギリスりょうソマリランドを占領せんりょう。だがよく1941ねんにはどう地域ちいき奪還だっかんされ、ぎゃくにイギリスがイタリアりょうソマリランドに侵攻しんこう占領せんりょうされた。その1950ねん4がつまで、イギリス軍政ぐんせいがこの地域ちいき統治とうちけん行使こうしすることとなる。1950ねんからはイタリア信託しんたく統治とうちりょうソマリアとなり、1960ねんにイギリスりょうソマリランドとともソマリアとして独立どくりつした。しかし、1991ねんにはきゅうイギリスりょう地域ちいきソマリランドとして独立どくりつ宣言せんげん、ソマリアがわ実効じっこう支配しはいおよんでいない状況じょうきょうにある。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ L'Italia in Africa: serie storica. La politica coloniale dell'Italia negli atti, decumenti e discussioni parlamentari; testo di Giacomo Perticone, e note redanionali di richiam agli atti parlamentari a cura di Guglielmo Guglielmi, pg 246–247

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]