即興 そっきょう (そっきょう、英 えい : Improvisation )は、型 かた にとらわれず自由 じゆう に思 おも うままに作 つく り上 あ げる、作 つく り上 あ げていく動 うご きや演奏 えんそう 、またその手法 しゅほう のこと。インプロヴィゼーション/インプロヴァイゼーション 、アドリブ ともいう。ただしインプロヴァイゼーションとアドリブを厳密 げんみつ に区別 くべつ する者 もの もいる。一般 いっぱん には、音楽 おんがく ・ダンス ・演劇 えんげき の世界 せかい において使用 しよう される語 かたり 。
形式 けいしき による制約 せいやく よりも、演奏 えんそう 時 じ ・演舞 えんぶ 時 じ の知覚 ちかく を優先 ゆうせん とする。
音楽 おんがく ・ダンス などにおける創造 そうぞう の源流 げんりゅう でもあり、作品 さくひん 制作 せいさく 時 じ においても深 ふか く関係 かんけい する。
即興 そっきょう は芸術 げいじゅつ の外 そと にも存在 そんざい する。エンジニアリングにおける即興 そっきょう とは、道具 どうぐ や材料 ざいりょう の問題 もんだい をすぐに解決 かいけつ することである。 即興 そっきょう 武器 ぶき (英語 えいご 版 ばん ) は、ゲリラや反 はん 政府 せいふ 勢力 せいりょく 、犯罪 はんざい 者 しゃ がよく使用 しよう する。
エンジニアリングにおける即興 そっきょう とは、道具 どうぐ や材料 ざいりょう に関 かん する問題 もんだい を即座 そくざ に解決 かいけつ することである。そのような即興 そっきょう の例 れい は、アポロ13号 ごう 宇宙 うちゅう ミッションの間 あいだ 、手持 ても ちの材料 ざいりょう で二酸化炭素 にさんかたんそ スクラバーを再 さい 設計 せっけい したこと、あるいはスクリュードライバーの代 か わりにナイフを使用 しよう してスクリューを回 まわ すなどである。
緊急 きんきゅう 事態 じたい 、禁輸 きんゆ 措置 そち 、製品 せいひん の陳腐 ちんぷ 化 か 、製造 せいぞう 業者 ぎょうしゃ のサポートの喪失 そうしつ 、あるいは単 たん により良 よ い解決 かいけつ 策 さく のための適切 てきせつ な資金 しきん が不足 ふそく しているなどの理由 りゆう により、エンジニアリングの即興 そっきょう が必要 ひつよう になることがある。アフリカの一部 いちぶ 地域 ちいき で自動車 じどうしゃ を使用 しよう する人 ひと たちは、製造 せいぞう 業者 ぎょうしゃ の認可 にんか を受 う けたスペア 部品 ぶひん を入手 にゅうしゅ することが不可能 ふかのう な場合 ばあい に、即席 そくせき の解決 かいけつ 策 さく を開発 かいはつ する。
MacGyver という人気 にんき テレビ番組 ばんぐみ は、日常 にちじょう の材料 ざいりょう やスイス製 せい アーミーナイフ、ダクトテープ などのジュリー・リギング (英語 えいご 版 ばん ) のデバイスを操作 そうさ することで、ほぼすべての問題 もんだい を解決 かいけつ できるヒーローをギミックとして使 つか った。
即興 そっきょう は、多 おお くの俳優 はいゆう にとって、一般 いっぱん 的 てき なツールである。それは劇 げき と、高校 こうこう や大学 だいがく の演劇 えんげき のクラスを繋 つな ぎとめるものである。群 ぐん を抜 ぬ いて優 すぐ れていると目 め される コンスタンチン・スタニスラフスキー の演劇 えんげき 理論 りろん によると、俳優 はいゆう があるシーンを即興 そっきょう で演 えん じるには、彼 かれ (彼女 かのじょ )自身 じしん の直感 ちょっかん を信 しん じられなければならないという。スタニスラフスキーによれば、俳優 はいゆう は、演 えん じるキャラクターの内 うち なるまたは外 そと なる刺激 しげき への反応 はんのう を、彼 かれ (彼女 かのじょ )自身 じしん の直感 ちょっかん によって決 き めなければならないという。即興 そっきょう を通 つう じてこそ、演技 えんぎ ・演 えん じる動 うご きについて、 mugging や indicating を使 つか うかわりに、俳優 はいゆう は自身 じしん の直感 ちょっかん を信 しん じることを学 まな ぶことが出来 でき る(メソッド演技 えんぎ 法 ほう 参照 さんしょう )。即興 そっきょう はまた、役 やく への集中 しゅうちゅう にも有用 ゆうよう である。明 あき らかに、何 なに が起 お ころうとも許 ゆる される環境 かんきょう では、難 むずか しく、緊張 きんちょう の多 おお い状況 じょうきょう であっても、俳優 はいゆう は一貫 いっかん して集中 しゅうちゅう 力 りょく を保 たも ちやすい。集中 しゅうちゅう は、演劇 えんげき を学 まな ぶ授業 じゅぎょう (クラス)と共同 きょうどう 研究 けんきゅう (ワークショップ )を繋 つな ぎとめるものである。集中 しゅうちゅう は、俳優 はいゆう がシーンやアクションに集中 しゅうちゅう しやすくする核心 かくしん である。即興 そっきょう を維持 いじ し続 つづ けることに失敗 しっぱい した俳優 はいゆう は、blocking といわれる。
ヨーロッパの古典 こてん ダンスであるバレエ では、全 すべ ての動 うご きは計算 けいさん されており即興 そっきょう の余地 よち はほとんどなかった。即興 そっきょう を明示 めいじ 的 てき に取 と り込 こ むようになったのは、19世 せい 期 き 末 まつ から始 はじ まったモダンダンス においてである。ロイ・フラー やマリー・ヴィグマン 、en:Rudolf von Laban などが代表 だいひょう 的 てき である。Contact Improvisation の形式 けいしき が作 つく られたのは1972年 ねん 頃 ごろ になり、今 いま では世界中 せかいじゅう で練習 れんしゅう されている。Contact Improvisation は、もともとは1970年代 ねんだい のスティーヴ・パクストン のen:movement studies から生 う まれたもので、 ジャドソン・ダンス・シアター によって続 つづ けられた探求 たんきゅう によって開発 かいはつ された。重量 じゅうりょう 、パートナー、演技 えんぎ を分 わ かち合 あ う、ことに基 もと づくもので、予期 よき しない成果 せいか を生 う む。
能 のう は元来 がんらい はすべて即興 そっきょう で演 えん じられるものであり、舞 まい は囃子 はやし とともに創出 そうしゅつ されてきた経緯 けいい がある。世阿弥 ぜあみ の時代 じだい には型 かた は重視 じゅうし されていなかったといわれている。歌舞伎 かぶき においても、流派 りゅうは によっては日本 にっぽん 舞踊 ぶよう においても即興 そっきょう 感覚 かんかく は創造 そうぞう 性 せい ある舞台 ぶたい に必要 ひつよう とされる。近年 きんねん では前衛 ぜんえい 舞踊 ぶよう 家 か 土方 ひじかた 巽 たつみ を中心 ちゅうしん としたいわゆる舞踏 ぶとう において、即興 そっきょう は重要 じゅうよう な技法 ぎほう のひとつとされ、即興 そっきょう をスタイルとする代表 だいひょう 的 てき な舞踏 ぶとう 家 か に大野 おおの 一雄 かずお 、笠井 かさい 叡 あきら 、田中 たなか 泯 、岩名 いわな 雅 みやび 記 き らがいる。
現代 げんだい ではコンテンポラリーを含 ふく む独自 どくじ の技法 ぎほう で踊 おど る現代 げんだい 舞踊 ぶよう 手 しゅ たちによって即興 そっきょう 舞踊 ぶよう の公演 こうえん が増 ふ えている。その場合 ばあい 、楽曲 がっきょく を流 なが して背景 はいけい 音 おん とすることの多 おお い舞踏 ぶとう と違 ちが って即興 そっきょう 演奏 えんそう 家 いえ と共演 きょうえん することも多 おお い。また背景 はいけい 曲 きょく なしの無音 むおん で即興 そっきょう に踊 おど る舞踏 ぶとう 家 か やダンサーもいる。
映画 えいが 監督 かんとく マイク・リー は、映画 えいが のキャラクター やストーリーラインを作 つく るのに、何 なん 週間 しゅうかん にも渡 わた る長々 ながなが とした即興 そっきょう を使 つか う。彼 かれ は物事 ものごと をどのように捉 とら えるかのアイデアのスケッチをいくつか用意 ようい して映画 えいが を撮 と り始 はじ め、物語 ものがたり は作 つく られていくが、役 やく へ託 たく した彼 かれ の意図 いと は、俄 にわか かには明 あき らかにされない。キャラクターが自身 じしん の宿命 しゅくめい を知 し り、スクリーンには映 うつ し出 だ されていない彼 かれ らの人生 じんせい の別 べつ の重要 じゅうよう な側面 そくめん も含 ふく め、運命 うんめい に対 たい してどう振 ふ る舞 ま っていくかが、次第 しだい に明 あき らかにされていく。最後 さいご に、映画 えいが は、即興 そっきょう を撮 と っていたときの対話 たいわ やアクションを描 えが き出 だ して終 お わる。
即興 そっきょう はまた、世界中 せかいじゅう の劇場 げきじょう で演 えん じられている。ドラマチックな意図 いと で演 えん じられることもあるが、多 おお くの場合 ばあい 、コメディ の要素 ようそ として演 えん じられる。最 もっと も有名 ゆうめい なものは、シカゴ のセカンド・シティ (The Second City )である。セカンド・シティには、Viola Spolin や Paul Sills 、Del Close 、Keith Johnstone のような、即席 そくせき に演 えん じる演 えん じ方 かた のメソッドを作 つく ったパイオニア達 たち がいた。彼 かれ らはしばしば、驚 おどろ くべきキャラクターと態度 たいど で、おかしなシーンを大胆 だいたん に即興 そっきょう で演 えん じた。
1990年代 ねんだい 、「Whose Line Is It Anyway? 」というテレビ番組 ばんぐみ は、 ショートフォーム (en:Improvisational theatre#Improvisational comedy )というコメディの即興 そっきょう 形式 けいしき を普及 ふきゅう させた。オリジナルはイギリス のものだが、後 のち にアメリカ で Drew Carey をホストに迎 むか えた番組 ばんぐみ でリバイバルし、人気 にんき が出 で た。最近 さいきん では、HBO の「Curb Your Enthusiasm 」(ジェリー・サインフェルド 主演 しゅえん 、共同 きょうどう 制作 せいさく Larry David )や Bravo シリーズの「Significant Others」などが、即興 そっきょう を使 つか って、ドラマチックな味 あじ わいを強 つよ めながら、長時間 ちょうじかん 番組 ばんぐみ を作 つく りだしている。即興 そっきょう に基 もと づくまた別 べつ の番組 ばんぐみ には i の「World Cup Comedy」がある。カナダ には、オーストラリア のテレビ番組 ばんぐみ シリーズ Going Home を基 もと にした Global Television のメロドラマ 「Train 48 」が、即興 そっきょう の形式 けいしき を使 つか い、プロットに書 か かれたアウトラインを元 もと に、対話 たいわ 劇 げき で俳優 はいゆう が即興 そっきょう を演 えん じている。
いくつかの ロールプレイングゲーム (テーブルトークRPG 、コンピュータRPG )は、しばしばうわべだけの即興 そっきょう を含 ふく む。プレイヤーが演 えん じるキャラクターは予 あらかじ め決 き められているが、他 た のプレイヤーやゲームの中 なか で起 お こるイベントへの反応 はんのう は、即興 そっきょう を含 ふく む。そのキャラクターの演技 えんぎ の深 ふか みに興味 きょうみ を示 しめ す人 ひと たちもいる。純粋 じゅんすい に戦闘 せんとう シーンや game mechanic を楽 たの しむ人 ひと たちがいる一方 いっぽう で、それよりもキャラクターの情熱 じょうねつ 的 てき で機知 きち に富 と んだ当意即妙 とういそくみょう のやりとりに感情 かんじょう 移入 いにゅう し、凝 こ った筋書 すじが きを楽 たの しむ人 ひと たちがいる。
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