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演劇えんげき

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げきから転送てんそう
主人しゅじん奴隷どれいやくえんじているところがえがかれた 古代こだいギリシアつぼ紀元前きげんぜん350ねんころ)。
劇場げきじょう建物たてもの内部ないぶステージ客席きゃくせき
モリエールの『町人ちょうにん貴族きぞく』が舞台ぶたいえんじられている様子ようす (Moreau le jeune
シェイクスピアヴェニスの商人しょうにん』の、かつての上演じょうえん様子ようす再現さいげんした

演劇えんげき(えんげき、英語えいご: theatre, theater)とは、観客かんきゃくたいし、俳優はいゆう舞台ぶたいうえ身振みぶ台詞せりふなどによって、物語ものがたり人物じんぶつなどを形象けいしょうし、えんじてせる芸術げいじゅつのこと。俳優はいゆう観客かんきゃくまえにして、舞台ぶたいじょう思想しそう感情かんじょうなどを表現ひょうげん伝達でんたつしようとする一連いちれん行為こういであり、それらを鑑賞かんしょうする目的もくてきもある。

演劇えんげきは「芝居しばい」ともいわれる。「芝居しばい」は劇場げきじょうがかつては野外やがいにあるのが一般いっぱんてきで、観客かんきゃくしばすわって観劇かんげきしたことに由来ゆらいするという[1]。「舞台ぶたい」といわれることもおおい。

概説がいせつ

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演劇えんげきとは、生身なまみ俳優はいゆう舞台ぶたいうえ仕草しぐさ身振みぶり、表情ひょうじょう台詞せりふなどをもちいて演技えんぎし、物語ものがたり人物じんぶつなどを観客かんきゃくたいしてせる芸術げいじゅつである。大抵たいていは、作者さくしゃげき作家さっか)が筋書すじがき(戯曲ぎきょく台本だいほん)をき、それにもとづき俳優はいゆう舞台ぶたいじょう台詞せりふ動作どうさなどをもちいてえん表現ひょうげんする。

また、演劇えんげきおおくには演出えんしゅつしゃ演出えんしゅつ)がいて、劇作げきさくじゅつにもとづいて俳優はいゆう指導しどうする。舞台ぶたい装置そうち照明しょうめい音楽おんがく音響おんきょうなども総合そうごうてきもちいて効果こうかをあげる。ゴードン・グレイグ演劇えんげきを「背景はいけい舞台ぶたい装置そうち照明しょうめいなどの「舞台ぶたい」)とおと俳優はいゆうはっするこえ音楽おんがく音響おんきょう)がりなすものである」とし、演劇えんげき総合そうごう芸術げいじゅつであるととらえた[2]。このように、もちいられる芸術げいじゅつ分野ぶんや多岐たきわたり、音楽おんがく舞踊ぶよう舞台ぶたい音響おんきょう舞台ぶたい照明しょうめい舞台ぶたい美術びじゅつ舞台ぶたい機構きこうときには観客かんきゃくせきがわふくめた劇場げきじょううち空間くうかん、さらには劇場げきじょう建築けんちくぶつとしてのデザインにまでいたることもある。演劇えんげきのためにげき作家さっか執筆しっぴつする戯曲ぎきょくは、単体たんたいでも文学ぶんがく作品さくひんとなりうる。

演劇えんげき起源きげん歴史れきし

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起源きげん

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演劇えんげき起源きげんには諸説しょせつある。

  • 人類じんるい本能ほんのうてきっている模倣もほうへの興味きょうみであるとの推察すいさつによるせつ[3]小林こばやし愛雄よしお)。
  • 呪術じゅじゅつ宗教しゅうきょうてき儀式ぎしき発展はってん演劇えんげきとなっていたせつ

古代こだいギリシアにおいては、悲劇ひげき競演きょうえんおこなわれるだいディオニュシアさいは、かみディオニュソスたたえる祭儀さいぎとしての側面そくめんをもっていた[4]。また呪術じゅじゅつ宗教しゅうきょうてき儀式ぎしきには、行為こうい現象げんしょう模倣もほうやその再現さいげん重要じゅうよう要素ようそとしてふくまれていることもおおい。

歴史れきし

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西洋せいよう演劇えんげき淵源えんげんは、古代こだいギリシアにもとめられる。紀元前きげんぜん5世紀せいきにはギリシア演劇えんげきアテナイにおいて最盛さいせいむかえ、アイスキュロスソポクレスエウリピデスさんだい作家さっか中心ちゅうしんとするギリシア悲劇ひげきや、アリストパネスなどによるギリシア喜劇きげき成立せいりつした[5]紀元前きげんぜん4世紀せいきはいるとギリシア演劇えんげき沈滞ちんたいしたものの、その作品さくひんなが地中海ちちゅうかい一帯いったい上演じょうえんされつづけた[6]古代こだいローマにおいてもギリシア演劇えんげき影響えいきょうけて演劇えんげきさかんにおこなわれ、各地かくちローマ劇場げきじょう建設けんせつされたものの、マ帝国まていこく衰退すいたいキリスト教きりすときょう影響えいきょうによって古代こだい演劇えんげきもまた衰退すいたいしていった[7]

その、10世紀せいきはいるとキリスト教きりすときょう影響えいきょうもと宗教しゅうきょうげき記録きろく文献ぶんけんあらわれるようになり[8]、13世紀せいきからは宗教しゅうきょうげき主体しゅたいとする中世ちゅうせい演劇えんげき隆盛りゅうせいむかえる[9]ルネサンスはじまると人文じんぶん主義しゅぎしゃらによって古代こだい演劇えんげき台本だいほんさい発見はっけんされ、また活版かっぱん印刷いんさつ発明はつめいによって台本だいほん大量たいりょう生産せいさん可能かのうとなったために演劇えんげきおおきく変化へんかすることとなった[10]。16世紀せいきまつにはイタリアにおいてオペラ誕生たんじょうし、ヨーロッパ各地かくちひろまってさかんに催行さいこうされるようになった[11]

演劇えんげき要素ようそ

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演劇えんげき要素ようそとして、伝統でんとうてきには俳優はいゆう戯曲ぎきょく観客かんきゃくみっつがげられてきた(演劇えんげきさん要素ようそ[12][1]。これに劇場げきじょうくわえて演劇えんげきよん要素ようそとすることもある[1]歴史れきしてきには初期しょき演劇えんげきには彼我ひが区別くべつがなく、たとえば古代こだいギリシャ演劇えんげき初期しょき段階だんかいでは観客かんきゃくはおらず全員ぜんいん参加さんかがた共同きょうどう行為こういであった[12]

演劇えんげき台本だいほんそのままではなく、観客かんきゃくまえおこなわれることで成立せいりつする性質せいしつ演劇えんげき現前げんぜんせい(presence)とばれる[12]演劇えんげき収録しゅうろくしたビデオは演劇えんげきそのものではなく演劇えんげき記録きろく作品さくひんとされる[12]ウィリアム・シェイクスピア作品さくひん世界中せかいじゅう上演じょうえんされているが、おな台本だいほんであっても解釈かいしゃくことなればべつ作品さくひんとなる[12]。ウィリアム・シェイクスピアやジャン・ラシーヌ作品さくひん特設とくせつスタジオで映画えいが製作せいさく手法しゅほう記録きろくした作品さくひんもあるが、これらは演劇えんげきとはことなるあたらしい形態けいたい映像えいぞう芸術げいじゅつとみなされている[12]

また、演劇えんげき映画えいがのように複製ふくせいてき機械きかいてきかえされることができない「一回いっかいせい」の芸術げいじゅつである[1]毎回まいかい舞台ぶたい微妙びみょうちがい、おな芝居しばい二度にどとないことから、演劇えんげき本質ほんしつてきいちかいせいともばれている[1][12]

演劇えんげき上演じょうえん

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シチェチンなつ劇場げきじょう, ポーランド

古典こてん歌舞伎かぶきなどの場合ばあいは、セリフやうごきがかたにはまっており、幼少ようしょうからの稽古けいこ演目えんもく演技えんぎの「かた」が役者やくしゃ身体しんたいいているためか、(上演じょうえん直前ちょくぜんの)稽古けいこ期間きかん数日すうじつであるという。新作しんさく歌舞伎かぶきでも、その稽古けいこ期間きかん現代げんだいげきくらべて圧倒的あっとうてきみじかい。また、古典こてん歌舞伎かぶき演出えんしゅつはいない。

現代げんだい演劇えんげき場合ばあい上演じょうえんまえながれは、演目えんもく決定けってい、オーディションまたはオファーで演者えんじゃ決定けってい顔合かおあわせ(演出えんしゅつ演者えんじゃなどスタッフ一同いちどう)、稽古けいこ(セリフ)、稽古けいこ演技えんぎ)、とお稽古けいこ集中しゅうちゅう稽古けいことう稽古けいこて、小屋こやり(公演こうえんする劇場げきじょうへ)。仕込しこみ(劇場げきじょう準備じゅんび)、場当ばあたり(衣装いしょう、メイク、音響おんきょう照明しょうめい)、ゲネプロ(舞台ぶたいセットでの予行よこう)などの行程こうていをへて本番ほんばん公演こうえんとなる。これらの公演こうえんまえ準備じゅんび期間きかん通常つうじょう1 - 2かげつである[13]

最初さいしょ開演かいえんを「初日しょにち」といい、(上演じょうえん期間きかんなが場合ばあい、ほぼ中間ちゅうかんたる上演じょうえんを「中日ちゅうにち(なかび)」といい)、最終さいしゅう公演こうえんを「千秋楽せんしゅうらく」という。

演劇えんげき分類ぶんるい

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物語ものがたり内容ないようによる分類ぶんるい

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おも戯曲ぎきょく内容ないよう展開てんかい)による分類ぶんるいである。ただしなにをもって悲劇ひげきとするか、喜劇きげきとするかの明確めいかく基準きじゅんはない。たとえば一般いっぱんに、主人公しゅじんこうなどかなしい物語ものがたり展開てんかいされる作品さくひん悲劇ひげきとされる。古代こだいギリシャの『オイディプスおう』やシェイクスピアの『マクベス』などがそのいちれいである。シェイクスピアの作品さくひんには「よんだい悲劇ひげき」とばれるものもある。一方いっぽうで、祝祭しゅくさいてき様相ようそうちたシェイクスピア『すまま』は喜劇きげきとされる。

一方いっぽうで、物語ものがたりドラマがなく、登場とうじょう人物じんぶつ打開だかい不可能ふかのう空間くうかんかれる物語ものがたり不条理ふじょうりげき[14]代表だいひょうてきげき作家さっかサミュエル・ベケットハロルド・ピンターなどである。また、こうした西洋せいよう演劇えんげき手法しゅほう反抗はんこうし、日本にっぽん平田ひらたオリザは「しずかな演劇えんげき」を提唱ていしょうした。これは日常にちじょう会話かいわにドラマせいもとめるものであり[15]現代げんだい演劇えんげきいちジャンルとなっている会話かいわげき根源こんげんとなっている。

演出えんしゅつ手法しゅほう表現ひょうげん手法しゅほう)による分類ぶんるい

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文楽ぶんらく

時代じだいによる分類ぶんるい

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えんしゅによる分類ぶんるい

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現代げんだい日本にっぽんでは、プロによる演劇えんげき商業しょうぎょう演劇えんげき、アマチュアによる演劇えんげきしょう劇場げきじょう演劇えんげきぶことがおおい。

演劇えんげきさい

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コンクール

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演劇えんげきをテーマとした作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e 要点ようてん日本にっぽん演劇えんげき明治めいじから現代げんだいへ~”. しん国立こくりつ劇場げきじょう 情報じょうほうセンター. 2023ねん4がつ14にち閲覧えつらん
  2. ^ 俳優はいゆうちょう人形にんぎょうゴードン・グレイグわけ 武田たけだきよし而立じりつ書房しょぼう、2012ねん
  3. ^ 西洋せいよう演劇えんげき小林こばやし愛雄よしお、アカギ叢書そうしょ だい44へん、1914ねん
  4. ^ 「138おくねん音楽おんがく」p126-127 うらひさ俊彦としひこ 講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ 2016ねん7がつ20日はつかだい1さつ
  5. ^ 演劇えんげき歴史れきし白水しろみずしゃ, p. 21-24.
  6. ^ 演劇えんげき歴史れきし白水しろみずしゃ, p. 24-25.
  7. ^ 演劇えんげき歴史れきし白水しろみずしゃ, p. 33.
  8. ^ 演劇えんげき歴史れきし白水しろみずしゃ, p. 35.
  9. ^ 演劇えんげき歴史れきし白水しろみずしゃ, p. 37.
  10. ^ 演劇えんげき歴史れきし白水しろみずしゃ, p. 53-54.
  11. ^ 増補ぞうほ改訂かいていばん はじめての音楽おんがく 古代こだいギリシアの音楽おんがくから日本にっぽん現代げんだい音楽おんがくまで』 p53-59 音楽之友社おんがくのともしゃ 2009ねん4がつ10日とおかだい1さつ
  12. ^ a b c d e f g 安藤あんどう隆之たかゆき演劇えんげきとはなに」『文化ぶんか科学かがく研究けんきゅうだい11かんだい1ごう中京大学ちゅうきょうだいがく先端せんたん共同きょうどう研究けんきゅう機構きこう文化ぶんか科学かがく研究所けんきゅうじょ、1999ねん12月31にち、1-16ぺーじISSN 0915-6461NAID 110004648957CRID 1050282812997318272 
  13. ^ しばいのまち 舞台ぶたいはじまりからわりまでのながれをつかもう~役者やくしゃへん~」
  14. ^ 現代げんだい演劇えんげき地層ちそう―フランス不条理ふじょうりげき生成せいせい基盤きばんさぐる』小田中おだなか章浩あきひろ、ぺりかんしゃ、2010ねん
  15. ^ "しずかな演劇えんげき現代げんだい美術びじゅつ用語ようご辞典じてん" DNP Museum Information Japan, 2018ねん2がつ15にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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