ヘレニズム 期 き の劇場 げきじょう (エピダウロス )
古代 こだい ギリシアの演劇 えんげき (こだいギリシアのえんげき)または古代 こだい ギリシア劇 げき (こだいギリシアげき)は、紀元前 きげんぜん 550年 ねん ごろから紀元前 きげんぜん 220年 ねん ごろの古代 こだい ギリシア で花開 はなひら いた演劇 えんげき 文化 ぶんか である。
都市 とし 国家 こっか アテナイ は当時 とうじ の文化 ぶんか 、政治 せいじ 、軍事 ぐんじ の中心 ちゅうしん 地 ち であり、そこでディオニューソス 神 かみ の祭 まつ りであるディオニューシア祭 さい の一部 いちぶ として演劇 えんげき を上演 じょうえん することが制度 せいど 化 か された。そこで生 う まれたのが、悲劇 ひげき (紀元前 きげんぜん 6世紀 せいき 末 まつ )、喜劇 きげき (紀元前 きげんぜん 486年 ねん )、サテュロス劇 げき という3つの戯曲 ぎきょく のジャンル である。文化 ぶんか 的 てき 一体 いったい 感 かん を醸 かも しだすため、アテナイは植民 しょくみん 地 ち や同盟 どうめい 国 こく にこの祭 まつ りを積極 せっきょく 的 てき に広 ひろ めた。西洋 せいよう の演劇 えんげき はアテナイに発祥 はっしょう し、その戯曲 ぎきょく は西洋 せいよう 文明 ぶんめい 全体 ぜんたい に大 おお きな影響 えいきょう を与 あた え続 つづ けた。
ギリシア悲劇 ひげき を意味 いみ する "tragedy" という単語 たんご はギリシア語 ご の τ たう ρ ろー α あるふぁ γ がんま ῳδία (tragoidia ) に由来 ゆらい し、これは2つの単語 たんご τράγος (tragos , 「ヤギ」) と ᾠδή (ode , 「歌 うた 」) を組 く み合 あ わせたかばん語 ご である。また、後者 こうしゃ の単語 たんご は ἀείδειν (aeidein , 「歌 うた う」) から派生 はせい した単語 たんご である[1] 。この語源 ごげん は、古代 こだい のディオニューソス信仰 しんこう の慣習 かんしゅう との関係 かんけい を暗 あん に示 しめ しているともされる。しかし、その儀礼 ぎれい が悲劇 ひげき や喜劇 きげき の成立 せいりつ にどう関 かか わっているかはよく分 わ かっていない[2] 。
ギリシア悲劇 ひげき は、紀元前 きげんぜん 532年 ねん の数 すう 年 ねん 前 まえ にアテナイで生 う まれたとされており、テスピス が最古 さいこ の劇 げき 作家 さっか として記録 きろく されている。テスピスはアテナイ初 はつ の演劇 えんげき コンテストの優勝 ゆうしょう 者 しゃ であり、アッティカ とその周辺 しゅうへん で主 おも に地方 ちほう のディオニューシア祭 さい で合唱 がっしょう されるディテュランボス の exarchon (リーダー)だった[3] 。テスピスの時代 じだい にはディテュランボスはその信仰 しんこう 的 てき 起源 きげん からかなり発展 はってん し、かけ離 はな れたものになっていた。英雄 えいゆう 叙事詩 じょじし 、ドーリア風 ふう の合唱 がっしょう 抒情詩 じょじょうし 、詩人 しじん アリオンの革新 かくしん といったものに影響 えいきょう を受 う け、物語 ものがたり 的 てき あるいはバラッド 的 てき ジャンルになっていた。テスピスはディテュランボスから悲劇 ひげき への転換 てんかん の最後 さいご の一 いち 押 お しをしたと思 おも われる。それは、物語 ものがたり を全 すべ て合唱 がっしょう で歌 うた うのではなく、一人 ひとり の人物 じんぶつ を追加 ついか してその人物 じんぶつ が自 みずか ら台詞 せりふ をしゃべるようにしたものだった。このためテスピスはよく「悲劇 ひげき の父 ちち 」と呼 よ ばれるが、その信憑 しんぴょう 性 せい には疑問 ぎもん が呈 てい されており、ギリシア悲劇 ひげき の作者 さくしゃ を年代 ねんだい 順 じゅん に並 なら べたときに16番目 ばんめ とされることもある。例 たと えば政治 せいじ 家 か のソロン は、登場 とうじょう 人物 じんぶつ が自 みずか らの声 こえ で話 はな す詩 し を書 か いたと言 い われており、ホメーロス の叙事詩 じょじし を暗唱 あんしょう するラプソドス は紀元前 きげんぜん 534年 ねん より以前 いぜん には祭 まつ りでよく見 み られた[4] 。従 したが って、テスピスの戯曲 ぎきょく の進歩 しんぽ についての寄与 きよ は不明瞭 ふめいりょう としか言 い えないが、彼 かれ の名 な は役者 やくしゃ 全般 ぜんぱん を指 さ す "thespian" という単語 たんご に残 のこ っている。
戯曲 ぎきょく 的 てき な公演 こうえん がアテナイ人 じん にとって重要 じゅうよう だったことは、都市 とし のディオニューシア祭 さい にて悲劇 ひげき の競技 きょうぎ 会 かい が行 おこな われたことからも明 あき らかである。クレイステネス がその少 すこ し前 まえ に定 さだ めたアッティカ の部族 ぶぞく の結束 けっそく を強 つよ めるという意味 いみ もあったとされている。祭 まつ りでの悲劇 ひげき のコンテストは紀元前 きげんぜん 508年 ねん ごろから制度 せいど 化 か された。紀元前 きげんぜん 6世紀 せいき の悲劇 ひげき の脚本 きゃくほん は現存 げんそん していないが、テスピスの3人 にん のライバルの名 な (Choerilus、プラティナス、プリュニコス )はわかっている。彼 かれ らはそれぞれギリシア悲劇 ひげき の発展 はってん に何 なん らかの形 かたち で貢献 こうけん している。
プリュニコスについては若干 じゃっかん わかっていることがある。彼 かれ は紀元前 きげんぜん 511年 ねん から紀元前 きげんぜん 508年 ねん の間 あいだ に初 はじ めてコンテストで優勝 ゆうしょう した。彼 かれ は、「ダナオス の娘 むすめ たち」、「フェニキア人 じん 女性 じょせい 」、「アルケースティス 」といった全盛期 ぜんせいき にも多用 たよう されたテーマの悲劇 ひげき を生 う み出 だ した。彼 かれ は史実 しじつ を詩 し の主題 しゅだい とした最初 さいしょ の詩人 しじん でもある。紀元前 きげんぜん 493年 ねん から492年 ねん の作品 さくひん 「ミレトゥス の陥落 かんらく 」はペルシャ人 じん に征服 せいふく された後 のち のミレトゥスの町 まち の運命 うんめい を記 しる したものである(前年 ぜんねん までイオニアの反乱 はんらん が起 お きていた)。ヘロドトス は「アテナイの人々 ひとびと はミレトゥスの出来事 できごと に深 ふか い悲 かな しみを抱 だ いていた。特 とく にプリュニコスの「ミレトゥスの陥落 かんらく 」と題 だい した演劇 えんげき が上演 じょうえん されると、劇場 げきじょう 全体 ぜんたい に泣 な き声 ごえ が充満 じゅうまん した。彼 かれ らはプリュニコスがあの大 だい 災厄 さいやく を思 おも い出 だ させたとして千 せん ドラクマの罰金 ばっきん を科 か し、その演劇 えんげき を永久 えいきゅう に上演 じょうえん 禁止 きんし とした」と記 しる している[5] 。また、プリュニコスは演劇 えんげき に女性 じょせい のキャラクターを初 はじ めて登場 とうじょう させたと言 い われている(演 えん じたのは男性 だんせい )[6] 。
ヘレニズム時代 じだい になるまで、悲劇 ひげき はディオニューソスに捧 ささ げられる形 かたち で書 か かれ、一 いち 度 ど だけ上演 じょうえん された。そのため、後 のち に古 ふる い戯曲 ぎきょく を再演 さいえん するようになったとき十 じゅう 分 ふん に記憶 きおく されていた作品 さくひん だけが後世 こうせい に伝 つた えられている。
紀元前 きげんぜん 480年 ねん 、ペルシャ帝国 ていこく がアテナイ 市街 しがい を破壊 はかい した後 のち 、街 まち とアクロポリスの再建 さいけん の際 さい に劇場 げきじょう が作 つく られ、演劇 えんげき がアテナイの文化 ぶんか に重要 じゅうよう な位置 いち を占 し めるようになった。この世紀 せいき はギリシアの演劇 えんげき にとっての全盛期 ぜんせいき となった。ディオニューシア祭 さい は毎年 まいとし 、冬 ふゆ と春 はる に一 いち 回 かい ずつ行 おこな われ、その最大 さいだい のイベントとして3人 にん の劇 げき 作家 さっか の作品 さくひん をディオニューソス劇場 げきじょう で上演 じょうえん して競 きそ わせた。それぞれの劇 げき 作家 さっか が3本 ほん の悲劇 ひげき と1本 ほん のサテュロス劇 げき (神話 しんわ を主題 しゅだい とする喜劇 きげき 的 てき なバーレスク )を出品 しゅっぴん する。紀元前 きげんぜん 486年 ねん からは、喜劇 きげき も出品 しゅっぴん されるようになった[7] 。アリストテレス によれば、アイスキュロス が2人 ふたり 目 め の俳優 はいゆう を追加 ついか し、ソポクレス が3人 にん 目 め の俳優 はいゆう を追加 ついか したという。古代 こだい ギリシア劇 げき では、演者 えんじゃ が3人 にん を越 こ えることはなかった[8] 。
ギリシア悲劇 ひげき とギリシア喜劇 きげき は全 まった く異 こと なるものとみなされ、両方 りょうほう を融合 ゆうごう した劇 げき が作 つく られることはなかった。サテュロス劇 げき は悲劇 ひげき が扱 あつか う神話 しんわ を主題 しゅだい とするが、純粋 じゅんすい に喜劇 きげき 的 てき 作法 さほう で書 か かれている。しかし、アテナイの一 いち 世紀 せいき 以上 いじょう に渡 わた る全盛期 ぜんせいき を経 へ て書 か き継 つ がれてきたとき、ソポクレスやエウリピデス といった劇 げき 作家 さっか が同 おな じように作品 さくひん を分類 ぶんるい していたかどうかは不明 ふめい である。
ペロポネソス戦争 せんそう でスパルタ側 がわ に敗北 はいぼく したことでアテナイの力 ちから は弱 よわ まった。その後 ご 、劇場 げきじょう では古 ふる い悲劇 ひげき の再演 さいえん が行 おこな われるようになった。演劇 えんげき の伝統 でんとう は全盛期 ぜんせいき ほどの勢 いきお いを失 うしな っていたが、古代 こだい ギリシア劇 げき はヘレニズム 期 き (アレクサンドロス3世 せい が紀元前 きげんぜん 4世紀 せいき にギリシアを征服 せいふく した後 のち の時代 じだい )にも続 つづ いた。ただし、ヘレニズム期 き の演劇 えんげき の中心 ちゅうしん は悲劇 ひげき ではなく「新 しん 喜劇 きげき 」となり、一般 いっぱん 市民 しみん の生活 せいかつ の中 なか の滑稽 こっけい なエピソードを扱 あつか うようになった。この時期 じき の有名 ゆうめい な劇 げき 作家 さっか としてはメナンドロス ぐらいしかいない。新 しん 喜劇 きげき はローマ喜劇 きげき に影響 えいきょう を与 あた えたという意味 いみ で重要 じゅうよう である。その影響 えいきょう はプラウトゥス やテレンティウス の現存 げんそん する作品 さくひん に見 み て取 と れる。
古代 こだい ギリシア劇 げき には最大 さいだい 50人 にん ほどのコロス (合唱 がっしょう 隊 たい )が付 つ き物 もの で、朝 あさ から夕方 ゆうがた まで音楽 おんがく を伴 ともな う韻文 いんぶん で劇 げき を上演 じょうえん した[9] 。演劇 えんげき を行 おこな う場所 ばしょ は単純 たんじゅん な半円 はんえん 形 がた の空間 くうかん 「オルケーストラ (orchestra)」で、そこでコロスが踊 おど り歌 うた う。オルケーストラの大 おお きさは直径 ちょっけい が78フィート(約 やく 24メートル)前後 ぜんこう で、丘 おか の麓 ふもと の平 たい らな場所 ばしょ を使 つか い、丘 おか の斜面 しゃめん を「テアトロン (theatron)」と呼 よ ばれる観客 かんきゃく 席 せき とした。後 のち に、テアトロンとオルケーストラと「スケーネ (skené)」と呼 よ ばれる背後 はいご の壁 かべ を全 すべ てひっくるめて "theatre" と呼 よ ぶようになった。コロスのリーダーを choragos と呼 よ び、劇 げき の登場 とうじょう 人物 じんぶつ と対話 たいわ できるキャラクターとして劇 げき 中 ちゅう に参加 さんか することがあった。
古代 こだい の劇場 げきじょう の概念 がいねん 図 ず 。用語 ようご はギリシア語 ご とラテン語 らてんご で書 か かれている。
合唱 がっしょう 隊 たい も含 ふく めて大 だい 人数 にんずう が舞台 ぶたい に上 あ がり、観客 かんきゃく も最大 さいだい 14,000人 にん ほど収容 しゅうよう できるようにするため、劇場 げきじょう はかなり大 おお きなものだった。そうした劇場 げきじょう の建設 けんせつ にあたっては数学 すうがく が重要 じゅうよう であり、設計 せっけい 者 しゃ は音響 おんきょう も考慮 こうりょ して演者 えんじゃ の声 こえ が最 さい 後列 こうれつ の観客 かんきゃく 席 せき まで含 ふく めた劇場 げきじょう 全体 ぜんたい に響 ひび くようにする必要 ひつよう があった。古代 こだい ギリシアの音響 おんきょう 技術 ぎじゅつ は現代 げんだい の最先端 さいせんたん と比較 ひかく しても勝 まさ るとも劣 おと らないものだった。当初 とうしょ の観客 かんきゃく 席 せき は木製 もくせい だったが、紀元前 きげんぜん 499年 ねん ごろに丘 おか の斜面 しゃめん に石 いし のブロックを埋 う め込 こ むようになり、恒久 こうきゅう 的 てき なしっかりした席 せき が作 つく られるようになった。そのような観客 かんきゃく 席 せき を "prohedria" と呼 よ び、神官 しんかん や最 もっと も尊敬 そんけい される市民 しみん がそこに座 すわ った。
紀元前 きげんぜん 465年 ねん 、劇 げき 作家 さっか はオルケーストラの背後 はいご の壁 かべ を使 つか った戯曲 ぎきょく を書 か くようになった。また、そこを演者 えんじゃ が衣装 いしょう を着替 きが える場所 ばしょ としても使 つか った。これをスケーネ (skené) またはシーン (scene) と呼 よ んだ。登場 とうじょう 人物 じんぶつ の殺害 さつがい シーンを観客 かんきゃく に見 み せることは不 ふ 適当 てきとう とされていたため、登場 とうじょう 人物 じんぶつ の死 し はスケーネの後 うし ろから告 つ げられた。紀元前 きげんぜん 425年 ねん 、paraskenia と呼 よ ばれる石造 いしづく りの背後 はいご の壁 かべ ができ、スケーネを補完 ほかん するようになった。paraskenia は左右 さゆう に張 は り出 だ した長 なが い壁 かべ で、出入 でい り口 ぐち もあったと思 おも われる。paraskenia のすぐ後 うし ろには proskenion がある。proskenion(「スケーネの前 まえ 」の意 い )には円柱 えんちゅう があり、現代 げんだい の劇場 げきじょう のプロセニアム(前 ぜん 舞台 ぶたい )に類似 るいじ している。現代 げんだい のプロセニアムは観衆 かんしゅう と舞台 ぶたい を分離 ぶんり するものである。それはステージの周 まわ りのフレームであり、写真 しゃしん フレーム内 ない で演技 えんぎ が行 おこな われているように見 み せる役割 やくわり を持 も つ。
ギリシア劇場 げきじょう には、俳優 はいゆう やコロスのメンバーが入場 にゅうじょう するためのパロドス (英語 えいご 版 ばん ) (parodos)、エイソドス (英語 えいご 版 ばん ) (eisodos)と呼 よ ばれる通路 つうろ がある。パロドスとエイソドスは高 たか いアーチでオルケーストラと外 そと を繋 つな いでいる。紀元前 きげんぜん 5世紀 せいき 末 まつ のペロポネソス戦争 せんそう のころまでに、スケーネは2階 かい 建 だ てになった。その2階 かい 部分 ぶぶん を episkenion と呼 よ ぶ。劇場 げきじょう によってはオルケーストラに一段 いちだん 高 たか くなっていて、そこで俳優 はいゆう らがしゃべるところがあり、これを logeion と呼 よ ぶ。
ギリシア劇場 げきじょう では一般 いっぱん に以下 いか のような要素 ようそ が使 つか われていた。
マキナ (machina) - 役者 やくしゃ を宙吊 ちゅうづ りにして登場 とうじょう させるためのクレーン (デウス・エクス・マキナ 参照 さんしょう )。
エクキュクレマ (ekkyklema) - 劇 げき 中 ちゅう で死亡 しぼう した登場 とうじょう 人物 じんぶつ を観客 かんきゃく の前 まえ に登場 とうじょう させるための車輪 しゃりん つきワゴン。
人々 ひとびと をステージ上 じょう に持 も ち上 あ げるための床 ゆか 面 めん の開口 かいこう 部 ぶ 。
ピナクス (pinakes) - スケーネに吊 つ るされる絵 え 。背景 はいけい を描 えが いている。
Thyromata - スケーネの2階 かい 部分 ぶぶん (地面 じめん から見 み れば3階 かい 部分 ぶぶん に相当 そうとう )に置 お かれる背景 はいけい の絵 え 。ピナクスよりも複雑 ふくざつ 。
ファルス 的 てき 支柱 しちゅう - サテュロス劇 げき で使用 しよう 。ディオニューソス 神 かみ の肥沃 ひよく さの象徴 しょうちょう 。
ハドリアヌス帝 みかど のヴィッラのモザイクに描 えが かれた悲劇 ひげき および喜劇 きげき 用 よう の仮面 かめん
ギリシア語 ご では仮面 かめん を「ペルソナ (persona)」と呼 よ び、アテナイ でのディオニューソス の礼拝 れいはい の重要 じゅうよう な要素 ようそ であり、儀礼 ぎれい や祝典 しゅくてん で使 つか われていたと思 おも われる。証拠 しょうこ のほとんどはわずかに現存 げんそん する紀元前 きげんぜん 5世紀 せいき の壷 つぼ の絵柄 えがら によるもので、神 かみ の仮面 かめん が樹 き から吊 つ り下 さ げられ、その下 した に装飾 そうしょく されたローブが掛 か かっている絵柄 えがら や、サテュロス劇 げき の準備 じゅんび をする役者 やくしゃ らを描 えが いた Pronomos の壷 つぼ [3] などがある[10] 。仮面 かめん は有機 ゆうき 素材 そざい で作 つく られていて長持 ながも ちするものではなく、使 つか い終 お わるとディオニューソスの祭壇 さいだん に捧 ささ げられたため、現存 げんそん していない。いずれにしてもアイスキュロス のころから仮面 かめん が使 つか われており、古代 こだい ギリシア劇 げき の特徴 とくちょう のひとつとなっている[11] 。コロスは登場 とうじょう 人物 じんぶつ が考 かんが えていることを代弁 だいべん して観客 かんきゃく に伝 つた える役目 やくめ を持 も ち、12人 にん 全員 ぜんいん が1人 ひとり の登場 とうじょう 人物 じんぶつ に対応 たいおう し、同 おな じ仮面 かめん を付 つ けていた。
仮面 かめん の詳細 しょうさい [ 編集 へんしゅう ]
演劇 えんげき 用 よう の仮面 かめん が描 えが かれた絵 え を見 み ると、顔面 がんめん 全体 ぜんたい と頭 あたま を覆 おお うヘルメット状 じょう の形 かたち であり、かつらと一体化 いったいか していて目 もく と口 こう の部分 ぶぶん に穴 あな がある。興味深 きょうみぶか いことに、演劇 えんげき の最中 さいちゅう に役者 やくしゃ が仮面 かめん を着 つ けた状態 じょうたい を描 えが いた絵 え はなく、劇 げき の前 まえ か後 のち で役者 やくしゃ が仮面 かめん を手 て に持 も っている絵 え しかない。それらは、観客 かんきゃく と舞台 ぶたい の境界 きょうかい 、神話 しんわ と現実 げんじつ の境界 きょうかい を描 えが いたものである[10] 。仮面 かめん が顔 かお に溶 と け込 こ むことで、役者 やくしゃ はその役 やく になりきると考 かんが えられていた[12] 。実際 じっさい 、仮面 かめん はせりふを覚 おぼ えるのと同 どう 程度 ていど に役者 やくしゃ を変 か えた。古代 こだい ギリシア劇 げき では、仮面 かめん をつけた役者 やくしゃ とその劇 げき の登場 とうじょう 人物 じんぶつ とを同一 どういつ 視 し していた。
仮面 かめん 製作 せいさく 者 しゃ は skeuopoios (小道具 こどうぐ 製作 せいさく 者 しゃ )と呼 よ ばれており、仮面 かめん だけを作 つく っていたわけではないと思 おも われる。仮面 かめん は軽 かる い方 ほう がよいため、人 ひと 毛 け または動物 どうぶつ の毛 け をかつらに使 つか い、亜麻 あま 布 ぬの 、革 かわ 、木 き 、コルクなどを使 つか って作 つく っていた[13] 。仮面 かめん を着 つ けると視界 しかい が限定 げんてい されるため、役者 やくしゃ は耳 みみ が聞 き こえないと演 えん じられない。そのため、耳 みみ を隠 かく すとしても仮面 かめん で耳 みみ を覆 おお うことはなく、自分 じぶん の髪 かみ の毛 け で隠 かく していたと考 かんが えられている。仮面 かめん の口 くち の部分 ぶぶん の開口 かいこう 部 ぶ は小 ちい さく、役者 やくしゃ 自身 じしん の口 くち が見 み えるのを防 ふせ いでいた。1960年代 ねんだい には仮面 かめん がメガホンの役割 やくわり も持 も っていたという説 せつ があったが、Vervain と Wiles は開口 かいこう 部 ぶ が小 ちい さいため、その説 せつ は成 な りたないとしている[10] 。ギリシャ人 じん の仮面 かめん 製作 せいさく 者 しゃ Thanos Vovolis は、仮面 かめん が共鳴 きょうめい 装置 そうち のように働 はたら いて声 こえ の音響 おんきょう 特性 とくせい を強化 きょうか するのではないかと示唆 しさ している。これによってエネルギーと存在 そんざい 感 かん が増 ま し、役者 やくしゃ がその役 やく になりきることをより完全 かんぜん にすると考 かんが えられる[14] 。
アテナイ のディオニューソス劇場 げきじょう のような大 だい 規模 きぼ な野外 やがい 劇場 げきじょう では、仮面 かめん が顔 かお の特徴 とくちょう を誇張 こちょう するようになっているため、観衆 かんしゅう は遠 とお い席 せき からでも登場 とうじょう 人物 じんぶつ を識別 しきべつ 可能 かのう だった[14] 。役者 やくしゃ は舞台 ぶたい に出 で てくるたびに別 べつ の役 やく を演 えん じることがあったため、仮面 かめん をつけることで観客 かんきゃく が混同 こんどう することを避 さ けるという意味 いみ もあった。また、性別 せいべつ 、年齢 ねんれい 、社会 しゃかい 的 てき 地位 ちい などの識別 しきべつ にも役立 やくだ ち、さらに同 おな じ人物 じんぶつ の見 み た目 め の変化 へんか も仮面 かめん で表 あらわ すことができた(例 たと えば、オイディプス が自 みずか らの目 め をつぶした後 のち など)[15] 。特定 とくてい のイベントや劇 げき でのみ使 つか う仮面 かめん も作 つく られた。例 たと えばアイスキュロス の『エウメニデス』に登場 とうじょう するエリーニュス 、エウリピデス の『バッコスの信女 しんにょ 』に登場 とうじょう するペンテウス やカドモス である。コロスは同 おな じ仮面 かめん を着 つ けることで一体 いったい 感 かん と均一 きんいつ 性 せい を演出 えんしゅつ する。
仮面 かめん 以外 いがい の衣装 いしょう など[ 編集 へんしゅう ]
悲劇 ひげき 的 てき 運命 うんめい の役 やく を演 えん じる役者 やくしゃ は cothurnus と呼 よ ばれるブーツを履 は き、他 た の役者 やくしゃ より背 せ が高 たか い状態 じょうたい で演 えん じた。喜劇 きげき 的 てき な役 やく を演 えん じる役者 やくしゃ は sock と呼 よ ばれる底 そこ の薄 うす い靴 くつ を履 は いた。このため、演劇 えんげき のことを“Sock and Buskin ”と呼 よ ぶことがある。
女性 じょせい を演 えん じるとき、男性 だんせい の役者 やくしゃ が“prosterneda”と呼 よ ばれる木製 もくせい の偽 にせ の胸 むね を身 み につけ、腹部 ふくぶ には“progastreda”と呼 よ ばれるものを身 み につけた。
ムーサ の一 いち 柱 はしら メルポメネー は悲劇 ひげき を司 つかさど り、悲劇 ひげき 用 よう の仮面 かめん を持 も ち cothurnus を身 み につけた姿 すがた で描 えが かれることが多 おお い。喜劇 きげき を司 つかさど るタレイア も、喜劇 きげき 用 よう の仮面 かめん や sock と共 とも に描 えが かれることが多 おお い。
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Wise, Jennifer, Dionysus Writes: The Invention of Theatre in Ancient Greece , Ithaca 1998.
Zimmerman, B., Greek Tragedy: An Introduction , trans. T. Marier, Baltimore 1991.
演目 えんもく
演出 えんしゅつ 祝祭 しゅくさい 劇場 げきじょう 評論 ひょうろん
ギリシャの
建築 けんちく 古代 こだい -
様式 ようしき ビルディング ・タイプ 空間 くうかん 意匠 いしょう 部位 ぶい
中 ちゅう 近世 きんせい -近 きん 現代 げんだい -
建築 けんちく 物 ぶつ
建築 けんちく 関連 かんれん の文化財 ぶんかざい 組織 そしき 人物 じんぶつ 関連 かんれん 項目 こうもく