(Translated by https://www.hiragana.jp/)
エティエンヌ・テリュス - Wikipedia コンテンツにスキップ

エティエンヌ・テリュス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
エティエンヌ・テリュス
Étienne Terrus
生誕せいたん 1857ねん9月21にち
フランスの旗 フランス,エルヌ
死没しぼつ 1922ねん6月22にち
フランスの旗 フランス,エルヌ
テンプレートを表示ひょうじ

エティエンヌ・テリュス(Étienne Terrus、1857ねん9月21にち - 1922ねん6月22にち)はフランス画家がかである。かつてカタルーニャ君主くんしゅこく領地りょうちだった「ルシヨン」とばれる地域ちいき風景ふうけいえがいた。

略歴りゃくれき

[編集へんしゅう]

フランスの南端なんたんスペイン国境こっきょう位置いちするピレネー=オリアンタルけんエルヌまれた。才能さいのうはやくからしめし、17さいの1874ねんふゆに、パリエコール・デ・ボザール入学にゅうがくし、アレクサンドル・カバネルのスタジオでまなぶが、パリの生活せいかつには馴染なじめず、エルヌにもどり、近傍きんぼうの「ルシヨン」とばれる地域ちいき風景ふうけいえが生活せいかつつづけた。

友人ゆうじんには、おなじ「ルシヨン」地域ちいき画家がか彫刻ちょうこくアリスティド・マイヨール(1861-1944)や、しばらくみなみフランスで活動かつどうした、アンドレ・ドランアンリ・マティスがいる。マイヨールをつうじて「ナビ」の画家がかとの交流こうりゅうもあった。

ながわすれられた画家がかであったが、故郷こきょうのエルヌでさい評価ひょうかするうごきがでて、1994ねんにテリュス美術館びじゅつかん(musée Terrus)が設立せつりつされた。2018ねん美術館びじゅつかんのテリュスの作品さくひんとされた収蔵しゅうぞう作品さくひんの140てんのうち82てんがテリュスの作品さくひんでないことが発表はっぴょうされた[1]

作品さくひん

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ "Mehrzahl der Bilder in Terrus-Museum gefälscht". Süddeutsche Zeitung. 28 April 2018. 2018ねん4がつ29にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • Emmanuel Bénézit: Dictionnaire critique et documentaire des peintres, sculpteurs, dessinateurs et graveurs de tous les temps et de tous les pays. Grund, Paris 1966 ff., Bd. ?, S. ?.
  • Heinz Fuchs (Hrsg.): Die Nabis und ihre Freunde („Les Nabis et leurs amis“). Kunsthalle, Mannheim 1963 (Katalog der gleichnamigen Ausstellung, 23. Oktober 1963 bis 6. Januar 1964), S. ?.
  • Madeleine Raynal, « Étienne Terrus », Conflent, n° 181, janvier-février 1993, S. 2–6.