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エドソン・バドル

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
エドソン・バドル
名前なまえ
本名ほんみょう エドソン・マイケル・バドル
Edson Michael Buddle
ラテン文字もじ Edson Buddle
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
ジャマイカの旗 ジャマイカ
生年月日せいねんがっぴ (1981-05-21) 1981ねん5月21にち(43さい
出身しゅっしん ニューロシェル
身長しんちょう 185cm
体重たいじゅう 77kg
選手せんしゅ情報じょうほう
ポジション CF
あし 右足みぎあし
ユース
1993-1995 アメリカ合衆国の旗 FCウエストチェスター
1999 アメリカ合衆国の旗 ステートフェア・ロードランナーズ
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
2000 アメリカ合衆国の旗 ロングアイランド・ラフライダーズ 26 (11)
2001-2005 アメリカ合衆国の旗 コロンバス・クルー 106 (42)
2006 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク・レッドブルズ 28 (6)
2007 カナダの旗 トロント 10 (0)
2007-2010 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 87 (42)
2011-2012 ドイツの旗 インゴルシュタット 31 (9)
2012 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 19 (3)
2013-2014 アメリカ合衆国の旗 コロラド・ラピッズ 42 (7)
2015 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 10 (0)
代表だいひょうれき2
1998-1999 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく U-18 21 (7[1])
2001 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく U-20 7 (2[1])
2002-2003 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく U-23 4 (3)
2003-2012 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく 11 (3)
1. 国内こくないリーグせんかぎる。2014ねん11月25にち現在げんざい
2. 2012ねん11月2にち現在げんざい
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

エドソン・マイケル・バドルEdson Michael Buddle, 1981ねん5月21にち - )は、アメリカニューヨークしゅうニューロシェル出身しゅっしんサッカー選手せんしゅアメリカ代表だいひょう。ポジションはセンターフォワード

2000ねんUSL1リーグ前身ぜんしんにあたるAリーグロングアイランド・ラフライダーズen)でキャリアをはじめ、その、2001ねんから2010ねんまでにメジャーリーグサッカーコロンバス・クルーニューヨーク・レッドブルズトロントFCロサンゼルス・ギャラクシー在籍ざいせきする。ドイツ2FCインゴルシュタット04への在籍ざいせきてロサンゼルス・ギャラクシーに復帰ふっきした。アメリカ代表だいひょうとしては、2010 FIFAワールドカップで2試合しあい出場しゅつじょうした。

経歴けいれき

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初期しょき

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ジャマイカ出身しゅっしんのプロサッカー選手せんしゅウィンストン(Winston)をちち[2]ペレ本名ほんみょうであるエドソン・アランチス・ドゥ・ナシメントにちなんでエドソンと名付なづけられてニューヨークしゅうニューロシェルまれた[2]バドルは、1999ねんからステートフェアコミュニティ大学だいがくのステートフェア・ロードランナーズ(State Fair Roadrunners)に1ねん在籍ざいせきしてNCAA男子だんしディビジョンIサッカーチャンピオンシップ出場しゅつじょう。2000ねんにはAリーグロングアイランド・ラフライダーズen)と契約けいやくしてプロキャリアをはじめ、11得点とくてん4アシストでチームの北東ほくとう地区ちく優勝ゆうしょう貢献こうけんし、新人しんじんしょう最終さいしゅう候補こうほ選出せんしゅつされた[3]

コロンバス・クルー

Aリーグでのパフォーマンスから上位じょういリーグであるメジャーリーグサッカー関心かんしんあつめ、2001ねんMLSスーパードラフト全体ぜんたいの27番目ばんめコロンバス・クルーから指名しめいされて入団にゅうだんした。1ねんわずか556ふんという短時間たんじかん出場しゅつじょうかいながらも3得点とくてん2アシストをげて自身じしん才能さいのうしめすことに成功せいこうし、翌年よくねんの21さいときには出場しゅつじょう時間じかん1304ふん9試合しあい5アシストを記録きろくすることでリーグ最高さいこう若手わかてストライカーの1人ひとりとしての地位ちい確立かくりつ。また、USオープンカップのタイトルを獲得かくとくした。2002ねんシーズンは、負傷ふしょう問題もんだいなやまされて先発せんぱつ出場しゅつじょうが16試合しあいだったものの、くるしむなかで9得点とくてん4アシストを記録きろくし、よく2004ねんシーズンも同様どうよう負傷ふしょうによりおおくの出場しゅつじょう機会きかいのがしながらも先発せんぱつ20試合しあいで11得点とくてん2アシストを記録きろくした。9得点とくてん2アシストを記録きろくした2005ねんシーズンは、コロンバスの警察けいさつ指示しじによって路肩ろかた停車ていしゃしたさい飲酒いんしゅテストを拒否きょひしたことで"薬物やくぶつ乱用らんようとメンタルヘルス"の方針ほうしんによって1ヶ月かげつ出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんとなっていた[4]

ニューヨーク・レッドブルズ&トロント

2006ねんシーズンは、エディ・ガヴァンen)とクリス・リーチen)の2めいとのトレードでニューヨーク・レッドブルズ契約けいやく[5]。しかし、あし負傷ふしょう影響えいきょうからわずか6得点とくてんにとどまる失望しつぼう結果けっかとなり、同年どうねんの11月22にちティム・リーガンen)とのトレードでトロントFC放出ほうしゅつされた[6]。トロントでは、10試合しあい0得点とくてんとレッドブルズのとき以上いじょう結果けっかのこせずにいたが、2007ねん5がつ12にちBMOフィールドおこなわれたシカゴ・ファイアーたたかえ(3-1)でクラブ史上しじょうはつのMLSでの得点とくてん記録きろくしたダニー・ディチオen)の得点とくてんをアシストしている[7]

ロサンゼルス・ギャラクシー

2007ねん6がつ13にちタイロン・マーシャルen)とのトレードでロサンゼルス・ギャラクシー契約けいやく[8]し、6月17にちレアル・ソルトレイクたたかえ(3-2)ではつ得点とくてんげた。移籍いせき当初とうしょのチームの前線ぜんせんカルロス・ルイスen)、ランドン・ドノバンアラン・ゴードンen)の存在そんざいがあったためにてい位置いち確保かくほすることはきびしいと予想よそうされていたが、ルイスの負傷ふしょうやドノバンが代表だいひょう度々たびたび離脱りだつした好機こうきかし、先発せんぱつつかんで得点とくてん量産りょうさんしていくことになる。

だい8しゅうFCダラスせんだい12しゅうサンノゼ・アースクエイクスせんハットトリック達成たっせい[9]し、それぞれ週間しゅうかん最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅしょう選出せんしゅつされる[10]活躍かつやくせており、後者こうしゃ試合しあい同僚どうりょうデイビッド・ベッカムから「エドソンは試合しあいごとくなっている。かれはそれを今夜こんや証明しょうめいした」と称賛しょうさんされ[11]、2008ねん6がつ22にち古巣ふるすコロンバス・クルーせんでシーズン9得点とくてんげると、ルート・フリット監督かんとくからは「しんのプロであり、非常ひじょう満足まんぞく」とその仕事しごとぶりを評価ひょうかされた[12]。このバドルの好調こうちょうについてESPNのアンドレア・カナレス(Andrea Canales)記者きしゃから「時折ときおり怠惰たいだなプレーをせると評価ひょうかされていたことにくるしんでいたが、ベッカムのような選手せんしゅから指導しどうされて改善かいぜんしたことが自信じしんつながり得点とくてん量産りょうさん出来できるようになった」と指摘してきされ[11]MLS ExtraTime評論ひょうろんシェプ・メッシングen)からは、「たがいを補完ほかんうドノバンとバドル以上いじょうのコンビはいないとおもう」と称賛しょうさんされた[13]

2009ねんシーズンはわずか5得点とくてんわったことで2010ねんシーズンは、その鬱憤うっぷんらすかのように最初さいしょの4試合しあいで7得点とくてんげ、さらに5がつ中旬ちゅうじゅんまでのあいだ得点とくてんを9得点とくてんまでばすと2010 FIFAワールドカップのメンバーりをたした。ワールドカップ好調こうちょうさをせたことから、代表だいひょうでの仕事しごとから度々たびたびリーグせん欠場けつじょうしていたことにもかかわらずMLSオールスターゲーム選出せんしゅつされた[14]が、チームで唯一ゆいいつ出場しゅつじょうすることはなかった[15]最終さいしゅうてきにチームとしては、サポーターズ・シールド西にし地区ちく優勝ゆうしょうのタイトルを獲得かくとくし、バドル個人こじんとしてはチームのMVP、得点とくてんおう人道じんどう支援しえんしょう受賞じゅしょう。さらにMLSベストイレブン選出せんしゅつされた[16]

国外こくがい

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2011ねん11がつ10日とおかドイツ2FCインゴルシュタット04契約けいやく[17]し、はつ出場しゅつじょうかざった1がつ21にちMSVデュースブルクたたかえ(1-1)ではつ得点とくてんげた[18]ように加入かにゅう直後ちょくごこそ活躍かつやくせたものの、全体ぜんたいてきれば苦戦くせんをしており、2012ねんふゆ中断ちゅうだん期間きかん新天地しんてんちもとめて1がつ16にちイングランド1エヴァートンFC入団にゅうだんテストに参加さんかした[19]。だが、契約けいやくることが出来できず、1がつ31にちにインゴルシュタットと契約けいやく終了しゅうりょうしたことで自由じゆう契約けいやく選手せんしゅとなった[20]

MLS復帰ふっき

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ロサンゼルス・ギャラクシー

インゴルシュタットから放出ほうしゅつ、2012ねん2がつ1にちにロサンゼルス・ギャラクシーとさい契約けいやくをする[21]。しかし、2012ねんシーズンは先発せんぱつ10試合しあい3得点とくてんにとどまり、バドルがMLSにはつ参加さんかした2001ねんシーズン以降いこう最悪さいあく出来できわり、2度目どめのロサンゼルス・ギャラクシーでの生活せいかつ失望しつぼう、そして短命たんめいとなった。

コロラド・ラピッズ

2012ねん12月14にち配当はいとうきん2013年度ねんど追加ついかドラフトでの1じゅん指名しめいけんとのえでコロラド・ラピッズ移籍いせきした[22]

代表だいひょう

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世代せだいべつ代表だいひょうとしては、U-18とU-20、U-23でプレーしており、2001 FIFAワールドユース選手権せんしゅけん出場しゅつじょうした。ブルース・アリーナ監督かんとくした、2003ねん3がつ29にちベネズエラとの親善しんぜん試合しあい(2-0)でブライアン・マクブライドわって80ふんからA代表だいひょうはつ出場しゅつじょうかざって[2]以降いこう、7ねんわたって出場しゅつじょうすることはなかったが、2010ねん5がつ11にち2010 FIFAワールドカップけた30にん候補こうほ急遽きゅうきょ選出せんしゅつされ[23]、5月25にちチェコ(2-4)との親善しんぜん試合しあい出場しゅつじょうした。よく26にちにワールドカップへの23にんのメンバーりをたす[24]と、大会たいかい直前ちょくぜん最後さいご調整ちょうせい試合しあいである6がつ5にちオーストラリアたたかえ(3-1)で前半ぜんはん代表だいひょうはつ得点とくてんふくめて2得点とくてん[25]ほん大会たいかいではイングランドせんアルジェリアせんの2試合しあい途中とちゅう出場しゅつじょうをした。

タイトル

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クラブ

コロンバス・クルー

ロサンゼルス・ギャラクシー

個人こじん

脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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