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エドムンド・アイアンサイド (初代しょだいアイアンサイド男爵だんしゃく)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
初代しょだいアイアンサイド男爵だんしゃく
エドムンド・アイアンサイド
Edmund Ironside
1st Baron Ironside
1940ねんごろのアイアンサイド
生誕せいたん 1880ねん5月6にち
イギリスの旗 イギリススコットランドエディンバラ
死没しぼつ (1959-09-22) 1959ねん9月22にち(78さいぼつ
イギリスの旗 イギリスイングランドロンドンミルバンク英語えいごばんアレクサンドラ王妃おうひ軍事ぐんじ病院びょういん英語えいごばん
所属しょぞく組織そしき イギリス陸軍りくぐん
ぐんれき 1899ねん - 1940ねん
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん元帥げんすい
除隊じょたい 貴族きぞくいん議員ぎいん(1941ねん-1959ねん
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初代しょだいアイアンサイド男爵だんしゃくウィリアム・エドムンド・アイアンサイドえい: William Edmund Ironside, 1st Baron Ironside GCB CMG DSO1880ねん5月6にち - 1959ねん9月22にち)は、イギリス陸軍りくぐん軍人ぐんじん政治せいじ貴族きぞく

1938ねんから1939ねんまでジブラルタル総督そうとく、1939ねんから1940ねんにかけて帝国ていこく参謀さんぼう総長そうちょうつとめた。だい世界せかい大戦たいせん西方せいほう電撃でんげきせんさいにはフランスで指揮しきったが、惨敗ざんぱいした。最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん元帥げんすい

名前なまえはミドルネームのエドムンドをおも使用しようした。

経歴けいれき

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1939ねんから1940ねんのロンドン・陸軍りくぐんしょう。アイアンサイド(みぎ)とだい6だいゴート子爵ししゃくジョン・ヴェレカーひだり

1880ねん5月6にち軍医ぐんい少佐しょうさウィリアム・アイアンサイドとそのつまエマ(姓名せいめいリッカーズ)の唯一ゆいいつ息子むすことしてエディンバラまれた[1]

トンブリッジ・スクール英語えいごばん王立おうりつ陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう進学しんがく[2][3]

1899ねん6月25にち王立おうりつ砲兵ほうへい連隊れんたい英語えいごばん少尉しょうい(second lieutenant)に任官にんかん[3][4]1900ねん2がつから1902ねん5がつにかけてだいボーア戦争せんそう従軍じゅうぐんし、そのあいだ1901ねん2がつ16にち中尉ちゅうい(lieutenant)に昇進しょうしんした[3]。ボーア戦争せんそう、ボーアじん牛車うしぐるま運転うんてんりすましてドイツ植民しょくみん南西なんせいアフリカ(ナミビア)にスパイとして潜入せんにゅうした[3]

その植民しょくみんインド駐留ちゅうりゅう王立おうりつ騎兵きへい連隊れんたいだい1砲兵ほうへい大隊だいたい英語えいごばん、ついでえいりょうみなみアフリカに駐留ちゅうりゅうするどう連隊れんたいY大隊だいたい勤務きんむした。1908ねん2がつ18にち大尉たいい(captain)に昇進しょうしん[5]

1913ねんから1914ねんにかけてキャンバリー参謀さんぼう大学だいがく英語えいごばん在学ざいがくした[5]

だいいち世界せかい大戦たいせん参謀さんぼう将校しょうこうとして従軍じゅうぐんし、1914ねん10がつ30にち少佐しょうさ(major)[5]、1916ねん6がつ3にち中佐ちゅうさ(lieutenant colonel)に昇進しょうしんした[6]

戦後せんご、イギリスの資金しきん組織そしきされた国籍こくせきぐんひきいてたい干渉かんしょう戦争せんそう参加さんかし、ボルシェヴィキたたかった[7]1919ねん1がつ1にち大佐たいさ(colonel)、同年どうねん11月11にち少将しょうしょう(major general)に昇進しょうしんした[7]

そのきたペルシャぐん英語えいごばん指揮しきかんとしてペルシャに駐留ちゅうりゅうした[7]在任ざいにんちゅう、ボルシェヴィキとの対立たいりつから1921ねんペルシャ・クーデタ英語えいごばんレザー・パフラヴィー支援しえんしたとみられる。そのえい委任いにん統治とうちりょうメソポタミア勤務きんむとなり、1921ねんカイロ会議かいぎにも出席しゅっせきした[8]

1921ねんにイギリスに帰国きこくし、1922ねんから1926ねんにかけてキャンバリー参謀さんぼう大学だいがく司令しれいかんつとめる[2]1926ねんオールダーショットだい2師団しだん英語えいごばんそう司令しれいかん(GOC)英語えいごばん就任しゅうにんした[8]

1928ねんには植民しょくみんインド・メーラト地区ちく英語えいごばんそう司令しれいかん(GOC)に転任てんにんした[8]1931ねん3月1にち中将ちゅうじょう(Lieutenant-General)に昇進しょうしん[8]1933ねんから1936ねんにかけてインドで補給ほきゅう担当たんとう将軍しょうぐん英語えいごばんつとめる。在任ざいにんちゅう1935ねん6月30にち大将たいしょう(General)に昇進しょうしんした[8][2]

1936ねん4がつにイギリスへ帰国きこくすると東部とうぶ司令しれい最高さいこう司令しれいかん(GOC-in-C)英語えいごばん就任しゅうにん[8]。ついで1938ねん11月にジブラルタル総督そうとくおよ最高さいこう司令しれいかん転任てんにんしたが、1939ねん7がつにロンドンにもどされた[8]

同年どうねん9がつだい世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつすると帝国ていこく参謀さんぼう総長そうちょうだい6だいゴート子爵ししゃくジョン・ヴェレカー海外かいがい派遣はけんぐん司令しれいかん転任てんにんしたのにともない、わって帝国ていこく参謀さんぼう総長そうちょう就任しゅうにん[8]

1940ねん5がつ10日とおかからドイツぐん西方せいほう電撃でんげきせん開始かいしされるとフランスにいる海外かいがい派遣はけんぐん司令しれいかんゴート子爵ししゃくのもとに派遣はけんされ、5月27にちには本国ほんごくぐん最高さいこう司令しれいかん英語えいごばんにんじられた。しかしドイツぐん惨敗ざんぱいきっし、激怒げきどしたチャーチル手回てまわしによって同年どうねん7がつ19にち解任かいにんされた[9]

以降いこう実質じっしつてき軍務ぐんむから退しりぞくことになったが、解任かいにん翌日よくじつ7がつ20日はつかには陸軍りくぐん元帥げんすい昇進しょうしん[9]。ついで1941ねん1がつ29にちには連合れんごう王国おうこく貴族きぞくアイアンサイド男爵だんしゃくじょされて貴族きぞくいん議員ぎいんれつした[10]

1959ねん9月12にちにロンドン・ミルバンク英語えいごばんアレクサンドラ王妃おうひ軍事ぐんじ病院びょういん英語えいごばん死去しきょした[11]爵位しゃくい唯一ゆいいつ男子だんしであるエドムンド・アイアンサイド英語えいごばん継承けいしょうした[2]

人物じんぶつ

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身長しんちょうは6フィート4インチ(190センチ)だった[8]

ミドルネームのエドムンドを名前なまえとしておも使用しようした[2]

栄典えいてん

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アイアンサイド紋章もんしょう紋章もんしょう下部かぶには『おそれずしっかりつかめ』のモットーきざまれる[1]

爵位しゃくい

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1941ねん1がつ29にち以下いか爵位しゃくい新規しんきじょされた[2][1]

勲章くんしょう

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外国がいこく勲章くんしょう

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家族かぞく

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1915ねんえいしるしぐん大佐おおさチャールズ・チェインのむすめであるマリオット・チェインと結婚けっこん[11]彼女かのじょとのあいだ以下いかの2もうけた[2]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Ironside, Baron (UK, 1941)” (英語えいご). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i j k Lundy, Darryl. “Field Marshal William Edmund Ironside, 1st Baron Ironside” (英語えいご). thepeerage.com. 2016ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d Heathcote 1999, p. 185.
  4. ^ "No. 7095". The London Gazette (英語えいご). 4 July 1899. p. 4138. 2011ねん1がつ7にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c Heathcote 1999, p. 186.
  6. ^ Heathcote 1999, p. 186-187.
  7. ^ a b c d Heathcote 1999, p. 187.
  8. ^ a b c d e f g h i Heathcote 1999, p. 188.
  9. ^ a b Heathcote 1999, p. 189.
  10. ^ UK Parliament. “Mr William Ironside” (英語えいご). HANSARD 1803–2005. 2016ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  11. ^ a b Heathcote 1999, p. 190.
  12. ^ "No. 29202". The London Gazette (Supplement) (英語えいご). 22 June 1915. p. 6117. 2008ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  13. ^ a b Lord Ironside”. Unit Histories. 2011ねん1がつ7にち閲覧えつらん
  14. ^ "No. 34518". The London Gazette (Supplement) (英語えいご). 7 June 1938. p. 3687. 2008ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  15. ^ "No. 34639". The London Gazette (英語えいご). 23 June 1939. p. 4238. 2008ねん1がつ14にち閲覧えつらん
  16. ^ "No. 32600". The London Gazette (Supplement) (英語えいご). 6 February 1922. p. 1064. 2008ねん1がつ14にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Heathcote, Tony (1999). The British Field Marshals, 1736–1997: A Biographical Dictionary. Barnsley: Leo Cooper. ISBN 0-85052-696-5 

外部がいぶリンク

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ぐんしょく
先代せんだい
ヘイスティングス・アンダーソン英語えいごばん
キャンバリー参謀さんぼう大学だいがく英語えいごばん司令しれいかん
1922ねん – 1926ねん
次代じだい
チャールズ・グウィン英語えいごばん
先代せんだい
ピーター・ストリックランド英語えいごばん
だい2師団しだん英語えいごばん そう司令しれいかん英語えいごばん
1926ねん – 1928ねん
次代じだい
トマス・キュービット英語えいごばん
先代せんだい
サー・シリル・デヴェレル英語えいごばん
東部とうぶ司令しれい最高さいこう司令しれいかん(GOC-in-C)英語えいごばん
1936ねん – 1938ねん
次代じだい
サー・ガイ・ウィリアムズ英語えいごばん
先代せんだい
だい6だいゴート子爵ししゃく
帝国ていこく参謀さんぼう総長そうちょう
1939ねん – 1940ねん
次代じだい
サー・ジョン・ディル英語えいごばん
先代せんだい
サー・ウォルター・カーク英語えいごばん
本国ほんごくぐん最高さいこう司令しれいかん(GOC-in-C)英語えいごばん
1940ねん5がつ – 1940ねん7がつ
次代じだい
サー・アラン・ブルック
官職かんしょく
先代せんだい
サー・チャールズ・ハリントン英語えいごばん
ジブラルタル総督そうとく
1938ねん – 1939ねん
次代じだい
サー・クライヴ・リデル英語えいごばん
イギリスの爵位しゃくい
爵位しゃくい創設そうせつ 初代しょだいアイアンサイド男爵だんしゃく
1941ねん – 1959ねん
次代じだい
エドムンド・アイアンサイド英語えいごばん