エヴゲーニイ・オネーギン

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エヴゲーニイ・オネーギン
Евгений Онегин
著者ちょしゃ アレクサンドル・プーシキン
ジャンル 詩的してき小説しょうせつ
くに ロシア帝国の旗 ロシア帝国ていこく
言語げんご ロシア
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エヴゲーニイ・オネーギン』(ロシア: Евгений Онегин)は1825ねんから1832ねんにかけて執筆しっぴつされた、アレクサンドル・プーシキン韻文いんぶん小説しょうせつである。


概要がいよう [編集へんしゅう]

1820年代ねんだいロシア帝国ていこく舞台ぶたいであるとかんがえられるが、諸説しょせつ存在そんざいする。

この小説しょうせつは「ロシア生活せいかつ百科ひゃっか事典じてん」とばれる[1]サンクト・ペテルブルク上流じょうりゅう社会しゃかい夜会やかいから、田園でんえんでの田舎いなか地主じぬし生活せいかつ農奴のうどむすめたちのうた民衆みんしゅう迷信めいしんうらないまでえがかれている。 この作品さくひんがロシアたした最大さいだい功績こうせきは、平易へいい日常にちじょうで、高邁こうまい思想しそうから日常にちじょう生活せいかつまでかたることが可能かのうにする文体ぶんたい、つまり現代げんだいロシア基礎きそつくりだしたことである[2]

特徴とくちょう [編集へんしゅう]

ほんさくでは、作者さくしゃプーシキンとおもわれる「ぼく」[3]あるいは「わたし[4][5]直接ちょくせつ読者どくしゃかたりかけながら物語ものがたりすすめる。とき自分じぶんおも脱線だっせんし、登場とうじょう人物じんぶつについておしゃべりをし、同情どうじょうせ、非難ひなんをし、登場とうじょう人物じんぶつ批評ひひょうまでおこなう。

1820ねんごろの上流じょうりゅう階級かいきゅう実在じつざい人物じんぶつ実名じつめい登場とうじょうするのも特徴とくちょうである。だいいちしょうでオネーギンはだいピョートル・チャーダーエフばれる。だいななしょうでは詩人しじんピョートル・ヴァーゼムスキイ公爵こうしゃくが、タチヤーナの気晴きばらしのはな相手あいてつとめた。

あらすじ[編集へんしゅう]

主人公しゅじんこうエヴゲーニイ・オネーギンはサンクトペテルブルク社交しゃこうかい遊蕩ゆうとう生活せいかつおくっていた。だが無為むいき、ふさぎのむしにとりつかれるようになる。 叔父おじ財産ざいさん相続そうぞくしたかれは、田舎いなか領地りょうち隠棲いんせいすることにした。そこでレンスキーというわか詩人しじん友人ゆうじんになる。オネーギンはレンスキーのさそいで、地元じもと地主じぬし貴族きぞくラーリンおとずれる。

ラーリン長女ちょうじょタチヤーナはオネーギンにこいをし、恋文こいぶみ執筆しっぴつするも拒絶きょぜつされる。

そのオネーギンはまぐれによってレンスキーをおこらせ、決闘けっとういたらしめる。

すうねん、サンクト・ペテルブルクの社交しゃこうかいでオネーギンはタチヤーナと再会さいかいする。タチヤーナは公爵こうしゃく夫人ふじんとして威厳いげんのある貴婦人きふじんになっていた。オネーギンは彼女かのじょたいして、子供こどものようにこいちる。

作品さくひん自体じたいについて[編集へんしゅう]

プーシキン自身じしんによるオネーギンの肖像しょうぞう

登場とうじょう人物じんぶつ[編集へんしゅう]

エヴゲーニイ・オネーギン
主人公しゅじんこう。サンクトペテルブルク出身しゅっしん貴族きぞくちち破産はさんし、どう時期じき死去しきょした叔父おじ領地りょうち相続そうぞくした。苦悩くのうする青年せいねん貴族きぞくとして、ロシア文学ぶんがく主人公しゅじんこう基礎きそとなった。
タチヤーナ・ラーリナ(タチアーナ・ドミトリーエヴナ・ラーリナ)
ラーリン長女ちょうじょ地主じぬし貴族きぞく令嬢れいじょう内気うちきでひとりでいることをこのむ。フランス語ふらんすご書物しょもつあいし、小説しょうせつ規範きはんのなかで空想くうそうおぼれる少女しょうじょとく愛読あいどくするのはジャン=ジャック・ルソーしんエロイーズ』、サミュエル・リチャードソンによる『クラリッサ』『サー・チャールズ・グランディソン英語えいごばん』である。さんさくとも書簡しょかんたい小説しょうせつである。のちに公爵こうしゃく夫人ふじんとなる。
オリガ・ラーリナ(オリガ・ドミトリーエヴナ・ラーリナ)
タチヤーナのいもうとで、レンスキーの婚約こんやくしゃほがらかで単純たんじゅんうつくしい少女しょうじょ金髪きんぱつまるかおをしている。レンスキイの死後しご悲恋ひれんからすぐになお驃騎兵ひょうきへい結婚けっこんする。
ヴラヂーミル・レンスキー
ラーリン隣家りんかおもで、田舎いなからしのオネーギンの友人ゆうじんとなる。かたまでとどなが黒髪くろかみ美丈夫びじょうふ作中さくちゅうでは17さいから18さいになる。ドイツ、ゲッティンゲン留学りゅうがくから帰国きこくしたばかり。ロマン主義しゅぎてき純真じゅんしん青年せいねん。オリガと婚約こんやくちゅう。オネーギンとの決闘けっとうやぶれて死亡しぼうする。
ドミートリー・ラーリン
故人こじん。ラーリン家長かちょう。タチヤーナ、オリガのちち昔気質むかしかたぎ人物じんぶつ
プラスコーヴィヤ・ラーリナ
タチヤーナとオリガのはは。モスクワ出身しゅっしん
フィリピエヴナ 
タチヤーナのろう乳母うば
ザレーツキー
決闘けっとうきの地主じぬしで、オネーギンとレンスキーのい。かれらの決闘けっとういて、レンスキーの介添かいぞえじんつとめる。
公爵こうしゃくこと将軍しょうぐん
タチヤーナのおっと高位こうい将軍しょうぐんでオネーギンの親戚しんせき
「ぼく」ことかた
プーシキンとさましき人物じんぶつ。オネーギンの友人ゆうじんであり、物語ものがたりなか自由自在じゆうじざい出入でいりするかたでもある。

あきらごとの内容ないよう[編集へんしゅう]

だいいちしょう

この物語ものがたりは、プーシキンとおもわれる人物じんぶつ「ぼく」あるいは「わたし」によってかたられる。「ぼく」は主人公しゅじんこうたるオネーギンの友人ゆうじんであった。

ペテルブルクの貴族きぞくいえまれたオネーギンは、フランス語ふらんすご経済けいざいがくまなんでそだつ。成長せいちょうし、社交しゃこうかいてサンクトペテルブルクでの上流じょうりゅう社会しゃかいゆう蕩児とうじとなり、洒落しゃれ美食びしょく観劇かんげき舞踏ぶとうかい恋愛れんあいなど、貴族きぞくてき娯楽ごらくれるも、いつしかきてしまい、しんえ、英語えいごでいう"spleen"こと「ふさぎのむし」にかれてしまう。

だいしょう

多大ただい借金しゃっきんかかえたちちと、莫大ばくだい遺産いさんかかえた叔父おじどう時期じきくなり、オネーギンは叔父おじ領地りょうちいで田園でんえん隠棲いんせいする。そこで、遊学ゆうがくさきのゲッティンゲンから帰郷ききょうしたばかりのレンスキーという年下としした純情じゅんじょうなロマン詩人しじんい、友人ゆうじんとなる。

レンスキーは地元じもと貴族きぞくラーリン姉妹しまいのうちいもうとのオリガの婚約こんやくしゃであった。

オリガのあねタチヤーナは内気うちきで、一人ひとりでいることをこの乙女おとめである。フランスの小説しょうせつ夢中むちゅうになり、小説しょうせつのヒロインに感情かんじょう移入いにゅうし、魅力みりょくてき小説しょうせつ登場とうじょう人物じんぶつたちにあこがれている。

だいさんしょう

レンスキーにれられてオネーギンがラーリンあらわれると、タチヤーナはいままでんだ小説しょうせつ男性だんせい主人公しゅじんこうがオネーギンいちにん収斂しゅうれんしたようにえる。

タチヤーナはオネーギンに一目いちもくこいをする。くるしみのあまり小説しょうせつのヒロインのように、率直そっちょく恋情れんじょうつづった手紙てがみをオネーギンにとどけさせる。

だが、当時とうじのロシア貴族きぞく社会しゃかいでは、婚前こんぜん令嬢れいじょう母親ははおや許可きょかもなく男性だんせい手紙てがみくのは、とうていゆるされない、はしたない行為こういであった [6]

だいよんしょう

オネーギンはタチヤーナの手紙てがみしんうごかされたが、むしろ年上としうえ分別ふんべつのある男性だんせいとして誠実せいじつ応対おうたいする。

自分じぶん結婚けっこんかず、タチヤーナをしあわせにできないとかたり、彼女かのじょあにのようなあいあいしているとく。また、男性だんせい手紙てがみくといった世間せけんらずなことを自分じぶん以外いがい男性だんせい理解りかいするとはかぎらないとさとし、軽率けいそつ行為こういつつしむべきだと忠告ちゅうこくする。

だいしょう

Tatiana Larina's dream by コロヴィン

降誕祭こうたんさい期間きかんちゅう、タチヤーナはおそろしいゆめる。ゆきうずもれたもりなかを、くまかつがれ、化物ばけものでいっぱいの小屋こやれてかれた。かれらのあるじはオネーギンだ。オネーギンは怪物かいぶつたちにたいし、タチヤーナを「おれのものだ」と怒鳴どなる。

事情じじょうらないレンスキーはオネーギンを、タチヤーナの(ユリウスれき 1がつ13にち)のいわいにさそう。オネーギンは野暮やぼったい宴会えんかいであろうとかんがえ、かないおもいだが、レンスキーになんたのまれ、ラーリンかけていく。 オネーギンの予想よそうどおり、いわいのかい低俗ていぞくであった。オネーギンは参加さんかしゃ陰口かげぐちたたかれ、かれ存在そんざいにタチヤーナにはなか失神しっしんしかけ、オネーギンは気分きぶんがいす。レンスキーへの意趣いしゅがえしに、オネーギンは舞踏ぶとう相手あいてにオリガをさそ散々さんざんれる。

だいろくしょう

レーピンのによる、オネーギンとレンスキーの決闘けっとう

嫉妬しっとのあまりレンスキーはオネーギンに決闘けっとうもうむ。決闘けっとう介添かいぞえじんザレーツキーはレンスキーの介添かいぞえじんけ、またオネーギンは世間体せけんていにしてしぶしぶ決闘けっとうのぞむ。このとき、オネーギンはおのれ介添かいぞえじん本来ほんらい資格しかくのない使用人しようにんギヨーとしたり、大幅おおはば遅刻ちこくをするなど、決闘けっとうおこながなかったことが描写びょうしゃされる。決闘けっとうはレンスキーのわる。オネーギンははげしい衝撃しょうげきける。

だいななしょう

もなくオリガはべつ男性だんせい結婚けっこんし、ラーリンく。オネーギンも領地りょうちった。

タチヤーナはオネーギンの留守るすたくき、かれ蔵書ぞうしょひたる。タチヤーナはかれ理解りかいはじめ、「ぼく」はオネーギンの空虚くうきょさをはげしく非難ひなんする。

タチヤーナはラーリナ夫人ふじんれられモスクワにかう。ふとった将軍しょうぐんそめられる。

だいはちしょう

すうねん、オネーギンは相変あいかわらず無為むいくるしんでいた。たびからもどり、ペテルブルク[7]いたそのあし社交しゃこうかいおもむきいたオネーギンは、そこで公爵こうしゃく夫人ふじんとなったタチヤーナと再会さいかいする。

タチヤーナはすっかり威厳いげんある貴婦人きふじんである。放蕩ほうとうきたオネーギンであったが、そのとき突然とつぜんタチヤーナにたいし、子供こどものようなこいちる。 かれはタチヤーナの出席しゅっせきする夜会やかいにせっせとかけ、おもいのたけつづった手紙てがみなんつうく。おもめるあまり、やつれていく。

あるとき、かれ手紙てがみんでいているタチヤーナにう。 タチヤーナはオネーギンをあいしているとげるも、社会しゃかい道徳どうとくおもんじ、貞節ていせつまもるという。おっとのN公爵こうしゃくかえってくるところで物語ものがたりわる。

構成こうせい [編集へんしゅう]

八章はっしょうからる。断章だんしょう『オネーギンのたび』は作品さくひんからはぶかれ、特別とくべつ出版しゅっぱんされた。

  • だいいちしょう 舞台ぶたいはペテルブルク上流じょうりゅう社会しゃかい刺激しげきてき生活せいかつ
  • だいしょうからだいななしょう途中とちゅうまで 舞台ぶたいはオネーギンやレンスキー、ラーリン領地りょうちのある田園でんえん地帯ちたい
  • だいななしょう後半こうはん タチヤーナとラーリナ夫人ふじんのモスクワへの出立しゅったつ生活せいかつ
  • だいはちしょう すうねん、ペテルブルクの社交しゃこうかい
  • 断章だんしょう オネーギンのたび 

小説しょうせつない時間じかんでは、だいななしょうだい八章はっしょうあいだたる。オネーギンは一人ひとりでロシア国内こくないたびする。遍歴へんれきするのは以下いかである。モスクワからニジニ・ノヴゴロドアストラハンコーカサスクリミアなど。このあきらは、「ぼく」のオデッサでのうたわる。小澤おざわ政雄まさおやく、プーシキン全集ぜんしゅう収録しゅうろくされている。

韻文いんぶん形式けいしき [編集へんしゅう]

原著げんちょ韻文いんぶんであり、よんきゃくじゃくきょうかく(четрёхстопный ямб) でかれている。また14ぎょうでひとかたまりの脚韻きゃくいんパターンをつ。

14ぎょうの1ぎょうと3ぎょういんむようになっている。このいんんだくだりa とする。また、2ぎょうと4ぎょうa とはべつパターンの脚韻きゃくいんつ。かりb とする。

すると14ぎょうabab/ccdd/effe/gg形式けいしきっている。ほんさくはこの14ぎょうがまとまってしょうつくっている。[8]

ウラジーミル・ナボコフによると、一連いちれんのうちはじめとわりの ababgg のところで詩的してき魅力みりょく発揮はっきされ、なかccdd/effe部分ぶぶん物語ものがたり進行しんこうする[9]。 この形式けいしきオネーギン・スタンザという[9]

日本語にほんごやくでは当然とうぜん、この韻文いんぶんわけ困難こんなんである。現在げんざいもっと入手にゅうしゅ容易ようい池田いけだ健太郎けんたろうやく散文さんぶんやくである[10]小澤おざわ政雄まさおやくは7音節おんせつと5音節おんせつわせをもとに、いちぎょう詩句しく音節おんせつすうを14または12音節おんせつになるようにしている[11]

執筆しっぴつじょうきょう [編集へんしゅう]

執筆しっぴつ開始かいし プーシキンは、ツァールスコエ・セロー現在げんざいプーシキン (まち))の貴族きぞく子弟してい専門せんもん学校がっこうであるリツェイ学習がくしゅういん卒業そつぎょう外務がいむいん翻訳ほんやくかん任命にんめいされていた。 1820ねん政治せいじ自由じゆう』などにより、みなみロシアのベッサラビアのキシニョフ(2022ねん6がつ現在げんざいモルドヴァ共和きょうわこくキシナウ)に追放ついほうされる。 ベッサラビアにて、1823ねん5がつ9にち(ユリウスれき)に『オネーギン』の執筆しっぴつはじめる[12]

だいいちしょうだいしょうだつ稿こう 1823ねん、ヴォロンツォフ伯爵はくしゃく配下はいかとなりオデッサかう。オデッサでほんさくだいいちしょうだいしょうだつ稿こう[12]

だいさんしょうだつ稿こう 1824ねん、イナゴ災害さいがい調査ちょうさめいじられて激怒げきど退職たいしょくねがいく。外務がいむいん免職めんしょく皇帝こうていにより、母方ははかた領地りょうちプスコフけんミハイロフスコエむら蟄居ちっきょさせられる。10月『オネーギン』だいさんしょうだつ稿こう[13]

検閲けんえつ 1825ねん12月、皇帝こうていニコライ1せい即位そくい同時どうじデカブリストのらんき、反乱はんらんぐん参加さんかした青年せいねん将校しょうこうたちには、プーシキンの友人ゆうじん数多かずおおくいた。

ニコライ1せいは、デカブリストのらん西にしヨーロッパでの自由じゆう主義しゅぎ氾濫はんらん警戒けいかいし、皇帝こうてい直属ちょくぞく秘密ひみつ警察けいさつ皇帝こうてい官房かんぼうだいさん検閲けんえつほうつくりあげた[14]

だいよんしょうだいしょうだいろくしょうだつ稿こう 1826ねん、ミハイロフスコエむらにてだいよんしょうだつ稿こう。モスクワにもどされる。 同年どうねん、モスクワでニコライ1せい拝謁はいえつ。ミハイロフスコエむら幽閉ゆうへいからは解放かいほうされるが、以後いご作品さくひん皇帝こうていによって直接ちょくせつ検閲けんえつされることとなる。11月、だいしょうだつ稿こう新作しんさく許可きょか朗読ろうどくすることを禁止きんしされる。また、このとし後半こうはんにオネーギンだいろくしょうだつ稿こう[15]

だいななしょうだつ稿こう 1828ねん物語ものがたり天使てんしガブリエルのうた』によって、ペテルブルクの軍事ぐんじ総督そうとく尋問じんもんされる。『オネーギン』だいななしょうだつ稿こう[15]

だい八章はっしょうだつ稿こう 1830ねんよんがつ、ナターリア・ゴンチャロワ(旧姓きゅうせい)ことナターリア・プーシキナ結婚けっこんあき結婚けっこんいわいにちちからゆずけた領地りょうちボルジノでごす。たん編集へんしゅう「ベールキン物語ものがたり」などおおくの作品さくひん仕上しあげた。この豊穣ほうじょう時期じきはボルジノのあきばれる。これらと並行へいこうして『オネーギン』のだいはちしょう、『オネーギンのたび』がかれた。 10月、『オネーギン』だいじゅうしょう原稿げんこう焼却しょうきゃくする[16]

反応はんのう受容じゅよう影響えいきょう[編集へんしゅう]

ロシア連邦れんぽうマリ・エル共和きょうわこくヨシュカル・オラつプーシキンとオネーギンのぞう作中さくちゅうだいしょう場面ばめん

ロシア[編集へんしゅう]

刊行かんこうちゅう[編集へんしゅう]

『オネーギン』のかくしょうは、がるたびに分冊ぶんさつ刊行かんこうされた。読者どくしゃはこれからどうなるかうわさをし、あたらしいしょうった[17]。 また作家さっか本人ほんにん知人ちじん感想かんそう雑誌ざっしでの批評ひひょうたいし、自注じちゅうこたえることもしている。オネーギン自注じちゅう(23)(24)(31)(32)(36)にて、[18] 友人ゆうじんたちに『オネーギンはコーカサスでほろぼすか、デカブリストの仲間なかまくわわる』と発言はつげんしていた。[19]

19世紀せいき後半こうはん[編集へんしゅう]

ニコライ・ゴーゴリはプーシキンを「国民こくみんてき詩人しじん」とんだ。「ロシア精神せいしんの、並外なみはずれた、おそらく空前絶後くうぜんぜつご現象げんしょうである」とひょうした。[20]

フョードル・ドストエフスキーは『オネーギン』にたいしてつぎのようにった。 『タチヤーナのオネーギンにたいする勝利しょうりは、信仰しんこう確信かくしん喪失そうしつからしょうじる知的ちてき空虚くうきょさにたいする、ロシアじん正義せいぎかん勝利しょうり象徴しょうちょうだ』。[20]

1880ねんにプーシキン記念きねんさいおこなわれ、ドストエフスキーやツルゲーネフ講演こうえんをした[21]

20世紀せいき[編集へんしゅう]

1937ねんには、ソビエト連邦れんぽうでプーシキン没後ぼつご100ねんさいおこなわれた[21]。 これはちょうどスターリンによるだい粛清しゅくせい時期じきであった。1936ねんから1938ねんまでのあいだに政治せいじてき理由りゆう逮捕たいほされたひとは134まんにんあまり、うちやく68まんにん処刑しょけいされた[22]。 このような状況じょうきょうなか、プーシキンは民族みんぞく国家こっかであるソビエト連邦れんぽうをまとめるシンボルとしてまつげられた。プーシキンの基本きほんテキストとなるアカデミーばんだい全集ぜんしゅう発行はっこうがはじまる[21]

1999ねん6がつ6にち、プーシキンの生誕せいたん200ねんさい開催かいさいされる。 様々さまざまなイベントがおこなわれ、広場ひろば群衆ぐんしゅうくされた。あたらしい全集ぜんしゅうばん発行はっこうされ、研究けんきゅうしょ多数たすう上梓じょうしされる[21]

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

日本語にほんごやく[編集へんしゅう]

英訳えいやく[編集へんしゅう]

ウラジミール・ナボコフが15ねんをかけて英訳えいやくし、1964ねんボーリンゲン財団ざいだんから出版しゅっぱんした。膨大ぼうだい注釈ちゅうしゃくきで1200ページをえる大作たいさくとなった[25]

ナボコフによる作品さくひん翻訳ほんやく 

  • Pushkin, Aleksandr; Nabokov, Vladimir; Boyd, Brian (2018) (英語えいご) (Paperback,Kindle). Eugene Onegin: A Novel in Verse (Bollingen: Princeton Classics). 1 (Reprint ed.). Princeton Univ Pr. ISBN 978-0691181011 

ナボコフによる注釈ちゅうしゃく

派生はせい作品さくひん[編集へんしゅう]

オペラ [編集へんしゅう]

バレエ [編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

絵画かいが [編集へんしゅう]

挿画そうが、イラストレーション[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 2021ねん12がつ現在げんざい、この2さつ容易ようい入手にゅうしゅできるが、ロシア原文げんぶん注釈ちゅうしゃく一部いちぶ削除さくじょされている

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ ヴィッサリオン・ベリンスキーによるひょう
  2. ^ はら & うら 1994, p. 170
  3. ^ 小澤おざわ, 浅岡あさおか & プーシキン 1996, p. 11
  4. ^ 木村きむら et al. 1998, p. 10
  5. ^ 池田いけだ & プーシキン 1962, p. 8
  6. ^ 小澤おざわ, 浅岡あさおか & プーシキン 1996, p. 105
  7. ^ 小澤おざわ, 浅岡あさおか & プーシキン 1996, p. 261.
  8. ^ 木村きむら et al. 1998, p. 393
  9. ^ a b 木村きむら et al. 1998, p. 394
  10. ^ 池田いけだ & プーシキン 1962, p. 176
  11. ^ 小澤おざわ, 浅岡あさおか & プーシキン 1996, pp. 333, 334
  12. ^ a b 木村きむら et al. 1998, p. 403
  13. ^ 木村きむら et al. 1998, p. 404
  14. ^ 土肥どい 2016, p. 193
  15. ^ a b 木村きむら et al. 1998, p. 405
  16. ^ 木村きむら et al. 1998, p. 407
  17. ^ 木村きむら et al. 1998, p. 388
  18. ^ 小澤おざわ, 浅岡あさおか & プーシキン 1996, pp. 295–298
  19. ^ 小澤おざわ, 浅岡あさおか & プーシキン 1996, p. 255
  20. ^ a b はら & うら 1994, p. 168
  21. ^ a b c d ぐん 1999, p. 268
  22. ^ 横手よこて 2014, p. 203
  23. ^ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんサーチ 2018ねん8がつ14にち閲覧えつらん[リンク]国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんオンラインではつからず 2021ねん12月31にち閲覧えつらん
  24. ^ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんオンライン 2018ねん8がつ14にち閲覧えつらん
  25. ^ ウラジーミル・ナボコフの翻訳ほんやく理論りろんと『オネーギン』やくんだ波紋はもん (PDF) 秋草あきくさ俊一郎しゅんいちろう翻訳ほんやく研究けんきゅうへの招待しょうたい (8) 1-20 2012ねん8がつ

参考さんこう文献ぶんけん [編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

  • オネーギン国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)米川よねかわ正夫まさおやくやしなえとくしゃ