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グランド・オール・オプリ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
グランド・オール・オープリーから転送てんそう
グランド・オール・オープリー
Grand Ole Opry
詳細しょうさい
フォーマット: 舞台ぶたいでのライヴおよび放送ほうそう
場所ばしょ: アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくテネシーしゅうナッシュビル
グランド・オール・オープリー・ハウス (2がつ–10がつ)
ライマン公会堂こうかいどう (11月–1がつ)
放送ほうそうきょく: WSMラジオ (650 kHzきろへるつ)
インターネット・ラジオ
シリウスXMラジオ
放送ほうそう日時にちじ: 火曜かようゆう(毎週まいしゅう)
水曜すいようゆう(ぶしによる)
金曜きんようゆう(毎週まいしゅう)
土曜どようゆう(毎週まいしゅう)
初回しょかい放送ほうそう: 1925ねん11月28にち
創立そうりつしゃ: ジョージ・D・ヘイ
ジャンル: カントリー, ブルーグラス, ゴスペル
前身ぜんしん: WSMバーン・ダンス
ウエブサイト: Opry.com
Grand Ole Opry House

グランド・オール・オプリ』 (Grand Ole Opry) は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくテネシーしゅうナッシュヴィルのラジオきょくWSMの毎週まいしゅう土曜どようよるカントリー・ミュージック公開こうかいライブ放送ほうそうラジオ番組ばんぐみであり、グレート・アメリカン・カントリー(GAC)ネットワークでTV放送ほうそうされた番組ばんぐみ。1925ねん11月28にちからWSMで放送ほうそう開始かいしされ、現在げんざいでもつづいているアメリカ最古さいこ番組ばんぐみである[1][2]

カントリー・ミュージック、およびその歴史れきし存続そんぞくさせるため、オープリーではカントリー、ブルーグラスフォークソングゴスペル巨匠きょしょう現代げんだいヒットチャートはいっているものぜ、コメディ寸劇すんげきなどのパフォーマンスもおこなう[3]。アメリカのアイコンとかんがえられており、世界中せかいじゅうからなんじゅうまんもの観客かんきゃくあつまり、なんひゃくまんもの人々ひとびとがラジオやインターネットでいている。オープリーは「カントリー・ミュージックを有名ゆうめいにした番組ばんぐみ」とされ[4]、「アメリカン・ミュージックの本拠地ほんきょち」または「カントリーのもっと有名ゆうめい舞台ぶたい」とばれる[3]

グランド・オール・オープリーはRyman Hospitality Propertiesによって所有しょゆうされる。

1930年代ねんだい番組ばんぐみはプロをやとい、これまで1あいだ番組ばんぐみだったのが4あいだとなり、WSMは当時とうじ5まんワットで土曜どようよるに30しゅうちかくに放送ほうそうしていた[5]。1939ねん、NBCラジオにより全米ぜんべい放送ほうそう開始かいし。1943ねんライマン公会堂こうかいどう常設じょうせつ活動かつどう拠点きょてんとした。これらの発展はってんにより、ナッシュビルはアメリカの「カントリー・ミュージックの首都しゅと」となった。

オープリーのメンバとなることは、カントリー・ミュージックかいにおいて最高さいこう功績こうせきの1つとされる[6]ハンク・ウィリアムズパッツィ・クラインロイ・エイカフカーター・ファミリービル・モンローアーネスト・タブキティ・ウェルズミニー・パールなどの巨匠きょしょうがオープリーの舞台ぶたいにレギュラー出演しゅつえんした(ただしウィリアムズはたびたびさけぱらって出演しゅつえんしたために1952ねん出演しゅつえん禁止きんしとなった)。近年きんねんドリー・パートンガース・ブルックスリーバ・マッキンタイアジョシュ・ターナーキャリー・アンダーウッドブラッド・ペイズリーラスカル・フラッツダークス・ベントリーケリー・ピックラーディキシー・チックスなどのコンテンポラリー・カントリーのスターも出演しゅつえんしている。1974ねんから、ナッシュビルのダウンタウンより東側ひがしがわのグランド・オール・オープリー・ハウスから放送ほうそうされ、ラジオ番組ばんぐみくわ時々ときどきテレビ放送ほうそうもされる。

歴史れきし

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『グランド・オール・オプリ』は、ナッシュヴィルのダウンタウンの、National Life & Accident Insurance Companyという保険ほけん会社かいしゃあたらしくつくられただい5スタジオでスタートした。[7] 最初さいしょのショウの演奏えんそうしゃ当時とうじ77さいのフィドル演奏えんそうしゃ、アンクル・ジミー・トンプソンだった。アナウンサーは番組ばんぐみのディレクターでもあったジョージ・D・ヘイ、別名べつめい「The Solemn Old Judge(ソロモンのろう判事はんじ)」。かれはこのとき30さいでしかも判事はんじではなかったが、シカゴの通信つうしん販売はんばい会社かいしゃシアーズ・ローバックが所有しょゆうするラジオきょくWLS [8] で1924ねん4がつ開始かいしされたフィドルとスクエアダンスの番組ばんぐみ、「National Barn Dance(全米ぜんべいバーン・ダンス)」ですでに人気にんきはくしており、この分野ぶんやのパイオニアだった。

初期しょきにレギュラー出演しゅつえんしていたバンドには、ポッサム・ハンターズ、フルート・ジャー・ドリンカーズ、クルーク・ブラザース&グリー・ジャンパーズなどがいた。かれらは順番じゅんばん演奏えんそうしたが、しかしヘイ判事はんじはフルート・ジャー・ドリンカーズがおりで、いつも毎回まいかい番組ばんぐみ最後さいごめる「red hot fiddle playing」のコーナーにもう一度いちど登場とうじょうさせた。ヘイ判事はんじは、開始かいし当初とうしょから出演しゅつえんしゃ田舎いなかふう愛称あいしょうび、女性じょせいにはあごひものついた帽子ぼうしにエプロン、男性だんせいにはオーバーオールにチェックがらのシャツをせて、農場のうじょうにいるかのような演出えんしゅつをつけた。

1926ねんすうきょくのレコードをしてボードビルショーを巡回じゅんかいしていたテネシーしゅうバンジョー奏者そうしゃアンクル・デイヴ・メイコンは、番組ばんぐみ最初さいしょのスターとなった。番組ばんぐみめいはもともと「バーン・ダンス(Barn Dance)」だったが、正式せいしきにグランド・オール・オプリにまったのは1927ねんの12月だった。当時とうじこの番組ばんぐみは、全国ぜんこくネットのNBCの、クラシック音楽おんがくやオペラなどの教養きょうよう音楽おんがくなが番組ばんぐみ直後ちょくご放送ほうそうされていた。番組ばんぐみのオープニングで、蒸気じょうき機関きかんしゃおとのちに「ハーモニカの天才てんさい」デフォード・ベイリーがかれのクラシック・トレイン・ソング、「パン・アメリカン・ブルース(The Pan American Blues)」を演奏えんそうすると、ヘイ判事はんじ南部なんぶなまりでコメントする。「グランド・オペラはいかがだったでしょうか。ここから数時間すうじかんはグランド・オール・オプリをおたのしみください」[9]。これ以来いらい、その名前なまえ番組ばんぐみめいとして今日きょう使用しようされている。

公開こうかい番組ばんぐみ聴衆ちょうしゅうえて、会場かいじょうすう変更へんこうし、1943ねんにはライマン劇場げきじょう移動いどうした。1954ねん10がつ2にち、まだ10代のエルヴィス・プレスリーがショーに最初さいしょ唯一ゆいいつ出演しゅつえんたした。「ケンタッキーのあおつき」を、そのきょく作曲さっきょくしゃ当時とうじレギュラー出演しゅつえんしゃだったビル・モンローまえ演奏えんそうした。モンローはそのアレンジにいかすとプレスリーはおもったが、ぎゃく感心かんしんされた。司会しかいしゃのジム・デニーは、プレスリーに「メンフィスにもどってトラックの運転うんてんしゅをやりなおしたほうがいい」とったといわれている。

1960年代ねんだい

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1960年代ねんだいヒッピーはん体制たいせい文化ぶんかひろがりにより、オープリーは長髪ちょうはつれない保守ほしゅてき道徳どうとくてき立場たちば保持ほじしていた。カントリーロック先駆せんくしゃグラム・パーソンズ当時とうじメンバーであったバーズアルバムロデオの恋人こいびと』のためにナッシュビルにやってきた[10]。このバンドのレコードレーベルコロムビア・レコードは1968ねん3がつ15にちにライマン公会堂こうかいどう演奏えんそうできるようアレンジし、パーソンズはこれをたのしみにしていた[10]。しかしながら観客かんきゃく声援せいえんこた舞台ぶたい登場とうじょうしようとした途端とたん出演しゅつえんめられ、客席きゃくせきからはヤジ、ブーイング、「うたえ、うたえ」とのコールがこった[11]トムポール・グレイサーきょく紹介しょうかいされたマール・ハガードの『Life in Prison 』のカバーをうた予定よていであったが、おこったかれらはわりに『Hickory Wind 』をうたった[10]

オープリー・ハウス

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グランド・オール・オープリー・ハウス
Grand Ole Opry House
グランド・オール・オプリの位置(テネシー州内)
グランド・オール・オプリ
所在地しょざいちアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくテネシーしゅうナッシュビル
オープリーランド・ドライブ2804番地ばんち[13]
座標ざひょう南緯なんいnan° 西経せいけいnan° / 北緯ほくい-nan 東経とうけい-nan / -nan; -nan
面積めんせきやく4エーカー(16,187m2)[13]
建設けんせつ1972ねん-1974ねん[13]
建築けんちくウェルトン・ベケット&アソシエイツ;ピア・キャブロル[13]
建築けんちく様式ようしきモダン/ブルタリスト[13]
再建さいけん2010ねん(洪水こうずい被害ひがい修復しゅうふく)
NRHP登録とうろく番号ばんごう14001222[12]
NRHP指定してい2015ねん1がつ27にち

1974ねん、そのはナッシュビルのダウンタウンの9マイル (14 km)ひがしに4,400せきのグランド・オール・オープリー・ハウスが建設けんせつされ、ショーも移動いどうした。2ねんまえ開業かいぎょうしたオープリーランドUSAというテーマパーク隣接りんせつ。オープリー・ハウス開幕かいまくの3がつ16にちリチャード・ニクソン大統領だいとうりょう来訪らいほうし、ピアノなんきょく演奏えんそうした[14]。ライマン公会堂こうかいどうオークざい舞台ぶたい直径ちょっけい6フィート (1.8 m)の円形えんけい切抜きりぬき、あたらしいオープリー・ハウスの舞台ぶたいにはめんだ。

テーマパークのオープリーランドUSAは1997ねん閉鎖へいさされ、オープリー・ミルズ・モールとしてまれわり、オープリー・ハウスはそのまま存続そんぞくし、あたらしい施設しせつ合併がっぺい北米ほくべい最大さいだいのカジノのないホテル、ゲイロード・オープリーランド・リゾート・アンド・コンベンション・センターてられた。現在げんざい世界中せかいじゅうのファンが、オープリーの音楽おんがくにナッシュビルに観光かんこうている。現在げんざい『グランド・オール・オープリー』は、ライマン公会堂こうかいどうとしいち冬季とうき公演こうえんのぞき、グランド・オール・オープリーでしゅうすうかい公演こうえんおこなわれる。

2010ねん洪水こうずい

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2010ねん5がつ、オープリー・ハウスはテネシー洪水こうずいによるカンバーランドがわ沿岸えんがん決壊けっかいによりナッシュビル全域ぜんいき同様どうよう浸水しんすい被害ひがいけた。復旧ふっきゅう作業さぎょうちゅう、ナッシュビル市内しない会場かいじょう一時いちじてき使用しようし、おおくの公演こうえんはライマン公会堂こうかいどうおこなわれた。また以前いぜんオープリーを公演こうえんしていた戦争せんそう記念きねんかんほかTPACアンドリュー・ジャクソン・ホール、ナッシュビル市民しみん会館かいかんリプスコム大学だいがくアレン・アリーナ、トゥ・リヴァーズ・バプティスト教会きょうかいなどが使用しようされた[15]。2010ねん9がつ28にち、オープリーがグランド・オール・オープリー・ハウスにもどり、特別とくべつ番組ばんぐみ『カントリー・カムズ・ホーム』としてグレート・アメリカン・カントリーでテレビでなま放送ほうそうされた。このはオープリーの歴史れきしてきの1つとなった。マルティナ・マクブライドコニー・スミスはスミスの『Once a Day 』をデュエットし、ディークス・ベントリーデル・マクーリーは『Roll On Buddy, Roll On 』、ジョシュ・ターナーロリー・モーガンは『Golden Ring 』、モンゴメリー・ジェントリーチャーリー・ダニエルズ・バンドは『The Devil Went Down to Georgia 』を演奏えんそうするなど数々かずかずコラボレーションおこなわれた。この公演こうえんブラッド・ペイズリーキース・アーバンスティーヴ・ウォリナーリッキー・スキャグスマーティ・スチュアートオールスターギタージャムまくじた。

文化ぶんか経済けいざいてき側面そくめん

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あらゆるめんにおいて、オプリはアメリカのカントリー音楽おんがく登竜門とうりゅうもん定義ていぎされている。新人しんじん、スーパースター、伝説でんせつひとわず、すうひゃく演奏えんそう出演しゅつえんした。グランド・オール・オプリに出演しゅつえんすることは、カントリー音楽おんがくのエリートであることを意味いみしていた。番組ばんぐみ開始かいし当初とうしょ出力しゅつりょくちいさく、ナッシュビルはつ電波でんぱ受信じゅしんできるような地域ちいきでは、オプリは例外れいがいとして早朝そうちょうひる放送ほうそうされることが一般いっぱんてきで、それは聴取ちょうしゅしゃおも農家のうかであったことによる。アパラチア山村さんそん農民のうみんたちは、土曜どようよるのオプリをくために、すうマイルはなれたラジオのあるいえあつまって熱心ねっしんいた。とくに、辺境へんきょうむミュージシャンはその一流いちりゅうのミュージシャンたちの演奏えんそう技術ぎじゅつぬすもうとみみをそばだてていた。チェット・アトキンスもオプリをいて独学どくがくギターまなんだ一人ひとりである。

オプリでは出演しゅつえんしゃへのギャラはないこともしばしばで、演奏えんそうしゃたちは、わりに自分じぶんたちのツアーやコンサートの告知こくちができればいいとおもっていた。しかし、やがて出演しゅつえんしゃたちは、隔週かくしゅうでレギュラー出演しゅつえんするとしても、としすくなくとも26かいはナッシュビルで番組ばんぐみにノーギャラでることが重荷おもにになっていった。このため、1960年代ねんだい中期ちゅうきには出演しゅつえんりょうされることになり、ちていた番組ばんぐみしつ向上こうじょうした。

長年ながねん、グランド・オール・オプリへの出演しゅつえんはカントリー音楽おんがくのスターへのみちかんがえられていたが、1970年代ねんだいわりと1980年代ねんだい前半ぜんはんには、かつてのスターしか出演しゅつえんしなくなったため、「ふるくさいおあそび」として見放みはなされるようになった。とくにドラムとエレキ楽器がっき使用しようがされなかったというてんでは、あたらしくてわかいカントリーロックのアーティストは出演しゅつえんできなかった。保守ほしゅてきなカントリー音楽おんがく伝統でんとうまもっていることで、よくもわるくも、オプリは長年ながねんつづけることができたともえる。

2004ねん9がつ、グランド・オール・オプリはカントリー料理りょうりのチェーンレストラン、クラッカー・バレル提供ていきょうスポンサーにむかえ、「グランド・オール・オプリ presented by クラッカー・バレル」となった。

放送ほうそう

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『グランド・オール・オープリー』は中部ちゅうぶ標準時ひょうじゅんじ土曜どようよる7よりWSM-AMでなま放送ほうそうされている。以前いぜんは6時半じはんからだったが短縮たんしゅくされた。同様どうよう番組ばんぐみとして『フライデー・ナイト・オープリー』が金曜きんようよるなま放送ほうそうされる。3月から12月、『チューズデー・ナイト・オープリー』もなま放送ほうそうされる[16]

オープリーでの演奏えんそうは『Willie's Roadhouse 』(XM Satellite Radio チャンネル56、Sirius チャンネル64)でもくことができる。1週間しゅうかん総集編そうしゅうへんとして『アメリカズ・オープリー・ウィークエンド』が全米ぜんべいシンジケーション放送ほうそうされる。またこの番組ばんぐみはWSMのウエブサイトでもくことができる[16]

1955ねんよりABCつきに1『グランド・オール・オープリー』を放送ほうそう。1978ねんから1981ねんPBSはテレビで生放送なまほうそうしていた[17]。1985ねんThe Nashville Network は『グランド・オール・オープリー・ライヴ』として30ふん編集へんしゅうした番組ばんぐみ放送ほうそうしていたが、カントリー・ミュージック・テレビジョン移動いどうし1あいだ番組ばんぐみ変更へんこうされ、そのケーブルテレビグレート・アメリカン・カントリー(GAC)に移動いどうした[18]が、現在げんざい休止きゅうしちゅうである[19]

メンバーシップ

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Category:グランド・オール・オープリー・メンバー 参照さんしょう

カントリー・ミュージックの老舗しにせ本場ほんばであり不朽ふきゅう殿堂でんどうでもあるグランド・オール・オープリーのメンバーになることは、カントリーかいのエリートとみとめられることと同等どうとうである。様々さまざま意味いみでオープリーのアーティストやレパートリーはアメリカのカントリー・ミュージックに定義ていぎされる。新人しんじん、スーパースター、巨匠きょしょうなどなんひゃくもの演奏えんそうしゃがゲスト・メンバーとして長年ながねん演奏えんそうしてきている。

オープリーのメンバーシップはただ獲得かくとくするだけでなく、現役げんえきでいるかぎ最前線さいぜんせん活躍かつやくつづけねばならない。オープリーのメンバーであるアーティストがくなった場合ばあい、もはやグランド・オール・オープリーの常任じょうにんメンバーではないとされる。しかしながら、2003ねんハンク・ウィリアムズ没後ぼつご50周年しゅうねん開催かいさいされ息子むすこハンク・ウィリアムズ・ジュニアまごハンク・ウィリアムズ3せい出演しゅつえんする特別とくべつイベントがおこなわれるなど影響えいきょうりょくはそのままである。

論争ろんそう

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1963ねん4がつ、オープリーのマネージメントは、メンバーシップをたもつためには年間ねんかん最低さいてい26公演こうえん出演しゅつえんすべきという規則きそく発表はっぴょう[20]。1964ねん1がつ、そのかずは20公演こうえんげられ[20]、2000ねんには12公演こうえんにまでげられた[21]年月としつきをかけて最低さいてい公演こうえんすうげられたが、メンバーであるアーティストは献身けんしんてき頻繁ひんぱん出演しゅつえんすることが要求ようきゅうされる[21]

長年ながねんつづいてきたほか論争ろんそうは、ドラムや電気でんきけい楽器がっき使用しようかんしてである。何人なんにんかの純正じゅんせい主義しゅぎしゃ伝統でんとうてきにカントリー・ミュージックのリズムをるのはコントラバスで、打楽器だがっきはめったに使つかわないとかんがえていた。1940年代ねんだい当時とうじあたらしかった電気でんきけい楽器がっきはポピュラー・ミュージックやジャズで使用しようされていた。オープリーではだい世界せかい大戦たいせんにはエレクトリック・ギタースティール・ギター容認ようにんされたが、ドラムや管楽器かんがっき制限せいげん継続けいぞくしていた。ボブ・ウィルズ[22]ピー・ウィー・キング[23]はこのドラム規制きせい反抗はんこう。この規制きせい新規しんきわかいファンのおおかったウェイロン・ジェニングスなどおおくのアーティストたち苛立いらだたせた。なが期間きかんをかけてこれらの制限せいげんのぞかれ、おおくの古参こさん伝統でんとう主義しゅぎしゃのファンをとおざけることとなったが、ながてオープリーの存続そんぞく考慮こうりょすると最善さいぜん選択せんたくであったとされる。

2010ねんにカントリー歌手かしゅチェリー・ライト同性愛どうせいあいしゃであることをカミングアウトしてからオープリーに出演しゅつえんしていない。彼女かのじょのドキュメンタリー『Wish Me Away 』で、クリスチャンがファンのだい部分ぶぶんめるカントリー・ミュージックかいでは同性愛どうせいあいしゃたいしどれだけ拒絶きょぜつてきであるかをかたった。

商標しょうひょうおよびスポンサー

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「グランド・オール・オープリー」の商標しょうひょう登録とうろくしており、オープリーのメンバー、独自どくじ商品しょうひんあるいはライセンス商品しょうひんにのみに使用しよう制限せいげんしている[24][25]。1968ねん後期こうき、WSMは、WSMから独立どくりつしたレコード会社かいしゃであるオープリー・レコードをうった[26]かり命令めいれい勝訴しょうそ[27]。しかし最終さいしゅうてきにWSMはレコード会社かいしゃオーナーにたいする法的ほうてき立場たちばうしなった。レコード会社かいしゃ弁護士べんごしは、WSMの経営けいえいは「グランド・オール・オープリー」という言葉ことば使用しようすることはできるが順番じゅんばんわせはこのままにかぎり、「グランド」や「オール」は使用しようであるが「オープリー」を個別こべつ使用しようするのは不可ふかであると主張しゅちょう。だが音楽おんがく公演こうえんに「オープリー」のけることは許可きょかされた[25]

2004ねん、『グランド・オール・オープリー』ははじめて提供ていきょうスポンサーをむかえることが発表はっぴょうされ、クラッカー・バレルが『グランド・オール・オープリー』のとも社名しゃめい記載きさいされることとなった[28]現在げんざいHumana 、クラッカー・バレル、ダラー・ジェネラルがスポンサーとなっている[29]

日本人にっぽんじん出演しゅつえんしゃ

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受賞じゅしょうれき

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参照さんしょう

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脚註きゃくちゅう

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  1. ^ Radio – Long Players”. Guinness World Records. 2010ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  2. ^ NRK article - Barnetimen er gammaldags (The 'Childrens-hour' is old-fashioned) (norwegian)”. Norsk RiksKringkasting. 2010ねん8がつ27にち閲覧えつらん
  3. ^ a b About The Opry”. Grand Ole Opry. Gaylord Entertainment. 2010ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ Grand Ole Opry”. Gaylord Opryland. Gaylord Hotels. 2010ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  5. ^ Music/Grand Ole Opry”. The Radio Hall of Fame. 2010ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  6. ^ Country Music History”. Country Music Hall of Fame and Museum. Country Music Foundation, Inc.. 2010ねん1がつ28にち閲覧えつらん
  7. ^ WSMは保険ほけん会社かいしゃ所有しょゆうするラジオきょくで、「We Shield Millions(わたしたちはおくせんまんにん保障ほしょうします)」の頭文字かしらもじだった。
  8. ^ WLSとは、「Wolrd's Largest Store(世界せかい最大さいだいみせ)」のりゃく
  9. ^ "For the past hour, we have been listening to music taken largely from Grand Opera. From now on we will present the 'Grand Ole Opry.'"
  10. ^ a b c Rogan, Johnny. (1998). The Byrds: Timeless Flight Revisited. Rogan House. ISBN 0-9529540-1-X 
  11. ^ Fricke, David. (2003). Sweetheart of the Rodeo: Legacy Edition (2003 CD liner notes) 
  12. ^ National Park Service (9 July 2010). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数ひきすう必須ひっすです。 (説明せつめい)
  13. ^ a b c d e National Register of Historic Places Registration Form: Grand Ole Opry House
  14. ^ Hurst, Jack Nashville's Grand Ole Opry (New York: H.N. Abrams, 1975)
  15. ^ http://search2.opry.com/?view=events
  16. ^ a b Tune In”. Grand Ole Opry. December 9, 2012閲覧えつらん
  17. ^ Fay, Byron. “First Televised Opry Show on PBS-March 4, 1978”. FayFare's Opry Blog. December 9, 2012閲覧えつらん
  18. ^ History of the Opry”. Grand Ole Opry. December 9, 2012閲覧えつらん
  19. ^ GAC's Presents Opry Live”. GAC (Great American Country). December 9, 2012閲覧えつらん
  20. ^ a b “Four Dropped From 'Opry' To Return on Christmas”. Billboard: 50. (November 27, 1965). https://books.google.co.jp/books?id=NykEAAAAMBAJ&pg=PA60&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false. 
  21. ^ a b Morris, Edward (April 20, 2000). “Grand Ole Opry Looking Toward Building Its Audience”. CMT/CMT News. December 9, 2012閲覧えつらん
  22. ^ Kienzle, Richard. (2003). Southwest shuffle: pioneers of honky-tonk, Western swing, and country jazz. New York: Routledge. pp. 254-257.
  23. ^ Hall, Wade. (1998). "Pee Wee King". In The Encyclopedia of Country Music. Paul Kingsbury, Editor. New York: Oxford University Press. pp. 283–4.
  24. ^ “WSM Back in Court Again - Files 2d Suit Over Name”. Billboard 81 (21): 51. (May 24, 1969). https://books.google.co.jp/books?id=KygEAAAAMBAJ&pg=RA1-PA51&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false. 
  25. ^ a b WSM, INCORPORATED, Appellant, v. Dennis E. HILTON and Country Shindig Opry, Inc., Appellees”. United States Court of Appeals, Eighth Circuit (January 12, 1984). December 9, 2012閲覧えつらん
  26. ^ “Opry Records Sued For Infringement”. Billboard 80 (50): 29. (December 14, 1968). https://books.google.co.jp/books?id=_kQEAAAAMBAJ&pg=PA29&redir_esc=y&hl=ja#v=twopage&q&f=false December 9, 2012閲覧えつらん. 
  27. ^ WSM, INC. V. BAILEY”. FindACase (March 21, 1969). December 9, 2012閲覧えつらん
  28. ^ Lovel, Jim (December 20, 2004). “Cracker Barrel Reloads Marketing Arsenal”. AdWeek. December 9, 2012閲覧えつらん
  29. ^ Sponsors”. Grand Ole Opry. December 9, 2012閲覧えつらん
  30. ^ http://www.yoshio-ohno.jp/profile/profile_index.shtml
  31. ^ http://www.tomifujiyama.com/jp/history/index.html
  32. ^ https://ameblo.jp/tomifujiyama1205/entry-12021540936.html

参考さんこう

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  • en:Grand Ole Opry14:53, 15 May 2007のはんより
  • 「ロックをんだアメリカ南部なんぶ ルーツ・ミュージックの文化ぶんかてき背景はいけい」(NHKブックス)
  • 「エルヴィス・プレスリー 世界せかいえたおとこ」(文春ぶんしゅん新書しんしょ)

外部がいぶリンク

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