グレアム・パーカー

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グレアム・パーカー
Graham Parker
(2007ねん
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい Graham Parker
生誕せいたん (1950-11-18) 1950ねん11月18にち(73さい
イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル ロック
ロックンロール
パブロック
パンク・ロック
ニュー・ウェイヴ
ロカビリー
職業しょくぎょう ミュージシャン
シンガーソングライター
ギタリスト
レコードプロデューサー
担当たんとう楽器がっき ボーカル
ギター
キーボード
活動かつどう期間きかん 1968ねん
レーベル Vertigo
Stiff
Mercury
Arista
Demon
RCA・レコード
ワーナー・ブラザース・レコード
キャピトル・レコード
Lost Highway
共同きょうどう作業さぎょうしゃ ザ・ルーモア
ザ・フィッグス
ニック・ロウ
ブリンズリー・シュウォーツ
ピート・トーマス
ガース・ハドソン
George Jones
Emmylou Harris
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
ダイアナ・クラール
ケイト・オーリアダン
ダリル・ホール
The Brodsky Quartet
マイケル・ティルソン・トーマス
ポール・マッカートニー
ボブ・ディラン
グレン・ティルブルック
著名ちょめい使用しよう楽器がっき
フェンダー・テレキャスター

グレアム・パーカー[1](Graham Parker、1950ねん11月18にち - )は、英国えいこくロンドンまれのロック歌手かしゅ作曲さっきょくである。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

初期しょき/パブロック(1960年代ねんだいまつ - 1977ねん[編集へんしゅう]

1960年代ねんだい後期こうきおよび70年代ねんだい初期しょき、グレアム・パーカーは手袋てぶくろ工場こうじょうやガソリンスタンドといった仕事しごとはたらきながら、Black Rockers や Deep Cut Three のような英国えいこくのローカルバンドうたっていた。1975ねん、まもなくスティッフ・レコード Stiff Records を設立せつりつし、パーカーを著名ちょめい最初さいしょバックバンドむすびつけたデイヴ・ロビンソン Dave Robinson と、ロンドンで2、3のデモトラックを録音ろくおんした。

1975ねんなつ結成けっせいされたグレアム・パーカー&ルーモア Graham Parker & Rumour (パーカーおよび、ギターのブリンズリー・シュウォーツ Brinsley Schwarz とマーティン・ベルモント Martin Belmont、キーボードのボブ・アンドリュース Bob Andrews、ベースのアンドリュー・ボドナー Andrew Bodnar、ドラムのスティーブ・グールディング Steve Goulding)は英国えいこくパブロック・シーンで演奏えんそうはじめた。バンドは、ルーモア・ブラス The Rumour Brass としてられる4めいホーン・セクション: ジョン・“アイリッシュ”・アール John "Irish" Earle (サックス)、クリス・ガウアー Chris Gower (トロンボーン)、ディック・ハンソン Dick Hanson (トランペット)およびレイ・ビーヴィス Ray Bevis (サックス) によって増強ぞうきょうされた。

1976ねんリリースされた、バンド最初さいしょアルバム『ハウリン・ウィンド』 Howlin' Wind[2]こう評価ひょうかけ、スタイルてき類似るいじした『ヒート・トリートメント』 Heat Treatment がすぐにつづいた。ロックバラードレゲエ影響えいきょうされた楽曲がっきょくざったこれらのアルバムは、パーカーの初期しょき影響えいきょうモータウンローリング・ストーンズボブ・ディランヴァン・モリソン)を反映はんえいしており、ライブショー中核ちゅうかくとなった楽曲がっきょく、「ホワイト・ハニー」 White Honey、「ソウル・シューズ」 Soul Shoes、「レディ・ドクター」 Lady Doctor、「フールズ・ゴールド」 Fool's Gold、そしてかれ初期しょきのテーマきょくとなり英国えいこくトップ40ヒットとなった「おもたまうな」 Don't Ask Me Questionsふくんでいた。

パーカーとルーモアは、扇動せんどうてきなライブ・パフォーマーとして評判ひょうばんとなった。このころ録音ろくおんされたプロモーション・アルバム Live at Marble Arch は、かれらの生々なまなましいステージ・スタイルをしめしている。かれがゆるくむすびついていたパブ・ロック・シーンや、この歌手かしゅ階級かいきゅう意識いしきした歌詞かし情熱じょうねつてきなボーカルは、英国えいこく開花かいかはじめていたパンク・ロック同様どうようロック・ミュージックの変革へんかくげていた。

グレアム・パーカー&ルーモアは、1976ねんはや時期じきにレコーディング・キャリアをきずくことにより、いつも比較ひかくされるほか2人ふたりの“ニュー・ウェイヴ”の英国えいこくシンガー・ソングライターエルヴィス・コステロ Elvis Costello とジョー・ジャクソン Joe Jackson に先行せんこうした。コステロのファースト・シングル1977ねんにリリースされ、ジャクソンのファースト・ソロ・シングルは1978ねん後半こうはんだった。ジャクソンは1976ねん4がつはじめに3まいのノン・チャート・シングルをリリースした Arms & Legs のメンバーでもあったが、それはパーカーとルーモアのデビュー・シングル「シリー・シング」 Silly Thing リリースのちょうど1ヶ月かげつだった。

キャリア初期しょき、パーカーの仕事しごとはジャクソンやコステロのとの比較ひかくこのまれた。そのながきにわたってジャーナリストは彼等かれら一緒いっしょくたに分類ぶんるいつづけ、アーティストの作品さくひんことなっていってひさしいにもかかわらず、「おこれる若者わかものたち」の一種いっしゅとしてレッテルをつづけている。パーカーはしんらつなウィットで、この習慣しゅうかん批判ひはんするのを躊躇ちゅうちょしなかった。

最初さいしょの2つのアルバムへの批評ひひょう称賛しょうさんLP のセールスとは大体だいたいにおいて一致いっちしなかった。グレアム・パーカー&ルーモアは、1977ねんBBCテレビの『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演しゅつえんし、1977ねん3がつ英国えいこくトップ30 ヒットとなった The Pink Parker EP からトランプス The Trammps の「ホールド・バック・ザ・ナイト」 Hold Back the Nightカバー・バージョン演奏えんそうした。

このてんで、アメリカのマーケットにはいむことを意識いしきして、パーカーはソング・ライティングのスタイルをはじめた。このあたらしい方向ほうこう最初さいしょ成果せいかは、『スティック・トゥ・ミー』 Stick To Me (1977) にあらわれた。アルバムは英国えいこくチャートのトップ20りしたが、とくに「ヒート・イン・ハーレム」 The Heat in Harlem のような当時とうじのバンドでもっとながいナンバーでは批評ひひょう意見いけんかれた。ニック・ロウ Nick Lowe のプロデュースもまた非難ひなんされ、一部いちぶ批評ひひょうは、バンドがかぼそこえパーカーのこえひくミックスされたと不満ふまんべた。実際じっさいのところそのとき、スタジオでの災難さいなんもとのレコーディングをあやうくし、グループに短期間たんきかんでのアルバムのつくなおしをいていた。

ニュー・ウェーヴ(1978-1979ねん[編集へんしゅう]

一部いちぶ批評ひひょうは、『ヒート・トリートメント』2年間ねんかん足踏あしぶ状態じょうたいとパーカーをなしたが、1978ねん発表はっぴょうの『ロック・モンスター/グラハム・パーカー・ライブ!』 Parkerillaばれるグレアム・パーカー&ルーモアの公式こうしきライブ・アルバムは、ルーモアの刺激しげきてきなライブ・スタイルがつづ強力きょうりょくであることをしめしていた。それはわかいミュージシャンへの重大じゅうだい転機てんきとなった。

パーカーは、かれのアメリカでのレコード会社かいしゃマーキュリー・レコードはたらきになが不満ふまんで、ついに1979ねん、シングル「マーキュリー・ポイズニング」 Mercury Poisoning発表はっぴょうし、セックス・ピストルズの「拝啓はいけいEMI殿どのEMI契約けいやく破棄はきおもわせた。

かれあたらしいレーベルアリスタ・レコード伝説でんせつてきプロデューサージャック・ニッチェ Jack Nitzsche の存在そんざいにエネルギーをあたえられ、パーカーはキャリア最高さいこうのアルバムとひろみとめられている『スパークス!』 Squeezing Out Sparksくわえた。このアルバムでは、以前いぜんのアルバムすべてで目立めだっていたルーモアのブラス・セクションは放棄ほうきされ、パーカーのもっと素晴すばらしいきょくのいくつかへのはげしいロック・バッキングわる結果けっかとなった。曖昧あいまいながら妊娠にんしん中絶ちゅうぜつ話題わだいあつかったロック・ミュージックのめずらしいきょくのひとつ「ユー・キャント・ビー・トゥー・ストロング」 You Can't Be Too Strongとく注目ちゅうもくあたいした。

『スパーク!』(1979ねん)はグレアム・パーカーのもっと賞賛しょうさんされたアルバムである。『スパーク!』は、いまだにファンおよび、評論ひょうろんにも同様どうように、これまでつくられたもっといロック・アルバムの1つとしてランクけされている。『ローリング・ストーンは、2003ねんのオールタイム・グレイテスト・アルバム500のリストで335にした[3]1987ねんはじめの『ローリング・ストーン』トップ100アルバム1967-1987ねんのリストでは、『スパーク!』は45にランクされ、『ハウリン・ウィンド』は54はいった[4]。パーカーのプロモーション・キャンペーンの一部いちぶとして米国べいこくのラジオきょくおくられた姉妹しまいへんのライブ・アルバム Live Sparks は、どれだけきょくがステージでえたかをしめしており、べつのピリッとした R&B カバー、ジャクソン5 The Jackson 5 の「アイ・ウォント・ユー・バック」 I Want You Backふくんでいた。

ちなみに放棄ほうきされたブラス・セクションは、(ザ・クラッシュ The Clash のアルバム『ロンドン・コーリングLondon Calling での)アイリッシュ・ホーンズ The Irish Horns やルーモア・ブラス The Rumour Brass としてクレジットされ、人々ひとびとのレコードでプレイをつづけた。とく注目ちゅうもくされるのはカトリーナ・アンド・ザ・ウェイヴス1985ねんのヒット「ウォーキング・オン・サンシャイン」である。

ルーモアのわり(1980ねん[編集へんしゅう]

ボブ・アンドリュースは1980ねんはじめにルーモアを公式こうしきには交代こうたいされなかった。ただしつぎのアルバムのスタジオ・セッションではニッキー・ホプキンス Nicky Hopkins とダニー・フェデリシ Danny Federici (Eストリートバンド The E Street Band )がキーボードにいた。

1980ねんの『ジ・アップ・エスカレーター』 The Up Escalator は、前作ぜんさくよりはわずかにおとるが英国えいこくでのパーカーの最高さいこうチャートのアルバムであり、ジミー・イオヴィン Jimmy Iovine による豪華ごうかなプロデュースとブルース・スプリングスティーン Bruce Springsteen のゲスト・ボーカルをフィーチャーしていた。注目ちゅうもくすべきはアルバムのフロント・カバーでグレアム・パーカーとだけクレジットされており、「グレアム・パーカー&ルーモア」ではなかった。

『ジ・アップ・エスカレーター』はパーカーのルーモアとのラスト・アルバムとなったが、ギタリストのブリンズリー・シュウォーツは1983ねんにパーカーと再会さいかいし、じゅうねんわたってこの歌手かしゅのアルバムのほとんどでプレイした。またベーシストのアンドリュー・ボドナーは1988ねんから90年代ねんだい中盤ちゅうばんにかけてパーカーと再会さいかいし、ドラマーのスティーブ・グールディングはパーカーの2001ねんのアルバム Deepcut To Nowhere でプレイした。

商業しょうぎょうてき成功せいこう(1981-1990ねん[編集へんしゅう]

1980年代ねんだいは、資金しきんりょくのあるレコーディングと、ラジオ、ヴィデオでのプレイで、パーカーの商業しょうぎょうてきもっと成功せいこうしたとしだった。この年代ねんだいとおして英国えいこくプレス冷淡れいたんだったが、かれ最上さいじょうのバック・バンドとのレコーディングと世界せかいツアーをつづけた。『ジ・アップ・エスカレーター』につづ1982ねんAnother Gray Area は、バック・バンドに有名ゆうめいセッション・ミュージシャンニッキー・ホプキンスヒュー・マクラケンをフィーチャーした。このアルバムは英国えいこく40米国べいこく51にチャートりし、英国えいこくトップ40シングル Temporary Beautyまれた。

スクイーズ Squeeze のギルソン・レイヴィス Gilson Lavis によるドラミングをフィーチャーし、ギタリストの地位ちいへブリンズリー・シュウォーツが復帰ふっきした1983ねんの『ザ・リアル・マッコー』 The Real Macaw は、米国べいこくのアルバムチャート59たったが英国えいこくチャートは完全かんぜんのがし、それほど成功せいこうしなかった。ただしパーカーの1985ねんリリースの「ステディ・ナーヴス」 Steady Nerves (グレアム・パーカー&ショット Graham Parker and The Shot 名義めいぎ)はまずまず成功せいこうし、かれ唯一ゆいいつ米国べいこくトップ40ヒット「ウェイク・アップ」 Wake Up (Next to You)ふくんでいた。ショットはブリンズレー・シュウォーツ(ギター)、ジョージ・スモール George Small (キーボード)、ケビン・ジェンキンス Kevin Jenkins (ベース)、およびマイケル・ブラウン Michael Braun (ドラム)のよん人組にんぐみのバックバンドで、全員ぜんいんが『ザ・リアル・マッコー』と『ステディ・ナーヴス』両方りょうほうでプレイしていた。

『ステディ・ナーヴス』はニューヨークでレコーディングされ、パーカーはこのあいだだい部分ぶぶん米国べいこくはじめた。

かれ音楽おんがくへの妥協だきょうのない態度たいどは、パーカーがメジャーレーベル音楽おんがくビジネスの優先ゆうせん順位じゅんい変化へんか衝突しょうとつするのを確実かくじつにしたし、レーベルの変化へんかは1980年代ねんだい中盤ちゅうばんすぐにやってた。この状況じょうきょうは、グレアム・パーカーのディスコグラフィにあるコンピレーション・アルバムに、注目ちゅうもくすべきナンバーがおさめられていることを部分ぶぶんてき説明せつめいしている。とく生産せいさんてきだったのはパーカーのアトランティック・レコードとの期間きかんで、のソングライターと協力きょうりょくして当時とうじ流行はやりの「ビッグ・ドラム・サウンド」に焦点しょうてんわせるようわれたとかたっていた。そうするかわりにパーカーは、(アトランティックでなにもリリースすることなく)契約けいやくえ、RCA レコード署名しょめいした。

パーカーはレコーディングを自身じしんでプロデュースしはじめ、サウンドをそぎとした The Mona Lisa's Sister (1988ねん)でふたた批評ひひょう注目ちゅうもくあつめた。それはあたらしい“モダン・ロック”フォーマットの成功せいこうだった。このアルバムのためのバックバンドは、もとルーモアの仲間なかまシュウォーツ、ボドナーをふくむ、キーボード奏者そうしゃにジェームス・ホールウェル James Halliwell とスティーブ・ナイーヴ Steve Nieve 、もとロックパイル Rockpile とダイアー・ストレイツ Dire Straits のドラマー、テリー・ウィリアムス Terry Williams (アンディ・ダンカン Andy Duncan でられた1きょくと、の2きょくでナイーヴ同様どうようエルヴィス・コステロ&アトラクションズ The Attractions のメンバーだったピート・トーマス Pete Thomas に交代こうたい)だった。

The Mona Lisa's Sister は1989ねんの『ローリング・ストーン』80年代ねんだいグレイテスト・アルバム100の97にランクインしている[5]

1990年代ねんだい[編集へんしゅう]

パーカーは1990年代ねんだい初期しょきとおして RCA へレコーディングをつづけ、がいして批評ひひょうけはかったがチャートでの成功せいこうほとんかった。 長年ながねんのギタリスト、シュウォーツは好評こうひょうだった1990ねんのアルバム Human Soulのちふたたびパーカーとたもとかった。

パーカーの1991ねん発表はっぴょうStruck By Lightning は、以前いぜんのパーカーのリリースよりわずかにルーツりなあじち、バックバンドにベーシストのボドナーおよびアトラクションズのドラマー、ピート・トーマスがフィーチャーされただけでなく、キーボードでザ・バンド The Band のガース・ハドソン Garth Hudson がゲスト参加さんかした。ただし米国べいこく131のアルバムチャート最高さいこうは RCA を満足まんぞくさせるには十分じゅうぶんでなく、パーカーはレーベルを解約かいやくされた。

かれは、素早すばやりかえした。パーカー、ボドナー、トーマスはスタイル・カウンシル The Style Council のキーボード奏者そうしゃミック・タルボット Mick Talbot をむかえ、このユニットは米国べいこくのメジャーレーベル、キャピタル・レコード1992ねんの『バーニング・クエスチョンズ』 Burning Questions をレコーディングした。このレコードは完全かんぜんにチャートをはずし、またもやパーカーは自身じしんのレーベルがいことにづいた。

パーカーがよりさだまった場所ばしょをアメリカのインディペンデントレーベル Razor & Tie に見出みいだまえに、1994ねんのクリスマスをテーマとした EPGraham Parker's Christmas Cracker )のリリースが Dakota Arts Records でされた。感動かんどうてきでパーソナルな 12 Haunted Episodes1996ねんAcid Bubblegum (キーボードにブロンディ Blondie のジミー・デストリー Jimmy Destri をフィーチャー)ののち、パーカーは1990年代ねんだい後期こうきりをひそめた。しかしかれはかなり定期ていきてきにライブをしつづけ、バックバンドにはたびたびフィッグス The Figgs (ルーモアのように、パーカーをバッキングしないときはべつユニットとしてレコードをした)を起用きようした。

21世紀せいきはいって[編集へんしゅう]

パーカーは2001ねん初期しょきのルーモアとの仕事しごと英国えいこくでの再発さいはつと、Razor & Tie への3番目ばんめのスタジオ・アルバムで、この歌手かしゅ人生じんせい目的もくてき包括ほうかつてきかえることを意図いとするかのような洞察どうさつりょく新曲しんきょくのコレクション Deepcut to Nowhere とで、非常ひじょう活発かっぱつ期間きかん開始かいしした。20ねんぶりにもとルーモアのドラマー、スティーヴ・グールディングとパーカーはレコーディングし、再会さいかい跡付あとづけもした。

2003ねんに、パーカーはビートルズ The Beatles にレコーディングされなかった、あまりられていないジョン・レノン John Lennon / ポール・マッカートニー Paul McCartney 作品さくひんのアルバムを録音ろくおんするために、The B-52's のケイト・ピアソン Kate Pierson と、ビル・ヤノビッツ Bill Janovitz と協力きょうりょくした。『ロスト・ソングス・オブ・レノン&マッカートニー〜フロム・ア・ウィンドウ』 From A Window: Lost Songs of Lennon & McCartneyばれるアルバムは、「ピアソン、パーカー、ヤノビッツ」とクレジットされた。

あたらしいソロの仕事しごと2004ねんYour Countryつづき、パーカーがレーベルをシカゴ拠点きょてんとするインディーズ Bloodshot Records に変更へんこうしたことが判明はんめいした。カントリー・ミュージックへの関心かんしんしめした Your Country は、いつものパーカーよりもわずかにルーツりなサウンドとなっていた。

2005ねんつづいたのは、かつてのバックバンド、フィッグスと短期間たんきかんでレコーディングされたアップテンポのロックンロール・コレクション Songs Of No Consequence だった。つづはじまったフィッグスとのツアーからのショーはFMラジオで放送ほうそうされ、2006ねんのライブ・アルバムとなった。2007ねん3がつ、フルレンジの新作しんさく『ドント・テル・コロンバス』 Don't Tell Columbus が、パーカーの3年間ねんかんで4さくのアルバムとしてリリースされた。『ドント・テル・コロンバス』では、パーカーが商業しょうぎょうてき成功せいこう不足ふそくについて「のぞみをつけたときだれもがとどめろとった」と表明ひょうめいする自叙伝じじょでんてきな「ディスカヴァード・アメリカ」 I Discovered Americaふくむ、復調ふくちょうぶのは適当てきとうだが、ここなんねんかでベストのきょくのグレアム・パーカーがみとめられる。

かれのレコードにくわえ、1980ねんパーカーはイラストりの SF 短編たんぺん小説しょうせつ Great Trouser Mystery発表はっぴょうした。2000ねん6がつにはたん編集へんしゅう Carp Fishing on Valium出版しゅっぱん。3さつ著作ちょさく小説しょうせつ Other Life of Brian は2003ねん9がつ発表はっぴょうされている。 2012ねんからふたたびルーモアの全員ぜんいん活動かつどうをしている。

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

スタジオ・アルバム[編集へんしゅう]

グレアム・パーカー&ルーモア

  • 『ハウリン・ウインド』 - Howlin' Wind (1976ねん)
  • 『ヒート・トリートメント』 - Heat Treatment (1976ねん)
  • The Pink Parker EP (1977ねん)
  • 『スティック・トゥ・ミー』 - Stick To Me (1977ねん)
  • 『スパーク!』 - Squeezing Out Sparks (1979ねん)
  • 『ジ・アップ・エスカレーター』 - The Up Escalator (1980ねん)
  • Three Chords Good (2012ねん)
  • Mystery Glue (2015ねん)

グレアム・パーカー

  • Another Grey Area (1982ねん)
  • 『ザ・リアル・マッコー』 - The Real Macaw (1983ねん)

グレアム・パーカー&ショット

  • 『ステディ・ナーヴス』 - Steady Nerves (1985ねん)

グレアム・パーカー

  • The Mona Lisa's Sister (1988ねん)
  • Human Soul (1989ねん)
  • Struck by Lightning (1991ねん)
  • 『バーニング・クエスチョンズ』 - Burning Questions (1992ねん)
  • Graham Parker's Christmas Cracker EP (1994ねん)
  • 12 Haunted Episodes (1995ねん)
  • Acid Bubblegum (1996ねん)
  • Loose Monkeys (outtakes) (1999ねん)
  • That's When You Know (2001ねん) ※1976ねんデモ + Live at Marble Arch
  • Deepcut To Nowhere (2001ねん)
  • Your Country (2004ねん)
  • Songs of No Consequence (2005ねん) ※with The Figgs as his backup band
  • 『ドント・テル・コロンバス』 - Don't Tell Columbus (2007ねん)
  • Imaginary Television (2010ねん)
  • Carp Fishing on Valium (2011ねん)

ライブ・アルバム[編集へんしゅう]

グレアム・パーカー&ルーモア

  • Live at Marble Arch (1976ねん)
  • At The Palladium, New York, NY (1977ねん)
  • 『ロック・モンスター/グラハム・パーカー・ライブ!』 - The Parkerilla (1978ねん)
  • Live Sparks (1979ねん)

グレアム・パーカー

  • Live! Alone in America (1989ねん)
  • 『ライヴ・アローン! ディスカヴァリング・ジャパン』 - Live Alone! Discovering Japan (1993ねん)
  • Live from New York (1996ねん)
  • BBC Live in Concert (1996ねん) ※1977ねん-1991ねんのコンピレーション
  • The Last Rock and Roll Tour (1997ねん) ※with The Figgs as his backup band
  • Not If It Pleases Me (1998ねん) ※BBCセッション 1976ねん-1977ねん
  • King Biscuit Flower Hour Presents Graham Parker (2003ねん) ※1983ねんのライブ
  • Live Cuts From Somewhere (2003ねん) ※with The Figgs as his backup band
  • Blue Highway (2003ねん) ※1988ねん7がつ4にち、イリノイしゅうシカゴ・グラント・パークでのライブ
  • !Live Alone: The Bastard of Belgium (2005ねん)
  • Yer Cowboy Boot (2005ねん)
  • 103 Degrees in June (2006ねん) ※with The Figgs as his backup band

コンピレーション・アルバム[編集へんしゅう]

  • The Best of Graham Parker and the Rumour (1980ねん)
  • Look Back in Anger: Classic Performances (1982ねん)
  • It Don't Mean a Thing If It Ain't Got That Swing (1984ねん)
  • Pourin' It All Out: The Mercury Years (1986ねん)
  • The Best of Graham Parker 1988-1991 (1992ねん)
  • Passion Is No Ordinary Word: The Graham Parker Anthology (1993ねん)
  • No Holding Back (1996ねん)
  • Vertigo Compilation (1996ねん)
  • Temporary Beauty (1997ねん)
  • Stiffs & Demons (1999ねん)
  • Master Hits (1999ねん)
  • The Ultimate Collection (2001ねん)
  • You Can't Be Too Strong: An Introduction to Graham Parker and the Rumour (2001ねん)
  • The Official Art Vandelay Tapes (2003ねん)
  • The Official Art Vandelay Tapes Vol 2 (2005ねん)

シングル[編集へんしゅう]

とし タイトル チャート順位じゅんい アルバム
US Hot 100 US Modern Rock US Mainstream Rock UK
1977 "Hold Back the Nigt" #58 - - - The Pink Parker
1983 "Life Gets Better" #94 - - - The Real Macaw
1985 "Wake Up (Next To You)" #39 - - - Steady Nerves
1988 "Don't Let It Break You Down" - #27 - - The Mona Lisa's Sister
1989 "Big Man on Paper" - #18 - - Human Soul

オムニバス、サウンドトラック[編集へんしゅう]

  • 「ホエン・ザ・ライツ・ゴー・ダウン」 - "When the Lights Go Down"
『ハード・トゥ・ホールド』 - Hard To Hold (1984ねん) (映画えいが『ハード・ツー・ホールド』サウンドトラック収録しゅうろく
『ブレイス・ユアセルフ! : ア・トリビュート・トゥ・オーティス・ブラックウェル』 - Brace Yourself: A Tribute to Otis Blackwell (1994ねん) 収録しゅうろく
In Their Own Words, Vol.1 (1994ねん) (ニューヨークのライブハウスボトムラインのライブしゅう収録しゅうろく
『ビート・ザ・リトリート〜ソングス・バイ・リチャード・トンプソン』 - Beat the Retreat: Songs by Richard Thompson (1994ねん) 収録しゅうろく
『アディオス・アミーゴ/トリビュート・トゥ・アーサー・アレクサンダー』 Adios Amigo (1994ねん) 収録しゅうろく
  • "Childhood Sweetheart"
Burnzy's Last Call (1999ねん) (映画えいが Burnzy's Last Call のサウンドトラック)収録しゅうろく
『ダウン・ザ・ダート・ロード〜チャーリー・パットン・トリビュート』 - Down the Dirt Road: The Songs of Charley Patton (2001ねん) 収録しゅうろく
  • 「ローズ・オブ・イングランド」 - "Rose of England" (ニック・ロウ)
『レイバー・オブ・ラヴ〜ニック・ロウ・トリビュート』 - Labour of Love: the Music of Nick Lowe (2001ねん) 収録しゅうろく
A Fair Forgery of Pink Floyd (2003ねん) (ピンク・フロイドのトリビュート・アルバム収録しゅうろく
  • 「ピンク・キャディラック」 - "Pink Cadillac" (ブルース・スプリングスティーン)
『ライト・オブ・デイ - ブルース・スプリングスティーン・トリビュート』 - Light of Day - A Tribute to Bruce Springsteen (2005ねん) 収録しゅうろく

ピアソン、パーカー、ヤノビッツ

  • 『ロスト・ソングス・オブ・レノン&マッカートニー〜フロム・ア・ウィンドウ』 - From A Window: Lost Songs of Lennon & McCartney (2003ねん)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 「グラハム・パーカー」のレコード日本にっぽんでの配給はいきゅうは、日本にっぽんフォノグラム(げんユニバーサルミュージック)がおこなっていたが、RVC (げん BMG JAPAN)にうつった『ザ・リアル・マッコー』(1983ねん)で「グレアム・パーカー」の表記ひょうきへと変更へんこうされた。しかし1985ねんのワーナーパイオニア(げんワーナーミュージック配給はいきゅうの『ステディ・ナーヴス』ではグラハム・パーカーにもどり、その MSI での『バーニング・クエスチョンズ』(1992ねん以降いこうは、グレアム・パーカーとなっている。
  2. ^ http://www.discogs.com/.../Graham-Parker...Howlin-Wind/.../...
  3. ^ "500 Greatest Albums of All Time", Rolling Stone Magazine, Issue 937, December 11, 2003, pages 83-178.
  4. ^ "100 Greatest Albums from the Last Twenty Years [1967-1987]", Rolling Stone Magazine, Issue 507, August 27, 1987, pages 45-174.
  5. ^ "100 Greatest Albums of the 80's", Rolling Stone Magazine, Issue 565, November 16, 1989

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]