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B-52's

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
The B-52's
「Festival Internacional de Benicàssim」にて(2007ねん7がつ21にち撮影さつえい
基本きほん情報じょうほう
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ジョージアしゅう アセンズ
ジャンル
活動かつどう期間きかん
レーベル
公式こうしきサイト The B-52's : World's Greatest Party Band 英語えいご
メンバー
  • フレッド・シュナイダー
  • ケイト・ピアソン
  • シンディ・ウィルソン
  • キース・ストリックランド
  • トレイシー・ウォームワース
  • スターリン・キャンベル
  • グレッグ・スラン
  • ケン・マイウリ
きゅうメンバー 別記べっき参照さんしょう

The B-52's[注釈ちゅうしゃく 1](ビー・フィフティートゥーズ)は、1976ねんジョージアしゅうアセンズ結成けっせいされたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくニュー・ウェイヴバンド

バンドめいはケイトとシンディの特徴とくちょうてきがった髪型かみがた(いわゆるビーハイブヘア)の俗称ぞくしょうボーイングしゃばくげきB-52のノーズコーン部分ぶぶんているため)から名付なづけられている。

なお、バンドめいとしてほかに"Tina-Trons"、"Fellini's Children"といった名前なまえ候補こうほがっていたが、ある、メンバーのキース・ストリックランドがホテルのラウンジでバンド演奏えんそうをしているゆめときに、そのゆめなかだれかがそのバンドの名前なまえを"The B-52's"だとささやいていたことから、かれはThe B-52'sというバンドめい提案ていあんしたという[よう出典しゅってん]

来歴らいれき

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1978ねん4がつ地元じもとインディ・レーベルのDBレコーズからデビュー・シングル「ロック・ロブスター」をリリース[9]ニューヨークのライヴ・ハウス「CBGB」に出演しゅつえんしていたところを、アイランド・レコードのオーナー、クリス・ブラックウェルみとめられ、よく1979ねんワーナー・ブラザース・レコード契約けいやくした。ブラックウェルのプロデュースのしたバハマナッソーでファースト・アルバムのレコーディングをおこなった。「ロック・ロブスター」と「52ガールズ」はこのときさい録音ろくおんされ、アルバム『警告けいこく! THE B-52'S来襲らいしゅう』は同年どうねん7がつ6にち発売はつばいされた。50'sスタイルの派手はで衣装いしょうに、奇妙きみょう奇天烈きてれつでひねりのあるサウンドが特徴とくちょう当時とうじ勃興ぼっこうしていたパンクニュー・ウェイヴ新進しんしんアーティストとして注目ちゅうもくびる。同年どうねん11がつはつ日本にっぽん公演こうえんおこなう。

1980ねん8がつレット・デイヴィスのプロデュースでセカンドアルバム『禁断きんだん惑星わくせい』を発表はっぴょう

1981ねん7がつ、6きょくりのリミックス・アルバム『Party Mix!』を発表はっぴょう同年どうねん9がつトーキング・ヘッズデヴィッド・バーンをプロデューサーにむかえ、グループはアルバム制作せいさくのためニューヨークのブランク・テープ・スタジオにはいった。バーンはソロ・アルバム『The Catherine Wheel』のレコ―ディングで多忙たぼうきわめていたが、依頼いらいけた。しかしバーンとレコード会社かいしゃとの軋轢あつれきのせいで、6きょくしか録音ろくおんできず、1982ねん1がつにEP『Mesopotamia』として発表はっぴょうした。

1983ねんスティーヴン・スタンレイのプロデュースで3まいのアルバム『Whammy!』を発表はっぴょう

1985ねん新作しんさくのレコーディングちゅうリッキー・ウィルソンエイズのため急逝きゅうせい1986ねんトニー・マンスフィールドのプロデュースで4thアルバム『Bouncing Off the Satellites』を完成かんせいさせるが、リッキーのによる影響えいきょうやく2年間ねんかん活動かつどう休止きゅうしする。

1988ねん音楽おんがく活動かつどう再開さいかいし、よく1989ねんにリプリーズ・レコードへ移籍いせき同年どうねんナイル・ロジャースドン・ウォズのプロデュースによる5thアルバム『Cosmic Thing』を発表はっぴょう。シングル・カットされた「ラヴ・シャック」「ローム」がだいヒット。「デッドビート・クラブ」もヒットした。以降いこうはアメリカでも人気にんき定着ていちゃく1991ねんにはケイト・ピアソンがおなじアセンズ出身しゅっしんのバンドであるR.E.M.のアルバム『アウト・オブ・タイム』に参加さんか、こちらもだいヒットを記録きろくする。

その、シンディが脱退だったいしたものの、1992ねん前作ぜんさくおなじくナイル・ロジャースとドン・ウォズのプロデュースにより、6thアルバム『Good Stuff』を発表はっぴょう1994ねんには映画えいがフリントストーン』のテーマきょくがけた。映画えいが本編ほんぺんにもネオ原始げんしじんのふんそう登場とうじょうし、The B-52'sならぬ、The BC-52'sとしてだいヒットを記録きろく

1998ねんにはシンディが復帰ふっきし、ベストばん『Time Capsule: Songs for a Future Generation 』のために2きょく新曲しんきょくをレコーディング、また全米ぜんべいツアーもだい成功せいこうのうちにわらせている。1999ねんには、ケイト・ピアソンが、プラスチックス佐久間さくま正英まさひでJUDY AND MARYYUKIジャパンミック・カーンらとユニットNiNa」を結成けっせいし、アルバム『NiNa』を発表はっぴょうする。

2008ねんスティーヴ・オズボーンのプロデュースで16ねんぶりに7thアルバム『Funplex』を発表はっぴょうする。

メンバー

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げんメンバー
  • フレッド・シュナイダー(Fred Schneider) - ボーカルパーカッション(1976ねん - )
  • ケイト・ピアソン(Kate Pierson) - ボーカル、パーカッション(1976ねん - )、鍵盤けんばん楽器がっき(1976ねん - 1989ねん
  • シンディ・ウィルソン(Cindy Wilson) - ボーカル、パーカッション(1976ねん - 1990ねん、1996ねん - )
  • キース・ストリックランド(Keith Strickland) - ギター鍵盤けんばん楽器がっきプログラミングバッキング・ボーカル(1976ねん - )、ドラムス(1976ねん - 1989ねん
  • トレイシー・ウォームワース(Tracy Wormworth) - ベース(1992ねん - )
  • スターリン・キャンベル(Sterling Campbell) - ドラムス(1992ねん - 2002ねん、2007ねん - )
  • グレッグ・スラン(Greg Suran) - ギター(2013ねん - )[10]
  • ケン・マイウリ(Ken Maiuri) - 鍵盤けんばん楽器がっき、ギター(2016ねん - )[11]
きゅうメンバー
  • リッキー・ウィルソン(Ricky Wilson) - ギター、ベース、鍵盤けんばん楽器がっき、バッキング・ボーカル(1976ねん - 1985ねん死没しぼつ
  • パット・アーウィン(Pat Irwin) - 鍵盤けんばん楽器がっき、ギター(1989ねん - 2007ねん
  • ザック・アルフォード(Zack Alford) - ドラムス(1989ねん - 1992ねん、2000ねん - 2007ねん
  • サラ・リー(Sara Lee) - ベース(1989ねん - 1992ねん、1998ねん - 2002ねん
  • ジュリー・クルーズ(Julee Cruise) - ボーカル(1992ねん - 1994ねん
  • ポール・ゴードン(Paul Gordon) - 鍵盤けんばん楽器がっき、ギター(2007ねん - 2016ねん死没しぼつ

作品さくひん

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アルバム

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その

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  • The Best of the B-52's: Dance This Mess Around (1990ねん
    • 英国えいこくのみ発売はつばい
  • Time Capsule: Songs for a Future Generation (1998ねん
    • シングルコレクション

おもなシングル

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 2008ねん以降いこう表記ひょうきThe B-52s変更へんこう[8]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e Deming, Mark. The B-52's Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ Shepard, Susan Elizabeth (2018ねん10がつ14にち). “The B-52's: The B-52's”. Pitchfork. Condé Nast. 2022ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  3. ^ Return of the Rock Lobsters”. The New York Times. The New York Times Company (2008ねん3がつ16にち). 2022ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  4. ^ The B-52s, Bringing Back the Party”. NPR Music (2008ねん4がつ10日とおか). 2022ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  5. ^ Hermes, Will (October 2005). “The Definitive Guide to: Dance Rock”. Spin 21 (10). ISSN 0886-3032. https://books.google.com/books?id=jOIh4tn8TGYC&pg=RA3-PA2. 
  6. ^ Dance This Mess Around The B-52's – "Lava"”. PopMatters. 2022ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  7. ^ Gendron, Bernard (2002). Between Montmartre and the Mudd Club: Popular Music and the Avant-Garde. University of Chicago. p. 289 
  8. ^ Cultice, Joseph (2008ねん6がつ8にち). “Kate Pierson interview by Jon Bream, StarTribune”. Startribune.com. 2022ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  9. ^ 45cat - The B-52's - Rock Lobster / 52 Girls - DB - USA - DB-52
  10. ^ Eldredge, Richard L. (2013ねん1がつ4にち). “Barnstorming days at an end for one B-52's member”. Atlanta Magazine. 2022ねん4がつ25にち閲覧えつらん
  11. ^ Kluft, Alex (2019ねん8がつ9にち). “The B-52's at the Pacific Amphitheatre in Costa Mesa, CA”. Music Connection Magazine. 2022ねん4がつ25にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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