(Translated by https://www.hiragana.jp/)
スマイル (バンド) - Wikipedia コンテンツにスキップ

スマイル (バンド)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲッティン・スマイルから転送てんそう
スマイル
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル
活動かつどう期間きかん
レーベル マーキュリー・レコード
きゅうメンバー
画像がぞう外部がいぶリンク
en:File:Smile band.jpg
バンドの3めいうつした写真しゃしん。1970ねんごろ撮影さつえい

スマイルえい: Smile)はイングランドロンドン拠点きょてんいていたロックバンド。クイーン前身ぜんしんとなった。

バンドは1968ねんに、後年こうねんクイーンのギタリストとなるブライアン・メイによって結成けっせいされた。メイのほかには、リード・シンガーとベーシストつとめたティム・スタッフェルドラマーロジャー・テイラーがいた。1970ねん3がつにスタッフェルが脱退だったいしたのちのこった2人ふたりフレディ・マーキュリージョン・ディーコンくわえて結成けっせいされたのがクイーンである[3]。バンドは6きょく制作せいさくして1970ねん解散かいさんしたが、1992ねんにコンサートで1さい結成けっせいしたのち、2018ねん映画えいがボヘミアン・ラプソディ』のサウンドトラック収録しゅうろくさいしてさい集結しゅうけつしている[3]

歴史れきし

[編集へんしゅう]

1968ねんインペリアル・カレッジ・ロンドン学生がくせいだったブライアン・メイは、友人ゆうじんイーリング・アート・カレッジ英語えいごばんかよっていたティム・スタッフェルともにグループを結成けっせいした[4]。メイはカレッジの掲示板けいじばんに「ジンジャー・ベイカーミッチ・ミッチェルてきなドラマー」をもとむと広告こうこくし、オーディションを採用さいようされたのが、当時とうじロンドン病院びょういんメディカル・カレッジ[注釈ちゅうしゃく 1]かよっていた歯学部しがくぶせいロジャー・テイラーであった[4][6]。こうして結成けっせいされたスマイルは、1969ねんマーキュリー・レコード契約けいやく[4][7]、ライブ活動かつどうて、そのとしの6がつにはトライデント・スタジオ英語えいごばんはじめての収録しゅうろくおこなった[8]。スタッフェルは同級生どうきゅうせいのファルーク・"フレディ"・バルサラ(フレディ・マーキュリー)を自分じぶんのバンドへ紹介しょうかいし、バルサラはすぐに熱心ねっしんなファンになった[9]

バンドはライブ活動かつどうにもんでおり、スタッフェルによれば、レパートリーはオリジナルきょくとカバーをぜたものだった[3]。デビューは1968ねん10月26にちだったとされている[10]。1969ねん2がつ27にちおこなわれた未婚みこんははとそのどもたちのためのナショナル・カウンシル英語えいごばんえい: National Council for the Unmarried Mother and Her Child)での演奏えんそうは、バンドにとって最大さいだいのパフォーマンスになった[4]ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドなども出演しゅつえんしてロイヤル・アルバート・ホールひらかれたこのチャリティ・イベントで[4]、バンドはメイがギター、テイラーがドラム、スタッフェルがベースギター担当たんとうして演奏えんそうした。スタッフェルによれば、キーボードのクリス・スミス (Chris Smith) という人物じんぶつがいたが、このイベントの直前ちょくぜんめさせられていたという[11](スミス本人ほんにんによれば、かれはほんの一時いちじバンドに在籍ざいせきしていただけで、ちがったスタイルの音楽おんがく興味きょうみいたことから、自発じはつてきにバンドをはなれたのだとべている[12])。タイム・アウト掲載けいさい情報じょうほうによれば、スマイルはロンドンでかなり沢山たくさんのギグをおこなったようである。また4がつ19にちにはスピークイージー (The Speakeasy) で演奏えんそう[13]、5月31にちにはウィスキー・ア・ゴーゴー (the Whisky-A-Go-Go) で演奏えんそうした。1969ねん3がつ、バンドは PJ’s という会場かいじょう演奏えんそうしたが、このさい観客かんきゃく確保かくほするために、自分じぶんたちのきょくBBC Radio 1放送ほうそうされたと主張しゅちょうした[13]。しかしながらこの主張しゅちょう架空かくうのものだったようである[12][13]

マーキュリー・レコードとの契約けいやくはアメリカでのシングル発売はつばい前提ぜんていにした1かぎりのレコーディング契約けいやくであり、トライデント・スタジオでおこなわれたはつ収録しゅうろくで、かれらはスタッフェルの『アース』"Earth"、メイの『ステップ・オン・ミー』"Step on Me"、メイ・スタッフェルどもさくの『ドゥーイン・オール・ライト』"Doin' All Right" の3きょく収録しゅうろくした[14]。アメリカでの宣伝せんでんけたレコーディングではあったが、結局けっきょくこのきょく商業しょうぎょうてき成功せいこうしなかった(1969ねん8がつにシングル『アース』"Earth" が発売はつばいされたが不発ふはつわった[4])。一方いっぽうでマーキュリー・レコードは、同年どうねん9がつに3きょく追加ついか収録しゅうろくする許可きょかした。このさい収録しゅうろくきょくはスタンリー・ルーカス (Stanley Lucas) による『エイプリル・レディ』"April Lady"、メイがつくったインストゥルメンタル・トラック『ブラッグ』"Blag"、そしてメイが作曲さっきょくとリードをつとめた、「ホッキョクグマかんするやさしいきょく」(a "gentle song about a polar bear")[13]こと『ポーラー・ベア』"Polar Bear"で、収録しゅうろくデ・レーン・リー・スタジオ英語えいごばんおこなわれた[15]。しかしながら、この収録しゅうろくもレコードの発売はつばいにはいたらなかった。スマイルがスタジオ収録しゅうろくした6きょくることになったのは、日本にっぽん限定げんていで1982ねん発売はつばいされたLPばん『ゲッティン・スマイル』"Gettin’ Smile" がはつであった[3]

クイーンの結成けっせい

[編集へんしゅう]

1970ねん、スタッフェルがべつバンドのハンピー・ボング英語えいごばん加入かにゅうするため脱退だったいしたことから、スマイルは空中くうちゅう分解ぶんかい状態じょうたいとなる[16][17]。バルサラはメイとテイラーにたいしてバンドをつづけるよう説得せっとくし、どう時期じき名字みょうじを「マーキュリー」へと変更へんこうして[16]リード・ヴォーカリストとしてバンドに加入かにゅうし、クイーン結成けっせいされることになる[16]しん体制たいせいとなったバンドは、マイク・グロース、バリー・ミッチェル、ダグ・ボギー (Mike Grose、Barry Mitchell、Doug Bogie) などおおくのベーシストをためしたが、だれもバンドと化学かがく反応はんのうこせずにわってしまった[18]結局けっきょくベーシストさがしは、1971ねん2がつジョン・ディーコン加入かにゅうするまでつづき、そのかれらはファースト・アルバムの録音ろくおん作業さぎょうかった[19]。こうしてクイーンは4にん体制たいせいとなり、この体制たいせいはマーキュリーが死去しきょする1991ねんさらにはかれ死後しご1995ねん発売はつばいされたアルバム『メイド・イン・ヘヴン』の発売はつばいまで1変更へんこうされることなくつづいた。

映像えいぞう外部がいぶリンク
Queen - Doing All Right (Official Lyric Video) - YouTube
? クイーンばんの『ドゥーイング・オール・ライト』リリックビデオ

ディーコンが加入かにゅうしてつくられたファースト・アルバム『戦慄せんりつ王女おうじょ』には、スマイル時代じだいきょく『ドゥーイング・オール・ライト』"Doing All Right" が収録しゅうろくされた[注釈ちゅうしゃく 2]書籍しょせき "Queen: The Early Years" によると、スタッフェルはメイとのともさくクレジットをて、アルバムげからロイヤルティーることができ、充分じゅうぶん補償ほしょうされた様子ようすである[20]。クイーンはほかにも、ジョン・ピール出演しゅつえんしたBBCでのはつ収録しゅうろくセッション(1973ねん)でこのきょく演奏えんそうしている[3]。このセッションの様子ようすは、3度目どめのセッションとともに、イギリスでは1989ねんの『アット・ザ・ビーブ』"At the Beeb"(バンド・オブ・ジョイ・レコーズ[注釈ちゅうしゃく 3])、北米ほくべいでは1995ねんの "Queen at the BBC" へ収録しゅうろくされた。また1995ねんにクイーンが発表はっぴょうしたシングル『レット・ミー・リヴ』"Let Me Live" には1973ねんのこのセッションから3きょくおさめられ、『ドゥーイング・オール・ライト』もそのなかふくまれている[21]

さい結成けっせい

[編集へんしゅう]

1992ねん12月22にち、テイラーのバンドザ・クロスのライブで、スマイルはさい結成けっせいした。ライブちゅうにテイラーがメイとスタッフェルをせるかたち演奏えんそうはいり、バンドは『アース』"Earth" と『If I Were a Carpenter英語えいごばん』を演奏えんそうした[3][22][23]。メイはこのライブでさらすうきょく演奏えんそうした[24]

2018ねんはいり、スマイルは2度目どめさい結成けっせいたし、ロンドンのアビー・ロード・スタジオで『ドゥーイン・オール・ライト』"Doin' All Right" をさい収録しゅうろくした[4]。このきょくはフレディ・マーキュリーの伝記でんき映画えいがボヘミアン・ラプソディ』で使用しようされ、サウンドトラックにも収録しゅうろくされた[3][25]

ディスコグラフィ

[編集へんしゅう]

バンドは1969ねん8がつマーキュリー・レコードからシングル『アース』"Earth" を発売はつばいしたが、そのあつかいはプロモばんぎなかった[4][26][27]。Bめんにはメイとスタッフェルの『ステップ・オン・ミー』が収録しゅうろくされた[26]

その合法ごうほうてき発売はつばいされたディスクとしては以下いかの2まいがある。まず日本にっぽん限定げんてい発売はつばいされたLPばん『ゲッティン・スマイル』"Gettin’ Smile" だが[3]、これは1982ねん9月23にち日本にっぽんフォノグラムからたものである[28]。このディスクには『ドゥーイン・オールライト』、『ブラッグ』、『エイプリル・レディ』、『ポーラー・ベア』、『アース』、『ステップ・オン・ミー』とスマイル時代じだい収録しゅうろくされた6きょくおさめられた[28]。スリーヴには歌詞かし作曲さっきょくクレジットの誤記ごきがあることで悪名あくめいたかい。その発売はつばいされた海賊版かいぞくばん音源おんげんは、すべてこのLPに由来ゆらいしている。

CD『ゴースト・オブ・ア・スマイル』"Ghost of a Smile" は1997ねんオランダでシュードニム・レコーズ (Pseudonym Records) から発売はつばいされたものである[29]収録しゅうろくされたスマイルのきょくすべてリマスターされていた[3]。CDのブックレットにはスタッフェルによるあたらしいライナーノーツせられた[30]。このアルバムにはエディ・ハウエル (Eddie Howell) とフレディ・マーキュリーがコラボした『ザ・マン・フロム・マンハッタン』"The Man from Manhattan" が2パターン収録しゅうろくされているが、このきょくはメイがギターをいているということ以外いがい、スマイルになん関係かんけいないきょくである[30]

また、スマイル時代じだいきょくやラリー・ルーレックス (Larry Lurex) の変名へんめいされたきょくなど、クイーンの初期しょききょくあつめた『プレ=オーデインド』"Pre-Ordained" というタイトルのブートレグ・アルバム(海賊版かいぞくばんアルバム)も存在そんざいする[31]。このアルバムにおさめられたきょくは、大半たいはんが1995ねんイタリア発売はつばいされたブートレグ『In Nuce英語えいごばん』にも収録しゅうろくされている[32]

きょく

[編集へんしゅう]

以下いかしめきょくは、メンバーがライブ活動かつどう短期間たんきかんのスタジオ収録しゅうろくちゅうにレパートリーにくわえていたとみとめたものである。

べつアーティストによって録音ろくおんされたスマイルのきょく

[編集へんしゅう]
  • "Step on Me":スマイルまえのバンド・1984により2パターンが録音ろくおんされており、1967ねん3がつ31にちロンドンITVスタジオ英語えいごばん制作せいさくされたデモ・テープに収録しゅうろくされている。
  • "April Lady":サウザン・コンフォート(えい: Southern Comfort、マシューズ・サウザン・コンフォート (Matthews Southern Comfort) からイアン・マシューズ脱退だったいして改名かいめいしたバンド)は、アルバム『フロッグ・シティ』(原題げんだいえい: "Frog City"、Harvest SHSP 4012、1971ねん)にこのきょく収録しゅうろくしている[33]。レコード・レーベルには、カール・バーンウェル (Carl Barnwell) によるきょく誤記ごきされている。スマイルばんをプロデュースしたフリッツ・フライヤー (Fritz Freyer) は、マシューズ・サウザン・コンフォートともつながりのあった人物じんぶつである。
  • "April Lady"と"Earth":スタッフェルはバンド「モーガン」に加入かにゅうしたが、このバンドが1972ねん発売はつばいしただい1アルバム『ノヴァ・ソリス英語えいごばん』のタイトル・トラックでは、この2きょくから抜粋ばっすいした旋律せんりつまれている。
  • "Doin' Alright":クイーンにより、1973ねん2がつ5にちおこなわれたはつのBBCセッションで収録しゅうろくされている。このバージョンはイギリスでは1989ねんの『アット・ザ・ビーブ』、北米ほくべいでは1995ねんの "Queen at the BBC" に収録しゅうろくされ、そのシングル『レット・ミー・リヴ』のカップリングとしておさめられた(→#歴史れきし)。クイーンは1973ねん発売はつばいのデビューアルバム『戦慄せんりつ王女おうじょ』"Queen" にもこのきょく収録しゅうろくしているが、タイトルは微妙びみょうことなる "Doing All Right" に変更へんこうされている。このときのバージョンは、エレクトラ・レコードから1974ねんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく限定げんてい発売はつばいされた『ライアー』"Liar" の7インチシングルにも収録しゅうろくされた。
  • "Polar Bear"と"Silver Salmon":クイーンはデビューアルバム収録しゅうろくちゅうにデモ・トラックとしてこれらを収録しゅうろくしたが、発表はっぴょう音源おんげんとなった。
  • "See What a Fool I've Been":クイーンはだい2アルバム『クイーン II』のセッションちゅうだった1973ねん8がつにこのきょく収録しゅうろくした。アルバムそのものには収録しゅうろくされなかったものの、その1974ねん発売はつばいの『かがやける7つのうみ』シングルカットでBめん収録しゅうろくされる。このバージョンはのちにボックス・セット『ザ・コンプリート・ワークス英語えいごばん』のボーナスLP『コンプリート・ヴィジョン』"Complete Vision" に収録しゅうろくされた。また『クイーン II』はハリウッド・レコードから1991ねんにアメリカけに再版さいはんされたが、そのさいこのきょく特典とくてんトラックとして収録しゅうろくされた。1987ねんと1990ねんにイギリス・日本にっぽんでそれぞれ発売はつばいされた8センチCDシングルでは、ふたたび『かがやける7つのうみ』のBめんとして収録しゅうろくされた。また、クイーンはジョン・ピール共演きょうえんした4かいのBBCセッションでこのきょく収録しゅうろくしている。
  • "Blag":さいろくされたわけではないが、ソロ・フィーチャーの部分ぶぶんは、メイのクイーンとしてのキャリア、またソロキャリアをつうじて発展はってんつづけている。このきょくからのメイのソロは、以下いかのアルバムでくことができる。
  • "Polar Bear":ヴァレンシアが2003ねんにリリースしたアルバム『クイーン・トリビュート』"Queen Tribute" に収録しゅうろくされている[34]
  • "Earth"と"Doin' Alright":スタッフェルのソロアルバム "aMIGO"(2003ねん)に収録しゅうろくされている[35]りょうトラックにはメイがギター・ヴォーカルとして参加さんかしている。また『アース』には、モーガンのメンバーだったモーガン・フィッシャーキーボードでフィーチャーしている。
  • "White Queen (As It Began)":クイーンのだい2アルバム『クイーン II』(1974ねん)に収録しゅうろくされた。また1974ねん4がつ3にちおこなわれた4かいのBBCセッションでも収録しゅうろくされている。公式こうしきにはライヴアルバム『ライヴ・アット・ザ・レインボー‘74』に2かいのライヴパフォーマンスが収録しゅうろくされている。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ The London Hospital Medical College. 現在げんざいせいバーソロミュー病院びょういん付属ふぞくカレッジと合併がっぺいし、バーツ・アンド・ロンドン・スクール・オブ・メディスン・アンド・デンティストリー英語えいごばん (Barts and The London School of Medicine and Dentistry) という名前なまえわっている[5]
  2. ^ 曲名きょくめいはスマイル時代じだいの "Doin' All Right" から改名かいめいされている[3]
  3. ^ えい: Band of Joy Records

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ スマイル - オールミュージック. 2020ねん12月14にち閲覧えつらん
  2. ^ a b Chiu, David (2018ねん11月5にち). “The History of Smile: The Band That Set the Stage for Queen”. Townsquare Media. https://ultimateclassicrock.com/queen-smile-band-history/ 2020ねん12月14にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b c d e f g h i j パトリック・ルミュー(Patrick Lemieux) (2018ねん11月27にち). “クイーンの前身ぜんしんバンド「スマイル」の中心ちゅうしんメンバー、ティム・スタッフェルのインタビューを掲載けいさい”. ユニバーサル・ミュージック・ジャパン. 2018ねん12月11にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h Chiu, David (2018ねん11月5にち). “The History of Smile: The Band That Set the Stage for Queen”. Ultimate Classic Rock. 2018ねん12月12にち閲覧えつらん
  5. ^ Garrod Building”. Survey of London. 2018ねん12月12にち閲覧えつらん
  6. ^ Roger Taylor”. QueenOnline.com. 2018ねん12月12にち閲覧えつらん
  7. ^ Orens, Geoff. スマイル - オールミュージック. 2018ねん12月12にち閲覧えつらん
  8. ^ Purvis 2018Googleブックス2018ねん12月12にち閲覧えつらん。)
  9. ^ Nolasco, Stephanie (2018ねん11月10にち). “Freddie Mercury's pal Tim Staffell says 'Bohemian Rhapsody' was 'the right way to do it'”. FOXニュース. 2018ねん12月12にち閲覧えつらん
  10. ^ 2016ねん10がつ26にちみず) - 今日きょうなん”. CDJournal.com - カレンダー. 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  11. ^ Chapman, Phil (2017-10-01). The Dead Straight Guide to Queen. This Day In Music Books. ISBN 178759050X. https://books.google.co.jp/books?id=NmRaDwAAQBAJ&pg=PT46&lpg=PT46 2018ねん12月12にち閲覧えつらん 
  12. ^ a b Smith's Smile”. Queenfans.com. 2007ねん11月8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webしエラー:引数ひきすう accessdate必須ひっすです。
  13. ^ a b c d Pre-Queen - Smile!” (2004ねん5がつ30にち). 2002ねん9がつ2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2011ねん10がつ29にち閲覧えつらん
  14. ^ Blake (2011, p. 64)(Googleブックス2018ねん12月14にち閲覧えつらん。)
  15. ^ Blake (2011, pp. 69–70)(Googleブックス2018ねん12月14にち閲覧えつらん。)
  16. ^ a b c Queen Biography 1970, Queen Zone, オリジナルの23 July 2011時点じてんにおけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20110723131648/http://queenzone.com/biography/queen-biography-for-1970.aspx 
  17. ^ Hodkinson 2009Googleブックス
  18. ^ Blake, Mark (2011ねん3がつ31にち). “Is This the Real Life?: The Untold Story of Queen”. popmatters. 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  19. ^ Queen Biography 1971, Queen Zone, オリジナルの12 May 2013時点じてんにおけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20130512132209/http://www.queenzone.com/biography/queen-biography-for-1971.aspx 
  20. ^ Hodkinson 2009Googleブックス
  21. ^ Purvis 2018Googleブックス2018ねん12月14にち閲覧えつらん。)
  22. ^ QUEEN BEFORE QUEEN THE 1960s RECORDINGS - PART 3: SMILE”. Record Collector Jan 96. www.brianmay.com. 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  23. ^ Tim Staffell Biography”. 2007ねん2がつ8にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webしエラー:引数ひきすう accessdate必須ひっすです。
  24. ^ 22.12.1992 - Guest appearance: The Cross + Brian May live at the The Marquee Club, London, UK (Xmas party with special guests)”. QUEEN CONCERTS. 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  25. ^ Reed, Ryan (2018ねん9がつ5にち). “Queen Unearth Live Aid Recordings for ‘Bohemian Rhapsody’ Soundtrack” (英語えいご). Rolling Stone. https://www.rollingstone.com/music/music-news/queen-unearth-live-aid-recordings-for-bohemian-rhapsody-soundtrack-719560/ 2018ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん 
  26. ^ a b Smile – Earth / Step On Me - Discogs - 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  27. ^ Smile Official Discography”. QueenMuseum.com (2016ねん12月20にち). 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  28. ^ a b Smile – Gettin' Smile - Discogs - 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  29. ^ Smile (Rock)/Ghost Of A Smile”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  30. ^ a b Lemieux, Patrick; Unger, Adam (2018-04-14). The Queen Chronology (2nd Edition). Lulu.com. ISBN 9781926462103. https://books.google.co.jp/books?id=WulVDwAAQBAJ&pg=PA159&lpg=PA159 2018ねん12月14にち閲覧えつらん 
  31. ^ Queen – Pre Ordained - Discogs - 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  32. ^ Queen – In Nuce - Discogs - 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  33. ^ Southern Comfort – Frog City - Discogs (発売はつばい一覧いちらん) - 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  34. ^ クイーン・トリビュート”. ビルボード・ジャパン. 2018ねん12月14にち閲覧えつらん
  35. ^ Tim Staffell – aMIGO - Discogs - 2018ねん12月14にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]