(Translated by https://www.hiragana.jp/)
経済相互援助会議 - Wikipedia コンテンツにスキップ

経済けいざい相互そうご援助えんじょ会議かいぎ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
コメコンから転送てんそう
経済けいざい相互そうご援助えんじょ会議かいぎ
Совет Экономической Взаимопомощи
コメコン(経済けいざい相互そうご援助えんじょ会議かいぎ)のはた
コメコン加盟国の地図
1980年代ねんだいのコメコン正式せいしき加盟かめいこく
略称りゃくしょう COMECON, CMEA, CAME
設立せつりつ 1949ねん1がつ8にち
設立せつりつしゃ はら加盟かめいこく
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦れんぽう
ブルガリアの旗 ブルガリア
ルーマニアの旗 ルーマニア
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
ハンガリーの旗 ハンガリー
ポーランドの旗 ポーランド
設立せつりつ ソビエト連邦の旗ソビエト連邦れんぽう モスクワ
解散かいさん 1991ねん6がつ28にち
種類しゅるい 経済けいざい機構きこう
本部ほんぶ ソビエト連邦れんぽうモスクワ、ノーヴィ・アルバート・ウリーツァどおり36ばん
貢献こうけん地域ちいき おも社会しゃかい主義しゅぎこく
会員かいいんすう
正式せいしき加盟かめいこく
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦れんぽう
ブルガリアの旗 ブルガリア
ルーマニアの旗 ルーマニア
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
ハンガリーの旗 ハンガリー
ポーランドの旗 ポーランド
東ドイツの旗 ひがしドイツ
モンゴル人民共和国の旗 モンゴル
 キューバ
 ベトナム
事実じじつじょう脱退だったい
アルバニアの旗 アルバニア
じゅん加盟かめいこく
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
社会しゃかい主義しゅぎ協力きょうりょくこく
 フィンランド
イラクの旗 イラク
メキシコの旗 メキシコ
オブザーバー
アンゴラの旗 アンゴラ
南イエメンの旗 みなみイエメン
エチオピアの旗 社会しゃかい主義しゅぎエチオピア
テンプレートを表示ひょうじ

経済けいざい相互そうご援助えんじょ会議かいぎ(けいざいそうごえんじょかいぎ、ロシア: Совет экономической взаимопомощи通称つうしょう「コメコン」)は、1949ねんソ連それん主導しゅどうした共産きょうさん主義しゅぎこくけの経済けいざいけんであり、東欧とうおう諸国しょこく中心ちゅうしん結成けっせいされていた。日本語にほんごではけいしょうかいコメコンともやくされる。

はら加盟かめいこくソ連それんブルガリアルーマニアチェコスロバキアハンガリーポーランドの6ヶ国かこくで、そのひがしドイツモンゴルキューバベトナム加盟かめい加盟かめいこくは10ヶ国かこくとなった。なお結成けっせい初期しょきアルバニア加盟かめいしたが、1961ねん以降いこう事実じじつじょう脱退だったいした状態じょうたいにあった。またユーゴスラビアじゅん加盟かめいこくフィンランドイラクメキシコの3ヶ国かこく社会しゃかい主義しゅぎ協力きょうりょくこく、そしてアンゴラみなみイエメンエチオピアがオブザーバー参加さんかしていた。

ソ連それん東欧とうおうだけのためにつくった組織そしきではないが、創立そうりつから解散かいさんまでにはソ連それん東欧とうおう絶対ぜったいてき主体しゅたいであった[1]冷戦れいせんなか西側にしがわ諸国しょこくによる経済けいざい制裁せいさいマーシャル・プラン対抗たいこうし、東側ひがしがわ諸国しょこく自給自足じきゅうじそくできるようにすること設立せつりつおも目的もくてきであった[2]。なおコメコンが対抗たいこうした西側にしがわ経済けいざい協力きょうりょく機構きこうたい共産きょうさんけん輸出ゆしゅつ統制とうせい委員いいんかい(ココム)とばれ、冷戦れいせんちゅう北大西洋きたたいせいよう条約じょうやく機構きこう(NATO、西側にしがわ)とワルシャワ条約じょうやく機構きこう東側ひがしがわ)の軍事ぐんじてき対立たいりつとココム(西側にしがわ)とコメコン(東側ひがしがわ)の経済けいざいてき対立たいりつつづいた[3]

歴史れきし

[編集へんしゅう]
きゅうコメコン本部ほんぶ(げんモスクワ政府せいふ庁舎ちょうしゃ)
コメコンのロゴ
コメコンの記念きねん切手きって正式せいしき加盟かめい10ヶ国かこく国旗こっきえがかれている。

時間じかん沿革えんかく

[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせんのちに、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく政府せいふおこなったマーシャル・プラン欧州おうしゅう経済けいざい協力きょうりょく機構きこう対抗たいこうして設立せつりつされた。

成立せいりつから1954ねんだい4かい総会そうかいまでの期間きかんは、ソ連それん中心ちゅうしんとした外国がいこく貿易ぼうえき推進すいしん機関きかん性格せいかくつよく、加盟かめい東欧とうおう諸国しょこくからソ連それん一方いっぽうてき利益りえき搾取さくしゅしていると批判ひはんされていたが、1956ねん東欧とうおう動乱どうらんをきっかけに、ソ連それん東欧とうおう諸国しょこくとの経済けいざい関係かんけいさい構築こうちくんだ。

当初とうしょ加盟かめいこくは、ソビエト連邦れんぽうポーランド[4]チェコスロバキア[5]ハンガリールーマニア[6]ブルガリアの6ヶ国かこく。ひとがつおくれてアルバニア[7]加盟かめいした。その1950ねんひがしドイツ1962ねんモンゴル1972ねんキューバ1978ねんベトナム加盟かめいした。一方いっぽう1962ねんにはアルバニアが事実じじつじょう脱退だったい最終さいしゅうてき加盟かめいこくは10ヶ国かこくになった。

このほかに、ユーゴスラビアじゅん加盟かめいこくフィンランドイラクメキシコ社会しゃかい主義しゅぎ協力きょうりょくこく、そのにもアンゴラエチオピアみなみイエメンモザンビークラオスがオブザーバーの地位ちいにあった。また中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく北朝鮮きたちょうせんもオブザーバーをおくっていたが、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくちゅう対立たいりつ影響えいきょうにより、北朝鮮きたちょうせんチュチェ(主体しゅたい思想しそうもとづいた独自どくじ社会しゃかい主義しゅぎ路線ろせんったことにより、両国りょうこくともに1962ねん最後さいご会議かいぎ参加さんかしなくなった[8]

1989ねん冷戦れいせん終結しゅうけつともなって東欧とうおう革命かくめいはじまり、1991ねん6がつ解散かいさんした。

ちと発展はってんなが

[編集へんしゅう]

経済けいざい相互そうご援助えんじょ会議かいぎはその設立せつりつから解散かいさんまでのあいだに、EU欧州おうしゅう連合れんごう)に世界せかいで2番目ばんめおおきな経済けいざいけんだった[9]

創設そうせつ目的もくてきアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくの『マーシャル・プラン』に対抗たいこうすることにあり、「たんなるの経済けいざいけん」よりも「共産きょうさんけんイデオロギー」がつよ反映はんえいされていた。ソ連それん西側にしがわ諸国しょこくの「民主みんしゅ主義しゅぎ言論げんろん自由じゆう」の価値かちかん東欧とうおう浸透しんとうしてしまうことを非常ひじょうおそれていて、それをふせぐため、東欧とうおう諸国しょこく主権しゅけん弱体じゃくたいさせ、きびしい言論げんろん検閲けんえつをしつづけていた。一方いっぽう、アメリカと西欧せいおうは『マーシャル・プラン』をつうじて経済けいざい一体化いったいかとなっており、東側ひがしがわ諸国しょこく貿易ぼうえき封鎖ふうさけていた。スターリン1949ねん1がつ25にちの『経済けいざい相互そうご援助えんじょ会議かいぎ創設そうせつについて』という演説えんぜつかいで、「我々われわれ社会しゃかい主義しゅぎこく経済けいざいは、資本しほん主義しゅぎ一切いっさいたよらず、おかね使つかわない独自どくじ方法ほうほう成功せいこうしみせる」と自由じゆう世界せかい公言こうげんした[10]

創立そうりつ成員せいいんこくあいだにはおおきな不平等ふびょうどうがあり、ソ連それん地位ちいはほかのくにより圧倒的あっとうてきたかかった。ソ連それんかく成員せいいんこくたちはなにを生産せいさんすべきか、なにを生産せいさんすべきでないかを一方いっぽうてき決定けっていし、たとえば一番いちばんれているぐんパソコングリーンエネルギーなどの産業さんぎょうソ連それん国内こくないめ、農業のうぎょう軽工業けいこうぎょう食品しょくひんなどもうけない産業さんぎょうをほかのくにけていた[11]。これにより、ソ連それん経済けいざいはたしかに少量しょうりょう成長せいちょうげていたが、ほかの共産きょうさん独裁どくさい国家こっか経済けいざいはほとんど成長せいちょうしないじょう外交がいこうめんでさらにソ連それん依存いぞんするようになった。当然とうぜん結果けっかとして、東側ひがしがわ諸国しょこくソ連それんたいするうらみが急速きゅうそくたかまりつづけていた。

1980年代ねんだい前半ぜんはんになると、ソ連それん経済けいざいめん崩壊ほうかいしつつ、軍事ぐんじめんでも弱体じゃくたいしてきた。ちょう大国たいこくとしての立場たちばうしなったソ連それんたいして、かつて抑圧よくあつされていた東欧とうおう諸国しょこくソ連それん命令めいれい無視むししはじめていた。1980年代ねんだい後半こうはん、「現実げんじつ崩壊ほうかいしている経済けいざい」と「理論りろんじょうゆたかはずの共産きょうさん主義しゅぎ社会しゃかい」のあいだはあまりにもおおきながあることをづき、社会しゃかい主義しゅぎ陣営じんえい人々ひとびと次第しだい目覚めざめ、コメコンの活動かつどう一切いっさい不参加ふさんかするようになった[12]1989ねん東欧とうおう民主みんしゅがすすみ、東欧とうおう諸国しょこくはつぎつぎと共産きょうさん体制たいせい放棄ほうきし、自由じゆう市場いちば経済けいざい資本しほん主義しゅぎ路線ろせん一転いってんする。1991ねん6月28にちかく成員せいいんこくのリーダーたちはハンガリーの首都しゅとブダペストあつまり、経済けいざい相互そうご援助えんじょ会議かいぎ解散かいさんぜん世界せかい発表はっぴょうした。

加盟かめいこくかく加盟かめいこくでの名称めいしょう

[編集へんしゅう]
国名こくめい 公用こうよう 公用こうようでのコメコンの名称めいしょう 略称りゃくしょう
アルバニアの旗 アルバニア人民じんみん共和きょうわこく アルバニア Këshilli i Ndihmës Ekonomike Reciproke KNER
ブルガリアの旗 ブルガリア人民じんみん共和きょうわこく ブルガリア Съвет за икономическа взаимопомощ
(Sǎvet za ikonomičeska vzaimopomošt)
СИВ
(SIV)
キューバの旗 キューバ共和きょうわこく スペイン Consejo de Ayuda Mutua Económica CAME
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく チェコ Rada vzájemné hospodářské pomoci RVHP
スロバキア Rada vzájomnej hospodárskej pomoci RVHP
東ドイツの旗 ドイツ民主みんしゅ共和きょうわこくひがしドイツ) ドイツ Rat für gegenseitige Wirtschaftshilfe RGW
ハンガリーの旗 ハンガリー人民じんみん共和きょうわこく ハンガリー Kölcsönös Gazdasági Segítség Tanácsa KGST
モンゴル人民共和国の旗 モンゴル人民じんみん共和きょうわこく モンゴル Эдийн засгийн харилцан туслалцах зөвлөл
(Ediin zasgiin khariltsan tuslaltsakh zövlöl)
ЭЗХТЗ
(EZKhTZ)
ポーランドの旗 ポーランド人民じんみん共和きょうわこく ポーランド Rada Wzajemnej Pomocy Gospodarczej RWPG
ルーマニアの旗 ルーマニア社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく ルーマニア Consiliul de Ajutor Economic Reciproc CAER
ソビエト連邦の旗 ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく連邦れんぽう ロシア Сове́т экономи́ческой взаимопо́мощи
(Sovet ekonomicheskoy vzaimopomoshchi)
СЭВ
(SEV)
ベトナムの旗 ベトナム社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく ベトナム Hội đồng Tương trợ Kinh tế
(會同かいどうしょうじょ經濟けいざい)
HĐTTKT

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 経済けいざい相互そうご援助えんじょ会議かいぎ”. コトバンク. 2024ねん7がつ24にち閲覧えつらん
  2. ^ 経済けいざい相互そうご援助えんじょ会議かいぎ/コメコン/COMECON”. 世界せかいまど. 2024ねん7がつ24にち閲覧えつらん
  3. ^ 冷戦れいせん”. 文教大学ぶんきょうだいがく (2008ねん8がつ2にち). 2024ねん7がつ24にち閲覧えつらん
  4. ^ 加盟かめい当時とうじは「ポーランド共和きょうわこく」、1952ねんより「ポーランド人民じんみん共和きょうわこく」。
  5. ^ 加盟かめい当時とうじは「チェコスロバキア共和きょうわこく」、1960ねんより「チェコスロバキア社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく」。
  6. ^ 加盟かめい当時とうじは「ルーマニア人民じんみん共和きょうわこく」、1965ねんより「ルーマニア社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく」。
  7. ^ 加盟かめい当時とうじは「アルバニア人民じんみん共和きょうわこく」、事実じじつじょう脱退だったいの1976ねんに「アルバニア社会しゃかい主義しゅぎ人民じんみん共和きょうわこく」と改称かいしょう
  8. ^ "Germany (East)", Library of Congress Country Study, Appendix B: The Council for Mutual Economic Assistance Archived 2009-05-01 at the Wayback Machine.
  9. ^ Dragomir, Elena (2015). “The creation of the Council for Mutual Economic Assistance as seen from the Romanian archives: The creation of the Council for Mutual Economic Assistance” (英語えいご). Historical Research 88 (240): 355–379. doi:10.1111/1468-2281.12083. https://academic.oup.com/histres/article/88/240/355-379/5603008. 
  10. ^ 上官じょうかんしゅみず (2020ねん9がつ1にち). ““よん”关键词|经济互助ごじょ员会究竟きゅうきょう个什么样てき组织?”. 澎湃ほうはいしん. オリジナルの2022ねん10がつ23にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221023034340/https://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_8961571 2022ねん10がつ23にち閲覧えつらん 
  11. ^ "Germany (East)", Library of Congress Country Study, Appendix B: The Council for Mutual Economic Assistance Archived 2009-05-01 at the Wayback Machine.
  12. ^ Lacharrière, Guy de (1968). “Division internationale socialiste du travail et Coexistence pacifique des systèmes”. Revue Tiers Monde 9 (35): 743–765. doi:10.3406/tiers.1968.2463. オリジナルの2023-05-22時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230522100342/https://www.persee.fr/doc/tiers_0040-7356_1968_num_9_35_2463 2022ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん. 

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]