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コロンビア革命かくめいぐん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
 コロンビア政党せいとう
コロンビア革命かくめいぐん
ejercito revolucionario colombiano
とう紋章もんしょう
党首とうしゅ ロドリゴ・ロンドーニョ・エチェベリ
前身ぜんしん政党せいとう 自由党じゆうとうけい武装ぶそう農民のうみん運動うんどう
本部ほんぶ所在地しょざいち コロンビアボゴタ
代議員だいぎいん議席ぎせきすう
0 / 166   (0%)
元老げんろういん議席ぎせきすう
0 / 102   (0%)
コロンビア
0
とうはた
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コロンビア革命かくめいぐん(コロンビアかくめいぐん、スペイン: Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia略称りゃくしょう通称つうしょうFARC=ファルク[1])は、コロンビア政党せいとう[1]である。かつては中南米ちゅうなんべい最大さいだいはん体制たいせい武装ぶそう勢力せいりょくであり、コロンビア国内こくないのみならず、ベネズエラパナマペルーブラジルエクアドルなど[2]周辺しゅうへん諸国しょこくでも活動かつどうしていた。農民のうみん主体しゅたいのゲリラであるにもかかわらず、幹部かんぶにはインテリそうふくまれ、組織そしきホームページ運用うんよう現在げんざい閉鎖へいさちゅう)して宣伝せんでん情報じょうほう収集しゅうしゅう活動かつどうおこなっていた。2016ねん11月24にち、コロンビア政府せいふ戦闘せんとう終結しゅうけつ合意ごうい[1]して武装ぶそう解除かいじょし、2017ねん以降いこうはFARCという略称りゃくしょうはそのままで合法ごうほう政党せいとう移行いこうし、2021ねんに「Comunes」へ改称かいしょうした(後述こうじゅつ)。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

1819ねんスペインから独立どくりつして以降いこう、コロンビアでは自由党じゆうとう保守党ほしゅとうによるだい政党せいとうせいによる議会ぎかい政治せいじおこなわれてきた。自由党じゆうとう零細れいさい農家のうか新興しんこう財閥ざいばつ都市とし労働ろうどうしゃなどを支持しじ基盤きばんとし、保守党ほしゅとうカトリック教会きょうかい地主じぬしなどの支配しはいそう支持しじ基盤きばんとしていたが、基本きほんてきりょうとうとも寡頭せい維持いじというてんでは共通きょうつうしていた。コロンビアはラテンアメリカではめずらしくクーデター独裁どくさい政権せいけんをほとんど経験けいけんせず、「西半球にしはんきゅうもっとふる民主みんしゅ主義しゅぎ国家こっか」とひょうされる反面はんめんだい政党せいとう以外いがい政治せいじ勢力せいりょくによる政治せいじ参加さんか阻害そがいされてきた。

1899ねんにはコーヒー価格かかく暴落ぼうらくによりせんにち戦争せんそうばれる内戦ないせん発生はっせい死者ししゃ全土ぜんどで10まんにんにもたっしたとされる。1948ねんには自由党じゆうとうのカリスマてき政治せいじホルヘ・エリエセル・ガイタン暗殺あんさつされボゴタ暴動ぼうどうきると、1950年代ねんだい後半こうはんまでつづいた内戦ないせんで10まんにんとも20まんにんともわれる犠牲ぎせいしゃた。これらの内戦ないせん自由じゆう保守ほしゅりょうとう伝統でんとうてき政党せいとう対立たいりつ背景はいけいとしたものであったが、りょうとう内戦ないせんわらせるため政権せいけんのたらいまわしである「国民こくみん戦線せんせん協定きょうていむすぶと、寡頭体制たいせいから排除はいじょされた農民のうみん貧困ひんこんそう不満ふまんつのらせはん政府せいふ武装ぶそう闘争とうそう展開てんかいした。

1959ねんキューバ革命かくめいきると、コロンビアでもその影響えいきょうつよけた組織そしき次々つぎつぎ旗揚はたあげした。FARCもそのひとつであり、1964ねん5月27にち結成けっせいされた。自由党じゆうとうけい武装ぶそう農民のうみん運動うんどうから出発しゅっぱつし、1966ねん伝説でんせつてき指導しどうしゃマヌエル・マルランダ最高さいこう司令しれいかん就任しゅうにん。コロンビアの寡頭せい打倒だとう農地のうち改革かいかくとみさい分配ぶんぱいかかげ、マルクス・レーニン主義しゅぎ社会しゃかい主義しゅぎ革命かくめい政権せいけん樹立じゅりつ目的もくてきとした。

勢力せいりょく拡大かくだい[編集へんしゅう]

1980年代ねんだい初頭しょとうまで勢力せいりょくは1,000にん規模きぼだったが、80年代ねんだいなかばより麻薬まやく密売みつばい組織そしき協力きょうりょく関係かんけいむすび、コカイン原料げんりょうコカ栽培さいばいやコカイン精製せいせい工場こうじょう、コカイン密輸みつゆルートを保護ほごすることで多額たがく軍資金ぐんしきん獲得かくとく政府せいふぐんより高性能こうせいのう兵器へいきそなえることで急速きゅうそく勢力せいりょく拡大かくだいさせた。その規模きぼは、1995ねんにコロンビア政府せいふ麻薬まやくカルテルを壊滅かいめつさせると、FARCがコカイン取引とりひき直接ちょくせつ参入さんにゅうすることできゅう成長せいちょうし、1995ねん当時とうじ6,000にん規模きぼだったのが2000年代ねんだいには3ばいの18,000にんふくがった。一時いちじはコロンビア全土ぜんどの3ぶんの1(日本にっぽんおな面積めんせき)を実効じっこう支配しはいしたき、支配しはい地域ちいきでのコカ栽培さいばいへの課税かぜい住民じゅうみんからの徴税ちょうぜい企業きぎょう恐喝きょうかつ要人ようじん誘拐ゆうかいによる身代金みのしろきんやコカイン取引とりひき毎年まいとし推定すいてい8おくドルもの活動かつどう資金しきんていたとみられる。

誘拐ゆうかい[編集へんしゅう]

1990年代ねんだい、コロンビアでは世界せかい誘拐ゆうかい事件じけんの6わり相当そうとうする3600にん誘拐ゆうかいされており、1996ねんから2004ねんまでの8年間ねんかん外国がいこくじん324にん誘拐ゆうかいされた。FARCは資金しきん獲得かくとくのため誘拐ゆうかい戦術せんじゅつ多用たようし、日本人にっぽんじんもターゲットとなった。

1991ねん8がつアンティオキアけん水力すいりょく発電はつでんしょ東芝とうしば日本人にっぽんじん技術ぎじゅつしゃ2にんがFARCに誘拐ゆうかいされ、身代金みのしろきん200まんドルの支払しはらいでやく4ヵ月かげつ解放かいほうされた。

1998ねん9月と2001ねん8がつにはもと山梨やまなし県議けんぎが2誘拐ゆうかいされ、いずれも無事ぶじ解放かいほうされたが、2001ねん2がつ首都しゅとボゴタ誘拐ゆうかいされFARCにわたされた矢崎総業やざきそうぎょう現地げんち合弁ごうべん会社かいしゃ日本人にっぽんじんふく社長しゃちょう身代金みのしろきん2500まんドル(やく27おくえん)を要求ようきゅうされ、解放かいほう交渉こうしょう長期ちょうきおよんだ。ふく社長しゃちょう山岳さんがく地帯ちたいのFARC支配しはいまわされたのち2003ねん11月、ボゴタ郊外こうがい射殺しゃさつ遺体いたい発見はっけんされた(コロンビア邦人ほうじんふく社長しゃちょう誘拐ゆうかい事件じけん)。

2010ねん3月、カリ在住ざいじゅう日本人にっぽんじん男性だんせいがFARCに誘拐ゆうかいされたが、やく5ヵ月かげつ監禁かんきん場所ばしょ特定とくていしたコロンビアぐん特殊とくしゅ部隊ぶたい急襲きゅうしゅう解放かいほうされた。

和平わへい交渉こうしょう失敗しっぱい[編集へんしゅう]

1984ねん政府せいふとの和平わへい交渉こうしょうおうじ、翌年よくねん愛国あいこく同盟どうめい英語えいごばんという合法ごうほう政党せいとう創設そうせつ議会ぎかい議員ぎいんおくんだが、議員ぎいん関係かんけいしゃは3,000にん暗殺あんさつされ、1994ねんには政党せいとう資格しかく消失しょうしつして国政こくせいから離脱りだつした。

1998ねん大統領だいとうりょう就任しゅうにんしたアンドレス・パストラーナ・アランゴはん政府せいふ左翼さよくゲリラとの対話たいわによる和平わへい実現じつげん公約こうやくかかげ、1999ねん1がつからFARCと和平わへい交渉こうしょう再開さいかいした。政府せいふ交渉こうしょうのためコロンビア南部なんぶ広大こうだい地域ちいきから国軍こくぐん警察けいさつ部隊ぶたい撤退てったいさせ武装ぶそう地帯ちたいもうけたが、交渉こうしょう不調ふちょうわった。FARCは首都しゅとボゴタ南部なんぶサン・ビセンテ・デル・カグアン事実じじつじょう首都しゅとき、一時いちじ武力ぶりょく政権せいけん奪取だっしゅするのではないかというはなし現実味げんじつみびるほど勢力せいりょく強大きょうだい活動かつどう活発かっぱつだったが、2001ねん9月11にちアメリカ同時どうじ多発たはつテロ事件じけん以降いこう国際こくさい社会しゃかいテロたいして非常ひじょうきびしい姿勢しせいしめすようになり、コロンビア政府せいふ米国べいこく同調どうちょうするかたちでFARCにたい強硬きょうこう態度たいどのぞむようになった。

2002ねん2がつ20日はつか南部なんぶネイバからボゴタへかう国内線こくないせんプロペラがFARC構成こうせいいんハイジャックされ、和平わへい交渉こうしょう担当たんとう上院じょういん議員ぎいん拉致らちされる事件じけん発生はっせいすると、これを契機けいき政府せいふ最終さいしゅうてき交渉こうしょうり、国軍こくぐん展開てんかいさせ事実じじつじょうFARCの支配しはいにあった武装ぶそう地帯ちたい奪回だっかいした。

対話たいわから対決たいけつ[編集へんしゅう]

FARC戦闘せんとういんによるパレード

2002ねん8がつ就任しゅうにんしたアルバロ・ウリベ大統領だいとうりょう1983ねん父親ちちおやをFARCに殺害さつがいされておりちからによる内戦ないせん終結しゅうけつかかげ、たいFARC強硬きょうこうさく選択せんたくした。「Plan Patriota(愛国あいこく計画けいかく)」ばれるウリベ政権せいけんでの徹底的てっていてき掃討そうとう作戦さくせん結果けっか、FARCは勢力せいりょく減退げんたいさせ、ベネズエラとの国境こっきょう地帯ちたいやコロンビア南西なんせいジャングル地帯ちたいまれた。相次あいつ幹部かんぶ逮捕たいほ殺害さつがい兵士へいし脱走だっそう大量たいりょう投降とうこう兵力へいりょくは10,000にんるなど弱体じゃくたいすすんでいるとされた。

2007ねん8がつからベネズエラ大統領だいとうりょうウゴ・チャベス仲介ちゅうかいやくにして人質ひとじち解放かいほう交渉こうしょうはじまり、同年どうねんまつから2008ねん2がつにかけて750にん誘拐ゆうかいした人質ひとじちのうち6にん解放かいほうしたが、交渉こうしょうたっていたNo.2のラウル・レジェス3月1にち早朝そうちょうにエクアドル領内りょうないの23めいとともにコロンビア空軍くうぐんばくげきけて殺害さつがいされた。そのさい、コロンビア当局とうきょく押収おうしゅうしたパソコン記録きろくなどから、FARCが放射ほうしゃせい物質ぶっしつウラン50キログラムを入手にゅうしゅしていた可能かのうせいつよまった(核兵器かくへいき製造せいぞうするためではなく、転売てんばい目的もくてきとみられる)。また7にちには最高さいこう幹部かんぶ1人ひとりであるイバン・リオス部下ぶか護衛ごえい殺害さつがいされた。これで最高さいこう幹部かんぶ7にんのうち2にん短期間たんきかんうしなったことになり、FARCにとってはおおきな打撃だげきとなった。

2008ねん5月24にち、コロンビア政府せいふ当局とうきょくしゃはFARC最高さいこう幹部かんぶのマヌエル・マルランダが同年どうねん3月26にち夕方ゆうがた死亡しぼうしていたと発表はっぴょうした。死因しいん心臓しんぞう発作ほっさだった。

なお、2007ねん12月19にちから2008ねん5がつ29にちまでの記録きろくとして、FARC広報こうほう部長ぶちょうYahoo電子でんしメールボックスが公開こうかいされている[3]

人質ひとじち救出きゅうしゅつ作戦さくせん成功せいこう[編集へんしゅう]

2008ねん7がつ2にち、コロンビアぐんは、誘拐ゆうかいやく6年間ねんかん拘束こうそくされていたイングリッド・ベタンクールもと大統領だいとうりょう候補こうほ人質ひとじち15にんすくうべく救出きゅうしゅつ作戦さくせん実行じっこうした。作戦さくせんは、民間みんかんじん偽装ぎそうした軍人ぐんじんおこない、まずにせ人質ひとじち移送いそう計画けいかく幹部かんぶしんませ、民間みんかん偽装ぎそうしたぐんヘリコプター人質ひとじちせた。その同乗どうじょうしたゲリラへい2にん拘束こうそくし、機内きないで「我々われわれ国軍こくぐんです。みなさんは解放かいほうされました」とげた。機内きないでは歓声かんせいがった。作戦さくせん一発いっぱつ発砲はっぽうすることなく終了しゅうりょうした。なお、フランス国籍こくせきつベタンクールのため、フランス政府せいふ作戦さくせん支援しえんした可能かのうせい指摘してきされている。また、のち作戦さくせん参加さんかした兵士へいし1人ひとりが、国際こくさいほう濫用らんよう禁止きんしされている赤十字せきじゅうじしめぎあきらを、無断むだんにつけていたことが判明はんめいし、非難ひなんけた。これをけて大統領だいとうりょう演説えんぜつ謝罪しゃざいした。

幹部かんぶ和平わへい交渉こうしょう再開さいかい[編集へんしゅう]

2010ねん9月23にち、コロンビアぐんはFARC軍事ぐんじ部門ぶもん司令しれいかんのホルヘ・ブリセーニョ・スアレス(通称つうしょうモノ・ホホイ)を軍事ぐんじ作戦さくせんすえ殺害さつがいしたと発表はっぴょうした。コロンビアのフアン・マヌエル・サントス大統領だいとうりょうは「FARCにたいするおおきな勝利しょうりだ」とかたった。

2011ねん11月4にち、コロンビア政府せいふはFARC最高さいこう幹部かんぶアルフォンソ・カノをカウカけん山岳さんがく地帯ちたいで10時間じかん以上いじょうにわたる戦闘せんとうすえ殺害さつがいした[4]。カノは、2008ねん3がつ死亡しぼうしたマルランダの後継こうけいしゃとしてFARCをひきいていた。FARCはカノの死後しごあらたにロドリゴ・ロンドーニョ・エチェベリ(通称つうしょうティモチェンコ司令しれいかん)を指導しどうしゃ選出せんしゅつし、武装ぶそう闘争とうそう継続けいぞく宣言せんげんした。

2012ねん2がつ26にち、FARCは拉致らち10ねん以上いじょう拘束こうそくしていたぐん警察けいさつ関係かんけいしゃ人質ひとじち10めい解放かいほうするとともに、「今後こんご身代金みのしろきん目的もくてき民間みんかんじん誘拐ゆうかいおこなわない」とする声明せいめい発表はっぴょうした。

2012ねん9月4にち、コロンビア政府せいふとFARCの和平わへい交渉こうしょうが10月からノルウェーオスロおこなわれることが発表はっぴょうされた。8月に政府せいふがFARCと予備よび交渉こうしょうおこない、公式こうしき交渉こうしょうをオスロでおこなったのちキューバハバナ交渉こうしょう継続けいぞくされる[5]

2014ねん11月18にち、FARCは行方ゆくえ不明ふめいになったぐん高官こうかんら3めい軍人ぐんじん拘束こうそくしていることをみとめ、これをけてサントス大統領だいとうりょう和平わへい交渉こうしょう中断ちゅうだんめた。政府せいふとFARCは2012ねん11月から和平わへい交渉こうしょうつづけており、これまでに農業のうぎょう政治せいじ参加さんか麻薬まやく問題もんだいの3つのテーマで合意ごういたっしている[6]

和平わへい合意ごうい武装ぶそう解除かいじょ[編集へんしゅう]

2015ねん9月23にち、コロンビア政府せいふはFARCとつづけてきた和平わへい交渉こうしょうについて、半年はんとし以内いない妥結だけつすることを発表はっぴょうした。はん世紀せいきおよんだコロンビア国内こくない紛争ふんそう終結しゅうけつけておおきくうごした。サントス大統領だいとうりょう同日どうじつ、キューバの首都しゅとハバナでFARC最高さいこう幹部かんぶティモチェンコと会談かいだんし、紛争ふんそうちゅう重大じゅうだい犯罪はんざいさば特別とくべつ法廷ほうてい設置せっち犠牲ぎせいしゃへの補償ほしょう和平わへい合意ごうい60にち以内いない武装ぶそう解除かいじょおこなうことなどで合意ごういたっした。50ねん以上いじょうつづいた紛争ふんそうによる死者ししゃやく22まんにんたっし、世界せかいもっとなが内戦ないせんひとつにげられる[7]

2016ねん6月22にち、コロンビア政府せいふとFARCは停戦ていせん合意ごういし、共同きょうどう声明せいめい発表はっぴょうした。どう23にち、キューバの首都しゅとハバナで、サントス大統領だいとうりょうとFARCのティモチェンコ最高さいこう司令しれいかん国連こくれん事務じむ総長そうちょうはんはじめぶん、キューバのラウル・カストロ国家こっか評議ひょうぎかい議長ぎちょうチリミシェル・バチェレ大統領だいとうりょう、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領だいとうりょうらの同席どうせきした停戦ていせん協定きょうてい署名しょめいした[8]

合意ごういでは、FARCが合意ごういから60にち以内いない武装ぶそう放棄ほうきし、180にち以内いないすべての武器ぶき国連こくれん主導しゅどう国際こくさい委員いいんかいわたす。国内こくない23ヶ所かしょ武器ぶきわた場所ばしょもうけられ、治安ちあん当局とうきょくがFARC戦闘せんとういん安全あんぜん保障ほしょうする。FARC戦闘せんとういんへの逮捕たいほ命令めいれい一時いちじ停止ていしされるが、合意ごうい違反いはん処罰しょばつされる。

国連こくれんがFARCの所持しょじする武器ぶきり、放棄ほうきされた武器ぶき米国べいこくニューヨークにある国連こくれん本部ほんぶ、コロンビア国内こくない、キューバのハバナにモニュメントがつくられる。

2016ねん8がつ24にち、コロンビア政府せいふとFARCは共同きょうどう声明せいめいで50ねん以上いじょうにわたる内戦ないせん終結しゅうけつ合意ごういしたと発表はっぴょうした。これによりFARCは武装ぶそう解除かいじょされる。10月2にち国民こくみん投票とうひょうにかけられ、世論せろん調査ちょうさでは賛成さんせい多数たすうめる模様もよう。だが、もと大統領だいとうりょうら2にん反対はんたいひょうとうじる意向いこうしめし、野党やとうなどはFARCの武力ぶりょく壊滅かいめつ主張しゅちょうしている[9]

2016ねん10月2にち和平わへい合意ごうい是非ぜひ国民こくみん投票とうひょう結果けっか反対はんたい賛成さんせい僅差きんさ上回うわまわ否決ひけつされた[10]恩赦おんしゃ減刑げんけいについて「譲歩じょうほしすぎ」との批判ひはんがあったためである[1]

修正しゅうせいされた和平わへいあん2016ねん11月24にち政府せいふとFARCで合意ごういされ[1]両者りょうしゃはボゴタで和平わへい合意ごうい調印ちょういんし、コロンビア議会ぎかいでの審議しんぎ承認しょうにんされた。合意ごうい内容ないようは、武装ぶそう解除かいじょもとゲリラにたいする恩赦おんしゃ減刑げんけい安全あんぜん自由じゆう政治せいじ活動かつどう保障ほしょう職業しょくぎょう訓練くんれんによる社会しゃかい復帰ふっき支援しえん土地とちたない農民のうみんへの支援しえん政府せいふとFARCによる和平わへい合意ごうい履行りこう検証けんしょうである[1]

2017ねん6月26にち国連こくれん監視かんしだんはFARCの武装ぶそう解除かいじょ完了かんりょうしたことを発表はっぴょうした。全国ぜんこく26ヵ所かしょ監視かんししょ登録とうろくされたFARCの銃器じゅうき7132ちょう回収かいしゅうし、6月27にち最後さいご武器ぶきわたしと武装ぶそう放棄ほうき終了しゅうりょういわうセレモニーがメタけんおこなわれ、サントス大統領だいとうりょう出席しゅっせきした。FARCの武装ぶそう解除かいじょによりはん世紀せいきおよんだ内戦ないせん事実じじつじょう終結しゅうけつした[11]

2017ねん9月1にち、FARCは合法ごうほう政党せいとう人民じんみん革命かくめい代替だいたい勢力せいりょく(Fuerza Armada Revolucionaria del Común、FARC)」を設立せつりつした(政党せいとうめいは2021ねん1がつ、「Comunes」のみに変更へんこうされた[12])。和平わへい合意ごういもとづき上下じょうげ両院りょういんに5議席ぎせきずつあたえられる。今後こんご武装ぶそう闘争とうそう放棄ほうきし、合法ごうほうてき政党せいとう活動かつどうによる政治せいじ参加さんか目指めざす。が、世論せろん調査ちょうさでは営利えいり誘拐ゆうかい麻薬まやく取引とりひき資金しきんげんにしてきたFARCへの不信ふしんかん根強ねづよく、支持しじは87%にたっした[13]

和平わへい成立せいりつ[編集へんしゅう]

2018ねん3月11にち上下じょうげ両院りょういん議員ぎいん選挙せんきょ実施じっしされFARCから74にん候補者こうほしゃ立候補りっこうほしたが、両院りょういんともに1人ひとり当選とうせんできず惨敗ざんぱいした。和平わへい合意ごういもとづき2026ねんまで自動的じどうてき両院りょういんに10議席ぎせきあたえられるが、内戦ないせんはつ政治せいじ参加さんかとなった両院りょういんせんでのFARCの得票とくひょうりつは1%にもたず、過去かこおおくの殺人さつじん誘拐ゆうかい関与かんよしたFARCへの国民こくみん感情かんじょうきびしさをあらためてりにするかたちとなった。また、同年どうねん5がつ大統領だいとうりょう選挙せんきょへの出馬しゅつば表明ひょうめいしていたFARC代表だいひょうのロドリゴ・ロンドーニョは持病じびょう心臓しんぞうびょう悪化あっか世論せろん逆風ぎゃくふうなどを理由りゆう出馬しゅつばげた[14]大統領だいとうりょう選挙せんきょには和平わへい合意ごうい尊重そんちょう主張しゅちょうするぜんボゴタ市長しちょうグスタボ・ペトロ出馬しゅつばしたが、決選けっせん投票とうひょうすえ和平わへい協定きょうてい見直みなおしを主張しゅちょうする右派うはイバン・ドゥケぜん上院じょういん議員ぎいんやぶれた[15]

なお、和平わへい反対はんたいしてFARCから離脱りだつした1500にん程度ていどはん主流しゅりゅう武装ぶそう解除かいじょ拒否きょひして現在げんざい麻薬まやく密輸みつゆとう非合法ひごうほう活動かつどう継続けいぞくしており、コロンビア政府せいふつづきFARC分離ぶんりたいする武力ぶりょく掃討そうとう作戦さくせん展開てんかいちゅうである。

武装ぶそう闘争とうそう再開さいかい[編集へんしゅう]

2019ねん8がつ29にち、FARCもと幹部かんぶはコロンビア政府せいふとの和平わへい破棄はきし、武装ぶそう闘争とうそう再開さいかいすると宣言せんげんした。政府せいふとの和平わへい交渉こうしょう主導しゅどうしたイバン・マルケスは「世界中せかいじゅう人々ひとびと抑圧よくあつかうため武器ぶきをとる権利けんりっている」として、政府せいふたいする武装ぶそう闘争とうそう再開さいかい宣言せんげんする動画どうが公開こうかいした。べつ左翼さよくゲリラ「ELN(民族みんぞく解放かいほうぐん」との連携れんけい視野しやれるとしている[16]。コロンビア政府せいふとFARCの和平わへい合意ごうい以降いこう、FARCもと兵士へいし150にん左翼さよく活動かつどう500にん殺害さつがいされており、政府せいふ和平わへい合意ごうい順守じゅんしゅしていないことを武装ぶそう闘争とうそう再開さいかい理由りゆうげた。FARCによるテロの犠牲ぎせいしゃ遺族いぞくみずか報復ほうふくおよんだりころ依頼いらいしたりしており、和平わへい履行りこうをチェックしているNPO法人ほうじん「インデパス」によると和平わへい5ねんで301にんもとゲリラが殺害さつがいされた[1]

マルケスに同調どうちょうするもと兵士へいしは2000にん程度ていどとみられる。一方いっぽう合法ごうほう政党せいとうFARC代表だいひょうロドリゴ・ロンドーニョは「もと兵士へいし大半たいはん和平わへい合意ごうい尊重そんちょうする」とべ、武装ぶそう闘争とうそう再開さいかい宣言せんげんしたマルケスら強硬きょうこう除名じょめい処分しょぶんした。

謝罪しゃざい[編集へんしゅう]

2020ねん9月14にち、FARCは過去かここした誘拐ゆうかい事件じけんについて、被害ひがいしゃ家族かぞく謝罪しゃざいした。FARCは声明せいめいで「我々われわれによる誘拐ゆうかい被害ひがいしゃやその家族かぞく公式こうしき謝罪しゃざいする」「誘拐ゆうかい重大じゅうだいあやまちだった。反省はんせいするしかない。被害ひがいしゃしんふかきずのこした」とべた。FARCが誘拐ゆうかい謝罪しゃざいしたのははじめて[17]

テロ組織そしき指定してい解除かいじょ[編集へんしゅう]

2021ねん11月30にち米国べいこくアントニー・ブリンケン国務こくむ長官ちょうかんはFARCのテロ組織そしき指定してい解除かいじょしたことを発表はっぴょうした。2016ねん和平わへい合意ごうい以降いこう、FARCは武装ぶそう解除かいじょしており、テロ行為こういおこな統一とういつされた組織そしきではなくなったことを理由りゆうげた[18]

組織そしきとのかかわり[編集へんしゅう]

上記じょうきのように、麻薬まやくカルテル(コロンビアけいマフィア)との関係かんけいふかい。とくに、コロンビアの2だいマフィアとばれるメデジン・カルテルカリ・カルテルとは非常ひじょうふか関係かんけいにあり、かれらマフィアはゲリラの圧倒的あっとうてき武力ぶりょくえに、FARCを支援しえん[19]、ゲリラが大統領だいとうりょう候補こうほ暗殺あんさつをする一方いっぽうでマフィアはおおくの議員ぎいんにヤミ献金けんきんおくるなどしていた[2]

それ以外いがいは、FARCはロシアン・マフィアからロシアせい武器ぶき供給きょうきゅうしてもらうわりに、麻薬まやくカルテルから麻薬まやくや、自分じぶんたちで栽培さいばいした麻薬まやくをマフィアに提供ていきょうしている[2]ヨーロッパはこばれるコロンビアさんコカインの3わり以上いじょうはロシアン・マフィアがはこんでいるとされる[2]

また、FARCやELNなどの左翼さよくゲリラが国土こくどの3ぶんの1ちかくまで勢力せいりょくばしているなかで、1997ねんにそれら左翼さよくゲリラに対抗たいこうするため、極右きょくう私兵しへい組織そしきAUC(コロンビア自警じけいぐん連合れんごう」などもあらわれている。

日本にっぽん公安調査庁こうあんちょうさちょう公式こうしきサイトによれば、コロンビア革命かくめいぐんは、レバノンヒズボラとの関係かんけいゆうしているとの報告ほうこく公開こうかいされている。

使用しようする武器ぶきは、ロシアせい中心ちゅうしんだが、アメリカせい銃火じゅうかこのんで使用しようする。

関連かんれん書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • イングリッド・ベタンクール『それでもわたし腐敗ふはいたたかう』永田ながた千奈ちなわけくさおもえしゃ、2002ねん5がつISBN 978-4794211354 
  • だか浩昭ひろあき『コロンビア内戦ないせん ゲリラと麻薬まやく殺戮さつりくと』ろんそうしゃ、2003ねん10がつISBN 978-4846003760 

参考さんこう脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g 「コロンビア とお安定あんてい 和平わへい合意ごうい5ねんもとゲリラ 報復ほうふくふたた武装ぶそう」『読売新聞よみうりしんぶん朝刊ちょうかん2021ねん11月26にち国際こくさいめん
  2. ^ a b c d 世界せかい情勢じょうせいかい『「タブー」の世界せかい地図ちず日本文芸社にほんぶんげいしゃ ISBN 4537251891
  3. ^ ウィキリークス Assassinated FARC spokesman Raul Reyes Yahoo mailbox 2007-2008 June 18, 2008
  4. ^ コロンビア左翼さよくゲリラ「FARC」最高さいこう幹部かんぶぐん殺害さつがい AFP(2011ねん11月5にち
  5. ^ 「コロンビア政府せいふ左翼さよくゲリラ、10月にオスロで和平わへい交渉こうしょうCNN(2012ねん9がつ5にち
  6. ^ 「コロンビアの左翼さよくゲリラがぐん大将たいしょうらを拘束こうそく政府せいふとの和平わへい交渉こうしょう中断ちゅうだんAFP(2014ねん11月19にち
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  9. ^ 「コロンビア政府せいふ左翼さよくゲリラ、はん世紀せいきにわたる内戦ないせん終結しゅうけつ合意ごうい朝日新聞あさひしんぶん』2016ねん8がつ25にち
  10. ^ 「コロンビア和平わへい合意ごうい国民こくみん投票とうひょう否決ひけつ日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』2016ねん10がつ3にち
  11. ^ 左翼さよくゲリラ、武装ぶそう解除かいじょ完了かんりょう和平わへいおおきな進展しんてん-コロンビア」時事じじドットコム(2017ねん6がつ27にち
  12. ^ コロンビア革命かくめいぐん(FARC)Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia -Ejércitodel Pueblo, Revolutionary Armed Forces of Colombia, Fuerza Alternativa Revolucionaria del Común, Comunes国際こくさいテロリズム要覧ようらん2021』公安調査庁こうあんちょうさちょう(2021ねん11月27にち閲覧えつらん
  13. ^ 合法ごうほう政党せいとう「FARC」発足ほっそく=ゲリラ衣替ころもがえ、和平わへい前進ぜんしん-コロンビア 時事じじドットコム(2017ねん9がつ2にち
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  15. ^ “コロンビア大統領だいとうりょうせん 保守ほしゅドゥケ勝利しょうり 和平わへい協定きょうてい暗雲あんうん. BBC News. BBC. (2018ねん6がつ18にち). http://www.bbc.com/japanese/44516411 2018ねん6がつ18にち閲覧えつらん 
  16. ^ 「コロンビア、もとゲリラ幹部かんぶ武装ぶそう闘争とうそう復帰ふっき宣言せんげん日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』2019ねん8がつ29にち
  17. ^ FARCが誘拐ゆうかい謝罪しゃざい
  18. ^ べい政府せいふきゅう左翼さよくゲリラのテロ指定してい解除かいじょ コロンビアのFARC」 時事じじドットコム(2021ねん11月30にち
  19. ^ FARC以外いがいにもELN(民族みんぞく解放かいほう戦線せんせんなども支援しえんしている。

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