ジェレミー・ウォリナー

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジェレミー・ウォリナー Portal:陸上競技
選手せんしゅ情報じょうほう
フルネーム ジェレミー・マシュー・ウォリナー
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
種目しゅもく 短距離たんきょりはし
生年月日せいねんがっぴ (1984-01-31) 1984ねん1がつ31にち(40さい
生誕せいたん テキサスしゅうアービング
居住きょじゅう テキサスしゅうウェーコ
身長しんちょう 183cm
体重たいじゅう 70kg
自己じこベスト 200m:20びょう19(2006ねん
400m:43びょう45(2007ねん
獲得かくとくメダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
陸上りくじょう競技きょうぎ
オリンピック
きむ 2004 アテネ 男子だんし 400m
きむ 2004 アテネ 男子だんし 4×400mリレー
きむ 2008 北京ぺきん 男子だんし 4×400mリレー
ぎん 2008 北京ぺきん 男子だんし 400m
世界せかい選手権せんしゅけん
きむ 2005 ヘルシンキ 男子だんし 400m
きむ 2005 ヘルシンキ 男子だんし 4×400mリレー
きむ 2007 大阪おおさか 男子だんし 400m
きむ 2007 大阪おおさか 男子だんし 4×400mリレー
きむ 2009 ベルリン 男子だんし 4×400mリレー
ぎん 2009 ベルリン 男子だんし 400m
編集へんしゅう テンプレートのヘルプを表示する

ジェレミー・ウォリナーJeremy Wariner, 1984ねん1がつ31にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくもと陸上りくじょう競技きょうぎ選手せんしゅである。2004ねんアテネオリンピック400m、4×400mリレー、2008ねん北京ぺきんオリンピック4×400mリレーのかねメダリストである。テキサスしゅうアービング出身しゅっしん

400メートルはしりでは、白人はくじん選手せんしゅとしては1980ねんモスクワオリンピックビクトル・マルキン以来いらいのオリンピックのかねメダリストであり、アメリカの白人はくじん選手せんしゅとしては1964ねんマイケル・ララビー以来いらいとなるきんメダルを獲得かくとくした。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

2001ねんにアメフトと陸上りくじょうまよったすえ陸上りくじょうえらんだ。アメフトでもスターになれる素質そしつっていたが、その選択せんたく間違まちがいはかったとえる。2003ねんにそのとしのジュニア世界せかいランキング1となる45びょう13(なお日本にっぽん山口やまぐち有希ゆきかれおな年齢ねんれいで、45びょう18のジュニア日本にっぽん記録きろくどう2)をマーク。戦績せんせき全米ぜんべいジュニア、パンアメリカンジュニア、ともに2

2004ねん、このとし皮切かわきりにかれあざやかな変貌へんぼうげる。NCAA選手権せんしゅけん全米ぜんべい五輪ごりんトライアルつづけにち、世界せかい大会たいかいはつ代表だいひょう。そのままアテネオリンピック本戦ほんせんでもきんメダルを獲得かくとく一躍いちやくしんスターとして名乗なのりをげた。そのときの優勝ゆうしょうタイムは44びょう00で、マイケル・ジョンソン引退いんたい以降いこうでは、当時とうじ世界せかい最高さいこうだった。

2005ねん世界せかい選手権せんしゅけんヘルシンキ大会たいかい優勝ゆうしょう(43びょう93)。これは当時とうじ世界せかい歴代れきだい7であり、史上しじょう8にんの43びょうだいランナーとなった。これは100mの9びょうだい、200mの19びょうだいならんでスプリンターの大台おおだいだが到達とうたつしゃはこの種目しゅもくだけ極端きょくたんすくない。 2006ねん記録きろくは43びょう62までび、世界せかい歴代れきだい4浮上ふじょう陸上りくじょうグランプリシリーズ最高峰さいこうほうゴールデンリーグでも6せん全勝ぜんしょうし、ジャックポットを獲得かくとくした。

2007ねんストックホルムでのDNガランにおいて、43びょう50の世界せかい歴代れきだい3タイの記録きろくし、同年どうねん世界せかい陸上りくじょう選手権せんしゅけん大阪おおさか大会たいかいでは、世界せかい歴代れきだい単独たんどく3となる43びょう45の記録きろくした。

2008ねん全米ぜんべい陸上りくじょうラショーン・メリットやぶれ、2連覇れんぱねらった北京ぺきんオリンピックでは、準決勝じゅんけっしょう余裕よゆうをもって44びょう15をすなど、好調こうちょう様子ようすせていた。しかし、決勝けっしょうでは直線ちょくせん入口いりくちでメリットにならばれるとそのままはなされ失速しっそく最後さいごはレースをあきらめたかたちでフィニッシュ。1びょうちかをつけられ2わった。

2009ねん、2ねんぶりに大阪おおさか国際こくさいGP参戦さんせん。45びょう16の自己じこベストをした日本にっぽん金丸かねまる祐三ゆうぞうを2おさえ44びょう69で優勝ゆうしょうしたが、2007ねん(44びょう02で優勝ゆうしょう)よりタイムをとしている。世界せかい陸上りくじょうではワイルドカードで出場しゅつじょうし、全米ぜんべい陸上りくじょうの400mは欠場けつじょう。そのシーズン無敗むはいむかえた世界せかい陸上りくじょうでは 前年ぜんねんWAF以来いらいのメリットとの再戦さいせんとなった。結果けっか最後さいご直線ちょくせんはなされ、2わった。シーズンベストはしたが、自己じこベストにはとおおよばなかった。

その怪我けがなやまされ、目立めだった結果けっかのこせず、リオ五輪ごりん選考せんこうレースで引退いんたい決意けつい

エピソード[編集へんしゅう]

  • ウォリナーは、どんなレースでも、たとえ陽射ひざしがいときもサングラスをしてはしることでられている。
  • ウォリナーのマネージャーはマイケル・ジョンソンつとめており、そのジョンソンに「わたし世界せかい記録きろく(43びょう18)をれるのはウォリナーしかいない」とわしめるほどであったが、2009ねんに、「かれウサイン・ボルト)ならできるがする」と発言はつげんしている。
  • 長居ながい陸上りくじょう競技きょうぎじょうのトラックが世界一せかいいちのトラックであり、世界中せかいじゅう競技きょうぎじょう長居ながい陸上りくじょう競技きょうぎじょうおな素材そざいのトラックにしてしいとっている。
  • 2005ねんシーズンはじめ、試合しあいまえ愛車あいしゃのベンツで交通こうつう事故じこにあう不幸ふこう見舞みまわれた。さいわおおきな怪我けがはなかったが、くるま廃車はいしゃ試合しあいでも同期どうきのダロルド・ウィリアムソンにやぶれている。
  • 2008ねんにそれまで指導しどうけていたクライド・ハートと報酬ほうしゅうめんいがつかず、契約けいやく解消かいしょうした。その影響えいきょうなのかさだかではないが、このシーズンはこれまで圧倒あっとうしてきた後輩こうはいのメリットに4わたってやぶれている。その2009ねん5がつふたたびハートの指導しどうはじめた。同年どうねん世界せかい陸上りくじょう決勝けっしょうまえのTV中継ちゅうけいで、そのハートから「自信じしんて」と激励げきれい言葉ことばもらったエピソードも紹介しょうかいされた。
  • 映画えいが俳優はいゆうではデンゼル・ワシントンきであり、とく演技えんぎこのみだという。女優じょゆうではアンジェリーナ・ジョリーこのみだという。
  • 2009ねんではヨガ練習れんしゅうれている。

おも実績じっせき[編集へんしゅう]

とし 大会たいかい 場所ばしょ 種目しゅもく 結果けっか 記録きろく
2004 オリンピック アテネギリシャ 400m 1 44びょう00
2004 オリンピック アテネ(ギリシャ) 4×400mリレー 1 2ふん55びょう91
2005 世界せかい陸上りくじょう選手権せんしゅけん ヘルシンキフィンランド 400m 1 43びょう93
2005 世界せかい陸上りくじょう選手権せんしゅけん ヘルシンキ(フィンランド) 4×400mリレー 1 2ふん56びょう91
2006 IAAFワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルトドイツ 400m 1 44びょう02
2007 世界せかい陸上りくじょう選手権せんしゅけん 大阪おおさか日本にっぽん 400m 1 43びょう45
2007 世界せかい陸上りくじょう選手権せんしゅけん 大阪おおさか日本にっぽん 4×400mリレー 1 2ふん55びょう56
2008 オリンピック 北京ぺきん中国ちゅうごく 400m 2 44びょう74
2008 オリンピック 北京ぺきん中国ちゅうごく 4×400mリレー 1 2ふん55びょう39
2008 IAAFワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルト(ドイツ) 400m 2 44びょう51
2009 世界せかい陸上りくじょう選手権せんしゅけん ベルリンドイツ 400m 2 44びょう60

自己じこベスト[編集へんしゅう]

  • 200m 20びょう19 (2006ねん5がつ21にち
  • 400m 43びょう45 (2007ねん8がつ31にち

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]