ジョン・クラカワー (Jon Krakauer, 1954年 ねん 4月 がつ 12日 にち - )は、アメリカ のジャーナリスト 、作家 さっか 、登山 とざん 家 か 。アウトドア や登山 とざん に関 かん する著作 ちょさく で知 し られる。全米 ぜんべい ベストセラーとなった『荒野 あらの へ』、『空 そら へ』、『信仰 しんこう が人 ひと を殺 ころ すとき』、Where Men Win Glory 等 ひとし のノンフィクション 作品 さくひん の他 ほか 、多数 たすう の雑誌 ざっし で執筆 しっぴつ 。1996年 ねん のエベレスト大量 たいりょう 遭難 そうなん 事故 じこ の当事 とうじ 者 しゃ の一人 ひとり 。[1] [2]
マサチューセッツ州 しゅう ブルックライン にて、ユダヤ系 けい で医師 いし の父 ちち とスカンジナビア系 けい でユニテリアン の母 はは の間 あいだ の5人 にん の子 こ どもの3男 おとこ として生 う まれる[3] 。2歳 さい からオレゴン州 しゅう コーバリス で育 そだ つ[4] 。8歳 さい のとき父 ちち から登山 とざん を教 おそ わる[1] 。マサチューセッツのハンプシャー大学 だいがく に進学 しんがく し、1976年 ねん に環境 かんきょう 学 がく の学位 がくい を取得 しゅとく して卒業 そつぎょう [5] 。1980年 ねん 、当時 とうじ 登山 とざん 家 か だった妻 つま と結婚 けっこん 。大工 だいく や漁師 りょうし のアルバイトをしながら生計 せいけい を立 た てていたが、1983年 ねん 以降 いこう 、専業 せんぎょう のフリーライターとなる[1] [5] 。ワシントン州 しゅう シアトル に居住 きょじゅう していたが[3] 、著書 ちょしょ 『空 そら へ』の発表 はっぴょう 以降 いこう はコロラド州 しゅう ボールダー に居住 きょじゅう する[1] 。
大学 だいがく 卒業 そつぎょう 後 ご 、アラスカ のスティキーン氷 こおり 帽 ぼう で3週間 しゅうかん を一人 ひとり で過 す ごし、デビルズサムを新 しん ルートで登頂 とうちょう した。この経験 けいけん は『エヴェレストより高 たか い山 やま 』『荒野 あらの へ』で描 えが かれている。1992年 ねん には最 もっと も登頂 とうちょう 困難 こんなん とされるパタゴニア ・アンデス のセロトーレを制覇 せいは した[6] 。
1996年 ねん 、ガイド付 つ きでエベレスト 登頂 とうちょう を達成 たっせい 。しかし下山 げざん 中 ちゅう に嵐 あらし に見舞 みま われ、クラカワーのチームでは(リーダーであったロブ・ホールを含 ふく む)4人 にん が死亡 しぼう した。この事故 じこ は1996年 ねん のエベレスト大量 たいりょう 遭難 そうなん として知 し られる。事故 じこ についての赤裸々 せきらら な回想 かいそう をアウトサイド誌 し に書 か き、後 のち に著書 ちょしょ 『空 そら へ』となった。
このシーズンには計 けい 15名 めい が死亡 しぼう し、一 いち 年間 ねんかん の死者 ししゃ 数 すう としてエベレスト登山 とざん 史上 しじょう 最悪 さいあく の記録 きろく となったが、後 のち に2014年 ねん の雪崩 なだれ での16人 にん 、2015年 ねん の地震 じしん による雪崩 なだれ での19人 にん と記録 きろく は更新 こうしん されている。
また、この事故 じこ の影響 えいきょう で長年 ながねん 、心 しん 的 てき 外傷 がいしょう 後 ご ストレス障害 しょうがい (PTSD)に苦 くる しんでおり、エベレスト登頂 とうちょう は人生 じんせい 最大 さいだい の過 あやま ちだった、過去 かこ に戻 もど れたら登頂 とうちょう しなかったろうと語 かた っている[7] 。
2009年 ねん のクラカワー
最 もっと もクラカワーの人気 にんき を高 たか めたのはアウトサイド誌 し での執筆 しっぴつ であるが、題材 だいざい は登山 とざん のみならず多岐 たき にわたり、アーキテクチャル・ダイジェスト誌 し 、ナショナル・ジオグラフィック 誌 し 、ローリング・ストーン 誌 し 、スミソニアン誌 し にも寄稿 きこう している[6] 。1992年 ねん 上梓 じょうし の『エヴェレストより高 たか い山 やま 』は1982年 ねん から1989年 ねん までの執筆 しっぴつ 記事 きじ をまとめたものである[8] 。
事故 じこ に遭遇 そうぐう したエベレスト 登頂 とうちょう ではアウトサイド誌 し の記者 きしゃ として参加 さんか しており、エベレスト商業 しょうぎょう 登山 とざん の様子 ようす を、自身 じしん がいたロブ・ホール隊 たい とスコット・フィッシャー隊 たい の2チームについて書 か くことになっていた[5] 。両 りょう チームともクライアントを登頂 とうちょう させることには成功 せいこう したが、下山 げざん 途中 とちゅう で深刻 しんこく な事態 じたい に陥 おちい った。クラカワーの見解 けんかい によれば、嵐 あらし に加 くわ えて、両 りょう チームのガイドらの軽率 けいそつ な判断 はんだん が、彼 かれ ら自身 じしん および多数 たすう の登山 とざん 者 しゃ の死 し を招 まね く原因 げんいん となったという。生還 せいかん 者 しゃ への多 おお くのインタビューも付 ふ された著書 ちょしょ 『空 そら へ』の巻頭 かんとう では、(特 とく にアンディ・ハリスの死 し に関 かん して)短 みじか い記事 きじ だけでは事件 じけん をつまびらかにすることはできなかったと述 の べている。
エベレスト登頂 とうちょう の商業 しょうぎょう 化 か そのものについては「他 た の山 やま とかなり状況 じょうきょう が異 こと なる」としながら「そもそも裕福 ゆうふく なイギリス人 じん がアルプスの地元民 じもとみん を雇 やと ってガイドさせたのがスポーツとしての登山 とざん の始 はじ まりであり、ガイド付 つ き登山 とざん は長 なが い歴史 れきし がある。まして世界 せかい 最高峰 さいこうほう となれば、ガイドを付 つ けることを悪 わる くなど言 い えない」と否定 ひてい はしていない[9] 。
『エヴェレストより高 たか い山 やま ―登山 とざん をめぐる12の話 はなし 』 [ 編集 へんしゅう ]
(原題 げんだい :Eiger Dreams )1990年 ねん 出版 しゅっぱん 。登山 とざん やロッククライミング の記事 きじ やエッセイをまとめたノンフィクション。内容 ないよう は、スイス・アルプス山脈 あるぷすさんみゃく のアイガー北 きた 壁 かべ 、アラスカ山脈 さんみゃく のデナリ 、カラコルム山脈 さんみゃく のK2 への登頂 とうちょう から、旅路 たびじ で出会 であ ったジョン・ギルなど有名 ゆうめい なロッククライマーについてなど様々 さまざま 。
(原題 げんだい :Into the Wild )1996年 ねん に出版 しゅっぱん され、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリスト を2年 ねん 飾 かざ ったノンフィクション。東海岸 ひがしかいがん の裕福 ゆうふく な家 いえ の出身 しゅっしん の青年 せいねん クリストファー・マッカンドレスが、1990年 ねん にエモリー大学 だいがく を卒業 そつぎょう 後 ご 、銀行 ぎんこう 口座 こうざ の全額 ぜんがく (2万 まん 4千 せん ドル)を人道 じんどう 支援 しえん 団体 だんたい オックスファム に寄付 よせつけ 、自身 じしん を「アレクサンダー・スーパートランプ」と名乗 なの ってアメリカ西部 せいぶ の旅 たび に出 で た話 はなし を時 とき 系列 けいれつ 交錯 こうさく 的 てき に綴 つづ っている。マッカンドレスは1992年 ねん 8月 がつ にアラスカ州 しゅう デナリ国立 こくりつ 公園 こうえん のWentitika湖 みずうみ の近 ちか くで餓死 がし しているのを発見 はっけん された。本書 ほんしょ ではマッカンドレスの体験 たいけん およびクラカワー自身 じしん の体験 たいけん や、他 た の冒険 ぼうけん 談 だん が並行 へいこう して描 えが かれる。2007年 ねん にはショーン・ペン 監督 かんとく による本書 ほんしょ を原作 げんさく にした映画 えいが 『イントゥ・ザ・ワイルド 』が公開 こうかい された[10] 。
当 とう 書籍 しょせき 、映画 えいが に登場 とうじょう する朽 く ちたバスを目当 めあ てに現地 げんち を訪問 ほうもん する観光 かんこう 客 きゃく が遭難 そうなん 。2020年 ねん 、バスはアラスカ州兵 しゅうへい のヘリコプターで現地 げんち から撤去 てっきょ された[11] 。
『空 そら へ ―エヴェレストの悲劇 ひげき はなぜ起 お きたか』 [ 編集 へんしゅう ]
(原題 げんだい :Into Thin Air )1997年 ねん 出版 しゅっぱん 。1996年 ねん のアウトサイド誌 し での記事 きじ をさらに掘 ほ り下 さ げて書 か いた、クラカワーの最 もっと も有名 ゆうめい な著書 ちょしょ 。登山 とざん 隊 たい での体験 たいけん や、当時 とうじ のエベレスト登頂 とうちょう に関 かん する一般 いっぱん 的 てき 状況 じょうきょう が描 えが かれている。クラカワーは雑誌 ざっし の記者 きしゃ として雇 やと われ、1996年 ねん 、ロブ・ホール率 ひき いるエベレスト登頂 とうちょう 隊 たい に顧客 こきゃく として加 くわ わったが、1996年 ねん エベレスト大量 たいりょう 遭難 そうなん という多数 たすう の死傷 ししょう 者 しゃ を出 だ す結果 けっか となった。
本書 ほんしょ はニューヨーク・タイムズのベストセラーリストのノンフィクション部門 ぶもん 第 だい 一 いち 位 い となり、タイム 誌 し のブック・オブ・ザ・イヤーを受賞 じゅしょう した。また、1998年 ねん のピュリッツァー賞 しょう 一般 いっぱん ノンフィクション部門 ぶもん の最終 さいしゅう 候補 こうほ 3作品 さくひん に入選 にゅうせん した[12] 。1999年 ねん のアメリカ芸術 げいじゅつ 文学 ぶんがく アカデミーは文学 ぶんがく 賞 しょう 授与 じゅよ 理由 りゆう の中 なか で「ジョン・クラカワーは調査 ちょうさ 報道 ほうどう がもつ執念深 しゅうねんぶか さ・勇敢 ゆうかん さという素晴 すば らしい流儀 りゅうぎ に、天性 てんせい の作家 さっか がもつスタイリッシュな機微 きび と深 ふか い洞察 どうさつ を併 あわ せ持 も つ。エベレスト登頂 とうちょう についての記述 きじゅつ は、登山 とざん と、かつてロマンチックで孤独 こどく だったそのスポーツの商業 しょうぎょう 化 か に対 たい する再 さい 評価 ひょうか に繋 つな がった」と本書 ほんしょ を評 ひょう した[13] 。
クラカワーは亡 な くなったメンバーへの弔 ちょう いとして、本書 ほんしょ の印税 いんぜい から「エベレスト98年 ねん メモリアルファンド」を立 た ち上 あ げ、様々 さまざま なチャリティ団体 だんたい に寄付 きふ を行 おこな っている[14] 。
本書 ほんしょ はテレビ映画 えいが 化 か され、クリストファー・マクドナルド がクラカワー役 やく を演 えん じた。2015年 ねん には同 どう 事故 じこ を扱 あつか った映画 えいが がバルタザール・コルマウクル 監督 かんとく により『エベレスト 3D 』として映画 えいが 化 か された。この映画 えいが ではマイケル・ケリー がクラカワー役 やく を演 えん じた。クラカワーはこの映画 えいが に対 たい し、一部 いちぶ は架空 かくう であり中傷 ちゅうしょう 的 てき だと非難 ひなん した。また、ソニーに本書 ほんしょ の映画 えいが 化 か 権 けん を早々 そうそう と売却 ばいきゃく してしまったことも後悔 こうかい していると述 の べた[15] 。一方 いっぽう 、コルマウクル監督 かんとく は、クラカワー一 いち 人 にん の視点 してん である本書 ほんしょ は映画 えいが の制作 せいさく 資料 しりょう になっておらず、そのためにストーリーも異 こと なると語 かた った[16] 。
本書 ほんしょ の中 なか でクラカワーは、ロシア系 けい カザフスタン人 じん でスコット・フィッシャー隊 たい のトップガイドを務 つと めたアナトリ・ブクレーエフが無 む 酸素 さんそ で登頂 とうちょう していたことについて「とても顧客 こきゃく のためになるとは思 おも えない」と述 の べている[17] 。また、ブクレーエフが顧客 こきゃく よりも数時間 すうじかん 早 はや く山頂 さんちょう から下山 げざん したことを「ガイドとして極 きわ めて異常 いじょう な行動 こうどう 」と述 の べた[18] 。しかし一方 いっぽう でトップキャンプまで下山 げざん してからは、遭難 そうなん 者 しゃ を救助 きゅうじょ しようと休 やす みなく働 はたら いたブクレーエフは英雄 えいゆう 的 てき だったとした。
『空 そら へ』が出版 しゅっぱん された5ヶ月 かげつ 後 ご 、ブクレーエフ自身 じしん が事故 じこ についてG・ウェストン・デウォルトと共著 きょうちょ で書 か いた『デス・ゾーン8848M』が出版 しゅっぱん されると、ブクレーエフの行動 こうどう に関 かん してベテラン登山 とざん 家 か の間 あいだ から異論 いろん が上 あ がった。ゲイラン・ローウェルはアメリカン・アルペン・ジャーナルでの同書 どうしょ の書評 しょひょう において、ブクレーエフの隊 たい は全員 ぜんいん 生還 せいかん し、死傷 ししょう 者 しゃ が出 で たのはクラカワーらの隊 たい からだったと指摘 してき した他 ほか [19] 、ウォール・ストリート・ジャーナル の記事 きじ でも、クラカワーの描写 びょうしゃ の矛盾 むじゅん 点 てん を挙 あ げ、ブクレーエフの英雄 えいゆう 的 てき 救助 きゅうじょ 活動 かつどう に落 お ち度 ど はなかったとブクレーエフを擁護 ようご した[20] 。
『空 そら へ』と『デス・ゾーン8848M』の出版 しゅっぱん 以降 いこう 、デウォルト、ブクレーエフとクラカワーは、クラカワーによるブクレーエフの描写 びょうしゃ に関 かん して反目 はんもく することとなった。1997年 ねん 11月に両者 りょうしゃ は反目 はんもく 状態 じょうたい を解 と いたが、ブクレーエフはそのわずか数 すう 週間 しゅうかん 後 ご 、ヒマラヤ山脈 ひまらやさんみゃく ・アンナプルナ を登山 とざん 中 ちゅう に雪崩 なだれ で命 いのち を落 お とした[21] 。
『信仰 しんこう が人 ひと を殺 ころ すとき』 [ 編集 へんしゅう ]
(原題 げんだい :Under the Banner of Heaven )2003年 ねん 出版 しゅっぱん 。3作 さく 目 め のノンフィクション・ベストセラーで、過激 かげき 派 は 宗教 しゅうきょう 団体 だんたい 、特 とく にモルモン教 きょう 原理 げんり 主義 しゅぎ について調査 ちょうさ したものである。クラカワーはこれら過激 かげき 派 は の一夫多妻 いっぷたさい 制 せい に着目 ちゃくもく し、モルモン教 きょう の歴史 れきし を通 とお した文脈 ぶんみゃく の中 なか で精査 せいさ している。内容 ないよう の多 おお くは原理 げんり 主義 しゅぎ 信仰 しんこう の名 な のもとに殺人 さつじん を犯 おか した、ラファティ兄弟 きょうだい に関 かん するもの。
末日 まつじつ 聖徒 せいと イエス・キリスト教会 きょうかい が運営 うんえい するブリガムヤング大学 だいがく で宗教 しゅうきょう 理解 りかい を教 おし えるロバート・ミレット教授 きょうじゅ は、本書 ほんしょ を、紛 まぎ らわしく、杜撰 ずさん に構成 こうせい され、誤解 ごかい を招 まね き、間違 まちが いが多 おお く、偏見 へんけん と中傷 ちゅうしょう に満 み ちていると書評 しょひょう した[22] 。また、末日 まつじつ 聖徒 せいと イエス・キリスト教会 きょうかい のメディア担当 たんとう 者 しゃ マイク・オッターソンはAP通信 つうしん に対 たい し「この本 ほん は歴史 れきし 書 しょ ではないし、クラカワーも歴史 れきし 家 か ではない。彼 かれ は面白 おもしろ く見 み せるために都合 つごう よくストーリーを切 き り抜 ぬ くウソつきだ。彼 かれ の根底 こんてい には、宗教 しゅうきょう を信 しん じる人々 ひとびと は非合理 ひごうり で、非合理 ひごうり な人々 ひとびと はおかしなことをするという考 かんが えがある」と述 の べた[22] 。
これに対 たい しクラカワーは「本当 ほんとう の悲劇 ひげき は、教会 きょうかい の指導 しどう 者 しゃ や教師 きょうし や作家 さっか たちが信徒 しんと に対 たい し、モルモン教 きょう の過去 かこ の問題 もんだい について、自分 じぶん たちの知 し っている真実 しんじつ を語 かた ることなく、代 か わりに決 きま り文句 もんく や半面 はんめん の真実 しんじつ 、省略 しょうりゃく 、もっともらしい否認 ひにん の入 い り混 ま じったものを語 かた ってきたことだ」という1993年 ねん に破門 はもん された歴史 れきし 家 か D・マイケル・クインの言葉 ことば を引用 いんよう し、「図 はか らずもクイン博士 はかせ と同 どう 意見 いけん だ」と再 さい 反論 はんろん した[23] 。
2006年 ねん 、本書 ほんしょ にインスパイアされたドキュメンタリー「Damned to Heaven」が制作 せいさく された。
Where Men Win Glory [ 編集 へんしゅう ]
2009年 ねん 出版 しゅっぱん (未 み 翻訳 ほんやく )。当時 とうじ NFL の現役 げんえき プロアメフト 選手 せんしゅ で、アメリカ陸軍 りくぐん レンジャー部隊 ぶたい に入隊 にゅうたい したパット・ティルマン を彼 かれ の日記 にっき と手紙 てがみ をもとに描 えが いた伝記 でんき 。ティルマンはアフガニスタン で戦死 せんし して英雄 えいゆう に祭 まつ り上 あ げられたものの、死亡 しぼう 原因 げんいん が友軍 ゆうぐん の誤 あやま 射 しゃ だったことを陸軍 りくぐん が隠蔽 いんぺい した疑 うたが いで論争 ろんそう が巻 ま き起 お こった。ティルマンの日記 にっき と手紙 てがみ の他 ほか 、妻 つま や友人 ゆうじん へのインタビュー、同僚 どうりょう だった兵士 へいし との会話 かいわ 、クラカワーによるアフガニスタンでの調査 ちょうさ などが基 もと になっている。また、アフガニスタン紛争 ふんそう について一般 いっぱん 的 てき な歴史 れきし を伝 つた える、歴史 れきし 物語 ものがたり 的 てき な部分 ぶぶん もある。
デクスター・フィルキンスによるニューヨーク・タイムズ の書評 しょひょう は「ティルマンの生涯 しょうがい について、陳腐 ちんぷ で些末な出来事 できごと の描写 びょうしゃ が多 おお すぎる」としながらも、死 し に関 かん して「既 すで に報道 ほうどう されたものがほとんどだが、それらを一 ひと つにまとめあげたこと、特 とく に隠蔽 いんぺい に関 かん してクラカワーが行 おこな った仕事 しごと は貴重 きちょう だ。その詳細 しょうさい は5年 ねん が経過 けいか した今 いま 読 よ んでもぞっとするほど嫌悪 けんお 感 かん を抱 いだ く」と評 ひょう した[24] 。ダン・ニールによるロサンゼルス・タイムズ の書評 しょひょう は「見事 みごと なレポートの一 いち 例 れい 」「ティルマンの死 し にまつわる事件 じけん の決定 けってい 版 ばん 」と評 ひょう した[25] 。
Three Cups of Deceit [ 編集 へんしゅう ]
2011年 ねん 出版 しゅっぱん の電子 でんし 書籍 しょせき (未 み 翻訳 ほんやく )。『スリー・カップス・オブ・ティー(原題 げんだい :Three Cups of Tea )』を著 あらわ し、パキスタン とアフガニスタンに学校 がっこう を設立 せつりつ する人道 じんどう 支援 しえん を行 おこな っているグレッグ・モーテンソンおよびそのNPO 法人 ほうじん 「セントラル・アジア・インスティチュート」の不正 ふせい 管理 かんり と会計 かいけい 詐欺 さぎ を糾弾 きゅうだん したもの。
『ミズーラ ―名門 めいもん 大学 だいがく を揺 ゆ るがしたレイプ事件 じけん と司法 しほう 制度 せいど 』 [ 編集 へんしゅう ]
(原題 げんだい :Missoula: Rape and the Justice System in a College Town )2015年 ねん 出版 しゅっぱん 。モンタナ州 しゅう ミズーラ で発生 はっせい した複数 ふくすう のレイプ 事件 じけん を例 れい に、レイプ事件 じけん が大学 だいがく と刑事 けいじ 司法 しほう 制度 せいど にどのように扱 あつか われるかを探 さぐ った作品 さくひん 。事例 じれい の多 おお くはモンタナ大学 だいがく に関連 かんれん したもの。クラカワーは、なぜ多 おお くの被害 ひがい 者 しゃ が被害 ひがい を警察 けいさつ に訴 うった えたがらないのか明 あき らかにしようとし、また「疑 うたが わしきは罰 ばっ せず 」によって被害 ひがい 者 しゃ よりも犯人 はんにん 側 がわ に有利 ゆうり となっている法 ほう 制度 せいど を批判 ひはん した。クラカワーが、自身 じしん の女性 じょせい の友人 ゆうじん にレイプ被害 ひがい を打 う ち明 あ けたられたことが本書 ほんしょ を書 か くきっかけとなったという[26] 。
エミリー・バゼロンによるニューヨーク・タイムズの書評 しょひょう は「警察 けいさつ や司法 しほう とは別 べつ に、政府 せいふ から義務 ぎむ によって大学 だいがく が行 おこな っている独自 どくじ 調査 ちょうさ のその公平 こうへい 性 せい に関 かん して、クラカワーは深 ふか く掘 ほ り下 さ げることはなく、ただ『大学 だいがく は速 すみ やかに犯人 はんにん 学生 がくせい を確認 かくにん し、再犯 さいはん を防止 ぼうし させ、同時 どうじ に被告 ひこく としての権利 けんり も守 まも る手続 てつづ きを踏 ふ むべき』とありきたりな机上 きじょう の空論 くうろん に収 おさ まっている」と大学 だいがく 側 がわ の対応 たいおう の難 むずか しさや性 せい 犯罪 はんざい 防止 ぼうし 策 さく の取 と り組 く みに対 たい する調査 ちょうさ や理解 りかい がないことを批判 ひはん し、微妙 びみょう な評価 ひょうか を下 くだ した[26] 。
Three Cups of Deceit をめぐる論争 ろんそう [ 編集 へんしゅう ]
2011年 ねん 4月 がつ 17日 にち 、クラカワーはCBS のドキュメンタリー番組 ばんぐみ 「60 minutes 」に出演 しゅつえん し、人道 じんどう 支援 しえん 活動 かつどう 家 か グレッグ・モーテンソンとそのNPO法人 ほうじん 「セントラル・アジア・インスティチュート(CAI)」について質問 しつもん を受 う けた。クラカワーはモーテンソンの著書 ちょしょ 『スリー・カップス・オブ・ティー』の内容 ないよう の正確 せいかく 性 せい や、別 べつ の著書 ちょしょ Stones in Schools に書 か かれているタリバン に誘拐 ゆうかい された話 はなし の信憑 しんぴょう 性 せい 、さらに、CAIの財務 ざいむ 管理 かんり の点 てん からモーテンソンの信用 しんよう 性 せい に対 たい し疑問 ぎもん を投 な げた。クラカワーは以前 いぜん 、モーテンソンに金銭 きんせん 支援 しえん を行 おこな い、7万 まん 5千 せん ドルを寄付 きふ していたが、モーテンソンとCAIのマネジメントに幻滅 げんめつ したという[27] 。番組 ばんぐみ は、放送 ほうそう の数日 すうじつ 後 ご に発売 はつばい された、この問題 もんだい を主張 しゅちょう したクラカワーの電子 でんし 書籍 しょせき Three Cups of Deceit とほぼ同様 どうよう の視点 してん で語 かた られた [28] 。
グレッグ・モーテンソンの友人 ゆうじん で名 な のある登山 とざん 家 か でもあるスコット・ダーンズニーは、アウトサイド誌 し オンライン版 ばん の独占 どくせん 記事 きじ において、クラカワーの記事 きじ および番組 ばんぐみ の正確 せいかく 性 せい ・公平 こうへい 性 せい について反論 はんろん し、自身 じしん が受 う けたインタビュー内容 ないよう を、クラカワーは誤用 ごよう あるいは誤解 ごかい していると述 の べた。さらに、クラカワーはアフガニスタンとパキスタンでのモーテンソンの体験 たいけん について文脈 ぶんみゃく を考慮 こうりょ しておらず、「クラカワーをはじめグレッグ(・モーテンソン)の中傷 ちゅうしょう 者 しゃ たちが、グレッグらと会 あ って3杯 はい あるいはそれ以上 いじょう 紅茶 こうちゃ を飲 の むというなら、ごく少 しょう 人数 にんずう で一 いち 杯 はい だけ紅茶 こうちゃ を飲 の むだけというならまだしも、小 ちい さな問題 もんだい や違反 いはん を発見 はっけん することはあるでしょう。しかしそれが「嘘 うそ 」あるいは「詐欺 さぎ 」とまで呼 よ べるものかと聞 き かれれば、とんでもない」と付 つ け加 くわ えた。モーテンソンのCAIでの財務 ざいむ の取 と り扱 あつか いに不正 ふせい があったかに関 かん しては、「もしグレッグが資金 しきん を横領 おうりょう しているというなら、高級 こうきゅう 車 しゃ やプレジャーボートや靴 くつ で一 いち 杯 はい のクローゼットを見 み せてくれ。これは政府 せいふ 機関 きかん でもないし、汚職 おしょく 企業 きぎょう でもない」と述 の べた。モーテンソンがタリバンに監禁 かんきん された話 はなし の真偽 しんぎ については「北京 ぺきん で会 あ ったとき本人 ほんにん からワズィーリスターン で監禁 かんきん されていた話 はなし を聞 き いた。彼 かれ が意思 いし に反 はん して囚 しゅう えられていたことを私 わたし は疑 うたが っていない」と述 の べた。クラカワーについては、尊敬 そんけい すべきジャーナリストであり「ディテールにうるさく、事実 じじつ の把握 はあく に努 つと める人 ひと 」ではあるが「まだリサーチを続 つづ けるべき」と主張 しゅちょう した。[29]
2012年 ねん 2月 がつ 、モーテンソンとCAIがモンタナ州 しゅう 司法 しほう 長官 ちょうかん から非 ひ 営利 えいり 組織 そしき の不正 ふせい 管理 かんり の疑 うたが いで、また民事 みんじ による消費 しょうひ 者 しゃ 詐欺 さぎ の訴 うった えの両面 りょうめん から捜査 そうさ を受 う けていると報道 ほうどう された[30] 。
2012年 ねん 4月 がつ 、モンタナ州 しゅう 司法 しほう 長官 ちょうかん 事務 じむ 局 きょく が、CAIとグレッグ・モーテンソンに財務 ざいむ 上 じょう の「過失 かしつ 」があったと発表 はっぴょう し、モーテンソンがCAIに百 ひゃく 万 まん ドルを返還 へんかん することで合意 ごうい した[31] 。
2013年 ねん 5月 がつ 、サンフランシスコ第 だい 9巡回 じゅんかい 控訴 こうそ 裁判所 さいばんしょ が、モーテンソンに対 たい する集団 しゅうだん 民事 みんじ 訴訟 そしょう の上告 じょうこく を棄却 ききゃく したとロサンゼルス・タイムズが報 ほう じた。この集団 しゅうだん 訴訟 そしょう はクラカワーの電子 でんし 書籍 しょせき Three Cups of Deceit の公開 こうかい と「 60 Minutes」の放送 ほうそう 数 すう 日 にち 後 ご に起 お こされ、モーテンソンの本 ほん 『スリー・カップス・オブ・ティー』の読者 どくしゃ がモーテンソンと CAI、さらに本 ほん の出版 しゅっぱん 社 しゃ ペンギン・ブックス に対 たい して損害 そんがい 賠償 ばいしょう を求 もと めたものだったが、一 いち 審 しん は読者 どくしゃ が金銭 きんせん 補償 ほしょう を受 う ける権利 けんり はないとして原告 げんこく の訴 うった えを退 しりぞ けていた。[32]
2013年 ねん 10月 がつ 、セントラル・アジア・インスティチュート代表 だいひょう のスティーブ・バレットは、CAIとモーテンソンはスティーブ・ブロック 司法 しほう 長官 ちょうかん (当時 とうじ )と合意 ごうい した返還 へんかん に従 したが ったと発表 はっぴょう した。[33]
2016年 ねん 、ジャーナリストのジェニファー・ジョーダンとジェフ・ローズは、モーテンソンに対 たい する批判 ひはん を取材 しゅざい し、ドキュメンタリー映画 えいが 「3000 Cups of Tea」 を制作 せいさく した。映画 えいが およびインタビューにおいてジョーダンは、「60 Minutes」とクラカワーが行 おこな った告発 こくはつ は、大 だい 部分 ぶぶん が正 ただ しくなかったと主張 しゅちょう している。ジョーダンは2014年 ねん 「このストーリーをまだ調査 ちょうさ 中 ちゅう です。これまでに判明 はんめい した点 てん が示 しめ しているのは、疑惑 ぎわく の大半 たいはん は、モーテンソンが、考 かんが えうる限 かぎ り最悪 さいあく の人物 じんぶつ に見 み える方向 ほうこう に誤 あやま って受 う け取 と られたものか、あるいは完全 かんぜん なるデマだということです。確 たし かに、グレッグがダメなマネージャー、ダメな会計士 かいけいし であるのは彼 かれ 自身 じしん 認 みと めるところです。しかし、非常 ひじょう に重要 じゅうよう な使命 しめい を背負 せお った、疲 つか れ知 し らずの人道 じんどう 支援 しえん 家 か でもあるのです」と述 の べた。[34] [35]
日本語 にほんご 訳 やく された作品 さくひん [ 編集 へんしゅう ]
森 もり 雄二 ゆうじ 訳 やく 『エヴェレストより高 たか い山 やま - 登山 とざん をめぐる12の話 はなし 』朝日新聞社 あさひしんぶんしゃ 〈朝日 あさひ 文庫 ぶんこ 〉、2000年 ねん 。ISBN 4022612967 。 新版 しんぱん ・朝日新聞 あさひしんぶん 出版 しゅっぱん 〈朝日 あさひ 文庫 ぶんこ 〉、2018年 ねん 6月 がつ
佐 さ 宗 そう 鈴夫 すずお 訳 やく 『荒野 あらの へ』集英社 しゅうえいしゃ 、1997年 ねん 。ISBN 4087732665 。 集英社 しゅうえいしゃ 文庫 ぶんこ 、2007年 ねん
海津 かいづ 正彦 まさひこ 訳 やく 『空 そら へ - エヴェレストの悲劇 ひげき はなぜ起 お きたか』文藝春秋 ぶんげいしゅんじゅう 、1997年 ねん 。ISBN 4163533702 。 文春 ぶんしゅん 文庫 ぶんこ 、2000年 ねん
改題 かいだい 『空 そら へ―「悪夢 あくむ のエヴェレスト」1996年 ねん 5月 がつ 10日 とおか 』山 やま と渓谷社 けいこくしゃ 〈ヤマケイ文庫 ぶんこ 〉、2013年 ねん 8月 がつ 。
佐 さ 宗 そう 鈴夫 すずお 訳 やく 『信仰 しんこう が人 ひと を殺 ころ すとき』河出書房新社 かわでしょぼうしんしゃ 、2005年 ねん 。ISBN 4309204333 。 河出 かわで 文庫 ぶんこ (上下 じょうげ )、2014年 ねん 6月 がつ
菅野 かんの 楽章 がくしょう 訳 やく 『ミズーラ - 名門 めいもん 大学 だいがく を揺 ゆ るがしたレイプ事件 じけん と司法 しほう 制度 せいど 』亜紀 あき 書房 しょぼう 、2016年 ねん 。ISBN 9784750514420 。
井上 いのうえ 大剛 たいごう 訳 やく 『荒 こう ぶる自然 しぜん と人間 にんげん をめぐる10のエピソード』山 やま と溪谷社 けいこくしゃ 〈ヤマケイ文庫 ぶんこ 〉、2022年 ねん
グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン 著 ちょ 、藤村 ふじむら 奈緒美 なおみ 訳 やく 『スリー・カップス・オブ・ティー - 1杯 はい 目 め はよそ者 もの 、2杯 はい 目 め はお客 きゃく 、3杯 はい 目 め は家族 かぞく 』サンクチュアリ出版 しゅっぱん 、2010年 ねん 。ISBN 9784861139413 。 - Three Cups of Deceit において批判 ひはん した本 ほん 。
^ a b c d BookBrowse. “Jon Krakauer author biography ” (英語 えいご ). BookBrowse.com . 2019年 ねん 10月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Into the Wild: Into the Wild Author Jon Krakauer Biography | Book Summary & Study Guide | CliffsNotes ”. www.cliffsnotes.com . 2019年 ねん 10月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b Marshall, John (2003年 ねん 7月 がつ 28日 にち ). “Two powerful experiences changed the focus of Krakauer's book ”. seattlepi.com . 2019年 ねん 10月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Oregon Secretary of State: Notable Oregonians: Jon Krakauer - Writer, Mountaineer ”. sos.oregon.gov . 2019年 ねん 10月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b c Corba, Lauren. “Climbing Into Jon Krakauer, Legendary Mountaineering Author ” (英語 えいご ). blog.bookstellyouwhy.com . 2019年 ねん 10月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b “Jon Krakauer ”. www.facebook.com . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Buxton, Ryan (2015年 ねん 8月 がつ 14日 にち ). “Jon Krakauer Says Climbing Mount Everest Was The 'Biggest Mistake' Of His Life ” (英語 えいご ). HuffPost . 2019年 ねん 10月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Eiger Dreams: Ventures Among Men and Mountains - AAC Publications - Search The American Alpine Journal and Accidents ”. publications.americanalpineclub.org . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Bryant, Mark (1997年 ねん 5月 がつ 1日 にち ). “A Year Later: Everest With John Krakauer ” (英語 えいご ). Outside Online . 2019年 ねん 10月 がつ 1日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “ショーン・ペン監督 かんとく 作 さく 「荒野 あらの へ」が、NYインディ映画 えいが 賞 しょう 受賞 じゅしょう !” . 映画 えいが .com (株式会社 かぶしきがいしゃ エイガ・ドット・コム). (2007年 ねん 11月29日 にち ). https://eiga.com/news/20071129/9/ 2021年 ねん 8月 がつ 16日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “「イントゥ・ザ・ワイルド」に登場 とうじょう のバス、遭難 そうなん 相次 あいつ ぎヘリで撤去 てっきょ ”. CNN (2020年 ねん 6月 がつ 20日 はつか ). 2020年 ねん 6月 がつ 21日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “The 1998 Pulitzer Prize Finalist in General Nonfiction ” (英語 えいご ). www.pulitzer.org . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Jon Krakauer ”. www.bookreporter.com . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ University, © Stanford. “Jon Krakauer ” (英語 えいご ). The Way Forward: Title IX Advocacy in the Trump Era . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “'Into Thin Air' author Jon Krakauer is not a fan of 'Everest' ” (英語 えいご ). EW.com . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “'Everest' director clarifies film's source material ” (英語 えいご ). EW.com . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Krakauer, Jon. Into the Air . Anchor Books, 1999 paperback edition. p. 187.
^ Krakauer, Jon. Into the Air . Anchor Books, 1999 paperback edition. p. 218.
^ “The Climb: Tragic Ambitions on Everest - AAC Publications - Search The American Alpine Journal and Accidents ”. publications.americanalpineclub.org . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Rowell, Galen (1997年 ねん 5月 がつ 29日 にち ). “Climbing to Disaster” (英語 えいご ). Wall Street Journal . ISSN 0099-9660 . https://www.wsj.com/articles/SB864852385619851000 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Author's postscript, 1999 edition of Into Thin Air .
^ a b “Church Response to Jon Krakauer's Under the Banner of Heaven ” (英語 えいご ). newsroom.churchofjesuschrist.org (2003年 ねん 6月 がつ 27日 にち ). 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “A Response from the Author ” (2003年 ねん 6月 がつ 3日 にち ). 2006年 ねん 5月 がつ 31日 にち 閲覧 えつらん 。 [リンク切 き れ ]
^ Filkins, Dexter (2009年 ねん 9月 がつ 8日 にち ). “Book Review | 'Where Men Win Glory: The Odyssey of Pat Tillman,' by Jon Krakauer” (英語 えいご ). The New York Times . ISSN 0362-4331 . https://www.nytimes.com/2009/09/13/books/review/Filkins-t.html 2015年 ねん 3月 がつ 22日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “'Where Men Win Glory: The Odyssey of Pat Tillman' by Jon Krakauer ” (英語 えいご ). Los Angeles Times (2009年 ねん 9月 がつ 11日 にち ). 2019年 ねん 4月 がつ 16日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b Bazelon, Emily (2015年 ねん 4月 がつ 28日 にち ). “Jon Krakauer’s ‘Missoula,’ About Rape in a College Town” (英語 えいご ). The New York Times . ISSN 0362-4331 . https://www.nytimes.com/2015/05/03/books/review/jon-krakauers-missoula-about-rape-in-a-college-town.html 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Questions over Greg Mortenson's stories ” (英語 えいご ). www.cbsnews.com . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Mack, Eric. “Byliner: 'Three Cups of Deceit' publisher chases next hit ” (英語 えいご ). CNET . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Scott Darsney Questions the Accuracy and Fairness of "Three Cups of Deceit" ”. Outsideonline.com. 2011年 ねん 6月 がつ 7日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。2019年 ねん 10月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Heard, Alex (2012年 ねん 2月 がつ 12日 にち ). “The Trials of Greg Mortenson ” (英語 えいご ). Outside Online . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Montana Attorney General's Investigative Report of Greg Mortenson and Central Asia Institute ”. Doj.mt.gov (2012年 ねん 4月 がつ 5日 にち ). 2019年 ねん 10月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。 “We entered into a settlement agreement with Mortenson and CAI which guarantees in excess of $1 million in restitution from Mortenson for his past financial transgressions”
^ “Fraud suit against Greg Mortenson's '3 Cups of Tea' rejected ” (英語 えいご ). Los Angeles Times (2013年 ねん 10月 がつ 11日 にち ). 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “October 9, 2013: Federal appeals court affirms dismissal of case against CAI and Mortenson ”. Ikat.org. 2014年 ねん 12月23日 にち 時点 じてん のオリジナル よりアーカイブ。2019年 ねん 10月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “3000 Cups of Tea, A film by Jennifer Jordan & Jeff Rhoads ” (英語 えいご ). www.3000cupsoftea.org . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “Greg Mortenson's Saga Not Over Yet: ExWeb Interview with "3000 Cups of Tea" Producers ”. www.explorersweb.com . 2019年 ねん 10月 がつ 3日 にち 閲覧 えつらん 。
全般 ぜんぱん 国立 こくりつ 図書館 としょかん 学術 がくじゅつ データベース芸術 げいじゅつ 家 か その他 た