ジョン・クラカワー

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ジョン・クラカワー
誕生たんじょう (1954-04-12) 1954ねん4がつ12にち(70さい
マサチューセッツしゅうブルックライン
職業しょくぎょう ジャーナリスト作家さっか登山とざん
国籍こくせき アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
最終さいしゅう学歴がくれき ハンプシャー大学だいがく
活動かつどう期間きかん 1990ねん -
主題しゅだい アウトドア
公式こうしきサイト http://www.jonkrakauer.com/
ウィキポータル 文学ぶんがく
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ジョン・クラカワー(Jon Krakauer, 1954ねん4がつ12にち - )は、アメリカジャーナリスト作家さっか登山とざんアウトドア登山とざんかんする著作ちょさくられる。全米ぜんべいベストセラーとなった『荒野あらのへ』、『そらへ』、『信仰しんこうひところすとき』、Where Men Win Glory ひとしノンフィクション作品さくひんほか多数たすう雑誌ざっし執筆しっぴつ1996ねんのエベレスト大量たいりょう遭難そうなん事故じこ当事とうじしゃ一人ひとり[1][2]

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マサチューセッツしゅうブルックラインにて、ユダヤけい医師いしちちとスカンジナビアけいユニテリアンははあいだの5にんどもの3おとことしてまれる[3]。2さいからオレゴンしゅうコーバリスそだ[4]。8さいのときちちから登山とざんおそわる[1]。マサチューセッツのハンプシャー大学だいがく進学しんがくし、1976ねん環境かんきょうがく学位がくい取得しゅとくして卒業そつぎょう[5]。1980ねん当時とうじ登山とざんだったつま結婚けっこん大工だいく漁師りょうしのアルバイトをしながら生計せいけいてていたが、1983ねん以降いこう専業せんぎょうのフリーライターとなる[1][5]ワシントンしゅうシアトル居住きょじゅうしていたが[3]著書ちょしょそらへ』の発表はっぴょう以降いこうコロラドしゅうボールダー居住きょじゅうする[1]

登山とざん活動かつどう[編集へんしゅう]

大学だいがく卒業そつぎょうアラスカのスティキーンこおりぼうで3週間しゅうかん一人ひとりごし、デビルズサムをしんルートで登頂とうちょうした。この経験けいけんは『エヴェレストよりたかやま』『荒野あらのへ』でえがかれている。1992ねんにはもっと登頂とうちょう困難こんなんとされるパタゴニアアンデスのセロトーレを制覇せいはした[6]

1996ねん、ガイドきでエベレスト登頂とうちょう達成たっせい。しかし下山げざんちゅうあらし見舞みまわれ、クラカワーのチームでは(リーダーであったロブ・ホールをふくむ)4にん死亡しぼうした。この事故じこ1996ねんのエベレスト大量たいりょう遭難そうなんとしてられる。事故じこについての赤裸々せきらら回想かいそうをアウトサイドき、のち著書ちょしょそらへ』となった。

このシーズンにはけい15めい死亡しぼうし、いち年間ねんかん死者ししゃすうとしてエベレスト登山とざん史上しじょう最悪さいあく記録きろくとなったが、のちに2014ねん雪崩なだれでの16にん、2015ねん地震じしんによる雪崩なだれでの19にん記録きろく更新こうしんされている。

また、この事故じこ影響えいきょう長年ながねんしんてき外傷がいしょうストレス障害しょうがい(PTSD)にくるしんでおり、エベレスト登頂とうちょう人生じんせい最大さいだいあやまちだった、過去かこもどれたら登頂とうちょうしなかったろうとかたっている[7]

ジャーナリズム[編集へんしゅう]

2009年撮影のクラカワーの写真。
2009ねんのクラカワー

もっともクラカワーの人気にんきたかめたのはアウトサイドでの執筆しっぴつであるが、題材だいざい登山とざんのみならず多岐たきにわたり、アーキテクチャル・ダイジェストナショナル・ジオグラフィックローリング・ストーン、スミソニアンにも寄稿きこうしている[6]。1992ねん上梓じょうしの『エヴェレストよりたかやま』は1982ねんから1989ねんまでの執筆しっぴつ記事きじをまとめたものである[8]

事故じこ遭遇そうぐうしたエベレスト登頂とうちょうではアウトサイド記者きしゃとして参加さんかしており、エベレスト商業しょうぎょう登山とざん様子ようすを、自身じしんがいたロブ・ホールたいとスコット・フィッシャーたいの2チームについてくことになっていた[5]りょうチームともクライアントを登頂とうちょうさせることには成功せいこうしたが、下山げざん途中とちゅう深刻しんこく事態じたいおちいった。クラカワーの見解けんかいによれば、あらしくわえて、りょうチームのガイドらの軽率けいそつ判断はんだんが、かれ自身じしんおよび多数たすう登山とざんしゃまね原因げんいんとなったという。生還せいかんしゃへのおおくのインタビューもされた著書ちょしょそらへ』の巻頭かんとうでは、(とくにアンディ・ハリスのかんして)みじか記事きじだけでは事件じけんをつまびらかにすることはできなかったとべている。

エベレスト登頂とうちょう商業しょうぎょうそのものについては「やまとかなり状況じょうきょうことなる」としながら「そもそも裕福ゆうふくなイギリスじんがアルプスの地元民じもとみんやとってガイドさせたのがスポーツとしての登山とざんはじまりであり、ガイド登山とざんなが歴史れきしがある。まして世界せかい最高峰さいこうほうとなれば、ガイドをけることをわるくなどえない」と否定ひていはしていない[9]

書籍しょせき[編集へんしゅう]

『エヴェレストよりたかやま登山とざんをめぐる12のはなし[編集へんしゅう]

原題げんだいEiger Dreams)1990ねん出版しゅっぱん登山とざんロッククライミング記事きじやエッセイをまとめたノンフィクション。内容ないようは、スイス・アルプス山脈あるぷすさんみゃくアイガーきたかべ、アラスカ山脈さんみゃくデナリ、カラコルム山脈さんみゃくK2への登頂とうちょうから、旅路たびじ出会であったジョン・ギルなど有名ゆうめいなロッククライマーについてなど様々さまざま

荒野あらのへ』[編集へんしゅう]

原題げんだいInto the Wild)1996ねん出版しゅっぱんされ、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストを2ねんかざったノンフィクション。東海岸ひがしかいがん裕福ゆうふくいえ出身しゅっしん青年せいねんクリストファー・マッカンドレスが、1990ねんエモリー大学だいがく卒業そつぎょう銀行ぎんこう口座こうざ全額ぜんがく(2まん4せんドル)を人道じんどう支援しえん団体だんたいオックスファム寄付よせつけ自身じしんを「アレクサンダー・スーパートランプ」と名乗なのってアメリカ西部せいぶたびはなしとき系列けいれつ交錯こうさくてきつづっている。マッカンドレスは1992ねん8がつアラスカしゅうデナリ国立こくりつ公園こうえんのWentitikaみずうみちかくで餓死がししているのを発見はっけんされた。本書ほんしょではマッカンドレスの体験たいけんおよびクラカワー自身じしん体験たいけんや、冒険ぼうけんだん並行へいこうしてえがかれる。2007ねんにはショーン・ペン監督かんとくによる本書ほんしょ原作げんさくにした映画えいがイントゥ・ザ・ワイルド』が公開こうかいされた[10]

とう書籍しょせき映画えいが登場とうじょうするちたバスを目当めあてに現地げんち訪問ほうもんする観光かんこうきゃく遭難そうなん。2020ねん、バスはアラスカ州兵しゅうへいのヘリコプターで現地げんちから撤去てっきょされた[11]

そらへ ―エヴェレストの悲劇ひげきはなぜきたか』[編集へんしゅう]

原題げんだいInto Thin Air)1997ねん出版しゅっぱん。1996ねんのアウトサイドでの記事きじをさらにげていた、クラカワーのもっと有名ゆうめい著書ちょしょ登山とざんたいでの体験たいけんや、当時とうじのエベレスト登頂とうちょうかんする一般いっぱんてき状況じょうきょうえがかれている。クラカワーは雑誌ざっし記者きしゃとしてやとわれ、1996ねん、ロブ・ホールひきいるエベレスト登頂とうちょうたい顧客こきゃくとしてくわわったが、1996ねんエベレスト大量たいりょう遭難そうなんという多数たすう死傷ししょうしゃ結果けっかとなった。

本書ほんしょはニューヨーク・タイムズのベストセラーリストのノンフィクション部門ぶもんだいいちとなり、タイムのブック・オブ・ザ・イヤーを受賞じゅしょうした。また、1998ねんピュリッツァーしょう一般いっぱんノンフィクション部門ぶもん最終さいしゅう候補こうほ3作品さくひん入選にゅうせんした[12]。1999ねんのアメリカ芸術げいじゅつ文学ぶんがくアカデミーは文学ぶんがくしょう授与じゅよ理由りゆうなかで「ジョン・クラカワーは調査ちょうさ報道ほうどうがもつ執念深しゅうねんぶかさ・勇敢ゆうかんさという素晴すばらしい流儀りゅうぎに、天性てんせい作家さっかがもつスタイリッシュな機微きびふか洞察どうさつあわつ。エベレスト登頂とうちょうについての記述きじゅつは、登山とざんと、かつてロマンチックで孤独こどくだったそのスポーツの商業しょうぎょうたいするさい評価ひょうかつながった」と本書ほんしょひょうした[13]

クラカワーはくなったメンバーへのちょういとして、本書ほんしょ印税いんぜいから「エベレスト98ねんメモリアルファンド」をげ、様々さまざまなチャリティ団体だんたい寄付きふおこなっている[14]

本書ほんしょはテレビ映画えいがされ、クリストファー・マクドナルドがクラカワーやくえんじた。2015ねんにはどう事故じこあつかった映画えいがバルタザール・コルマウクル監督かんとくにより『エベレスト 3D』として映画えいがされた。この映画えいがではマイケル・ケリーがクラカワーやくえんじた。クラカワーはこの映画えいがたいし、一部いちぶ架空かくうであり中傷ちゅうしょうてきだと非難ひなんした。また、ソニーに本書ほんしょ映画えいがけん早々そうそう売却ばいきゃくしてしまったことも後悔こうかいしているとべた[15]一方いっぽう、コルマウクル監督かんとくは、クラカワーいちにん視点してんである本書ほんしょ映画えいが制作せいさく資料しりょうになっておらず、そのためにストーリーもことなるとかたった[16]

本書ほんしょなかでクラカワーは、ロシアけいカザフスタンじんでスコット・フィッシャーたいのトップガイドをつとめたアナトリ・ブクレーエフが酸素さんそ登頂とうちょうしていたことについて「とても顧客こきゃくのためになるとはおもえない」とべている[17]。また、ブクレーエフが顧客こきゃくよりも数時間すうじかんはや山頂さんちょうから下山げざんしたことを「ガイドとしてきわめて異常いじょう行動こうどう」とべた[18]。しかし一方いっぽうでトップキャンプまで下山げざんしてからは、遭難そうなんしゃ救助きゅうじょしようとやすみなくはたらいたブクレーエフは英雄えいゆうてきだったとした。

そらへ』が出版しゅっぱんされた5ヶ月かげつ、ブクレーエフ自身じしん事故じこについてG・ウェストン・デウォルトと共著きょうちょいた『デス・ゾーン8848M』が出版しゅっぱんされると、ブクレーエフの行動こうどうかんしてベテラン登山とざんあいだから異論いろんがった。ゲイラン・ローウェルはアメリカン・アルペン・ジャーナルでの同書どうしょ書評しょひょうにおいて、ブクレーエフのたい全員ぜんいん生還せいかんし、死傷ししょうしゃたのはクラカワーらのたいからだったと指摘してきしたほか[19]ウォール・ストリート・ジャーナル記事きじでも、クラカワーの描写びょうしゃ矛盾むじゅんてんげ、ブクレーエフの英雄えいゆうてき救助きゅうじょ活動かつどうはなかったとブクレーエフを擁護ようごした[20]

そらへ』と『デス・ゾーン8848M』の出版しゅっぱん以降いこう、デウォルト、ブクレーエフとクラカワーは、クラカワーによるブクレーエフの描写びょうしゃかんして反目はんもくすることとなった。1997ねん11月に両者りょうしゃ反目はんもく状態じょうたいいたが、ブクレーエフはそのわずかすう週間しゅうかんヒマラヤ山脈ひまらやさんみゃくアンナプルナ登山とざんちゅう雪崩なだれいのちとした[21]

信仰しんこうひところすとき』[編集へんしゅう]

原題げんだいUnder the Banner of Heaven)2003ねん出版しゅっぱん。3さくのノンフィクション・ベストセラーで、過激かげき宗教しゅうきょう団体だんたいとくモルモンきょう原理げんり主義しゅぎについて調査ちょうさしたものである。クラカワーはこれら過激かげき一夫多妻いっぷたさいせい着目ちゃくもくし、モルモンきょう歴史れきしとおした文脈ぶんみゃくなか精査せいさしている。内容ないようおおくは原理げんり主義しゅぎ信仰しんこうのもとに殺人さつじんおかした、ラファティ兄弟きょうだいかんするもの。

末日まつじつ聖徒せいとイエス・キリスト教会きょうかい運営うんえいするブリガムヤング大学だいがく宗教しゅうきょう理解りかいおしえるロバート・ミレット教授きょうじゅは、本書ほんしょを、まぎらわしく、杜撰ずさん構成こうせいされ、誤解ごかいまねき、間違まちがいがおおく、偏見へんけん中傷ちゅうしょうちていると書評しょひょうした[22]。また、末日まつじつ聖徒せいとイエス・キリスト教会きょうかいのメディア担当たんとうしゃマイク・オッターソンはAP通信つうしんたいし「このほん歴史れきししょではないし、クラカワーも歴史れきしではない。かれ面白おもしろせるために都合つごうよくストーリーをくウソつきだ。かれ根底こんていには、宗教しゅうきょうしんじる人々ひとびと非合理ひごうりで、非合理ひごうり人々ひとびとはおかしなことをするというかんがえがある」とべた[22]

これにたいしクラカワーは「本当ほんとう悲劇ひげきは、教会きょうかい指導しどうしゃ教師きょうし作家さっかたちが信徒しんとたいし、モルモンきょう過去かこ問題もんだいについて、自分じぶんたちのっている真実しんじつかたることなく、わりにきま文句もんく半面はんめん真実しんじつ省略しょうりゃくもっともらしい否認ひにんじったものをかたってきたことだ」という1993ねん破門はもんされた歴史れきしD・マイケル・クインの言葉ことば引用いんようし、「はからずもクイン博士はかせどう意見いけんだ」とさい反論はんろんした[23]

2006ねん本書ほんしょにインスパイアされたドキュメンタリー「Damned to Heaven」が制作せいさくされた。

Where Men Win Glory[編集へんしゅう]

2009ねん出版しゅっぱん翻訳ほんやく)。当時とうじNFL現役げんえきプロアメフト選手せんしゅで、アメリカ陸軍りくぐんレンジャー部隊ぶたい入隊にゅうたいしたパット・ティルマンかれ日記にっき手紙てがみをもとにえがいた伝記でんき。ティルマンはアフガニスタン戦死せんしして英雄えいゆうまつげられたものの、死亡しぼう原因げんいん友軍ゆうぐんあやましゃだったことを陸軍りくぐん隠蔽いんぺいしたうたがいで論争ろんそうこった。ティルマンの日記にっき手紙てがみほかつま友人ゆうじんへのインタビュー、同僚どうりょうだった兵士へいしとの会話かいわ、クラカワーによるアフガニスタンでの調査ちょうさなどがもとになっている。また、アフガニスタン紛争ふんそうについて一般いっぱんてき歴史れきしつたえる、歴史れきし物語ものがたりてき部分ぶぶんもある。

デクスター・フィルキンスによるニューヨーク・タイムズ書評しょひょうは「ティルマンの生涯しょうがいについて、陳腐ちんぷで些末な出来事できごと描写びょうしゃおおすぎる」としながらも、かんして「すで報道ほうどうされたものがほとんどだが、それらをひとつにまとめあげたこと、とく隠蔽いんぺいかんしてクラカワーがおこなった仕事しごと貴重きちょうだ。その詳細しょうさいは5ねん経過けいかしたいまんでもぞっとするほど嫌悪けんおかんいだく」とひょうした[24]。ダン・ニールによるロサンゼルス・タイムズ書評しょひょうは「見事みごとなレポートのいちれい」「ティルマンのにまつわる事件じけん決定けっていばん」とひょうした[25]

Three Cups of Deceit[編集へんしゅう]

2011ねん出版しゅっぱん電子でんし書籍しょせき翻訳ほんやく)。『スリー・カップス・オブ・ティー(原題げんだいThree Cups of Tea)』をあらわし、パキスタンとアフガニスタンに学校がっこう設立せつりつする人道じんどう支援しえんおこなっているグレッグ・モーテンソンおよびそのNPO法人ほうじん「セントラル・アジア・インスティチュート」の不正ふせい管理かんり会計かいけい詐欺さぎ糾弾きゅうだんしたもの。

『ミズーラ ―名門めいもん大学だいがくるがしたレイプ事件じけん司法しほう制度せいど[編集へんしゅう]

原題げんだいMissoula: Rape and the Justice System in a College Town)2015ねん出版しゅっぱんモンタナしゅうミズーラ発生はっせいした複数ふくすうレイプ事件じけんれいに、レイプ事件じけん大学だいがく刑事けいじ司法しほう制度せいどにどのようにあつかわれるかをさぐった作品さくひん事例じれいおおくはモンタナ大学だいがく関連かんれんしたもの。クラカワーは、なぜおおくの被害ひがいしゃ被害ひがい警察けいさつうったえたがらないのかあきらかにしようとし、また「うたがわしきはばっせず」によって被害ひがいしゃよりも犯人はんにんがわ有利ゆうりとなっているほう制度せいど批判ひはんした。クラカワーが、自身じしん女性じょせい友人ゆうじんにレイプ被害ひがいけたられたことが本書ほんしょくきっかけとなったという[26]

エミリー・バゼロンによるニューヨーク・タイムズの書評しょひょうは「警察けいさつ司法しほうとはべつに、政府せいふから義務ぎむによって大学だいがくおこなっている独自どくじ調査ちょうさのその公平こうへいせいかんして、クラカワーはふかげることはなく、ただ『大学だいがくすみやかに犯人はんにん学生がくせい確認かくにんし、再犯さいはん防止ぼうしさせ、同時どうじ被告ひこくとしての権利けんりまも手続てつづきをむべき』とありきたりな机上きじょう空論くうろんおさまっている」と大学だいがくがわ対応たいおうむずかしさやせい犯罪はんざい防止ぼうしさくみにたいする調査ちょうさ理解りかいがないことを批判ひはんし、微妙びみょう評価ひょうかくだした[26]

Three Cups of Deceit をめぐる論争ろんそう[編集へんしゅう]

2011ねん4がつ17にち、クラカワーはCBSのドキュメンタリー番組ばんぐみ60 minutes」に出演しゅつえんし、人道じんどう支援しえん活動かつどうグレッグ・モーテンソンとそのNPO法人ほうじん「セントラル・アジア・インスティチュート(CAI)」について質問しつもんけた。クラカワーはモーテンソンの著書ちょしょ『スリー・カップス・オブ・ティー』の内容ないよう正確せいかくせいや、べつ著書ちょしょ Stones in Schoolsかれているタリバン誘拐ゆうかいされたはなし信憑しんぴょうせい、さらに、CAIの財務ざいむ管理かんりてんからモーテンソンの信用しんようせいたい疑問ぎもんげた。クラカワーは以前いぜん、モーテンソンに金銭きんせん支援しえんおこない、7まん5せんドルを寄付きふしていたが、モーテンソンとCAIのマネジメントに幻滅げんめつしたという[27]番組ばんぐみは、放送ほうそう数日すうじつ発売はつばいされた、この問題もんだい主張しゅちょうしたクラカワーの電子でんし書籍しょせき Three Cups of Deceit とほぼ同様どうよう視点してんかたられた[28]

グレッグ・モーテンソンの友人ゆうじんのある登山とざんでもあるスコット・ダーンズニーは、アウトサイドオンラインばん独占どくせん記事きじにおいて、クラカワーの記事きじおよび番組ばんぐみ正確せいかくせい公平こうへいせいについて反論はんろんし、自身じしんけたインタビュー内容ないようを、クラカワーは誤用ごようあるいは誤解ごかいしているとべた。さらに、クラカワーはアフガニスタンとパキスタンでのモーテンソンの体験たいけんについて文脈ぶんみゃく考慮こうりょしておらず、「クラカワーをはじめグレッグ(・モーテンソン)の中傷ちゅうしょうしゃたちが、グレッグらとって3はいあるいはそれ以上いじょう紅茶こうちゃむというなら、ごくしょう人数にんずういちはいだけ紅茶こうちゃむだけというならまだしも、ちいさな問題もんだい違反いはん発見はっけんすることはあるでしょう。しかしそれが「うそ」あるいは「詐欺さぎ」とまでべるものかとかれれば、とんでもない」とくわえた。モーテンソンのCAIでの財務ざいむあつかいに不正ふせいがあったかにかんしては、「もしグレッグが資金しきん横領おうりょうしているというなら、高級こうきゅうしゃやプレジャーボートやくついちはいのクローゼットをせてくれ。これは政府せいふ機関きかんでもないし、汚職おしょく企業きぎょうでもない」とべた。モーテンソンがタリバンに監禁かんきんされたはなし真偽しんぎについては「北京ぺきんったとき本人ほんにんからワズィーリスターン監禁かんきんされていたはなしいた。かれ意思いしはんしてしゅうえられていたことをわたしうたがっていない」とべた。クラカワーについては、尊敬そんけいすべきジャーナリストであり「ディテールにうるさく、事実じじつ把握はあくつとめるひと」ではあるが「まだリサーチをつづけるべき」と主張しゅちょうした。[29]

2012ねん2がつ、モーテンソンとCAIがモンタナしゅう司法しほう長官ちょうかんから営利えいり組織そしき不正ふせい管理かんりうたがいで、また民事みんじによる消費しょうひしゃ詐欺さぎうったえの両面りょうめんから捜査そうさけていると報道ほうどうされた[30]

2012ねん4がつ、モンタナしゅう司法しほう長官ちょうかん事務じむきょくが、CAIとグレッグ・モーテンソンに財務ざいむじょうの「過失かしつ」があったと発表はっぴょうし、モーテンソンがCAIにひゃくまんドルを返還へんかんすることで合意ごういした[31]

2013ねん5がつ、サンフランシスコだい9巡回じゅんかい控訴こうそ裁判所さいばんしょが、モーテンソンにたいする集団しゅうだん民事みんじ訴訟そしょう上告じょうこく棄却ききゃくしたとロサンゼルス・タイムズがほうじた。この集団しゅうだん訴訟そしょうはクラカワーの電子でんし書籍しょせき Three Cups of Deceit の公開こうかいと「60 Minutes」の放送ほうそうすうにちこされ、モーテンソンのほん 『スリー・カップス・オブ・ティー』の読者どくしゃがモーテンソンとCAI、さらにほん出版しゅっぱんしゃペンギン・ブックスたいして損害そんがい賠償ばいしょうもとめたものだったが、いちしん読者どくしゃ金銭きんせん補償ほしょうける権利けんりはないとして原告げんこくうったえを退しりぞけていた。[32]

2013ねん10がつ、セントラル・アジア・インスティチュート代表だいひょうのスティーブ・バレットは、CAIとモーテンソンはスティーブ・ブロック司法しほう長官ちょうかん当時とうじ)と合意ごういした返還へんかんしたがったと発表はっぴょうした。[33]

2016ねん、ジャーナリストのジェニファー・ジョーダンとジェフ・ローズは、モーテンソンにたいする批判ひはん取材しゅざいし、ドキュメンタリー映画えいが「3000 Cups of Tea制作せいさくした。映画えいがおよびインタビューにおいてジョーダンは、「60 Minutes」とクラカワーがおこなった告発こくはつは、だい部分ぶぶんただしくなかったと主張しゅちょうしている。ジョーダンは2014ねん「このストーリーをまだ調査ちょうさちゅうです。これまでに判明はんめいしたてんしめしているのは、疑惑ぎわく大半たいはんは、モーテンソンが、かんがえうるかぎ最悪さいあく人物じんぶつえる方向ほうこうあやまってられたものか、あるいは完全かんぜんなるデマだということです。たしかに、グレッグがダメなマネージャー、ダメな会計士かいけいしであるのはかれ自身じしんみとめるところです。しかし、非常ひじょう重要じゅうよう使命しめい背負せおった、つからずの人道じんどう支援しえんでもあるのです」とべた。[34][35]

日本語にほんごやくされた作品さくひん[編集へんしゅう]

  • もり雄二ゆうじ やく『エヴェレストよりたかやま - 登山とざんをめぐる12のはなし朝日新聞社あさひしんぶんしゃ朝日あさひ文庫ぶんこ〉、2000ねんISBN 4022612967 新版しんぱん朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん朝日あさひ文庫ぶんこ〉、2018ねん6がつ
  • そう鈴夫すずお やく荒野あらのへ』集英社しゅうえいしゃ、1997ねんISBN 4087732665 集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ、2007ねん
  • 海津かいづ正彦まさひこ やくそらへ - エヴェレストの悲劇ひげきはなぜきたか』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1997ねんISBN 4163533702 文春ぶんしゅん文庫ぶんこ、2000ねん
    • 改題かいだいそらへ―「悪夢あくむのエヴェレスト」1996ねん5がつ10日とおかやま渓谷社けいこくしゃ〈ヤマケイ文庫ぶんこ〉、2013ねん8がつ 
  • そう鈴夫すずお やく信仰しんこうひところすとき』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2005ねんISBN 4309204333 河出かわで文庫ぶんこ上下じょうげ)、2014ねん6がつ
  • 菅野かんの楽章がくしょう やく『ミズーラ - 名門めいもん大学だいがくるがしたレイプ事件じけん司法しほう制度せいど亜紀あき書房しょぼう、2016ねんISBN 9784750514420 
  • 井上いのうえ大剛たいごうやくこうぶる自然しぜん人間にんげんをめぐる10のエピソード』やま溪谷社けいこくしゃ〈ヤマケイ文庫ぶんこ〉、2022ねん

関連かんれん作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

書籍しょせき[編集へんしゅう]

  • グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン ちょ藤村ふじむら奈緒美なおみ やく『スリー・カップス・オブ・ティー - 1はいはよそもの、2はいはおきゃく、3はい家族かぞく』サンクチュアリ出版しゅっぱん、2010ねんISBN 9784861139413  - Three Cups of Deceit において批判ひはんしたほん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d BookBrowse. “Jon Krakauer author biography” (英語えいご). BookBrowse.com. 2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ Into the Wild: Into the Wild Author Jon Krakauer Biography | Book Summary & Study Guide | CliffsNotes”. www.cliffsnotes.com. 2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  3. ^ a b Marshall, John (2003ねん7がつ28にち). “Two powerful experiences changed the focus of Krakauer's book”. seattlepi.com. 2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  4. ^ Oregon Secretary of State: Notable Oregonians: Jon Krakauer - Writer, Mountaineer”. sos.oregon.gov. 2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c Corba, Lauren. “Climbing Into Jon Krakauer, Legendary Mountaineering Author” (英語えいご). blog.bookstellyouwhy.com. 2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  6. ^ a b Jon Krakauer”. www.facebook.com. 2019ねん10がつ3にち閲覧えつらん
  7. ^ Buxton, Ryan (2015ねん8がつ14にち). “Jon Krakauer Says Climbing Mount Everest Was The 'Biggest Mistake' Of His Life” (英語えいご). HuffPost. 2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  8. ^ Eiger Dreams: Ventures Among Men and Mountains - AAC Publications - Search The American Alpine Journal and Accidents”. publications.americanalpineclub.org. 2019ねん10がつ3にち閲覧えつらん
  9. ^ Bryant, Mark (1997ねん5がつ1にち). “A Year Later: Everest With John Krakauer” (英語えいご). Outside Online. 2019ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  10. ^ “ショーン・ペン監督かんとくさく荒野あらのへ」が、NYインディ映画えいがしょう受賞じゅしょう!”. 映画えいが.com (株式会社かぶしきがいしゃエイガ・ドット・コム). (2007ねん11月29にち). https://eiga.com/news/20071129/9/ 2021ねん8がつ16にち閲覧えつらん 
  11. ^ 「イントゥ・ザ・ワイルド」に登場とうじょうのバス、遭難そうなん相次あいつぎヘリで撤去てっきょ”. CNN (2020ねん6がつ20日はつか). 2020ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  12. ^ The 1998 Pulitzer Prize Finalist in General Nonfiction” (英語えいご). www.pulitzer.org. 2019ねん10がつ3にち閲覧えつらん
  13. ^ Jon Krakauer”. www.bookreporter.com. 2019ねん10がつ3にち閲覧えつらん
  14. ^ University, © Stanford. “Jon Krakauer” (英語えいご). The Way Forward: Title IX Advocacy in the Trump Era. 2019ねん10がつ3にち閲覧えつらん
  15. ^ 'Into Thin Air' author Jon Krakauer is not a fan of 'Everest'” (英語えいご). EW.com. 2019ねん10がつ3にち閲覧えつらん
  16. ^ 'Everest' director clarifies film's source material” (英語えいご). EW.com. 2019ねん10がつ3にち閲覧えつらん
  17. ^ Krakauer, Jon. Into the Air. Anchor Books, 1999 paperback edition. p. 187.
  18. ^ Krakauer, Jon. Into the Air. Anchor Books, 1999 paperback edition. p. 218.
  19. ^ The Climb: Tragic Ambitions on Everest - AAC Publications - Search The American Alpine Journal and Accidents”. publications.americanalpineclub.org. 2019ねん10がつ3にち閲覧えつらん
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • DeWalt, Weston; Anatoli Boukreev (1999). The Climb: Tragic Ambitions on Everest (2nd expanded ed.). New York: St. Martin's Griffin. ISBN 978-0-312-20637-6. https://archive.org/details/climb00anat 
    • 日本語にほんごやくばんアナトリ・ブクレーエフ、G.ウェストン・デウォルト ちょ鈴木すずき主税ちから やく『デス・ゾーン8848M - エヴェレスト大量たいりょう遭難そうなん真実しんじつ角川書店かどかわしょてん、1998ねんISBN 4047913049 
  • Krakauer, Jon (1999). Into Thin Air: A Personal Account of the Mount Everest Disaster. New York: First Anchor Books. ISBN 978-0-385-49478-6 
    • 日本語にほんごやくばんジョン・クラカワー ちょ海津かいづ正彦まさひこ やくそらへ - エヴェレストの悲劇ひげきはなぜきたか』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1997ねんISBN 4163533702 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]