K2
K2(ケイツー)は、カラコルム
K2という
山名 [編集 ]
イギリス
- K1 - マッシャーブルム
- K3 - ブロード・ピーク
- K4 - ガッシャーブルムII
峰 - K5 - ガッシャーブルムI
峰 - K6 - バルティスタン・ピーク
- K10 - サルトロカンリI
峰 - K11 - サルトロカンリII
峰 - K22 - サセルカンリI
峰 - K35 - マモストン・カンリ
登山 [編集 ]
登山 史 [編集 ]
- 1892
年 - マーティン・コンウェイがイギリスの探検 隊 を引 き連 れてバルトロ氷河 のコンコルディアに到達 。 - 1902
年 - オスカー・エッケンシュタイン隊 が、北東 稜 より6525 m地点 まで到達 。隊員 にはアレイスター・クロウリーがいる。 - 1909
年 - イタリアのアブルッツィ公 が率 いる隊 が南東 稜 より6250 m付近 まで到達 。南東 稜 は後 に標準 的 なルートとなり「アブルッツィ稜 」とも呼 ばれる。 - その
後 1938年 、1939年 、1953年 にアメリカが挑戦 しているが、いずれも成功 しなかった[1]。 - 1954
年 7月 31日 (初 登頂 ) - イタリアのアルディト・デジオ隊 [1]。パキスタン側 から大 規模 な登山 隊 でアプローチし、リーノ・ラチェデッリとアキッレ・コンパニョーニの2人 が登頂 に成功 [1]。以降 、この南東 稜 ルートが標準 的 な登山 ルートとなる[1]。 - 1977
年 8月 8日 -日本 山岳 協会 登山 隊 の第 二 次 アタック隊員 [注 2]・重 広 恒夫 、中村 省 爾 、高塚 武 由 が日本人 初 登頂 。世界 でも二 回 目 の登頂 成功 。翌日 には第 三 次 アタック隊 の広島 三朗 、小野寺 正英 、山本 英夫 、アシュラフ・アマンも登頂 に成功 し計 7人 が登頂 。 - 1978
年 9月6日 (無 酸素 初 登頂 ) - ルイ・ライヒャルトが無 酸素 初 登頂 。 - 1981
年 8月 7日 -早稲田大学 隊 の大谷 映 芳 、ナジール・サビルが西 稜 ルートで初 登頂 。 - 1982
年 8月 14日 -日本 山岳 協会 合同 登山 隊 (登攀 隊長 ・小西 政 継 )の坂下 直枝 、吉野 寛 、柳沢 幸弘 が、中国 側 の北 壁 からの登頂 に初 めて成功 [1]。翌 15日 の二 次 隊 も含 めて7人 が無 酸素 登頂 するが、一 次 登頂 隊 の柳沢 隊員 が滑落 死 。標高 8000 m付近 の峡谷 にジャパニーズ・クロワールという地名 が付 けられる[1]。 - 1985
年 8月 6日 - エリック・エスコフィエが登頂 。7月15日 に登頂 したガッシャーブルムII峰 を皮切 りに1シーズン中 に3連続 登頂 を達成 。 - 1986
年 - 6月23
日 - ワンダ・ルトキェヴィッチが女性 初 の登頂 に成功 。その30分 後 に、同 じく女性 でチームメイトのリリエンヌ・バラールも頂上 に立 ったが、リリエンヌは下山 中 に死亡 した。 - 7
月 10日 - ポーランド隊 のイェジ・ククチカ、タデウシュ・ピオトロフスキーがアルパインスタイルで南 壁 ルートを初 登頂 。南東 稜 を下山 中 の7900 m地点 で、ピオトロフスキーが転落 死 。 - 6月21
日 -8月 10日 -合計 13名 の死者 を出 す大量 遭難 事故 が発生 する[5]。
- 6月23
- 1996
年 7月 29日 -戸 高雅 史 が南東 稜 クラシックルートで無 酸素 登頂 。 - 1996
年 8月 12日 ‐8月 14日 -日本 山岳 会 青年 部 登山 隊 (山本 篤 隊長 )の12人 が南南東 リブルートより登頂 。K2登山 史上 1チームによる最大 人数 登頂 [6]。 - 2000
年 7月 30日 -山野井 泰史 が南南東 リブルートより無 酸素 登頂 。 - 2004
年 - 2006
年 8月 1日 -東海大学 山岳 部 登山 隊 が南南東 リブルートより登頂 。登頂 隊員 ・小松 由佳 は日本人 女性 として初 登頂 (女性 としては世界 で8人 目 )。また、隊員 の青木 達哉 (当時 21歳 )が世界 最年少 での登頂 。 - 2008
年 8月 1日 -大 規模 な氷塊 の崩落 事故 が発生 し3人 が巻 き込 まれ、オランダ、フランス、ノルウェー、韓国 、ネパールの11名 が遭難 死 した[8]。 - 2011
年 8月 23日 - オーストリアの女性 登山 家 ゲルリンデ・カルテンブルンナーが、北 稜 を無 酸素 登頂 し14座 制覇 を達成 [1]。ルートに固定 したロープの総 延長 は約 2750 m。設置 には延 べ6週間 かかった[1]。2008年 の大量 遭難 死 事件 以来 3年 ぶりの登頂 成功 事例 。 - 2021
年 1月 16日 - ニルマル・プルジャらネパールの登山 隊 が冬季 初 登頂 に成功 [2]。
登頂 の記録 [編集 ]
- 2004
年 初 めの時点 で、登頂 に成功 した女性 登山 家 は5人 しかいなかった。この5人 がいずれも酸素 ボンベなしで登頂 を果 たしたことは特筆 に価 する。また、この5人 のうち3人 が下山 中 に死亡 し、残 りの2人 は他 の8000メートル峰 で遭難 死 しており、誰 も存命 していない[9]。 - 2009
年 6月 、ミシェル・フェイトが山頂 からの滑降 に挑戦 したが転倒 して死亡 。当時 、同行 していたスウェーデンのプロスキーヤー、フレドリック・エリクソンは、翌 2010年 に挑戦 を決意 するものの、同年 8月 登頂 中 に難所 であるボトルネックから滑落 して死亡 [10]。ボトルネックは滑落 すると到底 助 からないとされ、同氏 も900 m滑落 した[1]。遺体 の回収 も困難 で、両親 の希望 もあり遺体 はその場所 に残 された。すぐ横 で滑落 を目撃 したカルテンブルンナーも登頂 を断念 した[1]。2011年 8月 カルテンブルンナーらは再 びK2にアタックし無 酸素 登頂 を成 し遂 げたが、カルテンブルンナー自身 は4度目 の挑戦 であり、パーティーには7回 目 の挑戦 となるメンバーもいた[1]。
持 ち込 まれる装備 とゴミ[編集 ]
4
画像 [編集 ]
-
K2
西 壁 の最 上部 と山頂 -
K2
北 壁 -
K2
登山 に使 われる主 な南側 ルート -
南 からみたK2
K2を主題 とした作品 [編集 ]
- K2 - パトリック・マイヤーズの
戯曲 及 び舞台 作品 - K2/ハロルドとテイラー
氷壁 (2006年版 ドラマでの設定 改変 )- バーティカル・リミット
孤高 の人 (漫画 版 )- K2
初 登頂 の真実 - K2初 登頂 を描 いた映画 。2012年 公開 。(元 はイタリアのテレビ映画 ) 白 き氷河 の果 てに - 1977年 の日本人 初 登頂 (世界 第 二 登 )の記録 映画 、1978年 公開 - K2—
栄光 と悲劇 の物語 — - ドン・エイリーが1988年 に発表 したアルバム。1986年 の大量 遭難 事故 を題材 としている[11]。 - K -
原作 ・遠崎 史朗 、画 ・谷口 ジローによる登山 をテーマにした連作 漫画 。第 1話 がK2。 - K2 -
村上 もとかの漫画 作品 。『岳人 列伝 』の1編 。
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
出典 [編集 ]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ナショナル ジオグラフィック(
編 )「K2頂 をめざして」『NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック)日本 版 』2012年 04月 号 、ナショナルジオグラフィック社 、2012年 3月 、ASIN B007JL98CE。 - ^ a b “
時事通信 :初 のK2冬季 登頂 ネパール人 登山 家 達成 ”. JIJI PRESS. 2021年 1月 16日 閲覧 。 - ^ “ネパール
隊 がK2の冬季 登頂 に初 成功 世界 第 2の高峰 ”. mainichi.jp.毎日新聞 (2021年 1月 17日 ). 2021年 1月 17日 閲覧 。 - ^ a b “Stairway to heaven”. The Economist. (2013
年 5月 29日 ) 2013年 5月 30日 閲覧 。 - ^ クルト・ディームベルガー
著 、梅津 正彦 訳 『K2嵐 の夏 』山 と渓谷社 、2000年 9月 。ISBN 978-4635178129。[要 ページ番号 ] - ^ “K2
南南東 リブ 1996”.日本 山岳 会 . 2019年 1月 2日 閲覧 。 - ^ “
中国 のチベット事実 と数字 ”.中国 網 . 2018年 3月 22日 閲覧 。 - ^ “レコードチャイナ:
世界 第 2の高峰 K2で、11人 が遭難 死 ―パキスタン”. Record China. 2012年 9月 9日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2019年 1月 2日 閲覧 。 - ^ ジェニファー・ジョーダン
著 、梅津 正彦 訳 『K2非情 の頂 ―5人 の女性 サミッターの生 と死 』山 と溪谷社 、2006年 3月 。ISBN 978-4635178136。[要 ページ番号 ] - ^ “CNN.co.jp:K2
登山 中 のプロスキーヤーが死去 滑走 挑戦 の途上 で”. 2010年 8月 10日 時点 のオリジナルよりアーカイブ。2019年 1月 2日 閲覧 。 - ^
山崎 智之 (2018年 6月 1日 ). “【インタビュー】ドン・エイリー”. HMV&BOOKS online. Lawson Entertainment. 2021年 8月 29日 閲覧 。