重 広 恒夫
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(しげひろ つねお) | |
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1947 | |
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エベレスト(1980
ラトック1(1979
K2(1977
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スポーツ |
概要 [編集 ]
1973
1984
1996
経歴 [編集 ]
- 1967
年 山口 県立 徳山 高等 学校 卒業 。 - 1971
年 岡山理科大学 応用 化 学科 卒業 。
- オニツカ
株式会社 (現在 のアシックス)に入社 。配属 はウィンター事業 部 。
- オニツカ
- 1976
年 日本 ・インド合同 ナンダ・デヴィ縦走 隊 に参加 。一 次 アタック隊 の高見 和成 、長谷川 良典 は東峰 (7.434m)から主峰 (7.816m)への縦走 に成功 するものの、重 広 は体調 不良 と主峰 側 サポート隊 が脱落 したため東峰 のみ登頂 。パートナーはインド陸軍 中佐 プレムチャンド。東峰 の登頂 は日本人 初 。 - 1977
年 K2[南東 稜 ](8611m)登頂 。日本人 初 、世界 2番目 。 - 1979
年 未踏 峰 ラトックI峰 [南 壁 ](7,145m)初 登頂 。登頂 メンバーは松見 親衛 、渡辺 優 。日没 により満足 な写真 が撮影 できなかったため、重 広 のみ二 次 アタック隊 と合流 し二 度 登頂 した。 - 1980
年 エベレスト[北 壁 ](8,848m)に尾崎 隆 と共 に登頂 。北 壁 からの登頂 は世界 初 。 - 1984
年 カンチェンジュンガ南峰 (8,491m)-中央 峰 (8,482m)縦走 。パートナーの三谷 統 一郎 、和田 城 志 は主峰 (8,586m)との三峰 縦走 に成功 したものの、重 広 は主峰 登頂 を断念 。 - 1985
年 マッシャーブルム(7,821m)登頂 。未踏 の[北西 壁 ]から。登頂 メンバーは賀集 信 ら計 10人 。 - 1985
年 ブロードピーク(8,047m)登頂 。アルパインスタイル。登頂 メンバーは賀集 信 、和田 城 志 、外山 哲也 、山本 宗彦 。 - 1988
年 エベレスト日本 ・中国 ・ネパール三 国 の友好 登山 隊 交差 縦走 の指揮 。 - 1989
年 ウィンター事業 部 からアウトドア事業 部 に異動 。 - 1991
年 ナムチャバルワナイプン峰 (7,043m)登頂 。 - 1992
年 ナムチャバルワ(7,782m)日本 ・中国 合同 登山 隊 初 登頂 の指揮 。 - 1992
年 スポーツ功労 者 顕彰 受賞 。 - 1995
年 マカルー[東 稜 ](8,463m)初 登頂 の指揮 。 - 1996
年 「タラスブルバ」ブランド二 十 周年 イベントとして日本 百名山 連続 踏破 。123日間 で達成 。
著書 [編集 ]
- 『エベレストから
百名山 へ:ヒマラヤから教 わったこと』(光文社 新書 ,2003年 )ISBN 4334032001
関連 書籍 [編集 ]
藤木 高嶺 著 『ああ南 壁 :第 二 次 RCCエベレスト登攀 記 』(朝日新聞社 ,1974年 )ISBN 4122028787広島 三朗 著 『K2登頂 幸運 と友情 の山 』(実業之日本社 ,1978年 )ISBN 426701065X日本 山岳 協会 日本 K2登山 隊 編 『白 き氷河 の果 てに:K2登頂 1977日本 K2登山 隊 公式 報告 書 』(講談社 ,1978年 )本田 靖 春 著 『K2に憑 かれた男 たち』(文藝春秋 ,1979年 )ISBN 4845107198- 『チョモランマに
立 つ:日本 山岳 会 隊 エベレスト中国 ルート激闘 全 記録 』(読売新聞社 ,1980年 ) 服部 孝司 著 『頂 は誰 がために:ラトックI峰 初 登頂 の記録 』(山 と渓谷社 ,1981年 )ISBN 4635041344尾崎 隆 著 『果 てしなき山行 』(中央公論社 ,1983年 )ISBN 4122013232岡島 成行 文 『みんなが頂上 にいた』(創作 集団 ぐる-ぷ・ぱあめぱあめ書房 ,1983年 )ISBN 4635884643中国 ・日本 ・ネパール1988年 チョモランマ/サガルマタ友好 登山 隊 編 『チョモランマ・サガルマタ1988』(読売新聞社 ,1989年 )ISBN 464388102X
脚注 [編集 ]
- ^ “
重 廣 恒夫 / Tsuneo Shigehiro(登山 家 )”. Haglöfs. 2019年 5月 2日 閲覧 。[リンク切 れ]