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ジョー・カルザゲ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョー・カルザゲ
Joe Calzaghe
2007ねん7がつ
基本きほん情報じょうほう
本名ほんみょう ジョゼフ・ウィリアム・カルザゲ
えい:Joseph William Calzaghe)
通称つうしょう The Pride of Wales(ウェールズのほこり)
The Italian Dragon(イタリアのりゅう
階級かいきゅう ライトヘビーきゅう
身長しんちょう 182cm
リーチ 190cm
国籍こくせき イギリスの旗 イギリス
ウェールズの旗 ウェールズ
誕生たんじょう (1972-03-23) 1972ねん3月23にち(52さい
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド, ロンドン
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績せんせき
そう試合しあいすう 46
46
KO 32
0
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ジョー・カルザゲJoe Calzaghe1972ねん3月23にち - )は、イギリスもとプロボクサーもとIBF世界せかいスーパーミドルきゅう王者おうじゃもとWBAスーパーWBCWBO世界せかいスーパーミドルきゅう統一とういつ王者おうじゃ

2007ねん11月3にちミッケル・ケスラーとのWBA・WBC・WBO世界せかいスーパーミドルきゅう王座おうざ統一とういつせんせいし、主要しゅよう4団体だんたい(WBA・WBC・IBF・WBO)の実質じっしつてき統一とういつ世界せかい王者おうじゃとなり、46せん46しょう(32KO)無敗むはいという戦績せんせき引退いんたいした。

概要がいよう

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本名ほんみょうジョゼフ・ウィリアム・カルザゲ(Joseph William Calzaghe)。イタリアひとイギリスひとのハーフで、活動かつどう拠点きょてんウェールズく。イギリス代表だいひょうするスポーツ選手せんしゅ1人ひとりであり、つねパウンド・フォー・パウンド上位じょういにランクされたスーパーボクサー。2かいきゅう制覇せいはもと世界せかい王者おうじゃリッキー・ハットンとともに、レノックス・ルイス引退いんたいイギリスプロボクシング人気にんきささえていた。せいのカルザゲ(Calzaghe)とは、ラテン語らてんごカルタゴ(Karthago)を意味いみする。

サウスポースタイルから最大さいだい武器ぶき速射そくしゃほうのようなもうスピードの回転かいてん連打れんだであり、手打てう気味ぎみでパワーにはけるものの、その驚異きょういてき手数てかず対戦たいせん相手あいて圧倒あっとうする。そのスタイルは、WOWOWの『エキサイトマッチ』で解説かいせつつとめるジョー小泉こいずみいわく「現代げんだいボクシングにてきしたスタイル」(ホプキンスせん解説かいせつにて)。

10年間ねんかん以上いじょうにわたりスーパーミドルきゅう世界せかい王者おうじゃ君臨くんりん2009ねん2がつ、プロ46せん全勝ぜんしょう32KOのパーフェクトレコードをのこ現役げんえき引退いんたいした。

来歴らいれき

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幼少ようしょう・アマチュア時代じだい

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ジョー・カルザゲのちちかれのトレーナーでもあるエンツォ・カルザゲはイタリアサルデーニャまれたイタリアひとだが、ウェールズひと結婚けっこんながあいだイングランドんでいた。ジョーが2さいころははまれ故郷こきょうであるウェールズ引越ひっこし、現在げんざい在住ざいじゅうしている。スポーツ万能ばんのうであったかれ幼少ようしょうころからサッカーにはげみ、さらに9さいころからボクシングをはじめた。13 - 4さいごろまではかれ自身じしんはサッカー選手せんしゅになりたかったとかたっている。だがエンツォはかれにボクシングの才能さいのうがあることを見抜みぬき、ボクサーになることをすすめた。学生がくせい時代じだいは3かいきゅう英国えいこくのチャンピオンを獲得かくとくしている。アマチュア時代じだい戦績せんせきは120せん110しょう10はいである。

プロボクサー時代じだい

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1993ねん10月1にちにプロデビュー。1995ねん10月28にちスティーブ・ウィルソンを8かいTKOでくだBBBofC英国えいこくスーパーミドルきゅう王座おうざ獲得かくとく。スピードと回転かいてんはや連打れんだれのいいひだり強打きょうだ武器ぶき圧倒的あっとうてき内容ないようこうKOりつ連戦れんせん連勝れんしょうかさね、トップホープとして非常ひじょうたか評価ひょうかける(世界せかい挑戦ちょうせんまでの戦績せんせきは22せん全勝ぜんしょう21KO、19試合しあいが4R以内いないのKO)。

WBO王者おうじゃ

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1997ねん10月11にちシェフィールドアリーナでWBO世界せかいスーパーミドルきゅう王座おうざ決定けっていせん出場しゅつじょうし、このまえ時代じだいにイギリスにおいて非常ひじょうたか人気にんきほこったもと王者おうじゃクリス・ユーバンク対戦たいせんこの試合しあい新旧しんきゅう対決たいけつとして英国えいこくないたか話題わだいんだ。カルザゲは開始かいし15びょうほどでダウンをうばい、早期そうき決着けっちゃく予想よそうされたが、ユーバンクがなおす。こののち老獪ろうかいなユーバンクとのあいだ激戦げきせん展開てんかいされ判定はんていまれたものの勝利しょうりし、はつ世界せかい王座おうざ獲得かくとくした。この試合しあいで、パンチりょく・スピードにくわえて技術ぎじゅつ精神せいしんりょく・タフネスも証明しょうめいするたかいパフォーマンスをせた[よう出典しゅってん]

しかし初期しょき防衛ぼうえいせん慢性まんせいなん再発さいはつしたひだりけん負傷ふしょうは、パンチの威力いりょくにぶりと、パンチとうご全体ぜんたいおもりがくなったことによるパフォーマンスの低下ていかもたらながらくスランプ状態じょうたいになる。そのすべての防衛ぼうえいせん勝利しょうり長期ちょうきにわたる王座おうざ君臨くんりんつづけるが、評価ひょうかおもうようにがらずに、実力じつりょくくらべると国際こくさいてき存在そんざいかんたかくはならなかった。WBC王者おうじゃとのタイトル統一とういつせん交渉こうしょうされたが、カルザゲの怪我けが実現じつげんしなかった。

だがそのあいだにも技術ぎじゅつ実力じつりょくみがかれ、(国内こくないふくむ)てき防衛ぼうえいや(カルザゲの負傷ふしょうにより)分裂ぶんれつしたWBO王座おうざ統一とういつせん暫定ざんてい王者おうじゃマリオ・ファイトをKOするなど実績じっせきかさねていく。また、リッチー・ウッドホールロビン・リード英国えいこくもと世界せかい王者おうじゃオマー・シカチャールズ・ブリューワーバイロン・ミッチェルなどアメリカ実績じっせきのこした選手せんしゅやぶった。

2006ねん6月3にちに18度目どめ防衛ぼうえいせんで、キャリアのだい転換てんかんてんとなったIBFIBO王者おうじゃジェフ・レイシーとの統一とういつせんマンチェスターマンチェスター・イブニング・ニュース・アリーナおこなわれた。レイシーの戦績せんせき当時とうじ22せん21しょう17KO1無効むこう試合しあいで、アグレッシブな若手わかて強打者きょうだしゃとして潜在せんざいりょく将来しょうらいせい期待きたいかっていた。一方いっぽうでカルザゲにとってはキャリアはつ世界せかいてき注目ちゅうもくびるビッグマッチであり、下馬評げばひょうれた。激戦げきせん予想よそうされた試合しあいだったが、スピードと技術ぎじゅつでカルザゲが一方いっぽうてきにリードする。12R終了しゅうりょう間際まぎわにはダウンをうばうがしくもゴングにげられ、3-0(119-107、119-107、119-105)の判定はんていちをおさめIBF王座おうざとIBO王座おうざとWBO王座おうざ統一とういつ成功せいこうした。

この勝利しょうりにより懐疑かいぎろんしゃこえうすまり、長期ちょうき防衛ぼうえい時代じだいさい評価ひょうかもあり、実力じつりょく実績じっせきたいたか評価ひょうかけることになった。また、アメリカでこう評価ひょうかけているアメリカじん選手せんしゅ一方いっぽうてきやぶったことにより、とくひくかった同国どうこくでの評価ひょうかるようになった。

こののち2防衛ぼうえいせんて(IBF王座おうざは1防衛ぼうえい返上へんじょう)、現在げんざい代表だいひょうするめい選手せんしゅされていくが、WBAスーパー・WBC王者おうじゃミッケル・ケスラーとのスーパーミドルきゅう最強さいきょう決戦けっせんもとめるこえたかくなる。ケスラーの戦績せんせき当時とうじ39せん全勝ぜんしょう29KO無敗むはいで、長身ちょうしんふところふかさをかしながらなが強打きょうだはな次世代じせだいにな選手せんしゅとの評価ひょうかたかく「ちゅうりょうきゅう頂上ちょうじょう決戦けっせん」「欧州おうしゅう最高さいこう選手せんしゅ対戦たいせん」「無敗むはい対決たいけつ」としてたか話題わだいんだ。

2007ねん11月3にちカーディフミレニアム・スタジアム試合しあい挙行きょこう。この試合しあいはカルザゲ有利ゆうり下馬評げばひょう激戦げきせん予想よそうされた。その予想よそうどおり、リングじょうでは両者りょうしゃ死力しりょくくした激闘げきとう展開てんかいされるものの、カルザゲはみぎストレートとアッパーカットを中心ちゅうしんとしたケスラーの攻撃こうげきしのぎつつ、ケスラーにはない経験けいけん試合しあい巧者こうしゃぶりをせつけ、スピードと回転かいてんかした攻撃こうげき明白めいはく判定はんてい勝利しょうりおさめた。これによりカルザゲはWBA・WBC・WBOの王座おうざ統一とういつ(21度目どめのWBO王座おうざ防衛ぼうえい)、スーパーミドルきゅう世界せかい最強さいきょうるぎいものとなった(前述ぜんじゅつのように、すでに返上へんじょうしていたもののIBF王座おうざ獲得かくとくしているため、事実じじつじょう4団体だんたい王座おうざをまとめあげたことになる)。ただ、ケスラーが自分じぶんのボクシングをつらぬきカルザゲと死闘しとうえんじたのもたしかであり、カルザゲは試合しあいに「いちねんだったら、わたしけていたかもしれない。わたし引退いんたいしたのちのスーパーミドルきゅうは、ミッケルの時代じだいになるだろう」とかたった。また、この試合しあい観客かんきゃく動員どういんすうやく53,000にんで、欧州おうしゅうのボクシング興行こうぎょうでの観客かんきゃく動員どういん記録きろく更新こうしんした。

ケスラー戦後せんごには、過去かこ試合しあいしめしてきたトータルの能力のうりょくたいしてたか賞賛しょうさんあたえられ、リングマガジンなど主要しゅようなボクシングメディアにおいてパウンド・フォー・パウンド上位じょういにランクされるなど現役げんえき選手せんしゅちゅう最強さいきょう選手せんしゅ1人ひとり看做みなされたり、同級どうきゅう史上しじょう最強さいきょう選手せんしゅ1人ひとりひょうされるようになった。

2008ねん4がつ19にちラスベガストーマス&マック・センターで、バーナード・ホプキンスせんがライトヘビーきゅうのウェイトにておこなわれた。カルザゲは1Rにダウンをうばわれるが中盤ちゅうばん以降いこうかえし12Rをたたかき、判定はんてい2-1(115-112, 113-114, 116-111)にてからくも勝利しょうりした。

2008ねん11月8にちニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにてロイ・ジョーンズ・ジュニアライトヘビーきゅうノンタイトルせん対戦たいせん。ホプキンスせんつづき1Rにダウンをうばわれるも、7Rにひだり目尻めじりをカットさせて有利ゆうりすすめて12R判定はんてい3-0(118-109, 118-109, 118-109)で勝利しょうり連勝れんしょうを46にばした。

2009ねん2がつ5にち自身じしんのサイトにて現役げんえき引退いんたい発表はっぴょうした。

2010ねん3月28にち、コカイン使用しよう疑惑ぎわく新聞しんぶん報道ほうどうされ、カルザゲはコカインを使用しようしていることをみと謝罪しゃざいした[1]

ファイトスタイル

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かれのファイトスタイルへの認識にんしきは、はつ世界せかい王座おうざ獲得かくとくまえすう防衛ぼうえい戦後せんごまったかれる。世界せかい王座おうざ獲得かくとくまえはサウスポースタイルからのひだりストレートがするど攻撃こうげきりょくたか速攻そっこうがたたおされていた。だが世界せかい王座おうざ獲得かくとくこぶし慢性まんせいてき負傷ふしょうて、キャリア中期ちゅうき以降いこうはスキルフルでスピーディーな技巧ぎこうとの評価ひょうかおおい。

特徴とくちょうとして、フットワークやボディームーブでつね距離きょり相手あいてとの位置いちえる、スピード、回転かいてんはや連打れんだ相手あいてのパンチのインサイドからとらえるサウスポーのひだり相手あいてがインサイドにはいったときもちいるおもうように的中てきちゅうりつたかいストレート気味ぎみアッパーカット、スタミナが豊富ほうふである、タフである、つね冷静れいせいである、パンチがオープンになりがちである、どんな相手あいてでもつね自分じぶんのスタイルをつらぬける、などがげられる。

トピック

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  • 父親ちちおやのエンツォはカルザゲのトレーナーで、カルザゲはエンツォがウェールズニューブリッジ運営うんえいするTeam Calzaghe Gymで練習れんしゅうしている。
  • アマチュアのラスト50せんほどからプロわた全勝ぜんしょうつづけている。また2008ねん1がつ現在げんざい無敗むはい選手せんしゅなかもっと戦績せんせきおお選手せんしゅであり、在位ざいい10ねん3かげつ以上いじょうもっと長期ちょうき世界せかい王座おうざ君臨くんりんをしている選手せんしゅである。
  • イギリス史上しじょう最強さいきょう選手せんしゅ1人ひとりだとかんがえられている。
  • 2003ねん英国えいこく王室おうしつからMBE勲章くんしょう叙勲じょくんされた。2007ねんには英国えいこくスポーツかい最高さいこう名誉めいよであるBBCSports Personality of the Yearになり、エンツォもCoach of the Yearを受賞じゅしょうした。このときラスベガスからのなま中継ちゅうけいで、同地どうちでのフロイド・メイウェザー・ジュニアたたかえ直後ちょくごどうしょう3リッキー・ハットン一緒いっしょに、プレゼンターでどう試合しあい解説かいせつもと世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃレノックス・ルイスから授与じゅよけた。BBCウェールズのSports Personality of the Yearには2かがやいている。
  • エンツォは優秀ゆうしゅうトレーナーとして評価ひょうかされていて、エンゾ・マカリネリゲビン・リース世界せかい王者おうじゃもTeam Calzaghe Gymで訓練くんれんけている。ほかにも有力ゆうりょく選手せんしゅがいて、かれらはTeam Calzagheとばれる。
  • エンツォはイタリアひとで、母親ははおやウェールズひとである。カルザゲはThe Pride of WalesとThe Italian Dragonという、両方りょうほうのルーツをあらわすニックネームをつ。また、サッカーではエンツォの影響えいきょう幼少ようしょうからイタリアのユヴェントスFCのファンである[2]
  • ウェールズしょう都市としクンブラン妻子さいしともごしている。父母ちちははふくめた家族かぞくとの時間じかん地元じもとでの時間じかん大切たいせつにしていて、有名人ゆうめいじんとのあそびなどはあまりしない。父子ふしどもおだやかな性格せいかくはなしぶりで、あしいた人柄ひとがらとの評価ひょうかけている。
  • ハンサムな選手せんしゅとしてもられ、かつてウェールズでもっともハンサムな有名人ゆうめいじんひょうされたことがある。

戦績せんせき

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せん 日付ひづけ 勝敗しょうはい 時間じかん 内容ないよう 対戦たいせん相手あいて 国籍こくせき 備考びこう
1 1993ねん10がつ1にち 1R 2:43 TKO ポール・ハンロン イギリスの旗 イギリス
2 1993ねん11がつ10日とおか 1R 2:29 TKO ポール・メイソン イギリスの旗 イギリス
3 1993ねん12月16にち 2R 2:45 TKO スペンサー・アルトン イギリスの旗 イギリス
4 1994ねん1がつ22にち 1R 1:50 TKO マーティン・ロサモンド キプロスの旗 キプロス
5 1994ねん3がつ1にち 1R 1:55 TKO ダレン・リトルウッド イギリスの旗 イギリス
6 1994ねん6がつ4にち 1R 2:40 TKO カール・バーワイズ イギリスの旗 イギリス
7 1994ねん10がつ1にち 1R 1:29 TKO マーク・リー・ドーソン イギリスの旗 イギリス
8 1994ねん11月30にち 2R 2:25 TKO トレバー・アンブローズ イギリスの旗 イギリス
9 1995ねん2がつ14にち 1R 1:25 KO フランク・ミントン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
10 1995ねん2がつ22にち 8R 判定はんてい3-0 ボビー・ジョー・エドワーズ イギリスの旗 イギリス
11 1995ねん5がつ19にち 1R 1:29 TKO ロバート・カリー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
12 1995ねん7がつ8にち 4R 1:08 TKO タイロン・ジャクソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
13 1995ねん9がつ30にち 4R 2:20 TKO ニック・マナー イギリスの旗 イギリス
14 1995ねん10がつ28にち 8R 2:18 TKO スティーブン・ウィルソン イギリスの旗 イギリス BBBofC英国えいこくスーパーミドルきゅう王座おうざ決定けっていせん
15 1996ねん2がつ13にち 1R 1:24 TKO ガイ・スタンフォード アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
16 1996ねん3がつ13にち 2R 終了しゅうりょう TKO アンソニー・ブルックス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
17 1996ねん4がつ20日はつか 5R 終了しゅうりょう TKO マーク・デラニー イギリスの旗 イギリス BBBofC英国えいこく防衛ぼうえい1
18 1996ねん5がつ4にち 2R 終了しゅうりょう 棄権きけん ウォーレン・ストウ イギリスの旗 イギリス
19 1996ねん5がつ15にち 2R 1:55 TKO パット・ローラー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
20 1997ねん1がつ21にち 2R 1:39 TKO カルロス・クリスティー イギリスの旗 イギリス
21 1997ねん3がつ22にち 1R 2:04 KO タイラー・ヒューズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
22 1997ねん6がつ5にち 3R 0:52 TKO ルチアーノ・トーレス ブラジルの旗 ブラジル
23 1997ねん10がつ11にち 12R 判定はんてい3-0 クリス・ユーバンク イギリスの旗 イギリス WBO世界せかいスーパーミドルきゅう王座おうざ決定けっていせん
24 1998ねん1がつ24にち 3R 1:35 TKO ブランコ・ソボット クロアチアの旗 クロアチア WBO防衛ぼうえい1
25 1998ねん4がつ25にち 9R 終了しゅうりょう 棄権きけん フアン・カルロス・ヒメネス パラグアイの旗 パラグアイ WBO防衛ぼうえい2
26 1999ねん2がつ13にち 12R 判定はんてい2-1 ロビン・リード イギリスの旗 イギリス WBO防衛ぼうえい3
27 1999ねん6がつ5にち 12R 判定はんてい3-0 リック・ソーンベリー オーストラリアの旗 オーストラリア WBO防衛ぼうえい4
28 2000ねん1がつ29にち 12R 判定はんてい3-0 デイビッド・スターイ イギリスの旗 イギリス WBO防衛ぼうえい5
29 2000ねん8がつ12にち 5R 2:08 TKO オマール・シェイカ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく WBO防衛ぼうえい6
30 2000ねん12月16にち 10R 0:28 TKO リッチー・ウッドホール イギリスの旗 イギリス WBO防衛ぼうえい7
31 2001ねん4がつ28にち 1R 1:52 TKO マリオ・ベット ドイツの旗 ドイツ WBO防衛ぼうえい8
32 2001ねん10がつ13にち 4R 0:45 TKO ウィル・マッキンタイア アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく WBO防衛ぼうえい9
33 2002ねん4がつ20日はつか 12R 判定はんてい3-0 チャールズ・ブルワー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく WBO防衛ぼうえい10
34 2002ねん8がつ17にち 12R 判定はんてい3-0 ミゲル・アンヘル・ヒメネス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく WBO防衛ぼうえい11
35 2002ねん12月14にち 2R 0:39 TKO トッカー・バドウィル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく WBO防衛ぼうえい12
36 2003ねん6がつ28にち 2R 2:36 TKO バイロン・ミッチェル アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく WBO防衛ぼうえい13
37 2004ねん2がつ21にち 7R 1:05 TKO メガー・ムクチヤン ロシアの旗 ロシア WBO防衛ぼうえい14
38 2004ねん10がつ22にち 12R 判定はんてい3-0 カバリー・セーラム  エジプト WBO防衛ぼうえい15
39 2005ねん5がつ7にち 6R 2:18 TKO マリオ・ベット ドイツの旗 ドイツ WBO防衛ぼうえい16
40 2005ねん9がつ10日とおか 12R 判定はんてい3-0 エバンス・アシラ  ケニア WBO防衛ぼうえい17
41 2006ねん3がつ4にち 12R 判定はんてい3-0 ジェフ・レイシー イギリスの旗 イギリス IBF・WBO世界せかいスーパーミドルきゅう王座統おうざとういちせん
IBF獲得かくとく・WBO防衛ぼうえい18
42 2006ねん10がつ14にち 12R 判定はんてい3-0 サキオ・ビカ オーストラリアの旗 オーストラリア IBF防衛ぼうえい1・WBO防衛ぼうえい19
43 2007ねん4がつ7にち 3R 1:30 TKO ピーター・マンフレド・ジュニア アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく WBO防衛ぼうえい20
44 2007ねん11月3にち 12R 判定はんてい3-0 ミッケル・ケスラー  デンマーク WBA・WBC・WBO世界せかいスーパーミドルきゅう王座統おうざとういちせん
WBO防衛ぼうえい21
WBA・WBC獲得かくとく
45 2008ねん4がつ19にち 12R 判定はんてい2-1 バーナード・ホプキンス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
46 2008ねん11月8にち 12R 判定はんてい3-0 ロイ・ジョーンズ・ジュニア アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
テンプレート

獲得かくとくタイトル

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プロボクシング

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  • BBBofC英国えいこくスーパーミドルきゅう王座おうざ(1防衛ぼうえい
  • WBO世界せかいスーパーミドルきゅう王座おうざ(21防衛ぼうえい
  • IBF世界せかいスーパーミドルきゅう王座おうざ(1防衛ぼうえい
  • IBO世界せかいスーパーミドルきゅう王座おうざ(0防衛ぼうえい
  • WBC世界せかいスーパーミドルきゅう王座おうざ(0防衛ぼうえい
  • WBA世界せかいスーパーミドルきゅうスーパー王座おうざ(0防衛ぼうえい
  • リングスーパーミドルきゅう王座おうざ(0防衛ぼうえい
  • リングライトヘビーきゅう王座おうざ(1防衛ぼうえい

受賞じゅしょうれき

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  • 2001ねん、BBC Wales Sports Personality of the Year受賞じゅしょう
  • 2003ねん英国えいこく王室おうしつからMBE勲章くんしょう叙勲じょくんされる。
  • 2006ねん、BBC Wales Sports Personality of the Year受賞じゅしょう
  • 2007ねん、BBC Sports Personality of the Year受賞じゅしょう

出典しゅってん

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  • 「ワールド・リング・スクランブル拡大かくだいばん 王者おうじゃカルザギ引退いんたい発表はっぴょう」『競馬けいば最強さいきょう法則ほうそく4がつごう増刊ぞうかん ボクシング・ワールド』、株式会社かぶしきがいしゃベストセラーズ平成へいせい21ねん4がつ20日はつか発行はっこう、31ぺーじ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Boxer Joe Calzaghe's cocaine apology”. BBC.NEWS (2013ねん3がつ28にち). 2015ねん6がつ11にち閲覧えつらん
  2. ^ Joe Calzaghe: The lifelong Juventus fan dreams of glory in Cardiff”. BBC (2017ねん5がつ30にち). 2017ねん5がつ30にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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空位くうい
ぜんタイトル保持ほじしゃ
スティーブ・コリンズ
WBO世界せかいスーパーミドルきゅう王者おうじゃ

1997ねん10がつ11にち - 2008ねん9がつ返上へんじょう

空位くうい
タイトル獲得かくとくしゃ
デニス・インキン
ぜん王者おうじゃ
ジェフ・レイシー
IBF世界せかいスーパーミドルきゅう王者おうじゃ

2006ねん3がつ5にち - 2006ねん返上へんじょう

空位くうい
タイトル獲得かくとくしゃ
アレハンドロ・ベリオ
ぜん王者おうじゃ
ミッケル・ケスラー
WBC世界せかいスーパーミドルきゅう王者おうじゃ

2007ねん11月3にち - 2008ねん9がつ返上へんじょう

空位くうい
タイトル獲得かくとくしゃ
カール・フローチ
ぜんスーパー王者おうじゃ
ミッケル・ケスラー
WBA世界せかいスーパーミドルきゅうスーパー王者おうじゃ
2007ねん11月3にち - 2008ねん9がつ返上へんじょう
スーパー王者おうじゃ
返上へんじょうにより消滅しょうめつ